新年度の目標設定
みみとも
おはようございます。
おはようございます。
久しぶりのみみともですね。
久しぶりかな?そうかな?
そんなことないか。
新年度って結構、私が繁忙期に入っているので、あまり軽井沢にいない。
そうだね。だからちょっと前のことみたいな感じかもしれないね。
そんな感じで久しぶりに軽井沢におりますけれども、
新年度ですね。それも含めてね。
新年度といえばなんだろうね。
新年度といえば。
でもなんかなんていうの。
大体、木が変わるとさ、
今年の目標を考えよう的な感じで、会社だとね。
目標設定みたいな。そういうのがあったり。
まあそうだよね。上木が始まるから。
そこのね、年度末とか昨年度に目標を立て、
新年度、ここに向かって成長していかなきゃね、とか頑張らなきゃね、みたいな感じが
より強く要請されている時期ですよね。
そうだね。雰囲気として。雰囲気としてね。
なんかでも結構さ、難しかったな。
今、なんかちょっと思い出してたんだけど。
そう、確かになんか木が変わってこの半期で、
まあ自分のそのミッション何かって話と、
何を達成の基準としてどうやっていくかみたいな話を考えるのと同時に、
そのために能力開発せよと。
いうふうに言われて、そのための成長を求められるみたいな感じの
だったんだけど、会社が望んでいるとか会社が期待されているという枠組みの中で
自分の能力開発をしていくみたいな、なんていうのかな。
そこがちょっとこう、制約っぽく感じるっていうか。
自由に自分のその伸びていきたい方向に行けるというよりは、
こういうミッションがあって、それを達成するとか、
そこでパフォーマンスを発揮するための成長をしてくださいね、みたいな感じだから。
WILL CAN MUSTで言えばMUSTのね、前提としたね。
MUSTを前提としたCANの開発みたいな話だから、
考えられるけど、自分が自由にこういうふうに伸びていきたいという感覚とはちょっと違って、
心が躍らない。そういう感じ。
なんとなく言わんとしていることがある。
それはこう、新年度にそういうこと思いがちだったってこと。
思いがちだったね。
まあ、半期に1回思いがちだったよね。
目標設定をするたびに。
これやらなきゃいけないのか、みたいな。
でも、たぶんそうだよな、みたいな。
こういう期待のもとではこういう。
会社という枠組みのもとではね。
そう、っていう感じだったな、みたいな。
成長を止めることの影響
なんかでも、楽しいものもあったの。
例えば、MUST寄りのものは楽しくない。
そういうこともありながら。
こういう、自分のWILLとつながるものは面白い。
そうだね。
自分がやりたいと思っているとか、
関心があるとかね。
自分自身がその方向にモチベーションがある。
ものとの重なりがあると、もちろん楽しいんだけど、
ちょっと離れているとね。
例えば、どういうのがあったとか。
どっちも。
ちょっと憂鬱だな、みたいなやつも。
楽しそうだな、みたいなやつも。
なんかね、楽しかった側は、
システムコーチングをさ、自分が学んでた時に、
それは会社という枠組みの中というよりは、
自分の動機でスタートしたものだけど、
あの時期ってちょうど同時並行で会社側でも、
なんかその組織とかチームとか、
なんかそういうことが結構テーマとして置かれていて、
ちょっと重なりがあったんだよ。
だからその会社の能力開発みたいなことで言われているものとも、
この外で学んでたシステムコーチングとかが結構神話性があったりとかして、
そういうのだと楽しかった。
あんまりそういう感じじゃなかったものだと、
なんか多分ね、
KPIがどうとか、
そういう事業運営上の、
そういう系の知識を身につける系のテーマとかが置かれた時とか。
必要だし、やったら役に立つが、
そこにあまり気持ちが乗らないな、みたいな感じのものって言ったらいいのか。
そういう感じかな。
なるほどね。
その手のやつはさ、どうやって乗り切るの?
もうあまり気持ちを乗せない。
どういうこと?
もうそこに自分がそれをやりたいかやりたくないかみたいな気持ちのところには、
もうフォーカスしなくて、
でも引いてるから自分の中でスケジュールを。
もうそれをいついつまでに、
例えばインプットして、
いついつアウトプットするっていうのがもう決まってるから、
それを達成するということのモチベーションでやるって感じ。
そういうこと?内容の話じゃなくて。
内容っていうかその、
心躍るを一旦しまうってことね。
それは、
心をしまう。
それをここの中に見出そうという過程をもうやめて、
タスクをちゃんとやりきるみたいな面白さに振るみたいな。
面白さってことね。
なるほどですね。
そっち側ですね。
そうか。
重なりのあるものを見つけ出せると結構楽しくやれちゃうけど、
私以外もそうかもしれないんだけどね。
という、結構今つらつらと私が喋ったんだけど、
聞いて思うことある?
そうだね。
二つ思っていて、
一つは、
そういうことあるじゃん。乗らないなみたいなことで、
いまいち自分の想像の中ではそれがいいかどうかもわからないみたいな。
ものがあるけど、
それは後々に役に立ったりするのかなみたいな。
っていうところを今自分の中で。
なんかよく言うじゃん。
その時はわからないけど、
そうだね。
後となってはみたいなさ、
こともあるような気もするし、
ないような気もする。
あるような気がしてるけど、
それは気持ちも乗ってたのかもしれないとか、
気持ちが関係なくそういうことってあるのかなみたいな。
気持ち乗らないけどやってたことが、
そうだね。
後からすると、これ大事だったみたいなことって、
みたいなことをちょっと思ったのと、
でもあるかも。
ある?
うん。
それはありますか?
わかんない。
想像で、想像で。
例えば今までなんか、
いま頭の中に巡ってたさ、
気持ち乗らなかったな、
でもとりあえずタスクをこなすということでやったけど、
あれやっといてよかったなみたいな。
いや、いま思いついてないけど、
この先思いつくとき来るのかなっていう。
コネクティングドッツが。
そうそう、コネクティングドッツをいま思い出しててさ。
そういえば、
スティーブ・ジョーズのコネクティングドッツの話、
この間してたなっていうのを思い出して、
ドットの1個だから1個がつながるのかな。
後から振り返ったときには。
後から見ると、
いま思った。
後から見るとそこに面白さを、
違う面白さを見出せる可能性はあるよね。
あの時のこれは、
こういう面白さがいま思えばあるかもしれない。
いや、そうだよね。
自分も変わっていくからさ、
自分には見出せなかった何かが、
ちょっと時間軸がされて、
自分自身が変化したとか、
その時の環境とか状況が変わったときに、
そのドットを見ると、
見出せるかもしれないね。
そうだね。
あと2つって言ってたうちのもう1つは、
会社組織の中にいるときって、
当たり前のようにというか、
大体大前提として、
常に成長していくっていうのが、
求められてるっていうか、
それがこう、
本当に大前提の基盤としてあると思わない?
うんうんうん。
そうだね。
だから常に、
去年よりも高い目標を立てていく、
ということが、
大前提にあったかなと思っていて、
それはその、
今の時代はもちろん変わってくるかもしれないけど、
当時はそういうのがあったな、
20代の子とかね、
いう社会だったなというふうに思っていて、
一般的に。
その時に、
成長するのとか、
めんどくさいなって思ったことがある。
なぜね、成長しなければいけないのかなとか。
でも同じふうに感じてる人いると思う。
いるかな?
いるんじゃない?
っていうのを、
思ったことがあって、
すごく意識的に、
意図的に、
成長するのをやめたっていうことが、
思い出しました。
すごいね。
いやもうほらさ、成長していくときってさ、
新たな情報をインプットし、
学びながら、
やっていくじゃない?
そういうのを一切やめようと思って、
新たな学びとか一切しない。
それはさ、
そうすると何が起きるの?
そうすると?
そうするとね、
何が起きたかっていうと、
それは結構面白くて、
そうしてたわけ毎日。
していて、
一生会社へも反発していたということなんだけど、
面白いもんでさ、
半年ぐらい経ったら、
何が起きたかっていうと、
成長しないということに飽きたの。
でも成長しないっていうのってさ、
自分が固定化されるってことだもんね。
変わらないってことだもんね。
それに飽きたっていうことを思って、
それがね、実はすごい発見だったんだよね。
まさにその固定化なんだと思うんだけど、
同じ景色しか常に見えない。
同じ景色を半年間見ることに、
見続ける感じだよね。
見続ける感じに、
自分が飽きたなって思った瞬間が訪れて、
面白いね。
もしかしたら成長というのは、
割と根源的な人間の欲求なのかもしれないってちょっと思ったんだよ。
成長という言葉が適切なのか、
会社の中で求められる成長なのかとか、
そういうことはずれがあるかもしれないけど、
結局、同じことを見続けるっていうのは飽きるんだなみたいなことで、
成長の根源的な欲求
違うものを見たいとかっていうのは、
外的に同じ環境の中にいたとしてもね、
違う意識を持って、
違うことを見たいっていうのはもしかしたら、
欲求的なものなんじゃないかってちょっと思った。
飽きちゃう。
ずっと同じ自分で居続ける。
それによって、見える景色もそこから受け取るものも変わらない。
どうなんだろうな。
それが一種、安心になる人もいるのかも。
そういう話あるじゃん。
知れないと思ったけど。
今ちょうど考えててさ、
自分だけかもしれない。
Nが1だから今のところ。
自分だけかもしれないなと思ったりもしつつだけど、
変わらないことが安心っていうのは、
もしかしたらちょっとこう、バイアスかもしれない。
そっちの方が楽じゃんみたいな話とかよくあるじゃん。
逆かもしれない。
変わらない方が辛いんじゃないかみたいなこととかさ、
もうちょっと思ったり。
本当か。
よくその会社とかのさ、経営文脈でもさ、
変わらないことは衰退していくことだみたいな話とかあって、
だから変わらなければならないみたいな感じがあって、
その感じで言われると結構なんかこう、プレッシャーっていうかさ、
ねばならないみたいな。
ねばならないって結構強い言葉だからね。
なんだけど、変わらないのってちょっとつまんないな。
つまんないっていうか飽きちゃうじゃん。
だから適切に変わっていくのって、むしろそれが安定だよねみたいな話だと、
ふむふむってなるなって。
ねばならない前提の成長だと嫌になっちゃうなって思っちゃうけど、
そっちの方が安心じゃないみたいな感じの捉え方とかアプローチだと、
割とこう、説理に合ってる気がするっていうかさ。
感じはその時の経験から、会社にしても人にしても思ったかな。
変わらないことが不安になるっていうかむしろ。
そうだよね。そういうことを今思ってた私も。
成長を止めてみる
そんなことを思いましたね。さっきのけいちゃんの話を初め聞きながら。
どうなんだろうな、自分で。
そこに好奇心がもともとあるタイプではあるんだと思うんだよな。
変化とか成長とか。
変化があるってことは、違う景色が見えるみたいな話だから、
そういうことが間違いなく好みではあるっていうか感じだから、ちょっとわかんないな。
これが誰、みんなに当てはまるのかちょっとわかんないけど。
でもその自分が変化とか成長することによって見える景色が変わるということにもワクワクできるっていうことだよね。
そうそう。
なんかこう、いろいろ求められて大変だなって思ったら、一回あえて成長を止めてみるっていうアプローチをおすすめしています。
やめてみたらね、さっきのゆうくんみたいに何か思うことがあるかもね。
別にリスクそんなにないじゃん。止めたところで。
で、何かやりたいなって思ったらさ、
別にまたそのタイミングから始めればいいわけだしね。
そういうことです。
自分がやりたいと思った時にそれを始めればいいわけだから。
で、何かやらないの最高だなって思ったら、
止めたまま止め続ける。
そうだね。
止めるというのは自分の内発性と対話ができるんだと思うんだよ。
あーそうだね。
止めないまま考えるってことはさ、何から来てるか全然わかんない。
外発的なプレッシャーでやってるかもしれないっていうのが常に頭の中とかあるわけじゃん。
だけど一旦外発的なものを遮断すると、
自分の内発性と対話ができ、そこから出てくるのか出てこないのかみたいなことの何か一つのやり方。
目標設定の課題
やり方ね。
いやでも、面白かった。
完全に。
3年やめてみちゃったんだと思って。
そうそうそうそう。
ちょっと働きながらやめるっていう。
働きながら成長止めるっていう結構さ、高度な。
高度だよな。
結構高度でしょ。
チャレンジングだけど。
休みに入るみたいなことってあるじゃん。
なんていうの、じゃなくて働いてるんだけど成長はやめる。
何の話してるかわからなくなってきちゃったけど。
新年度に思うこと。
あ、そうだね。新年度ね。
そこからいくとさ、今ちょっと思ったんだけど、会社制度の中で半期ごとにそういうことをやる。
半期なのか一年なのか四半期なのかあると思うけどさ、そういう感じが多いじゃない。
それを個別的にするっていうのはどう思う?
個別的って?
自分がさ、目標立てたいなって思った時期に立てる。
一斉にやるっていうのがさ、たぶんさ、そもそもちょっと無理があるじゃん。
あのね、ちょっとその難しさも、難しさっていうかなんていうのかな。
本質的じゃなくなる瞬間みたいなのを感じることがあって、
例えば半期で立てるとさ、目標とかを。
そうすると、今4月だとすると、紙期が終わるの9月だから、
9月にアウトプットをする。
それによってその自分がね、例えば成長したみたいなことをある種証明するっていうか、
それで評価をされるっていうことになるんだけど、
そうするとさ、時間軸がさ、もう絶対その9月までにさ、
何らかのアウトプットを出さなければならないみたいなことになるんだけど、
でももしかするとその学びは、半年なんかでは終わる種類のものではなくて、
もうちょっとこう続けてね、深めていくみたいなことが、
本当は自分はやりたいことかもしれないんだけど、本質的にはね。
でも組織上求められているのは9月だから、
9月までに完結させなきゃ、みたいなことが起こると、
その本質的な学びがそれによって阻害されるっていうか、
みたいなことが起きるなっていう、そこへのモヤモヤみたいなのは結構感じていた。
どうしてもね、上側の表面のところでを何回も繰り返すみたいな話になっちゃうよね。
でも一定のお尻を設けて、そこを切り取ってみて評価を回すっていう、
組織上そういうサイクルが回ってるからその流れに乗せたいみたいな思惑も頭では分かるんだけど。
会社としての数字はね、半期とか四半期ごとに出していくって話になるから。
ちょっとそこと自分のやりきりたい度合いの折り合いをつけるみたいなのが、
難しいなと感じることもそういえばあったな、みたいなことを思い出した。
そうだよね。でもそうだと思う。そこに、そこを会社の成果を出していくってことと、
合わせていくっていうところが多分実は違うんじゃないかみたいな。
そうかもね。
すごい良い発見じゃない?
良い発見かどうかわかんないけど。
当たり前のように会社がこの木で数字をちゃんと出していかなきゃいけないから、
そこに合わせて人もねってなるけど、そこって多分違うターンなんじゃない?みたいな。
そうそう。そのサイクルに合うこともあるかもしれないけど、合わないことの方が多くて。
それどう?
何?
その個人に、個人が個人のやりたいタイミングで。
やりたいタイミングっていうか、そこのターンを合わせることがちょっとなんかこう、
それってちょっとむしろ違いませんか?みたいな。
っていう提言。
提言すれば良かったな。ちょっと思ってたんだけどな、心の中では。
なんかでも、あれだね、そういう仕組みとかサイクルみたいなことっていうよりは、
無理やり何かを生み出して学んでいくとか、
無理やりお尻を決めてやるみたいなことっていうよりは、
やっぱり心が踊るテーマで自分が変化していくっていうのが、
なんと、今日の話を聞いて思ったよ。改めて。
だね。
という新年度に思うことでした。
まとめていただいたところで、そんな感じですかね。
じゃあ今日もありがとうございました。
ありがとうございました。