家族の胃腸炎と自分の強さに気づく
いやぁ、むねさん、ちょっと聞いてくださいよ。
うん、どうしました?
なんかね、先週から今週にかけて、我が家では胃腸炎が流行りまして、
流行ったっていうか、別に感染性かどうかわかんないけど、まず、娘が胃腸炎になって、むっちゃ吐きまくるし、下痢するしで、大変だったんですよ。
今、いくつだっけ?1歳?
まだ、0歳です。
0歳、まだあってないか。
10ヶ月ぐらいです。
10ヶ月か、うわぁ。
はい、そうなんです。
で、まぁ、ちょっと良くなってきたかなと思ったら、今度はですね、夫が胃腸炎になりまして、またぶっ倒れまして。
うわぁ、大変だ。
そう、でね、まぁ、私はしょうがないんで、子供と夫の看病をするわけなんですけど、私ね、ピンピンしてるんですよ。
強い?強いってことですか?
いや、そうなんですよ。なんかね、最近思うのが、やっぱ自分結構体力あるし、強い方なんかなってね、
思い始めてですね。
いや、確かにそれこそ、東南アジア、ラオスでさ、会った時の話聞いてたけど、
うん。
あの、ラオスって、まぁ、世界最高に、世界最低の、なんだろう、貧しさの国で、
はい。
その最貧国の農村に、研究のために住んでたんだよね。
そうそうそうそうそう。
そんなことができるタフな女性って、そもそもいないとは思いましたよ。
うーん、まぁ、そうかも。いや、思い返すと確かにそうなんですよ。
あの、トイレもお風呂もない村で、まぁ、水はその山の水を引いてきたものを飲むっていうのだし、
で、私畑の焼き畑の調査をしてたんで、毎日山を、まぁ、少なくとも6、7キロは毎日歩いてたっていう。
あ、そうか。
はい。
はい。
で、結構険しい、割と険しいのあったのに、たぶん高低差も普通に1000メートルぐらいはあったかな。たぶんね。
うんうんうん。ラオスって山ばっかりの国だもんね。
そうそうそうそうそう。っていう生活を3年やってたんですよ。
いや、3年できる?本当に20代とかでしょ?それまで。
そうそうそうそうそう。
しかもね、栄養状態もそんなに良くなかったからね。
そうなんですよ。基本お米ばっかりで、タンパク不足な生活ですよ。
ねえ。カエルが結構、あの、タンパク源だよねみたいな、そういう国でしょ?
あ、そうそう。カエルとかね、小魚とか虫とかね。
自己認識の重要性
そうそうそう。食べるよね、普通に。
うんうんうんうん。っていうね、まぁ、ちょっとこの雑談は若干本題につながるとこなんですけども、とりあえず、あの、この辺で本題に入っていきますか。
もう本題かと思ってた。
本題かと思ってた?
人生道すがら幸せについて語る 道すがラジオ
50代の人生後半戦で、ふと立ち止まった経営者、ヌネオと、40歳の壁を前に惑っている小説家、サトノ。
そんな2人が様々な人の生き方に触れ、考えたことを語りながら、私たちはどうやったら幸せに生きられるんだろう、ということをお作していく番組です。
サトノです。
はい、ヌネオです。よろしくお願いします。
お願いします。
いや、まぁね、ちょっと冒頭の雑談で、自分実はめっちゃ体強い方かもって思ったっていう話をしたんですけども、
まぁ、っていうのも、なんていうのか、これあの、前回、前々回ぐらいで、私たちがその、ある心理学セミナーのそのサポートをしている、ボランティアのサポートしているみたいな話をしたと思うんですけども、
その中でもね、割とその見受けられるなぁって思ったことが1個あって、それっていうのが自分の強いところとか、自分にできてるっていうことを受け入れて認めるって案外できないもんだなぁって思ったんですよ。
うん、人によってすごく苦手っていうか、そこが受け入れ難い人もいるよね。
そう、あとなんか当たり前すぎて、それがすごいと思えないっていうか。
そう、気づかない。人に言ってもらってもピンとこないみたいな。
うんうんうんうんうん。で、前回の話で、ヌネさんがその、人を頼る仮を作るみたいな話をしたときに、あれってどっちかっていうと、自分一人じゃできないこととかを認めて、人を頼るみたいな部分があるのかなって思ったんですけども、
なんかその逆側で、ちゃんと自分のできることを認めるみたいなことも結構大事なのかもっていうのはね、思ったりしたんですよ。
なるほど、なるほど。できることを認めるね。
うん、そうね。
っていう話で、ちょっとどう展開していくか全くわからずに、今話を話し始めてるんですけどね。
いや、なんだろうなぁ、結構人によってばらつきがあって、意識していない人が普通なんだよなぁと思ってるんですよね。
うんうんうん。
その、自分の強みってなんだろうとか、これできるんだっていうことを言語化していく、明確化していくっていうことって、自分のことをずっと考えていないと意外とできないし、その人と関わってフィードバックしてもらう機会をたくさん持ってないと、認識できないみたいなことが結構あって、それ絶対あるよなぁと思いますよね。
なんか想像するに、10代とか20代ってどっちかっていうと、その、できないことが多いじゃないですか。知らないことできないことが多い。
それが当たり前で、教えられるのが当たり前でくるじゃないですか。
でもやっぱ年齢を重ねて20、30、40ってなって経験を積むと、当然にできることってどんどん増えていくはずじゃないですか。
いやけど、気持ちとしては、できることよりなんかできてない気がするとか、できることはそんなものは当たり前。
むしろできる人と比べて、いやここができてないとか思って、なんか自分ができてることを受け入れるっていうよりは、なんかできないところのある自分がデフォルトのままずーっとなんか大きくなってきてる気がするみたいな、なんかそんな感覚っていうんですかね。
なんかね、成長戦略として多分できないことをなんとかしようみたいなことを見ていくのが、若い時から、子供の時からの成長の方法論になってるんだよね。
そこの切り替えができないんじゃないかなと思うんですよ。成長しなきゃいけないってなってて、そこができない部分を見てなんとかしようみたいなことで繰り返して頑張ってるやつが来るんだけど、
ある時点で成熟してきて、もう自分で一応自立はできている状態になっているとしたら、単にプラスアルファしていくだけじゃなくて、そんなことだけじゃなくて、楽しむとかなんか幸せになるとかっていうことに全然シフトしていいのに、同じ戦略を取り続けるみたいな感じじゃないかな。
だからその自分のできる部分っていうのは当たり前になっているから、できない人を見るとイライラするとかね、結構あるあるだと思うんですよ。
うーん、あるかもしれないです。
なんか例えば、自分で気づかない、ビジネス的なスキルだったら自分ができるできないってなんか認識しやすいじゃないですか。
でもそうじゃない、もっと人間関係的なソフト面でのそのできるできないってやっぱり認識しづらいなって思って、
例えばその人の様子を見て、例えばこういうのが困ってるなって思って先回りをして助けるみたいな得意な人っているじゃないですか。
要は気を使うのが得意な人。
で、そういう人ってそれが結構当たり前と思ってやっているから、気を使えない人を見るとイライラしますよ。
刺しろよみたいな感じかな。
そう、刺しろよ、そんぐらい考えたらわかるやろうって言って、でもそうじゃなくて多分それはその人がそういうのを想像して察するのが得意なだけで、
なんていうの、みんながそれをできると思ったらそれは間違いなのであるっていう。
それちょっと不自由だよね、もったいないよね、なんかね。イライラしなくてもいいのにそんなことに。
そうそうそう、でもそれがね意外とそういう人多いなって思ってその、セミナーの受講生でも40代ぐらいの人っているんですけど、
40代ぐらいなんでやっぱり積み上げてきたスキルとかできることいっぱい持ってるのに、いや自分はダメだとかできないとか、
逆にその自分の得意なことなのに人にもそれを求めて人にキレる人とかいるなーって思ってですね。
スキルの繋がりと自己理解
わかる、それはわかる、それは具体的にイメージができる、もったいないですね。
そうなんですよね、なかなかそのパターンって切り替えられるのはそうそういうのすぐにできないよね。
そうなんですよ、でもやっぱそういう自分のできることとか、自分のこれが得意なんだって自覚できないと、
幸せって意味で言うとやっぱイライラが増えて、なかなかその幸せになりにくい部分がありそうだなって思ったんですよね。
そうね、僕たぶん今言ってる方だと思いますけど、昨日たまたま、一昨日かな、たまたまその人がSNSで投稿してるのに対して、
ちょっと書き方もったいないなと思って、これ誤解読んじゃうなと思って連絡して、この書き方ちょっとよくないと思うよって言ってもったいないと思うよって言っちゃったのね。
ほっとくとどんどん誤解読みそうだなと。
で、たぶん本人他の人に言われて分かってたと思うんだけど、なんかやっぱりちょっと返事に怒りを感じたりもしてて。
なるほどね。
感じたりしてて、こっちもちょっとなんかこう、いやもうやらなくていいんだけどな、もうセミナー終わってるしなとか思うから。
でもやっぱかわいそうだからやっぱ言っちゃおうと思って、もうやりとしててお互いは理解してるから。
でも本人のなんか反応も、それまた繰り返しちゃうんだよね。
結局一応最終的に理解はして、よかったよかったってことになったんだけど、やっぱ繰り返すなーと思って、それをやっぱりでも繰り返し的な中で、なんか理解しないといけないんだなーってすぐ思いましたね。
そうなんですよ。だからそういうのをやっぱ人に言ってもらうことで、いろんな癖もそうだし、その自分の得意なこと、それはあなただからできることだよってのって、やっぱ言ってもらわないとやっぱ気づかないなーって思うんですよね。
そうだよね。
なんかやっぱ他の人でも、そのまあ親とかがすごい気遣いなタイプで気を使って当たり前の環境で育ってきた人がいて、
その人やっぱすごいナチュラルに気を使うからか、その接客業とかしててもむちゃくちゃお客さんからモテるタイプの人なんですけども、本人それが当たり前すぎるらしくて、やっぱりわかんないらしいんですよね。
なるほどなー、そうね、そういうことあるよね。
っていう事例ってすごい山ほどあるなって思って、世間でよくその自分のできないことを受け入れて人を頼ろうって割とよく言われるんですけども、
それと同じぐらいに自分のできることを認めて受け入れて、それは自分すごいんだって思うっていうのも大事だなって最近思うところなわけです。
そうですね、で、なんだろうな、ちょっと話違うかもしれないけど、今聞いてて思い出したけど、僕このセミナーでサポーターっていうか、アシスタのボランティアをやって、
何回かやった、1年目かな2年目かなぐらい最初の頃かな、一定の期間にやった頃に、自分のスキルとかっていうことってちゃんとそれぞれ繋がりがあるなってまとめたことがあるんですよね。
スキルというかケーパビリティっていう言い方なのかな、なんか自分が得意となっている領域っていうものっていうのが何と何が繋がっていて、この裏側に例えば僕が結構得意だなって自分で認めているところで言語化能力ってあると思っていて、
言葉を使う能力が多いっていうのと、比較的論理的な話も分かるとかっていうのがあったりするんだけど、言語化能力と論理的な部分って繋がってるなとかっていうこととかを、
なんか、これ体系的に理解した方が絶対いいと思って考えてそれをまとめたことがあるんですよ。
へー。
全然関係ないかもしれないけど、でもなんかそういうことをちゃんと繋がっていくところって結構深掘りしていくとすごい自分の役に立つなと思っていて、
自分を理解する
自分の偏りってあるじゃないですか。誰だってそんな偏りがあるんで、どういう部分で自分が偏っているかみたいなことをそのまま捕まえて、それを何とか構造化するみたいなことができていくっていうのが、だんだん頭の中で整理されていく。
結構あるなと思っていて、そこでそれを理解した上で自分を取り扱う。
この間、なお、受講生の人とも話した、取扱説明書、自分の取扱説明書を作ろうっていう話をやってたんだけど、
その得意なことも不得意なとこも含めて、自分の取扱説明書っていうふうに認識をした方が、いきやすいんじゃないかなって思っていて。
本当そう思いますね。
多分、皆さん就活とかした人だと、その時に強みを考えたりしたと思うんですけども、
そこだけで終わるんじゃなくて、多分定期的にそういうことを、人ってやっぱ変わってくるんで、その時とずっと同じでもないしっていうので、
定期的にやっぱそれを見つめて、まとめて整理して、自分こうだなっていうのをね、思えていけたらいいなって思うし、
ビジネス上でよく言うじゃないですか、よく言うのかな、わかんないけど、強み、強みでは売りになって、弱いところで連携するみたいな言い方しませんっけ?
強みで。
強みは、ごめんなさい、ちょっと何か言い方があったけど、忘れちゃったんでやめとこう、でも多分仕事でも、自分のその会社としてだったら、強いところはそのままそれがサービスになるじゃないですか。
で、弱いところがあったら、それは他のそこが強い企業とかと連携することで、そのうまくそこをやっていくみたいなのってあると思うけど、
その個人レベルでも多分それがあって、自分の得意なことできること、それって多分人に与えられること?
そうそう、それはある。
すごく意識したらいいなっていうのね。
そうそう、それは思いますね。
僕もすごいそれを思っていて、今までやれてなかった、全部自分でやるんじゃなくて、人に頼るっていうのは、やっぱ会社の社員とかだったらさ、元々その仕事を分担しやすいんだけど、
最近本当に外部の人に仕事をお願いするようになってきたんですよね。
で、その人にそのお金払ってでも、その機会をちゃんと提供してやってもらって、絶対できちゃおうって。
で、ちょっとなんか不安だったりするんだけど、そこができるようになったほうが絶対うまくいくっていうふうに、なんか実感としてはお金ができちゃったんですよね。
そのスキルを買うというか、そういうタイプ、その人間性を買うみたいな感じ、すごいあるかなと思いますよね。
でもなんか個人でもあるかもしれないです。お友達関係で。
そう、とか家族とかね、いろいろ親子でもね。
うん、そうね、すごくそれはあるかもしれないです。それはまあ頼り方だし、自分の与え方みたいなとこもあるだろうし。
そうなんですよ、なんか私の一番冒頭の、どうやら家族に比べて自分は強いらしいみたいな面は、なんかそれは自分の強みとして、
要はなんかそういう、みんなが病気でバタバタしている時に割と自分は強いんで、それを助けられるっていうのがあるから、
そこはだからその、その時にすぐに下手晴る相手を見てクソって思うんじゃなくて、それはこう、自分がすごいとこだから、それで自分が相手を助ければいい。
で、その代わり自分の弱いところを見て、相手に助けてもらえばいいって感じになれたらいいなっていうのはね、ちょっと思いますね。
逆にさ、そう言った時にやっぱ課題のあれなんじゃない?今どこが弱いんですか?だとの、みたいな感じかな。
あ、そこ?えぇ、弱いところ?
今いきなり言う。
えぇ、あ、でも私自分では弱いとこあると思うけど、周りからはそれがあんまり見えないらしいっていう。
見えない見えない、ほんと見えにくい。
成長のための挑戦
そう、なんでなんですか?
すごいちゃんと、いやーマルチな感じがするからさ。
いやいやいや、でも私計画立てるのも苦手だし、その段取りとか苦手やし、割と突発的な方でもあるしっていう。
全然しっかりしそうに見える。
いや、それが多分、日常生活で困らないレベルにはできちゃう器用さがあるのが問題なんですよね。
それはそうだよね。ある程度この器用に人の大きな穴にならないようには全然全般的にできちゃうっていうのがあるよね、多分。
だから、なんだろう、それじゃあのびしろとしてさ、逆にどこをさ、万歳したらいいんだろうなって気がするよね、なんかね。
ねー、そうなんですよ。そこの整理はやっぱ私もね、最近改めて必要かも。
自分は何が得意で、何を苦手で、何だったら人を助けられて、何の人に助けてもらったらいいのかっていうのは、自分でも正直ちょっと明確化できてないなと思うんで。
助けてもらうことのチャレンジをやっぱりやったほうがいい気がする。
そう思います、ほんとに。なんか助けがね、必要なさすぎるんすよ。なんかよくないんです。
つまり助けてもらわなくてもできちゃうっていうのが問題なんですよね、結局。
問題という言い方はしなくてもいいかもしれないんだけど、なんかそういう冒険になることをやったらいいんじゃないかな。
あえてやってみようっていう考えを持つような機会を作りに行く。ほっとくとこなしちゃうから。
そう、なんか多分できないからやってもらうじゃなくて、できるけどやってもらうっていうところが必要なかもしれないですね。
そう、だからなんかちょっと背伸びしたプロジェクトをやって、それで人に助けてもらうみたいなこと。
あー、そういうことね、そういうことか、なるほど。
自分だけの日常生活で今こなしているものってもうやれることがわかっちゃってて、できているから自分だけで平常運転できるじゃん。
だからちょっとやりたいけど怖いなっていうことを見つけてやるんだけど、これはさすがに自分だけでできないわみたいなやつをやるんだけどやってみたい。
あー、じゃあ企業でもしますか。
でかいな、それ。
たぶん一人でわざわざ得なくなると思うんで。
それはそれで大きな意識っていいですけど。
たぶんそういう機会だと思う。なんかね役割を取るとか。
確かにちょっと意識していきたいですね。何かやろうかな。何かやるか何かをやめるかですね、どっちかですね。
それもあるね。ぜひちょっと気がついたら提案するよ。
はい。ちょっと最後の方だいぶ脱線していきましたが、ちょっととりあえずそんな感じでね、実はいろんな人にそういうところ意識してないだけであったりするかもなと思うんですけど。
そうですね。
ちょっと自分どこはすごい得意だとか、そういうのを改めて考えてみてもいいのかもとは思いますね。
頑張っていったらね、伸びしろやっぱり誰にでもあると思うから、もっと楽になったり楽しくなったり幸せになるっていうきっかけじゃないかな、そのポイントになるんじゃないかなっていう感じがします。
うん、ですね。はい、じゃあ今日はそんな感じでいいですね。
はい、ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
それではまた。
コメントありましたらよろしくお願いします。ではでは。