時間の流れの考察
今回は時間についての話なんですけど、
皆さんは過去から未来に流れるものだと思ってるんですかね?
と思ってると思うんですよ。
小読みなんかもそうだし、そういう感覚あると思うんだけど、
じゃあ実際どうですかね?
川を例えてね、過去から未来に流れている。
ちょっとそれだとイメージつきませんよね。
過去から自分のところに川が流れてきて、川というか水が流れてきて、
で、その後未来になる。
過去がやってきて、皆さんこっちの方がすんなり来ると思うんですよ。
ちなみに今のがね、エキレスト教とかユダヤ教で言われてきた古典的な考え方ですね。
で、今ではこっちの方が新しいんだけど、ただやっぱりその、
名残があるわけですよ。
うちらにもう染み付いちゃってるんですね。
で、川でいうと、未来から過去に流れてる。
っていう風にした方がね、イメージはつきやすいと思うんですよ、この例えで言うと。
なんだけど、
クラキアは思うんだけどね、そもそも時間なんて概念ってあるわけで、クラキアはいつも言ってますよね。
だから過去とか未来なんて、頭の中にあるだけに実際存在してないなと言ってますけど、
時間というのも実態が概念なんですよ。
ということは、そういうものは、正解がいくつあってもいいんですよ。
で、どうしてもね、未来からこういう風に流れてくるっていう考えだと、やっぱりおかしいなと思うこともあるんですよ。
例えば、最近のエプソで話しました。
その、現在の捉え方によって、過去失敗だと思っちゃうことがある。
実際そうじゃない。人間もあるんですよ。
因果関係と時間の捉え方
大学受験で失敗したけど、で別の大学入って、
で、
そこでいい思いをできた。
っていう場合、
やっぱりね、
過去に失敗だと思っちゃうことが、その未来の出来事によって捉え方が変わるわけですよね。
だとすれば未来が過去に影響を与えているのかというと、捉え方が変わってるだけでしょ。
だからこれがね、未来が過去に影響を与えている根拠とはなりづらいと思うんだけど、
やっぱりね、
過去から未来に時間が流れているっていう捉え方も大事なんですよ。
大学受験で失敗したという、過去の事実がないと、
その未来にね、別のことをどこ受けたっていう事実が生じ得ないからですよ。
で、もう一つ。
未来から過去に流れているか、過去から未来に流れているか。
別にどっちも正しいとかいうわけじゃなくて、
時間なんてないんだと捉えた方がいい。
なんだけどこうやって臨機応変に考えるべきというか考えざるを得ないというか。
その根拠としてですね、
実際どうですか、そもそも。
大学別のとこ行って、その結果は俺だったって。
でも結果は俺だったと思っているのは、その人なだけで。
実際はね、本来の大学行ってた方が、第一部のとこ行ってた方が、
さらにもっといい思い出が来たかもしれない。
でもここら辺まで行くともう足られ場ですよね、ただのね。
ということはですよ。
そもそもさっき未来が過去に影響を与えるから、
過去の捉え方だけは変えれるって言ったけど、
まあ足られ場でしかないんですよ、そもそもね。
そういう意味では未来から過去に時間が流れているって考えると、
どうしてもおかしな点が出てくるし。
なんだけど、逆に過去から未来に流れる、
その考え一遍とだってそれもおかしくて。
まあこれも捉え方の話にはなってしまうんだけど。
人間まじさようが、話ご存知ですよね。
馬が逃げてきたから、引き連れてきて、別の馬を。
最初失敗だったと思ったけど、案外ラッキーだった。
だから物事って、人間が価値判断してるだけで、
まあ後から捉えてみたら、あれは良かったと思うかもしれないし。
ここが現代人の多方が勘違いしてる部分で。
でもそういった因果関係を結びつけて考えるのが人間の癖なんですね。
これはしたせで失敗したと。
ある意味ではその因果関係、さっきの大学受験の例えもそうだけど、
ある意味では因果関係はあるんだけど、ある意味ではないんですよ。
どうしてないかというと、未来から過去に。
だから、そもそも時間がないって、その点が一番大事なんだけど、
それによって、でもね、時間って感覚がどうしても生まれるから、
それで捉え方によっては間違いはしないといけない。
で、未来からここに捉えられると。
一旦考えてみると、受験勉強、ちゃんとしなかったから大学落ちたって思ってる場合、
因果関係ないんですね。
だって未来から過去に時間が流れ出てきてるんだから。
それはそう考えたら因果関係ないでしょ、全く。
これじゃあ分かりづらいと思うんで、
もしね、ちゃんと勉強してたら大学受かってたかどうか、
こんなのはやっぱり取られ場なんですよ。分かんないわけですよね。
だからそういう意味で、確率の問題とかじゃなくて、
因果関係はないわけですよ、そういう意味では。
そういう意味ではというか、これはもう因果関係はないものだと思っていいと思います。
後から反省するときにね、その因果関係を見出す必要がある場合もあるかもしれないんだけど、
未来の影響と見え方の変化
でも、倉木がいつも言ってる通り、あんまり反省って意味ないんですよね。
やっぱり過去は過去なんですよ。
諸行無常ですから。あらゆるものが変化してますから、あんまり反省しても意味ないんですよ。
でもこうやって話してて、やっぱり過去から未来に流れてるとか、あくまでもその
捉え方にしか過ぎないんですよ。本質的にはやっぱり時間なんてものはないと。
未来は過去も概念でしかないという捉え方が前提になってきますね。
それを忘れてはいけないと思います。
実際から、未来から過去に時間が流れてくる。
あんまり考えすぎるとね、何が何だかわかんなくなってくると思います、たぶん。
何が問題かって、過去から未来に流れてくるそのインペントの考え方だと問題なのでですね、
双方向の考え方をしないと偏った考え方になるんですよ。
さっきの大学受験でいうと、しっかり勉強するかどうかと、浮かるかどうか、将来はちゃんと浮かるかどうか、
この因果関係なんて本当は厳密にはないんだと捉えるって非常に大事なんですよね。
でも昨日ね、とこについてね、
でも、家を建てるって場合、この家を今建て始めてるから未来で家が完成してるわけですよね。
やっぱり因果関係ありますよね、そういう意味ではね。
だからこのどう考えてもそうとしか捉えない、そこは問題なんですよ。
でもね、今家作りに取り掛かんなかったら、何ヶ月後その土地はどうなってるかって絶対結果変わりますよね。
これはやっぱり人間的な捉え方でしかないわけです。
人間的なっていうか、自我による捉え方ですね。
還元すれば勘違いってことですね。
時間に関しては相当人間って都合の良いの考えたり勘違いしてる場合が多くて、それで悩んでる場合が多いってことですね。
逆にそれでいま言っても都合の良いってこともあるんだけど。
だから、人間版自体の作用があって、ある意味都合の良い教えですよ。
捉え方によってはだけなんで。
でも世間の人は都合をよく捉えちゃってるんですよ。
そういうのは、人間の人生が悪いことがあっても、そうだとは限らないっていう風にね。
別にどっちとも捉えないと思うんだけど。
良いことがあったり悪いことがあったり、また良いことがあったり悪いことがあったり
するわけですから。
もう一度言いますけど、未来がここに与えられてるってことは、
戦に行かないってことなんだって。
自分に対してまた手のひら返しして、
ああ、あれは悪いことじゃなかったんだと。
過去の捉え方が変わりますよね。
見え方が全く変わりますよね。
それは人間だからね、全く変わった見え方になってしまうんですよ。
だから過去が変わってるわけじゃないんだけど、
もしかしたら変わってるんじゃないかと思ってしまうくらい
インパクトのあることなんですね。
未来の変化が、未来の出来事が及ぼす影響っていうのは。
最後大事な話なんですが、
今回の話で言うと、
未来からここに時間が流れるっていう捉え方で言うと、
例えば東大に、大学に落ちました。
これもよくあることだと思うんだけど。
ポジティブに考えて別の大学に行って、
落ちるのが案外良かったんじゃないかと思う。
落ちた事実がさっき言ったように変わってしまう。
こういうことはあると思うんですよ。
じゃあこれから受験生、
未来から過去に時間が流れてると考えるとすると、
さっき言ったように、
勉強をするかどうかと因果関係がなくなる。
これ大きな問題ですよね。
しかも落ちる前から、
今言ったように捉えてしまっているんだとすれば、
これは過去から未来に時間が流れていると考えるべきですよね。
人間も実際はそうなんですよ。
馬から落ちても別にいいやって考えたら、
もう人として終わりですよね。
そこは動物として警戒心を持つ必要があるし、
後から別に過去の捉え方なんて変わるし、
いいやってなるのは問題ですよね。
それだけ最後にお伝えしたかったので。