人間の認識とブッダの教え
今回の話はですね、ブッダの諸行無常、諸法無我も
アインシュタインの相対性理論なんかも、これは単に人間の認識の話であって
倉木はもともと物理学だって、人間から見たこの世界のこと
たかがは人間がこの世界のことなんて、人間の視点でしかも言えないだろう、そんなふうに思ってましたが
最近、ブッダの教えさえも、単なる人間の教えな認識によるものなんじゃないかと
これについてちょっと、今の話だと何言ってるかわからないと思うんで、詳しく説明しておこうと思うんですけど
倉木はね、ブッダの言ってることは真理ではないんだけど、この世界の
何の嘘は偽りない、あられもない事実を言い荒らしてると思って、諸法無我って
ある意味当たり前だし、そんな教えだと思ってたんですね
ただこれもあくまでも人間がこの世界を
捉えたらっていう範疇というか、具体的に説明しておくと
どうしてこう思ったかというと、諸法無我っていうのは
全てのものは関係性でできていて実態はないという教えなんだけど
関係性でできている
その逆は絶対なんですね、対するものはないってことだから 逆にその逆は相対
相対的っていうのは
比較性って意味なんだけど、人間はね 他のものは比較しないんですよ、自我があるから比較するわけですよね
相対っていうのは 愛対する、対するものがあるから成り立つ
でも別に愛対するものが まず成り立つっていうのは
どう考えてもですね
あくまでも人間の
自分ってものとかあるいは存在ってものをね 捉えるときに
そう捉えることによってこの世界をより正しく見れるというか
ブッドはそれを体感したときのことを悟りというわけですけど
どう考えてもこれはこの世界がどういうふうにできているかというよりも人間が
正しく認識するための方法って言ったらそれは間違いなんだけど
ただですね とはいえ
ブッドの教えを認識しているのはこの人間の頭で理解しているんだから
このその 人の認識の仕方
の範疇の話でしかない くてもそれでももうこの世界を表しているのかもしれないけれども
相対性理論と存在の理解
それにしてもね
対するものがある 関係性でできているっていうのは
物理学で言う すべてのものはネットワークが
張り巡らされてて
単体で存在するものなんかない 数学で言うと不完全性定理
完全なものはない つまり絶対的なものもないし
やっぱり
すべては相対的な 相対でできていると
いうことだけでも
まあこれで絶対でも相対でもないのがこの世界だとか言っちゃうと
数学の不完全性定理と無人が生じちゃうんだけど
意味わかりましたかね 枕木も少しずつ少しずつ理解していたんだけど
実体はないっていうことをまず前提に考えなきゃいけないんだけど
で 存在っていうのは関係性の結び目であり
それも認識の問題だと思うんですよね結局は
実際ここに物があるのは間違いないし
以前からちょっと思ってたけどその
要はゼロとか点とかと同じで
理論上はあるけど存在してないとかこれも
認識の問題だと思うんですよね結局はね
だから結局理論上でも存在すれば
それは存在することになるんだっていう人もいれば
魂も
実体がないんだからあるっていう人もいればないっていう人もいたり
どうしてそういうおかしなことが起きるかというと
今回の話に何か通じるとかあると思うんだけど
何かの関係性の結び目であると
まあそう
それもそうですさっき言った
相対っていうのは対するものが
ものにあるっていうのは
うーん
あるかないかは実際はさておき
人間がそう捉えることによって
まあそう捉えないで
単体で存在してるっていう認識は間違いだっていう
それ認識の話なのかなと思ってね
いるんですよね
人間から見たこの世界の捉え方でしかないというか
どうとすればブッダが言ってるのは
この全てのものは全て変化してるとか
この世界の全てのものは実体がないっていうのと
矛盾が生じてしまうんだけど
こういうふうに物事を捉えなさいなんて教えてないですから
クラッキーはブッダは2500年前から
アインシュタインの相対性理論を
理論じゃわかんないけどでも体感してたんじゃないかと思ってて
今言ったように
物とは相対的であると
相対性理論も同じことです
観測者それぞれの観測者で
同一の法則の結果が得られるという理論ですけど
今はね
これが正しいかどうかを置いてて
でもこれも間違ってるっていうセンスもあってるし
それが正しかろうとどうだろうと
今はサイエンスの分野では
人と虫では全然捉え方が違うし
だからあくまでも
人間から見て地道説が正しいと言ってるだけで
実際はどちらでもないんじゃないかなんていう説もあるみたいだけど
クラッキーもそう思うんですよ
あくまでもこの100年で
たかたかそれだけのことですから
人間から見た
いくら普遍的な抽象的な学問とはいえ
数学はわからないけど物理学に関してはですよ
人間が頭でこの世界を
こういうふうに捉えることができますよね
程度にしか最近は思えないんですよねどう考えても
今の相対性理論なんかもそうだけど
こんなこと言ったら物理学者に何と言われるか
何と言われるかとかというかもう
鼻からこんな話聞きないだろうけど多分
でもねその限りではないんですよ
だからそういう学者さんもいますし
それではしたっけ