人生の意味と欲深さの考察
今回は、人生哲学というか哲学の話なんですが、最近、信仰宗教について勉強していて、面白いなと思ったのが、
まあ珍しい考え方だけど、人生に意味がない。仏教系であるのかな、こういうの。人生に意味がないからこそ、お金に執着しても意味がないんだと。
言うんだけど、この発想って、ちょっとなんか不思議だなと思ったんだけど、何が不思議だなと思ったかというと、考えてみたんですよ。
人生に意味がないということとそこが繋がるんだなと思って。仏台あればですよ。人生、意味があるから。
まあ意味があるんだけども、そこは否定しないんだけど、よくなんかしてた方がいいと。
仏陀なんかはね、仏陀自身はどっちかというと人生に、そこは言及してないかもしれないけど、どっちかというと、仏陀は意味がないともあるとも言ってない感じかな。
まあそういうことですよ。だから意味がない。
だから、まあでも、その理屈成り立つなと思いました。意味がないんだからお金なんで食べたって死んだら、もって、死んだらもう、なんだ、もう全部パーですから。
難しいところですよね。だから生きてる間に、いい思いをしてっていう考えもあるかもしれないし。
逆に、死後の世界を信じてるような宗教でも、
まあ同じ理屈ではあるわけですよ。だってあの世に、お金なんか持っていけないわけですよね。
だから全部パーと言えばパーですよ。
あと逆に、まあこれ普通であれば人生意味なんてないよっていう人は、切な主義に陥りがちなわけですね。
欲まみれというよりは切な主義に陥るわけですね。逆に人生に意味があると考えれば、
まあこれはお金も普通に大事にするだろうし、大事にしすぎる人もいれば、あまりしない人もいれば、
まあ普通に大事にする。ある程度大事だと思う。これが後々多数だと思うんだけど。
逆にこれはこれで欲深くなると思うんですよ。人生に意味がない。
って考えても切な主義になったり欲深くなったりして、
まあさっきの宗教から言わせれば、どうせ死んだらおしまいなんだから、
そんなとこにとらわれててもおかしいだろうって理論上そうなるけども。
人生に意味があると考えてる宗教でも、宗教とかそういう価値観でもね、
まあ死後の世界があると言われようと、人生物事に意味があると言われようと、
欲深くなる人は欲深くなりますよね。これ不思議ですよね。人生に意味があると思わなかろうと。
欲深い人は欲深いし、お金を大事にする人は、
お金に対する欲というか切な主義というか、
異物主義というかそういう人は相変わらずだし。
人生に意味がないと考えても欲深く生きるのは煩悩だということもある意味に成り立つ。
煩悩というよりは、死んだらお金なんかも名声なんかも持っていけないというか、
全部パーなんだから。成り立つと言えば成り立ちますよね。
だからそんなことにがめつくに至っているよりも、他のことに価値観でも大きく。
クラクの場合は別にどっちだろうと、人生に意味がないんだから別にどっちだって同じだろうっていうのが
もっと本質的な捉え方なような気がしなくもないですけどね。
それではしたっけ。