中動態とは何か?
中動態という用語を皆さん聞いたことあるでしょうか? かなりこれは専門的な用語で、
もし皆さんがギリシャ語とかそういう古典語を勉強したことあれば、耳にしたことがあると思うんですけど、
そうでなかったらあんまり出くわすことがないかなと思います。 この中動態の態というのは、
能動態とか受動態とか言った時の態と一緒で、 英語だとボイスっていう言い方をするんですよね。
ですので中動態っていうのはボイスの一種だと言えばまあそうなんですけど、 日本語の研究では中動態っていうのはまず使われないと思います。
さっきも言ったように、古典ギリシャ語なんかでよく中動態っていうのが出てくるので、
その流れを汲むヨーロッパの言語の記述とか説明では中動態ということが ぼちぼちあるんじゃないかなと思います。
例えば英語の説明にも中動態というのが使われることはあるにはあるんですけど、 これはギリシャ語の中動態とは
ちょっと性格が違うかなという感じがしますし、 おそらく学校で習う英語でも中動態という用語は使われていないと思います。
この中動態っていうミドルボイスっていうのは いろんな言語の説明に使われるんですが、
その中動態と呼んでいるものがそれぞれの言語で結構まちまちというか、 いろんなものを含みうる概念なんですよね。
中動態の中心的な意味:再起用法
一番わかりやすいのは最期ではないかと思います。 最期の話はちょうど前回のエピソードでやっているんですが、
何か動作をするときにその動作が作用するのが自分自身、 主語自体に動作が行われるとか、あるいは変化があるとか、そういったようなものなんですよね。
例えば、洗うとかがそうですね。体を洗うとか手を洗うとかいうときに、 日本語だったら別に動詞の形は洗うという形を使いますが、
例えばギリシャ語とかだったら、自分を洗うときには動詞の形を中動態の形にする必要があるんですよね。
ですので、子供を洗うっていうのと、 私が自分の体を洗うといったとき、
それぞれ洗うっていうのが違う動詞の形になります。 BGMです。
始まりました四ヶ十五のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。カプセルコーポレーションです。 中動態の典型的というか、中心的な意味の一つとして、最期があるというお話をしました。
日本語の場合は、体を洗うとか手を洗うとか、あるいは帽子をかぶるとか、 口をすべらせるとか、こういったものが一応最期的な表現ではあるんですけど、
形としては動詞は他動詞を使うんですよね。 この辺は英語も同様かなと思います。
英語も wash myself みたいに何々self っていう最期代名詞というのを使って、それが目的語に現れて、
最期的な意味合いを表すので、形としては他動詞なんですよね。 これに対して中動態を持っている言語は、動詞の形自体が中動態の形を
持っているというか、活用するんですよね。 ですので目的語に自分とかワンセルフみたいなのが出てくるんじゃなくて、動詞の形自体が
変化するというのが特徴です。 古典語に結構特徴的なんじゃないかと思います。
中動態の起源と自動詞との関連
さっき言ったギリシャ語もそうですけど、 インドヨーロッパ祖語、ギリシャ語よりもさらに
遡れるようなインドヨーロッパ祖語にも中動態はあったと考えられてるんですね。
中動態っていうのは動作が自分自身に返ってくるというか、 その動作を自分自身というか主語自体に向けて行うみたいなのが中心的な意味というか
機能なので、 そういった意味で自動詞と中動態っていうのはかなり連続しています。
言語によっては例えば、曲げるに対して曲がる、 溶かすに対して溶ける、この曲がる溶けるみたいなのが中動態で表されるっていうタイプの言語もあるんですよね。
この意味合いで英語で中動態っていうのが使われることがあって、 中道と言わずに中間ということも多分あるんじゃないかと思うんですが、
どういったものかというと、
英語における中動態的な表現
This book sells well. この本はよく売れてるみたいなもので、
sell っていうのは売るという多動詞的な意味があるわけですけど、 自分自身を売るみたいな意味で
This book sells well. 日本語風に言えば売れるですね。売るに対して売れる。 こういったものが中動態と言われることもあります。
ただ英語の場合は、sell っていうのが何か特別な中動態の形になっているわけではないんですよね。
動詞の形に変化がないので、 そういった意味で古典ギリシャ語の中動態とはちょっと違うかなと思います。
古典ギリシャ語の中動態っていうのは、 能動態と中動態で全然違う動詞の形をとるので、
英語のsell っていうのは今言ったように動詞の形自体は変わってないんですよね。
ただ意味としては、This book sells well っていうのは、 動作が自分自身に影響を与えるという意味で中動態的であると言えると思います。
あるいはsellだけじゃなくてopenとかもそうですかね。 This gate opens verysmoothly とか言った場合、
この門はスムーズに開くみたいな。 こういったものも中動態と説明されることはあるんですが、
繰り返しですけど、openの形自体は変わってないんですよね。 そもそも中動態じゃなくて、ただの字同士じゃないかと言われたらそれまでなんですけど、
その動作が作用する先が主語自身であるという意味では、 中動態的であると言えると思います。
中動態が表すその他の意味
中動態が表す意味・機能として、 姿勢みたいなものがあります。
姿勢というか移動みたいなもので、 立ち上がるとか座るっていうのが中動態の形を取るものもあるんですね。
これは自分自身を動かすみたいな、そういったことですね。 同じように感情も中動態で表すことがあって、喜ぶとか悲しむとか、
どうですかね、これもやっぱり自分自身を喜ばせる悲しませるっていうような感じで、 自分自身が変化の対象になっているので中動態を使うということです。
中動態と日本語の文法構造の違い
今挙げた例を考えてみると、中動態っていうのは 字同士と他同士の中間的な存在と言えるかもしれません。
まさにミドルっていう感じですけど、 この辺の話は前回の日本語の最期高文の話でもちょろっとしたんですけど、
ある意味で多動詞なんですよね。 何か対象に働きかけるという意味では多動詞的ですが、
その対象が主語自体である何か他のものを変化させるというよりは、結果的に自分自身がその動作の影響を受けることになるので、
そういった意味では字同士的です。 中動態、ミドルボイスのミドルっていうのはまさにそういうことかなと思います。
日本語には中動態と言われるものは普通ないので、 なかなかイメージしづらいところはあるんですが、
古典ギリシャ語を含むそのヨーロッパの言語で中動態的なものが広く観察されるのは、
そういった言語が、 多動詞がベースにあるっていうのがまずあると思うんですね。
多動詞というか能動体っていうのがベースにあって、 そこから一種の自動詞化として中動態が機能しています。
本が売れるとか門が開くみたいなものは、 本を売る、門を開ける、こういった能動体、多動詞文がベースとしてあって、
そこからの派生っていうふうに多分考えると思います。
この辺は、例えば英語の感情形容詞とかにもちょっと共通していて、
英語で驚いたとかいうときは、 I was surprised っていうふうに、
be 動詞プラス surprise の過去分詞形、 つまり一種の受け身形を使うわけですよね。
直訳空訳すれば、私は驚かされたとなるわけですが、 これもやっぱり surprise という多動詞から、
それをベースに be surprised という自動詞を派生していますよね。
日本語の場合は、驚くというのがまず自動詞としてあって、 人を驚かせるっていうふうに、
せるさせるみたいなのを使って多動詞を作るんですよね。 自動詞ベースで多動詞を作る。
この辺はする型言語となる型言語とか、 その辺の話ともちょっと関わっているような気がしますが、
中動態が見られる言語は、多動詞がベースで、 そこから自分自身をどのこうのするっていうふうに、
後から自動詞を作るようなタイプの言語で見られます。
それに対して日本語はどっちかというと自動詞が多分ベースで、 そこから多動詞を作っていくので、
そういう意味で中動態っていうのはあんまりないんじゃないかなという気がしますね。 というわけで今回のエピソードはここまでということで、
また次回のエピソードでお会いいたしましょう。 前回のエピソードもぜひ合わせて聞いていただけたらと思います。
番組フォローまだの方はよろしくお願いします。 お相手はシガ15でした。