生きる理由の哲学的探求
今回、「生きる理由は何か」、「なぜ人は生きるのか?」ということがよく議論のテーマとして挙げられるかという話なんですが、
まずですね、思うのは、よく言われるのが、病んでる人はそういう問いが出てしまう。
だからまあ、病んでる人が多いんでしょうかね。ただ日本人はそんな、どうでしょうね、哲学的なことに興味を持つ人はあまりいないから、
そんなことよりも現実が大事って感じだから。
そんなのは老人になってから考えることだなんて考えてる人も多いと思うし、
日本人が別に多いとは思わないんだけど、ただこのテーマは世界的に普遍的なテーマだし、
それが理由ですよね。哲学的な命題だからですよね。
人類長らくテーマにしてきたことである、個体文明の人でさえ、私はこういうことを考えてたんじゃないかな。
人間ってのは、前々回のビデオで話した通り、他の動物もそうだけど、原因と結果を結びつけたがる生き物なんですね。
セットで考えたがる生き物なんですよ。
特にその何かの理由、これは何でだって考えるのは、人間らしいですよね。
生きてれば大変なこともある。
で、何でこんな思いをして生きなきゃいけないのかっていう問いとか、
単純に、なぜこうやって、自分はこうやって生きてる。
これは、自我はあるからそういう勘違いが起きてしまうんですよ。
自我は起因となってこういう発想なんですね。
自分なんか本当は存在しないんだけど、自分がいると思ってるからね。
自意識ってものがあるから。
これ何でなんだってそれなりますよね。
生まれてこない人もいるのに。
この発想すごいおかしいんだけど、生まれてこない人いるのに自分は生まれてきて。
何が違うんだとそう思いますよね。
それが理由ですよ。
自我が理由なんです。
あとはね、日本人の中でこういう答えがなかなか出ないっていう人は、
多いっていうのは何故かというと、さっき言ったように哲学的に考えてきた。
そして壁に当たって、でもなんとなく自分なりの答えを探してということ。
経験が子供の時からないからですよ。
あと無宗教の人が多いからですね。
だから生きる自信がないから。
こんなこと子供のうちに考えてるような問いなんだけど、大人になってから生きてる意味は何だと。
特に病んでる時なんかは、あるいは時間に余裕がある時とか、壁に立ち上がってる時なんかは考えてしまうんですね。
しかも人によって全然その信念も違うし。
生きる意味が全くないと思ってる人もいれば、
生きる意味を、これはほとんどだろうけど8割はね、
子供のため、幸せに生きるため、目の前のため、
自己の意味の創造
切なし気なしともいれば、そうでない人もいる。
中にはね、死後の世界に生きる意味を求める人もいるんですね。
来世に生きる意味を求める人もいる。
早く解脱してしまいたいっていう人もいたり。
だからね、すごいややこしいテーマなんですよ。
だからよくテーマとしてあがるんですね。
ちなみにクラキはこのテーマ、
興味はないわけじゃないんだけど、くだらないなと思ってしまうテーマですね。
それぐらい月並みな人間の問いなんですよ。
答えがないのはもちろんだけど。
ただ、人生の意味っていうのかな、
どういう意味でこれを問うてるかにはもよるんだけど、
人間がこうやって生まれてきた意味っていう意味では、
そんなものはなんかはないんですけど、それが答えですね。
ただ最近話した通り、別に死んだら、
これの問いが解決するわけじゃない。
つまり、どうせ死ぬんだから生きてても意味がない。
今はね、ちょっと疑問視してて、
生きる意味なんてその時その時発生してると思ってて。
まあでもその意味っていうのは、自分で作った意味でしかないんだけど。
クラキが答えるとしたら、
ただね、
意味なんて自分で作るもんだっていうのはなんか馬鹿げてると思うんですよ。
本当に悩んでる人って、
人生の生まれてきた意味っていう意味で言ってるからね。
うん、それでは明日だっけ。