青春時代というと中古を思い出す方々が多いんですよね。
制服とか
でも一番無垢に思ったことを思ったままに
発露できたのってあの頃だよねみたいな
僕らなんか特に体の発達も早かったからさ
心もある程度引っ張られるじゃないですか
そうだね
多分4年生ぐらいには完成してたんじゃないかなって気がするし
だんだんその後行ってないし
そうだよねお前の場合は
やっぱりもどかしい自分というか
こうしたいけどできなくなってしまうっていうね
今まで当たり前にできてたことが
気恥かしさとかさ
何かしらの違いを気にするようになってしまってできなくなってしまう
そういうもどかしさを抱えたままの
少年時代というか
あれってもう既に青春じゃないのみたいな
気はなんかしてしまったりするんですよね
そうだね
多い数にミニバスに空け暮れた日々はある意味青春だったな
まあそうですよね
消化してたわけですからそれをね
そんなわけでですね
今回扱っていく本作打ち上げ花火下から見るか横から見るかも
そんななんかもどかしさを抱えている小学校6年生が主役ですよね
そうだね
そんな感じの
はいじゃあちょっとねまずは
これ知らない方も多いと思いますので
あらすじ紹介からいきましょう
いきますか
はいということで今回紹介するのは
岩井俊治監督による打ち上げ花火下から見るか横から見るかでございます
1993年にテレビ放送されたオムニバスドラマの1話なんですけれども
これが大変高く評価されたこともあり
2年後95年には劇場公開版が映画館で放映されたという風な流れでございます
主演は大きな恵と山崎優太ですね
舞台は小学校で夏休み前から夏休みにかけてのわずかな2日間ですかね
の物語になってますね
のりみち君っていうのが主人公なんですけれども
悪友たちと一緒に花火は横から見たら丸いのか平べったいのかみたいな
下から見たら変わるのか
諸々そんなことを言っているわけですね
花火大会の夜に灯台の上から確かめるみたいなそんな計画を立てたりしている
一方でのりみちとその悪友のうちの一人ゆうすけには気になる女の子がいて
その子は謎田ちゃんなんですけれども
彼女は母親の身勝手によって夏休みを境に引っ越さなければいけないことが決まっていると
そんな中のりみちとゆうすけは水泳で勝負することになって
勝ったら謎田に告白するぜみたいなことをゆうすけは言うみたいなところで
のりみちは勝手にしろよみたいな強がってみたりなんだりしていると
結果的にのりみちがターンをミスってゆうすけが勝つんですが
すると謎田がゆうすけを誘う
花火大会一緒に行こうよと
ゆうすけはビビってバックレるんですけれども
そんな正真の謎田を母親がさらっていくと
それを見てのりみちはあの時俺が勝ってたらみたいなことを思うと
時間軸はなぜか巻き戻って競泳のシーンに戻る
果たして謎田とのりみちの恋の行方は?
なぜか?
今日なんかミスったよね
これ無理だって
説明しようがないよって
でももう十分でしょ
そこから先は皆さんご覧下さいですから
それをあらすじと言わんだが
それはビデオの裏側書いてあるやつ
ビデオケースをね
そんなわけで結局時間軸巻き戻ってのりみち勝つんですけど
したら謎田とデートすることになるんですよね
そうだね
花火大会行くって言ってたのになぜか謎田は花火大会に行かずに
このまま隣町に行って私たち駆け打ちするのよみたいなこと言って
でなんか駅に着いて長々とバスに揺られて
隣町に向かって行く駅に着くんですよね電車の駅に
そうだね
でいざ切符買うよってなったら
切符なんの話みたいな
ね
もう帰るよみたいな
さっきまで女の子なんてお金も稼げるしみたいな
私16歳って言って通用するっしょみたいな感じで
ベニーなんか引いちゃってね
ベニーお城につけた姉ちゃんたちが
もう全州に引っ張られてる
くださいちょうだいでいただきますと言ってね
とにかく謎田にちょっと翻弄されて
そんなノリのやつがちょっといて
謎田に翻弄されまして
で切符の謎田は急に心がありしたのかわかんないけれども
帰りますよと言って
で2人はまた元の町に帰ってくるんですよね
でもうとっぷり夜も更けて
その中で2人は小学校のプールで思いっきりはっちゃけるわけですよ
誰もいないプールで
で謎田はまた2学期会おうねって言って去っていく
去っていく
というか新規理解で強制さよならだった
そうですね
で何やったんやろうみたいな感じでのりみちくんは
花火が終わった夏祭りに一人でやってきて
で先生に会って花火ってどうなんすかみたいな話をしたら
都合のいいことに花火師が知り合いにいて
花火を特別に打ち上げてもらうことになると
でのりみちは下から花火を見上げて
花火が丸く咲くんですよね
で一方その頃ゆうすけその他諸々男子たちは
花火大会終わってんじゃねーかよとか言いながら
一応横から見る予定だった灯台にたどり着いて
灯台の上でタッチオンしてたら花火がバーンってかかって
でやっぱり花火は丸かったんですよね
そうだね
で丸い花火を見つめる少年たちとともに
テーマソングが流れて物語は終わっていく
これが元は45分くらいでしょうね
ドラマ版ではそんなもんだろうな
そうなんですよ
じゃあ早速ジャブを打っていきましょう
ジャブいきますか
俺も真っ先にツッコミでジャブがあって
なんですか
戻せってやつ
それ言い出したら僕も言わせてもらうと
刑犯罪祭りですね
これもうさ今だと絶対コンプラ問題で絶対撮れないシーンいっぱいあるよね
そうなんですよだからこの作品をひょっとするとというか
今の子たちに勧められないよね
多分テレビで放映できないんじゃない
テレビでは放映できないと思うしなんかこう勧めたら見てほしいんですよ
個人的にはすごくいいなって思うところがいっぱいあるから見てほしいんだけど
勧めたことによってそれがセクハラになりかねない可能性があるっていう
ちょっといろいろ今の感覚で言うと大丈夫かってなるところは結構いっぱいあって
その女の先生の父揉みを決める6年生男子とか
タチションするとか東大も不法侵入だしね
しかも作もなんもねえとこいったからな
そうそうそうもういろいろね大丈夫かってなる
やらかしまってるし
なんなら俺あの子役のあの子
うん誰
あのそのモンダゼの子
モンダゼの子
モンダゼの子さあのどう見てもがっつり揉んでるんだよね
揉んでるね
多分あのすげえドキドキしながら撮影したんだろうなって思ってさ
そうね浅木久彦さんですよね
浅木久彦さんっていうのが
若かったなあ
最近はもう全然テレビも出てらっしゃらないですもんね
結構バラエティによく出てらっしゃった覚えがありますけど
この人か
そうそうそう
はいはいはいわかるわかる
わかるでしょ
わかるわかる
結構幅広く活躍されていらっしゃいましたね
俺の中ではちょっとバラエティタレントみたいな印象になっちゃってますけども
まだ若い時ですから
ちょっとここ
かっつり揉んでましたし
だからああいうシーンは今やったら
下手したら子役に対する虐待として扱われるだろうし
大きな恵みに言わせてるセリフとかもちょっと怪しくなってきちゃう
賠償して稼ぐとかなんとかって言ってるもんね
そこまでは言ってないんですけど
女の子はどこでも働けるとしか言ってないですけどね
そこまでは言ってない
大人の境界が入った
だからスナックとかパブとかで全然誤魔化して働くみたいなこと言ってるんだと思いますけどね
まあそれもダメなんですけど
結構色々と今の感覚だとこれはちょっとっていうところが多くて
ただそれらをじゃあ見ても見ちゃダメとか
じゃあ放送しちゃダメ
じゃああまり良くないっていうのは暴論だよねっていう
削減税と関係ないもんね
そうまったく関係ないし
その当時感っていうものはやっぱり今から書き換えようとって変わらないしね
だから当時のものは当時のもので当時の感覚を理解した上で楽しめばいいだけの話だし
下手に例えば僕らがその例えばその平成初期の日本を舞台にした何かを作り上げようと思った時に
そのコンプラだのねポリコレだのっていうものに左右されるからといって
やたらと不維鋭な平成初期を描いたらそれは歴史修正主義じゃん
そうだよね
それは違うよねって正直なるよね
それが許されるんだったら綺麗な歴史しか作られないよっていう
よくあるハリウッド映画とかで
あんまり言っていいのかわかんないけど
黒人さんの貴族がいるとか
だからあれだよね人種がものすごくバラエティに富んでる中世ヨーロッパみたいな
貴族がいるんだよね
完全にナーロッパだよ
そうそうそうそれは結局
いわゆる舞台でやることかもしれなくて
いわゆる映像表現で言ったら別にそこは違うんじゃないっていう
ある種はそこは嘘だけど嘘の現実を作る場でもあったりはするので
そのあたりがねっていう気はします
それで言うと見目うるわしい役者しか使わないっていうのもちょっと違うよねっていう
そうだね
ところがわかるんですよそれは全然わかります
見目うるわしい王子様っていう役だったら見目うるわしくていいんですけれども
そうでないんだったらそうでなくていいよね
それで言うと昔の日本映画僕は大好きですね
昔の日本映画の俳優さんってすごいバラエティに富んでるじゃないですか
まあでも確かにそうだよね
そう独特な顔つきの方々いっぱいいますし
だって厚見清史さんなんてさ
ねえ
多分まあ男は辛いよの顔っていうか厚見清史さんが男は辛いよ以外に出てるところ俺は知らないんだけど
一応いろいろ出てたんですよ
若い時は
若い時はいろいろ出たんですよ
はい
真面目だよからもやるのよ
けどあの人もじゃあ2枚目俳優かって言われたらそうでもないじゃない?
あの人はそもそもコメディアンですからね
ああそうなんだ
そうそう浅草かなで下積みをされてたんだと思いますけどね
コメディの舞台俳優だったんですよね
だからあんな下構わない
そうだからまあ3枚目ですよね明確な3枚目として
まあしっかりと活躍をしてで映画に出るようになっていったという感じですけれども
でも彼が演技を認められたのは背景天皇陛下様だったかな
知的な障害を抱えている男が戦場に行ってで戦争が終わって帰ってくるっていうそんな物語
で非常に真面目な演技が大変高く評価されてっていう風なその流れだったと思いますけれども
キャスト見ても厚み吸収しかわかんねえ
そうですかね
だからやっぱりこう過去のものは過去のもので楽しんでいくっていうところはすごく大事なのかなと思うので
まあ刑犯罪祭りも多めに見ましょうということですね
事実そうだったんだもんだって僕らが小学生の時ってまだ
だって小学校の時とか今やった
最近聞かないけどスカートめくりなんて日常の反事だったじゃん
全然まだあったよ
中立法とかやってたじゃん
それはやらないですそこまでひどいことはしませんでした
なんだったら俺が1年の時に同じクラスに行った
そうね
のり道と謎の二度と会わない気がしますね
そうだね
おそらく再開しないんでね
終わり方はねっていう風に思わせてくれる感じだったな
という風に思いますけど
そうですね
僕もおおむね同じようなことは感じましたが
もう少し深めの考察じゃないですけれども
もうちょっと考えられるところまで考えてみようかなという風には
一応やってみました
ただちょっと難解ではあるなという風には思っていて
ちょっとどこまで迫れるかというのが微妙なラインかもしれませんが
ちょっとお聞きください
映画打ち上げ花火
下から見るか横から見るか
事実上のセルフエスティーム映画説
セルフエスティーム
そしてエコーかけるの忘れたね
忘れたんじゃない自信がないときはエコーかけないと決めてるから
というわけでね
本作はタイトルがそういうタイトルなんですけど
実質下から見るか横から見るかっていうのは
この物語の主題となる選択じゃないんだよね
本当は他のエピソードタイトルに比べると
このエピソードのタイトルは
女の子とデートするかしないかだし
あるいは水泳で勝つか負けるかっていう分岐であって
下から見るか横から見るかの分岐ではないんだよね
にもかかわらずそれがタイトルになってるっていうことは
そこに何かしらの暗優が込められているんじゃないか
っていうふうに考えたいわけですよ
その実どうやらドラマの構成の都合上
そのタイトルにせざるを得なかったから
後々解題してこれになったみたいな話があるんですけど
少年たちは花火を横から見たかったっていうタイトルじゃなかったかな
それがこの形に成形されたらしいですけどね
それは去っておき
本作は結局
ユーネクストの煽り文とか読んでも
失われた少年時代のノスタルジー映画みたいな
二度と戻らないあの時を美しく切り取りましたみたいな感じの
紹介をされていて
それもわからなくもないんだけれども
ただ実質この概念と
あと少年たちの様子を見てると
言うほどノスタルジーじゃなくて
あれは当時の少年たちそのものなんだよね
今の感覚で僕らがこれを見て
すげーうわー育ったなっていうノスタルジーを感じるのと
当時の人たちがそれを見たときの感覚は絶対違うんだよね
当時の大人は別にあれ見ても
うちのクソガキがとしか思わないわけですよ
自分たちの少年時代は別だから
あれじゃないもんっていう
だから必ずしもこれを
少年時代へのノスタルジー映画という枠組みで
見るべきではないんじゃないのかと
僕は思うわけですね
いつも通りカルチュラルリーディングをしていくと
これ1993年に放送されたエピソードで
これって一体いつかっていうか
バブル崩壊の直後ですよね
就職障がきの入口にあたるわけですし
さらには劇場公開にされたのが
95年の8月
っていうことは95年って非常に象徴的な年で
阪神淡路大震災ですね
さらに言えば同じ年に地下鉄サリン事件が起きてますよね
そうか
とんでもねえ年だったんですよ
この年ってまさに日本っていうのが
経済的な停滞も始まり
天災が起き
テロが起きたという恐ろしい時期で
漠然としたというよりは
むしろ本当に形を持った不安みたいなものが
結局日本国民に襲いかかってきた年でもあるわけなんでね
ある意味では明日が当たり前に来るという
そういうことがみんながちょっと思えなくなってきたっていう
そういう時代にあったんじゃないのかというふうに思うわけです
今でも阪神淡路大震災が起きた時に
大慌てで電話している母を思い出しますね
それこそ95年っていったら
我々は小学校に入ってくるんですね
数年前までだから僕は兵庫県に住んでましたから
そうか関西だったんだね
引っ越しが遅れてたら今ここにいないかもしれないですからね
そっかそっか
電話かけた友達の家は木造だったんですけど
僕も遊びに行ったことがある家でしたけどね
もうペチャンコに潰れちゃったらしくて
まさにだから本当に恐ろしい1年だったなというところで
そんな中で描かれたのがこの作品だったんですよ
そこで描かれる舞台っていうのは
雛見田田舎町の少年たちの日常で
まさにしかもそこに散ればえまいられているのは
その当時の少年たちの今なわけですよね
限りなく現実のなんでもない日常をバーンと出すことって
すごくその当時の不穏な空気感から言うと
非常に重要なことだったんじゃないかなって思うんですよ
日常がそこにあるということの安心感
それを人々に届けたと言ってもいいんじゃないのかなと
いうふうに思うんだよね
ただそんなその日常の中で
1人いわゆる日常的な日常を過ごすことができていない子がいて
それが謎田なんだよね
謎田は親の離婚からの転校かな
自分の意思とは全く無関係に決まってしまう未来っていうものを
押し付けられている存在として描かれている
これっていわば望んだわけでもないのに
経済の崩壊と天災とテロっていうものを味わった
当時の日本の人たちの不安感と同じものを背負った
存在として置かれてませんかっていう気はするんですよね
ただ一応ね
ここもテレビ放送されているのは93年だから
劇場公開版が出る前にすでに謎田はいるわけで
それで言うと阪神淡路大地震と地下鉄サリン事件はその後に起きることだから
それは作為的に設定されたものではないって言ってしまえばそれまでのことなんだけれども
ただそこに作為がなかったとしても
ある種見てる人たちはそこに自分を重ねたかもしれないというね
偶然の産物でっていう風な考え方ができるんじゃないのかなっていう気がするんです
だから言わば個人ではどうにもできない力によって日常が壊れるっていう時に
同じような状況にある
自分ではどうにもできない親という存在によって日常を壊される少女が
自分自身でルールを作って
自分でその枠から脱出で自分で選択しようとするっていう
そういう物語が描かれて
っていうのはある意味では本当に
自分たちで未来を掴み取りたいよねっていう
この不安の中で自分たちでやっぱ未来掴んでいきたいよねっていう風に思う人々の心に
響いたんじゃないのかなっていう気がするんだよね
今回も一応心理学者を引っ張ってこないとっていうことですね
誰かいねえかってことで
今回引っ張ったのはニール・ロージースという方です
反実仮想思考の機能理論という
知らねえよ
これも知らねえよ
Functional Theory of Counterfactual Thinkingという論文があるらしいですけど
ちょっと調べてみて反実仮想の機能理論
反実仮想思考というね
反実仮想思考っていうのはこれいわゆるもしもです
ifもしもです
このいわゆるドラマの中で描かれてきたものと全く一緒ですね
反実仮想もしもこうだったらなっていう思い
実際には起きなかった可能性を想像することがこれが反実仮想ですね
反実仮想思考になります
これが一体どのように人間の心理に機能するのかっていうのを
ニール・ロージースという人は研究したと
彼はこの反実仮想思考っていうのを対別して2つに分けている
一つはアップワード反実仮想ですね
アップワードですから情操のですね情報の
つまりは現実よりも良い可能性を想像すること
もしもこうだったらいいのに
もしもこうできてたらよかったのに
これは完全に後悔というマイナス感情を生み出すんだけれども
ただ一方で同時にじゃあ次はこうしたらよかったんだなっていう
改善への準備を促すっていう機能を持っている
もう一つはダウンワード反実仮想で
これは要するに過方のダウンワードですから
現実よりは悪い可能性を想像する
ああこうならなくてよかったなっていう想像です
これは安度や満足っていうものをもたらしてくるわけですね
ああよかったもしもこうだったらこうなっちゃってたよなということですね
この反実仮想っていうのが
結局このイフもしもっていうオミニバスドラマにおいては
まんまそれを踏襲しているわけだよね
Aという選択肢を取った場合
そしてBという選択肢を取った場合
そして乗り道も削除で
もしもあの時俺が水泳に勝っていればっていう
と言っていて
これは完全にアップワード反実仮想を行っているわけですよね
ここでキャラクターとプロットに転用して考えると
乗り道がまずは負けた世界線が描かれるんだけれども
謎田は勝ったゆうすけからあっさり捨てられるわけですよね
そうだね
捨てられるのは血なのかなみたいな
そういう血筋なのかなみたいなことを皮肉って謎田自身が言ってますけれども
そして母に連れて行かれるわけです
この出来事っていうのはある意味では
観客から見た場合にダウンワード反実仮想になっている
つまりは自分で未来を選択しようとしたところで
所詮この程度で終わってしまうよね
子供の世界だし謎田からする
さらに言えば自分自身にもそれは返ってくるわけだよね
自分たちで未来を掴もうとしたって
結局抗えない力で未来は決まってしまうわけだから
どうしようもないよねっていう
現実の厳しさを一度突きつけられるわけなんだよ
それはまさしくこの不穏な社会情勢
そしていつ明日がなくなるかもしれないという恐怖から逃れようと
自分たちで未来を選択しようと思っても
所詮はどうにもならない時はどうにもならないんだっていう風な
そういう現実を直視させられるのがAパートになってたと
対してその後にここで重要なのはこの作品は
Bパートが待ってるわけだよね
つまりは乗り道が勝った世界線なの
ここで謎田は疑似駆け落ちをするわけだよね
そうだね
乗り道はそれに付き合ってくれると
ところが電車に乗る直前に自ら町に戻る決意をするわけだよね
ここで謎田が駆け落ちの電車を目前にして
町に戻るっていう風に決めた時に
彼女は一体何でそんな決断をしたのかっていうところが
わりと解釈分かれる余地があるところだと思うんだけれども
そこはおそらくはすでに彼女の目的が達成されているから
っていう風に考えているかなと思います
すなわち自分の意思で自分の未来を勝ち取るということが
自分にもできるんだっていう
自己認識をあそこで獲得したわけなんだよね
ただその先乗り道を巻き込んでまで
自分たちの未来を構築していくっていうのは
彼女の求めるところではなかったわけ
でもやろうと思えば自分にはそこまでのことだってできるんだ
というそういう確かな実感が彼女は欲しかった
なぜなら自分の未来っていうものは
親によって全て決められてしまうんだという
その抗えない現実みたいなものがあって
自分に力はないんだと思ってしまうことが怖かった
だから乗り道と駆け落ちをしようとして
もう確実にできるよっていうところまで来た段階で
なぜならもうそこで満足をしたわけですよね
これっていうのはある種アップワード半日仮想だったんじゃないかと
もっと違う未来もあり得たという可能性
それを我々が見ることによって
ひょっとすると自分たちで未来を選択するっていうことは
やっぱりこういう不穏な世の中で自分たちでコントロールできなかったとしても
意味はあることなんじゃないのかということなんですね
つまり実が止まらなくてもいいじゃないかと
今日の後に明日がある
いや明日はないかもしれないっていうふうな現実は
確かにそこはもう変わらないし
テロなんて未然に防げないし
天才だって当然そうだし
でもそういった中でも自分たちには力があって
明日を選択していくっていう
そういう力が確かにあるんだよねって
まず自分たちが気づくことが
めちゃくちゃ価値あることなんじゃないの?
っていうことを気づかせるための
名津名の動きだったんじゃないのかなっていう
気がするわけですよ
だからある意味で名津名の不自然な
急にキープなんのこと?みたいなことを言っているけれども
あれも恋物語だとして言えば
のり道に対する配慮ですよね
本当は私行きたいんだけど
でも私はもうこれで十分満足したからみたいなことを言ったら
のり道は一生後悔するわけですから
だったら後腐れなくですね
ただの冗談であったかのように終わらせてしまった方が
のり道にも傷を残さずに済むと
彼女はおそらく考えたからそう言ってるのかもしれないけれども
あの時点で将来もズタズタですけどね
ずっと名津名の影を追い続ける人生を送ることになると僕は思いますけれども
第2位の魔法担当生まれる
二学期また会おうねって言って二学期始まったら
いないわけでしょ
あんなんもうねダメだよもう
ラストシーンで灯台に昇った少年たちが花火を見ると
謎々別れた後ののり道を下から見ると
どっちから見ても花火はまあまあ悪いですよねっていう
どちらの世界線を選んだとしてね
つまりは自分たちで選択しようがしまいがそこに起きる
現実は何も変わらないんだよということだと僕は思うんです
ここはちょっと大間と別れるところかもしれない
花火の形は誰がどこから見ようが変わらないんだよね
変わらないんですそれは現実は変わらないという
本当にそこは冷酷な現実なんじゃないかっていう風に僕は思うんですね
なぜならそれは当時感がおそらくそういう感じだったから
でもそれをどこから見るかは自分で決めれるよねっていう
だから変わらない現実をどこから見るかで
結局その選択は自分たちに委ねられてるじゃないかと
だからその変わらない現実を悲観するのでなく
現実は変わらないし未来は変えられないけれども自分たちで選択をしていく
っていうことに価値はあるよねっていうことを訴えている
メッセージ性になってるんじゃないのかっていう風に読むこともできるかもね
っていうことですね
だからいわゆる一夏の背伸びをした
少年少女の二度と戻らない青春を描いた作品
であることは確かなんだけれどもその当時の人々に
なぜここまで刺さったのかっていうとある種そういった
どうしようもない状況の中でみんなもうこのままで
大丈夫なのかなっていう不安感に支配されていた
時代に自分で選択していいよねっていう
選択に意味があるんだよねってだって私たち一生懸命生きてるじゃないっていうのを
少年たちに重ねて観客たちに
返してくれたわけですよ
それによって見た人たちが自己肯定感がぐいってちょっと上がったんじゃないのかなっていう
こんな世の中でどうにもならない自分たちの
変えることのできない現実を前にしながら
それでもやっぱり明日から自分の手で
選択をしていくんだとそれでいいじゃないかっていう風な
肯定感をぐいっと持ち上げてくれた作品になって
いたんじゃないのかなっていうお話でございます
なるほどねー だって誰しも別の
道もあり得たんじゃないのかなみたいなことは色々考えながらも選択して生きていってるわけじゃないですか
そういった中でどうしたって避けられない
悲しい出来事もいっぱい出てくるわけですよ
でもやっぱり選択するって大事じゃないって
その道で良かったんだよって
ことを教えてくれてるんじゃないのかなみたいな
こんな感じでいいですか?
なるほどね そういう風な目線で見ると
この映画がもうちょっと
ノスタルジー以外の目線で見れるね
なんかやっぱりノスタルジーに乗っけちゃいたくなるんだけど
当時はノスタルジーじゃないでしょって
いうことは考えとかないかなと思って
っていうのもやっぱり僕らの今からすると
そりゃスーパーマリオブラザーズ3かわかんないけれども
懐かしいってなるけど
当時は懐かしくもなんともなくただのゲームだからね
最新ではないにしても
まあまあ普通にやってるような映画っていうかもしれない
そうなんだよね だからそこも
考えていかないといけないんだろうなみたいなことを思いながら
見させていただきました
なるほどね
浸っちゃうけどね 懐かしくてしょうがない
完全に浸っちゃった 浸って考察どころじゃないもん
また結構コンパクトだから繰り返し見たくなりますよね
そうそうそう なんか今回20年ぶりかな
ぐらいに見たんですけど それこそ中学校以来
初めて見たんだけど
やっぱり中学校の時に見たっていうのが
強く出すぎてさ そっちの思い出に浸っちゃうよね
もう映画関係ないやん
自分の思い出に浸っちゃうね
そうそうそう この映画見たときなーって
俺今話してて思い出したジャブ1個だけ
ナザーが背伸びして
駅のホームでお着替えするじゃないですか
のりみちくんがちょっとドキドキしながら
ついたての奥から見えるナザーの足を見て興奮するみたいな
それで満を持してナザーが出てきて
どうかな16歳に見えるかなっていう
すごいセリフがあるんですけど
その時のナザーの服装が
ミニーちゃんにしか見えないっていう
ミニーってなる
頭にリボンつくったら
完璧にミニーなんだよあれ
なぜその柄にしてトップス黒やねんみたいな
ミニーやないかいってなるっていう