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東京オリンピック始まりましたね。 既にメダルを獲得しているような競技も出てきてて、
オリンピックの良いところは、 普段馴染みのないようなスポーツの良さに気づかされるところですかね。
選手の皆さんにはね、健康第一、 あと怪我にも気をつけて頑張ってほしいと思います。
志賀十五の壺です。 今日のトークはですね、
タイトルにもございますように、受動態っていうのをテーマにお話ししていこうと思います。
受動態、あるいは受け身分と言われることも多いですね。 どうだろうな。
どっちが多いかな。 実質指しているものは同じです。
日本語だと、動詞にれる、られるのついている形を受動態ということが多いですね。
兄が私を殴るに対して、私は兄に殴られると、 こうなるわけですよね。
英語にも受動態っていうのはあって、皆さんご存知のように、 b 動詞プラス過去分詞形。
これが英語の受動態ということになっています。 どんな言語にも受動態はあるかというと、
どうでしょうね。多くの言語で観察される現象ですが、 その受動態っていうのを何かこう、法律的に説明できるかというと、
まあ難しいところではありますけど、一応典型的な受動態とはこういうものですっていう定義のようなものはあるんですね。
一つは、目的語が、
他動詞の目的語が主語になるっていうのが、 まあ一つ目の特徴です。
私を殴るに対して私が殴られるというふうに目的語が主語になると。
2つ目の特徴は、動詞の形が何かしらの形に変わるというものです。
日本語だったら、れる、られるっていう設備字と言われるものですね。 こういったものがついたり、
英語も b 動詞プラス過去分詞形っていう特別な形を使います。
これね、過去のトークでお話ししてるんですけど、タガログ語っていうフィリピンの言語があって、
この言語にも受動態っぽいのはあるんですけど、 ちょっと受動態とは言いづらいんですね。
というのも、能動態っぽいものの方にも受動態っぽいものの方にも、
何かしら動詞にくっついてるんですね。
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英語とか日本語みたいな言語だと、完全に能動態の方がデフォルトあるいは無表で、
受動態の方が有表、つまりプラスアルファ何かしらついてるっていうのがわかるんですけど、
タガログ語の方はどっちも何かついてるように見えるんですね。 なのでタガログ語の場合は、
受動態とは普通言わないんじゃないかなと思います。
つまり受動態っていうのは、能動態に比べて何か特別な動詞の形を使うということです。
3つ目の特徴は、 もともと主語だったものが消えていなくなるか、
あるいは周辺的なものになるということです。 私は兄に殴られた。
この 兄に というのは なくてもいいんですね。
私は殴られた。 英語も同様で 「ばいだれだれっていうのは 出てこなくてもいいです。」
むしろそういう 誰がやったかっていうのを隠したい時とか、よくわからない時に受動態っていうのはよく使われるんですね。
つまり もともと主語だったものを背景化するために 受動態っていうのが使われるとかね、よく言われます。
以上 受動態の典型的な特徴を3つお話しいたしました。
1つは 目的語が主語になる。
2つ目は 動詞に何らかの変化がある。
そして 最後は もともと主語だったものが どうでもいいものになるというかね、
格が落ちるというか 周辺的なものになると、そういった特徴がございます。
ただ 日本語の受動態っていうのは この3つの定義に 当てはまるかというと そうとも言えないものも たくさんあります。
確かに さっき言ったように 「私は兄に殴られた。」みたいなものは 典型的な受動態です。
こういったものは 特に 日本語教育とか 日本語学とかでは 直接受け身と言われるものです。
私を殴るから 私が殴られるのように 目的語が主語になるタイプです。
これが 直接受け身です。
直接受け身があるということは 間接受け身があるのです。
これは どういうものかというと 受け身文の主語が もともとの能動文に 登場しないようなものです。
よく挙げられるのは 「私は赤んぼうに 泣かれた。」みたいなものです。
私は赤んぼうに 泣かれた。
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赤んぼうが泣いたという もとの能動文が ありますが ここに 別に 私というのは 登場していません。
ただ 受け身文になると 私は赤んぼうに 泣かれた となります。
あるいは 隣人に騒がれた 雨にふられた というものです。
このようなものは 迷惑を受けている 悪影響を 受けている ニュアンスが あるので 迷惑受け身 という言われ方も されます。
面白いのは 今 言った例は 全部 自動詞です。
「泣く」や「騒ぐ」は 目的語が 出てこない 自動詞ですが 日本語だったら 受動態に なれます。
英語だと 厳しいです。 雨にふられた というのを 直訳しようとすると かなりきついです。
今 言った 直接受け身と 間接受け身に 加えて 持ち主の受け身 というものも あります。
これも 面白いです。
私は 財布を 取られた みたいな ものです。
これは 何が 面白いかというと 財布を 取られた という 受動態なのに 財布を という 目的語が ある ということです。
先ほど 言った 典型的な 受動態では 目的語が 主語になるので 目的語は なくなるはずです。
私は 財布を 取られた みたいな 場合は 持ち主の 受け身であれば 言えて しまいます。
あとは 頭を 殴られた という 受け身です。
これは 財布が 取られた 頭が 殴られた みたいな 言い方をすると 直接受け身です。
持ち主の 受け身は むしろ 物の 所有者が 主語になって 私は 財布を 取られた 私は 頭を 殴られた みたいな 言い方に なります。
これも 間接受け身と 同じように なんとなく 迷惑の ニュアンスが あるように 感じられる かもしれません。
私は 縁起を 褒められた みたいに プラスのことにも 使えるので 必ずしも 迷惑の意味を 伴うわけでは ございません。
こういうふうに 日本語の受動態は 目的語を 主語にするという 典型的なものから 外れているものも 多くあります。
このために 学校英語で 英作文を すると ミスが 出ます。
私は 財布を 取られた とかで I was stolen とか 言います。
なぜ こういう 受動態が あるのかというと 事情は 言語によって 異なります。
例えば 英語のような 言語だと 文の流れとして 古い情報から 新しい情報に という流れの方が 分かりやすいので 受動態を使って 旧情報を 主語にすることが 行われます。
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日本語の場合は 和という 便利なものが あるので 和を使えば 旧情報を 表すことが できます。
無理に 受動態を 使う必要は ない場面も あります。
ここは 言語による ところが ありますかね。
今回のトークは 受動態について お話ししました。
次回のトークは 逆受動態について お話ししようと思います。
こちらは とても 頭を使う トークになると 思うので 楽しみにして おいてください。
では また次回 お会いいたしましょう。 ごきげんよう。