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先日私は足の骨を折りました といった場合、
普通は、 私自身が骨折したという解釈になると思います。
解釈しようと思えばというか、誰の骨ということは言ってないので、先日私は彼の骨を折りました
そういう意味に捉えることもできなくはないですけど、 普通誰々のっていうのがない場合、先日私は骨を折りました。
この骨の所有者というか持ち主、誰の骨かっていうのは、 この場合私ですけど、
主語と同一人物だと考えられます。 太郎は足の骨を折りました。だったら、太郎が太郎の骨を折ってしまったということですね。
日本語は誰々のというのを積極的に言わない場合、 持ち主、所有者を明示的に表さない場合、
主語と同一人物だということがよくあるんですよね。 今回の骨を折るみたいなものは、
鉛筆を折るみたいなのとちょっと違って、 確かに折るっていうね、何か対象に変化が及ぶっていう意味では共通して
ますが、鉛筆を折るの場合はその変化が 自分以外の鉛筆というものに及んでいるわけですが、骨を折るの場合は
その被害者っていうかね、変化するのは自分自身です。 ある意味で自分の一部である骨が
変化することになります。 こういうふうに自分自身に動作が作用する、あるいは変化が及ぶみたいなものを
言語学では再起という言い方をするんですね。 再び変えると書いて再起です。
BGMです。 始まりました四ヶ十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ラスコーリー・ニコフです。 今回はこの再起というのを日本語を中心にね、考えていこうと思います。
日本語ではある意味で再起っていうのはそんなに、 もしかしたら問題にならないかもしれません。
というのが、言語によっては再起専用の動詞の形っていうのがあったり、
再起専用の代名詞っていうのがあったりするんですね。 日本語で言うとこの自分とか、自分のっていった場合この自分というのは
典型的には主語と同一人物を指すので、 自分というのは再起代名詞と言えなくはないですね。
英語であればマイセルフとかユアーセルフとか このセルフがつくのが再起代名詞で、主語と同一人物である時にこのセルフ
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のつく再起代名詞が使われます。 日本語の場合はさっきも言ったように
私は先日足の骨を折ったって言った場合は、 普通は
私自身、主語の足の骨というふうに解釈されるので、 自分のっていうのを無理に出す必要はないんですよね。
私は先日自分の骨を折った。 むしろ不自然に感じるんではないかと思います。
骨を折った、足を折った、手を折ったでもいいんですけど、 こういった再起的な表現は
他に影響が及ばずに自分自身に影響が及ぶということで 身体部位が目的語になるような多動詞表現ということができます。
足とか手とか骨っていうのは全部身体部位というか 全体あっての部分というか
そういった名詞ですよね。 他にも目を覚ますとか
唇を震わすとか やや寛容的ですけど口を滑らせるとか身を焦がすとか
胸をときめかすとかこういったものは全て 多動詞は使っていますけど
他の対象に何か動作が作用している 変化を与えているわけではなくて
自分自身に返ってきているというか 自分自身に動作が及んでいる
あるいは変化が起こるっていうような そういった表現になっています。
なので骨を折るとか あるいは腰を冷やすっていうのは形の上では多動詞ですけど
意味としては自動詞に近くて ある意味自動詞と多動詞の中間にあるような表現が
最近ということができるかもしれません。 骨を折れたったら骨が折れるっていう言い方もできるので
先日私は骨を折ったっていうのと先日私は骨が折れたっていうのは 意味としてかなり近いところがあるかなと思います。
先ほど骨を折るっていうのは鉛筆を折るっていうのと 違うっていうお話をしましたけど
それは対象がね 自分自身かどうかっていうことでしたが
もう一つ骨を折るみたいな再起的な多動詞文は 普通意思を持って
その動作をするわけではありません。 意図的に骨を折ったとは普通は解釈されなくって
和謝の意思に関わらずそういう事態が起こってしまった そういった意味で自動詞に近いとも言えるんですが
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同じように目を覚ますとか 唇を震わすとか
胸をときめかすみたいなものは 普通は意思を持って行うというよりは
無意識的にそういった動作が行われるという特徴があります。 もちろん文脈によっては私はわざと自分の骨を折ったとか言えば
意思的に行ったということがわかるんですけど そういうわざとみたいなのがなかったら
私は骨を折った。 ノーマルな解釈はそこに主語の意思みたいなのは関わっていないんではないかと思います。
ただこういった再起的な多動詞文であっても 目的語が
骨とか唇とか胸とかそういう身体部位ではなくて
衣類の場合は意思的に行うことができます。 例えば服を着るとかですね。服を着る、服を脱ぐ、帽子をかぶる、靴を履く
こういったものも再起的な多動詞文ということができて 要は自分自身が変化することになるので何か別の対象に働きかけているわけではないんですね。
そういう意味で帽子をかぶるっていうのと骨を折るっていうのはどちらも 再起的な多動詞文であるということができるんですが
帽子をかぶるみたいなものは意思的に行うことができる一方 骨を折るみたいなのは普通主語の意思が関わっていないとそういう解釈になります。
さっきも言ったように骨を折るとか目を覚ますみたいな 再起的な多動詞文は
ある意味対応する自動詞文みたいなのがあって骨を折るだったら骨が折れる 目を覚ますだったら目が覚める
ある意味そういう言い換えが存在するんですよね。この2つの 違いは何かっていうのは結構難しいですね。
今朝目を覚ますと日が昇っていた。 今朝目が覚めると日が昇っていた。
そんなに違いはないような気がします。 ただどちらも共通しているのは誰々のっていうのはやっぱり出てきづらいということですね。
私の目を覚ますと日が昇っていた。 普通言えないですね。
私の目が覚めると。これもかなり厳しいと思うので そこは共通しているのと、これも繰り返しですけどね
どちらも無意識的に行われる動作っていうのも共通しています。
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この最期的な多動詞文と次動詞の話で ちょっと気になる記述がありまして
彼が口を開いて寝ているとか あるいは彼が目を開いて寝ているみたいな言い方ができるみたいなのが
日本語教育の本に書いてたんですよね。 僕はあんまりこれはピンときていなくて
目を開けて寝ている、口を開けて寝ている この開けるという多動詞を使うんだったらいいんですけど
その本によればですね、開けるという多動詞だけではなくて 開くという次動詞であっても
目を開いて寝ている、口を開いて寝ていると言えるとあるんですね ただこれは目的語が目と口に限られるっていう
ただし書き付きなんですけどどうですかね 目を開いて寝ている、口を開いて寝ている
母語っていうのは反省しづらいものなので
もしかしたら平気で言えるものなのかもしれないんですけど 僕自身はあんまりピンとこないですね
目を開いて寝ている やっぱり目を開けてじゃないと厳しいんじゃないかなという気がするんですが
皆さんはどうでしょうか というわけで今回は
最奇的な多動詞文とも言えるような 骨を折るとか目を覚ますとか
あるいは帽子をかぶるとかそういった多動詞文の話で 形としては多動詞であっても意味としては次動詞に近い
そういった多動詞と次動詞の中間にあるような文のお話でございました
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう 番組フォロー窓の方はよろしくお願い致します
お相手はシガ15でした