登山と人生の疑問
ここは人間の不思議についての話なんじゃないですか。 まず早速一つ目。
登山をするのってね、なんでだろうって思ってね。
それを言い出したら、マラソンだって同じだろうって。 ただただキツイだけなのに。
登山だったらまだね、景色がいいとか、あるわけですし。
とはいえ、なぜあんな命懸けで。
自分の命を、地味を縮めるような行為にしか思えないし。
そこまでしてやることかと思って。逆にね、
スリルがあってでも身の危険を感じるようなものは、
ちょっとぶっ飛んだ性格の人がやるんだろうなぁと思って、あまり理解しようとすら思わないんだけど。
今はそんな風に思ってました。でもね、山と戻ったって結局また同じ地点に戻ってくるって意味では、
やっぱりおかしなことですよね。
例えば仕事でどっかに、仕事に行く?あるいは旅行で行く?そして家にまた帰ってくる。
だったら何か、仕事であればお金を稼ぐため、旅行であれば楽しむためという目標があり。
もう一度言いますけど、それだけきつい思いをして、そこまで何かあるのかっていう。
これも疑問なんだけど、結婚したってね、10年経てば全く見た目も変わるし。
例えばイケメンだから結婚したって知ったら、10年も経てばただのオッサンになるし。
グラマラスだって美人だからって結婚しても、10年も経てばただのデブになってるかもしれないし。
老化は絶対避けれないですよね。
なのになぜ恋愛なんかしたり、結婚するのか。
まあ今まではちょっと意味合いが違うんだけど、今回のテーマでも当てはまると思うんだけど。
そもそも人間生きてても、いつか死ぬわけですね。
ただこれについてはね、ちょっとクラキも疑問で。
もちろんクラキもニヒルの性格だから、どうせいつか死ぬんだから、今死んでも同じだろうっていう考えも
以前はあったんだけど、今はあまり思わないんですね。
どうせいつ死ぬか、将来死ぬんだら、今死んだって、明後日死んだって、人命も圧倒したって、同じなんだったら別に人命も圧倒すればいいんじゃないかと思うし。
こんな疑問を持ってね、実際に命絶つ人なんてほぼいないと思うんですよ。
いつかどうせ死ぬんだから生きてる意味がないという理屈はおかしいと思うんだよな。
いや生きてる意味はないんだけど。
人生における意味を探る
そういう人っていうのは何かを積み重ねてるっていう意識があると思うんですよね。
別にノルマがあるわけじゃなくても、何かを日々積み重ねて、でもいつか死ぬんじゃなければそれがゼロになる。
ゼロに生きすから生きてる意味がないんだと。
その理屈自体は正しいですよね。
もし受験勉強をしても絶対に受からないんだってわかってるなら、
じゃああと半年か勉強するよりも今それがわかった時点でやめてしまうのが理にかなってますよね。
でもどうでしょうかね。
人生に意味がないわけだから、逆に何かを積み重ねることもないわけだし、
積み重ねられることもないし、いくら努力したって意味がないわけだから。
さっきの受験の例で言うと、受験勉強をしてもいずれ無駄になるっていうよりも、
受験勉強をすること自体にも意味がないわけだし、もちろん受験勉強をしないことにも意味がない。
だから本当に人生つらい人が思ってるんじゃないかな。
あるいは仕事が毎日大変だったり、それを想定して少しでも楽しいっていう思いがあれば、
でもそれも切な的だと思いますよ。
60過ぎれば病気も増えたり、体の節々が痛くなったりで、
そういうのも人を見てたらわかるわけですからね。
それはそれでどうかとは思うけど、
今楽しんでるような人からしてみたら、
生きることは人生に意味がない。
だからわざわざ今すぐ死ぬかっていうことですよね。
それではしたっけ。