発達障害の特性
第53回発達障害あるある話していきたいと思います。
曖昧な表現とか漠然としたもの苦手、あと省略文。
で、まあよく言われることですけど、クラゲの場合、いや、思い返してみるとプロジェクトっていう言葉がね、なんか、どうも抽象、絶妙に抽象的すぎて、うーん
まあそれがいいんだろうけど、クラゲにとっては、なんかね、子供ながらに、うーん、いまいちちょっとよくわかんないなあと思いながら言いましたね。
だからコミュニティーっていう言葉も、すごい上手いせばいいかもしれないけど、ちょっと、うん、わかりにくいなあって感じはしてました。
でもこれは微妙な感覚的なことだけど、アスペとかね、言う言葉とか、まあそれ略語ですよね。
自分で気がつかないうちにそうやって歯がいを燃やしてるんですよ。
では次、積極的型と中道型の話なんですけど、これいろんな文献に書かれてると思うんですけど、積極的型の人って、まあ慣れ慣れしくて嫌われるとか言うんだけど、
でも今までそれに近い人で、えー、嫌われてるなっていう人は見たことないし、いや裏ではわかんないけどね。
ただ、あの、健常者と違うのは、やっぱり本人もいろんなものを抱えてるとですね、だし、まあ積極的型とはいっても、
結構物事があった目で見てたり、内心いろいろ理解できない部分があったり、周りからほんと人懐っこいしいい人だとしか見られないけど、
まあだから悩みがあってもなかなか打ち明けられなかったり、この人ならすぐ明らかんとして大丈夫になってることもあるし、
でも今回は大丈夫だろうと、見なされてしまうことですよね。
で、柔道型クラキの幼少期がまさにこんな感じ。問題意識がないし、主体性がない。もう自我がないってことですよ。
だから何か絵描くときに、人と同じ色とか形を描いてる、まあそんな子供とがまさにこういうタイプですね。
自分が何考えてるかわかんないしね。
あと自己主張はしないですよね。自分の考えなんかないですよね。よく大人になってこんな風になってるなと思いますよ。
なんか幼少期の頃とちょっと特性が違うんですよ。
あと積極的なところもありました。急に相手によって積極的になる。それも今ではないですし。
ただ幼少期の頃はね、すごい慣行でこだわりがあったと思います。
自分はないとはいえ、いよいよ何か物を集めたり、そういうところなんです。何人に対しても興味を持たないし。
とんちゃくだっていうのとは違うんですね。どっちかというと神経質なのは神経質だったし。
以前はね、そうやって主体性がないからこっちの人に合わせる。
集団に、他の人とはまた違うんだけど、こっちのほうが日本で行きやすいですよ。
過度が立たない程度に、割と上手く。上手くって言っても、友達と遊んだりもしないけど。
趣味があったりもしないけど、でも無難にやっていくような感じ。
無難にやって、自分というものがないことを全く焦ったりしてない感じなんで、荒波立てないし、人とうまくいかないこともなかったですね。
今言った、成長時期によって種類、タイプが違う。これはね、あるあるなことみたいですね。
いなかったですかね、キャラ変してる人。
ああいう人は、頭で考えてって言うよりも、成長してく段階で変化してる場合もあって。
自分でも薄々変化したのは気づいたけど、これ中学校からいい機会だから。
クラスの大半は、小学校の時と違う奴らだし、ちょっとキャラ変してもいいかなっていう流れになるんでしょうね、きっと。
席型っていうのもいて、クラキュアはこのタイプですね、基本的に。
一人っ子だからだと思ったけど、一人で遊んでることが多かったし、友達と遊ばないし。
ただね、この孤立型は全然寂しいと思わないって言われてるんだけど、クラキュアは孤独感も感じるし、寂しさもあるし。
ただね、それも発達障害あるあるではあるんですよ。
想像力の議論
孤独に対する体制は弱いなんか言われてるし、この辺は非常に曖昧なとこですね。
こういうタイプは何かを極める、学者になったり。
言われてるんだけど、学者になれる人なんて一部だし、今は難しいし。
何かを極めるとは言っても、これは完璧主義なんで、これも完璧主義あるあるなんだけど、途中でどうしても脱節してしまうんですよね。
だからこの辺はちょっと理解できないですね、あるあるだとは思わないですね。
次のあるあるなんですけど、病棟、何ていうそういうちょっと小難しいことがあるかについて、最近一人で撮ったけど、普段はあまり考えないですよ。
ただ、不公平なのはね、正義感が強いのでもてっきりでしたね。
公正、公平、中立的なものは好きでした。
大学受験なんかも、これはもうこんなことはないだろうと将来、ここまで公平性のあるものはないだろうと思って励んでましたし。
やっぱり小学生なら特にね、何か選抜してチームを決めるとか、もうあんなの公平じゃないですからね。
もういろんな好き嫌いとかいろんな事情も得て話すわけですから、決めるわけですから。
別に小学生じゃなくても、人に接するとき、なんでみんなこんな公平じゃないのかと。
そんな自分の事情で話すのかと。
それは理解できなかったし、嫌いでしたね。
集中の話で言うとですね、
余計な情報を遮断するという能力が異常に、
クラゲは異常、炎症なほどないんだわけですけど、
だから余計なことは気に入っていないんですけど、
物音一つでも立てば、もうそれで意識は飛んでしまう。
特に、脅迫性障害や不安障害という症状が出てからは、
より一層そうなんだけど、
学生時代はどうだったかというと、そこら辺は無神経だったんです。
でも半分の時間は、
そういったものになれるわけじゃないけど、なんだろうな。
でも半々で半分は、そもそも遮断しなくていい状態なのかな、
クラゲの場合は。
というか、正確に言うとどうだろうな。
常に過集中なんですよ。
今言った場合は過集中というよりは、
本当に、
自分の中で何かが起きて、
何かが起きて、
自分の中で何かが起きて、
自分の中で何かが起きて、
そういった場合は過集中というよりは、
抜群の集中力を発揮している状態。
物音をしたら気になっている場合は過集中になる。
無理やり音とかを遮断しようとするから、
そうなるんですね。
聞こえないと思い込もうとしているような状態なんですね。
まあでも大変です、それを。
食事中なんかも。
音を気にしないように、そこに意識が集中したりしませんよ。
でもやっぱり、音を聞かないようにしようとか、
そこに集中しないようにしようとすることに
集中していたりするんですね。
いやーでも、あれですね。
発達障害について勉強すれば勉強するほど、
うちの親は発達障害だなと思うんだけど、
サリンとアンカダイの話知ってますかね。
これと同じことで、
会話しててもそうなんだけど、
自分が考えたことは、
相手も分かっていると思う。
例えば昨日何人か話したとしましょう。
で、次の日までに何かネットで見たりして新たな情報があるって場合、
相手もそれは分かっていると思っちゃってるんですよ。
あと昔、小学生の時、
自分が何かクラキのものを机からずらしたとしますか。
ずらしたことをクラキも知ってると思ってしまってるわけですね。
本当自分のために発達障害の勉強を今してるんだけど、
よっぽど親の方が当てはまることが多くて。
次の話なんですけど、
発達障害界隈では、
善悪の価値基準は人によって違う。
これはその通りなんですよ。
そんなものは絶対的にないし、相対的なものですよね。
とはいえですよ。
ここで発達障害の人が思うのは、
自分は間違ってたんだと。
これが正しいっていう、善悪。
そういったものはあると思ってた。
けれども実際違うことを学ぶ。
とは言ってもですよ。
あなたたち間違いじゃないと思うんですよ、それ。
善悪の、よくいますよね。
普通なんてものはないんだって言う人いるけど、
普通って普通にあるわけだし、
標準っていうのはね。
だし、良い悪いの価値基準、
大体日本人であれば共通してこういう善悪を持ってるって、
それが文化じゃないですか。
それは別にあると思うんですよね。
あっていいと思うし。
そこら辺発達障害について語るときって、
発達障害が間違いなんだと。
言い始めてそこら辺の常識も何か歪められてしまいますよね。
あと以前、
専門家の見解
以前というかいつも動画見てるとき、
出演者に勘違いにしてしまうって話しましたが、
想像力の欠如と、
まあ診断基準ではなってるんですけど、
これはあるあるみたいですね。
でも想像力って、
定義があんまりないですね。
イマジネーションっていう意味もあれば、
芸術家の想像力、
空想する想像力、
サッカー選手のファンタジーシスタの想像力、
相手の気持ちを読むっていう想像力、
未来を考えるっていう想像力、
そういう意味があって、
そういう意味があって、
定義が曖昧すぎるんですよね。
だから、
クラッキーは非常に困惑してましたね。
これをどう理解すればいいのか。
そしてそれを平気で使う専門家。
多分ね、だから、
ちゃんと議論になってないと思いますよ、これ。
曖昧なまま議論しちゃってるわけですよ。
でも、
でも、
でも、
学会なんかでも。
それでは、
そして、
はい、
7点、
あれまでありますかね。
あとは、
いやいや、