ストレスのメカニズム
実際そういう研究結果の報告もあるし、つまり科学的にも、まあ一応ね、定説までは言わないまでも言われていることだし、あとは倉木の経験からもはっきり言えることなんですけど、
ストレスって、まあ自分でなんとかできるんですよ。溜めないようにね、できるんですね。これからそんな話をしていきたいんですけど。
いやどういうことかっていうとね、まあ大抵の人が勘違いしていると思うんだけど、何かね、不快な感情が生じるイコールストレスだと思っていると思うんですけど、残念ながらというか、ある意味それは良いことと感じるかもしれないけど、間違ってて。
不快なことでもストレスにならないし、快感なことでもストレスになることはありますね。ストレスにならないかな、なるかっていうのはね、自分次第でどうにかできるんですよ。逆に言うと、どんなに嬉しいことでも正しいことでも、気づかないうちにストレスになっているということもあり得るということですね。
今のがもう説明になっちゃってるんだけど、何か不快感が生じた時に、ああこれ不快感を感じてしまったなと思った時点からストレスだと思ったんですよ。
だからね、さっき言った研究結果っていうことで言うと、何か嫌なことがあっても、それをポジティブに捉えられたらって書いてあったかな、それはあまりストレスにならないって。
クラキはね、もうそれで完全にゼロにできると思ってるから、捉え方次第で。何だか今回はいかにもビジネス書に書いてありそうな、ちょっと過剰だよなこと言ってるようなね、そういう風に聞こえかねないことですね。
まあそんな出だしからそんな説明になってしまったんですけど、いやそんなことないんですよ。
具体例を話したら分かりやすいと思うんですけど、例えば高級寿司に行くとしますよね。
しかもね、5、6万円台。何でか分かんないけど、今人生でそういうチャンスがあったとしましょう。
今後行くことはないのは想定できますよね。
とするとね、一巻一巻相当緊張するでしょ。
で、頭の中で起きてることを実況するとすると、食べる前、現実も楽しめだろうし、それまでも楽しめだろうし、行ってからも緊張感もありつつ、対象とあって緊張もしつつ、
口に入れたらね、快感になる。今あくまでも頭の中の実況だからね。
快感物質が出る。これを想定しますよね。でもね、もう緊張して、もう手も汗だらけで、もうなんだか醤油つけたらボロボロなんかご飯も崩れちゃって、ってなったらね、
いやー、思ってたのと違う。ってなっちゃうんでしょ。ここでストレスなんですよ。
本来ならば快感を味わっているはずなのに、不快感になって出てしまう。
で、こういう時に不快感が出てることにストレスを感じるんですよ。
でもどうでしょう?コールドジムに行ってね、筋トレをしているとどうでしょう?想像してほしいんですけど。
したらね、もう辛いの前提で行くわけでしょ。
したら不快感が出ても問題ないというか、筋トレ好きな人の脳の中を見ていくとすると、逆に不快感があったほうが燃えるわけですよ。もっともう一回もう一回ってなるわけですよ。
逆に不快感が出ていることによって、それで、それを楽しんでいるというかね。
で、こんなの絶対ストレスになるわけないでしょ。
だからさっきの筋の話と同じで、同じ不快感なんだけど違うんですよね。
ストレスになるかなってないかで。大きな違いがありますよね。
ストレスになるかなってないかで。大きな違いがありますよね。
逆に、友達からサプライズで何かプレゼントされたとしましょう。
いやー嬉しいんだけど、いやーそうだ友達にプレゼントあげてないんだ。これだとちょっと例えが悪いかな。
でもね、申し訳なく思ってしまって、あまりにももらったものが安すぎて。
そしたらストレスになりますよね。
すごい欲しかったもので快感なんだけどでも、その快感を味わっている自分がストレスというかね。
あとこういう場合もそうですね。
良いことが縦続きに起きて何か悪いことが起きそうだ。こういう時もストレスになるじゃないですか。
なるじゃないですかというか。快感なんだけど、でも単純なものではない。
これストレスなんですよね。複雑な感情が出ている時。
ストレスを溜めない方法
でもね、好きなスイーツを食べたくて並んで帰って食べたらね、ただただ嬉しいでしょ。
美味しいですよね。それはストレスにならないじゃないですか。
同じ快感でもやっぱりこれに違いがあるんです。
だから快感が出るか不快感が出るかなんていうのはどうでもよくて、そこで自分がどう捉えるか。
自分が快感を出ていることをどう捉えるか。不快感が出ていることをどう捉えるか。
で、ストレスになるかどうかって変わってくるんですよ。
それでこんなことを言ったらね、クラキスは無理ですよって言うかもしれないけど。
これしかないんですよ。ストレスを溜めない方法。
それはね、勘のいい人はもう気づいたと思うけど、常に不快になることを求める。それしかないですよね。
どんなに頭の回転が速くてもやっぱり切り替えるの難しいから。
常に不快なことが起きるっていう前提で、あえて不快なことをするっていう思いでしたら期待もしないでしょ。
何をするにもね、さっき言ったジムに行くみたいな心境でやるとは。
思ってた通り不快な気分になったのでおしまいだから。
でも期待してしまうとね、ああ、せっかく並んだのに、ああ、あともうちょっとだったらいいみたいになっちゃうでしょ。
でもダメだよ、もともとだと思っていけばね、またちょっと違う、ちょっとはストレス減るだろうし。
だから同じ料理をするのにでもね。
じゃがまの顔なんか剥くの大変だけど、こんなことするために結婚したわけじゃないって考えるか。
これもう本当になんかね、ドMみたいな話になっちゃうんだけど。
全然ストレスの溜まりが違ってきちゃうわけですよ。
でもここで問題があって、何に対してもストイックに不快が出る前提でやってるとは。
さっきも言ったように友達からいいサプライズがありました。
申し訳ないなとか思い出て、でもその申し訳ないなって思いが出たことに対して、ストレスにはならないはずなんですね。
でもね、こんなこと普通にできないですよ。
不快は強いんですよ。
でもね、ストレスの溜まりがあって、何に対してもストイックに不快が出る前提でやってるとは。
でもね、こんなこと普通にできないですよ。
常に不快を求めてなんてやっぱり楽しいことも求めたいし。
本当に一部のスポーツ選手でも無理じゃないかな。
やっぱり直時中は楽しく美味しく味わいたいし、恋人と会ってるときは楽しみたいし。
それで足だけ。