2025-04-10 15:20

#22 聴かれごこち

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誰かに話を聴いてもらうとき、"聴かれごこち”って違うよね?
そしてその"聴かれごごち”ってもしかして、聴いてもらっているその瞬間と、後から聞き直した時でも違う…?


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サマリー

ポッドキャスト内で、聞かれ心地に関するさまざまな視点が語られています。特に、共通の知識が会話の土台となっていることに気づかれます。また、リアルタイムでの会話と後での受け取り方の違いについても共有されています。エピソードでは、話すことの意義とリスナーにとっての心地よさについて考察されています。さらに、同じテーマを繰り返し取り上げた際の新しい視点の可能性についても議論されています。

聞かれ心地についての考察
みみともはじまりました。
はじまりましたね。
最近、結構聴いてもらう時間が多い気がする。
聴いてもらう時間?
我々二人が聴いてもらう時間っていうことだよね?
そうだね、そうだね。
インタビューみたいな形だったりとか、
あとは、それこそ他の方のポッドキャスト?
に出るみたいな感じだったりとか、
夫婦の活動みたいなこととかね、
パートナーシップみたいなことで話すことがあったりしますね、確かに。
自分たちの中では、あまりすごくそこに意識的に、意図的にやっていないことだったりすると、
改めて聞いてもらうと、
聴かれると、そういうことに意識を向けてたのかなとか、
気づくことがあるよね。
例えば?
この前出てたのはさ、
私たちが共通で持っている、同じことを割と学んできてたから、
その同じことを学んできた、その学びが、
結構二人の土台となってて、
それを土台に会話できるみたいな話とか、
結構自然というか、当たり前になっちゃってたんだけど、
その土台を相手も持っているから、
そこをベースに話していけるな、みたいな寄りどころっていうか、
そういうものはあるよなとか。
そうだね。
確かにね。
当たり前になりすぎて、
聞かれたら確かにそうかもね、みたいなね。
そういう感じのこともあったりするよね。
どうだった?聴かれてみて。
どうだったかな。
なんかいろいろ思い浮かぶけれども、
聴かれごこちっていうのかな。
いろんな聞かれ心地があるな、みたいなことは思ったかな。
それぞれにすごく良い聴かれごこちなんだけど、
なんかでも違いはあるなと思って。
聴いてくれる人がさ、
違うから違うと言えばその通りなんだけど、
でもやっぱ違うんだな、みたいなことは思ったかな。
例えばさ、私たちのこの会話もさ、
ある話題について話すっていう風になった時に、
「例えば?」っていう風にゆうくんがさ、
具体を聞きたいみたいな風に関わってくれる時もあったりとか、
「他にどんなことが気になったの?」みたいな感じで、
ちょっと違うところの要素を引き出そうとしてくれたりとか、
焦点を当ててくれるところがいろいろ、
人によっても違うじゃない?
だからその同じ、例えば話を聞いてもらうっていう風になっても、
あ、そこに興味を持って聞いてくれるんだな、みたいなポイントがちょっと違ってたりとか、
それがその聴かれごこちってことに関係するのかわからないんだけど、
そこを聴いてくれるのね、みたいな、
そういう楽しみはあるかな。
そうだね。
確かにね、2人で話してるとそれなりのパターンみたいなのはどうしても出てくるし、
なんか違う観点みたいな問いなのかな?
なんか聴いてもらう時にあるよね。
その問いなのかな?聴かれごこちって、
さっきゆうくんが言ってくれたものに影響してたのは。
どうなんだろうな。
リアルタイムと録音の受け取り方
何によって違うんだろうね。
なんかでもね、いろいろあると思うんだよね。
問いもそうだし、聴いてくれてる方のパーソナリティみたいなことももちろん関係するし、
興味関心みたいな、それは問いとつながるのかもしれないけど、
そういうことがいろいろありつつ、
自分が面白いなって思ったことで言うと、
聴かれごこちとちょっとずれちゃうかもしれないけど、
速攻性のある問いと、
遅攻性のある問いって言えばいいのかな。
あとその時はよくわからなかったけど、
ポッドキャストとかだとさ、録音してたりするわけじゃん。
配信されたりとかするから、
後から聞くと、こういうことを自分が話してたんだなっていうことを、
改めて聴かれたものをまた第三者と聞いて気づくみたいなこととかもあったりするし、
それを聞いた時はリアルで聴かれてた時の聴かれごこちの感覚と、
改めて聞いた時の感覚は全然違うものだったみたいな。
それでも面白いかな。
なんかちょっとぐちゃぐちゃとお話ししちゃってるけど、
なんかそんなことは思ったかな。
面白いね。それ何なんだろうね。
聴かれてるその瞬間って自分が当事者じゃん。
その中にいるじゃん。
で、後から聞くってすごい客観的に聞いてるから、
当事者として中にいる時のその感じ方と、
後からちょっと聞いて、その全体を聞いた時だと、
自分の視点とか意識の向け方みたいなのが変わると思うんだよね、多分。
だからその受け取り方とか、もしかしたら自分が面白いと思えるポイントとか、
そういうのも変わってくるのかな。
聞く立ち位置っていうのかな。
変わるな。
あとは何だろうな。
体感で言うと、リアルの時って、
いろんなものが思い浮かびながら、
その中のどれかを言葉にして話してるじゃん。
っていう感覚が常にある。
そこは常に移り変わっていくからさ。
話が変わっていくのに従って自分の中で思い浮かんでるものがどんどん変わるよね。
声に出すものと出さないものが常にあるから、
そこへの自分の意識みたいなことが結構あるかなと思っているけど、
もう一回それを改めて客観的に聞くと、
その辺のことも踏まえながらまた自分の中で何かがあるとか、
あとは何て言うのかな。
そこを聴いてくれたんだな、みたいなこと。
リアルの時はいろんなことが頭を巡っているから、
聴かれごこちに集中できないって感じかな、もしかしたら。
そうだね。
改めて聞いたら、ものすごい素敵に聴いてくれてたな、
ことの違いみたいなことを感じたかな。
話しているその瞬間に感じていたものと、
そこでその時に聞いている話と後から聞いている話の中身自体は同じだと思うんだけど、
同じものを聞いて捉え方が違うっていうのって面白いなっていうことと、
あとはやっぱりその場にいる時って客観的な視点がないとは言わないんだけど、
もちろん持っているんだけど、
結局この場が最後どうなっていくの、みたいなことがわからない、
不安とまでは言わないんだけど、
どこに着地していくの、みたいなことがわからない状態の自分もいるなと思っていて、
面白いね。
ある意味後で聞くっていうことで、着地したなということを感じられると、
それが見えないことが不安なんだとすると、
ちょっと安心みたいな感覚なのかもしれない。
料理を作っていて、料理を作っている工程の中では最後こういう味になる、
想像しているんだけど、着地するかわからないっていう中で、
料理が完成して食べた時に、想像していた通りだったのか違うのかわからないんだけど、
話すことの意義
こういうおいしい味になってよかった、みたいな感じになる。
それは着地させたい、みたいなことがあるってことなのかな。
何かに結論付けたいとは思っていないんだけど、
いい時間とか、そこで話されている人にとって、
あるいはそれが後日聞かれるものであるんだったら、
聞いている人たちにとって、いい時間だといいなっていうのはあるかもしれないね。
着地させたいっていう感じじゃないかもしれないけど。
自分にとっていいものと、それを聞いてくれる人にとっていいものは、
違ったりするじゃない。
違う可能性があるじゃない。
でも多分それは混在している。
両方にとっていいよね。
みんなのためにもよくしたいんだけど、
自分にとってもいい時間でありたいし、両方かな。
それはすごく興味深い。
そうなの?
興味深いし、自分の中にもあるなと思いながら聞いていて、
そういうのってどう折り合いつけているんだろうなみたいな。
折り合いって?
シンプルに聞かれて話すんだったら、好きな自分の時間がいいように話すっていうのが本流だと思う。
本流っていうのかな。
第一義だと思うんだよね。
でもそこにはどうしても、聴かれる目的にもあると思うけど、
聴いてくれる方へいいものであってほしいみたいな気持ちとか、
さらにそれが他の方にも聞かれるものであるならば、
それも良いものであってほしいみたいなことも、
少なからず浮かぶじゃない。
それはやっぱり聴かれごこちにすごく影響するんだろうなと思っていて、
話に戻っていくとね。
それをどう折り合いつけているの?っていうのはシンプルに聞いてみたかった。
どう折り合いつけているんだろうね。
わかんないな。折り合いのつけ方はわかんないけど、
それを後から聞くとか、そこで話された内容を後から使う人、
その情報を後から使う人のためにとっていいものっていう風に意識が、
行き過ぎると、その話している瞬間の自分の状態としては、
自由に話したいように話せているという感覚は結構少なくなっちゃう。
自分として話しているというよりは、その役割として喋っているみたいな感じに近い自分かなっていう気がする。
ちょっと折り合いの答えにはなっていないんだけど。
自分の話に集中するって結構難しいよね。
難しいね。
なんかそんなことを聞いてて思ったかな。
でも何だろうな、集中しきれないから気づくこともあるような気もする。
テーマの再考
うーん。
なんかそういうこともありそうな気もするし。
なんかすごい迷宮に入りそうな迷宮トークになってきたけど。
なんかでも、さっき僕が思ったのはね、
全く同じテーマでもう一回聴いてもらったらどうなるのかなっていうことはやってみたいなと思った。
なんか第一回聴いてもらうじゃん。
その中にいろんなことがありながらさ。
言い切れなかったなみたいな部分とかが残ったりするわけじゃん。
で、それを踏まえてもう一回聴かれたらどうなんだろうなみたいな。
確かに。
みたいなことは、それが何か意味があるのかよくわからないけど、
なんかやってみたいなっていうことをちょっと思ったな。
面白そうだね。
なんかさ、言い切れない何かが自分の中に残った状態にそこに臨むとさ、
これを出したい自分。
それを話したい自分の状態でその場に臨むとさ、
出す内容が変わるじゃん。たぶんその場で。
で、そうするとその場で話されることとか、
それによってその場の雰囲気とか、
出したものによって聴いてくださる方がどこに焦点当てるのかみたいなことがまた変わっていうことが起きるから。
テーマは同じだけど全然違う場になりそうだね。
これなんか5回くらいやったら面白そうだな。
自分がね。
聞いてる人は誰にも教えられないけど。
またこれ?みたいな。
でもなんかちょっと面白そうだな。
このみみともの中でやってもいいかもしれないけどね。
過去のお題と同じものを話してみると、
わかんない。その時に出し切れなかった何かがもしあったら、
違うものが展開されるかもしれない。
いいと思う。
牛丼とかね。
そうだよ。新たな違う世界が見えてくるかもしれないから。
やりましょう。
では、今日はそんなところで。
ありがとうございました。
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