本音を言わない理由
今回はですね、人はなぜ本音を言わないのかという話ですけど、話していこうと思います。
まずこれをお話ししておかなきゃいけないのが、これが前提条件になってくるんだけど、
正しさっていうのは、時代によっても国によっても違うし、あと集団によっても全然変わってくる。
多かれ少なかれ、その集団によって変わってくるわけですけど。
で、これをお話ししておかなきゃいけないのが、
この人間の英知を持ってもね、この正しさ、変化しますから、その集団によっても違うし、
時間が過ぎれば、気持ちも変わって変化もするだろうし、
状況状況で、正しさなんて変わるわけですね。
で、それに対応する、理解をするってすごい難しいんだけど、
それを得意とする人もいれば、できない人もいる。
だしあとは、自分の持ってる正しさは、
社会通念との相違はないかどうかっていうことで言うと、
自信がある人もあれば、ない人もいる。
今普通話したかな、もう一度言いますね。
正しさなんていうのは、変化してるんだと常に。
だし、それを理解する能力がある人もいる。
溶けてる人もいれば、ない人もいて、
あと自信があるかないか、社会通念とのズレはあるんじゃないかと不安に思う人もいるということですね。
この前提に考えると、
自分の本音、本心は正しいということ、
というか、社会の正しさ、周りの人が持ってる正しさと、ズレはないか。
あとはあれですよね、社会的な常識から言って、
この感覚は合ってるのかっていう自信がない人なんかは、
自分の本音を言ったらどうなるかわかってるはずよね。
だから常に罪悪感を持ってるわけですよ。
しかも、人との相違があるからね。
自信がある人はいいんですよ。これは自分の正しさだと。
人と違うのだと。
相対的に捉えられる人っていうのは楽なもので、
別にあなたの正しさはこれで、自分の正しさはこれで。
でも日本人の場合はね、
無理を成す生き物ですから、日本人ってのは。
無理を成してなんぼの生き物ですから。
だから周りとの相違っていうのは非常に敏感ですよ。
まあでも少なからず、やっぱり動物である以上、
周りとの感覚のズレ、周りと正しさが違うことによる恐怖心ってありますよ。
でも特に自分の本音っていうのがね、
まずいんじゃないかどうなのか、自信がない人って常に罪悪感を持ってるんですよ。
だからね、本音は絶対言えないし、
本音は言わないようにしてる人って常に、
人と話してる時は罪悪感が出てる。
社会的影響と日本人の特性
つらいですよね。
まあでも自分の正しさに自信を持てない人ってそうなんですよ。
だから本音も絶対言えるようにならないし。
人間って無意識に、
立て前は社会常に沿ってる場合が多くて、
本音はそうではない場合が多い。
特に今言ったように、正しさと自分の正しさに自信がない人であったり、
今言ったことを理解でよくできてる人っていうのは、
今言ったことというか正しさを理解するのって非常に難しいと。
なぜかというと変化してるから。
分かってる人は常にね、
人と話す時は本音なんか言えないわけですね。
なかなかつらいですよね。
じゃあ本音を言った方がいいのかというと、
自信がない人はもうちょっと本音言ってもいいかもしれないけど、
特に日本人なんかはね、
無理を成す生き物なんで、日本人は。
他人がもし自分の正しさに敵わないことを言ってたら、
そこは敏感ですからね。
それを咎めますから。
だから自信ない人は自信がなくなるし、日本では生きづらいですよね。
特に倶楽部みたいな発達生涯は感覚がだいぶずれてるんでね、
本音を言おうものなら大変なことになるわけです。
それではしたっけ。