倉木の子供時代の経験
倉木が小さい頃ってね、トモノコシが胃口を押してくれてもね、いまいち効果がないってことでやめちゃうしね。
学研の教材とかもね、全然。
まあ、親にほぼ原因があるんだけど。
でもね、特に、最近はエピソードで話しましたけど、好奇心がないからね、いろんな辞典とか買ってもらっても、見ようと思わないしね。
倉木の子供、この小さい頃ってね、すごい回せてたわけじゃないんだけど、頭良かったなって思うんですよ。
だからね、あのままいけばなぁなんて思うんだけど。
でもね、本は読むってことはなかったね、小説もそうなんだけど。
学習障害あるわけじゃないんだけどね、なんか本を読むってのがめんどくさくてね。
ちなみに一郎はページをめくるのがめんどくさくて本は読まないって言ってたんだよ。
まあ、倉木も何か理由があったのかな、わかんないけど。
しかしまあ、ストレスもあるんだかないんだか、でもね、やっぱり二十歳障害だからね。
すごい変なとこに気になったり、潔癖症だったしね。
自分のおもちゃに対するこだわりも強かったし、近所の子供で遊べなくて。
すごいひどい思いさせられてきたし。
いやー自分は周りの子と遊べないんだよなーと思ってね。
なんだろうね、結構釣れ思いしてたのかもしれないね、当時。
やっぱり親が問題視してるのもわかるし、自分でも問題だと思ってるし。
ただね、なんか本やりきってる感じ、ぼーっとして生きてる感じだったね。
特に目標もなく、兄弟もいないからなんだかぼーっとなんだかね。
空想にふけてるし、いつも。
何かに没頭したりもしないし。
ずっと毎日灰色ですよね、もう。
灰色というか白というか黒というのかわかんないんだけど。
でもね、親に理不尽な怒られ方して、それがね、めちゃくちゃストレスだったのを覚えてますね。
親からの理不尽な怒られ方。
これで人格形成したと言ってもおかしくない。パーソナリティー性がいい。
このせいでなったと言ってもおかしくないかもしれない。
でも割と親戚と一緒にいてもね、それなりに懐いてたような気もするし。
かもなく不可能なくっていう感じの関わり方ですね。
悩かもかけたりもしないし、親戚も心が広い寛大な人たちだからね。
父方も母方もね。
ただ気遣いすぎたり、いいとこの子供とはあまり関われなかったり。
そういう問題はあったんですけど。
祖母にも自分から話しかけに行かないし。
パーソナリティ障害の分析
でも父方の祖母には懐いてるあたりは性格の偏りが出てるなと思いますね。
特に理由なんかないんですよ。
なんでかわかんないけど父方の祖母には懐いてたんですよ。
で、ドライブに行くったらなんとなく行くし。
なんとなくついてなんとなく生きてる感じですね。だからね。
いや今の暗きからしたらね、想像つかないんだけど。
まあ女心つくまえてね。そうなんですよ。
でも逆に今と違って、当時ね、ドラゴンボールにものすごく没頭してね。
いろんなおもちゃ集めたり、グッズ集めたりね。
これ今じゃできないから。
例えばニチハムに興味を持ってた時に、もう一色に染まるなんてことはないんですよね。
やっぱり完璧主義だからね。
もうそれに没頭しすぎて何も見えなくなるっていう感じにはならないんでね。
なんかそんなことして何の意味があるんだとか、いろいろ考えちゃうんですよ。
純粋に楽しめないんですね。
だからそれなりに、でも応援する熱は相当なんだけど。
負けず嫌いだから。
そういえば小さい頃は負けず嫌いって思いはしてなかったね。
兄弟がいないからなのか。
でもね、負けず嫌いなところはそのうち出てくるわけですよ、小学校。
3、4年くらいあたりからかな。
やっぱり一人っ子だっていう意識はあったかな。
親と年離れやってるとか、やっぱり人と違うなって思いはありましたね。
あと宗教のセミナーでものすごく育ちが良さそうな知的な感じのお姉さん、お兄さん見てると
なんかすごい遠くに感じていたのは覚えてますね。
後から振り返ってみたら単に偏差値が高かっただけだろうって思うんだけど。
小学校はね、幼稚園の時はドッジボールがめちゃくちゃ怖かったよね。
あと飛び箱もそうなんだけど全然できなかったんですよ。
あと丘の上から丘っていうか、幼稚園の前にある山みたいになってるところから
冬に滑って降りてくるとかそういうのもね、ちょっと難しかったと思うし。
鉄棒とかもそうかな、ブランコとか、すごい怖がりでしたね。
だからこそ大天馬のことして怪我してるもしないんだけど、
よく転んで怪我してるバカもいましたね。よく骨折してるバカもいたし、そういうことはなかったですね。
ちなみにそのバカは北大に行きましたけど、もう一人は埼玉大学に行きましたけど。
小さい頃は割と頭良かった、倉木は。
今、家でポッドキャスト撮ってますけど。
あとまあ立ち上がりなんて、みんなができることはできない。
教授なんかもできないし、ものづくりとか、周りと協力したり、あとは
折り紙が理解できなかったりね、いつも泣いてましたね。
そういう工作系、あとは聴覚花瓶だから運動会ができないとか、
花火の、花火見に行けないとか、いろいろ問題はありましたね。
大学に行った以後もね、たぶん発達障害の原因で、普通に理解できるとかはできなかったんだと思う。
親にいなかったんですね、だからね。
パーソナリティ障害の話だけども、境界性ってのはないと思うんだよな、あとは。
依存性パーソナリティ障害っていうのは人に依存してしまう。
逆に自分はね、人に依存できないのが問題だと思ってるから。
でもこれは治り得ないですね。
あとパーソナリティ障害って結構たくさんあるんですよ。
ある作家さんは自己愛性って言ってたな、この人も一人っ子なんだけど。
いや、クラキもその気はあるんですよね。
以前ね、何にクラキって興味があるのかなと思ってたら。
一番興味、結局最終的に行き着くところで自分なのかなってね。
自分がどう思い考えているのか、そこに興味はあるわけだから。
やっぱり自分なのかなって思ったかと思うんだけど。
いや分かんないですね、自己愛性パーソナリティ障害なのか。
でも非常に自分を大切にするって意味ではそうかもしれないし。
とにかくどれっていうわけで、分ける?
どれっていうことはできないけどね、正確に語り終わるって意味では
パーソナリティ障害は絶対あると思うんですよ。
ここでクラキが言うにはその意味ではね、一応日常障害的な。
もちろん20歳くらいの頃から偏りはあるんだけど、
後天的にいろいろあった偏りができたっていう意味で言うと。
そういう意味ですね。
で言うと、あとはね、不安性パーソナリティ障害とかそういうのもあったかな。
まあ今日の幸福恐怖症もね、一種のパーソナリティ障害と言っていいんじゃないかと思うんですけど。
それでは明日っけ。