【土曜版 #97】日本は「社会通念」で裁く国。世界の法廷を見た弁護士が語る、日本の司法制度(ゲスト:原口侑子さん)
2026-10-10 1:04:37

【土曜版 #97】日本は「社会通念」で裁く国。世界の法廷を見た弁護士が語る、日本の司法制度(ゲスト:原口侑子さん)

今回のゲストは弁護士・法人類学研究者の原口侑子さんです。世界数十カ国の裁判を傍聴した記録を『ぶらり世界裁判放浪記』にまとめ、現在はアフリカの法人類学を研究されている原口さんに、世界の多様な裁判の姿や、そこから比較される日本の法制度の特徴について伺いました。日本では「社会通念」が判決に影響しますが、その意味合いとは。人質司法、有罪率99%といった、注目されるトピックまで、じっくりと伺いました。 

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原口侑子/弁護士・法人類学研究者

東京大学法学部卒業、大阪大学大学院法務研究科修了。2008年弁護士登録。日本の大手法律事務所を経てバングラデシュでNGO業務に従事。その後、新興国での社会企業支援・開発調査・法務調査等に携わる。現在はロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)にてアフリカを対象とした法人類学を研究。著書に『ぶらり世界裁判放浪記』など。これまでに世界140カ国を訪問。

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サマリー

弁護士・法人類学研究者の原口侑子さんが、140カ国を訪れて傍聴した裁判と、アフリカでの研究をもとに、法や裁判の多様性を語る。ザンビアやケニアでは、制定法上の裁判所と、長老や伝統的ルールによる調停が並存し、土地紛争や近隣トラブルでは謝罪や家畜・農具による賠償が重視される一方、権力者によるハラスメントを訴えにくい弊害もある。エチオピアの流れ作業のような裁判、バングラデシュで川に法人格を認めた訴訟、ルワンダのコミュニティ法廷など、各国の制度が紹介される。日本の近代法はフランス・ドイツ法や戦後のアメリカの影響を受けたハイブリッドだが、判決では社会通念や国民感情が曖昧な根拠として使われることがある。選挙年齢、不妊手術の配偶者要件、選択的夫婦別姓や同性婚などを例に、社会通念を使うならその中身を精査すべきだと原口さんは指摘する。人質司法や有罪率99%については、起訴前の検察官によるフィルターや、保釈を制限する運用が背景にあると説明する。日本では裁判のオンライン化や制度改革が進みにくい一方、ルワンダでは村の店舗を拠点にオンライン手続きを支援している。さらに、日本の司法は裁判所への物理的アクセスよりも、審理の公開や市民との心理的距離を縮める「質」の議論が必要だと語られた。

法人類学とアフリカの多元的な法
原口侑子さん)結構やっぱり素人目には、裁判所ってその法律の条文に基づいて、これが白です、黒です、あなたが悪いです、みたいな話をやってるのかなと思ったら、実際には社会通念、国民感情、道徳、伝統みたいなものが理由になって、こう判断が下されるっていうのがよく起きてるんですね。 野村高文。そうなんですよね。
なんとなく日本社会全体そういうところあるような気がするんですけど、空気に支配されるというか、法律はもうちょっとロジカルにというか、納得する形で判断してほしいなとは。 原口侑子。やっぱり日本で争い事を解決しようとする時に人権って言ってもあんまりピンとこないことも結構あるんじゃないかなと思っていて、それより平等の方が日本人にピンとくるみたいな。
こんにちは、パーソナリティーの野村高文です。本日のゲストは弁護士の原口侑子さんです。原口さんはこれまでに世界140カ国を訪れ、各国で裁判を傍聴した様子を綴った、ブラリ世界裁判法浪記などの著書で知られています。
現在はロンドン大学でアフリカの法人類学について研究されている原口さん。世界と比較してみえた日本の法律の姿、日本の法制度の特徴について伺いました。
それでは本編をどうぞ。
クロニクルの新番組、うちの採用、経営と採用をつなぐお悩み相談ラジオが今週よりスタートしました。テーマは文字通り採用です。
私も小さい会社を運営する身なんですが、どういう人にどうやって仲間になってもらうかは会社の将来を左右する重要な問題です。
そこでこの番組では、採用戦略、ブランディング、組織作りなど様々な切り口からお悩みを解きほぐしていきます。
MCは株式会社トラックレコード代表の芹川太郎さん。プロとして現場感のある色派を語っていただきます。
相方役は芹川さんの元同僚であるUI UXデザイナーの小林香菜さんが務めます。
毎週通う配信、概要欄のリンクからぜひお聞きください。
それではゲストをお呼びします。弁護士の原口優子さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
原口さんのプロフィールをご紹介させていただきます。
東京都のご出身、東京大学法学部卒業、大阪大学大学院法務研究科を修了されます。
2008年に弁護士登録されまして、日本の大手法律事務所を経て、バングラデシュ人民共和国でNGO業務に携わられます。
その後、弁護士として法務案件のほか、新興国での社会企業支援、開発調査業務、法務調査等に従事されます。
現在はイギリスロンドン大学東洋アフリカ学院で、アフリカを対象とした法人類学の研究をされています。
著書にブラリ世界裁判法論記などがありまして、これまでに世界140カ国を訪問されています。
はい、ということで。
はい、ありがとうございます。
世界140カ国を旅した弁護士でいらっしゃるということですね。
はい、そうですね。バランスよくいろんな大陸を旅したんですけれども、やっぱり今研究対象にしているアフリカは結構回って、
でも結構回ったって言っても、アフリカ54カ国中32カ国くらいなので、まだまだという感じではあるんですけれども、
アフリカ大きいので最近地図も変わってメルカトル図法を変えるみたいな。
やっぱりアフリカを本来の見える大きさにしようみたいな、アフリカの国が提言したことが、アメリカ以外の大体の世界が賛成して地図変えようってなったんですけど、
結構やっぱりアフリカ広いので、30何カ国行ってもまだまだ知らないことがいっぱいあるし、一つの国の中にたくさんの民族がいたり、たくさんの言語があったりとか、
たくさんの法律があるみたいなことにすごく興味を引かれて、今の研究をやっているというような形です。
そういうことですね。原口さんがいろいろな国を回って、各国の裁判を傍聴したっていう、それが著書のブラリー世界裁判フォローで、これコンセプトがめちゃくちゃ面白いなと思いました。
本当ですか、嬉しい、そうなんですよ。
であれでしたね、読めば読むほど、日本の裁判っていうのはもちろんあるんですけど、裁判という姿って本当に多様なんだなっていうことを感じるような一冊でしたね。
ありがとうございます、読んでいただいて。
なので今日は、ご著書の内容と研究内容ですね、そして海外を見ているからこそ見える日本の法制度の特徴というのを伺っていきたいなと思いました。
まず研究内容を伺いたいんですけど、ロンドン大学東洋アフリカ学院で法人類学、しかもアフリカを対象とした法人類学ということなんですけど、これがまずどういったものか伺ってもいいですか。
はい、法人類学っていうのは一応人類学の中の一分野とは言われているんですけれども、法律が社会でどう使われていたり、どういうふうに人に届いているかっていうところ、法から社会もそうですし、社会から法、社会や人々がどういうふうに法を作ったかっていう、そういったことを見ている学問とは言われるんですけど、
日本って法社会学っていう学問があって、その法律の背景の社会がどうなっているかとか、そういった研究が結構されてきていて、あんまり法人類学っていうのがメジャーな学問ではないんですよね。
なので、割と日本で言うとどう違うのみたいなことを言われるんですけど、そういった法の社会での使われ方とか法の作られ方みたいなのを、人類学って産与観察っていって、そこに住んで、その人たちと同じ暮らしをしながら研究していくっていう、エスノグラフィっていうものを使った学問なんですけれども、
それの手法を用いて研究するのが法人類学であって法社会学とも違いだよとか言ったりはするんですけど、でもやっぱり日本であんまりメジャーじゃなかった、今までっていうのは、その法社会学が強かったっていうのが一つと、
あとやっぱり人類学が文化人類学って結構民族学的な学問だったので、あんまり組織を研究するみたいな職が薄かったというかすごく境界分野になっちゃってたっていうのがあるのかなと思っていて、ただ私がイギリスでやっているとその人類学自体を総称するのがソーシャルアントポロジーって言って社会人類学って言うんですよ。
アメリカとか日本って文化人類学って言うじゃないですか。 そうですね、まさにそのイメージ。 それがなんで違うのかみたいなのをやっぱり最初にイギリスで勉強し始めた時に聞いたら、ルーツが違うっていうのがあって、ルーツの学者が違うっていうことと、あともともとイギリスはその植民地を世界中に持ってて、植民地支配のために、すごい闇の部分でもあるんですけど人類学の。
植民地支配のためにその現地の仕組みをよく知るため、その現地の中でどういうふうなヒエレラキーがあってどういう長老なのかみたいなのを調べるっていうふうな形でその社会を調べる学問として社会人類学が発展した。
なんかそれに対してアメリカ、私アメリカで教育受けてないのでわからないんですけども、アメリカでは先住民族の方たちの文化を記録するためっていう点もあってその文化人類学っていうふうになったっていうのが一応その対比としては言われている。
でその文化人類学の層っていうのがアメリカにいて、社会人類学の層っていうのがイギリスにいるんですけど、その社会人類学の層の方が割と包帯系とかそこのアフリカなり太平洋なりの民族たちのヒエレラキーの中でどういうふうに紛争が解決されていったりとかどういうふうにトラブルを話を聞いたりするのかっていう話をやり始めたっていうのがあって
その社会人類学がある中で法人類学っていう分野もちょっとずつ起こってきていたっていう感じなんですけど、ただなんかその法人類学っていう分野自体がそもそもありなのかっていう疑問があって、そのそもそも法が社会にどういうふうに受け入れられているかどういうふうに法を作っているかっていう時に考える法っていうのはその私たちが使っている国家が書いた制定法を中心として
その法律を適用するためにやれ裁判をやるとか、なんか犯罪っぽいことが起こったら捕まえて刑事事件にするとか、そういうふうな感覚がそもそもそういう法律じゃないルールを使っている人たちなんて世界中に山ほどいるよねっていうことで、そもそも法人類学っていうネーミングがナンセスなんじゃないかみたいな議論は実はもう100年くらいあって
なのでその法人類学って何かって聞かれる時にその法文化、地域の法文化をどう捉えるかとかその社会が法をどう使って、どう作って、どう使っているか、作り直しているかみたいな話だって言うんですけど、その法って何なんだっていう、そのルールって何なんだっていうところを問うのが割とその法人類学のユニークな部分なのかなとは思っています
そっかだ、人類学って言うと、確かにおっしゃった通り文化人類学がパッと頭に浮かんだんですよ、日本はそうですよね、でそっかイギリスは社会人類学と言っているんだってことも初めて知りましたし
そうですよね、確かに日本は民族学がやっぱりずっと強かったので文化人類学よりの学問の起こり方だったんだろうなと思うんですけど
なるほどそうなんですね、そしてそれがまさか植民地支配、イギリスは植民地支配でアメリカは先住民の文化を大切に
どっちも闇の歴史、本当に
そっかそっから始まったわけなんですね、なるほど
じゃあその中でイギリスで社会人類学の一つである法人類学をされているということなんですけど、その中で特に研究されている領域はどこなんですか
はい、先ほどおっしゃってた裁判が多様だっていうところから始まるんですけど、裁判一つじゃない、法やルールも一つじゃないっていうところから走って
いろんな領域が法人類学でもあるんですけれども、一つ私がやっているのは、制定法ではない、制定法から普通の裁判所っていう私たちがイメージする法律ではないルートの
その長老たちのルールで砂漠村の裁判がどうなっているかっていうのが一つありますね。もう一つがその法人類学自体がすごくいろんな分けられ方をしていて、
法機関、法執行機関を調べるとかで、そういう長老たちも調べれば、村裁判も調べれば、普通の裁判所も調べれば、何ならイスラム教の国だと宗教裁判も調べるみたいな
ある一方でその人々の法意識っていう、日本でも法社会学会で法意識っていう言葉があって、1970年代くらいかなに、
あの日本人は本当に訴訟が嫌いなのか、それともなんかその白黒つけたくない民族っていうふうに一般化するんじゃなくて、ただこうそういうシステムが使いづらいっていうだけなんじゃないかみたいな結構大バトルがあって、
今もなんか結局両方あるよねみたいな感じで、今もなんかそういうのぐじゃぐじゃとなってるとは思うんですけど、
なのでそういった法意識っていうソフトな部分を研究する流派もあって、私は両方やってるんですけど、どっちかっていうとスタートポイントはそのソフトなその人々がどういうふうにルールを考えてるかっていうところから始めようと思って研究を始めたっていう感じですね。
なるほど、そうすると法制度、制定法ではない長老たちのルールっていうのが、まさにこれは5本でもご覧になれてきたところなんですけど、例えばその原口さんが見ているアフリカの国ではどういう制度が敷かれているんですか。
はい、なんかワードとしては法多元主義っていうワードなんですけど、法が多く多元主義、でなんかその自分たちが従うルールっていうのがその法律だけじゃなくて、別のそれこそ書かれてもいない今まで先祖代々伝わってきたルールなんかも大事にしていくっていうのが割といろんな国であって、
で、それが憲法上認められている国も結構多いんですよね。私が今リサーチをしていたザンビアもそうですし、ちょっと前にリサーチしたケニアとかもそうなんですけど、普通の法は君たち守りなさい、でもその監修法っていう村に代々伝わる伝統的なルールにも服していいですよっていうようなのが結構いろんな国で認められているのがアフリカっていう感じですね。
ちょっと具体的にイメージしたいんですけど、例えば物を盗んじゃいけませんとか、人を傷つけちゃいけませんっていうのはもうすでに明文化された法でありますよね。あって、で、何かそれを起こしてしまうと罰を受ける、何年刑務所に入りなさいみたいな罰を受けるっていうのは多分あると思うんですけど、あれですか、民間の紛争とかでそういう懲労が出てきて仲裁するみたいなことが起きているってことですか。
はい、はい。まさにそれが一番よくあることで、で、その民間、例えば土地の紛争、ここまでが自分の土地で、ここは隣の土地のはずだみたいな時に懲労が出てきて、これは君たちのおじいさんの代からこっちだったよみたいな話を調停してあげるっていう裁判に行く前の段階をやるっていうのがやっぱりすごく大きいっていうのが一つ。
ただ、ザンビアでは一応法律上刑事事件になるようなことは裁判所に本当は行くべきであって、それはあの、長老たちが裁いちゃいけないっていう風に法律上になってるんですけど、でも実際なんかその、ちょっと喧嘩して怪我をあせたとか、そういう時ってその家畜のやり取りとかでもう許してやれよっていうことが多いんですよね。
そういうのが監修法の一つとしてはされていて、すごく極端な例が、ザンビアじゃなくてケニアとかタンザニアのマサイ族はその殺人もその牛49頭で償いみたいなのがあって、それはその牛49頭っていうのがすごく、牛が遊牧民族の彼らにとってはすごく大事な家族であり、不動産がない彼らにとっては大きな財産であるっていうのと、一代では払い切れない。
すごく価値の高いものなので、その次の代まで借金を残すことが次代までの恥になるっていうのが一応抑止力になってるって言われてるっていうのが一つあるんですけど、でもなんかそういった、それは結構極端な例で、殺人までそれでやっていいのかっていうのは、やっぱり今はいろんな民族の人たちがそれじゃいけないだろうっていうのは結構多いんですけど、
ザンビアだったら殺人まではいかなくても、本当に近所のトラブルとかだったら、本当は警察が介入して怪我してるやんみたいな感じで刑事事件になるようなとこも刑務所に行ったってしょうがないじゃん。被害者がちゃんと保証を受ける方が大事だってなって、あとなんか誠意を見せろ的なことをよく言うんですよ、日本人みたいな。
だからなんかちゃんと謝ること、で、あとその家畜でちゃんと払うこととか、あとまあその農業国なので、その農器具好きとか食わとかを渡すことで、まあその誠意を見せるみたいな。で、まあその結婚の時とかもその有為農金で農器具とか、あとヤギとか牛とかがよく使われるんですけど、まあそういったものがその保証のこう源になってるっていうのが反習によって決められてるっていう。
まあだいたいそのこのくらいでヤギ一頭とかいうのがそうですね、法律に決まってないけど、みんなが守ってて。で、まあ村に行くと、まあ都市部だってまた違うんですけど、村に行くと最初になんかあっても警察にこう通報する前に、そういう村長さんとか長老に相談しに行くっていうのがまあ結構あって、っていうのがそうですね、反習法の一つの。
すごい興味深い形ですね。そっか、だから警察がいきなり出てくるんじゃなくて、まずは長老にトラブルが起きたら相談しようっていうことになってるわけなんですね。
そういうとこがやっぱり多くて、まあでもそれも弊害もやっぱりいっぱいあって、やっぱり長老っていうそこですでにパワーの権力構造ができているから、まあ偉い人に例えばセクハラされたら言えないとか、まあそういうことは結構あるので、まあそういうときに警察にすぐ通報していいんだよみたいなのを割と最近は国を挙げてプロモーションはしている。
でもなんか国を挙げてと言っても、やっぱり田舎に行ったらまあ偉い人のリスペクト度とかも上がるので、まあしょうがないよねみたいな感じもあったりして、だけどやっぱりなんかそこにこうヨーロッパ系の援助機関みたいなところが入ってきて、それはやっぱり個人の人権を守るべきであるみたいなことをすごく言うんですよね。
で、すごく大事だとは思うんですけど、でもやっぱりなんか結構並行線みたいな部分もあって、そのヨーロッパの人たちは個人の人権ってところから話が始まってるけど、アフリカはそのコミュニティーがなんかハーモニーを保って一緒に暮らしていくのも大事だけど、まあ一人一人が傷つかない方がいいよねみたいな感じもあったりして、
で、なんかその辺がこう日本、日本もまあ今は人権ってちゃんと謳ってはいますけど、でもなんかこうコミュニティーの利益とかも大事にするしまむら社会とか家社会が今までずっとあった国なので、まあ日本でもこういうことありえそうだなみたいなことは結構あったりして、だからなんかまあこのくらいだったら我慢しなよみたいなことを、
みんなで一緒に暮らしていくんだったらもっと仲良くしようよみたいなことを結構言われてる場面を見たりして、日本の庁内会長が裁判の権力も持ってたらこうなっちゃうんだろうなっていういろんな意味で。
なるほど、でも確かにそうですね、なんかその喧嘩が起きた、窃盗が起きたとか、ましてや殺人が起きただったらさすがに庁内会長が仲裁することはないと思うんですけど、なんかこう隣人トラブルって言うんですかね、なんかこうここの土地ちょっとなんかはみ出てんだけどみたいな、お宅のものがはみ出てんだけどみたいなものは庁内会長が仲裁するとか全然ありそうですよね。
そんなわざわざなんかこう、何だろう裁判沙汰にしなくていいよみたいな、多分日本でもある気がします。
ちなみにこのザンビアとかケニアは、その長老が解決できないものが裁判に行くっていうイメージなんですか。
それも本当は全部選べるはずなんですよね。なので長老から先にやってもいいし、裁判所に先に行ってもいいし、あとキリスト教の国なので教会に相談しに行ったりとか、本当はいろんなルートがあって選べていいっていうことに、民事事件についてはなっている。
刑事事件については長老に行かずに、長老っていうか本当は首長さんっていう、チーフ、トラディショナルリーダー、ヴィレッジヘッドパーソンっていう人たちなんですけど、まとめて長老って言っちゃってますけど、その人たちに本当は刑事事件だったら行ってはいけないっていうのはあるんですけど、実際みんなそっちから行く人が特に地方の人だと多いっていう感じです。
選べるんですね。 一応そう、仕組み上は選べることになっているってことですね。
平存してるみたいな感じなんですね。 完全に平存ですね。ただその国によって結構違って、ルワンダとかだと、民事事件だと最初に一回長老というか、長老みたいなコミュニティの調停を経てからじゃないと裁判に行っちゃいけませんっていう風になったりして、
基本的には、よっぽどのケースはまた別なんですけど、基本はそんな感じになってて、というのも裁判所の人材が足りてないみたいな、特にルワンダは32年前に虐殺があって、その時に本当に法律家たちもいっぱい殺されて、確か検察の数が数十人になったとか。
そうだったんですよ。で、そこからルワンダはガチャチャ法廷って言って、割とコミュニティでコミュニティの人たちを裁こうみたいなのが結構進んでいって、悲しいスタートではあるんですけど、コミュニティが割とトレーニングされてない、法律のトレーニングしてない人たちでも人を裁くっていうことを学ぶようになって、っていうのが元々あって、
今アブンジーっていう、なんかそういうまたコミュニティの法廷があるんですけど、そこを経て裁判所に行ってくださいっていうのが基本ありますっていう。国もマルワンダみたいにあるっていう感じです。ザンビアは並列って感じです。
世界の裁判を歩いて見えた多様性
今研究テーマについて繋がってきたんですけど、すごい面白いなと思ったんですけど、やっぱりルーツとなったのは、書かれているブラリ世界裁判放浪記で、いろんなシーンを裏になったってことが研究のルーツになってるわけですよね。当時放浪して見た中で印象深い裁判のシーンとか印象深かった国っていくつかありますか。
そうですね。この裁判傍聴を世界で始めたっていうのも、なんかもう本当最初は出来心というか、エチオピアにいた時に2ヶ月くらいって結構沈没していて、でもう観光もだいぶしたし、朝起きた時今日はやることないって思った時に、弁護士時代の同期から、そっちの裁判ってどうなってるのってそういえば聞かれてたなって思って、それを思い出して行ったことがきっかけなんですよね。
で、そしたらすごいこう裁判がエチオピアでは流れ作業だったりとか、なんか裁判所が結構簡単に見れるんだなっていうのがきっかけではあったんですけど、それでアフリカスタートでいろんな国の裁判を見るようになって。
で、多分思った、だいたい2つくらいに分けられるのかなと思って、でもこう裁判ってどこの国でもあるんだなっていうのがまず1つの気づきだったっていうのと、でその裁判って結構違うんだなっていうのと同じ部分もあるんだなっていう2つあって、違うんだなって思ったのが、なんかその青空裁判みたいな感じでやっている、それこそ村裁判とかもそうなんですけど、
そういうすごく裁判が、なんかご近所の井戸端会議みたいなところもあれば、すごく権威張った形で、そのなんか今もう移転しちゃった、例えばフランスとかそういうヨーロッパにも行ったんですけど、フランスのシテキューっていうシテ島にある裁判所とかはすごくすごく総合な感じだったりとか、
でアフリカでも、例えばケニアの最高裁判所とかはすごくちゃんとした建物、荷物検査とかもあってみたいな、でだからなんかそのすごく裁判の形って1つじゃないなって思ったっていうのは、その形を見て思ったっていうのが最初あったっていうのと、
あとあの同じような感じなんだなって思ったのが、ウガンだかな、ザンビアもそうなんですけど、であの裁判官が、その昔のイギリスの裁判官みたいなカツラをかぶってて、であのそれはなんかイギリスも今は全てじゃないんですけど、今は割と廃止されて言ってるんですけど、でもこっちではあるんだ、やっぱ植民地だったからかなとか思って、
でまた別のタイミングで、太平洋のフィジーという国に行ったら、そこでもやっぱり同じカツラ、あのなんかこう、なんだろう、キューティクルの。
そういうのを見て、やっぱりこう裁判所でやってる裁判ってすごく、なんか近代の裁判であって、近代の裁判っていうのは、まあ彼らはその植民地になったときに持ち込まれたものであるし、あの最近のものなんだなっていうことをあの感じたっていうのと、その裁判の仕組みとか法律、書いた制定法の仕組みとかっていうのが、
そうではない仕組みでルールがこうあった地域に後から入ってきたんだなっていうのが、すごく感じたっていうのが、今の言及にもつながっているし、なんかその法の近代化を考えるときに、やっぱり日本は植民地化はされてないですけど、その近代化するときに民法はフランスを参考にして、刑法はドイツを参考にして作って、
で、それが明治時代に作って、まあでもそのフランス人で民法の起訴をしたボア・ソナードとかもうちょっと個人の人権っていう感じではあったんですけど、まあその日本側はやっぱりもっと保守だったので、家制度っていう感じで、うまくなのかわからないんですけど、上手に輸入してフュージョンしていった。
けどやっぱり日本もそこでちょっとした断絶はあって、その近代、明治の近代法から前とその後みたいな感じはあるので、そういった意味では法律の近代化みたいなのって、ヨーロッパだと国内でなされてきたものがあるけれども、日本も他のアジアとかアフリカとかの植民地支配をされたことがある国の人たちも、
なんかこう法律ってこういうふうにやろう、近代法ってこういうふうにやろう、それで近代化進めていこうみたいなのって、割と人為的な部分もあったんだろうなっていうのが結構面白いなって思うようになって。
そうですね、確かに日本も明治に輸入したし、まさにこうウガンダとかイフィジーとか、そのイギリスのカツラを裁判官が被っている国っていうのは当然イギリスから輸入したわけですもんね。なんかあれなんですかね、それが全部その輸入したもので塗り替わる社会と結構伝統的なものが残ってる社会に分かれるみたいな感じですかね。
やっぱりその並存の仕方とかも、先ほどのアフリカの説明とかだと、やっぱりもう並存して両方ありますみたいなのもあれば、日本みたいにこううまく裁判制度を作ったけど、その中の法律の解釈で今まで日本はこういうふうにこの法律使ってきたよねって、この法律があったとしても権利を濫用してはいけないよとか、その点でこう社会通年とかそういうのも出てくるっていうのが、
日本の特殊性というか、その日本がずっとこう植民地にならなかったから、自分たちでそういうリードを取ってできたっていうのもあるんだと思うんですけれども、なんかその辺はちょっとずつ違うんだろうなと思って、それは面白いなって。
そうですね。その日本の特徴っていうのもちょっと後半でぜひ伺いたいなと思うんですけど、その前になんですけど、この世界裁判法論ってそのいかにして始まった、どういうふうに始まったんですか。
でも最初はただただバックパッカーだったんですよ。だからなんかその旅行をしていて、で、その時まだまだこうなんか旅行始まったばっかりで日本に帰りたくないみたいな感じだったので、旅行をする中で観光地みたいな感じにだんだんなっていった。
裁判所がどっちか。
裁判所が。
なるほど。
怒られそうですけど。
ご職業柄だなと思いますけど。
そうですね。やっぱりその弁護士をもともとやっていたので、その裁判所に行くハードルがなかったっていうのもあるんですけど、例えば出版業界の人とかって、こう旅してる時に本屋があったらちょっと覗いてみようみたいな。
めっちゃ行きます。
そうですよね。
大体行くと思います。
なるほどなるほど。
同じってことですね。
一応そんな感じです。
そういうことですね。
じゃあこの国の裁判ってどうなんだろうって言って気軽にやり始めたっていうのが最初ってことですね。
そうですね。最初は行けるのかなと思ったら意外と行けたので、繰り返してるうちに結構大体の国は行けるって50カ国くらい行ったのかな。
で、大体は入らせてもらえるんですけど、時々レターって申請書が必要ですとか、言われてすぐ入れなかったり、入れてもメモが取れなかったりとかいう国もあったりとかして、
だけど意外と入れるんだなっていう成功体験によって、より次へ次へと行くようになっていくのはあるかもしれないです。
最初がエチオピア。
エチオピアですね。
そうですね。
エチオピアで一番最初見た時どうでした?
一番最初に見た時に、日本はもうある種流れ作業のところはあるんですけど、一応一人一人刑事事件だと被告人を呼びますみたいな感じで、一人一人の事件があるじゃないですか。
向こうはもう完全に先生がいて、生徒たちが並んでて、手挙げて、はいじゃあ次は君みたいな、そういう感じだったので、結構流れ作業だなっていうのが最初の印象。
生徒たちだからですよ、被告人の皆さんがそこに集団が並んでいて、こうやって待ってて、じゃあ次君を裁くよみたいな、はいみたいな。
そうですね、そんな感じですね。
結構でもそれ後継として違いますね、日本と。
そうですね、やっぱりちょっと違うなっていうふうには思いましたね。
そのなんか仕組みを見るだけでも、これはなんか全然違うぞ、そして多分世界はそれぞれ全然違うその裁判の体系を持ってるんだろうなみたいな、なんかそういう想像が働きますよね。
そうですね、それはやっぱり思いましたね。
あとなんかそのバングラデシュにちょっと行ってたこともあって、その放浪した後もバングラデシュに戻ったりはしたんですけど、その時に裁判所とかに行ったら、結構そのバングラデシュならではっていうのが、バングラデシュって結構川の周りに街ができて、みんなバングラデシュ人って川と共に生きているみたいな人たちなんですけど、
川が大企業がやってきて、すごい汚染されて、なんかなんだろう短く小さくなっちゃった時に、それを訴訟にする時に川を原告にしたんですよね。
川を原告。
川に法人格を持たせるっていう、そういう訴訟があって、それで勝ったんですよね。
で、そういうのとか見てると、日本もなんかそのアマミの白うさぎでしたっけ、なんかその動物環境保護のために動物を原告にするとかあったんですけど、うまくいかなかったりして。
だけどなんかそのバングラデシュでは結構それが普通なんだなみたいな、そのNGOとか周りの住んでる人たちがこう川の汚染によって自分たちの生活環境が害されたとかじゃなくて、川自体が小さくなってるのはお前らのせいだって言って企業を訴えたみたいな。
だからなんかそういうのも結構、それは裁判内容ですけど、割とこうお国柄みたいなのが出てるんだなって思ったりして、結構その川に法人格認めるっていうのはバングラデシュ以外でもニュージーランドとかインドとか、あとエクアドルとか南米とかでも割とその環境問題への感覚が進んでいる国では割と多いんですけれども、
そうバングラデシュは他の国と違ってすべての川に法人格を与えますみたいな、だからどの川も訴えることができるっていう、だからなんかそういうのとかもこういろいろ裁判見ていく中で、あ、なんかちょっと感覚が違う、それが多分その私が今法人類学でやっているその法文化、その何をルールとして考えて、
そのトラブルとかいろんなことを解決するためにどういうふうにルールを使っていくかっていうところが違う一つなんだろうなと思ったりしました。
川を原告って、ただ川自体は訴えるじゃないですか。
そうなんですよ。
だから川を原告にして人間が訴えるってことなんですよね。
そうなんですよ、結局代理している弁護士たちとか環境NGOとかは人間なので、人間がやってるんですけど。
でもそんなことができるんですね。だからあれですよね、わかんないですけど、動物愛護みたいな感じで、虐げられている動物が原告になってるみたいな。
そうですね、だからそういうのが多分増えていくんですかね、どうなんでしょうね、これからいろんな議論あると思うんですけど。
日本法の成り立ちと社会通念
なるほど、さっきちょっと日本が法律の解釈で結構その社会の通念っていうのを使ってるっていうその話をちらっと語ったんですけど、やっぱり海外をすごく見るとその日本の制度の特徴、これは多分良くも悪くもあると思うんですけど、それを原口さんはかなり感じられてるんじゃないかなと思ってます。
そうですね。
まず率直にどうなんですか、日本の法体系はどういう特徴があるのか、ちょっとオープンなクエスチョンですけど、そこから聞いてもいいですか。
はい、でも日本の法体系は、そもそもその中国の律令制みたいなのがもう7世紀からずっと昔にあった中で、ずっと日本の法律がその後武警政権になってからもあって、だけどその近代法になるときにそのヨーロッパ式の大陸法っていうんですけれども、
イギリスとかアメリカではなくて、コモンローではなくて、コンチネンタルローっていうフランスドイツの法律を輸入してうまく日本のもとある制度とブレンドしたっていうのが日本の法律、近代法の原型なんですけれども、
たとえば刑事訴訟法とかは憲法のもとで作られたりとかはしているっていうので、なんかいろんなもののハイブリッドではあると思うんですよね。その中に日本にもともとある考え方とかを練り込んでいっているみたいな感じだと思います。
そうかじゃあ、一応伝統的な価値観もだいぶ地層の下の方に行ってますけど、下地にはあるってことなんですね。で、戦前はその大陸法で、戦後はアメリカの憲法がやってきたんで、それの影響が強いっていうような感じなんですね。
危険を辿るとやっぱり聖徳太子とかになるのかな、たぶん。 そうですか。感じられます?やっぱり。 どうなんでしょうね。 実際今法の現場で聖徳太子のDNAが今も息づいているのかどうかっていう。
でも裁判官たちの抱負、黒いガウンは一応聖徳太子的なものもルーツにあるみたいなことは言われてはいますけど、でもなんか欧米と同じような黒い抱負なのでどこも同じやんって思うんですけど、まあそうですね、そのくらいですかね。聖徳太子を感じない気がしますね。
でもさっきの社会通念っていうところ、これ御著書にも書かれていて、ああそうなんだと思ったんですけど、結構やっぱり素人目には裁判所って法律の条文に基づいて、これが白です、黒です、あなたが悪いですみたいな話をやってるのかなと思ったら、実際には社会通念、国民感情、道徳、伝統みたいなものが理由になって判断が下されるっていうのがよく起きてるんですね。
そうですね、それは多分いろんな判決に書かれてますね。やっぱりその基本の枠組みは法律の何条何項のもとで、まあこれはいいのかどうか適用できるのかどうかっていうところなんですけど、それを考えるときに、まあその社会通念上まだ合意には至ってないだろうとか、まあそういう、そうですね、そういうことが結構いろいろ使われたりとかしますね。
この状態っていうのはどうなんですか、そのいろいろを習えた、そして法の専門家では原口さんから見ると、変えていくべきなのか、まあ日本はこうだよねっていう感じなのか、その辺っていかがですか。
でもなんかその解釈の中に残っているっていうのは、それは自然な状態なんだろうなと思うんですけれども、なんかその使われ方っていうのが、まあどうなんだろう、なんか結構バータリ的なときもあるし、でちゃんとその社会通念っていうくらいいろんな人にアンケートを取った結果なのかとか、それは研究者がもう今はこれが通説ですよって言ってることなのかっていうのがあんまりわからない中で、
その裁判官の頭の中にある社会通念でやってないかみたいな、そういった問題提起はしたいなって思うのが結構いろいろあって、例えばその公職選挙法の話とか、で、もうつい最近若者の選挙活動の一律禁止は憲法違反だっていうことで、政治的表現の自由違反だっていうことで、地裁で法令違憲判決が出た、それはすごいことなんですけれども、
それと対になっているような、その非選挙年齢の引下げ訴訟もやって、今起こっていて、それは地裁で負けたんですけれども、それはやっぱりなんかその、まあ参議院議員とか知事って30歳以上じゃなきゃなれなくて、で衆議院議員とか地方公務員は25歳以上じゃないとなれないっていうのがちょっと年齢高すぎるんじゃないのっていうのを、やっぱりその若者は資料分別がまだないとか、
まあそういった、まあそれは社会通年に基づくとは直接言ってたかどうかすいません、ちょっと判決確認しないとわかんないんですけど、こうそうですね、そういうモワッとしたものを、あのやっぱり理由に使う、で理由に使うこと自体、フレームとして使うこと自体はありなのかもしれないなって私は思うんですけど、
そういうのを使うならば、きちんとそこを精査して、そこをなんでそういうふうな若者は資料分別がないっていう社会通年があるんだっていうことを、あのもうちょっとこうちゃんと調べてから言うべきだと思うし、みたいなことは思います。
おっしゃる通りですね、でもそうですよね、確かにまあもちろん裁判官の方は法の専門家であり、いろんな社会の事象も当然勉強されていると思うんですけど、でも確かにその社会通年って何のソースなのみたいなことを思うこともたまにはあるってことですね。
そうですね、それがそうですね、やっぱりなんかこうアフリカの長老の話に戻ると長老たちもそういうことを言うんですよね、これが伝統だからとか、ででもそこがこうふわっとしてはいるんですけど、長老が行ったからokみたいなのも向こうは長老がいるっていうのもちょっとあったりもしていて、で日本の裁判官もそうなっちゃってないかみたいな、そういうなんか危惧があるというか。
たぶんまた別のまた日本で起こっている公共訴訟でその母体保護法が女性の不妊手術を禁止して、その不妊手術をした人に対して医師に対して罰則を設けていることに対する訴訟が起きているんですけど、女性の場合は手術したらお医者さんが罰されるみたいな感じでできない、結構ラディカルな訴訟であるんですけれども、その時に配偶者要件とかがあるんですよね。
だからそれも元々有性保護法ってもう廃止された法律が原型になった母体保護法っていう法律の裁判なんですけど、それとかもその本当に配偶者要件ってこの家制度が終わった今の社会で必要なのかみたいな吟味をするのではなくて、
まだそういうラディカルな不妊手術OKとするというような法律を準備できる段階にないくらいの感じでもうバッサリ切っちゃってるんですよね。で、なんかそういうのとか見てると本当に検討したのかなみたいな、そういうそのふわっとしたファジーな社会通念、国民感情、国の伝統みたいなのを使うんだったらもうちょっと精査してほしいっていうのが、
それはそうですね、選択的夫婦別姓とかもそうですね。
選択的夫婦別姓もそうだし、同性婚が認められないとか、あとコロナの時にセックスワーカーの方々は。
持続化寄付金の対象から除外。
あれとかもだから根拠は社会通念ってことですかね。
社会通念っていうふうに書いてありましたね。だからそうですね、それが社会通念っていうふうに本当に、社会通念を本当に目に見える形にできるのかっていうのがすごく思いますね。
そっか、だからやっぱり何でしょうね、なんとなく日本社会全体そういうところあるような気がするんですけど、まあこう空気に支配されるというか。
でもそうです、空気ですね。
空気はそのなんだろうな、個人的にはなんですけど、でもなんか法律はなんかもうちょっとロジカルにというか、納得する形で判断してほしいなとは。
実社会で人と対応する時に空気が支配してますはまあしょうがないかなって思うんですけど、法律はなんかもうちょっとシャープにやってほしいなっていうのは個人的には思いますけど。
それはそうですね、最後の砦みたいな感じがしますよね。
でもそういう意味で言うとアフリカの方が両方あるので、空気に支配されるところで裁かれることもあるけど、まあなんか法律は法律でその監修法とは違うよっていうスタンスでやっているので、
そうですね、こうシャープとふわっと両方あるっていう意味では選択肢があるのかなって思ったりはしますね。
人質司法と有罪率99%の背景
あとあのちょっとごめんなさい、少しテーマが横に反るんですけど、日本の刑事裁判で最近まあいろいろな問題というか、
例えばその威圧的な、検察が威圧的な取り調べをしたとされて、で初めてその現役検察官が不審判決定ですかね、これによって裁判にかけられるであるとか、
あとはその私がやりましたって認めないとなかなか保釈されないみたいな、反訴一施法みたいな問題があって、
でまあ日本の裁判ってそのなんですかね、これも素人目なんですけど、それなりに近代的にやってるのかなと思いきや、結構こういうんっていうところが残ってるみたいなことも思ったりはするんですけど、そのあたりでどう感じになってますか。
そうですね、なんかそういうのってアフリカでもまああるはあるんですけれども、日本は一応法律上本来は多分保釈は権利であったはずなんですよね、それもその刑訴法が戦後に改正されてっていう刑事訴訟法が改正されてっていう流れなんですけれども、
なんですけどその保釈が権利としてはもう使われなくなってきていて、基本的に在所隠滅の恐れ、まあこれもわりとこうファジーに解釈されやすい、でそれをもう在所隠滅の恐れっていうハンコだけ押せばもう保釈認めなくていいよみたいな、保釈が権利じゃなくなっちゃってるっていう、
まあその法律のファジーさの問題とその運用の問題のコラボでまず人質司法の問題が生じている。で、やっぱりそのユーザー率99%とかいうのは、その基礎便宜主義って言って検察官が起訴できる権限を独占してるって言うのがあるので、検察官の判断でフィルターをかけて、で、まあ筋の悪い事件は裁判に行かないからユーザー率が高いって言われてるので、
日本ではその無罪を取ることがすごい大変だみたいな感じだったりもするんですけど、それはそういったフィルターを最初にかけるみたいな、そういった制度とか手続き上の問題が問題かどうかはまたさておき、手続き上の理由があるっていうのが一つあるのかなとは思ってます。
ただその人質司法は本当にその制度があのふわっとしているのを捜査機関が良い、が良いように使われてるっていうのがあっての人質司法っていうのがあるので、なんかやっとそのテーマにあの切り込み始めたんだなみたいなのがあの最近の多分日本のいわゆる公共訴訟と呼ばれる訴訟がやってることの意味なんだろうなっていうふうには思ってますね。
日本だとそのゴンさんの事件の時にGPSをつけるっていう法律が2013年かなにできたんですけど、その法律本当は5年以内に施行されなきゃいけないのがまだ制度化されていなくて、だからそのGPSここにつけるのかそこにつけるのかどうするのかみたいなこともあんまりあの多分議論がそんなに進んでないんですけど、多分再来年までには作らなきゃいけないので制度。
まあ何らかの制度はできると思うんですけど、なんかそういういろんな方法でその人質司法っていう、なんかその身柄を人質にして自白させるっていうような運用がされないための工夫があんまりできていないんだろうなっていうのがやっぱりすごく課題としてはあるんだろうなとは思います。
ブラジルはこう大統領が逮捕され、もっと大統領が逮捕された時にこう足首にGPSをつけて、でもなんかあの懲役27年とかくらったんですけど、まあその高齢者はそれあの刑務所に行くことが免除されて自宅軟禁でいいとかいうのがあって、でもGPSは足首につけてたけどそれを焼き切って逃げようとしたとかなんかいろいろあるんですけど。
なので、やっぱりなんかそういう運用がすごくブラジルなんかは進んでるんだなっていうのを目の当たりにすると、日本ももうちょっと議論を進めればいいのになとは思います。
もちろんいろいろ賛否両論もあるし、その技術的な問題とかもあるけれども、なんかそれを議論して乗り越える方向でやるのかそれとも諦めるのかっていうところまでも達してないんじゃないかなとは思います。
なるほど、でもそのブラジルもあれですよねGPSになっていて、で日本はなんかあんまりそれになるような気配が今のところないと。
そうですね、でもまあ多分2年くらいではそういう制度化しないといけないのでそのうちなるとは思うんですけど、すごく進みが遅いっていうのはやっぱりある気がします。
何なんでしょうね、特定の誰かが悪いっていう問題はないと思うんですけど、どこによってこの進みの遅さっていうのが日本が出てるんだろうかっていうのは結構率直に気になるんですよね。
多分今ある仕組みをもう変えることがすごく大変なんだろうなと思うんですよね。だからどこのせいなんでしょうね、この進みが遅いのは。
まあ一つは多分その法務省っていうのはあるんでしょうけど。
まあそうですね、法務省、法務省の役人たちが変えないからなのかな。
でもなんかすごい、ごめんなさいこれちょっと雑になりますけど、役人の皆さんが変えないというのはあるんだろうけど、でも多分変えられない、多分何か構造もあるんだろうなみたいな、なんか両方思うんですよね。
ありそうですよね。
何なんだろうなこれはっていうのは結構思ったりしますね。
ありそうですよね。なんかオンライン、裁判のオンライン化がやっとまあ進んできて、今チームとかで裁判に弁護士とか参加することができるんですけど、それも最初進まなかった理由がなんかFAXだとか、なんかそういう。
FAX、はいはい。
なんかすでにあるから、あのコミュニケーション取る手段が、だからそのコロナであの裁判所行けない時もやり取りをする、書面のやり取りをするツールがあるからとか、なんかそういうのとかは聞きましたけど。
そっかじゃあ既存のものがありすぎると逆にそれに縛られちゃうってことなんですかね。
あとやっぱりなんかいろんな使えない言い訳っていう理由を考えて、なんかそのセキュリティがどうなのかとか、なんかそっちの議論にばっかりやっぱり日本は行きやすいんだなっていうのを、なんかそうですね。
これもテレビでも話したので、もしかしたらつまんないかもしれないですけど、なんかそのルワンダってオンライン裁判が進んでて、基本的になんかこう裁判はあのもうパソコンで定期しましょうみたいな話なんです。
日本だとそれ、日本でやろうとするとすごい多分あの批判が来て、じゃあそのスマホ使えない人どうするんだ、高齢者どうするんだとかいろいろなると思うんですけど、ルワンダの場合はその村に必ずどこの村にもある気をつくタバコ屋さんの人たちに国が全部お金をつけてトレーニングしたんですよ。
で、だからなんかおじいちゃんおばあちゃんが来たり、そのスマホ持ってないあの若者とか来たら、このパソコンでネットカフェのパソコンでこういうふうに裁判を定期するべきだ、定期することができるんだって、教えればいいよみたいな。
だからなんかそういうふうにやることで、そのできないっていうのに対するカウンターとしての政策をつけたっていうのが、で予算をつけたっていうのがやっぱりあのすごい早い国だなって、その日本が進みがやっぱり父として進まずみたいなことが多いのとは違うんだなっていうのは思ったりはしましたね。
これはなんかあれですね、日本文化論みたいな話になってきますけど。
確かにそうでしょうね。
なんだろうな、やっぱ一回作ったものを守るっていうことに価値が大きすぎてるのかな。
それはある気がする、それはある気がしますね。
なんか結構そのなんですかね、いろんな仕組みが変わりづらいみたいな、特に政治行政にまつわるいろんな仕組みが変わりづらいっていっぱい言われてるじゃないですか。
たぶん根本は同じなんだろうなっていうのを今お話しを伺っていて思いましたね。
確かに、確かに、変えない理由がいっぱい。
で、これがあるから変えられません、そして変えなくていいですっていうのを必ずまず最初のロジックで出てくるみたいな。
そうですね、それは出てくるんでしょうね。
話があるんだろうなって思いましたね。
司法アクセスと裁判の公開性
だからやっぱりアフリカでオンライン裁判が進むっていうのはそれに代替するツールが少なかったっていうのとか、
あと私司法アクセスっていう分野のことも結構やってるんですけど、
その司法に対する市民のアクセスがどのくらい達成されているのかっていうときに、やっぱりその距離が遠い、やっぱ大きい国が多いし、
たくさんその裁判所を置けない、日本みたいに47都道府県全部に置けないみたいな感じで、
割とその距離をどうするかっていう話が結構出てくる。
その中でやっぱりオンラインのツールっていうのは一つ意義があるっていうことがやっぱりみんなわかるんですよね。
だけど日本だと頑張って電車に乗っていけば1時間では着くかなみたいな裁判所も行けるし、
弁護士事務所も司法過疎って言って弁護士事務所がない地域を解消するっていうのをホテラスがやって、
多分20年前くらいかなにもう解消されたので、どこかに相談しに行こうと思えば行けるから、
わざわざそのオンラインでのツールがなくてもいいのかなみたいなのがあるっていうのもまたもう一つあるのかなっていうふうには思います。
確かにそうですね。そもそもなかったらじゃあオンラインでやろうみたいなふうにもなりますもんね。
なんか一個ちょっと前の話なんですけど、有罪率99%っていうフレーズ、これもよくメディアで見るじゃないですか。
地面だけ見ると結構ギョッとするというか、もう起訴されたらほぼ有罪じゃんみたいな話になるんですけど、これって結構得意なことなんですか、その世界を見ると。
でもその起訴をされる前のフィルターがどこまでかかるかっていうところが結構国によって違ったり、
そのもう自分は有罪ですっていうふうに答弁してプリープリーって言うんですけど。
とかだともうその後の部分でのパーセンテージしか見られてないかもしれないっていうのもあったりとかするので、
なんかそのパーセンテージをどういうふうに計算するかってすごく難しいなとは思っていて、
だから日本もその、例えば逮捕された段階から見ると割と絞られて、でも起訴されたら有罪になることが多い。
で、そこに人質司法の問題も絡んでいて、で、その自白を取れた事件はやっぱり起訴しやすいから起訴して、
で、その自白を証拠の一つを使って有罪の判断をしてもらうみたいなのが検察側からしてみたらあるんだと思うんですけど、
なのでその99%やっぱり珍しいって言われると思うんですけど、どういう計算でどこから見て99%なのかっていうのが考えると、
なんかその世界でのパーセンテージって結構違ってくるんだろうなっていう気がします。
じゃあまあスクリーニングがその分されているっていうことなんですね。
でもその過度にスクリーニングをする職責になってしまっているからこそ、そういう人質司法的な問題が生じるっていうのはあるんだろうなって思いますね。
そうですよね。もう起訴まで持っていったらほぼほぼ有罪になるんで、
となるとその起訴までに頑張るってことになりますよね。立証したい側からすると。
そうなんですよね。
あと距離が遠いって話があったんですけど、さっき前半にちらっとおっしゃってた、
日本は本当に裁判と国民の距離が遠いのか近いのかみたいな論争があるっておっしゃったじゃないですか、遠いんですか日本はやっぱり。
遠めだとは思います。
やっぱりさっきの司法アクセスの話なんですけれども、裁判に行くルートを確保するっていう意味では日本は結構政策頑張って、
いろんな、全都道府県裁判所あるし、全都道府県に弁護士部署を最近はもう置いたし、
あと司法制度改革っていう改革20年前くらいにやって、
弁護士の数とかを増やして、事件が割と早めに済むようにっていう感じでトレーニングをしていったり、
お金について言うと法律不条みたいなのがついて、一定の要件を満たしたらお金がつきますっていうのを弁護士代付きますとかもあるんですけど、
でもなんかこうやっぱり心理的な距離、市民との関わりっていう意味ではその司法がすごい遠いなって思うのが、
メディアで裁判所が映るときに最初の20秒しか映らない、その審理されている過程は全然オープンになってないんですよね。
そうですよね。あの絵ですよね。裁判官の人たちがこうやって座っているみたいな。
あの絵ですよね。あれは本物の絵ってことですよね。ここらで撮っていいですよみたいな。
そうですね。で、撮る前に言うんですよね。今からメディアの20秒の撮影があるので、
動かないでくださいは言われないんですけど、映りたくない人は出てってくださいとか。
で、なって裁判官と検察官と弁護士なりがじっとしてるみたいな。
で、審理のことについてやっぱり何もオープンにはなっていない。
だけど、ブラジルとかだと国会中継みたいな感じで、最高裁の審理が全部中継されてたり、インドもそうなんですよね。
で、インドはその中継されてたときに最高裁長官が若者たち、それ労働事件だったんですけど、
労働事件の公共訴訟で、失業中の若者たちが多いことに対して訴訟が起きてたんですけど、
その長官が、失業中の若者たちなんてみんなコクロ落ちてゴキブリだって言って、
言ったっていうのが切り取られて、たぶんご存知だと思うんですけど、
ゴキブリ人民党っていう若者のムーブメントが起きて、教育省が辞任するくらいまでになったっていう社会ムーブメントがあったんですけど、
あれも全部最高裁の審理がオープンになって中継されてたから起こったことだったんですよね。
そういうのがやっぱり日本はないので、司法との距離がちょっと遠いんじゃないかって思ったうちの一つが、
やっぱりオープンになって報道もされてないっていうのが一つあるんじゃないかなというふうには思いますね。
そうですね、確かに非公開っていうのは結構効いてる感じがしますね、その距離の倒産に。
プライバシーとかって守る方法はいろいろあると思うんですよね。
中継するときに、例えば被害者なり加害者なりでもいいですけど、個人情報を言うときにはちょっとメディア退席してくださいとか、
日本でも読み上げるときに刑事事件で被告人の住所はそこの紙に書かれてる通りでよろしいですかって、それでいいですね。
そんなに別にオープンになったからといって、全部自分の個人情報をさらけ出さなきゃいけないわけではないんですよね。
あとビデオリンク方式とか、別室にいる人に証人尋問したりとかすることも可能なので、
多分いろんな方法はあると思うので、そのプライバシーの観点からオープンにするのはあかんっていうだけじゃ多分進まないんだろうなって思います。
そうですね。だから方法論はあるわけなんですね。本当にセンシティブな情報を守るっていうような。
そうですね。
あとひょっとしたら部分的にこの裁判は非公開であるし、この裁判は公開みたいなのもあるわけですもんね。
はい。で、火事事件とかやっぱり民事事件の一部とかはやっぱりそのセンシティブな事件は非公開にすることもできるので、全部一律に非公開にする必要はないんじゃないかなとは思ったりします。
研究と公共訴訟のこれから
いやー結構やっぱり諸外国を見ていくと、あの我が国なぜこうなってんだっていうところは結構見えてきますね。
そうですね。面白いですね。やっぱり日本のこともそう見えてくるっていうのが一つあるんだろうなとは思います。
なるほど。ちょっと時間もそろそろ迫ってきたので、今後についてお伺いしたいんですけど、原口さんの今後としては研究活動はされていくと、
あと一方で先ほどちょっと18歳未満の選挙活動の禁止、これが違憲であるっていうお話があったんですけど、これの訴訟を支援されたのがコールフォーですかね。
はい、コールフォーさん。
プラットフォームのそこにも関わってらっしゃるんですか。
そうですね。もともとコールフォーを立ち上げた弁護士たちが同期だったり、一緒に仕事したことがあったりとかして、
その時に私は弁護団として関わるのではなく、記事を書いて、その法律に関する議論をわかりやすい言葉で書くみたいな方を担当したいっていうことになって、
結構いろんな記事を書かせていただいたりしてるんですけど、その記事で、選挙活動の禁止違憲訴訟ではないリコ骨根引き下げ訴訟の方の記事を書いたら、
それが国際文化会館ジャーナリズム賞をもらって、その関係で国際文化会館ジャーナリズム関連で野村さんにお会いしたっていう。
そこのパーティーでしたね。初めて思いがかったのが。
はい、はい、はい、という形ですね。なので、日本のことを知るのにすごく、私も学ばせてもらってますし、その公共訴訟っていう、最近結構トレンドってほどではないかもしれないですけど、日本でも出てきてますけど、
個人の訴訟だけじゃなくて、その社会課題の解決を同時に目指す訴訟みたいなのが、割と起こるようになってきているので、その応援は今後もしたいなとは思っていて、やっぱりその海外から見る日本の法律の状況とか、
あとその日本の法律の状況が国際法の中でどういう位置づけになってるかとか、そういったことが見えるのはすごく面白いなと思うので、
今はイギリスを拠点にアフリカの研究をしてますけど、日本のこともすごくよく見えてくるので、そういった意味ではすごく勉強させてもらってるなと思います。
なるほど。研究に関しては、射程の広げ方というか。
そうですよね。
その辺ってあるんですか?
そうなんですよね。アフリカは本当にどこの国でも監修法と制定法があって、多分いろんな国でアフリカは私が今やっているような研究、長老たちの意思決定と裁判所の意思決定がどういうふうに事件の解決につながっているのかとか、
そういったことをいろんな国で多分横展開できるというか調べる意味はあるんだろうなと思うんですけど、それをどこまでやりたいかっていうところと、あとやっぱりその制定法がやっぱり、私のいるザンビアはイギリス系の法律なので、コモンローなんですけど、西アフリカに行くと今度フランス系なので、また違う仕組みになったりとかするので、どこからまたゼロから学ばなきゃいけないかみたいなところもあるので、
どこまでやりたいかっていうところはあるんですけど、でもやっぱりその多分最初にちょっと話したそのヨーロッパ人が人権を持ってきて、これは法律制定法でさばかなきゃいけないんじゃないかっていうふうに言うより日本人が行くことで見えることってあるんだろうなっていうふうに、長老のルールも大事だね、だけどこれはさすがにこっちの方は人権の事件なんじゃないみたいな、
まあよくも悪くもバランス的な、バランス型的な発想ができるっていう意味ではその日本人が研究をする意味ってあるんじゃないかなとか思ったりはするので、そうですね、まあ声がかかったらそっちを広げていく可能性もあるのかもしれないんですけど、でもそうですね、もうちょっといろんな地域アフリカ以外でも、例えば東南アジアでもインドネシアとかマレーシアでも慣習法ってあるんですよね、
で、少数民族の人たちが今も使い続けている伝統的なルールみたいなのがあるので、アフリカに限ることはないのかなっていう気はしています。
ちょっとじゃあまあ横展開というのが一つ結構角度が高そうなフランスっていうことなんですね。
そうですね、一つあり得るかもしれないですね、それかもうちょっと法徹学的な意味で、私は日本で法律の教育を受けたので、例えば何か刑事事件とかだと刑罰ありきみたいな感じなんですけど、それもアフリカから学んだことなんですけど、まず謝罪が意味を持つみたいな、
まあ日本もね、その時断することによって、両刑がちょっと軽減されますみたいなのもあるんですけど、なんかそういった部分もやっぱりアフリカにいるとすごく興味が出てきたし、私もなんかトラブルがあった時とかに、これおかしいでしょって言ったら、なんかとりあえず謝るんですよ。
で、謝ったから、なんかそのapology should be acceptedとか言っていって、じゃあその謝罪受け入れろよみたいな、なんか言われて、いやいやいや、受け入れるも何もこっちの自由なんじゃないのみたいになったりするんですけど、そうですね、なんかそういった考えの根底にあるのは何なんだろうみたいなところはやっぱり気になるなっていうのが多分二つ目。
で、多分もう一つは、その司法アクセスの話なんですけど、アフリカで司法アクセスをどうよくしていくかみたいな話だと、さっき言ってたみたいに、その距離を近づけるとか、オンラインを導入するとか、まあそれこそ裁判官や弁護士の数を増やすとか、まあそういったフィジカルの方に物理の方に頭が行きがちなんですけど、
日本はどっちかというと、その量より質というか、どういうふうにその司法アクセスというか、あの市民と裁判との距離を近づけるか、で、あのどういうふうに使いやすいものにしていくかみたいな、で、どういうふうにこう法廷をもっとオープンにしていくかみたいな、そっちの方の議論になるとは思うんですけど、そういうこう司法アクセスの量ではなくて質の議論みたいなところも考えていけたらいいなとは思ってます。
いずれもなんかすごい面白そうですし、さっきのあの人権を提唱したそのヨーロッパ人じゃないからできるって話は、なんかこうすごく腑に落ちました。だから社会通路の国で生きてるんで。
そうですね。やっぱり日本で、なんかこう争い事を解決しようとする時に、人権って言ってもあんまりピンとこないことも結構あるんじゃないかなって思っていて、それより平等の方が日本人ピンとくるみたいな。これは平等じゃないよねって言ったら日本人は確かにってなるけど、これは私の人権の侵害じゃないって言ったら人権みたいな感じちょっとなるみたいな。
なんかそういうのはアフリカでも結構ある。
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