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はるか
今日は、ラーニングダイバーシティという話をしたいと思っています。
学び方は多様であるっていう話で、来週木曜日に『村中直人』さんと収録する。
この『ラーニングダイバーシティの夜明け』っていう本を書いている村中直人さんと話をするんだけど。
以前、『〈叱る依存〉がとまらない』っていう本も紹介させてもらったんだけど。
この方と収録するにあたって、この本を読んでいたら相当大きな気づきがあって、今後の教育の在り方についても考え、示唆深いし、
こんなふうな社会になっていくといいよねとかっていう見方にもつながっていくんじゃないかなっていうふうに思っています。
ひとし
学び方。
はるか
はい、学び方。いっしょに。
ひとし
学んでいきましょう。
はるか
来週は村中直人さんと、この著者といっしょに収録をしようということで、
今日話を聞いてみて、ここ聞きたいなとかっていうのを思ったら、ぜひお便りいただけたらと思って。
ひとし
直接質問させていただきます。
はるか
はい、お願いします。
でですね、なんでこの学び方について、はるかがもともと着目しとったかっていう、ちょっと原体験みたいな話からしたくて。
もともと学び方を教員時代から注目しとった部分が、どうやって学ぶか。
何を学ぶかとか何ができるかよりも、どんな学び方がいいのかみたいなことをすごく注目して考えとったんよ。
なぜかというと、ちょっと遡ると、自分が小学校1年生の時に、いわゆる学校の勉強が全く合わなかった。
先生の授業が全く耳に入らない。
1年生の時だけじゃなくてずっと、これは。
で、話してるんだけど、その話からずっとふわふわふわって頭の中に連想されちゃって、集中できないっていうのがあったんだよね。
宿題もろくにできなかったんだよ、ずっと。
全部、家に帰ったら忘れちゃうから。
1年生の時、すごい怖い先生だったんよ。
いまだに鬼の形相が頭に浮かんでくるんだけど、あの先生の。ベテランの先生で。
毎朝、宿題してないいつものメンバーが先生の前に並ばされて、めっちゃ叱られるみたいな。
で、「次しなかったらどうするねん!」とか言われて、「いやもう絶対にします!」とか泣きながら言って、で帰ったらドッチボール行くっていうことを毎日繰り返しとったんよ、ほんとに。
で、いつものメンバーで朝来た時に、「お前今日も宿題忘れたよ」みたいな感じで毎日しとったんよ。悪気ないん。
っていうのをしとったんよ、ずっと5年生くらいまで。
ひとし
長いね。
はるか
長いね、ずっとしてた。
ひとし
1年から5年か、長いね。
はるか
で、ほんとに授業中の記憶がないん。先生の話とか。で、もうこれ高校までずっと。
先生から学んだみたいな、語ってきた面白い話があったとかは、すごい覚えてるんだけど、雑談とかは。
だけど授業についての内容、ほんと一切入ってこなくて、頭に。
だけど、幸いというか、ずっと学級崩壊に近かったんよ。
ひとし
幸い。
はるか
この文脈で言うと幸い。
もう先生の話を聞かない子どもたちが多すぎて、もうほんと反抗みたいなばっかりだったんだよね。
で、なぜか俺はノートまとめるとかはやってたんよ。
だし、質問とかめっちゃしてたんよ、先生に。「どういうこと?」みたいな感じで。
で、ベースラインがみんな全然やらないから、勉強を。
ノートをカラフルにまとめたりとか、自分でキャラクター作って、吹き出し作って、自分なりの気づきを書いたりとか。
勝手にしよったんよ、自分で。教科書見て。
それがめちゃくちゃ認められとったんよ。
「自分で学んでんだね、はるかくんは。」
で、「ノートをまとめるのが好きなんだね」、とかって言われて。
それが嬉しくて、どんどんどんどんまとめられて、自分で。
先生の話聞かずに、ずっと自分で教科書見て、なんかやってたというのがありました。
その分、書き順めちゃくちゃだし、字下手だし、ずっとじっとしてられんから、
定期的にトイレ行くみたいな。
定期的に音楽室に行って、友達と踊ったりとかして。
ひとし
そんな自由なんや。
はるか
で、帰ってくるみたいなことしよったんよ。
とにかく楽しくて、自分なりに学ぶのが。誰にも強制されずに。
自分で試行錯誤して、自分に合った学び方を見つけていったみたいな学生時代だった。
俺はたまたまいろいろハマったんだと思うんだけど。
要は、誰からも「こういう学び方しなさい」って言われなかった。
し、自分で試行錯誤できる余地があったんだな。
はるか
で、自分が小学校の教員になったわけね。
そしたら、自分の小学校の時と同じような子どもたちがたくさんおったわけね。
なんかずっと飛び跳ねてて、動き回ってて、宿題全くしてこんみたいな。
で、字、下手くそでずっとよく喋るばっかりみたいな。
子たちがめっちゃ叱られてる。
算数の筆算の問題とかあるやん。
あれを定規で線引かないけん。
引かないかんとかあった?
ひとし
あったよね。
はるか
定規で。
引いてないから、なんかもう一回とか。
ひとし
かわいそうに。
はるか
そう。定規を持ってきてない子とかは「また忘れ物してから」ってなってて。
宿題のやり方とかも、こういうやり方じゃないと、こういう途中式書いてないと認められません、
みたいなことってやっぱり学校でいっぱいあって。
で、その子たちがやっぱり勉強も嫌いってなってるみたいなね。
で、要はダメな子。自分はダメな子だって思ってる子たちがたくさんいて。
自分が勉強好きだったのは本当たまたまやったんやってのに気づいたのがあったんよね。
で、もしこのやり方を強要されるタイプだったら絶対に合わなかったし、
自分は話聞けなくてダメな子だと思ってて勉強嫌いになったなと思ってて。
つまり、学び方が合う合わないっていうだけで、自分はできるできないっていう分岐もあるし、
なおかつ勉強好き嫌いっていうことにも影響しちゃうんだっていうのが相当な気づきとしてあって。
それが最大にまず一番最初に感じた学校への違和感だったんだよね。
ひとし
学び方俺もね、地理が異常にできんかったんよ。
頭に入ってこなすぎて。
なんだろうね、あれね。
はるか
ひとし、じゃ、勉強法とかどういうふうにやってたの?
ひとし
当時?覚えてるのはね、中学生ぐらいからなんよ。
高校生ぐらいか。
俺はバスケで学んだんよ。
バスケってさ、分かりやすくさ、シュート、ドリブル、ディフェンスみたいな項目があるやん。
その分かりやすいステータスを全部力つけていけば上手くなれるみたいな。
項目が分かれとって、それをコツコツ一個ずつ学んでいくみたいな。
っていうこの学び方を学んで、受験の時に数学のこの問題解くには、この力とこの力とこの力がいるみたいなのを分けて、それを学ぶみたいなことをやってた。
はるか
自分で結構見つけたみたいな感じ?
ひとし
そうなんよ。その感覚は教えられずに学び方をバスケで学んだ気がする。
はるか
それすごい。見つけたんだな。
相当汎用性の高い学び方を転移させてるんだね。
ちなみに日本の学校って結構王道のやり方って結構あるじゃん。さっき言った、ドリルを定規で線引くとか。
そういうやり方とかを真面目にやってたの?
ひとし
そういうやり方は採用してなかったね。
はるか
割と自由にさせてくれたの?
ひとし
そうやね。自分で教材を買って勝手にやるみたいな。
で、超怖い先生の時は、超怖いけん頑張る。そのやり方に従うみたいな。
はるか
ああ、そんなのもあったんだ。
ひとし
そう。教科を言うとね。
はるか
ああ、そこはわかるか。
ひとし
それはでも成績良くなったよ。その人のやり方にマジで従って良くなった経験もある。
はるか
なるほどね。めっちゃ良かった。
まさにそうで、要はここで注意しておきたいのが、
例えば自分が学校の教員時代に、自分の経験があったから学び方を子どもたちが選ぶってことを徹底してやってたんよ。
進路を自分で計画立てて決めていくとかもそうだし。
ひとし
そんなんさ、俺らの時代考えられんよね。
はるか
考えられん。でも結構今やってる人多いし、ノウハウを作ってくれた先生方がいるからね。
また学び合いという方法があって、子どもたち同士でやり方も含め伝達し合うという方法を取ったりとか、
ケテブレ、今コンコンのボランティアの学生さんが一生懸命やってくれてるけど。
ひとし
計画、テスト。
はるか
分析、練習っていうPDCAサイクルを子どもたちが回していく。
振り返りをして自分はこういう学び方が合うんだみたいなことをずっと回していくという方法とかを色々やってたんだよね。
で、色々試行錯誤して、それがハマった子もいた。
要は自分の子供時代みたいにめっちゃハマった子もいたけど、それが苦手な子もいて。
理想は自分で学びたいこと、学び方を見つけて学んでいくのがすごく大事なんだけど、
今のところそれが全員できたかって言われると、俺が教員時代はまだ悔しい思いをしたこともあって。
だからそういう、それが合わない子たちを見捨てないっていう意味でも、やり方を統率していた学校の先生方もいるんだろうなっていうのは、
いっこ学校の先生側の補足としてもやっぱりしておきたくて。
やり方をしっかり教えてあげて、その基礎ができてから、逆にそれがうまくハマって成績伸びた子とかもいるからさ。
そういうこともありますっていう。
ひとし
俺らのクラスその教科、みんな頭良くなって。
はるか
ああテスト上がったんだ。
ひとし
頭良くなってはおかしいか。みんなテスト取れるようになって、点数。
全国模試っていう。全国の、全国平均で見ても俺らのクラス、爆上がりしてる。
はるか
えーそうなんだ。
ひとし
だからそういうスタイルもあるんよね。
はるか
そういうスタイルもあると思う。
そういうスタイルもあるんだけど、ただ時代が変わってきてるねって話をいまからしたくて。
はるか
本当にそれでやり方を教えられて徹底的にやった結果、テストが上がりましたって。
これを成功にしていいんだっけっていう話もしたいんだよね。
で一旦ここまでのちょっと自分の経験の話を村中直人さんの話でまとめると、
大事なのはやっぱり、「子どもたち一人一人が自分に合った学び方を選択できるようにすることが大事です」ってことを書いてるんだよね。
それはいつ学ぶのかも、どこで、誰と何をどのように学ぶのかも含めて、
多様な学び方を尊重するっていうことが、今日、本のテーマになってるラーニングダイバーシティっていう考え方で、
まだ正直理想である部分が大きくて現実で難しい部分もあるんだけど、
こういう未来を目指していきませんかっていう意味で、『ラーニングダイバーシティの夜明け』っていうテーマになってる。
今日は大きく、理想みたいな話をどんどんしていくので、
それを現実にどう落とし込んでいくかっていうのを来週の話にしたいんだけど。
なんでこれを目指す必要があるかっていうと、今問題なのは、例えば教育の正しい方法みたいなのが現場にはあるわけなんよ。
算数でいうとさくらんぼ計算とか、いまあるんだけど。とか九九を覚えるとか、
正しい方法とされてるものに適応できてない人は、努力不足で甘えだよねっていう見方ありますよね。
実際そうじゃん。実際、コンコンでも不登校の子たちと関わってると、そう思うことはたくさんあります。
だけどやり方変えたら全然、変わることもたくさんあるし。
もう一個は、努力不足でも甘えてるわけでもないんだったら、それは障害者だよね
っていうふうに実際クラスを分けられてるっていう現状があると。
それは発達障害だとか学習障害だっていうふうに言われてしまうと。
で、この不利益の結果は自己責任になってる現状ってどうなの?っていう話。
っていう問題提起があって。
なんかこれは本当に学校の教員しながら思ったことだったんだよね。
2年生の男の子が、ずっとノートを取らないって叱られ続けたと。
で、その子を見てたらね、大きなマスに文字を入れきらんのよ。一生懸命頑張ってんのに。
で、それを一生懸命、文字をいっぱい書かせることでカバーさせようとするみたいな。
俺から見たら、いっぱい喋ってて、その喋りで学びを得てるし、
本来目的である自分の考えを表現するみたいなことができてるんだけど、
書くっていうところでつまずいて、「もう勉強しない」って言ってふてくされてるみたいな状況を見たときに、
これでいいんだっけ?っていうのがやっぱりあったと。
はるか
で、ここまでだと単なる問題提起なんだけど、そうじゃなくて、
今後、さっきひとしが言ったみたいに、やり方を統一されてテストが上がりましたっていうのが、
本当に正しいんだっけっていうことで、
確かにそれで一定の技能は上がるかもしれないんだけど、
はるか
それで自分で学ぶ力がついたかって言われると、どうなんだろうっていう。
もっと手前の、自分に合った学び方を試行錯誤する力とか、
自分に合った学び方を試し続けるとか、
そういった力ってつくんだっけっていうところで。
ひとし
台湾の子たちがさ、自分で決めてやるっていうのも当たり前になってて、
そういう力がついてるっていう、それと近いかもね。
その力がさ、仕事し始めたら必要やん。
はるか
うんうん、ほんとそうやと思う。
ひとし
っていうことはあるよね。
はるか
そう。まさにひとしが言ったように、
結局大人になったらやり方なんて教えてくれるっていうよりはさ、
自分で考えてやろうねっていう世界になってくるじゃん。
だし、もう一個は、いま世の中の変化がすごく激しくて、
文化って言ったりするけど、
要は何を学ぶかはすごく難しいんだけど、
どのように学んだかとか、
あとは自分に合った学び方を身につけてるかとか、
学ぶことへの意欲があるかみたいなところが、
今後この変化激しい波に乗っていくうえでは重要になっていくから、
だから、学び方を身につけていく力をつけるのが大事なんだって。
ひとし
学び方を身につけていく力をつける。
はるか
っていうのが大事だし、
そもそも学び方を試行錯誤していくっていう姿勢自体が大事な気はしていて、
気づいた?俺が今、ノートに手書きの原稿を持ってるの。
ひとし
気づいてる。隣にいるからね、俺は。
はるか
そう、だからもうめちゃくちゃAIとか使ったりとかしてインプットしたりした結果、
いま結局俺は、書きに落ち着いてるんだよね。
それは試行錯誤した結果で、最初はAIでインプットして、
それをAIにまとめさせてみたいなことをやってみたけど、
どうしても思考が上滑りしちゃって、自分のものにならない感覚があって、
今は軽く紹介すると、本にめっちゃ付箋貼ってるじゃん。
自分の印象に残ったところに付箋貼るのと、
自分で問いもって、その問いへのアンサーにつながるところに
全部付箋貼ってるっていう学び方。
それを自分で録音すんよの、口で喋って。
その後にもう一回テーマ決めて文字で書くっていうのが、いま一番落ち着いてる。
これまだ変化の途中なんだけど。
ひとし
なるほどね。
はるか
本当にいろいろ自分の中での学び方をアップデートしていくみたいな姿勢が
多分大事なのかなっていうふうに思っている。
ひとし
それいうと俺は、例えばコンテンツ作りできるようになりたいと思ったら
コンテンツ作りしながら浮かんだ疑問は頭の隅に置いておいて、
何かを一応目印として頭に刺しておいて、
それに紐づく情報があったら学ぶっていう。
別に書くとかじゃないけど。
はるか
だから自分の中で問いを目標にしておくっていうのが
その問いがアンテナになってどんどん知識を吸い取っていくみたいな
学び方も一つあるだろうし。
多分それは自分の中で見つけていったことだと思うんだけど。
ちょっと学校レベルに落として、子どもレベルに落として、
例えばの話をすると、
よく算数ってさ、途中式書きましょうって言われるやん。
前ひとしも、数学の先生がそういう話をしてて、
それのおかげでって話をしてたけど、
俺も完全にそっち派。途中式書いた方が絶対に俺はいい派なんだよ。
ワーキングメモリー俺ちっちゃくて。
なんだけど、途中式を書かない方が正解率が高くスピードも速い子がいます。
ひとし
うわ、初情報だそれ。スピードはまあそうでしょうと。
はるか
正解率も高くなると。これコンコンにもいますからね。
むしろ途中式を書くことで脳が疲弊しちゃっているんだよね。
これってさ、9割がた「書いた方がいいでしょ」って思うじゃん。
だからその1割の子も、1割って適当な数字だけど、
マイノリティの子たちもそれを強要されがちなんよね、学校で。
で、正答率が低くなってできなくて、
自分できないんじゃんって、ラベルを自分で貼っちゃう。
もったいなくない?これ。
そんな子がどんだけ学校現場にいるかって思うと、もう一刻も早くこの考え方を伝えたいんだけど。
村中直人さんの言葉を借りて説明すると、
認知特性、脳の特性が合う学び方、合わない学び方を決めると思うんだけど、
さっき言った途中式を書かない方が正解率が高い子っていうのは、
音に関する短期記憶。
音声ワーキングメモリーが要領大きくて、
関係性を手がかりにする同時処理的演算が得意ですと。
ちょっとよくわかんないんだけど。
ひとし
目とか耳とかっていうメモリーの、どこが得意かみたいな感じなのかな?
はるか
かもね、視覚情報が得意な子とか音声情報が得意な子とかいると思うんだけど。
あとはね、本読む時に立ちながら読む方がいい人もいるんだって。
ひとし
でもそれはあるよね。
はるか
ある?
ひとし
違うけど、ちょっと。
はるか
うん。
ひとし
ポッドキャストを聞きながら散歩してたら、散歩の情景とセットでそれを覚えるくない?
はるか
ああ、それはあるかも。
ひとし
この話、あの時運転してた時のあれだってさ。
なんか行動とセットとか、記憶とセットとかはあるような気がする。
はるか
ああ、それはひとしは動きながらの方がインプットしやすいのかもしれない。
確かに俺もポッドキャストは必ず歩きながら聞くから。
音声と動き、俺は合うかもしれない。
だけどね、俺一回、自己啓発にめっちゃハマってる20代前半があって。
ひとし
みんな通る。
はるか
通る。
アルゴリズムで全部吸収しちゃうって、自己啓発。
多分そんな時期があったと思うんだけど。
その時にあるユーチューバーさんが、本を歩きながら読むって言ってたの。
歩きながら読むっていうのを聞いて、その時コロナ禍やったんよ。
俺が実家にある、母が使ってたウォーキングマシーンみたいなの。
その場でずっと上下するみたいなウォーキングマシーン。
あれを借りて、ウォーキングマシーンしながらずっと本を読んでたの。
なんも頭、入らない。
マジで。
これカロリー減っただけやんみたいな。
動いただけやってなって、やめたんよ。
だから本当に、学習法何選みたいなのがあるけど、
その人の学習法なんだなっていうことを、いま改めて思ってる。
ひとし
確かに。
はるか
俺、読書は絶対じっとしてた方がいいの。
ひとし
音声をさ、歩きながらじゃない方がいいって人もいるんか。
はるか
いるよ。
ひとし
俺それ今、完全にバイアスかかってたわ。
音声は歩きながらの方がいいよねって、当たり前のことかと思ってた。
はるか
だから僕は、なんだよ。
ひとし
僕はだし、そういうこと言ってる人がいて、その人は、なんやね。
聞いたことあるよ、そういう話いっぱい。
あ、あなたもそうなんだねっていうことだけか。
はるか
試してみる価値は多分あるからね。
具体的に、こういう特性はこういう学び方、みたいなのは、
たぶんざっくりあるから、それは村中直人さんにも聞こうと思うんだけど、
たぶんそういうことじゃなさそう。
ひとし
そういうことじゃなさそうだね。
はるか
要は自分で見つけていく、自分の学びを観察してとか、
子どもの学び方を観察して、いろいろチャレンジしていくことが重要になっていく。
たぶんスタンスの問題なきはしてる。
ひとし
こういう脳の強い人はこういう学び方がいいってなっちゃってたら、
もうさっき言ってた方法論学んでることといっしょやもんね。
はるか
そうです。
ひとし
危ない。
はるか
あ、ちょっと掴んでますね。
ひとし
本当?
はるか
はい。
あ、いまリスナーさんがどれだけ、いまのひとしの解釈を理解したか、ちょっと。
ひとし
あ、うそ?
はるか
わかんないんだけど、まさに今、的を射てて、
いまから人間観の見方の変わり方。
ひとし
そこが繋がってないけどまだ俺。
はるか
繋がっていきます。
人間への見方、人間観のパラダイムシフトが起きるって話をするね。
これ本当に重要な話で、要は普通の強制みたいなものが不適応を生むっていうことなんだよね。
前半話したことって。
学校でのこういう学び方がいいよねっていう、当たり前とか正常みたいな考え方が
それに合わない子たちを排除してるっていうことがある。
で、それが今はもう不登校という形でたくさん現れ始めているっていうのなんだよね。
で、発達障害っていう言葉もそうなんだけど、
発達障害っていう子どもたちは、これは病気とかじゃなくて、
いまある多数派、多くの子供たちがあった学び方っていうのが違うケースが大きいと。
例えば九九を唱えて覚えるとか、漢字を書いて覚えるとかって、
これやり方がもう統一されてる場合って多いじゃん。
ひとし
そうね、ほぼ。
はるか
これができない場合ってどうなるかっていうと、もっと頑張りなさいになる。
はい、じゃあ居残りして漢字の何ページ書きましょうみたいなことになったりとか。
ひとし
漢字もね、覚えきれんかった。
はるか
あ、うそ。ちょっとそれを聞きたいんだけど。
書くっていうのが合わないのに、書くの量でカバーさせられるって。
やり方を変えて効率を上げた方がいいんだけど、そうじゃなくて、
それを上げるためのトレーニングをひたすらするっていうことなんだよね。
できないことがあった場合、量でカバーすると。
で、量でカバーした時に、でもできない。
失敗体験とか苦痛だからトラウマになって、勉強できないというふうになってる。
で、学校ってほぼ勉強時間じゃん。
ほぼ勉強時間の中で、生活の中で、できないって味わう時間が多いって、
これがどんだけ自尊心に影響するかってことだよね。
学校の物差しに、ずっとできないっていう判定をされ続けることが、
もはや自分はダメな存在だと思っちゃうわけだよ。
これが良くないよねって思ってて、
ここに、俺は一番のモチベーションを感じる。
勘違いよって、そのできないと思ってるの。
自信を失ってるのがもったいないなって思うのがあります。
つまりこの、普通の強制が不適応を生むっていう。
ここまで縦にも横にも俯瞰した時にさ、
自分が勉強好きだったとか、
自分が行って受験で合格したとかさ、
はるか
運の要素が多すぎて、
人を有能とか無能とかで判断するとかも、
ようできんと思うし。
普通の強制みたいなので不適応になったりとか経験はある?
ひとし
大学の研究もそうやったし。
何からどう考えたらいいか全然わからんけど、
手順は決まっとうけんさ。
これをやってくださいみたいな。
難しかったね。
あともう俺がポッドキャストを頑張ったのって、
それでしかない。
結局、記事を作る仕事とかさ、
動画を作る仕事ってさ、
先人たちがもう正解を見つけてきとって、
先輩からそれを教わるっていうスタンスになっちゃう。
どうしてもね。
ポッドキャストだけは誰もやってなくて、
これ自分で試行錯誤していいんやってなって、
それが楽しかったんよね。
それがTeacher Teacher作ってた時の楽しさやった。
俺は型にはめられて学ぶのが難しかったっていうのはありましたね。
だから社会人1、2、
まだちょっとあるけど、
結構自分、無能だと思うことが多かったね。
俺がそういう状態になったの、はるかもね、
見てきたかもしれない。
はるか
見た時もあったね。
その型にはめられるのが合わんかったわけやん。
こういうやり方だよって。
でもその世界しかないのだとしたらさ、
ゾッとせん?
ひとし
ゾッとするね。
はるか
俺大学に入ってバイトした時に、
自分のこと完全に無能であることに気づいた。
ひとし
ブライダル。
はるか
そうそう。
ひとし
俺もアパレルのね、
GUなんやけど、
働いた時に思った。
はるか
思った?
似てるね。
ヤバかった?
ひとし
ヤバかった。ずっと緊張しとるし、
ずっとなんかこう、冷や汗かいて
何やればいいか分からんみたいな。
はるか
俺もブライダルとお好み焼き屋さんでバイトした時に、
マジで手順を教えられるわけじゃん。
絶対抜けるんよ。何かしらが。
一生懸命頑張ろう、
ヤバい抜けちゃいけんと思えば思うほど、
絶対ミスが出ちゃう。
その世界の常識からすると、
お前そんなんもできんのやってなるわけ。
だし、
そんなの当たり前だよみたいな、
知らない当たり前を出してくるわけ。
ひとし
分かる。
はるか
分かる?
その当たり前どこから来たの?みたいな。
ひとし
そういう世界なんや。
そういう常識なんだってなる。
はるか
常識みたいなのを勝手に当てはめられることに対する、
違和感が半端じゃなくて、
自分が小学校の時から全部自由にやってきたからさ。
俺、社会でやっていけんのかもしれんっていう。
だけど、学歴だけが自分を支えとったんよ。
いや、そんなはずないと。
俺、受験でこんだけ自分でやってきたんだ、
みたいなのだけあったんよ。
で、他のバイト探した時に、
児童相談所っていう、
子どもたちが親御さんと対立したりとか、
帰る場所なくなったりとかした時に、
生活する場所があったんやけど、
そこで俺、泊まり込みでバイトしとったんよ。
そこでの自分の価値の発揮の仕方がすごかった。
子どもたちの気持ちもすごく共感できるし、
子どもたちからも信頼してもらえるし、
っていうことで、
どんだけ大物みたいなやんちゃが来ようと、
はるかおれば大丈夫、みたいな状態になった時に、
マジ環境で全然違うと思ったんよ。
ひとし
うわぁ、そうね。
はるか
この二面性?
ひとし
俺も大学時代の時まさに、
研究全くできんで、
ダンスだけはめちゃくちゃ…
はるか
そう、かなりね。
ひとし
超二面やって、支えてたんや。
ダンスが支えてたし、
俺も受験はたまたま大学受かったけど、
それも支えてたね、確かに。
何か上手くいったものを認められるって大事なんかもね。
勉強じゃなくてもいいやんね。
はるか
ほんとたまたま今の学校空間においては、
よくわかんない当たり前とか、
それが正常だよみたいなのに、
合わない子供がいたとして、
その世界しかないとしたら、
そりゃ絶望やん。
で、それを周りも、
これできないと社会でやっていけないから、
量でカバーしようって言われるわけでしょ。
それは早く気づかせてあげたい。
やり方だよとか、環境だよっていうのはあって、
仮にね、今の時代にどの環境でもマッチしなくて、
バリュー発揮できないっていう子がいるかもしれない。
そんな場合もあると思うんだよね。
だけどこれって時代とかが変わると、変わる可能性あると思うんだよね。
例えば目が悪くても眼鏡が今あるように、
コミュニケーション苦手でもコミュニケーションを補足するツールができるかもしれないし、
もっと時間軸を長くした時に、
今の常識だけ当てはめて、
自尊心を失う、違う道ないかなっていうのは、
すごく考えさせられてて。
ひとし
なんかさ、眼鏡が開発されるのが、
昔だったら50年くらいかかったかもしれないけど、
今そのレベルの進化が1,2年で来るけんさ、
マジで生きやすくなっていくかもね、たぶん。
はるか
でですね、
その普通とか当たり前とか正常みたいなのって、
はるか
何が生んでるのかっていう。
こっからちょっとパラダイムシフト的な話になるかな。
ひとし
超大きく言うと社会のルールみたいな。
はるか
どういう社会の見方がそれを生んでるのかっていう話をちょっと今、進めたくて。
その普通を生んでる、
はるか
根本の考え方が、この分野で言うと、
『ニューロユニバーサリティ』っていう考え方。
ひとし
ニューロユニバーサリティ。
はるか
ニューロ、神経ね。神経普遍性って言うんだけど、
この考え方どういう考え方かっていうと、
人間同士は神経学レベルにおいて、
似ているとか、画一的な存在であるっていう考え方がニューロユニバーサリティ。
つまり、人間ってまあだいたい平均的に似てるよねっていう見方がニューロユニバーサリティ的な考え方ね。
例えば、自分がされて嫌なことはしない。
これって超ニューロユニバーサリティ的な考えなの。
ひとし
なるほどね。その発言をニューロユニバーサリティ的って初めて聞いた。
そうやね、でも。
俺もよく思いよったよ。
自分関係なくねって。
相手がされたら嫌なことはしないっていうことでよくない?と思いよったけど、
そういう考えの前提なの。
はるか
そもそも、自分と人は嫌なことに似てるっていう前提じゃん。
ひとし
なるほど。
はるか
人それぞれ嫌なことは違うはずなのに、似てるとすることがニューロユニバーサリティ的な視点で普通を生んでるね。
あと、相手の立場になって考えましょう。
あともう一個印象的だったのが、早寝早起きを心がけましょう。
ひとし
みんな朝型なのか。
はるか
朝型だと思ってるんだけど、
神経学的には朝型の人もいれば夕方から活動的になる人もいると。
なのに朝型の方がいいよねっていう普遍性を、当たり前、正常を用いられることによって、
それに合わない子たちが実質的にパフォーマンス発揮できなくなるっていうことなんだよね。
で、じゃあどういうパラダイムシフトが必要なのかっていうと、『ニューロダイバーシティ』。
ひとし
これがね、相当解像度上がったんじゃない?
はるか
上がったでしょ。ダイバーシティ上がったでしょ。
ひとし
俺も上がったもんめっちゃ。
なるほど。
はるか
だからそれは、つまり人間同士は神経学レベルにおいて似ていない、多様な存在でありますよって。
そもそも全員違うんですよってことが大前提。
これすごく重要で、相当印象的な話だったのが、いわゆる自閉症の子ね。
自閉症ってどんなイメージ?
ひとし
こだわりが強いとか。
はるか
一般的にさ、コミュニケーションが苦手とか、コミュニケーション障害とか言われるんだけど、
これがインターネットが普及したことによって、自閉スペクトラム者同士が繋がれた。
この時に、リアルな現場だったら自閉者の方ってマイノリティだから、要はコミュニケーション障害扱いされちゃう。
だけど、そこで何が起きたかっていうと、
自閉症と呼ばれる方同士で集まると、そこにコミュニケーションの障害もなければ、共感能力の欠如も存在しなかった。
やばいやろこれ。
いかにマイノリティであることが障害とされるかっていう怖さ。
だからその時に、障害者っていうラベルじゃなくて、自閉人だっていうアイデンティティに変わった。
この前提大事やない?
ひとし
それはね、すごいね。
教育について語ってるときにいろんな意見を聞くときに、
どっちの考えを前提にしてるんだろうってわかりそうじゃない?
どっちに定義してるんだろうなっていう理解が深まった気がする。
はるか
正直ね、めっちゃ理想だと思うんよ、この考え方って。
じゃあどうしたらいいのって、30人の生徒を教師一人一人で全員の学び方見つけられるのって言われたら、今のとこ難しいと思うんだよね。
だけど、それが正常だよねとかっていう、正しい正しくないみたいなものを眼鏡で持ってて、それに合わない人は違うみたいな見方をすると危ないよね。
村中さんが書いてたのは、じゃあこれから何が必要なのかっていうと、『アコモデーション』です。
ひとし
知らん単語が。
はるか
眉をひそめながら。
ひとし
アコモデーションなんやね。
はるか
日本語で合理的配慮って訳されたんだけど、配慮として訳されたんだけど、
何回か話したんだけど、配慮っていう言葉じゃなくて調整の方がいいねって。
なぜかって言うと、配慮って言うと優しさみたいになってる。じゃないと。
そもそも前提違うんだから、違いに合わせて調整しましょうって。
多い少ないはあるかもしれないんだけど、違うのが当たり前というもと調整していきましょうと。
そして、自分に合った学び方を知ってますかって言われたときに、イエスって答えられるような状態を作るために、
子どもたち自身が試行錯誤できるような環境作りと、
この、いま言ったニューロダイバーシティ的な考え方を正しく理解できるような大人が必要ですよと。
ということで締めいきます。
ひとし
すげえ、いま見ました?見てないか。
必要ですよって言ったときに、ノートをパタッと閉じて、決め顔をしましたけど。
はるか
いやあ、必要だ。
ひとし
マジで、ダイバーシティっていう考え方の解像度がすごい上がった。ニューロダイバーシティ。
はるか
だけど、これは何回も言うけど、学校現場の先生からすると難しい話だと思ってるし、
マジで時間がかかることだと思うんだよね。
だけど、本当にそれこそ、そういう意味でポジティブにテクノロジーを活用していくのは、俺は大賛成だし。
ひとし
なんか綺麗事っぽく言われるやん、ちょっと。綺麗事じゃないかとか。
はるか
人権っぽい話とかで。
ひとし
でも普通にスタンス変わるよね、人と接するとき。
はるか
接するとき変わると思う。
ひとし
あ、それのスタイル苦手だったらこういう感じでやったらいいんじゃないかなとかさ。
なんか結構現実的な、活かせることとは思う。
はるか
スタンス変わるし。
もうちょっと具体的に、じゃあ学び方をどう学ぶのっていう話を、村中直人さんに来週聞きたいと思ってます。
家庭でどう実践したらいいのみたいな話をしたくて。
これね。
ひとし
確かに。
はるか
もう衝撃なんだけど、このラーニングダイバーシティの誘惑ってこれ新刊なんだよね。
改訂版が出てて、改訂版の方買ったんだけど、村中直人さんが、お子さんが学校に行かなくなったんだよ。
っていう、お子さんが学校に行かなくなった話を超リアルに書いてくれてて。
衝撃だったのが、この考え方を提唱してる村中さんが、学校に行かせようとしたっていう自分があったんだって。
だから、こんだけ理想的な考え方とか、進むべき方向を世の中に啓発している身でさえ、社会的プレッシャーを感じて、学校に登校させようとする自分を自覚したっていう話があって。
その自覚をした上で、じゃあ学校に行かないという選択をした子どもとどう向き合ってるのかっていう話まで書いてあって。
その家での実践までも、ちょっとお話聞こうかなと思っています。
2つ、学び方をどう学ぶのかっていう話を聞くのと、家庭での実践の話を聞いてこようかなと思ってて。
はるか
納得するまで話していきたいなと思っている。
繋がってきたね、台湾の自主学習から、工藤先生の話から。
ひとし
本当やね。
はるか
かなり解像度が高まってきているので、この勢いで学んでいきましょうと。
ひとし
学び方も学んでいきます。
はるか
はい。
ひとし
ということで、次回村中直人さんのゲスト回、お楽しみにしてください。
もし何らかの事情で1週遅れたりとかあるかもしれないですが、おそらく出すと思います。
はるか
お楽しみにしていてください。