時間の逆行について
今回も哲学回なんですが、時間という概念についての話ですね。
早速ですが、
倉木は、時間に関することは大体認識論でしかないと思っているんだけど、
未来から過去に時間は流れる、という考えを持っておくと、
特に現代人なんかは、それが大事にするべきなんじゃないかと思っていて、
その捉え方にこだわる必要もないし、
実際時計の仕組みから言っても、現代人はどうしても過去から未来に流れる、
と思いがちだけど、
だから両者を使い分けるのもいいと思うし、
ただ基本的に未来から過去に流れると考えるべきだという話は最近してましたが、
今回の話はですね、
でもやっぱり、
過去は未来に影響を与えている。
未来から過去に時間が流れるって考えは、
要は過去なんて、
遺産でしかないですよ。単なるもう幻想でしかないわけですね。
でもそんなもん関係ない。
だから過去なんて見る必要もない。
まずここからですね、とはいえ、
人間、後悔することがエネルギーになったりもするし、
やっぱりある程度反省する必要もあるだろうし、
この限りではないと思うし、あとは、
過去が因果関係でいうと原因になり、
未来が結果になるってことは、この論理からするとありえないんだけど、
つまり、
ダイエット、
頑張ったから、
痩せたって考えるのはおかしいということですね。
確かに、認識論的にはね、
そう考えるよりも、痩せたからダイエット、頑張ってたと捉えられるわけだけで、
これダイエット失敗してたら、同じことやってたとしても、
あれは態度だったと捉えるかもしれないし、
ただね、こういう場合がほとんどだと思ってて、
つまり結果論でしかない場合がほとんどだと思ってるんですよ。
そういう意味では未来からここに時間が流れてくるという捉え方は必要なんだけど、
ただこれ認識論でしかないわけですね。
未来による過去の捉え方
やっぱりどう考えても、
おかしいじゃないですか、大学受験で、
勉強したからどうだよかった、
ゼロ時間しか勉強しなかったから落ちた、
やっぱりそのゼロ時間がちゃんとある程度勉強したから、
結果が変わるのは当たり前だし、
これ自体は人間的な考え方に過ぎなくて、
時間が未来からここに流れてくることをすれば、
捉え方も変わるのかなと思ったけど、
やっぱり無理がありますね、これはね。
どうしてもこの場合でいうと、
ゼロ時間か5時間かでは絶対結果変わるから、
だとすれば勉強したかしなかったかで結果変わるってことは、
ゼロ時間しか勉強しなかったから落ちた、
ってやっぱり言えるわけですよね。
っていうことはですね、やっぱり時間の捉え方、
どっちよりは正しいってわけじゃなくて、
まあ時には過去から未来に流れてると考えるしかない場合もあれば、
でもそれでも未来からここに流れると捉える場合が、
たほうがいい場合が多いと思うんですよ。
具体的にどういうことかっていうと、
まあ東大受験のために10時間勉強したから、
10時間勉強しても落ちてれば持ってればよかった、
受かってればよく勉強できたと思うわけですよ。
落ちてればこの勉強何の意味があったのかと思うかもしれないし、
受かってれば塾の先生のおかげで受かったと感謝の思いが出るかもしれないし、
未来によって過去の捉え方は全く変わるということですね。
そういう意味では未来から過去に時間は流れていると言えるわけですね。
それでは明日っけ。