自分の価値の探求
今回は、自分の価値は何で決まるのか、という話をしていきたいと思います。
哲学界続きましたから。
こういう時、言葉の定義から一つ一つ分析していきたい性格なので。
まず価値というのは、そのものやサービスがどれくらい大切か、あるいはどれくらい役に立つかを表す程度。
でもどれくらい大切かどうかというのは、
社会的な常識・尺度で分かることができると思うんですけど。
例えば、ある側面では話だけども、
あれって分かれるのかな、例えば。
以前まで、人それぞれの価値かなと思ってたけど、
でも社会全体で、日本では、学歴高い方が、人材の方が、
社会に役に立つのかどうかっていう点ではね、
そういう風に言われてるっていう程度の言い方の方がいいんじゃないかな。
ただここで言う自分の価値は何で決まるかって、
まあ違いますよね。
やっぱり自分への問いだろうし、
自分で判断するものだろうし、
社会に判断されるものでないし、人に判断されるものでないし、
とはいえまあ人の価値って何で決まるかって考えたら、
周りからどう見えてるのかって気になりますよね。
ちなみにクラケは、周りの人に気に入られてるか、
周りの人に重宝されてるか、
その価値が決まるっていうのは、
ご通用主義というか浅はかだというかだと思いますね。
かといって、これ哲学的に、
単純に考えるとただの小難しい話、
ただの答えの出ない話に終始してしまうような感じがするんですよ。
というか哲学的な議論っていうだけでいいんだけど、
なんか不毛な議論に埋まってしまうような気がするんですが、
それは嫌ですね。
まあ基本クラケはね、
ニヒリズムなんで、
こんな優劣つけれるもんじゃないし、価値で見てね。
だし、まあ価値があると言えばあるだろうし、ないと言えばないだろうし、
価値の時間的変化
こんなのも人の頭で考えることであり、
周りの人がその人の価値観で判断して、
この人は価値がある。
また自分の親が一番価値があったり、
奥さんとか仕事のパートナーとかが、
やっぱり価値があるわけじゃないですか。
こういう価値判断っていうのは絶対人間、
死ぬまでなくならないですからね。
そんなのどうでもいいんですよ。
ニヒリズムなんで。
他の人の頭の中でそういう現象が起きてるんだなと思って、
自分は自分の中で、
自分は価値があるとかないとか考えてしまってるんだなって。
それが基本的な考え方なんですよ。
だからね、
ただ単純に哲学的な、
不毛な話にしたくないんですよ今回。
普通に話しちゃったら、
どうでもいい結論に、
自分的にはなると思ってるんで。
じゃあなんで今回この話しようと思ったかっていうとね、
ちょっとね、
自分の挑戦っていうかね、
話してみようと思ったんですが、
考えてみたいことではあるんですよね。
でもね、
これが結論になってしまうかもしれないけど、
価値観って言っても、
もう本当に刹那的時のものだろうし、
そんなものも一年も経てば、
その人の価値があってもなくなるかもしれないし、
一見役立たずかもしれないけど、
一年後どうなってるかわかんないし、
ある人にとっては役に立てないけど、ある人にとっては役に立てるかもしれないし、
まあでも役に立たないで、
判断するのは嫌だからやっぱり価値が、
人の存在価値とかね、
嫌ですね、そういうことを考えるのは。
でもね、この価値、
存在価値を見出したい、
価値についての議論ってね、
人間のエゴだと思ってて、
人というものに価値を、
起きたい、価値があると信じたい。
だから自分というものの、
存在価値って何だろうって考え始めると思うんですよ。
まあでも人の存在価値って何だろう、
生きる意味は何だろうっていうのと、
自分の存在価値ってちょっとまだ違うんですね。
まあでもやっぱり、
周りの人に役に立てると思われて、
人間にとっての一番の喜びって、
還元すると一番の欲望って、
人に認められたり、
価値判断の重要性
人の心に自分というものがあることですから。
だからまあ存在価値っていうのは、
もう一度言いますけど、
もう一度っていうか、あとは、
時間的なことで言うとそうだけど、
あとはですね、
まあある程度の社会の尺度で、
見て、
何か学歴があるからとか、
まあそれは政治家とか自衛隊とか、
国に関わることのほうが官僚とかね、
まあ価値があると、
多方の人は言うだろうし、
無職の人は価値がないと、
見なされるだろうし、
でも哲学的な意味では、
いや今ね、今哲学的な意味ではって言ったんだけど、
哲学的な意味では今言ったとおりなんですよ。
だから何だろうな、もっと本質的な意味ではっていうのか、
こっちも哲学的に考えてもっと深く考えてると、
なんかじゃあ矛盾しちゃうけどね、
人の価値なんて、その規制なんて付ける、
簡単に付けれないっていうのはね、
たぶん哲学の文学部とかで、
まずこれは言われると思いますね、予想だけど。
常識的に考えたら、
人の規制なんて付けれるけども、
人の存在価値なんて簡単に、
一筋縄に、
この人は価値があって、
この人は価値がなくてなんて言えたもんじゃないと、
いうふうになるだろうし、
哲学やってる人は、
まあこんなことは当たり前だと思うんですけど。
かといってね、じゃあ人の存在価値なんて、
決めれたもんじゃないっていうのは、
今回の話ではちょっと多分かなと思うんですけど。
ルール違反かなと思うんですけど。
じゃあクラゲの存在価値、思う存在価値っていうのは何なのか。
あ、違いません。
まず人の価値、
これはありません。
あとね、
自分の価値、
何で決まるかというと、
正直言ってね、
これってよくあるけども、
この日本語自体がね、
なんか違和感があるんだよね。
人の価値観なんてやっぱり、
でも決めれるもんじゃないだろうし。
まあでもこういう問いが出てくるってことは、
何かで決めたい、
何かに決めれるんだろうなと、
思い込んじゃってるところが伺いますね。
まあでも、程度ですよね。
人に役に立ってるか、大切されてるかの程度。
これ正しい質問の仕方としては、
正しい、
この捉え方というか、としてはね、
自分が価値があるかどうか、
どう判断すればいいか。
あ、違うか。
まあいいや、で、
自分が価値があるのか、
自分はどう思ってるのか、
とかまあそんな感じのニュアンスのほうがいいと思うんだけど、
結局自分で価値判断してるだけですからね、自分。
価値があるかどうか。
人が価値があるって言ったって、
まあね、
人利用狩りだと言われようが何だろうが、
人がね、自分の価値があるかどうかなんて、
決める権利は絶対ないと思ってるんで。
たださっき言ったように、
人に大切にされてると、
その人にとって自分は大きな存在だと分かると幸せだと感じやすいんですね。
まあ前回のエピソードとちょっと関係ありますけど。
そういう意味で家族がいないよりは、
娘とか息子とか奥さんとかいて、
頼りにされた方が価値が現れると思えるのかなと思うんだけど、
そこでその方が価値があるっていうのは単なる社会の尺度でしかなくて。
最後の話ですが、経営苦闘っていう言葉があって、
取るに足らないことしかできない人ですね。
でも役に立つこともあると。
いい言葉ですね。
私よりも黒木は絶対誰かしらの役に立ってると思ってるし。
実はガンデサイですよ。
人類の進化には必要だと。
細胞がめちゃくちゃ分裂の仕方するんだけど、
これが進化には必要だという説もありますし。
それではお疲れ様でした。
それではしたっけ。