1. ぼくらのスモールビジネス
  2. 【2023/09公開分】夜のお店経..

第11回のゲストは株式会社NOW ROOM代表の千葉史生さん。今回はスタートアップに目覚めるまでの過去のお話を伺いました。

【今回の内容】

起業と言えば飲食の時代に、夜のお店を経営 / 猛勉強の末、イギリスの大学院へ / クビの危機から逃れた奇跡の営業 / 空港で喧嘩し24時間拘束、イギリス追放 / スタートアップへの目覚め

【番組概要】

この番組は、型にハマらず自分の才能と個性を生かしたライフスタイルを送る方をお呼びし、その生き様に迫る番組です。 パーソナリティーを務めるのは、スモールビジネス経営者の渡辺孝祐と、クリエイティブディレクターの齋藤実帆。 感想は #ぼくスモ をつけてTwitterに投稿お願いします!

【SNSリンク】

◯パーソナリティ

渡辺孝祐 https://twitter.com/kosuke_coin

齋藤実帆 https://twitter.com/mihosaito_nsw

◯番組

Twitter https://twitter.com/oursmallbiz

00:03
はい、というわけで、前回に引き続き千葉さん2回目です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、初回はですね、スタートアップ、今やっている千葉さんに話を聞いてきて、
今何やってるのとか、スタートアップの話を聞いてきたんですけど、
最初はね、千葉さんもスモールビジネスから始めたっていうところで、
そうですね、スタートアップに至るまでの経緯、過去のお話をいろいろ聞いていけたらなと思いますので、よろしくお願いします。
お願いします。
えーと、まずどこから聞こうかなっていう話なんですけど、大学?
はい。
あれ?日本で大学?
日本です、はい。
ワセダ?
ワセダで行きました、はい。
で、新宿の…
え?
あ、その話だしね。
あれ?なになになになになになに?
まあまあまあ、いろんな商売してましてですね。
気になるー!
最初僕、一番最初ヤンキーだったんですよ。
え?
地元、マイルドヤンキーって知ってます?
まあ、なんとなくは。
マイルドヤンキーの典型的なタイプで、高校時代もそういう若干バカな高校。
え?相模原で?
相模原でも。
相模原のマイルドヤンキー。
相当レベルの低いところでして、
で、創立以来2人目くらいのワセダの勢いで。
あ、へー、じゃあすごいすごい。
どっかで切り替わった?
そうなんです、そうなんです。
ビリギャル的な感じのノリで、ヤンキーワセダに行くっていう感じで。
で、ワセダ行った後に、ちょっと学校がつまんなくってですね。
つまんないっていうのは、もっと刺激が強いことをやりたいなと思って。
で、新宿の歌舞伎町でですね、お店をやってまして、3店舗くらいですね。
え?
夜のお店をちょっとやりまして。
大学生の時に夜のお店?
どういうこと?できるの?大学生。
理由があってですね、僕もともと両親が教員なんですけど、
もともと先生になるつもりだったんですね。教育学部でしたし。
なんですけど、普通の先生になっても面白くないじゃないですか。
だから、突風しようもないことを語れる先生になりたかったんですよ。
ネタ満載の。
時にネタを集めなきゃいけないんで、変なことばっかりやらなきゃいけないなと思って。
で、友達に誘われるままに、夜の世界に飛び込んでですね。
6ヶ月くらいで、もう大学行かなくなりまして。
早っ!入学後6ヶ月?
サークル50個くらい入ったんですけど、バーって入って。
3ヶ月全部やめて、6ヶ月後にそういうとこに行ったっていう。
瞬発力やばい。大学入学6ヶ月目ってまだね、みんな大騒ごうしてる時期に。
行かなくなりましたね。
マジかー。やべーなー。
白いスーツ着てましたね。
やべーなー。誘った友達もやばいですね。
そうですね。友達というか、当時たまたま会って、明治と慶岡の学生の人だったんですけど、
たまたま仲良くなって。
怪しい。
怪しいですよね。
とても怪しい。
めちゃくちゃ怪しいですね。
で、夜のお店やる。
ちゃんと合法的な店なんですけど、全くとかじゃなくてですね。悪いことはしてないです。
でも教員のネタのためにそのお店をやってたけど、大学は行かなくなっちゃったんですね。
大学なんていつでも戻れるじゃないですか。行ってみれば。
03:00
確かに。
戻れるし、いろんな面白い経験した方が絶対役に立つなと思ったので、そっちの方向に行きました。
その後はお店を経営して。
お店を経営してたの?
やりました。プレイヤーとしてもやったんですけど、プラスお店もやって、お金を稼いで、プレイヤーとしてお金を稼いで、そのお店を出店費用とかに使って、
学生ってみんな暇してるんで、どうせ大したことしてないじゃないですか、みなさん。
なので、うちに手伝ってよって言って、面白いことあるよって言って、やっぱりキャッチですよね。
コンビニみたいなのやらせたら、ちょうど迷惑条例の前だったんで、もちろん合法ですけど、やって、それが大成功したんですね。
ガンガン増えてお客さんが。
それは女性のお客さんをキャッチして。
男性のお客さんです。
やばいやばい。やばいやばい。大丈夫かな。
それは学生に安いお金でバイトさせみたいな話?
成果報酬型ですね、完全に。
僕の時代って、今で言うマネーの扉とか、企業イコール飲食みたいな感じで、むちゃくちゃな時代だったんですよね。
ITスタートアップみたいなんじゃないのか。
なかったと思います。あったんですけどもちろん、全然そういう人たちとはかけ離れてて、泥みたいな世界だった。
泥みたいな世界。
根性みたいな感じだったので、そういうのが全然通用する時代だった。
そこでお金を作って、僕は元々ネタのためにやってたんで、そのお金を作ったら、次のネタですよね。
着地に行かなきゃと思ってて、残りの2人はそこで、今でも何かやってるみたいですけど。
僕はそのお金で海外に行くという選択肢を取った。
どこでイギリスの大学?
大学院。一応、院ですね。
院か。じゃあ日本の大学はそこで卒業してるんですか?
3年の時に戻ったんですよね。
戻って、1日だから全部、朝から晩まで全コマ入れて、大学院に行かないといけないんで、GPAでしたっけ、成績があって、それを3.6以上取らなきゃいけない。
全部、集とか優じゃないといけないみたいな感じのレベルだったんですけど、全部、クラスの先生の目の前で聞くくらいの感じで。
で、詰め込みで全部3年の時に取りまして、3.6超えましてですね、成績。で、そのままイギリスの大学院に向かった。
なるほど。
極端、集中力っていう感じで。
よくわかんない、もう。
で、イギリスの院に行って、そこで2年勉強?
本当は普通2年勉強するじゃないですか。でも、またこれもあるんですけど、つまらないと。
あーもう。
だって、イギリス勉強しても別に何になるんだと。何にもなるんですけど。
そうだね、なるから勉強するんだよね、みんな。
行った時に、なんかやっぱり違うことやらないと、なんかダメだなって思い始めて。
06:02
で、当時やっぱり韓国人の留学生の方とか中国人の留学生の方って、本当に死ぬ気で国を捨ててきてる人が多かったんだけど。
なんか韓国人の人って結構商売やってたんですよ、中で。イギリスでも既に。
で、日本人アイテムの商売とかしてて、なんかこれ僕にでもできるんじゃないかと思って。
もう半年ぐらい後に。
またかい。
商売始めてました。
何があったかっていうと、韓国人がやってることと全く同じなんですけど。
イギリスの現地の太田屋さん、オーナーさんにこういう声をかけて、これを借り上げるから貸してくれと。
全部、一棟ごと貸してくれと。
アパートみたいな。
アパートみたいな感じ。1Lとか4Lとかできるだけ大きいやつですね。
それを借り上げて留学生にまた貸しするっていう。
で、自分の家賃を浮かすとか。
せこいやつを始めまして。
で、自分の家賃が浮くじゃないですか。
浮いたら今度費用が浮くんで、そこでお金が浮くわけなんで。
それをまた何が使えるって言って。
それをレバレチックかせてやってたんですよ。
で、増やしていくみたいなことをやってまして。
そしたらそれがうまくいってですね。
別に大学院いいかなっていうふうに思い出して。
ポストグラデュエーターだったんですけど。
その時に、ただイギリスの頃にはビザが必要なんですよね。
なので、ビザを取るために動かなきゃいけないと。
これはどうしても自分じゃ取れない。なかなか。
スポンサーしてもらわないといけないんですよね。会社に対して。
就職だってなって。
勉強そっちのけで、9ヶ月分くらいから就職学始めるんですよ。
現地の。
勝手に。
卒業とかもいいわと思って。
コピペや。
で、始めて。
で、ガンガン落ちるんですよ。
だって非ネイティブですし。
僕にとって何のメリットもない。
で、僕思いついたのがハッタリだと思って。
やったのが、僕日本人なんで、IT系の会社に行って、
ここのシステム全部受注できますよ。
日本人のマーケット全部受けますみたいな。
ぐらいのハッタリ力。
でですね、なんと一社、僕を取ってくれる会社がありまして。
で、じゃあ入って頑張りますって言ってですね。
ビザを待つということになりまして。
もう1年実は行く予定だったんですけど、それもやめまして。
ポストグラデュレーション。
ビザ取れるし、いいかって思って。
で、やめましたと。
大学院をね。
そうですね。
一応卒業はしたんですけど、卒業も変えて。
2年のコースを1年で終了したと。
で、現地でビザを取って、めでたく就職という形になりました。
それが何歳ぐらい?24?
そうですね、24の時。
で、イギリスで?
働きつつ、これ上司に大目玉くらったんですけど、
僕その一番最初に挨拶するじゃないですか。
300人ぐらいいる会社なんですけど、
挨拶する時に、僕はもう起業しますと。
3年後にこの会社出てきますって。
生意気な奴じゃないですか。
入社初日に何をっていうね。
勉強もしてないし、何も結果も出してない奴が、3年後に辞めますと。
お?みたいな。
09:00
で、やっぱムカついてるわけですよね、上司とかはやっぱり。
さすがに。
ふざけんじゃねえと。
ムカつくっていうか、もう困惑。
どうしようみたいな。
新人類来たみたいな。
そこはですね、外資系なんで、ちゃんと目標設定があるわけですよ。
で、目標設定いかなかったら、もう速攻首切れる状況になって。
2クォーター、1クォーター4ヶ月。
半年。
で、2クォーター見た時に、結局は達成しなかったら首切れるっていう契約になってるんですね。
で、やられたのが、リスト渡されて法人の。
はい、頑張ってくださいっていう。座学とか一切なし。
もう営業して仕事とってこいみたいな。
お前行っただろっていう感じなんで。
で、やったと。
やったんですけど、結果出ないんですよ、全然。
出なかったんだー。
それはハッタリですよね。
ハッタリオンイヤンっていう話で。
本当にできず。
これ危ねえっていうことで。
すごいなー。
1クォーターおった時に、やばいですねと。
もう君、ないねってなって、次ミスったら首伸びくらいになったんで。
こんな企業とか言ってる場じゃねえぞと。
まずこの国に残らないといけないと思って。
そこから僕は、当時、京都大学がロンドンに研究所を作るっていうニュースがたまたま流れてたんですね。
これだと思って。
このシステム全部うちで受注できればなんとかなると思って。
そこでですね、京都大学に連絡を取りですね。
自分の。
で、そこでなんと初受注することができたんですよ。
すごい。
しかも兄弟から。
兄弟から。
で、それを皮切りに結構日系企業に対して、こうやって売ってけばいいんだってのが分かってきたんで。
すごい。
そこからちゃんと目標達成してですね。
首の皮がつながりまして。
やば。
で、と同時にですね、僕。
よし、これはもう企業いけるんじゃないかということで。
会社5時に終わるんですよね、だいたい。
イギリスなんで。
で、休みめちゃめちゃ長いんですよ。
休休も取るし。
たまバケーションみたいな。
そう。
だからもう1ヶ月が普通に休むんですよ。
だから全然やる時間あるわけじゃないですか。
で、5時に帰るしっていうんで。
だからそこで、まあ所属とは僕は始めましたですね。
もともと僕がサブレットしてる賃貸物件があったんで、そこで出てる収入もそうですし。
会社の目の前に住んだんですよ。
会社の目の前に家を借りて、そこもさらにサブレットでして。
自分は家賃払ってないと。
で、みんなに貸してる状態なんですけど。
で、そこで得た収入はポンドですよね。
ポンドがたくさん増えてきましたと。
で、当時リーマンショックちょうど翌年だったんで。
超絶な円高になったんですよ。
1ポンド255円。
やば。
255円から1ポンドあたり120円ぐらいになったんです。
で、もうバカバカいわゆる小売店とかブランド店がどんどん潰れ始めてきたんです。
リーマンショックだったんで。
これはチャンスだと僕は思って。
その持ってるポンド、黄色とかのポンドも全部使って、
現地のイギリスのブランド店のものを全部買い占めたんです。
全部くれって言って。
その他で安くしてくれって言って。
で、それを使って、当時いわゆるヤフオクとかカラーミーショップとかやってたんですけど。
12:00
ヤフオクとかももちろん出すんですけど、手数を取られるじゃないですか。
だからカラーミーショップっていう。
GMO、今フェバボムみたいなのがあるんですけど。
あれを使って自社ショップを作ろうと思って。
でも僕プログラミングできないし、デザイナーでもないんで。
現地で流行してるワーホリの兄ちゃんとかを捕まえて、掲示板に出して。
ちょっと作ってくれる方募集みたいな感じで、料金多そうだみたいな感じで。
来た兄ちゃんを捕まえて、ちょっと家困ってないとか言って。
俺の家包まわしてやるから、タダで作ってよみたいな感じで。
安く作ってもらい。
そこでイギリスで買い占めたものとかをガンガン出したんですよ。
そしたらパカパカ売れ始めて。
恐ろしい。
ものがすごい貴重な時代だったんですよね。
ブランドモンとかにみんな価値を見出してる時代だったんで。
ネットでそんな気軽に買える時代でもないよね、たぶん。
だからもうガンガン売れてですね。
で、月初で5000万ぐらいまですぐにパンっていって。
すげえ。
なおかつ利益がめちゃめちゃあるみたいな感じで。
月初5000って相当。
月初5000すぐいってですね。
しかもまだ勤めてから1年半も経ってない。
やばい、やばい、もう怖いよ。
どんどん行き始めて。
その金を使って、今度円が稼げるわけじゃないですか。
で、円を今度ポンドに変えて。
その変えたポンドをどんどん今度物件を借りまくるんですよ。
借りまくったらまた今度ポンドが増えるわけじゃないですか。
そのポンドで買い付けをして、また円を増やすっていう。
この両立人でやりまくってですね。
1年と9ヶ月ぐらい、10ヶ月ぐらいで、なんとイギリスのロンドン、ゾーマンっていうど真ん中なんですけど、
家を買えるぐらいのお金がどんどん貯まってきました。
それ何億?
1.5億ぐらいなんですけど。
すごい、そのままイギリス支配できちゃいそうなレベル。
で、もう辞めたると本当に。
2年行かない間に、もうすごい調子乗ってたんで。
もう会社に行くよりも自分で独立しようっていうのと、自分でビジョン取れんじゃないかと。
ここまで来たら。
会社自分で作って自分でスポンサーすればいいと思って。
で、辞めますと。
辞めちゃった。
家買ったんですよ。で、家買って辞めたんですよね。
家ってすごくイギリスは重要で、すごい大きな担保になるんですね。
不動産っていうのは。
なるほどね。
ロンドンで特にすごい担保になるんですよ。
で、信用力もなるし。
当時イギリスにいた経営者から、家やったら本当安泰だよって言われたんで。
じゃあそれをもっと言って、その副収入で会社の支払いとか全部できるぐらいの収入を持ってから辞めようと。
当時3倍って言われたんですよね。
会社員時代の収入3倍を超えたら独立してもいいよっていう仕様があったみたいで。
それを僕は学びにして。
それが定期的に入ってくるものがあれば、潰れることないじゃないですか。
それで辞めたっていう感じです。
辞めた時は別に次当てがあるとかいうわけでもなく、起業しようっていう気持ちだけで。
そうですね。自由になろうとか。
15:00
自由になろう。
9時、5時とりあえず解放されて。
そうですね。自由にプラス、なんかそれから自分で本当に集中できて、私でも作れるんじゃないかっていう。
それで辞めたわけです。
じゃあそれが20。
そうですね。27、8ぐらいですね。
このスピード感息切れする。
その後またオチがありまして。
これは僕の中で第2章なんですけど。
第2章。
第1章は学生時代の、第2章がイギリスの話なんですけど。
調子乗ってたわけですね、めちゃくちゃ。
家も買って自由にできて、自由な時間もあるし。
受験の方もちゃんといて回ってたんで。
通常イギリスに帰ってくる時に片道チケットで帰ってくるわけですよ。
で、イギリスでちゃんとビザも取って受験みたいなのがあったんで。
当たり前じゃないですか、そんなの。
で、ある時日本から帰ってくる時に、もちろん片道チケットで帰ってくるんですけど。
片道チケットって普通アジア人ってなかなか取らないですよ。
怪しいじゃないですか。
英語も別に非ネイティブなのに。
それで入居管理局の方がすごく怪しいんだんですよね。
どっちで大丈夫かと。
何やってんだと思って。
すごいね、めちゃめちゃ質問みたいなのされたんですよね。
こんなに僕がね、5年ぐらいもいるわけじゃないですか。
なのにこんなに質問されるのかと思って。
ちょっと若かりし頃だったんで、カチンと来まして。
そこでですね、喧嘩しちゃったんですよ。
ふざけるなと。俺がこのイギリスにどれだけ税金張ってるか分かってんのかみたいな。
そしたらブチギレて向こうが。
ちょっと裏切ってもらっていいかな。
そっからなんと24時間拘束されまして、強制逮捕。
国外通用みたいな感じで。
結構気軽にそういうことできちゃうものなんですか。
後から分かったんですけど、イギリスの警察はむちゃくちゃ厳しいですし、世界一厳しいというか、強いと言われてますね。
ヒースホーク空港とかでも、当日ライブがあるようなバンドメンバーとかサッカー選手とかも普通に返されてるんですよ。
それぐらい結構有名だったんですけど。
それ僕知らずに、調子乗った感じで行ったらやっちゃいました。
サッカー選手でも返らされるんだったね。
僕みたいにソックアウトなんで。
それ切れなかったら良かったのかな。
そうです。
すいません。
ごめんなさい。
やったら良かったんですけど。
調子乗ってたから。
調子乗ってた。
何でこの野郎って言っちゃったんだ。
24時間以内に僕はイギリスを出ることになるんですけど、24時間拘束される牢屋みたいなのがあって、中東の方とか中国の方とかたくさんいらっしゃって、
完全にそっち系の扱いになっちゃったなというところで、
すぐにイギリスにいるNo.2に電話かけて、
俺もイギリスにいなくなったと。
会社頼むわという形で出てですね。
その後3年間くらいかけて、ちゃんと証書をしまして。
弁護証を使って。
国にちゃんとかかったんですよ。
なんで一応、何の問題もないと。
じゃあ今は普通にイギリスに入る。
良かった。
何の問題もないんですけども。
その後僕、そこでちょっと拗ねちゃいまして、
なんだと。
18:00
可愛いな。
しかも日本にも帰りたくない。
可愛い。
恥ずかしいと逆に言うと。
あんだけブイブイしたらね。
シュンみたいなね。
日本に帰ってもネタがないと思ったんで、
アジアをフラフラしようと。
もともと30になるまでは海外にいたいと思ったんですよ。
ブラブラしようと思ったんで。
で、シンガポールとかアジア圏とかいろんなとこ行ってたときに、
渡辺さんに。
そのタイミング?
あったって。
シンガポール。
シンガポールで実は一緒に住んでた。
共同生活を送ってたんでしょう。
1、2ヶ月かな。
1ヶ月ですね。
で、イギリスから来た手を押したんですけど、
実は追い出されたっていう。
でも初めて聞いた。
面白すぎる。
格好悪すぎて言えなかったっていう。
当時は。
なるほど。
そのときでもイギリスの会社とか、
その不動産とかは持ち物ではあったんですか?
それも全部ダメになっちゃったんですか?
一応持ち物ですね。
そうなんだ。
で、他人に取られずに、
僕だけ入れないっていう。
持ってるけど入れない。
で、現地にいる方が全部事業も回してくれて。
じゃあお金自体はそこで入ってくるはくる。
そのお金を僕はちょっと銀行で引き出しては。
アジアでちょっとぶらぶらしてるみたいな。
すごいな。
そのときに。
やっちゃった。
あれ、で、転送ユーロは?
転送ユーロもヨーロッパの事業なんで、
現地にいる彼が回してたっていう。
いつもの彼が。
転送ユーロっていう事業をやってて、
その事業の宣伝のためみたいな感じで、
船原さん会に宣伝しに来たんですよね。
来ました、船原さん。
もう毎回出てるねって。
で、そのときに僕が初めて出会って、
すごい面白い人いるなと思って。
そうなんだ。
この間ゴロさんがやってた、
途中からやりだしたコミュニティ運営やったっていう。
そこにも招待選手みたいなのいたよね。
そうなんだ。
MBSっていうとこに僕は行って、
自分のサービスも広めたかったなっていうのがあって。
多分僕はお金払って普通に参加者としていたんだけど、
ちばさんはたまに来る宣伝しに来るお兄ちゃんみたいな。
転送サービスの宣伝をしに来るお兄ちゃん。
そうそう。
でもたまに来たらめっちゃ面白い人だったんで、
この人面白いなってずっと思ってたみたいな。
最初はそんな感じ。
その後に僕は船原さんのところに転職して、
シンガポール住みだしたら、
なぜかちばさんが来たみたいな。
家がなかっただけですね。
住ませてよちょっとみたいな感じで来たんですね。
で、僕も船原さんがずっとシンガポール住んでたのに、
僕も日本帰りますじゃみたいな感じで聞いて、
え?みたいな。
テンションわかりやす。
でも家の契約まだ残ってるから住んでもいいよみたいな。
だから2人で大合定みたいな。
すげー。
そうそう。
っていうことがあって。
面白すぎる。
で、アジアではプラプラしてた?
プラプラしてましたね。
いろんなとこに行ったりとかしてた。
大体フィリピン?
フィリピン、たまにホーチミンとか。
あ、ベトナムも一緒に行ったんだよ、だから。
楽しそう。
21:00
そうそうそう。
ただただそういうプラプラしてましたね。
すごい。
金に困らなくなるとこういうことするんだね。
アジアなんでお金かかんないですよね。
まあね。
安いんで。
そうかそうか、そういうのもあるんですね。
そこがですね、そこでプラプラしてましたら、
日本でそういうスタートアップがすごく流行ってきました。
いわゆるお金を調達して大きく攻めるみたいな。
これは面白そうだなと思って、
僕は当時日本に2015年に帰りました。
15年か。
はい。そこで日本に本気に帰国したという感じですね。
そっからディスカバー?
そうです、はい。
ちょっと説明してもらって。
クラウドファンディングのサイトなんですけども、
当時は幕開さんっていう会社がクラウドファンディング始めたばかりぐらいの、
1,2年ぐらいのときとして、
当時ここで、いわゆる輸入商材。
で、日本初のものを売ったら流行るんじゃないかっていうアイデアが浮かびまして。
はいはい。
それでやったらですね、当時1000万円超えるプロジェクトって0.1%くらいの時代だったんですね。
100万いったらすごいよみたいな感じなんですけど、
なんと僕が出したプロジェクトが2300万ぐらい売れたんです。
でかい。
大ヒットしまして、それで。
ちなみに何のプロジェクトだったんですか?
イタリアの時計だったんですけど、木の時計。
なんか前にその話聞いたぞ、木の時計。
おそらく船原さんの時に聞いたじゃん。
聞いた聞いた。
そのクラファンバブルみたいなのの走りをやったのは千葉さん。
やべえ。繋がった。
木の時計の人だったのか違った。
言うたらね、そのもの自体はさ、まあまあいいものなんだけれども、
そんなものすごい特別かみたいなロレックスとかバテックフィリップンみたいなやつは全然ないですよと。
で、もうなんか一個一個木で作って、
イタリアの人が手作りで作って、でかっこいいプロモーションビデオとかも全部あったんだよね。
そういうのをちゃんと説明して売るみたいなモデルがめっちゃ当たったんだよね。
で、クラウドファンディングで。
ストーリー作りもできるんだ。
音楽作るとか本作るとかそういうなんかクリエイターの支援の場所みたいなところが、
あれ?なんか物販できるんじゃない?みたいな。
走りですね、ほんと。
当時、幕開けの代表の方に呼ばれて、成功した何名かみたいな。
呼ばれたときに、僕とノットっていう時計の社長の人と、
あとは今D2Cでのスーツのやつって森さん?
ファミリー東京さんの森さんと、で僕と。
すごいな。
集められて、これからのクラウドファンディングを語ろうっていう感じだったんですね。
で、僕いいなと思ってたんですけど、
僕はなんかその、自分でクラウドファンディング作っちゃおうかなっていう。
おや?
思い始めちゃったんですよ。
なんかその、こういう購入型に特化して、新しいものに特化したものをやれば、
なんか僕でもできちゃうんじゃないかぐらいの感じで。
そういう悪い性格というか。
思いついちゃったわけですね。
思いついちゃったらやらせられないね。
もしくは一緒に頑張ろうっていう感じでやろうと思ったんですけど、
やっぱりサイバーの資本が入ってたんで、
24:00
それなかなかできないじゃないですか。
なので、じゃあもうやっちゃおうと思って、
エンジニアの人をちょっと採用して作っちゃったわけですね。
そしたらそこそこ僕も影響力があったんで、
海外の、いわゆる面白いプロダクトにガンガンもう最初からアプローチをして、
どんどん壮大展を取っていったんですよね。
イエーイ。
例えば日本で言うと、ドビーっていうドローンとか色々やってる会社とか、
あとはXiaomiとかっていうでかい会社じゃないですか。
毎年直に僕が交渉しに行って、もうそこで大展取っちゃうぐらいの感じでやってたら、
売れるわけじゃないですか。
キャッシュレーションがガンガン回ってきて、
特に資金調達もせずに、
そのままとあるうちを上回したか、
1年と8ヶ月後に興味持っていただいて、
で、バイアウトしたという形になります。
スピードか。
それがデスカバっていうサイトだったんですけど。
なるほどね。
なんかすごい面白い、なんていうのかな、
行っちゃうんだよね。
やっちゃうんだね。
ノンブレーキでさ、確かに面白いプロダクトあるなーみたいな。
確かにこういうところに声かけて壮大展とかいっぱい取って、
それを自社プラットフォームで売ったら面白いなーぐらい思いつくじゃん。
思いつく。
やっちゃうから。
思いつきながら多分手動いてますよね。
怖っ。
やっちゃうけど、確かに当時からでもさ、
千葉さんがトップ営業もするけどさ、
結構フィリピンの英語できる人材とかめちゃくちゃ使って、
そこはもう自分でやるところと人に振るところを結構分けるというか。
なんなのそのスピード感。
怖い怖い。
やっぱそのスピード感は一人でやってると多分出ないから。
そうなんですよ、まさに。
一旦自分でやったら再現性できるじゃないですか。
いやいや、一旦じゃできないよ。
やってみて。
テンプレートに落として、じゃあどうやってねっていうのをやってましたね。
よくわかんないよ。もうダメだこの人。
やばいやばい、スピード感がやばい。
でも結構PRとかも上手くいって。
そうですね、上手くいって。
うちに、
あ、そうだ。
そう、あれあれ、電動空気入れみたいなやつ。
だからビーチボールとか簡単にぺちってやったらボーンって膨らませれるやつ。
なんか今普通に多分売ってるんだけど、当時なかなかなくて。
で、それをNHK取材したいっていうからちょっと渡辺さんみたいな感じになって、
じゃあいいよって言って。
うちの子が1歳くらいの時にベランダでこれをNHKのビーチボールとか小さいミニプールを膨らませて、
すごい便利ですってうちの子がめっちゃ可愛くキャッキャッキャしてるっていうのを全国ネットで映してくれて。
いろいろメディア受けがあったんで、なんか取材とかいただいたんですね。
新しいプロダクトなんで、なかなかやっぱり。
でもNHKすごいっすね。
PRタイムズってあんまりみなさん使ってなかったんですけど、僕が結構自分で言うのはハックしたかなと思ってて。
クラブマンでやるときに絶対みんな雑誌載せたいとか書けたりするってお金かかるじゃないですか。
27:00
じゃあどうやってお金をかけないでやるかっていうと、クラブマン使うっていうのとプレスリリースを移っていこうと。
この2点を特化してやったらほぼお金かかんないですよね。
確かに。
その2つで巻き上げの商品をバカッてやったんで、じゃあこれそのままうちでやりまくればいいじゃんって。
毎日1回プレス打ってたんですよ。
新しい商品出しますって。
そしたらガンガン食いついてくるんで。
雑誌ガガン載ったりとか取材してもらったりとかして、広告金もかけずにどんどん売上が上がっていくっていう。
でもそこでやっぱり目新しいものを見つける力がやばいですよね。
アイデアとか好きなんで。
そこですよね。プレスリリースも打てばいいってものじゃないですか。
それがやっぱすごいなって思っちゃいますね。
知恵やね。
クラファン時代みたいな。
だからそれ1回バーイアウトしたんだよね。
そうなんです。
売っちゃった。
売りました。
そしたら?
売ったんですけど、売ったらもちろん次やりたくなるわけじゃないですか。
なのでロックアップ時期っていうのがあって、売った後はもちろん社長会長やるんですね。
でもその社長もすごく意識って早くて、もう30分だったんですよ、ミーティングが。
で、ヒカリの上で会議してたんですけど、もうサンダルみたいなの着て、ペラペラのTシャツで。
で、30分経ったらもう買うわって言って。
で、持ってかれて、あれ?みたいな感じで。
めっちゃ気合い入れてプレゼンみたいな。
めっちゃこれが来たぞみたいな感じで。
買うわ。
もうそれ終わってその後も全然会ってないぐらいな感じなんですけど。
そうなんだ。
で、あの副業やっていいですかって言ったらいいよって言われて、じゃあ副業やろうと思って。
で、新しい時期も立ち上げながら両方やってたっていう感じなんですよね。
で、その副業が今のこの。
今のルーム。
NOWルーム。
NOWルームの元になったもの。
なるほど。
やっと今のビジネスまでちょっとでつきましたね。
濃いなあ。
でもなんかやっぱこう、ディスカバーまでは全部ね、自己資金で。
だからさ、もうめちゃくちゃちゃんと売上立てるのが上手なわけじゃん、営業できるし。
もうね、もうね、できてるできてる。
だからそんな別にNOWルームもさ、自分、自己資金で回そうと思えば多分できたわけじゃん。
そうですね。
自分でこう、自己資本入れようと思ったのかなみたいな。
やっぱスピード感と、最初僕らCM系のプラットフォームなんで、
Winner Takes Allっていう言葉があって、
勝者が全部総取りするっていうのがリブ業界の常なんで、
例えばまかげさんとかキャンパイヤさんとかそうですけど、
まあむちゃくちゃマーケ費用とか国費を使うわけじゃないですか。
それでとにかくナンバーワンを取るっていうのをやったんで、
そういう形でやんないと、そもそもサービスって広まんないよねっていうふうに、
旗から見て思ったので、どっちに振ろうと思ってですね。
で、次は最初から調達しようと思って調達したという感じですね。
いや、なんか軽く言うけどね。
調達しようとみたいな。
クロージカ結構得意だったんで、最初から僕売った資金を使って、すぐ始めたんですよね。
ホテルの無人運営事業を始めて、
そこそこ1期目からクロージで3億、6億、9億くらいの状況で立てたんですけど、
30:02
なぜかというと、不動産って一回借り上げて稼えばそこそこ売り上げてるんですよ。
結局資本の問題で、借り上げ資金があるかどうかの話になって。
最初のね。
そこを最初から借り上げちゃって、お金使って、やっていけば結構伸びてったんですね。
なおかつ台湾のむちゃくちゃ金持ち、フォーブス3位くらいの社長とまた知り合ったんで、
台湾に直でプレゼンしに行って、日本のこのホテル、君が建てるホテルは君とか言わないですけど、
あなたが建てるホテルは全部僕に任せてくれって言うんで、イエスってもらったんですよ。
だから順々に増えていくんですね。
新宿、浅草、京都、大阪、北海道みたいな感じで、
数百日くらいのホテルがどんどん僕らの運営の中に流れてくるんで、
これは売り上げ上がるよねって言うんで、やってたんですよ。
そしたら、コロナ来ちゃって。
来ちゃった。
すぐにピボットしたというか、実はコロナの前に僕はホテルが増えすぎて、
宿泊単位が下がってるから、ピボットするって投資家に言ってたんですよね。
で、アプリを作ると。
そのアプリは、食いしとりと生まれるアプリを作りますっていうプレゼンをしてたんで、
それで一億超達したんだけど、やってたんで、
最初はなんでその手堅いのを話すのかなって言われてたんですけど、
コロナが来たんで本当に、僕はポシャッてたんで、うまくピボットできたっていう。
ヤッバ。
じゃあ、偶然っちゃ偶然だけど、コロナ前に割と事業展開できた。
オリンピック終わったらやばいんじゃないかなと、稼働率が。
それぐらい増えてたんで、ホテルの審判とか。
オリンピックに向けてって感じだった。
そうですね、確かにね、オリンピックに向けてって感じだった。
オリンピックの手前でコロナ来ましたからね。
結構限界きてたな。
すごいな、引き際。
引き際結構大事ですね。
やるよりも引くほうが大事かもしれないですね。
そうなんだ。
やめるっていう選択肢が皆さんできないんで。
それってやっぱり、頂点に行く手前みたいな感覚なんですか?
例えばさっき言ったホテルの法案率みたいなのが、もうこれ以上だと。
そうですね。
もうヤバそうだなっていうのは感覚値というか、分かるじゃないですか。
引き際というか。
感覚値って数字見て感じるんですか?それともなんか。
でも数字は出てますよね、如実に。利益率が下がったりしてますし。
自社の数字でってことね。
そうですね。
全然埋まらないなとか。
そうですね、そういうのもありますし。
その辺の感覚ヤバそう。
そうですね、なんかそういうので。
スピード感についていけないのと規模感がヤバいっていうのも。
だいたい2,3年で次のことやってって感じなのかな。
そうですね、だいたい今はそんな感じですね。
ナウルームも次?
でもだいたいそれぐらいのスピード感というか成長は要求されるんですよね。
特に投資を受けるとね。
だいたい投資の回収期間ってファンドだと10年ぐらいなんですね。
なので10年以内にだいたい20倍とかにしなきゃいけないわけじゃないですか。
確かに。
1億だったら20億にしないといけないんですよね。
10年で20億なんで、年によって25倍ぐらいの年で返しなきゃいけないんで、
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そうなってくるとやっぱりそれぐらいのスピード感でやらないとダメっていう。
なんかその自己資金でも十分儲かってたわけじゃないですか。
でもそういう10倍っていうもっと高いところに行こうっていうのはやっぱりチャレンジ精神みたいな感じなんですか?
2つあって1つがそのチャレンジですと。
もう1つが結果的にその方が事業って安定するんですよね。
パイ1回取っちゃえば。
でかい船の方が沈まないみたいなそんな感覚。
1回取っちゃえば。
Yahoo!って潰れないじゃないですか。
そうですね。
楽天も潰れないじゃないですか、そこそこ。
そこそこ。
で、もちろん新しいチャレンジしてるからさらに楽天モバイルとか。
楽天モバイルやらなかったら100年ぐらい続く会社だと思うんですよ、余裕で。
確かに。
営業利益とかもそうですけど。
孫さんもチャレンジしてるからですけど、じゃあ1つに絞ったらまあ潰れないですよねっていう。
まあね、ドコモみたいなもんだからね。
そういった意味ではある意味後者の方が賢い。
潰れないという選択肢とか安定性とか。
さらにそこでどんどん強くなってくるんだプラットフォームっていうのはね。
そういう2つの戦略があるかなと。
なるほどなあ、すげえなあ、怖いなあ。
怖い。
もう同じ人とは思えない。
こんな人間もいるんだみたいな、そういう感じすごいなあっていう。
面白いね。
超人?
超人?
いや、どうですかね、でも普通に直感に沿って結構。
直感に沿って。
生きる直感に。
教師のネタになればいいと思ってたのが。
かなりネタ作ってたかなと思って。
ネタバカになっちゃいましたね。
そろそろ教師になります?
そろそろ教員になりますね。
あ、ほんと?
なるの?いつなるんですか?教員。
それは未来の話。
そうですね、次の回で。
はい、というわけで今日は千葉さんの過去の話。
バリウミーだったね。
根本さんが息切れしてますが。
次回は千葉さんゲスト最終回なので、今後どうしていきたいのみたいな話をできたらなと思います。
今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
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それでは本日もありがとうございました。
ありがとうございました。
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