活格不活格言語の基礎
本日のエピソードのテーマは、活格不活格言語です。
この読み方が果たして活格でいいのか、それとも活格と読むのか。
まあ、いずれにせよ、活格不活格言語。英語では、active inactive あるいは active stative ということもありますかね。
果たしてこの活格というのは何なのかというと、 自動詞の主語の標識のことです。
自動詞というのは、 主語だけ現れれば ok な動詞。
走るとか、私が走る、日が暮れる、 こういったものは自動詞と考えられます。
自動詞の対義語というか、よくペアになって考えられるのが多動詞で、これは主語プラス目的語も必要な動詞です。
彼が水を流す。これは彼というのと水というのと、主語と目的語、2つ名詞が出てきていますよね。
この活格というのは、自動詞の主語の標識の話なので、
日本語だったらさっきも言ったように、 私が走る、日が暮れるというふうにがが出てくるわけですよね。
このがというのは、普通主格という言い方をします。 日本語学だったらが格ということもありますが、
もうちょっと広い文脈ではね、主格、 英語だと nominative という言い方をします。
では日本語の活格はがであると言えるかというと、そういうわけではなくて、日本語には活格というのはありません。
活格はなくて主格のがというのがある。それだけです。 では自動詞の主語を表す活格って一体何なのか、
日本語の主格のがとはどう違うのか、これが全然違うわけですが、そういったお話をしていこうと思います。
意思と動作の関係
BGMです。 始まりました。4月15日のツボ。みなさんいかがお過ごしでしょうか。トム・ハンクスです。
この活格、そして不活格というのは、自動詞の主語を表すマーカーのことです。
日本語だったら自動詞の主語っていうのはがっていうので、主格のがというので表すので、
つまり自動詞の主語の標識は1個しかないということですね。 がしかありません。
ですが言語によっては自動詞の主語の表し方に2つパターンがあるということがあります。
そもそも自動詞には意味的に大きく2つのタイプがあります。
1つは主語が何か意識を持ってというか、意思を持って動作をするような、そんな自動詞。
もう1つは主語はあまり意思を持っていなくて、むしろ動作の影響を受けるような、そのような自動詞。
この2つの自動詞のタイプがあります。意味的にはそう言えるんじゃないかと思います。
時々これは非能格動詞と非対格動詞と専門的に言うこともあるんですけど、その話は置いておいて、
主語が意思を持って何かするか、あるいは意思を持たずに何か動作の影響を受けるか、
これはちょっと具体的に考えてみるとわかりやすくて、さっきの例でもいいんですけど、
走るっていうのは主語が何か意思を持って、走る意思を持って動作を行うような、そんな動詞です。
それに対して日が暮れるみたいなものは、よし今から暮れるぞと思って日が暮れるというよりは、
勝手にというとあれですけどね、主語の意思に関係なく動作が行われます。
前者のタイプ、意思を持って行うようなものは、
走るの他には踊るとか、こういった動詞も主語が意思を持って動作を行います。
そういった意味で、この走るとか踊るとか、専門的に非能格と言われることもある動詞の主語は多動詞の主語に近いんですよね。
多動詞っていうのは、彼が石を落とすとか言った場合の彼ですね。
この落とすの主語、彼っていうのは意思を持って石を落としているので、
走るとか踊るの主語に意味的に近いです。
それに対して日が暮れるとか、石が落ちるとか、水が流れるとか、
こういったものは、こういった自動詞の主語は、意思を持って
暮れたり落ちたり流れたりしているわけではありません。 このような専門的に非対格動詞とも言われるような自動詞の主語は
多動詞の目的語に意味的に近いんですよね。 まさに石を落とすとか水を流すとか言った場合の
石や水に 意味的に近いんですよね。
つまり自動詞の主語の中には、多動詞の主語っぽい自動詞の主語と、
多動詞の目的語っぽい自動詞の主語と 2つタイプがあるということなんですね。
さて、では、かつ格不かつ格というのはどういうことかというね、話に戻っていきますが、
今の話を踏まえて言うと、かつ格っていうのは、 多動詞の主語と
多動詞の主語っぽい自動詞の主語を 表す
格、マーカー、標識 のことです。
それに対して不かつ格というのは、 多動詞の目的語と
多動詞の目的語っぽい自動詞の主語を表す標識のことです。 こういうのはね、たらたら説明するよりも、ちょっと日本語で考えてみるとわかりやすいと思います。
日本語の自動詞じゃないや、多動詞をまずベースに考えてみると、
彼が石を落とすとか、 太郎が花子を殴るとか、
多動詞の主語にはが、目的語にはをというのが使われています。 このがとをっていうのをベースに考えてみると、
かつ格というのががということになります。 ですので何か意思を持って
動作を行う自動詞の主語は、かつ格のがで表されるので、 私が走る、
彼が踊るっていう風に、 こういう走るとか踊るみたいな動詞の主語にはがが、かつ格が使われます。
じゃあ日本語と一緒じゃんという気がするんですが、 その一方で
くれるとか落ちるとか流れるとか、 こういった
自動詞の主語は不かつ格が使われます。 つまり、
多動詞の目的語と同じをという標識が使われることになるので、 なので火をくれるとか、
水を流れるとか、石を落ちるとか、 そういった言い方になるということですね。
当然これは違和感あると思いますけど、 ただ意味的には、繰り返しですけど、
火がくれるとか水が流れるとか石が落ちるとかいった場合のこれらの自動詞の主語は、 意味的には多動詞の目的語、花子を殴るの花子に近いので、
だったら標識も同じをを使おうと、 まあそういった言語もあるんですね。
かつ格不かつ格型言語というのは、 自動詞の主語を
多動詞の主語と同じように扱うこともあれば、 多動詞の目的語と同じように扱うこともある。
いわば自動詞の表し方に2通りのパターンがあるような言語だと、 まあそういうことなんですね。
日本語の特異性
今までの話だと、動詞ごとに、自動詞ごとに、 その主語をかつ格で表すか不かつ格で表すか決まっているみたいな、
そういうふうに聞こえたと思います。 つまり、踊るだったらかつ格を使って、流れるだったら不かつ格を使う。
実際そういった言語もあるんですが、 言語によってはもっと流動的なものもあります。
例えば滑るっていう動詞は、 意思を持って滑ることもできれば、
まあ故意に滑ることもできれば、 無意識にというか、うっかり滑ってしまうこともあり得るんですよね。
その滑る動作が、意図的か非意図的かによって、 かつ格か不かつ格かを使い分ける言語もあるんですね。
つまり、私が滑った がっていう、いわば仮想かつ格みたいなのを使った場合は、
わざと滑ったという意味になって、 私を滑ったみたいな、
不かつ格を使った場合は、うっかり滑った。 そういう意味になるっていう言語もあります。
なかなか面白いですよね。 日本語は自動詞の主語には がというのしか使わないので、
その意思があるかどうかによって、 自動詞の主語を表し分けている。
他動詞の主語と同じように表すか、 他動詞の目的語と同じように表すか、
そういう使い分けがあるっていうのは、 なかなか興味深い。
なかなか面白いなという感じなんですが、 実は上代日本語、奈良時代以前の日本語は、
かつ格不かつ格型言語だったっていう、 そういう説もあるんですね。
時間なくなっちゃいましたので、 その辺の話はまた機会があればね、お話ししようと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。 番組フォローまだの方はよろしくお願い致します。
お相手はシガ15でした。 またねー!