今回は、倉田百三の戯曲『出家とその弟子』
本書は、大正時代に大ベストセラーとなり、ロマンロランからも大絶賛された。
浄土真宗とキリスト教のエッセンスをいれた親鸞とその弟子たちの話です。
宗派を超えた宗教の本質に迫る、戯曲。
私はこの本を読むと、「カラマーゾフの兄弟」を彷彿します。
感想
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サマリー
このエピソードでは、倉田百三の戯曲『出家とその弟子』の第3幕が朗読・解説されます。主人公である親鸞と、彼の弟子である悠言の対話を中心に物語が展開します。悠言は、親鸞が前蘭(親鸞の息子)と会うことを強く懇願します。前蘭は、自身の犯した罪や不幸な境遇から、親鸞に許しを請いたいと願っていますが、親鸞は様々な葛藤から会うことをためらいます。親鸞は、世間の目、息子への過剰な愛情、そして愛する者を救うことの限界といった複雑な思いを抱えています。悠言は、親鸞の隣人愛の教えに基づき、前蘭もまた親鸞の隣人であると訴え、親子の罪悪感を解消することの重要性を説きます。最終的に親鸞は、直接会うことはできないものの、前蘭のために祈ることを決意します。この対話を通して、赦しとは何か、そして愛の本質について深く掘り下げられます。
悠言の懇願と親鸞の葛藤
でね、次にね、第2話。今度、これを持ち帰って、優異園が新蘭と話すんですよ。
その息子に会って、前蘭に会ってやってください、っていう話をしに行くんですよ、これが。
これが、いい場面なんですよ。
ちょっと行きましょうかね。ちょっとね、ここに読んでばっかりで恐縮なんですけどね。
でね、今から読むところもね、これね、もうどこで区切ろうかなと思ってね、僕ね、昨日の夜ね、もう一回読み直してね。
もうね、これね、区切る場面がちょっともうないの。だからね、最後まで読ませてほしいの。
もうね、12ページ分ある。だからね、ちょっとね、相当朗読時間長いっすよ。いいですか。
いいです、いいです。読ませてください。
でもね、多分、おそらくですけれども、耳だけ聞いてもね、区じゃないと思います。
もう、会話がすごいから、もうね、気になって仕方ないと思うから、これ区切ってもね、いやちょっと次読んでくださいってなっちゃうから、もうちょっと一気に読んでいきますよ。
これね、いきなり話しているというよりかは、新蘭と悠焉が、まず雑談というかね、体調どうですか、みたいなこととかをね、話している途中で、悠焉がね、切り出すんですよ。
読んでいきますね。
悠焉。
お師匠様、あなたは、私を愛してくださいますか。
新蘭。
妙なことを聞くね。お前、どう思いかな。
悠焉。
愛してくださいます。
私は、もったいないほどでございます。
私は、あなたのご恩は一生忘れません。
新蘭。
私は、あなたのためなら、何でもいたします。私は死んでもいといません。
新蘭。
どうした、悠焉。なんでそんなに感動するのだ。
悠焉。
私は、あなたの愛にすがって頼みます。
どうぞ、前蘭様を許してあげてください。前蘭様と会ってください。
新蘭黙る。
悠焉。
私はたまりません。前蘭様は良い方です。不幸な方です。
誰があの方を憎むことができるもんですか。
皆が悪いのです。世の中が不調和なのです。
皆が酔ってたかって、あの方をあのようにしたのです。
あの方は、あなたを愛していらっしゃいます。
どうぞ、会ってやってください。許してあげてください。
私がすぐに行って、お連れ申します。
どんなにお喜びなさるか知りません。
新蘭。
お前は、前蘭と会いましたか。
悠焉。
私は会いました。
今日、前蘭様からお使いが来て、私はあなたに内緒で会いに行きました。
私は嘘を申しました。
私は清町に用達しに行くと言ったのは偽りです。
前蘭様は清町にいられます。
私は嘘を申しました。
新蘭。
前蘭はどうしていましたか。
悠焉。
私が行ったときには、幽女や太鼓持ちとお酒を飲んでいられました。
新蘭。
そのような席にお前を呼んだのか。純な幼いお前を。
豊穣な人は小さいものを躓かすことを恐れないのだ。
悠焉。
でも、前蘭様はこのようなところを見せてすまないとおっしゃいました。
また、仲井が私に酒を勧めたときに、この人には勧めてやってくれるなとおっしゃいました。
また、自分は穢れているが純粋な人を尊敬するとおっしゃいました。
前蘭様はいつもの自分のしている有様のところへ私をお呼びなすったのです。
見せつけるためではなく、自分を偽らないためだったのです。
新蘭。
前蘭は何のためにお前を呼び寄せたのだろう。
悠焉。
寂しいのですよ。
私と会って話したかったのですって。
私のようなものでも慰めにお呼びなさらなくてはならないとは。
あの方もよほど孤独な方です。
全く寂しそうでした。
酒漬やお膳やシャミセンなどの老籍とした中に座って酔いの覚めかけた前蘭様は実に不幸そうに見えました。
私は一人の人間があのように寂しそうにしていたのを見たことはこれまでありませんでした。
新蘭。
人生の寂しさは酒や女で癒されるような浅いものではないからな。
多くの弱い人は寂しい時に酒と女に行く。
ますます寂しくされる。
魂を荒らされる。
不思議な賢悪な悪い心の有様に陥る。
それは無理はないが本道ではない。
どこかに自義と回避とごまかしとがある。
強い人はその寂しさを抱きしめて生きていかねばならぬ。
もしその寂しさが人間の運命ならばその寂しさを受け取らねばならぬ。
その寂しさを内容として生活を立てねばならぬ。
宗教生活とはそのような生活のことを言うのだ。
短歴と心身との別れ道は際どいところにある。
まっすぐに行くのとごまかすのとの相違だ。
ユイエン。
前蘭様も自分の生活に自信を持ってしていられるわけではないのです。
それで余計不幸なのです。
今のあの方のお心持ちはああして暮らしてなさるよりないのだろうと思います。
私は前蘭様の苦しいお話を聞いて押しつけられるような気が致しました。
何と言って慰めていいかわからないで胴皮の上に胸を打たれるばかりでした。
私は前蘭様を責める気など少しも起こすことはできませんでした。
私はただ私の前に痛ましく苦しんでいる一人の人間を見ました。
そしてその人を傷つけた席を誰が背負うべきかを考え不合理な感じばかりに避け出されました。
私は帰る道で考えるとめまいがするような気がしました。
だって何一つ私の心では得心がいかないのですもの。
私は全ての考えの混乱の間にただはっきりと分かっている一つのことばかり思い詰めて帰りました。
それは前蘭様は許されねばならないということでした。
新蘭、あれもかわいそうな奴とは私も思っている。
彼にも数々の弁解があることだろう。
だが彼は他人の運命を損なったのだからな。
一人の可憐な女は死んだ。
一人の善良な青年の心は一生がい破れてしまった。
いくつかの家族の間には平和が失われた。
それが皆、彼の弱かったせいなのだからな。
その報いを受けているのだよ。
裕賢
でも、あの方ばかりが悪いのではありません。
あの方の一生の運命を傷つけたのも、社会の不自然な意志のせきに消すべきものと私は思います。
恋している男と女を添わせるのは天の法則です。
その法則に反逆したのは社会の罪と思います。
あの方ばかりを責めるのは酷すぎます。
新蘭
社会もその報いを受けているのだよ。
世の中の不調和はそのようにして、人間が互いに傷つけおうては報いを受け合うところから生ずるのだ。
それが遠い遠い昔から傷つけつ、傷つけられつして積み重ねてきた業が煞雑としているのだからな。
そのもつれた糸の結び目にぽつりと一個の生を受けているのが私たちなのだもの。
不調和な運命を生まれながらに終わされているのだ。
その上、私たちが作る罪や過失の報いはいつまでも子孫の末に伝わって消えないのだ。
ゆいえん
私たちの実在は実に賢悪なものですね。
新蘭
仏様が増し増さぬならば、私は誰よりも先に誰よりも激しく私たちの存在を呪うであろう。
だが仏様の御徴はこの世に過悪があればあるだけ深く感じられる。
世界の調和は一層複雑な微妙なものになる。
南無阿弥陀仏は一切の業のもつれを解くのだ。
ゆいえん
その南無阿弥陀仏を信ずることができないと前蘭様はおっしゃるのです。
新蘭
なぜにな。
ゆいえん
私はその理由を聞いてどんなに感動したでしょう。
前蘭様は御自分がそれに相当しないほど強く自分を責めていられるのです。
自分のように穢れない罪を犯しながらこのまま助かることを願うほど自分は厚かましくなっていないと言われました。
せめてそれは私の良心です。私の誇りですとおっしゃった時には涙が光っていました。
父のように清い人間には仁仏はふさわしいが、私のように穢れた者にはむしろ南無阿弥陀仏が見つかわしいとおっしゃいました。
私は一層罰を受けたい気がする。私は滅びの子だと言ってお泣き遊ばしました。
私はあの方がお愛おしくてたまれませんでした。
新蘭
もう少し素直になってくれたらな。
人にも自らにも反抗的になっている。
罰を受けたいというのは甘えている。
自国の火の恐ろしさを侮っている。
指一本焼ける肉体的苦痛とでもとても耐えきれるものではないのだ。
あれはまだ失うべきものを失うていないとみえる。
前蘭様は今亡くなられたら魂はどこへ行きます?
新蘭、地獄に落ちる。
おほほほ師匠様、前蘭様に会ってあげてください。助けてあげてください。
あなたはあのお子が愛おしくはないのですか?
新蘭沈黙する。
ユイエン
あなたは厳しすぎます。あの方だけに酷すぎます。
あなたはもし前蘭様があなたのお子でないならば、とっくに許してあげていらっしゃいます。
いつづや良年殿はあの方よりもはるかに悪い罪を犯されました。けれどもあなたはお許しになされました。
また雄心殿がこの春過ちを犯された時、お弟子衆は皆破門するように勧められたのに、あなたは一人かばっておあげなされました。
なぜ前蘭様にばかり厳しいのですか?
私はわかりません。あなたは常々私におっしゃるには、私たちは骨肉や夫婦の関係で愛するのは純な愛ではない。何人も隣人として愛せなくてはならないと教えてくださいました。
それならあの方も一人のあなたの隣人ではありませんか?その隣人を許すのは正しいことではありませんか?
私はこれまで一度も師匠様に逆らうことはありません。けれどこのことばかりは逆らわずにはおられません。私の一生の願いでございます。隣人としてあの方に会ってあげてください。
親蘭、お前の心持ちはよくわかる。私は嬉しく思います。前蘭は会いたいと言いますか?
初めは今私が父に会うのは父のためにならないとおっしゃいました。けれどお別れするときにお父様が会うとおっしゃればどうなされますと聞いたら喜んで会うとおっしゃいました。
親蘭、私を恨んでいたろうね。
いえ、あなたにすまないすまないと言っていられました。そしてあなたのことをいろいろ案じてお聞きなされました。今度ご上落遊ばしたのもあなたに心が引かれたのらしいです。
私をお呼びなさるのもあなたの身辺のご様子が何くれとなく聞きたいためなのですよ。
親蘭、実は私もあの子のことはいつも気になっているのだ。ことにあの子の母のことを思い出すと時々はまらなくなることもあるのだ。あの子の不幸なのも私に罪があるような気がしてな。
ゆいえん、私はそのことについても今日前蘭様から伺いました。
親蘭、前蘭は何と言いましたか。
ゆいえん、何事も人生の悲哀と運命だ。父を責める気はないとおっしゃいました。
親蘭、ふむ、やはり私の罪、過失だよ。そういうことを許してもらえるなら。
親鸞の苦悩と愛の本質
朝姫雄もあの子の母の名だよ。私は隣人として取り扱う気だったのだ。けれどついにそうはいかなくなったのだ。私が弱かったのだ。
おとなしいけれども逸柄な朝姫の熱い情けに絆されたのだ。
北極の長い巡礼で私の心は荒野のように寂しくなっていたからな。
私はなぜ亡くなった魂の記憶を忠実に守って一人で暮らすことができなかったのであろうか。
それを思うと自分を責める心に絶えない。私は苦しい。けれど朝姫は責めるにはあまりに善良な温和な女だったよ。
弱々しい感情を与えるほどだったよ。その裏には強い情熱が隠れていたけどね。
私が今日に帰るときにどんなに激しくないだろう。
もうお隠れ遊ばしたのですってね。
心乱。うむ。私はもう幾たりの愛する人に死なれたか知れない。
慈悲深い法人様や、低俗な魂や、凱外しいお金さんや、
あの高校な孤着男の藩員様や、
みんな今は美しい仏様になっていられるだろう。そして私たちを哀れみ守っていてくださるだろう。
生きているうちに私の加えた過ちはみんな許してくださるだろう。
行く者を寂しく送った心で残る者は仲良くせねばならぬと思います。
それにつけても前蘭様を一日も早く許してあげてくださいまし。
心乱。私は許しているのだよ。あの子を裁く者は仏様のほかにはないのだから。
有言。では会ってあげてくださいまし。心乱。黙る。
有言。お師匠様、あなたは本当は会いたいのでございましょう。
心乱。会いたいのだ。
本当こそすれ、私はあの子の純な性格をも認めて愛しているのだ。私はあの子を忘れた日はない。
あの子の顔が見たい。あの子の声に飢えている。
有言。
はいいなさいませ、お師匠様。父とことが互いに会いたがっている。
それを会うのがなぜそのように難しいことなのでしょう。実に単純なことではございませんか。
心乱。
まことに単純なことだ。調和した情度ならすぐできる優しいことだ。
その単純なことができぬような不自由な世界がこの世なのだ。
多くの人々の平和がその単純な一言にかかっている。
無数の力が集まって私を遮っている。私は今その力の圧迫を痛切に感じている。
私は抗う力がない。私は会えない。
有言。
いいえ、会ってください。会ってください。あなたはあまり義理を立てすぎなされます。
あなたのおことを思わずに隣人として赤の他人として。
心乱。
おお、それが私にできたなら。私はそうすべき。私はそう思うべきであると信ずる。
そう思うよとお前に教える。しかしそう思うことができないのだ。
お前はさっき私が他人に優しく我が子に厳しいと言ったね。
それは私が我が子ばかり愛して他人を愛することができないからだ。
私は善乱を愛している。私の心はややもすれば善乱を抱きかかえて他の人々を責めようとする。
ちょうど愛に溺れる母親が悪さをする子供を養して哀れな子守を叱るように。
私は私の心のその弱みを知っている。それを知っているだけ私は善乱を許しがたいのだ。
私は善乱のために死んだ女の家族と女の夫とその家族とすべて善乱を呪っている人々のことを思わずにはいられない。
あなたのこのためにとその人々の目は語っている。私のこのためにと私は詫びずにはいられない。
事に私はその人々を愛していないのだからね。私はあの子に会わなくともあの子を愛していないとの過酌は感じない。
それほど私はあの子を心の内では愛しているのだ。
私は切なくなります。私はわからなくなります。
その上私の弟子たちにも私が善乱に遭うことを喜ばぬ者の方が多いのだ。
戦国も治療や養蓮都が来て私に会わぬように進めてきた。
まああなたの心も察しないで。
私のためを思って言ってくれたのだ。けれどすまぬことだかそれは耳に心よく響かなかった。
なぜそのようなお考え方をするのでしょうね。
お前のように情の厚い人は少ないのだ。
あなたは本当にお会いになさらぬつもりですか。
うむ。周囲の人々の平和が乱れるでな。
では善乱様はどうなるのでしょう。どんなにか失望なさいましょう。
それよりもあの方の迷っている魂はどうなるのでしょう。
私が一番気にかけたのはそこなのだ。
もし私でなくては善乱の魂を救うことができずまた私に救い得る力があるなら
私は他の一切の感情に銘目してもあの子に会って説教するだろう。
だが私にはあの子を摂取する力はない。
助けるも助けぬも仏様の身胸にあることだ。
私の儚いで自由にできることではない。
あの子も一人の仏師であるからには仏様の守りの外に出てはいないはずだ。
世もお見捨てはあるまいと思う。
私に許されることはただ祈りばかりだ。
私は会わずに張優あの子のために祈りましょう。
おお仏様どうぞあの子を助けてやってくださいませと。
愛は所詮人物にならねばならない。
人物ばかりが真の末とおりたる愛なのだ。
あの子が愛おしい時には私は手を合わせナムハメダウイツを唱えようと思うのだ。
お前もあの不幸な子のために祈ってやってくれ。
私も祈らせてもらいます。
ああしかし何という寂しいお心でございましょう。
これが人間の恩愛の限りなのだ。
私はたまらなくなります。人生はあまりに寂しすぎます。
人生にはまだまだ寂しいことがあるのだ。
人は捨てがたいものを次第に失うていくのだ。
私も今日までいかに多くのものを失うてきたことだろう。
ああ滅びるものは滅びよ。崩れるものは崩れよ。
そして運命にこぼれぬ確かなものだけ残ってくれ。
私はそれを必死と掴んで墓場に行きたいのだ。
悠言の視点と赦しの次元
ゆうえん、私は恐ろしくなりました。
って言って第3幕が終了します。
すごい展開でしたね。
これゆうえん、やっぱりゆうえんすごいですね。
なんか僕このゆうえんの関わりが本当に尊いなと思って。
なんかね、まるで指定を逆転してるみたいじゃないですか。
でも本当にそういうことなんだと思うんですよ。
なんか、師匠さんって弟子がいて初めて師匠になれるんですね。
師匠から学んでるんですよ。
だからこれはゆうえんがあって、親鸞を親鸞にさせてるってところがあるんですね。
それでね、僕やっぱりここ何回も読んでね、
なんで親鸞は前鸞に合わないのかってやっぱ思いますよね、これね。
思いますよ、もう本当に。
それでね、何回も僕ここ読んでね、
なんで親鸞は合わないんだよって。
思ってね、読んでてね。
親鸞の中にとっても複雑な思いがあるじゃないですか。
それでね、親鸞の思いを考えるにね、
まず一つにね、世間の目っていうものがあるでしょ、これ。
ああいう宝塔息子をね、会ってね、してたらね、
もうこの門の綿木が立たないということがあるわけでね。
他の僧侶たちがもう会わないで欲しいっていうわけですよ。
で、まあそういうね、ことがある。
ただでさえ浄土門中の悪人でも救われるとか言うからね、
ああいう悪い行いをしてもいいんだよねみたいな勘違いが起こりがちじゃないですか。
だから息子を許すっていうことによってね、そういう勘違いが助長されちゃうでしょ。
だからね、まずそういう思いが一つある。
でもね、これはね、さすがにね、親鸞の中でもね、理由としてはね、かなり小さいと思います。
大したことない理由ですわ。親鸞ほどの人からするとね、ゼロとは言わないけれども。
でね、二つ目にあるのはね、やっぱりこれが大きいと思っていてね、
父親として息子を愛しすぎているからなんだっていうこと言うでしょ、これ。
途中で言ってたんですよ。
もう一回ね、ちょっと読むとね、どこだった?
私は善蘭を愛している。私の心はややもすれば善蘭を抱きかかえて他の人々を責めようとするって言うんですよ。
うーん、この子は悪くないんだって。
悪くしてるのはお前たちじゃないかって言ってやりたいよって言うんですよ。
それぐらい善蘭のこと愛してるんですね。
親蘭が恐れていることはね、善蘭を許してしまうということじゃないんですよ。
むしろね、善蘭の立場ばっかりに立ってしまうということを恐れてるんですよ。
愛しすぎてるがゆえに。
被害者の気持ちよりもね、加害者である息子の痛みが先に見えてしまうんですよ。
本当はね、加害者、被害者でもないんですけどね。
まあでもそういうことなんですよ。やっぱり彼がね、愛した人妻ゆえにね、家族が苦しんだわけじゃないですか。
そういうことよりも息子の苦しみを優先してしまうということをね、善蘭は避けたいんですよ。
それでね、もう一つ大きいのがあってね、今の話が一番大きいと思うんですよ。
とても大きいと思いますよ。もう一つね、同じくらい大きい理由があると思っていてね、これが後半話したものなんですけどね。
愛する者をね、どこまで自分の手で救おうとしてよいのかっていう問いがあると思ってるんですよ。
これね、善蘭はね、自分では救えないって言ってるんですよ。
もしね、私に救うことができたなら、そして私にしか救えないのであれば、私は会いに行くだろうって。
でもね、私にはその力がないんだって言ってるんですよ。
それをできるのはね、阿弥陀様の領域なんだってこと言ってるんですよ。
だからね、会ってもね、あの愛した女性の死は変わらないし、傷つけられたあの夫とか家族の痛みは変わらないし。
そして、私が本当の意味で救うってことはできないんだって。
このことは、あの者があの者として自分で背負って生きればいけないことなんだ。
そして、それを救えることは、阿弥陀様だけなんだってことがわかってるんですよ。
善蘭は善蘭にあわず、ただただ、奈美阿弥陀仏と唱えて、祈りますっていうことなんですよ。
なんか、許すっていうことに対して、すごくこう、その本質みたいなものが迫ってきますよね。
なんか相手を許すとか、許すっていうことに、なんていうのかな、相手があるのかって思う。
究極は、許すっていうことは、自分の中で起こること。
自分と、何だろうな、奈美阿弥陀仏の中で起こることなのかなって思うから。
善蘭自身も、自分を許していないなっていうふうに感じる。
あれが、言葉が途中あったなっていうふうに感じる。
でもそこと向き合っていくのは、そこから先は自分の足でしか行けないから、
自分があったからといって、相手を許したからといって、相手が許されるっていうものではないっていうか。
自分が背負って、自分が許せないものを代わりに、神、仏に許してもらうっていうことなのかな。
なんか、そんなのを受け取りましたね。
そうだね。
なんかね、許しっていうのに次元があると思ってるんですよ。
エリーさん言ってくれたみたいに、一番深い許しっていうのはね、
本当はね、許すと許さないとかってね、人間がもうね、判断するっていうかね、意思するもんじゃなくてね、
もう許されてるっていうね、神仏の次元の話があるんですね。
でもね、もう一個ね、やっぱりこの世的なもので言うとね、人間関係になって人を許すとかってことがやっぱあるでしょ。
許可するの許す。
でね、僕そこをね、やっぱりなんだろうな、そこもやっぱ大事だと思う。やっぱりなんか、この世に生きてるから我々が。
いやこれはさ、僕が自分が神論の立場だったらどうするかなって思うんだけど、ちょっとやっぱ分からないね。
本当にその境地にならないと。
でもね、自分が遊園だったらね、やっぱりね、会ってくれって絶対言うと思う。
もう、それはね、この理由を聞いても、会ってくれって僕は言うと思うね、ずっと。
でね、なんでかって言うとね、遊園が見ているのはね、やっぱ別の苦しみを見ていてね、それは何かって言うとね、前蘭は父に対して申し訳ないって苦しんでるでしょ。
神論もまた前蘭に追い目を感じてるんですよ。
でね、ここの父子のね、親子のね、罪悪感は解けるじゃないですか、これ。
これだけでも僕は大きいと思うんですよ。
そして、これはこの親子じゃないとできないことなんですよ。
だからこの親子感の許しという次元もまたあって、だから会ってくれってやっぱり言いたいですよね。
それでね、一旦第3幕はこれで終わりなんですけれども、
作品の時代背景と愛の探求
ちょっと一旦ここで一区切りつけたいんですけどもね、第4幕、第5幕ってあるんですね。
で、ちょっとそれ僕今回飛ばして、最後の第6幕に行きたいと思うんです。
で、この第6幕がちょっとこの話の続きなんですよ、実は。
この親子がどうなるかって話をね、結末が書かれてあるんですよ。
でね、でもね、第4幕と5幕、ここもね、ものすごいいいとこ出たんですよ。
ちょっとどうしようかな、今回。
今回、ちょっと僕扱わない予定で行くんですけれども、ここ何の話かって言うとね、
ついにゆうえん自身が恋をするっていう話が入ってくる。
それが2幕に渡って書かれてあって、最終章第6幕があるということでございます。
ちょっとね、楽しみにしておいてください。
一旦今日はここで終わりましょう。時間もうちょっと来てますんで。
面白かった。
面白かったね。なんかちょっと一区切りで何かあります?感想というか。
そうだな。
つまんない感想かもしれないけど、
1917年にすごいこれが大ベストセラーになったっていうのは、
社会的にもやっぱりそういう、
家と家の結婚みたいな形で結婚した人が多かっただろうし、
そこには本当の恋をしている人たちもいただろうし、
自分を重ね合わせるのにより時代背景も合ってるのかなとか思ったり。
なるほど、なるほど。
みんな我が身を重ねて、
熱中して読んだんじゃないかななんて。
なるほどね。
めっちゃ面白い。
いいですね。
いや、なんか、
恋っていうものがね、
恋は新人に入る通路だよって新蘭言ってたけども、
やっぱり恋によって、なんかこの、
罪の意識が生まれたり、
悲しみを覚えたり、苦しみを背負っていくっていうことがあるんですよね。
物付きもんなんですよね。
なんかこの憧れる気持ちとか、
憧れる気持ちみたいな。
なんていうのかな。
なんかそれを求める。
別に多分自分の欠けてる部分がそこを、
なんていうかな、本能的に求める。
そうだね。
働くのかなって思うから。
なんかこの、で、だんだんその欠けている、
自分の欠けているものを受け入れられるようになって、
人間として完成してくるのかなって思う。
その過程でのこの、
なんていうのかな、欠けているものを求める気持ち。
憧れる気持ち。
憧れる気持ち。
なんかそこを、
なんていうのかな。
なんかそれを全体を通して、
同業者が診断のところに求めに来た時の気持ちとかも、
そこと恋心と通ずるところがあるのかなとか、
自分を欠けている存在としてそれを満たしたいっていう、
本能的な気持ちを、
なんか全体を通して描かれてるなっていうふうには。
確かにな。
だからすごい4幕5幕の、
ゆいえん、
彼の恋愛も見たいなって思って。
なるほど。
めっちゃいい展開が。
ちょっと考えます。
よかったらご検討ください。
次の収録日に。
本当に名著ですね、これは。
終わりましょうか。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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