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【ゲスト 村中直人】子どもが学び方を身につけるには?
2026-06-02 1:07:38

【ゲスト 村中直人】子どもが学び方を身につけるには?

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前回話した『叱る依存が止まらない』『ラーニングダイバーシティの夜明け』の著者・村中直人さん(臨床心理士)をゲストにお迎えしました。


【本日の内容】

なぜ教育にラーニングダイバーシティの視点が必要なのか / 学習支援の現場で気づいたこと「学び方が合ってなかっただけ」 / 自閉スペクトラムの子は「能力が低い」のではなく「文化が違う」 / ニューロダイバーシティという言葉に出会ったときの感覚 / 「学び方の教え方は?」に対する答えは"邪魔すんな" / 教えてからやらせるか、やらせてから教えるか / 学年制度が子どもの自尊心を削る理由 / 親がコーチになるとはどういうことか / 月1回の家族会議、具体的なやり方 / 防御モードと冒険モード、子どもはどちらで動いているか


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【番組概要】

世界を回る先生はるかと、ラジオ番組プロデューサーひとしが子育てについて納得するまで考える番組、子育てのラジオ「Teacher Teacher」。第5回 JAPAN PODCAST AWARDS 大賞&教養部門最優秀賞をW受賞。⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠毎週火曜日朝に配信。Xで#ティーチャーティーチャーをつけて感想・コメントをお願いします!


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サマリー

村中直人氏は、臨床心理士として、発達障害支援やニューロダイバーシティの推進に長年携わってきました。スクールカウンセラーとして教育現場に関わり始めた当初から、子どもたちが学習で困難を抱えるのは「学び方が合っていないだけ」であるという実感を持ち、従来の教育システムに疑問を抱いていました。特に、自閉スペクトラム症の子どもたちとの関わりから、彼らの特性は「能力の低さ」ではなく「文化の違い」であると捉えるようになり、この認識がニューロダイバーシティという概念との出会いによって確信へと変わりました。 村中氏は、教育現場におけるラーニングダイバーシティの重要性を強く訴えます。子どもに「学び方を教える」という発想自体が、子どもの主体性を奪う「邪魔」になりかねないと指摘し、まずは子ども自身が試行錯誤を通じて自分に合った学び方を見つける機会を与えるべきだと主張します。また、学年制度のように一律のペースで学習を強制するシステムは、子どもの自尊心を傷つけ、学びの意欲を削ぐ大きな要因であるとし、難易度別のグレード制への移行を提言しています。 自身の不登校の息子との経験から、親は「教師」ではなく「コーチ」の役割を担うべきだと語ります。これは、学習内容を直接教えるのではなく、教材の選択肢を提示したり、学習ペースを話し合って決めたりするなど、環境を整備し、子どもの自己決定を促すことを意味します。また、ゲームやスマホの利用についても、月に一度の家族会議を通じて、子ども自身がルール作りに主体的に関わることの重要性を強調。子どもが「防御モード」(危機回避)ではなく、「冒険モード」(ワクワクする探求心)で行動できるよう、日々の小さな自己決定を積み重ねることが、自立した学習者を育む鍵であると締めくくりました。

自己紹介と活動の背景
ひとし
はい、それでははじめていきたいと思います。 村中直人さんに来ていただきました。
村中直人
はい、ありがとうございます。
はるか
よろしくお願いします。
ひとし
じゃあ、簡単に自己紹介とか、どういうことをやってきている方なのかというのをいいでしょうか。
村中直人
はい、ありがとうございます。私、村中直人と申しまして。
自己紹介で一番わかりやすいのが資格ですね。 臨床心理士と公認心理師を持っていまして、
いわゆる心理師という職業になるのかな、だと思います。
ですが、やっていることとしては、この音声を聞いていただいている皆さんに一番伝わりやすいのは、
いろんなキーワードで発信活動をしていて、
一つ大きいのはニューロダイバーシティ、脳の多様性ということをベースに、
この社会についての考え方とか、対人関係とか支援とかというところの発信活動をしています。
もう一つは、『<叱る依存>がとまらない』という本を2022年に出版をしまして、
それが著者の予想をはるかに超えて、いろんな方に読んでいただいたという経緯がありまして、
なので、「叱る依存」というキーワードで呼んでいただいて、いろいろ発信することも多いです。
仕事は一体何をやっているかと思われると思うので、仕事は発達障害サポーターズスクールというオンラインスクールですね。
発達障害の支援者養成のオンラインスクールの経営をしたりとか、あとは職員研修をしたりとか、
そういう仕事をしていたりとか、あとは『Neurodiversity at Work』という会社を2年前に立ち上げまして、
そっちは企業さんとのニューロダイバーシティの推進のお仕事をコンサルティングしたりとか、
講演研修したりとかというふうなことをしていたりとか、
しゃべっていながら自分が何をやっている心理師なのか全然わからなくなってきますけど、
いろいろやりながら過ごしているというちょっと雑多な人間でございます。
はるか
ありがとうございます。
Teacher Teacherでも『<叱る依存>がとまらない』の話をさせていただいて、一度。
村中直人
はい、どういたしました。ありがとうございます。
はるか
すごい反響があって、それでけっこう刺さったリスナーさんがいらっしゃって、
その方がインタビュアーもしていて、その方が村中さんにインタビューをして、今回ご縁があったという。
ひとし
そういうことか。
はるか
そうですね。
村中直人
そうそう。取材のご依頼をいただいて、そのときにこのTeacher Teacherさんのことを紹介していただいて、
今回繋いでいただいたという、そういうご縁ですね。
ラーニングダイバーシティの必要性
ひとし
前回の配信でニューロダイバーシティの話はある程度知っている状態で、
ニューロユニバーサリティからニューロダイバーシティに変わっていくんだっていう話とか、
学び方は多様だよねって話をしているような状態です。
村中直人
なるほど。
ひとし
ちょっとさらにいろいろ理解を深めたいことがありまして、お呼びさせてもらいました。
はるか
そうなんですよ。
『ラーニングダイバーシティの夜明け』っていう本を拝読いたしまして、
そこでどんだけ学び方に多様性を持たせることが大事かっていうのをすごく僕の中でも痛感して、
振り返ったら自分は学び方を相当自由にしてこれたなっていう過去があったりとか、
または教員時代にその学び方が合わなくて自信を失っている子たちがたくさんいたなとかっていうことがすごい想起されて、
今日聞きたいのは、学び方ってどう学ぶんだっていう、どう身につけていくのって話を聞きたいのと、
もう1個僕、印象的だったのが、村中さんのお子さんの学び方を身につけていく様子とか、
学校に行っていないっていうときの様子とかもこの本の中にあって、
そこで困っている保護者もたくさんいるので、その過程での様子とかもお伺いできればなというふうに2つ思っているんですよね。
その中で、僕が勝手に前回、ラーニングダイバーシティの大事さみたいなことをしゃべったんですけど、
改めて村中さんがなぜ、学校現場にこのラーニングダイバーシティが必要なのかとか、
ニューロダイバーシティ的な視点が必要なのかみたいなのをお話し、まずお伺いできれば嬉しいなって思っています。
村中直人
ありがとうございます。そうですね。なんかちょっと時系列にそって順番に話すと、
私が教育っていうものに携わるようになったのは、一番最初、臨床心理士になりたての頃、
20年前ぐらいなんですけども、スクールカウンセラーとか教育センターの教育相談員とかっていう仕事を非常勤で始めたんですね。
そこが私の教育との関わりの出発点なんですけども、当時がちょうど発達障害っていう言葉が世の中に広まり始めたちょうど時期ですね。
2005年に発達障害者支援法っていうのができて、2007年に特別支援教育が始まってるんですけど、
特別支援教育って来年で丸20年になるんですね。その一番初期のときに私は心理士になって、
何が起きたかっていうと、当時通常学級の中には障害者はいないっていうのが基本的にインクルーシブ教育をしない限りはいないっていうのが定義だったところから、
法律が変わって概念が変わって、実は通常教育の中にも障害児が実はいるんだよと、発達障害の子どもたちがいるんだよっていうふうに、
社会の認識が上塗りされたというか、そういう時期だったのでけっこう現場大混乱だったんですよね。
学校の教員の先生もそうだし、我々みたいなカウンセリング業務をするところにも、それまでだったら障害児の相談室と健常児の相談室みたいなのはけっこうきれいに分かれてたところから、
その垣根がどんどん崩れていくみたいな、そういう時代の中でいろんな子どもたちを見てまして、
何を思ったかっていうと、「これもちょっと相談室の中でできることには限界あるわ」と思って、
若かりし頃の私がまだ20年経たないかな、17年前に臨床心理士の仲間たちと学習支援の授業を始めたんです、もう勢いで。
それは今関西でも「あすはな先生」っていう名前の授業として、私の後輩心理士が授業責任者を引き継いでずっとやってますけども、
それの立ち上げをやり始めて、そこでいろんな子どもさんとか保護者の方とかに出会うことになったんですね。
学習支援っていう形で、いわゆる塾、家庭教師ですねっていう形で始めて、その枠で子どもたちと関わってきたので、
学ぶっていうこととずっと向き合いながら子どもたちと関わってたんですよ。
ただ、なんかちょっと聞いとったのと違うっていう感じがありまして、
というのは、例えば学習障害とされるお子さんっていうのは、教科書的には文字通り、
学習するというスキルにおいてのみ特異的な機能障害があって、
学ぶことができないんだと、読み書き計算ができないんだ、みたいなのが教科書的な学習障害の定義なんですけども、
まあ出会わないんですよ。
きれいにそれだけに、まったくいないって言ったら弊害があるんで、そうはもちろん言いませんけども、
私たちは公教育からこぼれ落ちてしまうタイプの、勉強で困っているとか学習の面で困っている子どもたちばっかりが集まってくる、
学習支援の教室なんだけども、機能として、スキルとして、何をどうしたところで学べない子なんてほぼ出会わないんですよね。
これはなんだって思ってたんですけど、つまり、ようは「学び方が合ってなかっただけだね」って結論になる子がめちゃくちゃ多いんですよね。
だし、自分なりの学び方を見出していくと、まず一番大事なのは学ぶってことが大嫌いだったところから、
もう嫌で嫌で仕方がなった子たちが、ちょっとずつ意識が変わっていくっていうことが起きてきて、
そうすると、もちろん学力って意味ではすごく伸びる子もいれば、なかなか苦戦し続ける子もいますけど、
少なくとも学ぶってことが苦痛で苦痛で仕方がないとか、嫌で嫌で仕方がないみたいな子は、
すごく少なくなっていくわけなんですよ。
こういうところから、あれって何が聞いてたのと違うみたいな話が出てきたりとか。
あとは、いわゆる発達障害と呼ばれている子どもたち。
特に私の場合は、自閉スペクトラム。
昔で言うところのアスペルガーとか、高機能自閉症って言われた子たちですね。
今は自閉スペクトラム症というふうな診断名になりますけども、
私は自閉傾向のある子どもがめっちゃ大好きで、可愛くて仕方がないタイプなんですけど。
そんな人間がやってるからか、生徒さんも多いんですよ。自閉傾向のある子が多かったんですよね、当時ね。
これも関われば関わるほど、聞いてたのと違うというか。
自閉症って精神医学的な定義で言うと、コミュニケーション能力が根本的に欠如して、
人と長期にわたる対人関係を維持することができなくて、他人に対して共感する能力がなくて、
みたいな散々なことが書いてあるわけなんですけど、精神医学上の診断基準。
だけど、なんか違うんですね。その言葉で見ると全然ピンとこない。
なので、これは何なんだと。私が仲良くなればなるほど、関わりに最初はめちゃくちゃ苦労したんですけど、
なんとなく見えてくると、これは違う。文化が違うんやって思うようになったんですね。
異文化コミュニケーション上で、コミュニケーションのエラー、トラブルといっしょやと。
だから、異文化同士が出会ったときって、お互いが異文化者だって認識しないと、
なんでこんなこと言うんや、みたいな感じのことがあったりしますよね、海外の人とだとね。
そういうことが日々起きているだけなんだっていう認識になったんですよ。
ようは、この子どもたちと実際に出会って触れれば触れるほど、聞いてたんと違うぞと。
実体で感じる実感と教科書的な定義にはすごくズレがあるぞっていう、そういう感覚を持ちながら日々過ごしていって、
そこでニューロダイバーシティっていう概念に出会ったんですね。その親も同じだったと。
はるか
そっちが先やったんですね。違和感を感じたのが。
村中直人
そうです。違和感とか、私何でこういうことだろうみたいな学び方って、学ぶ能力の低い子なんて、
能力が低いっていうか、それが少なくとも障害を負ってる子なんてあんま出会わなくて、
大体において学び方の問題だったと。
自閉症のコミュニケーションの問題も、この子自身の能力が低いみたいな見方はちょっと合わないだろうとかっていう、
違和感とか自分なりの整理みたいなのが先あって、その後にニューロダイバーシティって言葉と出会ったときに、
そのときの感情体験をすごく覚えてるんですけど、めちゃくちゃホッとしたというか、
「あ、もう名前ついてるやん」っていう感覚やったんですね。自分の思ってたことには。
すでに名前あるやん。しかもそれは、私がもう今可愛くて仕方がない、
自閉スペクトラムの子どもたちの10年後、20年後の姿、大人たちが作った言葉だっていう歴史的背景なんかも知ったら、
あ、これはちょっとって思って、そっからですね、この沼にハマっていったのが。
はるか
その、なんか自分の中で安心したっていう段階から、世の中に発信しよう!みたいなきっかけとかあったんですか?そこに切り替わったきっかけっていうのは。
村中直人
やっぱりでもそれはSNSですね。なんか、もともとそんな今みたいにね、いろんな発信の場を与えてもらえるような立場になれるなんて思ってなかったので、
SNSで細々と、それこそビビりながらいろいろ発信を始めていったら、やっぱりね、反応があったんですよ。それなりにあったんですね。
それでブログをちょっと始めたりとか、その前に1回noteしたかな?noteちょっとだけして、やめてブログに切り替えてとかっていうふうな感じで、
なんかちょこちょこちょこちょこと発信をしていって、そうしたら、ある程度のいろんな反響みたいなものが生まれてきて。
当時で言うと小っちゃな反響ですけども。そこから、それこそ先ほどお話しした2020年に出版した『ニューロダイバーシティの教科書』、私の一番最初の本なんですけども、
それを出版する話になったっていうところからも、本当に発信側に変わっていったっていう感じですね。
はるか
村中さんから見て、教育現場にこのラーニングダイバーシティの視点が重要だと思うのはどうしてなんですかね?
村中直人
そうですね。もうちょっと正確にお話をすると、私が見てた子どもたちっていうのは、学習障害の診断ついてる子、ついてないグレーの子、
ついてないけども苦手な子。正直そのラベリング、診断がついてる、ついてない、グレー、ないとかっていうラベリングってあんま関係なかったんですよね。正直。
それよりかは、この子がどういうところでうまくいってないかとか、どういうことにつまずいてるというよりかはこだわっちゃってることも多くて、支援をしている中ですごい困るのが、
例えばその学習支援の現場で、「こういうやり方もあるよ」とか、
「こういうふうにしてみたらいいんじゃない?」みたいな話を子どもにしたときに、傷ついちゃってる子ってめちゃくちゃディフェンシブになってるから、
「これ学校で教わった習い方じゃないから嫌だ」とか、学校で習ってないやり方をすることに対してめちゃくちゃ抵抗があるとか、
今って学校で習ってない漢字書かせないとかあるじゃないですか。自分の名前ですら、習ってないからひらがなで書きなさいとかって。
あれ本当に弊害が強くて、それでやると、われわれめちゃ困っちゃうわけです。
どう考えても、この子にはこっちのほうが合ってるし、実際やってみたらうまくいくんだけども、心理的なハードルが高くてできない、それを選択できないみたいな事例に出会うと、
これもうちょっとなんとかならんのかいねっていうふうな、そういう気持ちにはありましたよね。
ただね、今こう私偉そうに、もちろんこの本も書きましたし、公教育に対していろいろ提言も今はしている立場ですけど、
先ほどお話したように、最初、怖くて怖くて仕方がなかったし、正直公教育を変えていくみたいなことのイメージはずっとけっこう持ててなかったです。
これはニューロダイバーシティという概念を知って学んで、実感として学習支援をもってたとしても、どちらかというとオルタナティブに教育を今作っていく方向にしか発想がなかった。
公教育を変えるなんてできないし、もっと言えばたくさんの子を学ぶときに、どうしていいかわからなかった。
私たちの学習支援って基本的に1対1とか1対2みたいな、少人数の対応だからできてることもたくさんあったわけなんで、
この意味では公教育にそれを持っていけるのかみたいなことに関しても、正直私はもう怖くて怖くて仕方がなかったし、イメージが持ててなかったんですけど、
それをひっくり返したのが、やっぱり工藤先生ですよ。
先生の発信が始まって、その後に苫野一徳先生もそうだし、
ああいう改革者の人たちの発信が出てきて、なんとなくこういうことか、みたいなこととか、
確かに公教育でたくさんの子どもたちがいる場でも、個にあった学びってことは確かに実現可能だよなとか、
そんなことを思い始めたのが、おそらく工藤先生が私の中ですごく衝撃的だったのがあって、
あ、これ言ってもいいことなんだ、みたいな感じになって。
ちょうどたまたまそのときに、『そだちの科学』っていう半年に1回出る学術系の雑誌があるんですけども、
日本評論社さんが出してる、そこで連載を出していただくことになって、半年に1回8000字程度の原稿を書くテーマに
ラーニングダイバーシティを選んだんです。
私はそこから、それこそ福田さんがさっき読んでいただいたラーニングダイバーシティっていうのは、
その5年間の連載、結局全10回5年間連載をするわけなんですけども、それを加筆修正して本にしたので、
ようは私の中で5年間ずっと、私も学びながら、試行錯誤を考えながら考えてきたことを一冊の本にしたっていう、そういう感じですね。
はるか
さっきあった学び方をどう身につけていくかっていうところで、
学校教育で対集団に対してどうするかとか置いといて、村中さんが一人一人子どもを見てきた中で、
学び方の習得と親の役割
はるか
この子にあった学びをどう見つけていくかみたいな、っていうのはどういう風なプロセスでやっていったんですか?
村中直人
これ私、だからその教育関係でラーニングダイバーシティに関する講演とか研修とかさせていただいたときに、
けっこう頻出するご質問なんですよ。今の福田さんのご質問って。
学び方が多様なのはわかったと、どうやって見つけていって教えてあげればいいんですか?みたいな質問ってよく出るんですけど、
そこには私、答えをいつも一言で決めてて、「邪魔すんな」って答えてます。
だからそもそも、教員が子どもたちの学び方見つけてあげて、
そのあった学び方を指導してなくちゃいけないっていうこと自体があんまりラーニングダイバーシティじゃないんですよね、発想として。
そこまで言わなかっても、もちろん、お互いが手助けできる部分はあるにしても、
まずはやっぱり本人の試行錯誤がベースなんですよ。それ以外ない。それ以上のものはないんです。
もうちょっと言うと、子どもたちって、その学び方の多様性っていろんなところからきますけれども、
一番ベースになるのは認知の多様性ですね。その人の情報処理システムの特徴みたいなものが、
その人に合った学び方と直結するっていうことを考えると、実はその人が何かをやろうと思ったときに自然に出てくるやり方が
実はその人にとって一番合うやり方である可能性は高いんですよね。
だから、そう考えると、問題というかチャレンジする課題が先にあって、
みんながそれぞれに思う、それぞれが自由に自然に出てくるやり方でまずはやろうとしてみると。
それでたぶんポコってできちゃう子もいるんですよ。もちろんできない子に関しては、
いろんな手立てでサポートしていくとか、そういうことは必要なんだと思うんですけど、
どっちかっていうとそっちに労力を割くべきであって、
今ってやり方をまず全部教えてからやらせる、みたいな感じの部分が強すぎるというか、
そんなふうに思ってますね。
はるか
なるほど。
例えば、そうか、僕ら学校現場で言われてたのが、
プールに行って子どもたちが泳ぎ方を学ぼうとすると、
例えばこの25m達成しようとか、クロールしようとか、平泳ぎしようとかって、
ある程度の枠組みがあって一個一個クリアしていくみたいなイメージあると思うんですけど、
それが海に出て「自由に泳いでいいよ」って言われると怖いみたいな。
ようは「自由すぎるの怖い」みたいなのってよく言われて、僕もそれ実感している部分があって、
教員が教えない、邪魔しないみたいなのって、あんまりイメージは湧かなくて、やっぱり。
村中直人
わかります。今言った話っていうのは、出発点の基点、スタート地点が2つあって、
1つは全くゼロベースから学び方をチャレンジしていく状況と、
もう1つは学び方が固定化される環境に馴染んでしまった人が、
そこから自分なりの習い方を見つけていく状況とで、やっぱりだいぶ違うんですよね。
はるか
なるほど。はいはい。
村中直人
福田さんがおっしゃってるのってどちらかというと、
一度、型にはめられて学ぶっていうことに馴染みきった子どもたちが、
じゃあ「ここから先はあなた自由に学んでいいよ」って言われて、
どうしていいかわかんないみたいなことがやっぱりちょっとイメージできて、
それはもう本当にあると思います。
ひとし
前提が違えば自由でも自分で学んでいけるっていう。なるほど。
村中直人
最初から「これやってみ?」とか、「これできるようになったらいいよ」、
「この問題解いてみ?」とか、「これできるようになってみ?」っていうことのやり方は自由であるというか、
そもそもやり方を指定されるっていうことを経験したことがない子は、
それにもちろん違和感感じないですね。
感じようがないですもんね。だって考えてみてください。
だってそれって、未就学児の子どもってみんな自由に遊ばされて、
どこかの大人が、「よしみんなあの上の、あのちょっと岩の上登ってみよう」って「競争な!」とかって言って、
「登り方わかんない」って言わないでしょ、子ども。
「登れない」って言われるんですよ。
ひとし
ちょっと理解できてきました。
型を得て何かに取り組むっていうのが身についてるから型がないと、
これどうしたらいいの?ってなっちゃうけど、そもそも型を学んで、
何か型を使って取り組むみたいなことをそもそもしない場合は別に、
「どうしたらいいの?」って思わないっていうのはそうかなって。
村中直人
今の話でいうと、例えばこれって先ほどの岩登りみたいなイメージしていただくと、
岩登りするときに岩に目印をつけて、ここに足と手の目印をかけてやり方を決めて、
まず「あなたたち危ないからこれ通りにやりなさい」っていうのを2,3分練習させて、
その状態に馴染んだ子たちに、今度マーキングしてない岩をポンって出して、
「登りなさい」って言ったらみんなザワザワどうやって登るのって、「先生どこに手をかければいいんですか」って言いますけど、
それはあくまで最初に手のかけ方、足のかける場所を指定するっていう、
このカルチャーに馴染ませるステップがあったから、そうなるだけですよね。
教育もいっしょだと思ってます。
はるか
じゃあそれはもう子どもたちが、そういうステップを教えられなくても、
自分たちから学ぶという前提、学びのモチベーションとか持っている前提みたいな感じなんですかね。
村中直人
ここは今どちらかというと学び方の話なので、
モチベーションの話とは別の話だと思うんですよね。
だって岩の頂上に登りたいという気持ちがあるかどうかって話は別として、
岩の頂上を登るときのやり方をどうしますか、大人がやり方、手取り足取り教えて、
一から学んでいきましょう、なのか、好きに登っていいから誰が一番上に行けるか「よういどんね」っていうのと、
モチベーションの話とはちょっと違うじゃないですか。
はるか
そうですね、確かに。
ひとし
なるほど。
はるか
学び方に限定したときに、例えば農業の方法とか、歴史学んだときに、
本当僕の歴史の知識ベースなんですけど、農業の方法って知識伝達で伝わったじゃないですか。
技術とか文化って教えてもらって、それを習って真似してきたみたいな背景でずっと歴史上あると思ってて、
科学技術もそうだと思ってて、ジャングルの中に科学育たないみたいな言葉あるけど、自由の中に科学は育てない。
だから教えてもらって真似してきたみたいな、それがけっこう教育の方法論として受け継がれてきてる気もしてて、
この高度な文化の中で教えないみたいなのってやっていけるもんなんですかね。
村中直人
先ほどの話に戻るんですけど、教えないっていうのとちょっと違うんですよね。
順番を変えましょうっていう話なんですよね。教えてからやらそうとするじゃないですか。今、全て。
しかも教え方をガチガチに9年間カリキュラム組んで、順番に決めて、やり方が全部決まっている。
さっきの話で言ったら、岩登りのレベル1からレベル100までが、全部登り方から何からマーキング全部されて、
どこに足をつけるみたいな感じのことを全部準備して、それが教育だっていうふうになるじゃないですか。
だけど、人間の脳の特徴で言うと、むしろ効率的な学びは逆で、まずチャレンジする状況があって、
例えばこの岩登りだとしたら、「この高さ目指そうぜみんな!」ってワーってしたら、めっちゃスルスルっていく子もいれば、
全然うまくいかない子もいたときに、ここで初めて教えるっていうターンが発生するわけですよ。
「あなたミスしてんの、どう考えても足の運び全然考えてへんよね。」
足次どこを運ぶかを考えてみる。「ここまでいけるけど、次一旦ここ足運んでみたらいいんちゃう?」みたいな。
はるか
なるほど。
村中直人
どこで足をつける?っていうことが出てきますね。
ひとし
体感としてすごいわかることがあって、僕家具の説明書とか読めないですよ。プラモデルの説明書とか。
「説明書を全部読んでから作る」ができなくて、家具を組み立てながら疑問が出たら初めて説明書読んだら理解できるみたいなことがあって、
その感覚と近いのかなって今思いました。
はるか
なるほど。すごく狭い視点なんですけど、例えば受験とかってけっこう、まさにやり方を統一して教える塾とかいっぱいあるじゃないですか。
村中さんから見て、受験とかを乗り切るっていう視点でも、子どもたちが自由に学んだ方が、そっちの方が力つくものだと思いますか。
村中直人
受験に関しては間に合うかどうかっていう感じですね。
これはもうちょっと言葉を言うと、どの時間軸で子どもの学びを見るかっていうことがまず大事だと思っていて、
今私がやってる学びの多様性を尊重しましょう。子どもたち一人一人に合ったものを選択できる余地を残しましょうっていう話っていうのは、
これ究極的な果実としては、自分で学べる人、大人になっていくっていうことだと思ってるんですよ。
私たちは自立した学習者っていう言葉を使って、
本当に学びの多様性尊重とか、自立した学習者って私たちは20年前からずっと使ってるんですけど、
20年前からずっと使ってるんですけど、ようやく時代が追いついてきまして。
はるか
そうですね。最近、めっちゃ言われてますね。
村中直人
自立した学習者っていう言葉を私たちは使っていて、
これ例えば、それこそ今の福田さんや秋山さんはですね、すごく真摯に、私もそうですけど学んでおられるじゃないですか。
大人になってからでもどういうことが本当にいいんだろうかとか、
私にもうちょっと変わっていける余地は何かないのかとかっていうふうな学ぶスタンスじゃないですかね。
なんですけど、これってやっぱり決められたことを決められたようにこなしていくっていうことだけやってると、
大体途中で途切れちゃうんですよね。
ひとし
うんうんうん。確かに。
村中直人
その与えられたハードルを越えた時点で燃え尽きちゃうというか。
だからそれで言うと、日本の、今ちょっと元気ないですけど日本という国は、
そのけっこうな要因の中に学んでる大人が少ないっていうのはあると思っていて、
って考えた時に、その多様性、私の言葉で言うとこのラーニングダイバーシティみたいなことを尊重していくことの、
人生の果実はどこにあるんだって言われたら、私は自立した学習者であること。
はるか
うんうんうん。
村中直人
しかもそれがすごく自分に合った学び方で洗練された、その人に合った、すごくいい学び方で学び続けている大人。
はるか
うんうんうん。
村中直人
になっていくことが一つの果実であるとした時に、受験っていうのは、わかります。
間に合うか間に合わないかっていうぐらいがすごく難しいところで。
はるか
うんうんうん。
ひとし
確かに。
村中直人
私は、正直受験に関しても早いタイミングで始めた子は、
そのもう自立した学習者として受験に向かった方が強いと思ってます。
ひとし
なるほど。
村中直人
ただ、ただ間に合うか間に合わないかは、わかります。
そうじゃないところから受験までの間にスタンスを変えて学び方を確立して、
学力がそこに追いついて、受験テクニックまで身につけて、
試験当日を迎えられるかどうかは、正直時間とのかけっこで、
間に合わない場合も多いんだろうなとは思いますので。
このチャンネルは保護者の方が聞いておられるってことなので、
多いってことなので、本当に価値観の問題になってくるかなって気がします。
ひとし
うんうんうん。
はるか
型にはまってればはまっているほど、そこから抜け出すのにも時間がかかりそうだし、
それは本当にそれぞれ違うんだろうなと思いましたね。
学年制度への疑問と子どもの自尊心
はるか
村中さんの本の中では、「学年というものを取っ払った方がいい」とも書いてあったじゃないですか。
この学年でこの内容を学ぶみたいなのを取っ払った方がいいとも書いてあって、
けっこう矛盾するなと思って、この学年の中でこれだけ学びきってくださいみたいな、
この強制力がはたらくことが、子どもが学び方を手に入れる上ではけっこうハードルになるのかなと思ったりしたんですけど。
ある種の覚悟が必要なのかなと。
村中直人
おっしゃる通りですね。
私はけっこうこれ大きな問題だと思っていて、ようはどのように学ぶのかっていう学び方の中には、
学ぶペースっていうのももちろん入ってるんですよね。
学ぶ方法の違いもありますけど、そのペースっていうもの自体を学年で切られて、
全員が一律、全教科一律同じように学んでいく必然性っていうのは、
今の人間理解というか、サイエンスの理解を引っ張ってきても全くもって合理性がない考え方だと思うので、
その意味では全ての教科が、別に1年生が学ぶものとかじゃなくて、
じゃあ1から6の数字を保つとしても、グレード1からグレード6に変えて、
別にどの年齢の子でも好きにグレード1からグレード6を好きなペースで学ぶことができるっていう仕組みにするだけで、
おそらく学ぶペースは上がると思ってますね、全体としては。
ひとし
なるほど。
はるか
なんかある種、学校から外れたときに、その学年の縛りって取れるじゃないですか。
いわゆる不登校と呼ばれる子どもたちにとっては。
だからそういう自分で学ぶ方とか、自分のペースで学ぶみたいなのを取り戻す上では相当リハビリになっていくかもしれないですよね。
村中直人
裏を返せば、逆に言うと学年の縛りっていうのが、大きく遅れてしまった子たちが、
もう1回リチャレンジするときにめちゃくちゃハードルになるんですよね。
はるか
そうですよね。
村中直人
5年生の子が算数に関しては2年生からしなくちゃいけないみたいな感じの話っていうのは、
やっぱりその子の尊厳を削るんですよね。
「俺2年生レベルか」、みたいな。
でもそれが単純に数学的な体系化された難易度のレベル分けだとしたら、
「俺、遅れてるからステップ2からやらなあかんけど、頑張ってステップ5に追いつこう」って思うのと、
「お前5年生やけど2年生からやってね」って言われるのって、
やってる内容自体は何も変わらないですよ。
内容自体が変わらなくても、
主観的体験とか子どもの自尊心の傷つけ方とかも全然違うので、
そんな意味でも正直教科書を学年ごとにするのは、
私はかなりナンセンスだし、害が大きいと思ってますね。
村中家の不登校経験とコーチング
はるか
村中さんがお子さんとの関わりでコーチに就任したみたいな話が、この本の中にもあったじゃないですか。
ひとし
なんですかそれは。
はるか
お願いします、コーチのはなし
村中直人
これちょっと話せば長くなるんですけど、
『ラーニングダイバーシティの夜明け』っていう本が、もともと雑誌の連載のまとめたものなんですけど、
1章だけ書き下ろしを書きまして、それがタイトルが「我が家のラーニングダイバーシティ」というタイトルで、
うちの家の家庭事情をせきららに書き下ろしたという章がありまして、
その章で書いたことを今福田さんがおっしゃっていただいてるんですけど、
ここはまず、そもそも妻とも息子とも本に書く段階で了承を得て、
世に公にしてもいいよっていう話を了承している範囲内では話をさせていただきますけども、
うちの息子、今中学1年生になったとこなんですけど、
小学校の4年生の後半ぐらいから不登校状況になりまして、
3学期か、4年生の3学期からはもう1日も行けないみたいなことがずっと続いてまして、
この本が出た時点で彼が小6のときに出版をしたので、
その小6の段階でもほぼ完全不登校っていう状況だったんですね。
なのでそういうところも含めて、
そんだけ偉そうにラーニングダイバーシティとかって言ってる人間が、
「親としてどういうふうに子どもと関わっておんねん」っていうことを書いたっていう話なんです。
もうちょっと話をすると、
ただね、我が家の不登校事情はあんまり他のご家庭に参考にならないだろうなっていうのを思いいたりまして、
なんでかっていうと、私があんまりそもそも学校教育に頼った考え方をしてなくて、
息子が小学校に上がった段階から、
家の中で自分で学ぶスタイルとか、自分で学ぶやり方の探索っていうものと、
学校教育っていうのを完全に切り分けて、
家では家の学び、学校では学校の学びみたいな感じのふうに、けっこう切り分けてたんですよね。
息子はそれが当たり前の状況で育ってたので、
彼が完全不登校になった時点で、私たちの家族で言うと、単純にそれの比率を変えるだけだったんですよ。
今まで学校が5、家が5、学校がどうしても6、7になりますけどね。
家が3、4だったのを学校0にして、家を10にするっていうだけだったので、
学びっていうことに関しては、実はほぼほぼ大きな混乱なくやってたんですよ。
ひとし
そんなことあるんですか。
はるか
まさに自立してますね。
村中直人
そうですね。
もうちょっと本にも書いたので、リスナーの方に補足をすると、ちょうどうちの息子って、コロナの全国の休校で、
全国大混乱したあの時に入学したんですよ、小学校に。
つまり彼は小学校に入学したに、入学式も参加できなかったし、学校始まったはずから、確か2ヶ月か3ヶ月続きましたね、休校がね。
だから4月、5月はほぼ学校に行かない。しかも自分だけじゃなくて、みんな行かないみたいな状況で学校生活をはじめて、
この学校に行けない家庭の状況をどうするかみたいなことですごい妻とも悩みまして、
でもこれはもうちょっとピンチはチャンスだっていうことで、
家庭での学びっていうものの基礎を築く時間にしようということで、
彼に自分で学ぶっていうことを、小1の6歳、7歳の段階から練習を始めようっていうところからはじめてるので。
ひとし
そこでコーチっていうスタンスを取ったっていう。
村中直人
そうですね、コーチに至るまでも紆余曲折あったんですけど、
そもそもコーチに至るまでは、私ほとんど環境整備以外は息子の教育に関わってないんです。つまり教えたことがほとんどない。
はるか
環境整備。
村中直人
私も妻も含めてですね。
私がやってたのは教材の選定だったりとか、選定というか最終的な決定は息子がするんですけど、
「こんなんとこんなんとあるけどどうする?」とかっていうのは紙の教材もそうだし、
オンラインっていうかタブレット教材とかもそうなんですけども、
何を使うかっていうことを提示するのと、ある程度のやっていくペースみたいなもの。
ようは勉強時間の分量みたいなものの、ある程度「こんだけは1日にやろうね」みたいなことを話し合って決めていくっていうことぐらいしかしてなくて、
あと中身は何するかっていうのは完全に放置。丸つけもしないし指導も一切しない。
だから紙の問題集とか答えは基本的に子どもが自分で持って自分で丸つけするとか、
そういう感じでずっとやってたんですけど、やっぱりね、あの本の中でも「子どもにはコーチが必要だ」って書いたんですけど、
それだとね、ぐだるんですよね。めちゃくちゃ。だんだん子どもが。
ぐだるというかうまくいきにくくなってくるというか。
なんかやっぱりその家庭状況もよろしくないようになってきて、なんか隠れてコソコソしたりとか、
なんかね。こうなってくるので、うーんってなって、どうするっていう感じで家族会議で話し合って、
最終的にちょっとそのペースメーカー的な介入と、
コーチ的な介入っていう意味ではお父さんがコーチするっていうところで落ち着いたっていう感じですね。
ひとし
具体的には何をしたんですか?
村中直人
それはでももうちょっとやっていく内容をヒアリングして、
どういうペースで何をやるかみたいなこととかを、
単元別に、じゃあ「算数好きならこれの教材で1日何単元するか」とか。
それを一応、終わったらコーチに報告をして、
今日1日終わったよみたいな感じの話で、
「ああお疲れさん」みたいな感じで、やっていることは大した変わらないんですけど、
一応先ほどの何を、どのようにやるかはほとんど介入しませんでしたけど、
何をやるかのペースのところは親が握ったみたいな感じですね。
はるか
そっか、環境の整備っていうのがすごく僕の中でハッとさせられて、
よく今学校に行ってない子どもたちが自分で学ぶことを選ぶっていうスタイルを僕たちのフリースクールでもやっているんですけど、
何を学ぶかについてはやっぱり、完全に自由だったら選ぶことすら難しいじゃないですか。
それをどれ選ぶといいかなみたいなのを、内容をいっしょに選ぶのはすごくできることだなっていうふうに。
村中直人
そうですね。
その辺ってけっこう大事な話で、主体的であるという、主体性みたいなものの感覚っていうので、
自分で選んだものの中からしか出てこないっていうのが心理学的な話なんですよね。
内発的な動機づけとかって言ったりするんですけども、
内発的な動機づけされるときの人間のすごく重要な要素は、
自分で決めたことかとか、自分で選んだものかっていう感覚がすごく強く影響してるっていうのが、
心理学的にも確かめられてるんですけど、なのでそこは意識的に徹底しましたね。すべて決めてもらうっていう。
ただ、子どもによって選べる範囲っていうのは限られてるから、あまりにも多すぎたら選べないし、
だから幼いうちはもうちょっとシンプルにして、これとこれと2つの選択肢から選んでもらうとかってこともあるだろうし、
ある程度子どもを選べる範囲内で選択肢を提示しながら決めてもらう。
それは1日にやる量の設定とかもいっしょですね。ある程度の目安がありながら、最終的には子どもが決める、自分で決めるっていう。そういう感じですね。
はるか
その内容って、村中さんの中で、選択肢の範囲決めるときに意識したこととかありますか?
村中直人
いや、子どもが自分で決めれることに関しては、ほとんど意識してないですね。
ある程度教材で言ったら、今で言ったらスマイルゼミするか進研ゼミするか、そういう教材の種類のやつだったりとか、
ああいうのって、いまもう、ようできてるからね、子どもたち自分でできたりするから、
じゃあ「どれぐらいの単元、量づつ進めていく?」みたいな話のことだけをやりながら、
紙の教材とかだったら面白そうって思えるものを、本屋にいっしょに行って、じゃあこれかとかっていう感じ。
そんな感じですね。
はるか
スマイルゼミとかだったらカリキュラムを網羅してるっていうのも内容はあるし、
本屋さんに行ったらそういうのを網羅してる参考書とかありますもんね。
あともう1個聞きたいと思ったのが、いろいろ家庭学習の支援をしてる中で、親が教育者のポジションをするのって難しいって話あったじゃないですか。
そんな中でも村中さんは親としてコーチの役割をしていて、
それもお子さんが選んだっていう話だったと思うんですけど、
結局自分でせざるを得ない親御さんってけっこう今いて、
親としてそのコーチになる上で気をつけることとかポイントとかってあったりしますか。
ひとし
たしかになんか上下関係みたいなのができやすかったりしそうで。
村中直人
私がその親が教師の役割をするのは難しいって書いたのは、
それこそコーチ役割というかティーチャーなんですよね。やっぱり一番難しい。
教えるっていうことの役割を親がするのは、これは今まで私たちが授業やってきても本当に難かしい。
中にはね、天才みたいな人がいて、それをめちゃくちゃ上手くやってる天才的な保護者の方もいらっしゃるので、
絶対無理とは言わないんですけども、でもやっぱりめちゃくちゃハードルが高かった。っていうのは、
私コーチをした記憶はあるんですけどティーチャーはしてないんですよ。
ようは、コーチをしてから丸つけ役だけはしたこともありますけど、
丸つけ役したとしてもあってないところを、「もう一回やってみ?」以上のことは何も言わなかったし、
これはこうやったらできるんだよみたいな感じのことを聞かれたら答えますけど、
自分からはほぼティーチしない。
もちろんこれっていうのは一長一短あって親御さんからすると、そんなことをしたらもれが発生するんじゃないかとか、
子どもが逃げて逃げて自分の苦手が潰せないんじゃないか、みたいな感じのお気持ちなのはすごくよくわかるんですけど、
私はそれ全然ありやなっていうのは、そもそも逃げる気持ちになるってことは自己決定ができてないっていうことなので、
それはそもそも構造として失敗してしまった話だから別の課題。
その意味で教えないっていうことに関してで言うと、そこは本人が何らかの必然性を持って、
それを学ぶ必要があるよねって思えてないんだとしたら、結局教えるところで身につかないでしょっていう、そういう感じですね。
はるか
なるほど。
困難な状況での自己決定と家族会議
はるか
あくまでも学びは自分で進めていってるんですね、子どもが。
村中直人
そうですね。
はるか
それのペースメイクと、あと選択肢の提示っていうのをやってるっていう感じなんですね。
僕たちがけっこう関わっていく中で、やっぱり学校に行かないってなった時にすごく落ち込みが精神的にくる子が多くて、
そのときに自己決定すらもする気力がないみたいなときってあるなと思ってて、
そのときをどう乗り越えるのかみたいなのはけっこう僕らの中でテーマとしてあって、その辺とかどうお考えですか?
村中直人
不登校に至るようになった理由、きっかけ、経緯っていうものにもよると思うんですけど、
本当に人によって千差万別だと思うんですが、その不登校に至る経緯に何らかの傷つき体験であったりとか、
トラウマティックな体験があるんだとしたら、まずそのトラウマティックな体験とか傷つき体験は何らかの形でそれが癒されていくというか、
回復していく過程っていうのが必要だというのがまず一つあると思うんですね。
これは実はうちの息子の場合にもあって、その経緯は本にも書いてないんであれなんですが、
一時期、最初の頃はうちの息子は同世代の子どもが集まっている空間に入ることすら難しくなってたときがあって、
これも不思議なんですよね。実はどっちかっていうと、大人とのトラブル、教員とのトラブルだったので、
子ども同士の大きなトラブルがあったわけではないんだけども、結果としておきてきたトラウマ反応としては、
子どもがたくさんいる場所にそもそも入れないっていうふうなことなんですよね。
ただそこも、時間とともにちょっとずつ減ってきて、それができるようになったのが1年半後ですかね、
6年生くらいになってから、この子どもの空間にも入れるようにちょっとずつなっていったみたいな感じのがあるっていうのがまず1つですね。
それとは、ある種の傷つきが癒えていく過程に寄り添っていくっていうこととは、また別の軸として、
自分自身っていうのが主体的な存在であるんだっていう感覚が奪われないようにするっていうことに関しては、
これはトラウマティックな体験の癒しと同時並行でできることだと思っていて。
なんでかって言ったら、日常の些細なことでいいんですよ。
言ってしまったら、今日の朝ごはん何食べるっていうことの自己決定からでいいと思うんですよ。今日一日何の服着て過ごすとかでもいいですし。
そういうちっちゃなちっちゃな日常の自己決定とか選択っていうもの自体を、子どもが主体的な感覚を持てているかどうか。
それはおそらく家庭の中での話し合いっていうか、私たちは家族会議っていう仕組みをやってますけど、
そういう子どもなりの自己決定っていうものをフラットに話し合って決めていけるような家族の中で持ちながら、
学校に行くか行かないかみたいな大きな自己決定すぐ迫る必要はないんですけど、
家族でどこに出かけようかでもいいですし、日中の時間どう過ごすかとか、
勉強とどう向き合っていくか、ちょっとずつでもやれることができることがないかとか、
そういうちっちゃなちっちゃな日常の自己決定をいっしょにやっていくっていうことは、
おそらくそのトラウマの部分とはまた別の話としてできるところはある。
もちろんしんどかったらやめたらいいんですけど、ここはやっぱり同時並行でできるところはけっこうあるなって気がしますね。
はるか
うーん。
じゃあほんと、しんどいときにできるちっちゃな自己選択から、自己決定からしていって、
回復とともにその選択の範囲も大きくなっていくみたいなイメージなんですね。
ちなみにまたこれよく出る質問なんですけど、ゲームとかどう考えてますか?
けっこう「ドーパミン性高いものをずっとやっちゃって心配です」みたいな声ってけっこうあって、
この辺のほんと細かい話にはなっちゃうんですけど、ゲームとかスマホをずっと触ることに対しても。
村中直人
大事な話だと思います。
そうですね、我が家でどうしたかっていうと、いわゆるペアレンタル・コントロールで時間制限をしました、と。
ただその時間をどういうルールにするかもかなり改定を重ねてますね。
はるか
それも対話してるっていう。
村中直人
変わっていってますね。
基本的なスタンスとして、何らかに依存すること自体は悪いことではないと思っているので、
大人でも何か辛いことがあったときに何かドーパミン系に依存しながら、
ずっとネットフリックスなんかボーとしながら見てるみたいなのがあって。
はるか
お酒もそうだしですね。
村中直人
そうそう、それもそうですしね。
そういうこと自体を全部否定する必要はまずないんだけども、
ただ先ほどおっしゃったように、ゲームとかそういうのってちょっと不必要に依存状況を作っていくというか、
ドーパミンビジネスなんかって言ったりしますけども、そういう側面はあるので、
そこはある程度ルールみたいなものは必要だろうなと思いますが、
このルールの決め方一つにしてもやっぱり子どもの主体的な関与が必要で、
おすすめはやっぱりね、さっきからちらほら言ってる家族会議をおすすめします。
はるか
さっき気になってました。
村中直人
なんでかって言ったら、
家族のゲームのルールを話をするときに、子どもがルール破りをしたときにしか話さない家庭がすごく多いんですよ。
良くないことをしたから、
私の『<叱る依存>がとまらない』で使った言葉で言うと「あとさばき」として、
良くないことが起こった後に叱りつつ、叱る経緯でその場で話し合いがおこってくるみたいな。
話し合いというのは死刑執行じゃないですか。ほとんど「時間減らすよ」とかそういう話ですよね。
けどだから、そうじゃなくて、
「あなたは今、生活がこういう状況になってて、勉強としてもこういうふうにしたいみたいな話もあるよね」ってなったときに、
「ゲームについてどういうルールが一番いいと思う?やりたい気持ちはわかるけど、どれくらいあったらどうしたいと思う?」みたいな話とかを、
ルール決めを問題がないときに話すんですよ。
ひとし
大事ですね。
村中直人
それで、やっぱり自然にはおきにくいんですね。皆さん忙しいので。
だから家族会議っていう時間を強制的に持つんです。
ひとし
それ週1ぐらいのイメージですか?
村中直人
月に1回。
はるか
よかったら詳しく聞きたいです。月に1回どんな感じで会議してるんですか?
村中直人
うちは、あの家族会議の話をすると、
基本は月に1回で、臨時会議することはありますけどね。
基本的には月に1回で、
必要に応じて臨時で会議することはありますけど、今までもう5、6年ずっと家族会議やってますけど、
臨時会議はそんなにやったことないですね。本当に月に1回。
ひとし
臨時会議ってそれこそ問題がおきたときになっちゃう。
村中直人
なんですけど、月に1回やっていて、
議題は全員が出す権利がある。父親からも子どもからも。
うちは一人息子なので息子からも出すことがあって、それを話し合う。
ある種、例えば小遣いの賃上げ闘争が突如はじまったりとか、
もうちょっと伸ばしてほしいみたいな交渉をする権利もあるっていう話。子どもからすると。
ここですごく大事なのは、
家族会議っていう場が上意下達の場、つまり親が子どもを従わせるための場だって認識した瞬間、子どもは絶対そこの席についてくれなくなるので、
そこがすごくちゃんとフラットな話し合いの場、
落とし所を見つけていける場なんだっていう感じで機能する必要があって、
あとは、子どもが気持ちよくそこに参加できるようにっていう、
月に1回の家族会議はちょっといつもよりいいおやつが出てきたりとか。
あとは月に1回のおこづかいの授与式が家族会議の後であるとか。
はるか
めっちゃ具体的でいいですね。
村中直人
そういう子どもにとってのそこの参加するメリットみたいなことを提示しながらですけど、
でも一番本質はやっぱり子どもからも要求を伝えれるし、親からの要求についても話し合う場みたいな感じの話ですね。
だからその意味ではこのゲームとかもかなりルールが最初初期の頃から変わってますね。
ペナルティーのやり方とかも全部。
はるか
ペナルティーとかもしっかり設けるんですね、ルールだから。
村中直人
はい、設けます設けます。
ただ、ペナルティーに関しては、
順番、一番上手くいったというか、あとよく使ったのは順番入れ替えのペナルティーでしたね。
つまりゲーム自体は禁止しない。
基本的にはやるべきことっていうのは定まっていて、
それはそれで学びの構図として決まっている部分があって、
1日でやるべきことが決まっていて、
それ以外の時間にゲームをすることもできるから、
1日24時間を起きてる時間の、時間の使い方は基本的に子どもが自由にできるという話なんですけど、
それをやるべきことができてなかったりとか、ゲームを長時間、超過してしまったりとかっていう
良くないことがおきたときにペナルティーが発生するときに、
よくあるのは本当にゲーム自体を禁止するっていう取り上げるっていうペナルティーをすることが多いと思うんですけど、
それもやってたことはあるんですけど、一番やっぱり上手くいったのは順番を変える。
ようはやることが終わってからしかゲームができないっていうルールにするっていう、そういう形のペナルティーの形が多かったですね。
ひとし
なるほど。最初のルールでそうするというより、ペナルティーとしてその順番が変わるっていう。
村中直人
はい、そうです。
ひとし
なるほど。
はるか
かなり面白いです。
1個ずつ家族会議でそういうのもアップデートしていったんですね。
そうですね。
村中直人
先ほど言った私がコーチに就任するとかも全部、家族会議の場で決まったことであります。
ひとし
ああ、なるほど。
はるか
家族会議大事だな。
ひとし
大事やね。
防御モードと冒険モード
はるか
子どもがちゃんと主張できるような空間で、フラットな場でできるのはいいな。
ひとし
ちょっと僕も最後感想と1個質問が出てきたんでいいですか。
学校に今行ってなくて家にいるってときに、ちっちゃい自己決定をするの大事って話あったじゃないですか。
今日服何着ようとか、映画何見に行こうとか。
そのときに、それがすごい実際リスナーさんたちもできそうだなと思ったんですけど、
自己決定ちっちゃくしましたってときに、子どもがそれを理解するような意味づけというか、自己決定できたねみたいなことを言っていくことに意味があるのか、
別にそういうの関係なくて、
子どもが自己決定していっていること自体にもそれだけでOKなのかって、どんな感覚なのかなって。
村中直人
自己決定っていうのは大前提の話なんで、
子どもが自己決定をしたことを取り上げて何か発言するってことはほぼないですね。
もうちょっとだけ補足説明をさせていただくと、
私の言葉で言うと、自己決定の話っていうのはいつもだいたい、今日はちょっとその言葉使ってなかったですけど、
「冒険モード」っていう言葉とセットで使うんですね。
これは冒険モードっていう言葉は、
私、『<叱る依存>が止まらない』っていう本の中で使った言葉なんですけど、
それと対になるのが「防御モード」っていうモード。
神経科学的な脳の状態で言ったときに、
防御モードっていうのは扁桃体っていうところが中心となっているような、危機対応モードですね、人間の。
だからその天敵に襲われた時の動物の反応みたいな感じで、戦うか逃げるかみたいな感じ。
これはこれで人間の行動を促進しますと。
防御モード以外の人間の行動を促進するモードっていうものの、他に、
この2つだけではないんですけど、
有力なものに私が「冒険モード」って呼んでるものがあって、
こっち側はベースとしてドーパミンシステム由来の人間の行動のモードみたいなことをイメージしてるんですね。
この2つだけではないにしても、人間が行動するときって大枠この2つか、もしくは完全に習慣化された行動化なので、
この2つで考えたときに、
今の教育っていうのはこの防御モードを人間の行動の原理として、
危機感あおってやらせたりとか叱ってやらせたりとかっていう、
子どもを危機状態にして大人の思い通りにするみたいな感じのことが、圧倒的に多いという感じなんです。
この状態にまみれてしまって慣れきってしまった子たちは、
いわゆる「学習性無力感」って言ったりするんですけども、
無力化された状況になって逆に「指示してもらわないと何していいかわかんない」みたいな感じになっていってしまうよね。
「じゃあ切り替えようってなったときに何を目指すんですか」っていうときに起こっていくのが冒険モードというふうに。
ドーパミンシステム。
ドーパミンシステムっていうのはやりたいとか欲しいとかっていう欲求ですね。
先ほどワクワクタイムっておっしゃってましたけど、ワクワクするような心理的な状況をベースに、
しかもすぐ手に入らないものですね。すぐには手に入らないもの。
今すぐ食べれるものに対してドーパミンは出ないですね。
ちょっと待たなくちゃいけないとか、ちょっと取りに行かなくちゃいけないとかっていう、
そのちょっと先の未来に対してワクワクをしながら、
もっと言うと、すぐには手に入らないから試行錯誤しなくちゃいけない状態。
こういう状態になっているときの行動のことを冒険モードっていうふうに言っていて、
「冒険モードの方が人は学ぶよね」っていうのが基本スタンスなんですね。
じゃあ人間を冒険モードと防御モードを切り分けていく、どこに違いがあるんだっていうと、
それが今、先ほどお話していた自己決定なんですよ。
人間は自分が自己決定していないものに対して冒険モードに入ることってまずないんですよ。
この3年続いている視聴者さんも獲得している「Teacher Teacher」っていう番組も、
もし皆さんが指示命令のもとに「やりなさい」と、週に1回収録をして、指示命令でね。
しかも防御モードを何かチラつかされながらですね。
防御モード満開でやってても続かないじゃないですか。
はるか
続かない、絶対に。
村中直人
続かないし、続いたとしても今みたいなクオリティでできるはずがないわけじゃないですか。
それは皆さんお二人にとっての冒険モードで
ちょっとワクワクしながらうまくいかないことがあったとしても
試行錯誤しながらドーパミン出しながらやっておられるから続いてるわけですよね。
なのでどちらかというと
先ほどの私、自己決定が大事って話は話してたんですけど
私が見てるのは自己決定したかどうかっていうところというよりかは
うちの息子もそうですけどその子がどういうモードで今、動いてるかなっていうことなんですよ。
はるか
なるほど。
村中直人
勉強するにしてもひとつにしてもそれは家庭の状況次第では防御モードですることだってありますよね。
「親にこういうこと言われるからもううっさいからやろう」みたいなのは防御モードで勉強することもあるけども
ちょっとこう、なんだろうな
これできるようになりたいなみたいな、この単元ちょっとおもろいなとかって思いながら
ワクワクしながら冒険モードでやることもあって、そこを見てますね。
ひとし
なるほど。あ、冒険モードなってきてるなっていうのを見てる。
村中直人
そうです、そうです、そうです。
はるか
あー、
ひとし
理解してきた。
村中直人
この冒険モードっていうのが、いきなり大きな冒険モードを求めると
親や大人が求めるとすごい大変なので、もうちっちゃなちっちゃな冒険モード
うちの息子なんかで覚えてるのは
一時期、息子が「ラピュタパン」ってわかります?
目玉焼きのったパン
はるか
食パンに目玉焼きのったパン
村中直人
ラピュタの映画のラピュタ
ひとし
そういうことですね、映画に出てくる。
村中直人
だからおいしそうに食べるんですけど
ラピュタパンって我が家で呼んでるんですけど
あれにハマって、まだちっちゃい時ですね、未就学児とかね。小学生だか。うん
いっとき、「目玉焼きを作ってくれ」みたいな感じで言われることが多かったんですけど
確かちょっと手が離せなかったときに
「ちょっとお父さん手離せへんから、一回自分でやってみー」って言ったんですよね
そのときに初めて息子は、卵をわって目玉焼きを作るっていうのを
自分が食べたいから、ちょっと試行錯誤しながら、1個ぐらい卵を無駄にしながらやった
記憶があるんですけど
これがだからある種の冒険モードじゃないですか
はるか
冒険モードですね
村中直人
やりたいと思うことに、ちょっと上手くいかないかもしれないけど、ちょっとやってみるみたいな
「やらない」っていう選択肢もあるんだけどもやってみるみたいな
こういうことの日々の積み重ねってすごく大きいなと思ってまして
はるか
だいぶ解像度上がったな
その自己決定の大事さと同時にその中盤に話してくださった環境の調整とか家族会議でのあり方とかも含めてあるんだろうなってことがあって
かなり自分の中で現実味を増した話になりました。ありがとうございます
まとめとリスナーへのメッセージ
ひとし
ありがとうございました
なんか最後にリスナーさんに伝えたいこととかありますか?
難しい問いですいません
はるか
もういっぱい伝えきった後だけど
ひとし
伝えきった後に、謎のボールを最後投げて
村中直人
そうですね
なんか、今日私がお話ししてることっていうのはなんか
テクニカルな話も含みますけど、どっちかっていうと
この日々の生活で子どもを見ていく眼差しの軸みたいなものというかなんか
そうですね。なんかこうそういう水準の話をさせていただいたかなというふうに思っていて
これって何で大事かっていうと、私もこんな偉そうに話をしてますけど
日々ってやっぱりゆれるじゃないですか。いろんな状況が変わっていくし、子どもの状況も変わっていくし
ふと立ち返る軸みたいなものってすごく大事だなと思っていて
それが例えば先ほど私が話した、私の場合だったら、子どもに対してだったら
その「子どもがどういうモードでいるかな」っていう
「今日、1日冒険モードでいる時間ってあったのかな?」っていうふうな
この軸に毎回返ってくることで自分がブレずにいれるとか、ある種の変化に対して自分なりのスタンスで立っていられるみたいなことってあると思っていて
私が今日お話ししたことを皆さんの軸として取り入れるかどうかは、また別の話でいいと思うんですよね
取り入れるとこは取り入れていただいていいし、村中の言うことはちょっと違うなと思ったらそれでもいいと思うんですけど
とにかく、こうやってこういうポッドキャストを聞いておられるような勉強熱心な方だと
いろんな人からそういういろんな考え方を摂取しておられると思うので、そういう考え方の中から
自分がすごくしっくりくる軸みたいなものを持っていただいて、そこに立ち返りながら日々の子どもたちとの関わりの悩み、みたいなものに向き合っていただくといいのかなっていうふうには思っております
はるか
ありがとうございました
ひとし
ありがとうございました
はるか
確実に僕の中の軸の大きな一つになりました
ありがとうございます
ありがとうございました
ひとし
ということで、ありがとうございました
はるか
めっちゃおもろかったですありがとうございました
村中直人
結局けっこう長くしゃべりましたね
はるか
いや本当ですね
めっちゃいっぱい質問攻めして答えてもらってありがとうございました
いやめっちゃおもろかったな
01:07:38

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