成長の概念と意義
自分の本音の見つけ方。こんにちは、misaです。今回は、成長とは、自分に戻ること。っていうお話をしていきたいと思います。
このラジオは、自分と仲良くなると人生は楽に楽しくなっていこうコンセプトに自己一致することや気づき、その方法をお話ししております。
よろしくお付き合いください。本日は3月10日、月曜日です。結構、前の収録から時間が空いたかも、別に何をしているというわけでもないんですけれども、
ぼーっとしておりました。なんかこう、私、この自分の本音の見つけ方っていうラジオチャンネル以外に、もう一つ、ゆる森ラジオ、ゆる人の森か、正式名称は。
ゆる人の森っていう、これもスタイフで配信してるんですけど、ここでも話してて、何でしょうね、内容は結構、哲学対話っぽいかも。
なんか、仲良しで喋ってるだけなんですけど、そこで成長っていうキーワードとか、人生における戦いみたいなのを私がキーワードとして出したんですけど、
なんか3人で話してるんですけど、全然なんか一致しなくて言葉の意味というか単語の意味が、私における人生の戦いとか成長とかって一般的じゃないのかって思って、
これが結構面白いから、成長って何なんだろうっていうところを結構考えたんですね。その話をしていこうかなというふうに思います。
はい、で、突然ですけど、あなたにとっての成長した体験って何ですか?
本当はあなたにとっての成長って何?って聞けるといいんですけど、この問い結構難しいと思うから、振り返ってみて、
私めちゃくちゃ成長したなっていう体験、いつだったっけっていうのを思い出してもらうのがいいかもって思いました。思いつきます。自分がすごい成長したなっていう体験。
それをめちゃくちゃ聞きたいんですけど、よかったらレターで教えてほしいなって思うんですけど、どんな成長だったか。
具体的にね、あの時代にとか何年前にとか、どういう自分の時に何歳の時にとか、こういうことがあって、
これを乗り越えたとかがあるのかな?なんかこういうことがあって、A地点だった自分がおそらくね、B地点に行った。
で、このAからBの変化をおそらく成長と捉えてるんじゃないかなって思うんですけど、この辺でね、ぜひね、教えてほしいなってすごい気になる。
みんなにとっての成長って何なの?っていうのは個人的にものすごく知りたいので、よかったら教えてもらえるとすごい嬉しいんですけど。
でもなんかこれ多分、なんかね似てそうで、いろいろ種類があるんじゃないかなと。
これ別に調べたわけじゃないから、私の中で勝手にやってることなので、あなたにもしかしたらね、当たりはまらないかもしれないんですけど、
あのその一般的なね、ザ成長って何だろうって考えた時にね、
そのゆるもりで話してたのは、その植物みたいに何ものをイメージしてるっていう人がいてね、聞いてもらえたらわかると思うんですけど、
植物ってこの時間をかけるとさ、大きくなるじゃない?伸びて、葉っぱを伸ばして、身長が高くなっていく。私たちもそうですね、ある程度の年齢までは背伸びていきますけど、
そういうこう時間軸に影響するもの?成長。ただ伸びているだけみたいな。ただ上を目指しているだけみたいな。
もしかしたら年を取るってことを成長って言ってもいいのかもしれないね。そういう人もいたし、
あとはなんか私は結構一般的なのかなって思ったのは、できなかったことができるようになることっていうのを成長と捉えている人が多いんじゃないかなっていうふうに私は仮説を持っておりました。
自己対話と経験の振り返り
他はなんかキーワードですが、挑戦と達成みたいなのがキーワードになるタイプ。私は結構これだったかなっていう気がしてました。
もう一個そのゆるもりで出てきてたのは、視野が広がって自分の世界が拡大していくことじゃないかな。こういう単語ではなかったけど、私はこういうふうに受け取っております。
自分の価値観が広がったり、今まで興味がないものが興味を持つようになったりとか、そういうのを成長って捉えているみたいなのもありましたね。
どうですか?なんか当てはまるものありますかね?もしかしたら全然違うものがあったり、なんか惜しいけどちょっと違うなぁみたいなあるかも。
ここでなんか、もし惜しいなーって思ったら是非言語化してもらいたいです。
自分の中のこの成長って、自分の中の成長って何なんだろうっていうの捉えておくと、最後にしゃべるんですけど、結構大事な自己理解につながるんじゃないかなーって思うので、
レターなりコメントなり書いていただけるとめちゃくちゃ嬉しいし、すごいそうなんだーって言ってめっちゃ聞きます。
そうだったんだねってなりますね。
でもこれらをいろいろこうふーって考えていく中で、私にとっての成長って何なんだろうなーみたいな要所要所を自分でこう振り返ってたんですけど、
なんか私は基本最近は自己対話をChatGPTとやるんですけど、自分の思ったことをChatGPTに打って、
ChatGPTがいろいろな角度から返してくれるというか鏡みたいな感じで反射してくれて、それを受けて自分がどう感じたかなーっていうのを掘り下げるのが最近はすごい良いなーと思って、
効率的だなーと思って気に入ってるんですけど。
その中でミサインにとっての成長っていうのは、何て言ってたかなーちょっとChatGPTの単語忘れちゃったけど、
私が取り込んだのは自分にとっての成長は自分に戻ることなんだなーっていうところで結構落ち着いて、
これってさーなんかギャップありそうじゃないって思ったから話したくなった次第なんですよ。
そう、あの成長って言うとなんかどんどんさー自分から遠いところになんか行きそうなイメージありません?
家から旅行に行くみたいな感じ。
家ではないけど私はどんどんどんどん家のなんか奥に奥に奥に行く感じなんですよ、多分。
それってあんま一般的じゃないんじゃないかなって思ったからおもろいなーと思ったんですけど、
まああなたはどう思う?っていう問いに書いてもらえると嬉しいんですけど。
なんか私にとってそのなんだろうな、成長って、
なんか一般的なその技術的な何かみたいなのは成長とあんま捉えてないんだよな。
これができなかったけどできるようになったみたいな。
料理できなかったけどできるようになったとか、
プログラミングできなかったけど、コードを書けなかったけど書けるようになってきたとか、
あとなんだろう、敬語とか。
あーあとなんか文章添削とかもうめっちゃ明確に練習したな、
キャリアアドバイザーみたいな仕事をしてた時に、
正確にはそうではなかったんだけど、みたいな仕事をしなきゃいけなくなった時に、
人の志望動機とか自己アピールとかをめちゃくちゃ添削してめちゃくちゃ直してたんですけど、
なんか難しいんですよ、正解がないから、
その人の本当なのかっていうのと文章的におかしくないかとか、
この文章でどういう印象を与えてるかみたいなところにちゃんとディレクションしたくて、
結構自分では練習したんですけど、
できるようにだいぶなったというか、早くなったし、
いいものできたなみたいな感覚がすごい、
さすがに何回も何回もやってたらなってきたけど、
でもこれも私あんま成長とか捉えてないんだよな、
できるようになったなっていうただそれだけというか、
これは結構あんま一般的じゃないんじゃないかなって気がする。
ただそれはもしかしたら20代前半とかまではこれでいいのかもって気もします。
できないことができるようになるっていうのを成長と捉えて、
それを頑張っていく時期なのかなっていう気もします。
振り返って自分の一番成長した体験なんだったかなって思ったら、
成長と明確に言っていいかわかんないけど、
それは結構2社目の仕事が思い浮かぶんですよね。
そこは結構自分ではものすごいチャレンジしていったんですよ。
1社目でできなかったこと、ひよっちゃって言えなかったこととか、
もっとこうしたらいいのになって思ってたのに、
でもどうせ言ってもなみたいな、どうせ変わんないんだろうなみたいなのもあって、
できなかったことがいろいろ何でしょう、後悔みたいなものがいっぱいあったから、
2社目ではもう何にも我慢せずに思いついたら全部やってやろうと思って、
そういう場所だったんですよ。まず自分で勝手にステージを決めてたんですよね。
それをすごい試していって、結果すごい上手くいってハマって、
新たな成長の捉え方
多分めちゃくちゃ大暴れしてたけど、
めちゃくちゃこうした方がいい、これやりましょう、あれやりましょうって巻き込んで、
でかくしていって、勝手に気づいたら人数も増やしてみたいなことをやってたけど、
それは自分的にできないが明確にできるようになったし、
なんかその日寄っちゃったり、どうせ行っても無理だろうなとか、
この決められた枠の中で、社会に決められたこの枠の中でいかにやるかっていう戦いから、
この枠をぶっ壊すっていう新しい選択を取れた。で、実行できたし、
しかもそれって結構圧力を生むと思うんですよ。枠決められてるのにその枠を壊してる人って迷惑だと思うんだけど、
なんか結構古い組織ではあったわりに、なんか面白いねというか、頑張ってるんだったのかな?
わかんないけど、なんかでも迷惑がられてる感じはなかったから、すごい頑張ってるねみたいな感じだったから、
そうやってこうちゃんと会社に貢献できたし、貢献できたのかな?
数字出したからできただろう。できたし、その鬱陶しい感じにしなかったっていう、
今のものもすごいリスペクトして、ここもこだわったんですよね。
今の状態もすごいリスペクトして、これがダメだから壊しましょうじゃなくて、
今の状態もすごい素晴らしいし素敵だと思うけど、こうしたらもっとおもろいと思うんですよっていう感じで、
ここにプラスアルファっていう形で載せるっていうのが結構チャレンジだったり、
いろんなところに結構こだわった自分の目標みたいなものがあって、それがハマったっていうところで、
なんか振り返ると、まああれは結構成長だったのでは?って思ってたんだけど、
今じゃあそれをやりたいかっていうとね、全然なくて、すごい当時はそういうチャレンジをしたけど、
今なんかやってるチャレンジはなんか全然違うんだよな。
なんかできないをできるようにしていくっていう挑戦がもう終わってしまってて、
なんかいかにやらないかっていうチャレンジに明確に切り替わってるなって思ったときに、
そう、だから私の成長はそうなると、なんか今できないことをできるようにしていくっていう方向には全く行かないのよ。
だから今やっちゃってることをいかにやめていくかっていう戦いなので、
どんどんどんどん、なんかダラーンとした私になっていく。
それがなんか成長なんだよなってことに気づいて、
そう、だからどんどんどんどん、なんか今までは誰かのために頑張ってたり、
なんかやらなきゃいけないからできないけどなんとかやってたり、
そう、そういうことをどんどんやらなくてもいい状態にしていくっていうのが私における成長かもと思って。
これなんかさ、すごくない?すごくない?っていうのもなんかあれだけど、
なんかびっくりしたのよ。
あ、そうなんだ。でも成長って単語からは結構印象からはなんかずれてるみたいな。
って思ったときに、その成長っていう単語は、なんていうか人生の目標みたいなものとすごい近いのかなと思って。
みんな結構こう自己理解していくときにさ、自分のやりたいことって何だろう?
自分の人生の目標って何だろう?人生の目的とは?みたいなのって考えると思うけど、
もしかしたら、なんかその過去の成長と今目指している成長みたいなものを探していくと、
あなたの目指す世界がわかるかもね、みたいなことがお話ししたかったです。
まあ今私はこう明確にそういう、なんでしょう、岩盤内をめっちゃ目指してるんですよ。
めちゃめちゃ目指してて、そこを頑張ってるというか。
頑張らなくていいし、しんどくなくていいし、
自分じゃない何かに憧れたり、自分じゃない何かになることではなくて、
自己の見つめ直し
もう超どうでもいい、どうでもいいじゃない、超どうしようもない自分か。
で、許される場所を探すし、すごいもう何にもできない私で、
いや、いてくれてよかったよって言ってくれる場所を探す。
それを頑張ろうって思ってるんですよね。
全然なんか世界線が変わっているというか。
ただなんかその、いきなりこれは多分ダメなんじゃないかなと思ってて、
なんかタロットの話とか最近してないけど、タロットとかでもよく言ってますけど、
初めは我々は結構戦うんですよ。
まずは赤ちゃんの状態で、お母さんお父さんに守られている状態から社会に出て、
あれ、社会ってなんかお父さんお母さんとかそういうんじゃねえってことに気づくのよね。
ルールあるとか、空気を飲まなきゃいけないとか、
なんか特別扱いしてくれる人いないんだなーとか、
私ってお姫様じゃなかったの?みたいなことにきっとね、気づくんですよね。
私、子供育ててますけど、彼らはまさにね、ぶち当たってますね。
あの、みんなが自分を王子扱いしてくれないっていうことにね、
無意識で腹を立ててる息子を見て笑っちゃうんですけど、
いやそうだよ、みたいな。
あんたを王子扱いするのは私たちだけだからっていう。
その本人はあれおかしいなーってなんか葛藤してるけどさ、そういうもんなんだよね。
あれーってなって、そこでこう自分の自意識みたいに1回壊して、
ちゃんと社会に適応しなきゃいけないんだなーっていうことを学ぶのよね。
人間って群れで生きていく生物ですから、
やっぱこう、群れとうまくやっていくっていうのは生存していく上で必要なので、
そういうのを学んでいくと。
ある程度社会に適応できる、自分を抑圧して社会に適応していくっていうことを極めて、
極めるというか頑張ったら、その後は、なるほどねと、社会のことはよくわかったと。
こういうふうにやれば適応できるのはわかったけど、
でもありのままの自分で自分らしさっていうものを使って、
その社会に貢献していくにはどうしたらいいんだろうっていうフェーズが次来るんだよね、きっと。
社会への適応
私はなんかそっちに入っていったのかなーっていう気はしてて。
だからそのできないをできるようにするっていう成長は多分必要だったし、
人生の前半においてはそれで多分良かったと思うし、
自分もやってきたなって思うけど、なんか後輩になってくると、
でもずっとそれじゃダメなの。
おじいさんおばあさんになってもできるようになりたいんじゃーって言って、
私なんかじゃダメだーとか言っていないで、
そのおじいさんおばあさんになった状態で好きなものとか知ってることとかを、
知らない若い世代に話して、そうなんだーって役に立つとかあるじゃない。
なんか趣味でやってた編み物とかがさ、若い世代からするとすげーとかあるわけじゃない。
でもそれ別にできないからできるようになりたかったわけじゃなくて、好きだから極めてるだけみたいな。
多分そんな感じで、ずっとそうじゃないんだよね。
できないをできるようにしていくことじゃないんだと思うんだよね。
ここになんか挑戦と達成ってキーワード出しましたけど、
これはなんかちょっと抽象的だし一貫してるようなキーワード。
私はね、してるんですよね。
でもこれは、なんか私の人生のコンセプトとして、
この挑戦とか好きなのよ、多分。
達成とか好きなのよ、シンプルに。
だからあなたがそうか分かんない。
私だけかも。
で、なくても多分いいような気がする。
何でもかんでも挑戦して、達成感を得ていきたいっていうのに超重きを置いてる人もいれば、
全然そうじゃないっていう人もいると思うから、
別にそこはどっちでもいいかも。
ただ、なんかやたらと出てくるのは私が個人的に好んでるからっていうだけです。
私にとっては、どんどんどんどんありのままのしょうもない私で社会に適応していく。
適応っていうのは、なんかしょうもない私で引きこもって任意とするってことじゃなくて、
しょうもないな私って思いながら、何もできないなって思いながら、
なんかただ立ってるだけで、いやありがとうって言われたり喜んでもらったり、
いや助かったよって言われるような、そういう場所を探していくっていうことかなと。
これで結構ポイントだと思うんだよな。
なんか頑張んないんですよ。
私が貢献できてないのは、私がクソだからとかダメだからっていうわけではなくて、
なんか場所が悪い。
私が普通に生きしてるだけでは許されない環境に立っちゃってるだけで、
私が生きしてるだけで、いや助かったありがとうって言ってくれる場所多分あると思うんだよな。
つまりあなたにもそういう場所があると思うんですよ。
それを探しゃいいいだけだと思う。
ここに役に立ってないなーって自覚があるのに、
かじりついちゃうのは多分欠乏感から来てるから、
なんか認めてもらえないけど頑張って認めさせなきゃとか、
何だろう、否定されてる気がするけど、
なんかそれが私にお似合いみたいなのがあると、なかなか抜け出せないよね。
でもなんかそうじゃないなーってことに深く気づいたので、
もう何か求められてないんだなって思うと、
あそこそこ間違えちゃったごめんねって言って、
のいてまた別の、何だろう、来てくださいって言ってくれるところに行けばいいかなーっていう気がしてますね。
今私給食中なはずなんでしか全然してないけど、
なんか次はそんな基準で仕事を探してます。
つまり仕事を探す基準が変わりまして、
なんか前は結構やりたいこととか面白そうなことみたいなんで探してたけど、
いかに楽かっていうところを最優先に今探してますね。
疲れないこと。
で、前の私だったらなんかそういうのちょっと許さなかった気がする。
なんかバリバリしてるのが、
まあ好きっていうのもあったし、なんかそういうもんと思ってたけど、
何だらーっとゆるーっとって好きなこと熱中できるような環境を作るかっていう勝負になってきたなーって気がする。
新たな基準
勝負って別に誰とも戦ってないんだけど、自分の中でね、そういうゲーム攻略と思ってやってるって感じですね。
はい。いやーなんか取り留めのない話になっちゃったけど。
どう思います?どう思いました?
あなたにとっての成長って何?
自分に戻ることってところピンとくる人いるんかなー?
あんまいないかも。わかんない。
なんかあんま伝わんないんじゃないかなって気がするけど、私は結構しっくりきてて、
ただその人生のフェーズによって変わったなーっていう気はしてます。
もしかしたらその前半の方の感覚がわかる人もいるかもだし、
その移行していくよねってところに、
あーそうかもしれないっていう人がもしかしたらいるかもなーとか思ってちょっと撮ってみました。
よかったらあのー感じたこととか、ご自身のね成長だったり人生の目標目的だったり、
教えてもらえるとめっちゃ嬉しいです。
よかったらレターコメントいただけると喜びまーす。
じゃあ今日はこれぐらいにいたしましょう。最後まで聞いてくださってありがとうございました。
よかったら他のエピソードでもお会いしたいでーす。じゃあまたねー。