【越境日本人編 #16】会社経営・教員・メンター・写真家。多動な「ギーク経営者」がマレーシアで見る夢(ゲスト:武井信也さん)
2023-10-07 51:32

【越境日本人編 #16】会社経営・教員・メンター・写真家。多動な「ギーク経営者」がマレーシアで見る夢(ゲスト:武井信也さん)

News Connect(ニュースコネクト)あなたと経済をつなぐ5分間

1日1つ、国際政治や海外のビジネスシーンを中心に、世界のメガトレンドがわかる重要ニュースを解説。朝の支度や散歩、通勤、家事の時間などにお聴きいただけるとうれしいです。土曜版ではゲストの方をお招きしてトークを展開していきます。

現在土曜版では、シリーズ「越境日本人編」を配信中。日本を飛び出し、海外の都市でビジネスを展開している起業家やビジネスパーソンの方に、海外に打って出た具体的な方法や、現在に至るまでのキャリアヒストリーを伺っていきます。

今回のゲストは、マーズフラッグCEOの武井信也さん。小学生のころからパソコンをやり込んでいた「ギーク経営者」である武井さんが、マレーシアに移住して果たしたいことは何か。刺激的なキャリアヒストリーをお楽しみください。

▼出演:

野村 高文(音声プロデューサー/Podcast Studio Chronicle代表) ⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠

武井 信也(マーズフラッグCEO)https://note.com/gaspard_takei/

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00:06
おはようございます。2023年10月7日土曜日、ニュースコネクトパーソナリティの野村隆文です。
この番組では、平日毎朝5分間で世界のメガトレンドがわかるニュースを解説しています。
希望からお聞きいただきまして、誠にありがとうございます。
さて土曜版では、ゲストの方をお招きしてトークを展開していきます。現在はシリーズ【越境日本人編】を配信しています。
日本を飛び出して海外の都市で活躍されている日本人企業家や文化人、ビジネスパーソンの方々に、海外に打ててた具体的な方法や現在に至るまでのキャリアヒストリーを伺っていきます。
今回の舞台もマレーシア【クアラルンプール】です。
【越境日本人編】第16回のゲストとしてお越しいただいたのは、MARS FLAG CEOの竹井真也さんです。
竹井さんは1971年生まれ、10代の頃からパソコン通信に触れまして、98年26歳の時に現在のMARSFLAGの前身となる企業を創業されました。
そしてサイト内の検索エンジンのサービスMARS FINDERを展開されます。
実はこのサービスは世界的にも注目されまして、アメリカのGoogleや中国のバイルなどから買収提案があったり、
あとは竹井さんご自身も20代の時に現在のGMO代表の熊谷雅俊さんや、科学コム元社長の秋田義輝さんと共同で会社を設立した経験もお持ちです。
あまりメディアには登場されないんですけど、業界内では非常に名の知れたエンジニア経営者でいらっしゃいます。
そんな竹井さんなんですけど、現在日本の会社を経営しながらご自身はマレーシアに拠点を移されています。
そこにはどんなビジョンがあるのでしょうか?
アジアをもたにかけて活躍されている竹井さんの刺激的なストーリーをお聞きください。
それでは本日のゲストをお呼びしたいと思います。
Mars Flag CEOの竹井真也さんです。よろしくお願いします。
どうもよろしくお願いします。竹井です。
今日はですね、竹井さんがお住まいになっているクアラルンプールで収録させていただきます。
はい、いらっしゃいませ。
竹井さんはクアラルンプールに来られたのは何年前なんですか?
話すと長いんですけど、家族で移住してきたのが去年の8月の末になるので、
そういう意味でちゃんと移住したのは約1年前という形になるんですけど、
もともとシンガポールに7年住んでいたので、
ちょくちょくクアラルンプールには来ていましたから、
そういう意味では馴染みがある街に家族と来たという。
ちょっと最初に竹井さんのお仕事というか、事業の内容について伺っていきたいんですけど、
Mars Flag CEO、ちょっとそのMars Flagの事業とですね、
あと今どういうスタイルで経営されているかというのを伺ってもよろしいですか?
はい、Mars Flagという会社はもう僕が25年くらい前に作った会社になりまして、
学生時代の友達と作っちゃったというか、作った会社で今でも友達と付き合ってくれてるんですけど、
今やってる主力事業はサイト内検索で、日本の大手企業と政府を中心に、
Googleってほら、全部から検索をするっていうか、やってるんですけど、
私たちは例えばソニーとかパナソニックとか三菱電機とかトヨタとか、
そういうところに行ってその中だけを検索するっていうものを、
03:02
その会社さんからお題をいただいて、その会社さんのために今やってる。
皆さんが使ってるのは多分楽天とかね、そういうところで馴染みがあると思うんですけど。
すごいそういう企業のサイトって、それだけで巨大ですもんね。
巨大です。
その中で検索するっていうのは結構ニーズがあるんですよね。
一昔前のインターネットくらい大きいですから、一つ一つの会社の。
その中でどういう順位付けするかとか、AIを使ってどういう結果を出すか、そういうことをやってます。
さけいさんの経営スタイルとしては、今クアラルンプルにいらっしゃってリモートで経営されてるってことですか?
そうですね。リモートでというか、基本的にかなり権限以上が進んでる会社ではあるので、
もしかしたらその会長みたいなものなのかもしれないんですけど、
ちょっと私、勤めたことがないのでわからないんですよ、そういうので。
大きな会社とか知らないんですけど、かなり権限以上が進んでいて、各拠点に分散した権限があるので、
リモートで私が決済をしてるという感覚よりは、相談ごと聞いたりとか、本当に大きな金額のものは私が決済をしてますけど、
具体的に言うと人事とか採用に関しては私一切タッチしてないので、社員が何人いるかもよく把握してないですし、
新しい人についても相談されれば面接にも加わりますけど、相談されなければ勝手に採用もされてますので、
そういう形でリモートで会議したりとか、お客さんともZoomとかで2ヶ月に1度くらい日本は行かせてもらって、
その時お客さんとか社員の方とかと会ったりしますけど。
そうすると今はクアラルンプールで日本とはリモートで会議をすると思うんですけど、主に一番時間を使っていることとしてはどういうことが多いんですか?
まずフラックの経営っていうのはそうなんですけど、他にも今東京大学の方で産学連携のプロジェクトで、
新しい形で産業と学生を結ぼうみたいなことをお手伝いしていたり、
ちょっと今新潟の大学で客員教授を始めたり、それからプノンペンでアイディアソンを去年から始めたんですけど、
あとは今18人の方の主に女性で1人だけ男性なんですけど東大生で、
残りは18人の企業家の卵とかアーティストの卵とか、
あとスポーツマンですね、アスリートの方とかが世界に飛び出したいっていう方のどうしたらいいか分からないとか、
お金がないとかね、そういう人のメンタリングとか支援をするとかそういうことにも時間を使っています。
社会貢献っていうとちょっと幅が広いんですけど、
あとは自らもプロの写真家でもあるので写真を撮ってたりとか。
フォートフォリオがすごいですね、めちゃめちゃ多様な感じの。
ちょっとマルチケアで、最近歌も歌ってるので、
歌も歌われてるんですか。
そうなんですよ、音楽家って言うとちょっと言い過ぎなんですけど、そういうこともその後やったりしてます。
そうなんですね、場所としては日本のお仕事もされますし、プノンペン、東南アジアのお仕事もされますし、
06:02
もう結構世界とつないでってことですか。
そうですね、あんまり国境がないタイプの人間かもしれないですね。
よく自分では気づかないんですけど、割とバスに乗るというか、
それより低い感覚で飛行機に乗ってどっかポイって行っちゃう人なの。
昔からもうそういうスタイルだったんですかね。
割と若い頃からそうでした。
教育の話もですね、後半でぜひ伺いたいなと思うんですけど、
マースフラッグの事業で25年、結構長く経緯されていると思うんですけど、
検索エンジンのビジネスっていうのは最初からその事業だったんですか。
そうですね、もともと検索そのものはもう40年くらいやってるんですよ。
ですから10歳くらいの時から、小学校5年生くらいからデータオタクというか。
まだ検索エンジンという概念がないですよね、40年前って。
言葉も概念もないです。
そうですよね。
ただコンピューターにデータを入力したりして、量が増えてくると効率よく探すというか、
そういう事を一生懸命やってたり。
中学高校くらいになるとオフ会といってね、当時はパソコン通信だったんですけど、
友達が遠くから僕の家に来てくれるとデータ交換をすると。
メディアはテープからフロッピーディスク、それからMO、ハードディスク、SSD、
フラッシュメモリ、こういう風に変わっていって最終的にはインターネットになるんですけど。
メディアは変われど、結局その人が大好きな持ってるデータを私の家に持ってきて、
それは多分その人が好きで集めたデータだね。
CGとか音楽とか動画とか。
それを私の家に持ってきてくれて、それを私のシステムに繋ぐと、
その人の趣味思考を分析する。
その中から私が持ってないデータだけを私のシステムにコピーする。
持ってるものは重複するのでいらない。
そしてその彼のデータを全部フォーマットして、
その人が好きそうなもので彼が持ってなかったものだけを私のシステムからコピーして返す。
こういうシステムを作ってデータ交換を。
中学生?高校生?
中高生。
それを大量のデータで、
当時まだ大容量っていうものがメガバイトとか言ってるときに、
僕はテラバイトを扱っていたんで。
だからものすごい自動化しなきゃいけない。
繋いだ後一晩待つとかっていうコピーの時間があったんですけど、
システム化しなきゃいけない。並列化もしなきゃいけない。
それを一生懸命作ってました。
あ、そうなんですね。
それが10代の頃ですよね。
それがサーチエンジンになっていくんですよね。
データオタクです。
データ集まっちゃってしょうがないから、
AIみたいなものって、AIとまで言わなくて自動分類とか、
趣味思考の分析とか、
そういうものもしなきゃいけない。
検索エンジン、データを整理するっていうものとの出会いは、
かなり長いルーツがあったってことなんですか?
長いです。
デジタルデータコレクターから始まった、
必要は発明の母を地で行く、僕だけじゃなくて、
そこで一緒に作っていた人たちと起業したんで。
そういうことですね。
ちょっと10代当時の話を伺いたいんですけど、
09:00
パソコン通信で出会った仲間の方と、
たけいさんどもをご自宅に集まっていたってことなんですか?
そうなんですよ。もちろん距離は離れてるんで、
年に一回しか来れない人とか、
海外に住んでる駐在院の息子とかも多かったんですけど、
インドネシアとかね、香港とか。
でもたまに一時帰国の時は僕の家に来てくれたりして、
なんで来てくれたかって、僕が好きだから来たんじゃなくて、
多分当時回線が遅いから、
僕家に来ると何万倍も早いじゃないですか、リアルって。
ロスピーディスクのコピー遅いとはいえ、
当時の電話回線からしたらめちゃくちゃ早いから、
家に来るわけですよ。
で、オタクってほら、もともと一つ上手じゃないし、
学校的じゃないんだけど、背に腹をかえられないわけですよ。
で、僕の家に来る。
だけど、データを通して仲良くなるんですよ。
オタクこのデータすごいねみたいな。
そんな感じですよ。
中高生の頃って言うと、今から35年前とか30年前とか、
それくらいですよね。
まだだからあれですよね、インターネットもないですし、
パソコン通信も誰もやってないと思う。
モデルも作ってましたもん。
それはなんでたけいさんはそういう誰もやってなかったことを知ったんですか?
もともとその祖父が、ちょっと発明家とかって言ったりするような、
ちょっと新しい物好きの怪しいおじさん。
本業は写真家らしいんですけど、
ちょっと血は引いちゃったんでしょうかね。
いわゆる電子工作とか好きで、
父はいわゆる建築家で、調理系なんですよ。
で、コンピューターを共同計算のために持ってたりとかして、
教えてもくれるしコンピューターのことは、
プログラムチックのことも教えてくれて、
ハードウェアがあって、ソフトウェアもちょっと教えてくれるみたいな。
で、家に偶然通信回線があったんですよ。
それで、パソコン通信みたいなものがあるみたいな話を聞いて、
単純に僕もやってみたいって思って、
で、書籍も発売されてないから、
いろんな人に聞いたりして、
秋葉原で暴動自作するみたいな感じでした。
たけい少年をやっていたわけなんですね。
仲間と一緒に。
ありがたいことに結構仲間と出会えて、
だってその時に出会った仲間の方と創業されたわけですもんね。
秋葉原のおじさんが仲間を教えてくれる世界ですよ。
そういう世界だったんですね。
なんか国たちにすごい少年がいるよ。
君の二つ上でみたいな。
小学校6年生なんだけど天才だよみたいな。
なんかハッキング雑誌に投稿してるお友達がいるよみたいな。
じゃあ紹介してくださいみたいな。そういう世界です。
そういう世界だったんですね。
あとは、そういわゆるハッキング雑誌が当時あったんですよ。
ハッカーとかバックアップ活用テクニックとか。
そこの編集長の人が紹介してくれたりしました。
だからやっぱり当時それをやっていた方がそんなに多くはないから
むしろやっていた方同士は横で繋がっていたってことですか?
そうです。そうです。
いわゆるハッキング小僧は繋がっていたってことです。
で、その後大学、そして就職されますけど
それはどういう進路を選ばれたんですか?
大学は、いわゆるコンピューターを触りたかったんですよね。
理工系というか、情報系。
ただ、当時情報系みたいな言葉はなかったかな。
コンピューターを触れるっていうのは工学部とか
電気電子学科みたいなのがいろんな大学にあったりとかして
そういうところに進学をして
12:00
で、就職っていう時に
友達同士でみんなで話したわけですよ。
NECとかね。
当時だとコンピューターが鼻が立ちそうなNECとか
当時はPC98とか
あとシャープもコンピューター作ってたり
ソニーもいいねとかって
僕らは自分たちでソフトウェアを書いているのがすごい楽しくて
自分たちでこういうの続けたいよねっていうのがあって
仲良し仲間だけで
一生仲良し好良しで
面白くハッキングして死んでいけたら幸せだよねっていうのが
結構話し合ったんです。
ただ、すぐ起業しようと思ったら
父親とか周りの先輩にも
いやいや一回ぐらい社会人やった方がいいよと言われて
なので割とみんな小さい会社とか
ちょっと当時ベンチャーみたいに言われた走りみたいな
会社に就職したり
会社ってどういうものか
小さい会社が成長する姿を見て
2、3年後にまた集結して会社を作った
こういう感じなんです。
最初はある意味経験のために
既にある若い会社に就職されたってことですか?
そうですそうです
当時いきなりベンチャーっていう会社
多分なかったんじゃないかどうだろう
聞いたことないですね
そういうことですね
その修行時代というか会社員時代は
どういったことをされたんですか?
話すと3時間くらいなんですけど
端緒って言うとイベント制作会社に
拾っていただいて
REIっていう会社だったんですけども
私が就職した時は結構小さい会社で
今は上場企業ですよね
そうですね今は上場してますけど
私が入った頃ちょうどマルチメディア事業部というものを
作るとか作んないとか言ってた時代で
30代の若い部長さんがいらして
千葉大の工学部をお出になった方みたいな
僕は一緒にマルチメディアなんて古いから
インターネットやろうよみたいなことを
拾ってもらって
インターネット的なことをやらせてもらうつもりだったんですけど
何が間違えたのか
君は英語が得意だよねとか
ちょっと香港にいたんでね
君がプログラムをかけて
君は写真も撮れて
君はゲームプログラムもできて
確かにみたいな言ったら
吉村作次先生がね
エジプトの専門家
ゲームを作りたいから君がお願いしますみたいな
そのREIって会社の社長の同級生らしいんですよ
吉村先生が
それで僕は吉村先生と一緒に
エジプトに連れて行かれちゃって
介護駐載みたいな
いきなりですか
行ってみたらアラビア語じゃないですか
英語って何なのみたいな
英語じゃないですよね
ハメられたみたいな
審査舐めたりしながら
振り返ってポジティブに言うといい経験になった
若い頃の
それでこれは自分の会社
作らなきゃいけないなとか
でもちょうどこうやっぱり
エジプト閉じ込められてると
金は貯まるんですよね
全部出張経費じゃないですか
遊ぶところもないし
ひたすらお金貯まるわけですよ
これは会社始めるのにいいなと思って
日本に帰ってきて
ちょうどチリ人に就職してた仲間に
声をかけて会社を作ることにした
なるほどそれがあれですね
15:00
今のそのMars Flagの前身である
Bボイド
それが総業者とか26歳の時
そうですね26の時ですね
その共同総業者は
昔のパソコン通信の仲間
Bボイドで最初にやったのは
検索エンジンだったんですか
検索エンジンはやってたんですけど
当時はインターネットがないので
そもそも商業利用が許可された
直後ですよ
あれ商業利用できなかった
ダーパネットとかアーパネットって言われた時代で
そもそも
ヤフーなかったっていうか
広告だってできないから
あとお金もらっちゃいけなかったんで
インターネットって
そういう時代ですよ
ちょうどADSLっていうものが
東京メタリックっていう会社ができて
後にソフトバンクグループに
買収されていくんですけども
ADSL時代が到来して
サーチエンジンの研究開発は
特許を取るために
研究だけやってた感じですね
特許の取得を主にやりながら
ご飯食べれないから
いろんな会社のコンサルやってました
だからNECが当時
PC98のいわゆるMS-DOSから
独自のOSじゃなくて
Linuxにサーバーを全部乗せ替えたいって
言うけど自分たちでなかなか難しいから
インストラ作ってくれとか
ディストリビューション独自の
レッドハットみたいなものを
自分たちが作れないからお願いしますとか
ドライバー替えたりとか
NEC独自のレイドカードとかスカジカードとかの
あとイーサネットカードの
ドライバーを僕たちが替えたりとか
まあそういう外注というか
お仕事があって
そういうので食いつないだりとか
タケイさんに技術的なことを支援してほしい
っていう企業とお付き合いをして
そこでビジネスをしたということですか
ありがたかったんですけど
そういうのをやりながら
徐々に検索エンジンができてきて
そして世の中の環境も
インターネットレディみたいな感じになってきて
ついに
Googleが日本に上陸するわけですよ
それで我々も
そろそろやろうと
あと足しじゃんけんで
Googleをやっつけるためにデビューさせた
Mars Flagっていうのは
当初はポータル
Googleをやっつけるためのエンジンを僕がデビューさせたという感じ
その話を伺ってもいいですか
Googleをやっつけるためのエンジンを
Googleが黒船としてやってきたわけじゃないですか
国産の検索エンジンを
戦いをされていたわけなんですけど
それはどういう経過をたどったんですか
わかりやすく言うと1年半ぐらいで
敗北したんですよね
全く処分にならなくて
敗因はいろいろあるんですけど
お金足りなかったな
っていうのが一つありますね
資金調達力が
足りなかったというかやっぱり
1兆円ぐらい集めないとだめでしたね
すごい役ですよね
その時Google6兆円持ってたんですよ
すごいですね
せめてその6分の1あったらもうちょっと勝負が
日本語とかね
アジアっていう強みを
生かしたりしてなんとか
今のバイリューとかねそういう感じで
生き残ることができたかもしれないし
わかんないですけど
お金集められなかったですねそこまでは
その時集めたのはどれくらいだったんですか
18:00
11億集めましたけど
当時としてはちょっと信じられない
売り上げもゼロの会社ですから
しかも若い経営者の方で
まあ珍しかったみたいですけど
でもまあ
お金のせいにはしたくないですけど
お金はちょっと足りなかったかなと思いますね
結局Googleが
私たち1億インデックスしようということで
1億のURLを
集めるっていう
ことをやってそれも世界全部は
網羅できないから日本で著名な
例えば当時で流行ってた大手企業のサイトとか
グルナビみたいな
サイトとか有名なホームページは
全部集めようみたいな
ブログのページとかね
やってたんですけど
クローリングの力はあったし回線も変えた
だけどサーバーの台数が増やせなかったです
当時AWSなかったんですよ
自分たちでデータセンターを作って
やってたんで
ちょっとそれももう1000台
2000台10000台っていうのもきつくなってきて
電気代もすごいですし
巨額の資金が必要ですよね
やっぱりそこの勝負は
分が悪かったわけなんですね
その中から今に至る
サイト内検索っていうところに
種がまかれたってことなんですかね
基本的に同じ技術と特許が使われてまして
ソニーならソニー
パナソニックはパナソニック
内閣府だったら内閣府の中を
検索する
その企業とかその官庁
独特の検索の並び方とか
テイスト
こういうの出してほしいとか
そういうところにフォーカスしたサービスとして
今は使われてる
そのサイト内検索に関しては
Googleみたいに外の企業って入ってきづらいものなんですか
どうでしょうね
技術的には入ってき方は
あるとは思うんですけど
正直技術的には
結構コモディティ化はされてると思います
ですから今若い人が
本気を出せば入れる気はしますけど
そうなんですか
そんなに市場が大きくないから
そんだけの技術力があったら
他やった方がいいかなと思います
そうなんですね
だしやっぱりそこは
ブランドスイッチをなかなかしない世界でもあるので
そういうことですね
後発でメジャーで7社ぐらい
私に挑んできた会社ありましたけど
相手にもならなかったですね
そうなんですね
自分たちがすごいとは思わないですけど
やっぱり先行者利益が
ものすごく大きいなというのは感じました
だから逆に言うと
Googleもそこには来れなかった
それで言うと竹井さんを紹介している
記事がいくつかあると思うんですけど
Googleから買収提案をされたという話が
すごい見出しとして出てくるんですけど
それというのは一体どういうことがあったんですか
種明かしをすると
その時ベンチャーキャピタルが結構入ってたわけですよ
何年当時の話ですか
その買収話の前ぐらいには
かなりのベンチャーキャピタルが
当社の株を保有していただいて
投資をしていただいていて
ジャフコとかね
大手のベンチャーキャピタルとか銀行系とか
そういう中からやっぱり
サーチエンジンとかAIの特許とか
将来性はあると言いつつも
売りたい人たちもいたわけです
確かにいろいろ外から投資をされると
そういう方々もいらっしゃいますよね
21:00
それで当時Googleが来る
バイドゥーが来ると言うと
紹介をしてもらえるわけです
そういう人たちから
内実は高値で今売ってくれれば
もう1年投資して
10倍になるみたいな絵が見えるじゃないですか
買収ってことですね
ちょうどバイドゥーが日本に来てサーチエンジンやるのに
ちょうどいい母体になるというか
買っちゃえばいいから
っていう形だとGoogleもまだ日本では小さくて
タケイさんと
タケイさんのチームですよね
日本にいるほとんどの検索好きはここにいるから
それ買ったら早い
そういう考えもあって
Googleがもともと興味あったかもしれない
一応言うんですけど多分嘘で
VCが連れてきたと思ってますよと
それでお会いをして
色んなやり取りがあって結局
値段が出るわけですよね
それは初めから断ってるんですけど
向こうはいろいろ行ってきて
値段が出るので一応値段出すからそれまで待ってって言われるので
お値段聞いて
お断りするっていう形になっちゃったんですけど
そん時は最初からお断りするって
お話つもりだったと思うんですけど
ちょっとは気持ちが揺られたりはしなかったんですか
あのね
今売っとけばよかったなって
ちょっと思います
あの数字を思い出すと
そうなんですね
大不幸だったなっていうのは
思いますけど
まあまあでもどうでしょうね
売ってったら別の人生で
こんなに楽しくて充実した
バカバカしい竹井さんっていうのは
いなかったかもしれないですね
感じ悪い竹井さんになってたかも
上がった竹井さんみたいな
こうしてエコノミークラスに乗る竹井さん
エアアジア大好きみたいな
竹井さんっていうのは
いなかったかもしれない
それはそれで
やっぱり当時は売却するよりも
引き続き経営というかオーナーシップを
持って経営にかかっていきたいっていう
二つあって一つは本当バカなんですけど
僕Googleに勝つと思ってたんで
いやいやでも
実は今でも思ってるんで
あんな会社大したことないから
だからやっぱり僕が天才だから僕勝つでしょ
っていうそういう
発想もあって
もう一つは単純にやっぱり自分で始めて
仲間とほら元々は楽しく
ワイワイ会社で
真面目に考えてみるとガバナンスなんかまた効いてないし
仕事の
とか何かの意思決定の理由が楽しい
だからこの会社買ったら
やべえだろうなって迷惑かけるとも思いましたね
やっぱりその自由さというか
仲間内でのその雰囲気の
良さっていうのはやっぱり何物にも
変え難い魅力だったってことなんですかね
そうですよ僕らにとっては
それこそ人生
それで食えててまあまあ人より
お金もらえてればまあいっかっていう
それは今でも
良い選択したんじゃないかなと思う
確かにそうですねそれって人生の中での優先順位というか
一つの軸ですもんね
だから今時代の風が吹いてますよね
やりがいとか友情とか
今ど真ん中来てると思うんですよ
確かに
幼馴染と友情で会社やって
まあまあ金持ちになって
はいはい
で今でも友達
でみんなで社会貢献できてて
全員健康みたいな
これは確かに
24:01
資本主義が一周回った世界で
むしろそっちに来てますよね世の中っていうのは
今は来てる将来また
馬鹿棚竹っていう時代が来るかもしれないですけど
確かに今そっちに来てますね
あーそういうことですね
ガツガツやって部落企業になったりね
孤立して孤独な社長になるとか
急にやっぱりなんか数字のうかげられてね
噴飾したり汚職したり
するっていうことより
あと会社売ってその後暇になっちゃってね
とかよりは良かったかな
ってまだ現役で
20代の時のお話を一個だけ
追加に伺うと
ビーボイドとともにその後
サイバーコムというネット報告の会社も
創業されてるんですよね
そうですねそれは当時
共通の知り合いで島抜きっていう
人間がいて今楽天に
いらっしゃるかもしれないですけど
彼がMBAを
高等スクールかなアメリカで
勉強していてそれでその在学
中に一度友達の紹介で会って
彼はいわゆるスーパープログラマー
兼起業家を探していて
彼はどっちかというと長銀にいて
バリバリ野心があって
ちょっとひと山当てたいみたいなことを
若かりし頃の島抜きさん
とあとその時
当時まだ確かジャフコに
いたかな秋田さん
その後カカッコもやられる
クックパッドも
付き合いされていた秋田さんですよね
その3人でちょっと
お会いして
その後熊谷さんも
広告のオークション事業を
日本に持ってきて
当時はやっぱり電通さんとか
高等さんとか
強いメディアがインターネットを支配するんじゃないかと
僕たちのインターネットは
新しいのをやりたいねみたいな
ことを言いながら
持ってきてやり始めた
広告オークションの会社を始めた
ただ
最初からイクジットは考えつつ
だからガバナンス整えたりチームメンバーとか
株主記念にしたりとか
1,2年でイクジットっていうのありつつ
上場も一応目指してたんですけど
思ったで早く
イクジットの話が来ちゃって
それがDACという会社の一部になって
売却して
私はそれで退任
お金になったんで
ありがたかったですけど
共同創業された方々が
今をときめくというか
皆さん超有名人の方々じゃないですか
ですよね若かったですねみんな
今でも思い出すのは
秋田さんとか
あれですよちょうど隣に座ってて
ちょうど表参道の
オフィスに一緒にいて
価格コムと時計の
通販のサイトを目の前に僕の前に置いて
これ竹井さんどっちがいいと思って
言われたの覚えてるんですよ
時計の通販と
価格コムで
当時価格コムは一人でやられてて
秋葉原を歩くのが好きな
お兄さんが値段調べてる
感じだったんです
商売っていう感じじゃない
趣味でその情報集めたみたいな
時計の方も商売になってるんですよ
ブランド時計を
予告紙で通販するみたいな
どう見ても時計って感じなんですけど
僕はなぜかオタキングだから
27:02
当時サッハオルフ佐藤さん
って方がいて秋葉原の価格を調べてたんですよ
あれは面白いと思うと
家電とか
いろいろ繋がって
コミュニティになったら面白いねみたいなの盛り上がったの覚えてて
それが原因か知らないけど
一応僕のおかげって言っときましょう
僕のおかげで彼は勝った
言っときましょう
そこでひょっとしたら
意気投合したから一緒にやりましょうみたいな
話になったりとか
それでちょっと一緒に
お金も出したり役になってもらったりして
そっかじゃあもう血気盛んな皆さんが
集まって
数年間で売却するって決めて
やってて実際
守備よく売却まで
この後も皆さんは
わりとチリチリバラバラ
それぞれの道に行ったって感じ
たまに連絡取るぐらいで
別に喧嘩もしてないですけど
仲良くもそんなない
まあいたねっていう
じゃあちょっとその後のお話を
伺いたいなと思うんですけど
マーズフラッグの方でサイト内検索エンジン
っていうのやっていてその後あれですよね
竹井さんご自身は日本から拠点を
シンガポールに移されたんですか
それはどういうきっかけがあったんですか
人生の悲しい転機があって
ちょっと日本から身を置きたいのもあって
普通ちょうど当社が
グローバル戦略とか
ボングローバルとか言いながら
なかなか海外に足を踏み出せなかったんで
誰か行ってほしいってずっと思ったんですけど
もう誰も行かないから
やっぱ01は僕だなと思って
じゃあ僕が行きますって言って
そういうタイミングだったんですね
それでシンガポールにとりあえず単身で
行って会社を
作ってシンガポール人を
雇用してっていう感じ
になって
それが行かれたのが10年前2013年
そうですね2013年になります
もうその時は社員の方も引き連れずに
一人で行きますみたいな感じだったんですか
そうです基本的には
結果的には番頭は日本から一人
連れてきますけどただ彼はほとんど日本人じゃなくて
アメリカ生まれでジャカルタと
イランで育ったみたいな
そういう感じの国籍だけ日本みたいな
男を連れて行ったんで
彼が一応社長を
やってくれて
ほぼほぼ外人部隊というか
シンガポールの
立ち上げっていうのは割と最初から
上手くいったんですかそれとも結構
最初の方は売るのに苦労したっていうのはあったんですか
いや今でも苦労してますね
だからどちらかというと
アジアパシフィックの
一応中国が売り上げが大きくなっていったんで
中国のキャノンとかね
ユニクロとかそういう中国に
進出している日本企業の
売り上げを当時は中国で結構頑張ったんですけど
やっぱりいろいろ厳しいじゃないですか
お金持ち出せないとか
そういう中でシンガポールにぶら下げるっていうのは
中国の銀行もあるし
中国のお金も動かしやすい
唯一の日本に近い
金融国家としての
だから意外と香港と
中国のメインランドを
アンダーにぶら下げるには
シンガポールはいい
っていう価値もあって
だからシンガポール国内の売り上げっていうのは
本当に少ないですうちは
タイとかマレーシアもぶら下がってます
30:01
海外でビジネスをする上で
ハブとしてシンガポールがあるっていう感じなんですかね
ビジネスハブでもあり
出会いのハブでもあるみたいな
シンガポールで7年間
移行されて
今はマレーシアってことを
シンガポールに暮らしていく中で
そろそろ次に行きたいなって思われたんですか
シンガポール好きの人には
大変申し上げにくいんですけど
僕は個人的に飽きちゃったんですよ
それは国土の狭さとか
とても素敵な場所で今でも
友達に会ったりね
新しい刺激を得る場所ではあるんですけど
やっぱりキラキラした街で
あそこではすごい人が集まる
だけど住んでると
飽きちゃった部分もあって
ちょうどコロナの時に
結構締め付けが厳しくて
外出もできないとかね
そういう中で僕は
日本に一回逃げて帰ったというか
その時ちょうど子供の
出産もあったりして
ちょうどシンガポールに戻るか
東京にいるかその他に
行くかっていう選択肢があって
結果マレーシアを選んだんですよね
マレーシアはもともと
シンガポールにいた時から
しょっちゅう来ていて
振り返ってみれば大好きだったんだな
っていうのは思います
新しい刺激じゃないんですけど
あとコロナでの
雰囲気とかいろんなことを見ながら
マレーシアかなって思った
ってことですかね
やっぱり自然も多いですし
ちょっとここまでですね
刺激的な反省をですね
結構ねほりはほり伺ってきたんですけど
今現在メンタリング
フロンペンでの
教育というふうにおっしゃったんですけど
現在非常に興味があることとしては
更新をされているというところに
そうですねすごく興味があります
それこそ今具体的にどういうことをされているか
伺ってもいいですか
一つはやっぱり自分の事業である会社の
まずフラッグと周囲にある
日本のIT企業と自分の企業の
更新を育てるっていうのは
すごい興味があって日本人の
理工系の学生の優秀な人
っていうのはもうちょっとワイルドにね
大企業に行くのもいいけどベンチャーもいいよ
みたいなことをちょっとたらし込んだり
とかしたりもあるし
自分の父親が50歳過ぎたから
社会貢献するって言ってて
実際にやった男なんですよ
早く60代でいってしまった
亡くなってしまった人なんですけど
それをやっててその背中見てたんで
自分も普通に父親からお前どうするんだ
って言われて詰められた時に
じゃあ50で僕も社会貢献できる
人間そうすると
40で会社は自動運転になっていて
30でもこのぐらい資産作ってなきゃ
みたいな
逆算の人生はありましただから
20代で起業しないと間に合わないっていうのも
ありました
そうなんですね
50をある意味マイルストーンに置いて
そっから逆算されてた
だって普通に
50って普通に日本人のおっさんって
そっから稼がなきゃいけない年じゃないですか
家のローンとか大変ですよ
教育費とか
30以降で子供を産んでるとまだまだ大学院まで
行く時代で家のローンに
教育費にいって時代じゃないですか
結婚式の費用もとか
33:00
それを50で
自分の子供だけじゃなくて
人様のためになんて言ったら
よっぽど時間もお金も余裕がないと
できないじゃないですか
普通にいい人じゃいられないですよね
そうだったら離婚されちゃうじゃないですか
そんなの前に
うちの子の子が金なんとかして
今日のご飯ないんだからって話じゃないですか
そういう逆引きしていくと結構焦りましたよ
だからめちゃくちゃ
勉強もしたしめちゃくちゃ働きましたそういう意味で
今はマレーシアに住んでいて
偶然なんですけどちょっと
プノンペンで去年アイデアソンといって
ハッカソンのプログラムとかないやつですね
アイデアだけ出してコンテスト
だから文系の方とか
ちょっとフォワッとした方でも
気楽に参加できるイベントがあって
カンボジアを10年後に
素晴らしい国にするための企業を
あなたが作るとしたらどういう会社ですか
っていうのを友達でも何でもない人
4人でその日チームになれって言われて
その人で会社を作れって言われて
リーダー決めてから始まって
会社作るっていうのは無茶ぶりですよね
それを多分生まれて始めて
プノンペンの学生がやって
2日後には発表しなきゃいけない
英語でそれを発表して
クメール語じゃなくて
順位がついて
っていうのをやるっていうのを
東京大学でそれの似たようなことを
一回やらせていただいたので
プノンペンに貢献するって言ったら
ちょうどプノンペンって
こういうの困ってるって話を伺った時に
だったらアイデアソンやりましょう
ってちょっと軽く聞いてしまって
去年それで主催兼
メンター兼審査委員長兼
みたいなのをやる羽目になってしまって
ありがたいことにお手伝いしてくれた方が
たくさんカンボジアにもいらして
政府系の方からカンボジアの会社の人とか
それでうまくいってしまって
上占めて今年も9月に
またちょっと東大生連れてきますけど
そういうのもちょっとやったりとか
あとはメンタリングでは今ちょっと
18人面倒を見させていただいて
しかもお一人を除いて全員女性なんで
そうなんですよ
一人が残念ながら男性になっちゃったんですけど
残念ながらですね
残りは女性の
メンタリングをしていて企業化が
半分ぐらいですけど
あとはアスリートプロのアスリートですね
バレエやってる方とか
サッカーのプロの選手とか
テニスの選手とか
からあと元機械体操の
チャンピオンとか
あとはアーティストですね
とか絵を描く人とか
またすごいジャンルが多様ですよね
もともと好きなんですよアスリートとか
やっぱり演奏とか
そういう人大好きだし
やっぱり妻が音楽家っていうのもあって
そういう人たちは
すごい大変だって話もよく聞いてるので
なんとかその
日本ではなかなか報われない人も
世界っていうところを目を向けたら
どっかで価値が生んで
今インターネットの時代コロナが来たとリモートで
何かできることがあるとか
例えばねナデシコの代表になって
ワールドカップでね
優勝したチームのメンバーになったら
でも日本でそのサッカー選手の女子が
40歳になった時
何の仕事をしていくらもらってると思うんですけど
大体想像できますよね
まああの指導者か何かみたいな感じ
36:01
それはいいです素晴らしいですけど
輝ける未来とはちょっと違うかもしれない
だけどそれが例えばブラジル人からとってみたら
元代表選手で
しかも優勝して
ブラジルで任せた人っていうのは
すごい価値その人が子供向けの
リモートのサッカー塾やった人じゃないですか英語で
どんだけ儲かるか
確かにそうですね
イタリアだったらどうですか
マーケットサイズも違うし
ブランド力もあるし
ガチでブラジルとかイタリア
任してるわけです
ところ変わればってやつです
そのためには語学力だったり
世界で起業するって感じだったり
英語圏で
中国語でSNSの発信とか
マーケティングしなければいけない
小さくても会社やるとか
そういうスタッフ揃えなきゃいけない
少なくとも本人にも知識がない
そこをサポートする
ちなみに
対象となっている18人ですか
今の方々っていうのは
どういう風にして出会われたんですか
僕そういうサービスをネットでやって
募集しますとかやってないので
全部人づての紹介
前回確かバンコクでコシさんに会いましたよね
彼からの紹介も何人かいます
そうなんですね
彼女性起業家の支援とか
アプトウーマンとか東京でやってるんですけど
例えばその中で志が高い方がいらっしゃって
竹井さんとひょっとしたら
つなぐと何かいいことあるかもしれないなみたいな
悪口で言うと
奴から丸投げされてる人
お願いしますみたいな
嬉しいんですけど
竹井さんとしてこの方は
メンタリングしてもいいなというか
面白そうだなって思う基準ってあったりするんですか
輝いてる人ですね
わかりやすく言うと
もちろん美女っていうのもありますけど
やっぱり美女って
外見だけじゃなくて
内面輝いて目が綺麗とかね
すごいやる気があるとか
どっちかちょっと危なっかしいなって人
僕担当してます
完璧でスポンサーもついててって人は
僕じゃなくてもよくて
一人でもやれるし誰でもいいんです
そうじゃなくてちょっとこれ
大丈夫かなって人は
意外と引き受けたい気持ちにもなります
今サッカー選手の方の例
お話しいただいたんですけど
他にはどういう方がいらっしゃるんですか
元全日本の体操チャンピオンの人で
今シンガポールで起業された
大畑由紀さんという方とか
そうですね
もし差し支えなければどういったメンタリングをされてるか
伺ってもいいですか
基本的に毎月相談を聞いたり
何ヶ月に1回はシンガポールまで会いに行って
ビーチでヨーグルト食べながら
彼女は水着で海で泳ぐんで
お互い水着で
遊んでるわけじゃないです
メンタリング
一瞬楽しそうだなと思ったんですけど
一瞬じゃなくて全開で楽しい
水着着てとか
経営相談とか
こういう授業やろうと思ってるけどどうしたらいいと思いますか
とか
どこの国に視点出したいと思う
どう思いますかとか
だいぶ成長されたんで
基本的にはマーケットの視野を広げるというか
なたの能力とか
ブランド力だと
ここの国でこういうビジネスをすると
今以上に可能性があるんじゃないか
39:01
みたいなそういう提案を
気づいてなさそうなところですよね
なんで
あんたこの国でやってんのっていうのは
よくある僕的には
僕はビジネスの専門家じゃないけど
ちょっと行ってみようかって言って
連れてってあげてパワハラして
キーマンを紹介してもらって
おじさんならではの
パワハラで知ってそうな人を
紹介してその人の話をちょっと
聞いていただくとか
ついでに写真家なんでその美しい方の
写真をビーチで撮って
プロフ写真とか
使ってもらえるようなものを撮ったり
自己肯定感高めるために
すごい美しいポートレートを撮ってあげたり
今写真家っていうふうにおっしゃったんですけど
竹井さんの写真集も
拝見させていただいて
町のショットを撮ったり
人も撮る色々撮るんですか
人はあんまり撮らない
ですよ
あんま得意じゃないんですけど
やっぱりそういうメンタリングの中では
結構撮りますつまり深く入り込んで
その人の内面を撮影できる
って思ったらこっちから撮らしてください
って言います
だけどその辺の人を本当に上手に撮る
っていうのは僕はそういう技術がないので
だいぶ下手です
その辺の若い女子がスマホで撮った方がよっぽど
いいと思うんです
経営者でずっといらっしゃったじゃないですか
その写真家っていうのは人生のどこかのタイミングから
そういう風になってたんですか
もともと母の実家が写真家でして
そこで生まれたんですよ
なので親族に
写真家が多かったり
母の実家が写真家
だから規制するたびに
写真のお手伝いをしたりとか
もうじゃあそういう環境だったんですか
スタジオで遊ばせていただいたりする機材があってね
それ壊しちゃダメとかそういうのを見てきたので
自然に
だから写真機と一緒に
おもちゃにしたりとかそういう子供でした
じゃあもう子供時代から
若手社会時代を経て
カメラが常に横にあったという感じですか
常にだから写真家ずっと
そういうことですね
無意識にやってます
じゃあもう本当にいろんなところに旅して
写真を撮って写真集を出してというようなことも
そういう中で育ったんで
僕の親族みんなめちゃくちゃカメラ持って旅行するんで
それが当たり前で育ってしまったというか
そういうことですね
もう一個のアイデンティティとして
武井さんの写真家ですという職業としても
そうですねある時
いろいろ写真が不適だから
買わせてくださいとか
新しい病院を作るからここに結構大きな写真
お願いしますとか家を新築するから
この部屋に合う写真を撮ってください
とかそういうありがたいお話が来るようになって
ですから今
僕はその頼まれてお金をもらって
撮るというよりはちょっと
言い方はあれですけど富裕層の方が
こういうニーズがあるから撮ってください
とかこの部屋に合う写真を
いくらでも出すから
撮ってくださいとか言われると
それでちょっと撮って差し上げて
それでその写真のビジネスは成り立っている
そういうことですね
でそこに入らなかったものが
SNSに上がっているという
あとその教育という観点で言うと
竹井さん大学でも教えられて
いますよね そうですね
42:00
今肩書きだけで言うと東京大学の
情報理工っていうところの
大学院なんですけどそこでIPI
ってちょっと聞き慣れてるんですけど
PIっていうのがあると思うんですけど
インダストリアルプリンスポイントインビスティゲーター
っていう高みそうな肩書きがあるんですけど
まあ要はその三角連携を
お手伝いしましょうみたいな
これでもわけがわかんないと思うんですけど
UNPJUSTっていう枠組みが
あってそれはどっちかというと三角連携
東大の場合
重厚長大な三角連携が多いんですよ
例えば大企業がトヨタがねこの研究室
がっぷりやってます先輩もいっぱい
いますみたいな言い方悪いけど
トヨタが買い上げてる研究室がある
みたいな三菱電機はここ
電装はここみたいなちょっと
なりがちなんですよそこは悪くないんですけど
お金が回ってどっちかというと
ベンチャーが例えば東大と
三角連携したいと思うと
多分研究室って3つも4つも必要で
しかもそんなにお金がなくて
どっちかというと先生じゃなくて
大先生に理論を言われても
手を動かす学生が欲しいんですよ
つまり院生か
たまに学部生ぐらいの元気のいい
東大生にコード書いて
欲しいんですよベンチャーと
しかもその分野は多岐に当たる
AIから1人ね
AR VRから1人ね
とかセキュリティーから1人
分散処理から1人
心理学から1人こうなるじゃないですか
そうするとそれを横串にバーチャル
研究室訪問したりとか
アレンジする場所が必要ということで
できたのがその
UNPJUSTという新しい三角連携の枠組み
そこを僕ちょっとお手伝いしてる
そしたらベンチャーでもそこでやれるかもしれない
確かにそのベンチャーが大学と
組むってなると互いのニーズが
意外に合致しなかったりする
全然合わないと思いますその研究室もさすがに
お金がないとか
手を動かして欲しすぎちゃって
合わないんですよ要は手を動かす人として
そこの出身もしくは
その学部とか
近い学部の院の出身者を戻してくれないと
回らないんですよ
研究室が
卒業生をだけど戻す卒業生がいないし
戻しちゃったらできないから仕事が
いないんですよ
そうすると単純に手として使いたい
してもお金がない
ちょっと受給は1万円払ってもいいから
東大の学部生に
ここだけやって欲しいと言って
1ヶ月だけやって欲しいと
それで300時間やったら300万円なら払える
でもプログラマーもアプリ仕上げて欲しい
っていうニーズですよね
そういうことですね
それはでも実業の世界を知ってる方じゃないと
アレンジできないかもしれない
そういうところにちょっと
関わらせていただいたり
東大の方から竹井さんお願いしますよって感じで
声掛けられたんですか
最初は面白そうだからそれに関わった共通の知人がいて
誘われて
入ったら半分騙されたというか
巻き込まれ事故で楽しんで
そしたら意外に
楽しくて
そこでアイデアソンもやらせていただく機会があって
すごい楽しかった
あと先ほどちらっとおっしゃってましたけど
新潟の
ちょっと詳しくないですけど
新しい多分大学の
枠組みの中でできた専門職大学という
高専のすごい番なんですかね
45:02
そうですね
あんまり聞き慣れない枠組みですね
専門職大学という
大学ではありつつ高度な
アカデミアではありつつも
そのトータルではやらなくて
割と専門職的なことをやる
そこのイノベーションとか
企業とかそういうのやりたい
っていう学校があってそこは
やっぱりその
元三菱電機の研究所に
おられた方がUターンで
新潟の方なんで
教授になられて
特別講師として
年1回2回呼んでいただいたんですよ
そしたらなんか
巻き込まり事故で客員教授を
ぜひっていうお話があって
ありがたくお受けして
この7月から始めることになったんです
リモートなんですけど
クアラルンプール在住のまま
リモートで講座するってことですよね
どういう形でやろうかなっていうんですけど
いろいろ刺激を
学生に与えられたらいいかなと思って
まあ力になる
自分ちょっと隣の県の長野県出身なんで
少しそこは
そうですね
いろんな方から
声をかけられてやるってことも
結構多いんですか
そうですね多いですね
断れない性格かもしれなくて
とりあえずやるんですね
もちろんそれが続かないケースもあるんですけど
やってみるっていうか
特に50歳過ぎたら
社会貢献をしたいと思っていたので
まさか教育
っていう分野はあんまり考えてなかったんですよ
柄じゃないというかどっちかっていうと
ワイルドにビジネスとか
ギークなこととか大好きなんですけど
意外とそれが求められるなら
代わり種の先生として
いろんな大学とか大学院で
価値がある呼んでいただけるなら
端っこでちょっと
頑張らせていただこうかなっていう
そういう主流ではないんですよ
決して授業も教えないし
範囲も取らせないんですけど
スパイスですよね
竹井さんのような方が教育現場にいらっしゃると
それはめちゃめちゃ
学生にとって刺激になるだろうなと思います
刺激を受けてでも結局
そこからああなるには
勉強しなきゃいけないっていう風に
先生が言いやすいと思うんですよ
あれで竹井さんNBA持ってるからみたいな
あれで竹井さんめっちゃ努力したからみたいな
多分そういうのに使ってもらえれば
いいかなって
目標とか
なりたい自分みたいな
自分の周りに大人と違うなと
面白そうだなと
でもあんな適当なやつだったら
自分はもっと上を行けるって思ってもらえれば
いいし
そのためにはめちゃめちゃ勉強しなさいと
結局
いい大学行った方がいいよっていう当たり前の話になるんですよ
はいはいはい
たしかにな
大谷翔平も難しいし
今時孫正義慣れてるでも
そこにやっぱりエアアジアで
飛んできた竹井さんが来るわけですよ
あれなら慣れそうだと
いいケーススタジオになるわけですね
あれならですよ
手が届くロールモデル
隣のお兄さん的なやつになりたい
それでも相当すごいロールモデルだと思いますけど
全然そんなことないですよ
48:00
全然抜かせると思うんですよ
学生さんには葉っぱをかけてるわけなんですね
そろそろお時間も迫ってきたんで
この後の
ビジョンといいますか
一つは社会貢献
教育の分野であると思うんですけど
どういったこの後の
今後の像を描いてらっしゃいますか
一つはやっぱり
自分が作った会社マーズフラッグを
もっともっと発展させて
すごいものにして
バトンタッチをしたいと思ってますね
なのでそれがイクジット
なのかどっかの国のどっかの市場に
上場させて
後継ぎを立てて
いわゆるパブリックカンパニーにするのか
それともイクジットをして
幸せになりそうな
顧客と社員が幸せになりそうな
イクジットなのか
僕がやるにせよ
若い素敵な経営者
候補者は社員がいるので
彼らに頑張ってもらうとか
それが一つでやっぱり
時間をかけてやってきて
自分が一番好きな会社なので
そこへの時間的投資とお金の投資をして
影響力を与えたい
というのが一つと
あとはやっぱり
もうちょっと教育の分野で
いろんな国の大学とか大学院で
いろいろやると
クロスで今やってることにも
役に立つかな
とか感じるし
ちょっと昔竹井塾っていうのをやって
うまくいかなかった部分もあるので
ちょっと大人版の竹井塾
とかっていうのもやろうかな
っていうことを今ちょっと竹井チルドレン
っていうファミリーって呼んでるんですけど
僕が18人メンターしてる
中から先輩格の5,6人が
自分たちがまた後輩を
やりたいって言ってくれてる女の子たちがいるので
その人たちが
事務方とかこういう
ポッドキャストみたいなのやってくれるので
そういう人たちと新しい
枠組みとかをやろうかな
とかそういうのも考えたり
しじゅくを結構積極的に
やっていこうってことですかね
自分なんかって思いもあるんですけど
親くん立つなら
好きな人に聞いてもらえばいいかな
ってことですね
いやいやわかりました
そこから尖った人たちがいっぱい現れそうだなって感じがしますね
かもしれないし
一人でもいいし
自己満でも最悪いいです
ありがとうございます
濃密すぎる人生の一端を
垣間見えた感じがいたしました
ということで今日はですね
マーズフラッグCEOの武井信也さんに
お話を伺いました
ありがとうございました
というわけでマーズフラッグCEOの
武井信也さんにお話を伺いました
来週もどうぞお楽しみに
ちなみに今回もご案内させていただきます
取材や収録ビジネスの裏話を
クロニクルサポーター会員の皆さん向けに
ボーナストラックとして配信しています
海外出張編は
合計で27本の出張裏話を
配信しまして
また現在はクロニクルのビジネスモデルや
ミッションについて語る音声企業編を
配信しています
この番組の制作費用はサポーター会員制度で
賄われておりまして
51:01
いつもサポートしてくださっている皆さん
誠にありがとうございます
もしこの番組に価値を感じてくださるリスナーさんは
まだでしたら是非サポーターへの加入を
検討いただけますと嬉しいです
概要欄にリンクを記載しています
ということで今日はこの辺りで失礼します
ニュースコネクトお相手は
野村貴文でした
番組の感想はハッシュタグカタカナで
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気に入っていただきましたら是非フォローいただけますと
嬉しいです
それでは良い週末をお過ごしください
51:32

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