正義感の哲学的考察
倉木はですね、正義感というのは、正義というのは、これは哲学的な命題ですから。
100人いれば100年の正義というものはあると思うし。
あと最近、二次元についてちょっと勉強してたせいで、どうも正義というのはね、
まあ強そうでもあり、逆に人間の弱さでもあるような気もするし、あとは国時代でも正義というものは変わってくる。
であればですよ、正義ってなんとなくね、守る危機判断みたいなイメージあると思うんですよ。
今回はそんな話なんですが、早速ですが、今の話の続きになるんだけど、そういうイメージもあるとしてもイメージだと思うんですよ。
じゃあ果たしてどうなんだろう。全員に共通するものじゃないんだろう。
わざわざ自分の考えを押し曲げて、正義に従う必要もないんじゃないか。そう思うかもしれないんですよ。
でもじゃあ正義感が全くないと、それってどうでしょうね。
道徳に反することばかりすることになりますよね。これ難しいですよね。
だからどうなんだろう。正義感は基本的には人それぞれ多少の違いはあるけど同じなのかな。
だから全く持っていないと社会の規範に反することばかりしてしまう。ということなんでしょうかね。
あるいは正義なんて捨ててしまえと思っていても、なんだかんだ正義に反することはできない。
正義なんて一生捨てることはできない。
あるいはさっき言ったように、これは社会の規範に従っているような感覚ではいるけれども、
結局自己満足のため、自分のためである正義を貫くというのは、
だからどんなものを捨てようと思っても居心地がいいのは正義を守ることだから。
だから続けてしまうのかもしれないですね。やっぱり正義を貫いている。自分が好きだろうしみんな。
有名な哲学的名前でトロッコの話があって、片方のレールに行けば1人が犠牲になる。片方が5人犠牲になる。
人生生活日を生きていてね、いちいち考えていられないわけですよ。
考えていられないというのは、深く考えていられないんですよ、物事は。
だから今の例で言うと、1人だけの方に行きますよね。
まあこんなものどっちがいいのかなんて考えるのは、哲学学者と哲学家にいる生徒と、
まあ暗き暗いなもので、大抵の人はそんなこと考えてられませんよ。
ではこの辺で、それではしたっけ。