運命の概念と自由意志
今回は運命って決められているのかっていう話なんですが、話していきたいと思います。
運命が決められているっていうのはね、キリスト教的な捉え方、
あるいはニーチェの永劫回帰、それに近いっていうかまた、
いや、全く別ではあるんだけど、
全く違うんだけど、まあでも、キリスト教のね、
カトリックの信者っていうのは
きっかけってものがあり、そこから神が
神からのお告げでいろんな事象が起きる
だったり、もう生まれる前からどうなるかっていうのは決まってる
これは誰でも聞いたことあると思うんですよ。こういう考え方なんだと。
だし日本人にとってもね、運命は
もう決まってしまってるのか、なんて考える人もいると思うんですけど
どうでしょう? 人間で宿命の中で生きるしかない
これとは全く別物だけど、運命で決まってるっていうのは、全ての出来事は
こうなると決まってる。でも宿命で決まってるっていうのは、自分の自由意志もあるけれども
でもそんなものも凌駕されてしまうぐらい
親ガチャだとか言いますよね。 その不平等さによって人生もう
抗うことができないと。 まあそういう意味で確かに
そうかもしれないですね。クラキもある意味これは言えてみようだと思うから
こういう意味じゃ運命って決まって
どういうふうに人生なるかって 決まってると言えるでしょうね
では次の話ですが
時間の捉え方と社会的影響
最近運命ほどの人生決まってしまうのか、なんて話もしました
だから
不可抗力の偶然要素
で 皆さんが思っているより多いんじゃないかなんて話をしましたけど
もちろん それは曖昧と言うもので
運で決まるっていうのと
既に人生決まっているんだと どうなるか決まっているんだというのと
なんか矛盾するの聞こえるかもしれないんですけど 壊逆なの聞こえるかもしれないですけど
でも自分の自由意思なんてないんだ 人間はサイコロなんだと
人間のお告げとか
天が決めてるとなれば もう天がサイコロ振ってるようなもんなんだから
まあ似たようなことですよね
サイコロをいつ振るのかっていう 人間のそのイメージが変わるだけで
で あとはですね
未来から過去に時間が流れてる
っていう
まあどうとでも捉えられるんだけど 時間なんて概念でしかないから
まあこの捉え方だと
例えば なんだろうな
川の上からボールが流れてくる
未来からここに時間が流れてくることを これに例えると
ボールが流れてくるってことは 事実は変わんない
だとすれば
まあこれも捉え方なんだけど
もうすでにね ボールが上から流れてくるってことは
決まってるわけだし
まあ今の例えだと そのボールを掴もうとすれば掴めるし
みたいなことはいるかもしれないけど
まあでも運命で決まってしまう
と言えるでしょうね
でもうちらの現代人の感覚から 日本人の感覚からしてみたら
運命が決まってるなんて とてもそんな考えにくいですよね
でもですね 物理学
相対性理論以降の物理学で言うと
まあ時間はね 過去未来現在
同時に進んでるなんて
いう捉え方もできるんだけど 物理学的に
ただね
ただねっていうか まあそれで
結局だからっていうか
今の話はちょっと切り離して 考えた方がいいかもしれないけど
もうすでにこの世界どうなるか
決まってるっていう風にね
捉えることもできるわけですね 物理学的には
いやでもね 倉木もね
こんなこと考えてたら
確かに人間的な感覚であり
全て決まってるって
考えるのもそこまで おかしくないんじゃないかってね
気づいてきました だから単なる先入観しかないんですね 自分で
自分でっていうか この世界っていうのは
どうなるか決まってないっていうのは
そう思ってるだけで
だって未来から過去に時間が流れてくるとか
あくまでも人間のね
時間の捉え方なだけで
そもそも時間なんて ただの概念でしかないし
人間が都合のいいよね
だから江戸時代より前と今では時計のね
動き方なんかも違うんだけど それだけでもそうだし
倉木は未来からここに時間が流れてくる
この捉え方が変わるだけでやっぱり時間に対する
捉え感覚って全然変わって
しまうもんなんですよ
あくまでも先入観でしかないわけですね
あとはですね まあそれじゃ倉木さん
そうは言ってもね 今日会社を休もうと思ったら休めるし
でも行こうと思ったら行ける
未来が決まってるわけじゃないじゃないかと
そんなのあったら生きてて
辛すぎるだろうと思うかもしれないけど
そんな反論を受けたとしてもですね
自分で過去も変われないけど今と未来は
変えれると思ってるだけで
よく考えてみたらですよ
現在はもうすでに生きてるわけでないのに
じゃあ何と変えたんだと
別の世界線があるんですかっていう話だし
時間の捉え方によってはね
全然こういう考え方もできると思うんですよね
もうすでにどうなるか決まってる
でもね今回の話は
まあオカルトではないんですよね
だから占いで
信じてる人の
世の中どうなってるか決まってる
っていうのとはまた話が違うんですね
あくまでも時間概念の話であり
そんなの自分には関係ないって思うかもしれないけど
自分に関係ないとは思わない
自分に関係ないとは思わない
ところで
これも
非常に正直な話であるかもしんないけど
うちらの先入観
の感覚でしかないんじゃないかと思うんですよね
かといってキリスト教の
この世界は
もう出前であると
空発的なことはない
さっきもね
っていう言葉を使えればよかったですね
いや
じゃあ出現でもう決まってるのかっていうと
それは不完全生体理でそんなことはないと
証明されてますし
さっきもね不可抗力のある
空白性のものが案外多いんだという話だけど
この世界は全て
空白性ではあるんだけど
全て偶然起こってるってことですね
なとしたら逆に
運命なんかでは決まってない
どうにでもできるっていう感覚にあるかもしれないけど
そうではないですね
それではしたっけ