生きる意味への問い
今回はですね、病んでいる人ってなんで生きる意味を問うたりするのかっていう話なんですが
いやなんででしょう。倉木もね、倉木でもうつ病になる前から宗教に入ったんでこういう問いはあったんだけど
やっぱり宗教入ってからはより強くなったんですけど、確かにこれは言い当てていると思いますね。
病んだ瞬間そういうことを考え始めますよね、人間って。
なんでなんでしょう。
まず、死にたいっていう要求が強まって、そうやって人生について考えていると
生きてる意味なくねえかと、どうせいつか死ぬんだし、今死んだと同じだろうって考えて生きる意味を問い出すんですね。
これが自然な流れ。自然かわかんないけど、こう考えるのが自然でしょうね。
なんで生きる意味を、理由を求めたがるかって考えると
でもそもそもね、生きる意味なんか考えてるからうつ病になってしまった、病んでしまった。
これは十分あると思います。哲学者で、ニーチェなんかもそうだし、病んだ人はたくさんいますよ。
科学者でも多くいますし。
心相心理を追求しようとしたら、そういう精神状態になってしまうんですね。
自分を振り返ったらわかりやすいかな、考えやすいかな。
特に古くからクラキオは浪人生になってからこんなことを考え始めるんだけども
当時支援機だったし、進路を決める必要があるし、より深く人生ってものをね
自分の人生ってものについてもそうだし、人間ってものについても考える必要が出てきたから
必要に迫られたって感じは、感じてもらったんだけど
でもクラキオは宗教やね、ほぼほぼ縁を切ってた状態だったんで、あんまり信じてなかったし
生きる意味を探してるというよりは、生きる意味なんかないんだなぁということを
少しずつ少しずつ自覚してる感じでしたね。
だからまあ普通はその逆なのか。
生きる意味なんか考えたことなかったけど
ちょっと哲学的思考を還元すると言い換え
深く考えるようになっているということですね。
まあそういう時期はあってもいいんじゃないかと思うし
クラキオの宗教の教祖もね、そうやって引きこもって考える時期は大事だと言ってましたね。
そうやって哲学者みたいになる時期も人生には必要なんじゃないでしょうかね。
日本人の哲学的思考
まあ日本は農耕民族で別病気質もあるからね。
なんだけど多分ね、哲学に興味ある人なんかあんまりいないんですよ日本人。
欧米人と比べて。
これ意外ですよね。
そんな明るい人種でもないし
そのくせ哲学的に深く考えもしないってなかなか認め難いですけど
どうしてでしょうね、うつになったら。
というか精神的に病んだら。
まあでもねクラキオはある程度わかってて
その精神状態はそういうことを考える精神状態としか言いようないんですよね。
だから過去の哲学者、デカルトとかニーチェとか有名な哲学者って
少なからずそういう性質あったと思いますよ。
もう明るくて気分は爽快で
もう1日1日充実してて
もう未来のことなんて考える余裕もないくらい充実してる
人はまあ生きる意味なんて考えないでしょうからね。
それではしたっけ。