哲学と自分の考えの絶対性
今回はですね、哲学界になるんですが、人間ってある程度絶対
自分は絶対だと思ったほうがいいんじゃないか、まあそんな話になっております。では早速ですが
最近も話しましたが、あの
まあ人の意見なんかに耳を傾けたり
するのも大事。だけどね、ネットの掲示板だったりコメントだったり見てると
シャワーのようにいろんな考えが浴びますよね。これって結構問題あると思ってて
自分の考えがわからなくなったり、これは自分の考えなように思えてしまったり
あるいは今まで自分が自信を持ってた考えも
こうやっていろんな意見を目にすると
その考えを否定するような意見にも出会ってしまう。それは人間いろんな意見がありますからね
そういったものを多く目にしてしまうとどうなるかというと、とても
いわゆる自己肯定感というのがね、あと自信がなくなってネガティブな思考からになってしまう
とにかくシャワーのように浴びることがあまり
日常三半時だとあまり良くないケースも多いと思ってて。ただまぁそれでもいいんだけどとにかく
人間って自分の考えなんて相対的なものであり、自分の考えが絶対正しいなんて
良い大人であれば分別ある大人ほどそれはわかってると思うんだけど
ある程度そういった情報はシャットダウンして
もちろんね、そういう情報に触れてた方が客観視できたり、自分の考えの愚かな部分、間違いは修正できるというメリットあるけども
ある程度ね、自分の考えに従って生きたり
忠実すぎる必要もないんだけども、ある程度信念を持ったり
何かを続けていこうとする限りは
ある程度根拠ない自信とか言いますよね
クラキの言い方で言う、考えで言うとね
それもそうだし、あと自分の考えが多少は絶対だと思った方がいいと思うんですよ
あまり相対的なものだと思いすぎない。世の中こういう考えもあるしこういう考えもある
でもクラキだけなのかな?でもそんなことないと思うんだけど
クラキなりの人生哲学があるわけですよね
それを間違いだと思う必要もないんだけども、最近ね
冒険人、なんだろうな
知恵袋、知恵袋か、みたいないろんな
哲学の話聞いてると
クラキは神なんて絶対いないって思ってるんだけど
それもなんか
その自信も100%が99.9%ぐらいに減ってしまったわけですね
まあこの多少とはいえ、そういうこともあるわけで
過信しすぎてるから
それは治っていいんじゃないか
私は自信なくなるぐらいでいいんじゃないかとは一切思わないんですね
ある程度自分は
この考え
を常にゴロゴロ変えるっていうよりも
3年とか5年とかある程度の間は
それを自分の信念として
懐に置いて
生きていく、それが土台になるし
あまり人の考えにゴロゴロ影響を受けてしまうと
クラキなんかとてもとても
これ一つでさえ、ちょっとそうやって自信がなくなるのでさえ
どう生きていいかわからなくなるわけですね
わかりますかね、自分の考えある程度は絶対だと思うっていうのは
まあそういうあまりシャワーを浴びすぎないっていうのもそうだし
知らぬが仏って言いますしね
それもそうだし、それの友達に触れたとしても
そんな考え突っ張れるって
もうよしといて突っ張るっていうこととも
また違うんだけれども
どうですかね、今回の話。それでは、したっけ