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「生活に追われても、撮りたい映画がある」|中井さん|一行日記 #002|沖縄・喜如嘉
2026-09-08 1:02:10

「生活に追われても、撮りたい映画がある」|中井さん|一行日記 #002|沖縄・喜如嘉

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沖縄・喜如嘉で暮らし、ドキュメンタリー映画の制作や上映会を続ける「手渡しプレス」の中井さん。

今日の一行日記は「お金がなくて、生活に追われている」。

撮りたい映画はあるのに、日々の仕事に追われて制作が進まない。そんな今の気持ちから、野鳥の撮影を志していた頃のこと、各地で出会った人々、一つの上映会が人生の行き先を変えた経験へと話が広がります。

毎月開く小さな上映会では、映画を観た人と感想や意見を交わすことができる。少人数でも、相手の反応を直接聞きながら「手渡し」で伝えることに、やりがいを感じているといいます。

人生を100ページの本にたとえるなら、今は70ページ。まだ完成させたい作品がある中井さんの、これまでと今に耳を傾けます。

▼ STORYS 人生物語

さまざまな拠点から届く、一人ひとりの日常と人生の物語。
一行の日記や、心に残る一冊を入り口に、その人の言葉に耳を傾けます。

コーナー:一行日記
拠点:沖縄・喜如嘉

沖縄・喜如嘉から、一行の日記を入り口に、その人の人生とやんばるとの関わりについてお聞きします。

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STORYS 人生物語
ここは沖縄、ヤンバルの小さな集落喜如嘉。 120年以上の歴史を重ねた小学校跡地にあるストーリースタンド喜如嘉から、この場所に関わる人の人生を紡いでいきます。
誰かの物語に耳をすますことで、人と人、この場所と誰かをつなぐきっかけになるかもしれません。
ストーリースタンド喜如嘉のゆかです。 今日お話を聞くのは、手渡しプレイスの中井さんです。中井さんどうぞよろしくお願いします。
お願いします。
それでは早速ですが、中井さんの今を表す一行日記を教えてください。
いろいろやりたいこととかあるけど、とにかく今お金がなくて生活に追われているっていう。
お金がなくて生活に追われているっていう。
焦ってるっていうか、このままでいいのかなみたいな感じです。
そんな中井さんは普段何をされている方なんでしょうか。
普段はいろいろやってるんですけど、本職っていうか一番メインでやりたいと思っているのはドキュメンタリー映画を作ることで、
でも今自分の作品はあんまり作ってなくて、守りの映画社っていう映画制作会社の依頼で、
宮古島行ったり石垣島行ったり、自衛隊の軍事化の問題を撮影に行ったり、
あと、上映会を月に1回、自分が今まで関わった映画、自分が監督した映画とか、撮影とか編集で関わった映画を上映したり、
っていうのはやっぱり自分が関わった映画がすごいっていうんじゃなくて、本当にそんな何万円も出して上映券を買って上映するお金がないから、
自分の関わったんだったら無料でできたり、無料っていうのは制作側にお金を払う必要がないっていう意味で無料で上映できたり、
あと森の映画社の映画だったら安く上映券を売ってもらえるので、安く買ってやったりとか、そういう自分のできる範囲で自分の関わった映画を毎月上映してるっていうことをやってます。
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なるほど。いろいろやってる。映画監督さんでっていうところかなと思うんですけど、いろいろやってるっていうことは映画監督以外にも何かされたりしてるんですか?
農業、有機農業やったり、でも有機農業なかなかそんな収入にならないので、ヤンバル工芸店のカフェ、カフェクロニクルで週に2回1回とかバイトしたり、
あと朝食、宿泊施設もあるので、宿泊施設のお客さんの朝食の準備をしたり、そういうのもやってます。
有機農業は、私プリスの向かい側にある。
そこでもやってたんですけど、今全然できてなくて、今ちょっと暑くて、あんまりできてなくて、もうちょっと涼しくなったらまたやろうかなと思って。
何度かジャガイモとか買わせていただいて。
ありがとうございます。
そんな感じで、今絵画監督、この貴重箇所のテナントの一つで入っているかなと思うんですけど、中井さんがそもそもご出身は京都ですよね。
京都から沖縄に流れ着いたというか、今ここで生活しているっていうのはどういう経緯があって、貴重箇所というか。
ここ来る前は香川県に住んでたんですけど、香川で母方のおじさんの家、空き家を借りてそこで住んでたんですけど、
ヘノコ森の映画社の依頼で、ヘノコのゲート前で座り込みしている人たちの映画の撮影をしてほしいって言われて、
それでヘノコで1年かもうちょっとか住んでたんですよ。
ヘノコで住んで、その映画の撮影したときに、自分の連れ合い、結婚はしてないんですけど、連れ合いと会って、
彼女が貴重家で小民家を借りて住んでたので、僕も一緒に住むようになって、
それで、特に香川に帰る必要もなかったし、むしろコロナのことがあって、
沖縄は結構コロナ感染者が多かったので、香川のおじさんが帰ってくるなみたいな、帰ってこないでくれみたいに言われて、
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じゃあ沖縄に住むかみたいな感じで、こっちに自然と移住してきたというか。
コロナで人生がまた変わった人も多かったですね、きっと。
私も長らく福祉の仕事をしてたんですけど、コロナのちょうど時期にこのままって大丈夫かなとかっていうのをいろいろ考えて、
それでプログラミングとかを習い始めて、人生を考えるきっかけになった人ってそれこそ多そうだな。
そのままずっと変わらず、変わらない生活をしていた人ももちろんいらっしゃるだろうけど、コロナをきっかけに、それこそ戻ってこないでって言われたこともあると思うんですけど、
人生に変化があった時期だったんだろうなと思いますね、いろんな人の人生に。
ちなみに森の映画社さんはいつ頃からのお付き合いだったんですか?
福岡は何年くらい前だったんですか?
森の映画社は2006年に、僕は韓国のピョンテク米軍基地っていう米軍基地の拡張で立ち逃される農村があって、
その農村に1年間ぐらい住み込んで撮影してたことがあって、
ピョンテクにいた時に、なぜか森の映画社から連絡があって、森の映画社の人はピョンテクに興味があって、ピョンテクにも来たことがあったらしいんですけど、
なんか変な日本人がいるらしいぞみたいな、1年ぐらい韓国のピョンテクに住み込んで撮影してる変わった奴がいるぞみたいな噂を聞いたらしくて、監督が。
そいつ面白そうだから、アメリカの撮影に呼ぼうっていう話になって、韓国からアメリカに行ったんですよ、3週間ぐらい。
8時間の映画を、森の映画社すごいなと思うんですけど、最初は2時間ぐらいの映画だったんですけど、最終的には8時間の映画を作ったんですよね。
僕はそんなに映像の勉強はしたことなくて、オートでしか撮ったことなかったのに、監督はちゃんと撮れるやつだと思ったみたいで、いきなりアメリカまで呼んだのに、業務用カメラを使ったことがなくて、
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で、業務用カメラ使い方知りませんって言ったら、えーとかびっくりされて、説明書渡されて、お前これで一晩勉強しろとか言われて。
一晩だったんですか。
それでは、なんか業務用カメラで撮った記憶があります、初めて。
それが中井さんが、映画自体が森の。
もっと前で、映画を撮り始めたのはフィリピンで、フィリピンに行く前はアジアプレスっていうところで、北方4島、クナシリ島とかシコタン島とか、領土問題で揺れてるロシアの島に行って、3回ぐらい行ったのかな。
最終的には、KGBっていう、警察じゃないけど国家、なんとか、ちょっとはっきりわかんないですけど、なんかそういうとこに捕まって、強制双管されたんですけど、
でも強制双管されて、それはテレビの仕事で、映画は撮ったことがなかったんですよ。
テレビの仕事で、北方4島の取材をしたけど、やっぱりその当時、結構アジアプレスってフリーランスのジャーナリストの集団で、
結構イラクとか、いろんなところでフリーランスのジャーナリストが拉致されて、反政府勢力に拉致されて、殺されたりとか、そういうことが結構あって、
一時期はビデオジャーナリストって言われる人たちが、結構もてはやされてた時代があって、自分もこんな映像の素人が撮った映像がテレビのニュースで流れるんだって、
すごい夢のような時代が来たなって、自分がまだ20代の頃とかは、すごいそのことに胸躍らせてたんですけど、でもやっぱりそういう拉致事件とかが急増して、
なかなかテレビ局もフリーランスの映像を買わなくなって、フリーランスの人たちもどんどん映画を作るようになったんですよ。いろんなフリーランスのジャーナリストが自分で映画を作るようになって、
僕もアジアプレス辞めたので、じゃあ自分も映画作ってみたいなみたいな、作ったこともないし作り方もわからないけど、作ってみたいなみたいな考えた時に、昔それこそ映像を始める前に動物カメラマンになりたかった、
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20代の頃、動物カメラマンになりたかった時に沖縄に行った時のことを思い出したんですよ。沖縄に行って、イリオモテ島とかで鳥の調査の仕事をしていて、でもなんか鳥の調査、動物カメラマンになりたかったから、そんなに熱心に鳥の調査もやってなくて、
むしろ女の子に夢中になって、女の子に夢中になって、イリオモテ島で仲良くなったことを一緒に帰ってきて、沖縄島で、小座とか、小座ってわかります?
もちろんです。私チューブの出身だから。
その逆方向を見ると、ディスコクラブっていうのが書いてあって、自分たちが踊るディスコだと思って、じゃあそこディスコだから、ディスコ行こうって言って、車止めてそこ入ったんですよ。
そしたら、なんか裸の女の人が踊ってて、自分たちが踊るディスコじゃなくて、ストリップ小屋やったんですよ。
フィリピン、多分フィリピンの人だと思うんですけど、フィリピン人らしき女性が裸で踊っていて、その時は何も考えなかった。
ただスケベ心で、なんかもうちょっと見ていこうよとか言って、見てたんですけど、後でそういう報道とか映像とか、そういうのにドキュメンタリーに興味持つようになって、
フィリピンに、最初は写真を撮りに行ってたんですけど、スラム街とかの。で、その時に、そういえば沖縄に行った時に、フィリピンの女の子がストリップ小屋で踊ってたなみたいな思い出して、
で、どうして彼女がそこで、日本の米軍基地の街で、僕ら以外みんなお客さん米兵なんですよ。米兵相手にこんな風に踊らなければならなかったんだろうみたいなことを考えたら、
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で、フィリピンにずっと行って、スラム街とか行くうちに、やっぱり貧困で貧しくて、家族を支えるために、そういう日本に出稼ぎ、その当時はまだ日本も今より経済的に良かった時代だったので、
で、フィリピンの人が、今でも出稼ぎの人はいると思うけど、すごい多かったんですよね。で、フィリピンにも、91年まで米軍基地があったんですよ。
で、米軍基地があって、その基地の街で、僕が沖縄で見たのと同じように、米兵相手に踊ってた女の人がいたんだっていうことがわかって、じゃあそれをちょっと撮ってみたいって思って、
で、フィリピンの、僕が行った当時は、基地は撤退した後だったんですけど、でもそういう基地があった時代に、米兵と恋愛とかして、子供が生まれたけど、
父親である米兵は、自分の任期が終わるとアメリカに帰っちゃって、で、子供とお母さんだけが残されて、すごい経済的に苦しい生活を強いられるとか、そういうアメラジアンって言われる、
米兵婚欠の子供と母親の問題っていうのが結構あって、それをちょっと、最初は写真で撮ってたんですけど、映画で撮りたいなって思って、
で、それは最終的には七井の涙っていう映画にしたんですけど、それが一番最初に撮り始めた映画。で、沖縄に鳥の調査で行ってなかったら、ああいう映画を撮ろうと思わなかったかもしれないなと思うと、沖縄とも縁があるんですよ、そういう意味では。
ちなみにこの中井さんの映画、私も何本か見させていただいてるんですけど、結構、社会問題というかのことにスポットを当てて撮ってらっしゃるなっていうのをすごい感じるんですけど、昔から結構社会問題とかに関心が。
もともとは鳥が好きだったから、野鳥のカメラマンになりたくて、その野鳥を撮るために東南アジア、海外にも興味があったので、日本で最初は撮ってたんですけど、海外で撮りたいなみたいな。
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しかも、熱帯雨林のジャングルとか行ってみたいなとか思って、そういうインドネシアとかマレーシアとかタイとか、そっちの方行くと、やっぱり少数民族の村に入らないと、なかなか森の奥地にゲストハウスがあったりするわけじゃないので、
そういう少数民族の村に行って、そこで暮らしながら鳥の写真とか撮れたらいいなと思って、バックパッカーで何ヶ月か3ヶ月ぐらい行ったことがあったんですよ。
で、その時にインドネシアとかタイとかの少数民族の村に泊まりながら写真撮ってたんですけど、でも写真は全然うまく撮れなくて、でもなんか少数民族の人たちにすごく興味を持ったっていうか、
その、なんていうか、近代文化に侵されてないって言ったらちょっと変なんですけど、その本とかで最初は読んで、お金じゃない世界っていうか、例えば薬の代わりに薬草で病気とかも薬草で治すとか、その薬草の知識がすごいんですよ。
そういう少数民族の人たちって、医学とかそういうのも自分たちで全部賄えてしまう世界っていうか、そういうのにすごく憧れて、食べるものも全部森からの恵みであるとか、狩猟採集とか、
そういう世界にすごいお金じゃない世界、本当に自分の力で生きていくような世界っていうか、そういうのにすごい憧れて、そこに行ってそういう写真を撮りたいって、そういう人たちの写真撮りたいなとも思ったんですけど、
でも、なんかそういう少数民族の人たちを撮ることが、何かこう、もの珍しさで、すごいいやらしい自分っていうか、すごいもの珍しい、いやらしい自分を感じて、そうじゃなくて貧困の問題こそ、最も撮らないといけないことなんじゃないかなと思ったんです。
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少数民族の人たちが森で暮らすっていうのは、いろんな熱帯雨林の伐採の問題とかあるんですけど、自分はそっちよりも、そういう現代文明に侵されてないみたいなところに惹かれた自分が嫌だったっていうか、
なんかそういうのがあったので、貧困の問題をやっぱり撮りたいと思ってフィリピンに行くようになったというか、フィリピンでまずは写真、最初は写真を撮るようになったのがきっかけです。
長くなりましたが。
お金がいっぱいあればいいとか、大きな何かを持っていた方がいいみたいなところではなくて、すべての生活がそこで純化して完結できることに惹かれたって、何か心を動かされたっていうのは、ゲストさんの話を聞く上で結構共通点だったなっていうところと、
中石さんがそれを撮ることで、見せ物ではないけど、そういうふうになってしまうんじゃないかっていう懸念を感じたっていうところにおいても、ちょっと違うのかもしれないですけど、沖縄の人とかアイドルの人も万博でしたっけ。
以前展示されてしまっていたっていう、後期の目にさらされていたその民族、琉球民族とかっていうところが何かちょっと面白く、自分たちとは違うっていう境界線を経た上で展示させられていたっていうことをすごく思い出したというか、
復活とさせたなって、そこに踏み込まなかったっていうのは、何かこう、うちなんちとして、ちょっと全然別の話かもしれないですけど、そうなんだっていうところを話を聞きながら、私もちょっと話がずれちゃったんですけど、感じたところでしたね。
でもやっぱり、そうは言っても、何か戻るんですよ。
結局は、やりたかったことが途中で違うぞと思って、やめて、フィリピンのスラム街のほうに行ったんですけど、
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その後、何年もしてから、少数民族の人たちが、今でも道路封鎖をして、熱帯雨林の伐採に反対してるんだっていうのを何かで見て、彼らは今でもやってたんだと思って、それでまた結局は、熱帯雨林の伐採問題というか、今はパームオイルの問題ですけど、
結局、その映画を撮るようになったんですよ。
一番、自分が撮ったの中で新しいのは、森の森人バスキーの場合っていう、熱帯雨林の保護活動してる環境NGOの人の映画を撮ったので、やっぱり何か引っかかってたんでしょうね。
そうですね、すいません。私、ちょっと捉え違いをしていて、中江さんの撮った映画と、自分たちうちなちの歴史っていうのは、分けて話すべきだったなと、今反省。
いや、そんなんあるじゃん。そういう意味じゃなくて。
いえいえ、ちゃんと問題提起として記録していく、ドキュメンタリーを撮っていくっていうことと、展示していくっていうのはまた別だったなっていう反省。
そうなんですね。七井の涙は、それこそちょっと、まだ日は追ってなんですけど、今ね、少し中江さんの映画をストーリースタンド記事書でも放映できないかなっていうのを、少し秋ごろどうかなみたいな話をしているので、
私はその映画ちょっとまだ見たことがないので、中江さんの映画の中で、すごくちょっとうってなりそうでもありつつ、ぜひ見たいというか楽しみにしている映画のひとつですね。
ぜひ見てください。
なんか、決して撮影とか上手なわけではないんですけど、いい映画だなとは思います。
本当に頑張って、わけもわからず頑張って撮ってたなみたいな。
なんかそんな、中江さん、きっかけがね、鳥の観察から、ちょっとストリップに思いがけてて、そこからフィリピンの女性の方に出会って、
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後々になって、あれってどういうことなんだろうっていうところから、七井の涙を撮った。フィリピンに行った時に、そういえばっていうところで撮ったっていう流れがあって、
中江さんは作品を作る方で、何本かこれまでにも素作品を、映画の作品を作りできたのかなと思うんですけど、
そんな中江さんが人生に影響を受けた作品、映画もそうですし、本でも何でもいいんですけど、そういう作品って何かありますか?影響を受けた作品。
森の映画社の映画なんですけど、マリンズゴーホームっていう映画があって、その映画自体に影響を受けたっていうより、その映画の上映会に行ったことで人生が変わったっていうか、
その映画もすごいいい映画で、韓国とか北海道とか、沖縄も入ってたかな、沖縄も入ってた、辺野古も入ってました。そういう基地反対運動で戦ってる人たちの映画なんですけど、
その映画を京都の上映会見に行った時に、さっき話した韓国のピョンテクに行ったっていう人が、その上映会に来てて、最後にその報告をしたんですよ。
その中で、韓国のピョンテクっていうところでは、ピョンテク米軍基地の拡張で立ち逃される農民がいて、その農民の人たちはもう来年には立ち逃されることが決まってるんですよ。
決まってるんだけど、でも立ち逃されるってことが決まってるけど、農民の人たちは自分たちは農民なんだから、なんて言われようと種を植えるんだって言って、立ち逃されることが決まってる土地に種を植えてるって言うんですよ。
それを聞いて、すごい感動して、これは行くしかないみたいな。本当は沖縄に行くつもりで準備してたんですよ。沖縄の絵の子撮影しようと思って準備してたんですけど、それを聞いてピョンテクに行ってみたいなみたいになって、
調べてたら、チキミって言うんですけど、守り神っていう意味でチキミ募集とか書いてあって、そこの村の人たちはもう半分ぐらいは立ち逃いてるんですよ。
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もう抵抗をやめて、立ち逃いた空き家がいっぱいあって、空き家に住み込んで基地反対運動する人募集みたいな、それ守り神って呼ばれるんですよ、そこに住むと。
そのチキミ募集って書いてて、俺もチキミになろうとか思って、それで行けばタダで泊まれる、空き家ですから、宿泊費もいらないし、こんな夢のような話ないなと思って行ったんですけど、行ったけど行ってからそういや俺言葉全然できないみたいな感じで、
行ったところで自己紹介もできないし、何しに来たかも話せないから、どうしようって結局行ったけど、ビジネスホテルみたいなところで2週間ぐらいずっと悶々と何もせず暮らしてたんですよ。
それはあれですか、空き家に住んでいいって言われてたけど。
言われてたわけじゃなくて勝手に行って、勝手に行けばなんとかなるだろうと思ったけど、実際村に行ってみたら村の人たちが大喧嘩してて、
それは反対運動、沖縄のあれと近いのかな。
その時に考えたら立ちのく人と立ちのかない人が喧嘩してたみたいで、それを見て怖くなって、俺こんな怖いとこ住めないわみたいな感じで帰ってきたんですけど、帰る途中に日本語で話しかけられて、
話しかけてきた人がすごい上手な日本語で、でも韓国人なんですけど、すごい上手な日本語で話を聞いてたら、何か悩みありますかって言われて、実は悩んでますとか言われて、
韓国のピョンテクのテチュリっていう村なんですけど、基地の拡張で立ちのかされる村に住みたいんですけど、言葉ができないからそこに住み込んで、
止めてもらって撮影、映画を撮ることもできなくて、どうしていいかわからなくて、悩んでますって言ったら、その人が、それはあなたの先祖、祖先の犯した罪を償ってないから、その悩みがあるんですよって言われて、
その人、信仰宗教の人やったんですよ。信仰宗教の人からそういうふうに言われて、それで、じゃあどうしたらいいんですかって言ったら、罪を償えばあなたの悩みは解決しますって言われて、
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で、どうしたらいいんですかって言ったら、儀式を受けなさいとか言われて、
怪しげですね。
儀式も受けたんですよ。
受けたんですか。
そう、勉強会とか、信仰宗教の勉強会にも参加して、
そこから、すごいですね。
で、その人、日本語上手だから、その人が通訳してくれると思って、これは使えるみたいな感じで、そういう儀式も受けて、なんか白装束みたいに着せられて、儀式受けたんですけど、
なんか、手のひらに紙乗せられて、燃やされて、火傷したりとかして、
それは火傷しますね。
そういう儀式を受けて、通訳してくれるんですかって言ったら、なんか上の人がダメって言うから、ダメですとか言われて、
火傷までした。
そう。で、結局、でも通訳はできないけど、手紙をぐらい書けますよって言われて、
で、自分はこういうことがしたくて、映画が作りたくて、この村に住んで、1年間ぐらい住んで、撮影したいんです、みたいなことをその人に言ったら、
日本語で手紙を書いてくれて、信仰宗教の人が。
それ持ってったら、すごくあっさり、いいよ、みたいな。
しかも、英語できる人がいっぱいいて、活動家がいっぱい入ってるから、若い活動家みんな英語できるんですよ。
僕そんなできないけど、片言はできるから、なんだ、みたいな。
こんな、ここまで俺知らなくて、こんなと終わり知らなくてよかったんじゃないの、みたいな。
結果的に儀式を受けたから、そこまでいけた。
受けたから、そこから1年間ぐらいいたんですよ。
そこに行ってなかったら、森の映画社の監督も、アメリカに来いとかも言わなかったし、多分違う人生があった。
それ何でもそうなんですけど、沖縄に行かなかったら、フィリピンで映画7位の涙撮らなかったなとか、何でもそう。
たまたま、いろんなことが重なって、そういう人生の道筋があるんだなとは思うんですけど。
本当にそうですね、ずっと何も動かずというか、読まず。
YouTubeが悪い子だけじゃないな。
何か新しいものに触れるとか、行動してみる、そこから人生って何かのふときっかけに動いていくってあるんですよね。
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ちなみに、このよく名前が出てくる森の映画社さんは何者なんですか?
そういう基地反対とか、どっちかというと社会派の映画を作る制作会社で、
僕はずっとでもないけど、時々沖縄はずっといて、監督は北海道にいるから、沖縄の撮影はやってるんですけど、
自由に作ってるなっていう、8時間の映画作ったり、そんなことずっと考えるかなとか思うけど、
見るの大変だけど、1回やってみたいな、8時間の上映会。
5分に分かれてて、トイレ休憩も2回か3回あるんですけど。
実際に、何度か上映はされてるってことですね。
してます。僕も2回ぐらい見ました、8時間。相当きついけど、
きついですね。
1時間ぐらいは寝ちゃうかな。
あれ?途中で。ほぼ1日がかりですもんね、見る。
だから、8時間ってすごいと思うけど、結局1日の3分の1だから、
一生に1回ぐらい、1日の3分の1の時間を映画に費やしてもいい、映画を見ることに費やしてもいいんじゃないかなみたいな。
確かに。
それはそれで、なんか新鮮な体験かもしれないなっていうのは思ったりします。
なかなかできない体験ですもんね。
これはちなみに、マリン、何でしたっけタイトル。
それはアメリカ戦争する国の人々っていう映画で、マリンズゴーホームは僕が最初に見た映画。
人生に影響を与えた。
最初に見たっていうか、与えたっていう意味がちょっと違う。
そこで来てた人が韓国のピョンテクのことを話したから、その映画にピョンテクが出てくるわけじゃなくて、話したからピョンテクに行くことになって、人生が変わったっていうか、
内容で影響を受けたっていうのは、アメリカ戦争する国の人々もそうかもしれない。
8時間で。
結局、沖縄は米軍基地があって、
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米軍基地によって受けた被害っていうのは、毎日のように、例えば米兵によるレープ事件があったり、
ピーフォスの水質汚染の問題があったり、いろんな問題があるたびに、
こんだけ報道されてるけど、アメリカの人って沖縄のことほとんど知らないし、沖縄の人も実はアメリカ本土の国の中のことって、たぶんほとんど知らないですよね。
確かにそうかもしれない。
どんなこと、アメリカの基地は、アメリカにもいっぱい基地あるんですよ、もちろん。
沖縄だけじゃなくて、世界中にあるけど、アメリカの中にもいっぱい米軍基地があって、そこで基地の汚染で苦しんでる人もいっぱいいるし、
体育軍人でPTSDになって、路上生活してる人もいっぱいいるし、
アメリカの人が沖縄の基地問題知らないのと同じくらい、日本とか沖縄の人も、アメリカの中の基地による被害ってほとんど知らない。
確かに。
だから、ある意味そっちもやっぱり知るべきじゃないかって思うんですよ。
だから行った時に、あまりにもアメリカの人が日本とか韓国の基地問題を知らない、反戦運動してる人ですら知らないから、
すごい頭にきたっていうか、こんなに沖縄の中では苦しんでるのに、アメリカの人はこんなに知らないんだっていうことにも驚いたのと同じですよね。
日本人も実はそうだって、アメリカのこと知らないって。
なんかすごく打ち当たり、私もしますね。
ちょっと話がそれちゃうけど。
それってばっかりでほとんど言ってないんで。
全然全然。
中井さんの話を聞いて、私、沖縄国際大学っていう大学を卒業してるんですけど、
帰国の一年生の時に、夏休みの時にヘリが落ちたんですよね、帰国にバンって。
当時バーベキューしてて、親から鬼伝がかかって、気づかなかったんですけど、ジャスコで三浜っていう場所でバーベキュー、高校の同級生とやってたんですけど、
買い出しで隣のジャスコに行ったらテレビで大々的にバーンってやってて、
42:04
親からも着信があるし、怖いっていう気持ちと、なんだんだろうっていう気持ちと、
その時ってもう翌日からすごい沖縄では、新聞もテレビもその基地に関してというか事故に対しての事件、事故をすごい取り上げて、
県民運動周回も開かれたし、通っている学生としてもすごく怖さと思うところと、
沖縄で生まれ育って基地が、私茶壇の出身なのですぐそこに基地があってっていう中で生活してきて、
その時にすごく思ったのが、この沖縄の住民、沖縄の県民の人たちと、この本土の内地のこの報道の差っていうのにすごくやっぱり驚いてというか、
全然取り上げますよ、もちろん取り上げるんですけど、温度差みたいなのに打ちひしがれてというか、
わーって思ったのと同時に、やっぱり私自身も日本本土であったこと、それこそアメリカでの基地の問題とかっていう、アメリカにある基地の問題とかっていうのも知らないことがすごく多すぎる
っていう中で、なんだよっていう気持ちと、でも私も知らないなっていうものをすごく中江さんの話を聞きながらガーってすごく気持ちがわかるし打ち当たりするなっていうのを感じましたね。
やっぱり中江さんが作品を撮る中で、中江さんの作品だけではないと思うんですけど、何かの本だったり映画だったりそういうことを取り上げたテーマのものを手にして目にして聞いたりとかっていう中で、
一つ自分事として関心事としてまた追っかけていけるというか意識していけるものを作ってらっしゃるんだなと改めて思ったっていう感じで、改めて思いましたね。
いろんな人に見ていただきたいですね。
なかなか見る人少ないけど、でも少ないのは少ないで、上映会とか本当毎月やってるんですけど、一番少ないときは1日2回上映して2人しか来なかったこともあるし、
多くても20人とか来たら多い方っていう感じで、公民館とかでやったときは30人ぐらい来たこともあるけど、でもその程度ですよ、そんなに何百人も来てくれるような大きな上映会は全然できなくて、
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だからある意味毎回上映後に映画の感想とか意見とか話し合うんですよ。来た人が5、6人のことが多いから、5、6人だといろいろ全員が感想を言ってくれたり、今の現状について意見を言ってくれたり、
それがすごいいいなと思っていて、自分は手渡しプレスっていう名前にしてるんですけど、でも今まで手渡しプレスって言いながらあまり手渡しで伝えたことがなかったなっていうのはあって、
どっちかっていうと最初は報道志望でテレビの特集とかそういうのを作りたいと思ってやって、テレビでやると100万人ぐらいの人が見るんだよとかテレビ局の人に言われても、なんか実感がないっていうか、そうなんだみたいな、
それによって影響を受けた人ももしかしたらいるかもしれないけど、いるのかどうかもわからないし、ほとんどの人はご飯食べながらとか、台所仕事しながら見ていたりとか、
そういう中で見て、それに対してどう思うとか、そういう何か一歩踏み出すみたいなことを実際テレビで見た人でどれぐらいの人がそこまで考えたり行動したりしてくれるだろうって考えたときに、
実際小人数でも手渡しで伝えて、それを見てくれた人はどういう感想を持ったかっていうのも聞けるし、じゃあこれに対してどうしていけばいいかとか、どうしたほうがいいと思うとか、そういうことも言ったり考えたりするし、
自分としてはやりがいがあるというか、本当に事務所を借りて、この事務所をそのままほっとっても家賃はかかるし、農作業の野菜の仕分け、袋詰め作業とか事務所でやってたりとかもするんですけど、
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結局そうやって、そういうふうに使うだけでも、上映会しても家賃は同じだから、どうせだったら何かそういう使いたい有効利用、せっかく借りてるんだから有効利用したいっていうことで上映会始めたんですけど、
そうすると、意外とそれがまただんだんやりがいになってきたりとか、続けないとみたいな、もう1年以上、1年半以上、もう来月、再来月ぐらいで2年なるね。
結構続いてますね。
でも本当に毎回少人数ですけど、続いて何回も来てくれる人もいるし、本当に大して伸びないけど、低空飛行でずっとやってるみたいな感じです。
でも中江さんが撮るような映画のテーマについて、人と話すっていう機会があまりない日常的に、私はある方だとは思うんですけど、そんなにない中で、
少し読書会のような中江さんの映画の上映会って、見た後に感想を語り合ったり、しかも豪華なことに撮ったとか、監督したとか、映画の撮影に関わった中江さんと感想を言い合ったり、フィードバックを受けたりなんやかんやっていうのができるっていうのは、あんまりないですよね。
そういうのできる機会っていうのは、自分の事務所でやってると、こんなとこ行っても大丈夫かなって不安に思う人もいるかもしれないけど、ストリートスタンドってここだったらもっとオープンで開けてて、入りやすいかなっていう。
気もするので、ぜひね、こういうスペースでやりたいなっていうのは。
そうですね、なんかこう、何かドンってやるときとかは、いつもストリートスタンド、基調課自身も大きいスクリーンを、それこそ中江さんとね、2人でできるように作業したりしていたので、
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なんかちょっと映画の上映とか、そういうのは今後もやっていけたらいいな、毎回という、中江さんほど定期的にできるわけではないですけど、年に数回ぐらいはできたらいいなというふうに思いますね。
だから、僕もね、だいぶネタがなくなってきてるから、今度ストリートスタンドでやる、まだ言っていいのかどうかわかんないけど、そういうやろうとしてるときもゲストを呼んだり。
そうすると、やっぱり自分以外の監督の意見も聞けるし、こういうスタンスで撮ってるんだとか、すごい面白い、広がると思うんですよね、話も。
本当に人それぞれ、思いとか違うから、そういうのも聞いてみたいし、たぶん僕一人やったらそこまで関心持たない人も、ゲストの人が来るってなると、もっと関心持つ人も増えると思うし、
小さな殻に閉じこもって、狭い事務所でコツコツやってきたけど、それだけじゃやっぱりダメだなっていう気持ちもあるので、そういうのもやっていきたいなと思います。
一緒に今回企画してる、まだ始めた、企画したばっかりですけど、中江さんの属性というか、年齢的な性別的なこととか、これまでやってきたこととかっていうのと、ゲストの方、ないしは私も全然また違っていたりするので、
そういうメンバーが、やるよーって声かけて集めてきたメンバーって、またちょっと今まで私が呼べる人とか、中江さんが呼べる人って、違うメンバーが集まってきたときに、そういうメンバーさんと一緒に見て、一緒に語り合うっていう、どういう化学反応というか、どういう何かが生まれるのかなっていうのは、すごく楽しみにしてます。
上映するテーマの映画、映画のテーマも少しね、ちょっと視点は違うけど扱うテーマは一緒だったりして、その視点の違いとかっていうのも楽しみだなとお話し、お二人がトークするのかなと思ってるんですけど、見た後にどういうトークが繰り広げられるのかしらっていうのは楽しみにしてます。
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これを聞いて、なんだろうと思った方はね、ちょっと追っかけて、はい、情報を追っかけて、ぜひその上映会に参加してほしいなというふうに、はい、思っております。
というところで、最後に、そろそろ締めの。
ほとんど喋ってないよね。
全然全然、話の中でね、触れてきているかなと思うので、全然大丈夫です。
毎回ゲストの方に、一冊に、中井さんの人生が一冊の本になるとしたら、今は人生の何ページ目ですかという問いを投げているんですけど、どうですかね。
それは何ページの本の何ページ?
っていう、はい。
100ページの本の90ページとかそういう意味ですか?
でもいいですし、特に何ページ中のとかなくてもいいです。感覚的にこれぐらいかなみたいな。
100ページの本だとしたら、70ページぐらいに来てると思いますね。
結構終盤に。
だって、やっぱり体力もなくなってきて、なんかこう、昔だったらもっとできたのに。
今、最初に言ったように、本当にこう、生活に追われてて、バイトとかもしないといけないし、撮影にも行かないといけないし、農業もしないといけないし、
やらないといけないことがいっぱいあって、自分のやりたいこと、目指してたこれだけ死ぬまでに、この映画とこの映画とこの映画を撮りたいって思ってたものが、
全然今できてなくて、このまま完成せずに死ぬのかなとか、すごいよく考えるんですよね。
だから、本当はバイトとかしなくても、収入が、自分のやりたいことだけやって収入になれば一番いいんですけど、
そういうのがないんですよね。
昔は鳥の調査のバイトとかしていて、その時は1日1万5千円とか、多い時は2万円とか、そういうもらって、
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でもその時も、なんで鳥の調査なんかしないといけないのだろうとか、自分は映画作りたいのにとか、
周りのアジアプレスの人はイラク行ったりアフガニスタン行ったりしてるのに、
俺はどうして毎日双眼鏡で鳥ばっかり見てるんだろうとか思ってたけど、
その時以上に今、なかなか映画制作ができないから、本当に焦ってて、
70ページぐらいまでは来てるのに、このまま80ページ目になって90ページ目になって100ページ目で終わってしまうのかなみたいな気持ちはありますね。
そう。
暗い話ですけど。
ちなみに、やっぱこういうの撮りたいなあいうの撮りたいなあっていう中井さんの思いがある中で、どういう映画をキンキンで。
どういう映画っていうより、もうすでに撮影はしてて、編集が終わってないものがいっぱいあって、
いっぱいあるんですね。
結構いっぱいっていうか、何ていうか、そんな何本もっていう意味じゃなくて、
その撮影した映像が膨大にあって、3つぐらいの映画は作りたいなあみたいなのがあったりとかするんですけど、
それがなかなかできないなあっていう感じで、
まあでも、さっき言ったようにね、それができない代わりに、
あの、上映会をしてるっていうのはあるんですけど、
まあでもそのうちやりたいなあ、全部は無理でもいくつかは作りたいなあとか思ってるんですけど。
もしかしたら、あと数年後とかに、
あの、第何回とかで、ゲストでまた来てくれたときに、
いやこの前70ページって言ったけど、全然50ページだったわあみたいな話になるかもしれないし、
まあ逆もしかりかもしれないし、
なんか、そうですね、今は70ページっていうところで、もしかしたら変化もあるかもしれないですかね。
だから、去年ね、健康診断を受けたら、大腸がんの疑いがあるって言われて、
内視鏡検査を受けなさいって言われたんですよ。
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その時の自分の症状が大腸がんにぴったし当たって、
自分はもう8割か9割大腸がんで、あと何年生きれるのかなって思って、
何年生きれるのかなって思って、もし大腸がんだったらショックだけど、
大腸がんだったら、やりたいこと以外のことは全部捨てて、やりたいことだけできるかもみたいなことはちょっと考えたりして、
でも結果、内視鏡検査を受けたら何にもなかった。
ポリープンはなかった。
なんでそんなこと言われるくらい何にもなくて、すごく綺麗ですねとか言って、
なんかそれはそれでホッとしたけど、ちょっと残念。
大腸がんやったら、もうちょっとホッとやらないとみたいな気持ちになったかもとか考えたりはしました。
でも実際、大腸がんだったら、もっと死ぬほど苦しいと思うけど。
体のね、痛みとかあるかもしれない。
じゃあまた、どっかの機会で中江さんをお呼びして、
この前はああ言ってたけど、今どうですかみたいな話ができるといいなと思っております。
ありがとうございます。
今日は中江さんの人生の本の70ページ目っていうところで、その1ページに少しだけお邪魔をさせていただきました。
ストーリースタンド基助課では、沖縄ヤンバルに暮らす人、働く人、通う人、関わる人の人生を紡いでいます。
今日の物語が小さな出会いのつながりのきっかけになりますように、
あなたのなぜここにいるのかという物語もぜひ聞かせてください。
感想やメッセージ、収録への参加は概要欄のURLからお送りください。
それではまたお会いしましょう。
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