そうそう、で実際のあの人物像は結構知的で穏やかだったっていう話もあったりもしますし。
なるほど。
でも作品はね、かなりやっぱ力強いあれでしたけどね。
じゃああれですね、今も生きてたら確実にYouTubeやってますね。
やってますね。
YouTuberになってますよね、絶対ね。
でも彼も割と理性の否定みたいなことはやってましたよね、作品で。
万博の太陽の塔ってあるじゃないですか、あれってデカいモニュメントというか、
あれ自体が建築物、中に入れる構造物になってるんですけど、
その当時の一緒にその万博の会場を作る建築家がいて、
この建築家はすごいモダニズム建築というか、直線でシュッとしたかっこいい建築を計画して着工してたんですけど、
岡本太郎がちょっとその人類のね、進歩と調和っていうその万博のテーマで、
なんかこういう理性的なもの部分だけを見せるのは耐えられないって言って、
建築家のところに直談判して、ちょっとこの天井ぶち抜いていいかって言って、
最初太陽の塔ってその建築家が建てたモダニズム建築の真ん中をぶち抜いて、くり抜いて、そこにズドーンって建てるんですよ。
ヤバいよ、でよくそれオッケーしたな建築家が。
なるほどね。
そのすさまじい何億とかかるその工事、そのぶち抜かせて欲しいっていうのをすごくこうちゃんと相談している岡本太郎もすごい面白いなと思いますしね。
誠実ですね。
確かに交渉が必要ですよね、それはね。
なるほどね。
確かにそういうイメージね、確かに変わった人がアーティストって呼ばれたりする背景はそういう文脈がありそうですね。
僕やるきさんを見てくださいよと言いたいですね。
あれに勝ってますけどね、やっぱり。
危なさそうな感じ全然ないじゃないですか、我々。
危ない感じではないですね。
割となんか意外とそのアーティスト作家やってる人の多くはどちらかというと癒し系みたいなイメージを持たれる人が多いですよね、藤野さんもそうだと思うし。
そうですね、そうじゃないですか。
そうですね、そうそう。確かにアーティストの人と喋るのって多分やっぱりそのアートへの苦手意識からまたさらに緊張するというかなんかビビってる人多いと思うんですけど。
なんか少なくとも今まで自分が関わってきた作家活動をやっている人っていうのってすごい物腰柔らかいし、むしろちょっと低姿勢すぎて大丈夫かなみたいなぐらいの人の方が多いっていう印象ですよね。
いやなんかあれですよね、この3人で何かをこうやってやろうって言い始めた時にも作り手の実態というか生態をちゃんと伝えたいというか知ってほしいですよねっていう話がありましたよね。
なんかそのよくわからない異物として捉えられるんじゃなくて、本当に普通に生活者としてみんなと同じことをやっていて、その中で作るっていう行為が選択肢の一つとしてあるみたいな。
なんか本当に浮世離れした人に従う人ってやっぱいるんですよね。いやいやいやみたいな。
僕、東京でバリバリやってるそういうメディアの方に言われたことがあって、藤野さんね、もっとぶっ飛んだ方がいいよみたいな。作品が真面目すぎるかなみたいな。もうちょっとぶっ飛んだことやった方がいいよみたいなこと言われた時に、
なんだろう、刺激物に舌が慣れた人に提供する料理は僕作ってないんだけどなって思ったんですよ。
本当ですね。
それしか美味しいと感じられない人に向けて僕は料理を作ってないとは言わなかったですけど。
でもなんかそういう岡本太郎がやった戦略みたいに、やっぱキャッチーで目を引いてそういうコンテンツとして消費できるものにするためにはそういう目線って絶対必要なんですよね。
でも僕は生活としてアートをやっているので、別にそれを選択する必要がないんですよね。
だから、ご意見ありがとうございますみたいな感じで言われましたんですけど、その時もちょっと若干の寂しさを感じましたね。
いいですね。なんていうか、今日探り探り話し始めた答えが一つ今の藤野さんの言葉にあるのかなと思って。
みんなが感じるアートの関わりづらさだったり敷居の高さっていうもの。
その要因はいろいろあるけれど、一つはその刺激のね強さとか、暴力性とかも多分あるんだと思うんですよね。
でも本来アートをやる人ってとても繊細で優しい人たちが多いと思ってるんですけど、私はそこが魅力だと思うんですよね。
アートの素敵だなと思うのって、なんかこう人の心をとても大切にする穏やかさみたいなものだと思ってるんですけど、
なんかそこを今まで、特に現代アートかな?なってからあまり伝えてこれなかったっていう歴史があって、
それでどんどん世間とアートが乖離していって、大衆と。
でも藤野さんが言う生活者としての表現っていうのをもっと届けられるようになったらいいのかなって。
そういうことをしている作家さんはいっぱいいると思うので、でもまだ全然伝わってないから伝えられるといいのかなって思いましたね。
どうしても今の社会で評価されるためには、やっぱり資本主義的な評価っていうのがわかりやすい指標になっている分、
だからさっきのメディアの方みたいな発言が出てくるんだと思うんですよね。
でもそれもすごく一つの真実、この社会の中でアートをやるということの一つの答えなんだけど、
それではそのスピード感では見落としてしまうものもたくさんあるので、
じゃあ売れたらいいアートなのかって言ったらそうでもないし、
そもそもいいアートっていうのはその状況とか文脈によって変わるので、
僕10代の時よくわかんなかったアートが30代になってすっごい深く刺さったりする経験ってやっぱり結構あるんですよね。
絵だけじゃなくて文章とか音楽とかでもやっぱりそうだし。
だからそれを楽しむ見尽くしむ分野なんだと思うと、必ずしも売れてるっていう指標だけでは評価がちょっと難しいですよね。
僕なんか絶対バズらないと思いますもん。
バズりようがないし、みんなこれやってますから。
でもそれがいいと言ってくださるお客さんもいるし、
なので生活者としての目線を失わないというのが一つ大事かもですね。
作る側も見る側も。
なんかそうですよね、さっきのその味付けの話で、味付けで例えてたのとかすごいわかりやすいなと思ったんですけど、
やっぱりその流行る料理店をやるのであれば、わかりやすい味っていうのって必要じゃないですか。
例えばラーメン屋でコッテリ系ですよ、うちはみたいなこととか、こういう系統の味ですよっていうのをちゃんと見せるっていう、
それが商売として必要な、岡本太郎とかもそういう必要に応じて出していた側面だったと思うんですけど、
もうちょっと長いスパンで見て、その国の家庭料理だったり民族料理みたいなのを作ってるっていうのは、