幸せの基準を考える
今回は、幸せがどうか判断、皆さんはしたくないですかね。
無意識に言ってもね、今の自分って幸せなのかなんてことは、子供の時から皆さん考えてると思うんですけど、そんな話になってます。
こんなこと考えるの無駄だと思っても、考えてしまうんですよね。
似たようなことで言うと、今自分は集中できてるのかどうかって、客観視したくなるけど。
ちなみにこれなんかはね、集中してればどうかなんて考えちゃいけないって話をしてましたが、
自分が今幸せなのかどうか、これもあんまり考えないほうがいいような気がするんですけど、
幸せじゃなかったら幸せじゃなかったで、これはもうただの知らぬがおとけですよ。
幸せだったら幸せだったで、こんな幸せを享受して、ダメだダメだって思ってしまう性格の人はね、あまり健全ではないですし、
自分が幸せかどうか、知りたいけどでもね、誰でもそういう哲学的な悩みに突き当たると思うんですよ。
これって本当に幸せなのかとか、なんか難しい話が始まりそうですけど、いやそんなことはないんですけど。
クラキはですね、幸せかどうか判断しようと思ったら、
で、言いたいところですけど、もうそんな行為はクラキは放棄してしまいましたね。
まあさっき言ったね、人間は誰でもそうやって考えてしまうっていうのと矛盾してしまうんだけど、
まあでも全くではないですかね、まあ少しは。
ただね、今の自分は幸せかどうか判断しようとしたいっていうよりも、
これはね、もう自分で認めますね、もう。
性格はもうちょっとね、ひねくれてるとは認めたりとかないな、でもまあそういうことなのかな。
不幸せなのがね、いいと思ってしまうんですよ。
ただね、今回の話にちょっと幸せっていう定義がね、クラキにとっては非常に分かりにくいというか難いというか、
だしね、クラキは幸福狂騒なんですよ。
ただね、今言ったように、ちょっと人とのズルが生じてしまうんですが。
ただね、分かるんですよ。
以前はね、やっぱり自分は幸せにならなきゃいけないと思ってたし、
特にクラキはですね、一人でいるときはいいんだけど、人といるときは幸せにならなきゃいけないと思ってて、
収穫旅行のときなんかも、こうやってお金出してもらってて、いくら収穫とはつくけれども、旅行ですから楽しまなきゃいけないと。
あと部活なんかやってても、まあ辛いのが部活だけど、でも本質的には充実して楽しいと思えるし、
まあ辛いのも含め幸せだという、そういう結論にならなきゃいけないと思って、結果論でもいいから。
こういうときはね、やっぱり考えてしまいますよ。本当に今幸せなのか。
なんだか周りの奴らともうまく言ってないけども、それでも幸せだと思いたいわけですから。
だからね、日本人の多くにはね、いや日本人だけじゃないですね、やっぱり幸せかどうか考えるんだけども、
結局幸せだと思い込みたいがために、何とかこじつけて幸せだと思っている人もいると思います。
でも何をもって幸せと判断したらいいのか。
まあこんなことね、自分で幸せだと思ったら幸せだろうし、なんて言う人もいるだろうし。
まあなんでこういう考えが出てきてしまうかというと、やっぱり幸せって難しい定義だからですよ。
辞書的な意味ではね、幸福をっていうのは、
ちなみにこれ今日多幸感っていう言葉好きで、あるバンドのメンバーが言ってたんですけど、
辞書的な定義としてはその人にとっての難しい状況にあり、乱されていること。
充足感ではですね。
あと運が良くて不満がないこと。
そういう意味もあるんですね。巡り合わせが良くて、運が良くて。
黒毛は運が良いと思うことってほぼほぼないんで。
ネガティブな人は科学的にもね、幸せを感じにくいなんて言われてますし、
あとIQが高い人は幸せを感じにくいとかね、まあいろんなそういう説も諸説はありますが、
ちなみに黒毛は子供の時代から、すごいなんかいろいろそういうのをがった目で見てました。
幸せっていうことについて。戦争がないだけ幸せだとか。
いやそれはないだろうと思ってね。
どの時代だって別に幸せな人は幸せだし。
だからどの時代だって幸せな人は幸せだしっていう、そういう発言も好きではなかったですね。
今一応ね、説明するためにこうやって言いましたけど。
まあでも今言った意味ではそうだと思うしね。戦争時代だから不幸せなのかというとそんなことないし。
幸福感の定義
だから今の若者はありがたみを感じろみたいなそういう発言大嫌いだし。
でも幸せの基準って知りたいですよね。
だから不思議ですよね。別に自分でそんなこと、自分が幸せなのかなんて知る必要ないのに、
何かの正しい尺度で幸せなのかどうか測って、測ってどうするんだと思うけど、
自分が幸せかどうか知りたいわけですよね。
あとひとつ言えるのは幸せってのは現象、言い換えると状態。
まさに最近クラキが話してた商業諸法無我ってことだけど、
自分ってものは存在しなくて、自分ってのはあくまでも状態なんだと。
幸せも同じですね。人間の心も現象でしかないですから。
そういう意味では正しいですね。
しかも商業無常ですからね、この世界は。
だから今幸せかって考えても、現実には1秒後には変わってるわけですし、
感情っていう、人間の感情っていうものを生物学的に捉えても、
そんな生きときとして留まることもないですし。
ありますよ、最近は幸せなのかどうなのか考えてるっていうのは。
ちなみにクラキはね、幸せかどうかっていうのは、
結局脳の中でドーパミンが出てるかどうかっていう意味ではね、
いつも言ってる通り生物ってバランス取るんで、
去年より今年の方が幸せだったのかっていうのはあまりないと思うし、
占い的な幸せってありますよね。
そういうのは、今年から5年間どうだらこうだらみたいな。
小読みなんかもそうですよ。
対案とかそういう、
そういうスピリチュアルを持ち出されたら、
クラキも何も言えなくなりますが、
何も言えないっていうのはね、
話しがたいっていうより、言うんじゃなくて、
話し気力がなくなるってことですね。
呆れすぎて。
結局だから、この時期が幸せとかいうことはないと思うし、
まあでも自分が幸せかどうか判断しようとって、まあ無理ですよね。
あといつも言ってる通り、客観的に捉えてね、
幸せかどうかって考えようとしても、その時の感情によると思うんですよ。
その時、充足感があったり、あるいは逆に疲れてたりしたら、
自分は最近不幸せだと思うだろうし。
かといって日常生活の途中で、自分は幸せかどうかなんて客観視できないだろうし。
どうなんでしょうね。
日本人は統計取ったら、平均年収より何百万高かったら幸福度が一番高く感じてるとか、
まあそういう数値は出るんだろうけど。
まあそれも個人個人の話じゃないでしょ。
幸せの結果と統計
全体で言ったら、こうだっていう話であって。
自分が幸せかどうかには関係ないだろうし。
ただ幸せになろうとしたら、
どんな時にね、ある程度、そういう統計を参考にするのはいいかもしれないですけど。
まあそれと比べてね、自分は年収何百万だから、
じゃああんまり幸せじゃないなっていうのは、それは人の尺度で見てもね、
まあでも自分が幸せかどうか知りたいんでしょうね、人間って。
でもそうやって人の尺度でどうのこうの言ったって、まあ答えではないですよね。
それは違うってことに気づきますよ。
それでは明日っけ。