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こんばんは、サリーです。『アパート3号室』へようこそ。 今日はですね、本の話をしようと思います。
坂口安吾の『堕落論と俗堕落論』です。 これね、あの今月の読書会『アパート3号室』の課題作品なんだけど、
もう一つ、日本文化史館っていうこの3つを課題作品にあげてるんだけど、 とりあえずね、堕落論と俗堕落論を読み終えて、もうめちゃくちゃちょっと
痺れてしまったので、 あのもうこのタイミングでちょっと自分の感想を話したくなっちゃったんですね。
なのでちょっと、この話を今日はしようと思います。 これね、課題作品としては28番目の作品なんだけど、
過去最ムズでしたね。 ちょっとあの内容をつかみきれないままの読むっていう感じで、
現代語訳と照らし合わせたり、 あとはわかんないところはチャッピーさんに手伝ってもらったりして解説してもらえながら、なんとか読み切ったっていう感じだったんですけど、
でも、ちゃんとね、読み切って、安吾は何を伝えようとしているのかというのがわかったら、
私ちょっとね、涙が出てきたんですよね。 これあのファミレスで一人で格闘してたんだけど、最後まで読み切ったらなんかもう、
もう痺れちゃいました。心の底から。 まず文章がもうめちゃくちゃかっこいいですね。
本当に坂口安吾大好きになるっていうか、 惚れ込んじゃうっていう感じでした。なんて表現したらいいんですかね。
こんなに優しいものを読んだことないなって、そういうふうに思いました。優しいなあっていうふうに。
いや、書かれている言葉自体は全然優しくないんですよ。むしろ、 安吾は生き怒って書いているというか、怒って書いているような感じの文章なんだけど、
でも、この言葉に戦後どれだけの人が、
戦争終わった直後にね、どれだけの人がこの言葉に救われたんだろうっていうふうに思ったら、
本当に泣けてきちゃったんですね。 いや本当にこれを読めた人生で良かったなって心から思いました。
これ読まずに死んでたら多分天国で後悔してたなっていう、そのぐらいの衝撃でした。
多分これ、私の人生のベストブックの一冊になるんじゃないかなと思っています。
ここから、この堕落論についてちょっと話してみようと思うんですけれども、
これはですね、昭和21年、日本が太平洋戦争で敗戦した翌年に、
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新庁という雑誌で発表された、まあ短い評論なんですね。
昭和21年ってね、日本が戦争に負けて、混沌としていた時代ですよね。
家が焼けて、町が亡くなって、家族も失い、
本当にボロボロの状態で、みんな焼け野原で立ち尽くしていたみたいな、
そういう時代。
で、戦争に負けて、これまでね、戦前から戦争中、
日本人が信じていたものが全部ひっくり返っちゃったみたいな、そういう状況で、
昨日まで正しいとされていたような生き方が、正しくなくなる。
これから何を心の拠り所にして生きていけばいいのかわからないみたいな、
そういう本当に混乱の時代に出されたっていうのが、この堕落論なんですね。
この堕落論で、杏子が突きつけたのが、生きよ落ちよという言葉なんですね。
この落ちよっていうのは、堕落のだっていう意味ですけど、この言葉だけ聞くと、
なんかこう、好き勝手やれとかね、自暴自棄に生きよみたいな、そういう印象を受ける人もいると思うんですね。
私も読む前はそういう感じだったんですけど、でも全然そうじゃないんですね。
杏子が言ってる堕落っていうのは、
怠けるとか倫理を捨てるとか、そういう意味じゃなくて、
なんていうか、もっと根本的なところというか、
国とか社会が作った正しさを、一回疑えっていう、そういう話なんですね。
戦争中の日本人って、お国のために死ぬのが美しいとかね、
貧しさに耐えることが美徳だとかね、そういう巨大な国が作った正しさの物語の中で生きていたんですね。
でも杏子は、それって本当に人間の本音だったのかっていう、この戦争が終わったタイミングで問いかけてるんですね。
人間って本当はもっと弱いし、
ずるいし、欲望もあるし、
綺麗事だけじゃ生きられない存在なんじゃないですかっていうことなんですね。
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なのに日本は、ずっとそういう人間の本音を押し隠して、立派さばかりを求め続けてきたんじゃないかっていう。
だから杏子は、この堕落論で言ってるのは、
一回その偽の着物を脱ぎ捨てて、丸裸になれっていう風に言ってるんですね。
嫌なものは嫌だと言いなさいと、欲しいものを欲しいと言えと、立派な理想はいいからそういうんじゃなくて、まず人間そのものに戻れっていう風に言ってるんですね。
それが杏子の言う堕落っていうことなんですよ。
だからつまり、堕落っていうのは人間らしく生き直せみたいな、そういう叫びなんですよね。
ここから杏子は、戦後のぐっちゃぐちゃの現実の話に入っていくんだけど、
戦争が終わって、昨日までの正しさがもう崩れ去って、その後人間はどう生きるのかっていうところで、
杏子は、闇市とか、その旦那さんをね、戦争で失った未亡人とか、そういうものが世の中にあふれ返っているわけですよね。
そういう戦後のリアルな生き様を見ていくんですけど、
ちょっとここは杏子の文章を引用して読んでみたいと思うんですけど、
特攻隊の勇士はすでに闇夜となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸を膨らませているではないか。
人間は変わりはしない。ただ人間に戻ってきたのだ。
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。
それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。
そのこと以外の中に、人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。
人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
っていう文章があるんですけどね。かっこいいでしょ。
要するに闇市で商売を始めるっていう人もいるし、
夫を亡くした未亡人も時間が経てばまた別の人生を歩き出していくっていう。
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それを外から見るとちょっと正しくないとかね、堕落だっていうふうに批判されることもあるんだけど、
でも暗黒はそこを責めているわけではないんですね。
むしろ人間でそうやって生き延びていくもんだろうっていう目で見ているっていうことなんですね。
戦争中っていうのは本当に天皇陛下のために死ぬ。
花と散るみたいなことが美しいって、そういうふうにされてたんだけど、
でも戦争が終わった瞬間に、人はお腹が空くし、恋もするし、生きるためには物を売るし、
正しさだけでは生きていけないっていうことなんですよね。
暗黒はむしろそういうぐちゃぐちゃとした欲望とか弱さとか、
見ともなさの中にこそ人間の本当の姿があるんじゃないかっていうふうに見てるんですね。
だから堕落論って好き勝手やれとか自暴自棄になれっていう話じゃなくて、
そういう綺麗な立派な理想とか、誰かに与えられた作られた正しさの物語の中で本心を殺して生きるんじゃなくて、
もっとむき出しの矛盾した弱い人間として生きろっていうそういう話なんですね。
そうなんです。
ここですごく印象的な視点が出てくるんだけど、それが暗黒の言っているのが面白いなと思ったんだけど、
人は何かを拝まずにはいられない生き物だっていう話が出てくるんですね。
例えば、戦国時代の話とかも持ち出しているんだけど、
豊臣秀吉、あれだけ超現実主義者で計算高いと言われている作詞の豊臣秀吉でさえ、
天皇の儀式で涙を流して感動したりするわけですよ。天皇をめちゃくちゃ崇拝してたらしいんですね、秀吉って。
人間ってどれだけ合理的に見えても、結局どこかで拝むものを必要としちゃうっていう、そういう生き物なんだっていうことなんですね。
武士たちもそうで、本当は弱いですよね、死ぬの怖いし、矛盾だらけなんだけど、
武士道という、そういう物語を持つことでしか、自分を保てなかったっていうふうなことなんですね。
何かを拝むっていうか、何かを信じ抜くというかね。
もっと言うと、日本の歴史の中で繰り返されてきた天皇制っていうのも、そういうふうな文脈で語られてて、
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絶対君主が必要で、天皇が尊いっていうことじゃなくて、天皇じゃなくても代わりになるなら、
孔子でも釈迦でも霊人でも構わなかったっていうふうに書かれてて、
ただ代わりがいなかったから天皇を崇拝する天皇制っていうのができただけだみたいなふうに書かれてて、
人間が生きるために作ってしまった、拝む対象の仕組みとして天皇制を語ってるんですよね。
つまり何が言いたいかっていうと、人間って裸のままでは立っていられない弱い生き物なんですね。
何かを拝めるとか、何かを信じる、信仰する。
そうしないと人間が自分自身がバラバラになっちゃうっていうことを書かれてて、なるほどなぁと思ったんだけど。
だからここまで来ると、信仰とか国家とかっていうそういう大きな話じゃなくて、
もっと日常的なレベルで、人間ってずっと何かを拝み続けてないと生きていられない存在っていうことなんだと思うんですね。
ここで私が思い出したのが、最近読んだオシモユとかインザメガチャーチ。
これを思い出したんですけど、そこに描かれているのとすごい近い感覚だなと思ったんですね。
オシモユもインザメガチャーチもそのオシ文化について書かれている小説ですけど、
そこにいろいろね、崇拝している、押し勝つをしている人物たちが出てくるんだけど、
自分の現実がしんどい時に何かを拝むことでしか立っていられないっていう、そういう人たちが描かれてて、
押しでもいいし、宗教でも何でもとにかくこれを信じてたら自分は壊れないっていう、
そういうものにも必死でしがみついているっていうね、そういう姿が描かれてるんだけど、
でもそういう姿って外から見ると依存とかね、ちょっとやばいみたいにそういうふうに見えるんだけど、
暗号の目線で見ると、それはもうそうするしかなかった人間の姿なんですよね。
インザメガチャーチに出てくるセリフで、こういうのがあるんだけど、
神がいないこの国で人を操るには物語を使うのが一番いいんですよっていう、そういうセリフが出てくるんだけど、
それを読んだ時も思ったけど、やっぱり人って物語なしでは立っていられないんだと思うんですね。
戦争の時はそういう国家が作った物語で、今はまたそういう別のね、それぞれの物語っていうことなんだと思うんだけど、
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それを暗号は否定してるんじゃなくって、むしろそういうもんだよねっていうふうに言ってるんですよね。
弱くていいし、矛盾してていいし、みっともなくていい、何かを拝んで生きててもいいっていうことなんですよ。
ただ、誰かが作った正しさの物語の中で、自分を殺すなっていうふうに言ってるんだと思うんですね。
こういう言葉が最後の方に、ララクロンの最後の方に出てくるんだけど、
自分自身の武士道、自分自身の天皇を編み出すためには、人は正しく落ちる道を落ちきることが必要なのだっていうふうに書かれてて、
これすごい言葉だなぁと思ったんだけど、自分自身の武士道、自分自身の天皇っていう言葉が印象に残りました、すごく。
要するに、誰かが用意した正しさとか物語とか価値観じゃなくて、自分で自分の心の拠り所を見つけろよっていうことなんですよね。
ちゃんとこう、自分で丸裸になって、自分自身と向き合って、迷って、傷ついて、矛盾も抱えながらぐっちゃぐちゃになって、
しかも孤独?孤独の中でもがきながら、それでも生きていくしかないみたいな。
でも暗号はそれでいいんだと。そこからしか始まらないんだっていうふうに、そういうふうに言われているような感じがしたんですね。
いやもう本当すごかったですね。これちょっと私が今ちょっと自分の言葉で言っちゃってるんだけど、暗号の言葉が本当に死のような、
うわーって突き刺さる言葉が連なってて、本当になんていうか、もうね、魂が揺さぶられるみたいな言葉なんで、
全然うまく私言葉にできてないんですけど、ちょっと読んでみてもらいたいですね。これはぜひぜひ。
読書会でもね、どういう話でみんなが感想を語るのかなっていうのを聞くのが本当に楽しみなんですけど、
ぜひちょっとこれは本当に読んでみてほしいです。
ダラクロン、ゾコダラクロン、いろんな文庫から出てるし、あと青空文庫でも無料で読めるので、興味があったらちょっと検索してみてください。
はい、ということで今日はそんな話をしてみました。最後までお聞きくださりありがとうございました。
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パート3号室のサリーでした。それではまた。