1. みみもとスケッチ|聴くアートのワークショップ
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2022-06-15 21:34

✍︎ 1.3|意外と恐くない!アーティストの生態を知ると身近に感じる…?|生活者のためのアート入門

高級ワインだから美味しいとは限らない?
そんな豆知識から始まり、アートの楽しみ方の多様さ、気付かれにくい魅力などを語ります。

✍︎ 生活者のためのアート入門

想像以上に奥深いアートの世界…実はアーティストも迷ってしまうのだとか。

まずは闇雲に踏み込んで迷子にならないように、ざっくり全体をいろんな角度から観察してみましょう。結局わかりやすい答えには辿り着きませんが、最後まで聴けば少なくとも「なぜアートがわからないのか」はわかるはず…!

このテーマは全4回シリーズでお送りします。

出演者 : 藤野真司, のぞみるき, 塩田素也
収録日 : 2022年5月18日

📮あなたからのお便りお待ちしています!
https://forms.gle/g41vMYqjT6RhumfJ6

\ お し ら せ /

藤野さんが大阪のアートフェアに出展します!

総勢455組から選ばれた27名の作品が、大阪京町堀エリアの4つの会場に集まるイベント。藤野さんの作品は「BYTHREE」という会場に展示されるとのこと。ぜひ足をお運びください!

メタセコイア・キョウマチボリ・アートフェア2022
https://www.metasequoia-art.jp

Produced by かもすハウス

Illustration by 大宮のぞみ

Music provided from Artist.io

サマリー

本エピソードでは、アートに対する理解が深まることで、アーティストの生態や作品への親近感が増すことについて語られています。具体的には、岡本太郎や草間弥生といった著名なアーティストを例に挙げ、アート鑑賞にはルールや知識が必要であることを強調しています。アートと日常生活との関係が探求され、アートの持つ魅力について話されています。特に、アートが心を大切にする穏やかな側面に焦点を当て、社会におけるアートの価値を再考しています。

ワインとアートの比較
✍︎ 1.3|ワインとかもそうですけどね、高級なワインになればなるほど、なんかすごく味が変態的になっていくというか、なんかよくもうわからんみたいな。
なんか800円ぐらいのワインすごい美味しいけどなって思っちゃう時ってあるんですけど、でもなんか5,6000円出して買ったワインよくわかんねえみたいな、それ僕飲食業界にいたんで結構わかるんですけど、
イタリアのバローロっていう高級ワインがあるわけですよ。もう何十年と熟成させる、寝かせることを念頭にすごく強度のある葡萄の品種を使った、葡萄の王様って呼ばれるような品種を使った高級ワインなんですけど、それを飲食の仲間と何人かでお金出して買ってみんなで試飲するっていうのをやったんですよね。
バッセンしたらもうコルクとかももうボロボロで、本当すごい1940年だか60年だかなんかそのぐらいに作られたワインだったんですけど、なんかオスみたいな味があった。
えーみたいな。これレストランでちょっと今日は奮発しようって言って何万円も出して、これ出てきたら怒りますよって。なんだこれ。
でも、我々なんだ庶民にはちょっと縁が遠い世界なんだけど、ワイン好きからするとですね、それも含めて楽しむのがやっぱワインなんですよね。
結局、何十年寝かせてどんな味になってるかわからんと、すっごく美味しくなってる時もあるし、なんか本当参加してオスみたいになったりする時もあるけど、その悠久の時を過ごしてきたワインをロマンと共にバッセンするというその文化なんですよね。
だからなんか、なので結局のところ800円から2000円ぐらいまでで売られてるワインは、お料理に合わせるっていうことにかけては、そのぐらいの値段帯が一番美味しいです。
全然違う。だから、それ以上の値段出してちょっとそういう変わったワイン飲むっていう行為は、割と知識層の間でのたしなみなことなんですよね。
なんか、そんな何万円も出して博打みたいなワイン買わないじゃないですか、庶民。面白いねなんて言えないじゃないですか。来月、これ来月どうしようね。生活、白ご飯のみかなみたいな。
だから、そういう世界っていうのは存在していて、でも800円のワインで美味しく豊かに暮らす世界線もやっぱ存在してるじゃないですか。だから、それぞれが豊かに暮らすための術っていうのがアートだとしたら、
なんかその領域ごとの事情というか背景っていうのを考えみる必要はあると思うんですよね。一応にわからんというんじゃなくて。っていう気がしました。僕は酸っぱいワインを飲んでそう思ったんですよね。
アーティストのイメージ
ワインの例えはすごいわかりやすいですね。本当にアートと似ていますね。
あとなんだかんだ見る側のちょっとした怠け心もあると思っていて、アートを見るのにルールが必要だなんてっていうのをおっしゃる方もいるんですよね。
まあ気持ちはわからなくはないんだけども、じゃあ例えば将棋を指している対局している2人の様子をルール知らないまま見て楽しめるかって言ったらたぶん楽しめないですよね。
絶対面白くないですよね。パチって音が鳴ってるだけで。これ何をやってるんだろうみたいな。でも将棋ね詳しい人からすると、うわ今のいってやばいなって思うんですからね。
だからそれはその前提となるルールを一応知らないと試合にエキサイトできませんよというのは僕はあるんだと思っていて、それをやっぱり分からないやつが分からなくていいじゃなくて、ちゃんと丁寧に伝えるっていう場所は必要なんだと思うんですよね。
なんか他にこれ分かんなかったっていう作品とかアートとかってあります?
そもそも意外と見てきてないんですよね、自分は。現代アートっていうジャンルがやっぱりあんまりよく分かってないですね、たぶんね。
そうですね、でもやっぱりその日本でアーティストっていうイメージですごい強いのは岡本太郎と、あとは長野の松本出身なんで草間弥生もすごいよくよく見るなと思って、松本バス走ってるんですね、水玉の。
最初はなんであれ水玉なんだろうって思ってて、そのアーティストの作品としてあるんだみたいな、逆に知ったみたいな感じだったんですけど、でなんかその2人って結構たぶんこう一般的にアーティストっぽい人のすごい象徴的な存在になってると思うんですけど、
なんかその作品が分からないっていうのと、プラスなんかその人間も分からないじゃないですか、なんかあの2人みたいな、ああいう人たちっていうのは。
そうですね、こうイメージとして。
なんかそこもすごい突きづらさになっているのはたぶんあるんだろうなって思いますね。
アイコン、アイコンですよね。
その岡本太郎に関しては、あのギョロついた目とかはかなり戦略的にやってたっていう話があって、
あの人テレビでの立ち回りが恐ろしく上手かったんですよね。
そのパリに渡って、芸術家の一家に生まれて、フランスに渡ってアートを学んで帰ってくるんですけど、やっぱりその日本のアートの現状とかを憂いて、
もっと芸術には可能性とパワーがあって、もっと広くアートっていうものを知らしめないといけないんだと、触れてもらわないといけないんだとして、
メディアにめちゃくちゃ出まくったんですよね、あの人。
で、その上で露出する上での何が受けるかっていう振る舞いとかをすごく考えていて、
なんだこれはっていうワードとか、両手をパーして目をギョロっとしたあのビジュアルとかはかなり戦略的にやってたんですよね。
アーティストとの接し方
そうそう、で実際のあの人物像は結構知的で穏やかだったっていう話もあったりもしますし。
なるほど。
でも作品はね、かなりやっぱ力強いあれでしたけどね。
じゃああれですね、今も生きてたら確実にYouTubeやってますね。
やってますね。
YouTuberになってますよね、絶対ね。
でも彼も割と理性の否定みたいなことはやってましたよね、作品で。
万博の太陽の塔ってあるじゃないですか、あれってデカいモニュメントというか、
あれ自体が建築物、中に入れる構造物になってるんですけど、
その当時の一緒にその万博の会場を作る建築家がいて、
この建築家はすごいモダニズム建築というか、直線でシュッとしたかっこいい建築を計画して着工してたんですけど、
岡本太郎がちょっとその人類のね、進歩と調和っていうその万博のテーマで、
なんかこういう理性的なもの部分だけを見せるのは耐えられないって言って、
建築家のところに直談判して、ちょっとこの天井ぶち抜いていいかって言って、
最初太陽の塔ってその建築家が建てたモダニズム建築の真ん中をぶち抜いて、くり抜いて、そこにズドーンって建てるんですよ。
ヤバいよ、でよくそれオッケーしたな建築家が。
なるほどね。
そのすさまじい何億とかかるその工事、そのぶち抜かせて欲しいっていうのをすごくこうちゃんと相談している岡本太郎もすごい面白いなと思いますしね。
誠実ですね。
確かに交渉が必要ですよね、それはね。
なるほどね。
確かにそういうイメージね、確かに変わった人がアーティストって呼ばれたりする背景はそういう文脈がありそうですね。
僕やるきさんを見てくださいよと言いたいですね。
あれに勝ってますけどね、やっぱり。
危なさそうな感じ全然ないじゃないですか、我々。
危ない感じではないですね。
割となんか意外とそのアーティスト作家やってる人の多くはどちらかというと癒し系みたいなイメージを持たれる人が多いですよね、藤野さんもそうだと思うし。
そうですね、そうじゃないですか。
そうですね、そうそう。確かにアーティストの人と喋るのって多分やっぱりそのアートへの苦手意識からまたさらに緊張するというかなんかビビってる人多いと思うんですけど。
なんか少なくとも今まで自分が関わってきた作家活動をやっている人っていうのってすごい物腰柔らかいし、むしろちょっと低姿勢すぎて大丈夫かなみたいなぐらいの人の方が多いっていう印象ですよね。
いやなんかあれですよね、この3人で何かをこうやってやろうって言い始めた時にも作り手の実態というか生態をちゃんと伝えたいというか知ってほしいですよねっていう話がありましたよね。
なんかそのよくわからない異物として捉えられるんじゃなくて、本当に普通に生活者としてみんなと同じことをやっていて、その中で作るっていう行為が選択肢の一つとしてあるみたいな。
なんか本当に浮世離れした人に従う人ってやっぱいるんですよね。いやいやいやみたいな。
僕、東京でバリバリやってるそういうメディアの方に言われたことがあって、藤野さんね、もっとぶっ飛んだ方がいいよみたいな。作品が真面目すぎるかなみたいな。もうちょっとぶっ飛んだことやった方がいいよみたいなこと言われた時に、
なんだろう、刺激物に舌が慣れた人に提供する料理は僕作ってないんだけどなって思ったんですよ。
本当ですね。
それしか美味しいと感じられない人に向けて僕は料理を作ってないとは言わなかったですけど。
アートの魅力と社会的な関係
でもなんかそういう岡本太郎がやった戦略みたいに、やっぱキャッチーで目を引いてそういうコンテンツとして消費できるものにするためにはそういう目線って絶対必要なんですよね。
でも僕は生活としてアートをやっているので、別にそれを選択する必要がないんですよね。
だから、ご意見ありがとうございますみたいな感じで言われましたんですけど、その時もちょっと若干の寂しさを感じましたね。
いいですね。なんていうか、今日探り探り話し始めた答えが一つ今の藤野さんの言葉にあるのかなと思って。
みんなが感じるアートの関わりづらさだったり敷居の高さっていうもの。
その要因はいろいろあるけれど、一つはその刺激のね強さとか、暴力性とかも多分あるんだと思うんですよね。
でも本来アートをやる人ってとても繊細で優しい人たちが多いと思ってるんですけど、私はそこが魅力だと思うんですよね。
アートの素敵だなと思うのって、なんかこう人の心をとても大切にする穏やかさみたいなものだと思ってるんですけど、
なんかそこを今まで、特に現代アートかな?なってからあまり伝えてこれなかったっていう歴史があって、
それでどんどん世間とアートが乖離していって、大衆と。
でも藤野さんが言う生活者としての表現っていうのをもっと届けられるようになったらいいのかなって。
そういうことをしている作家さんはいっぱいいると思うので、でもまだ全然伝わってないから伝えられるといいのかなって思いましたね。
どうしても今の社会で評価されるためには、やっぱり資本主義的な評価っていうのがわかりやすい指標になっている分、
だからさっきのメディアの方みたいな発言が出てくるんだと思うんですよね。
でもそれもすごく一つの真実、この社会の中でアートをやるということの一つの答えなんだけど、
それではそのスピード感では見落としてしまうものもたくさんあるので、
じゃあ売れたらいいアートなのかって言ったらそうでもないし、
そもそもいいアートっていうのはその状況とか文脈によって変わるので、
僕10代の時よくわかんなかったアートが30代になってすっごい深く刺さったりする経験ってやっぱり結構あるんですよね。
絵だけじゃなくて文章とか音楽とかでもやっぱりそうだし。
だからそれを楽しむ見尽くしむ分野なんだと思うと、必ずしも売れてるっていう指標だけでは評価がちょっと難しいですよね。
僕なんか絶対バズらないと思いますもん。
バズりようがないし、みんなこれやってますから。
でもそれがいいと言ってくださるお客さんもいるし、
なので生活者としての目線を失わないというのが一つ大事かもですね。
作る側も見る側も。
なんかそうですよね、さっきのその味付けの話で、味付けで例えてたのとかすごいわかりやすいなと思ったんですけど、
やっぱりその流行る料理店をやるのであれば、わかりやすい味っていうのって必要じゃないですか。
例えばラーメン屋でコッテリ系ですよ、うちはみたいなこととか、こういう系統の味ですよっていうのをちゃんと見せるっていう、
それが商売として必要な、岡本太郎とかもそういう必要に応じて出していた側面だったと思うんですけど、
もうちょっと長いスパンで見て、その国の家庭料理だったり民族料理みたいなのを作ってるっていうのは、
アート体験の重要性
そういう一個繁盛したお店とかの味ではなくて、毎日作っているその料理、
それが一つの地域の中でそれを作るのが上手な人がいて、その人の作り方がなんとなく各家庭に広まって残ってるみたいな、
それこそ発酵食品とかの歴史とか見てると結構そういうのってあるんですね、やっぱね。
なんでこういう作り方が生み出されたのかって考えると、やっぱそれって商品になるからとかいうよりも必要があって、
そこで工夫をいろんな各家庭でしているうちに、すごい上手なやり方を見つける人がいて、
それがみんないいねってなって、真似していったのがその地域の伝統的な発酵食品になっているみたいなことっていうのがやっぱあったりとか。
だから、なんかアートにもそういう二層の流れがあって、
だからやっぱアートっていうジャンルで、分かる分からないとか好き嫌いっていう風に見ていると、
見ていると多分そこの下に隠れている、すごい身近にあるアートみたいなものが見えにくくなっちゃっていて、
それがなんかもったいないなって自分は感じているんだなっていうのがよくわかりました。
なるほど。
分かりやすい、評価のされ方として分かりやすいのは資本主義的な潮流に乗ったアートなんだけど、
その先にある作品はちょっと敷居が高いというジレンマですよね。
そうなんですよ。だから知らない国に行ってそこの家庭料理を食べるって結構敷居が高いじゃないですか。
誰かの家に上がりこまないとやっぱり食べられないっていうことになるので、
なんかそういう多分ちょっと、なんていうかな、とっつきづらさはあるんだけど、
でもやっぱりなんか一人でも知り合いができたら、その人の家に招いてもらったら、
この国の人こんなものを普段食べてるんだみたいなのがよくわかって、
結構なんか美味しいなって思ったりするっていうような、
なんかアートにも多分そういう体験がもっとあったらいいんだなって。
そうっすよね。
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