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寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。 このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、 それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。ご意見ご感想ご依頼は公式 x までどうぞ。
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さて、今日は中原中也さんの「我が生活」 というテキストを読もうと思います。
中原中也さん、初めて読みますね。 日本の詩人、歌人、翻訳家、
代々開業医である名家の長男として生まれ、後取りとして医者になることを期待されていたが、 8歳の時、弟が風邪で病死したことで文学に目覚めた。
中也は30歳の若さで死亡したが、生涯で350編以上の詩を残したとあります。 以前読んだ坂口安吾のテキストで、どの文だったか忘れましたが、
喧嘩でやられて顔を腫らした坂口安吾の前に、 酒を飲む前にフラッとやってきて、その顔の醜さを散々笑って2時間も3時間も
坂口安吾は喋れないのに口を開けると痛いから、 喋れないのに散々笑って飲みに出かけていった。
このぶっ腸面を前にしてたくさん言葉が出てくると、さすが詩人であるみたいな嫌味を言われてましたけどね。
30歳で死んじゃったんですね。
とりあえず読んでいきましょうか。 それでは参ります。我が生活。
私は本当に馬鹿だったのかもしれない。 私の女を、私から略奪した男のところへ女が行くという日。
実は私もその日家を変えたのだが、 自分の荷物だけ運送屋に渡してしまうと女の荷物の片付けを手助けしてあり、
おまけに車に乗せがたい割れ物の女一人で持ちきれない分を、 私の敵の男が借りて待っているうちまで届けてやったりした。
もっともその男が私の親しい友であったことと、 私のその言う行かなければならなかった停車場までの途中に女の行く新しき男の家があったこととは何かのために付け足して言っておこう。
私はちょうどその女に対決していた時ではあったし、 というよりもその女は男に何の無双も仕事もさせない立ちの女なので、大変困惑していた時なので、
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私は女が去っていくのを内心喜びともしたのだったが、 いよいよ去ると決まった日以来もう猛烈に悲しくなった。
もう11月も終わり頃だったが、私が女の新しき家の玄関に 例の割れ物の包みを置いた時、
新しき男は茶色のドテラを着て極端にうつむいて次の間で新聞を読んでいた。 私がすぐに引き返そうとすると女が少し遊んで行けと言うし、
それに続いて新しき男が、ちょっと上がれよと言うから私は上がったのであった。 それから私は何を言ったかよく覚えていないが、
ともかく新しき男に皮肉めいたことを喋ったことを覚えている。 すると女が私に目配せするのであった。
まるでまだ私の女であるかのように。 すると私はムラムラするのだった。
なぜと言って、それではどうして私を捨てる必要があったのだ。 私はさよならを言って冷えた靴を履いた。
まだ移ってきたばかりの家なので玄関には電球がなかった。 私はその暗い玄関で靴を履いたのを覚えている。
次の間の光を肩に受けて、女だけが私を見送りに出ていた。 靴を履き終わると私は黙ってガラス張りの格子戸を開けた。
空に冴え冴えとした月と雲とが見えた。 慌てていたので少ししか開かなかった格子戸を、
体を横にして出るときに女の顔が見えた。 とその時私はさも悪感らしい微笑を作ってみせたことを思い出す。
俺は捨てられたのだ。 郊外の道がしっとり夜露に湿っていた。
郊外電車の輪立ちの音が暗い遠くの森の方でしていた。 私は身震いした。
停車場はそれから近くだったのだが、とてもすぐ電車になぞ乗る気にはなれなかったので、ともかく私は次の駅まで
開墾されたばかりの野の中の道を歩くことにした。 新しい私の下宿に着いたのは0時半だった。
2階に上がると荷物が来ていた。 布団だけは今晩にを解かなければならないと思うことが異常な落胆を呼び起こすのであった。
その細引きのあの脳に昇る匂いを覚えている。 すぐは布団の上に仰向きになれなくて、しばらくは枕に肘をついていたが辛いことだった。
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涙も出なかった。 仕方がないから聖書を出して読み始めたのだが、どこを読んだのかちっとも記憶がない。
なんと思って聖書だけを取り出したのだったが、今とあってはおかしいくらいだ。 さてここで、かの小説家と呼ばれる方々の大抵が、私と女と新しき男等のことを書き出されるのであろうが、
そして読者も定めしそれを期待されるのであろうが、不幸なことに私はそれに興味を持たぬ。 その絵記冊を書くよりも、その絵記冊に出会った私がその後どんな生活をしたかを
私は書こうと思うのである。 気の弱さ。
これのある人間は一体善良だ。 そして気の弱さは、気の弱い人が人を気にしない間、善良をだけ作るのだが、
人を気にし出すや、それは彼自身の生活を失わせる。 いとも困った役をし始める。
つまり彼はだんだん社交化であるのみの社交化に落とし入れられていくのだ。 ちょうどそれは未だあまり外界に触れたことのない、
動揺を感じたことのない赤ん坊が、あまりに揺られたり驚かされたりした場合に虫を起こす過程と同様である。
そして近代人というのは多いか少ないかこの虫なのではないか。 ことさらに急激に物質文明を輸入した日本においてそうではないか。
近代にあってこの虫の状態に陥らないためには、人は鈍感であるか、 また非常にいわゆる常に目覚めてあれの行える人、つまり常に前方を見つめている
かの経験な人である必要がある。 さて私が女に逃げられる日まで、私は常に前方を見つめることができていたのと確信する。
つまり私は自己統一ある奴であったのだ。 もし若々しい言い方が許してもらえるなら、私はその当時宇宙を知っていたのである。
手短に言うなら、私は相対的可能と不可能の限界を知り、 そしてまたその可能なるものがいかにして可能であり、不可能なるものがいかに不可能であるかを知ったのだ。
私は厳密な理論に酔った、そして最後に最初、見た神を見た。 しかやに私は女に逃げられるや、その後1日1日と日が経てば経つほど、私はただもう悔しくなるのだった。
このことは曖昧になってようやくわかるのだが、そのために私はすべての日の自己統一の平和を失ったのであった。
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全然私は失ったのであった。 一つには大体、私はそれまでほとんど読書らしい読書をしておらず、
術語だの伝統だの、また観葉継承などついて知るところ、ほとんど皆無であったので、その口惜しさにあって自己を失ったのでもあっただろう。
とにかく私は自己を失った。 しかも私は自己を失ったとはその時わかっていなかったのである。
私はただもう口惜しかった。私は口惜しき人であった。 かくて私はもはや外界をしか持っていないのだが、
外界をしかなくした時に、今考えてみれば私の正心、 つまり相互関係においてその働きをするが目を拭いてきたのである。
私は無視にならないだろうか。
私は苦しかった。そしてだんだん人嫌いになっていくのであった。 世界は次第に狭くなって、やがて私を占め殺しそうだった。
だが私は生きたかった。 生きたかった。
しかるに自己を無くしていた、すなわち私は推しだった。 本を読んだら理性を回復するかと思って滅多やたらに本を読んだ。
しかしそれは興味を持って読んだのではなく、どうにもしょうがないから読んだのである。 ただ口惜しかった。
口惜しい口惜しいが常に顔を出したのである。 ある時は私はもう悶死するのかとも思った。
けれども一方に生きたい気持ちがあるばかりに私は何はともあれ、 手にせる書物を読み続けるのだった。
私は無視になるのだった。視線がうろうろするのだった。 が、読んだ本からは私は何も得なかった。
そして私は依然として口惜しい人であったのである。 その逃げ返る窯の中にあって私は過ぎし日の自己統一を追跡するのであった。
全ては私にも金のペンで記すべき時代があったと乱暴が言う。 第一と私は思うのだった。
あの女は俺を嫌ってもいないのだし、それに向こうの男がそんなに必要でもなかったのだ。 あれは遊戯の好きな太刀の女だ。
いっそ俺を真から憎むで逃げてくれたのだったらまだ良かっただろう。 実際女は確かにそういう太刀の女だ。
非常に根はつつましやかであるくせにひょっとした場合に突発的ないたずらのできる女だった。
新しき男というのは文学青年で、 かくもその頃まで本を読むと自分をその本の著者のように思い直すかの知的不随時であった。
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それでその恋愛の場合にも自分が非常に理智的な目的をその女との間に認めていると信じ、 また女にもそれを語ったのだった。
女は初めにそれを少々心の中で笑っていたのだが、 ついにはそれを信じたらしかった。
なぜ私にそれがわかるかというと、その後女が私にそれらのことを語るのであった。 それほどこの女は自相ない女である。
いやこの女はある場合に極度に善良であり、 ある場合には極度に悪辣に見える、かの堕落せる天使であったのだ。
そして私の推察するに、私のところから逃げた当分は、 新しき男とその友人の家などに行った場合、男を変えたことを少々ほっこりげにし、
その理由として男が自分に教えた理智的な目的を語ったり、 もっと気まぐれな場合には私について人にわかりやすい欠点、
そのためにかの女が私を嫌ったのではない欠点を語ったらしいのである。 また彼女がこのまま私のもとにいようか、それとも新しき男にしようかと迷ったときに、
強いて発見した私の欠点を語ったらしいのである。 つまり女もまた新しき男も、真意を実在と混同する底の幼稚な者たちであった。
しかし新しき男はその後非常な勉強によって自分のその幼稚さをわかったらしいから、 私はそれを具体的に話すことをここでしなかったのだ。
友に裏切られたことは、身も知らぬ男に裏切られたより悲しい、というのは誰でもわかる。 しかし立ち去った女が自分の知っている男のところにいるという方が、知らぬところに行ったということより、
良かったと思う感情が私にはあるのだった。 それを私は告白します。
それは私が卑怯だからだろうか、そうかもしれない。 しかし私には人が憎めきれない底の、
かの単なる多潔質な人間を笑うのに値するある心の力、 十分勇気を持っていて、しかも馬鹿者が軟弱だと見誤るところのもの、かのレアリティがあるのではないと誰が証言しえよ。
がそんなことなどを捨ておいて、ともかくも私は口を叱った。 私はその年の3月に、女と二人で警視から上京したのだった。
知人と言っては、私から女を取ったその男愛と、 その男を私に紹介したTとだけであった。
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だのにTは女が私のところを去る1ヶ月前に死んだので、 私にはもはや知人というものは東京にいなくなっていたのである。
ちょっと知った程度の人が5人いはしたが、 その中の4人は愛の尊敬者であり、
一人は卑怯な装いをした通人で、 愚直な私など相手にしてくれるべくもなかった。
彼は単なる霊骨感で、それゆえかえって平和の中では優しい人と見える。 ある時は自分をディアボリストかなと思ったりして満足してみる。
かのお人よしと天才との中間にある、得体の知れないやからなのである。 彼も文学青年なのだが、彼はまだ別に何にも書いていない。
なのに聞けば体科めぐりは相当やるそうである。 そして各所で成績を上げるらしいのだが無理もない。
私も2、3度騙された。横道に少し外れたが、 私は大東京の真ん中で1人にされた。
そしてこのことは付け加えなければならないが、私の両親も兄弟も。 私が別れた女と同棲していたことは知らないのであった。
また私はその3月、東京で高等学校を受験して跳ね荒れていたのであった。 女に逃げられた時、来る年の受験日は4ヶ月の向こうにあった。
父からも母からも受験準備はできたかと言ってよこすのであった。 だが私は口惜しいままに毎日市内をほっつき歩いた。
朝起きるとから下宿には眠りに帰るばかりだった。 2、3度漢文や英語の受験参考書を携えて出たこともあったが、
重いとなったばかりであった。 いよいよ私は悔しき人の生活記録にかかる。
会場 富永の追悼会 下宿とその周囲
道具屋 薬屋 南山堂 神田書店 夜の読書 詩作 篠田とそのババアの一見
規制 もろい 父の死 佐藤訪問 川上 小林宅推持 大岡 阿部六郎 駿屋の連中 川上 村井 小林 行方不明
1996年発行 作品者 日本の名随筆別館65 家出より読み終わりです。
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後半のまとめちょっとわからなかったですね。 とにもかくにも女の子に振られて悲しいぜという、悔しいぜという
愚痴を語っていました。 忘れられない恋愛はございますか?
寝る前に考えてはやめましょう。 はい、といったところで今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。