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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見ご感想は、公式Xマでどうぞ。
さて、今日は
坂口安吾さんの 堕落論
というのを読んでいこうと思います。 最近ちょっと坂口安吾さん多めですけどね。
1946年、戦後の本質を把握、 鋭く洞察したという
堕落論だそうです。 坂口安吾さんの小説といえば、桜の森の満開の下。
そしてエッセイといえば、この堕落論ということだそうです。 結構ですね、ちょっと読んだんですけど、テーマが分厚めで
まともに聞いたら寝る感じはなくなると思うので、 話半分、いや5分の1ぐらいでダラーッと聞いていただければと思います。
それでは参ります。 堕落論
半年のうちに世相は変わった。 至高の見立てと出立つ我は。
大君の辺にこそしなめ、帰り見はせじ。 若者たちは花と散ったが、同じ彼らが生き残って闇矢となる。
桃戸瀬の命願わじいつの日か。 見立てというかん君と千切りて。
けなげな心情で男を送った女たちも、半年の月日のうちに 夫君の威拝にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、
やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。 人間が変わったのではない。
人間は元来そういうものであり、変わったのは世相の情肥だけのことだ。 昔、四十七死の序命を背して処刑を断行した理由の一つは、
彼らが生きながらえて生き恥をさらし、せっかくの名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。
現代の法律にこんな人情は存在しない。 けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、
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美しいものを美しいままで終わらせたいということは一般的な心情の一つのようだ。
十数年前だか童貞処女のまま愛の一生を終わらせようと、 大磯のどこかで心中した学生と娘があったが、
世間の同情は大きかったし、私自身も数年前に私と極めて親しかった名医の一人が、
二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んでくれてよかったような気がした。
一見清楚な娘であったが、壊れそうな危うさがあり、真っ逆さまに地獄へ落ちる不安を感じさせるところがあって、
その一生を生死するに絶えないような気がしていたからであった。 この戦争中、文人は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。
戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で、 彼女たちに使徒の余生を送らせようと欲していたのであろう。
軍人たちの悪徳に対する理解力は敏感であって、 彼らは女心の変わりやすさを知らなかったわけではなく、
知りすぎていたので、こういう禁止項目を暗室に及んだまでであった。 一体が日本の軍人は、古来、婦女子の心情を知らないと言われているが、
これは悲壮な見解で、彼らの暗室した武士道という武骨旋盤な法則は、 人間の弱点に対する防壁がその最大の意味であった。
武士は仇討ちのために、草の根を分け乞食となっても足跡を追いまくらねばならないというのであるが、 真に復讐の情熱を持って、旧敵の足跡を追い詰めた忠臣行使があったであろうか。
彼らの知っていたのは、仇討ちの法則と法則に規定された名誉だけで、 元来日本人は最も憎悪心の少ない、また永続しない国民であり、
昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。 昨日の敵と妥協否、簡単相照らすのは日常茶飯事であり、
旧敵になるがゆえに、一層簡単相照らし、 たちまち憎んに使えたがるし、昨日の敵にも使えたがる。
生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、 こういう規定がないと日本人を戦闘に駆り立てるのは不可能なので、
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我々は既悪に従順であるが、我々の偽らぬ心情は既悪と逆なものである。 日本戦士は武士道の戦士よりも健忘術術の戦士であり、
歴史の証明に待つよりも自我の本心を見つめることによって、歴史のからくりを知り得るであろう。 今日の軍人政治家が未亡人の恋愛について執筆を禁じた如く、
古の武人は武士道によって自らのまた部下たちの弱点を抑える必要があった。 小林秀夫は政治家のタイプを
独創を持たずただ管理し支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようだ。 政治家の大多数は常にそうであるけれども少数の天才は
管理や支配の方法に独創を持ち、 それが凡庸の政治家の規範となって、個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史の形で巨大な生き物の意思を示している。
政治の場合において歴史は甲をつなぎ合わせたものではなく、甲を没入せしめた別個の巨大な生き物となって誕生し、
歴史の姿において政治もまた巨大な独創を行っているのである。 この戦争をやった者は誰であるか。
島上であり軍部であるか。 そうでもあるがしかしまた日本を貫く巨大な生物。
歴史の抜き差しならぬ意思であったにそういない。 日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったに過ぎない。
政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿において独創を持ち、意欲を持ち、
やむべからざる歩調をもって大海の波のごとくに歩いていく。 何人が武士道を暗出したか。
これもまた歴史の独創または嗅覚であったであろう。 歴史は常に人間を嗅ぎ出している。
そして武士道は、人間性や本能に対する禁忌状項であるために非人間的、反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点においては、全く人間的なものである。
私は天皇制についても極めて日本的な、かっこしたがってあるいは独創的な、
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政治的作品を見るのである。 天皇制は天皇によって生み出されたものではない。
天皇は時に自ら陰謀を起こしたこともあるけれども、害して何もしておらず、 その陰謀は常に成功のためしがなく、
島流しとなったり山奥へ逃げたり、 そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。
社会的に忘れた時にすら政治的に担ぎ出されてくるのであって、 その存立の政治的理由は、いわば政治家たちの嗅覚によるもので、
彼らは日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。 それは天皇家に限るものではない。
変わり得るものならば公私家でも、社科家でも、礼人家でも構わなかった。 ただ変わり得なかっただけである。少なくとも日本の政治家たち、
貴族や武士は、自己の永遠の流星、 括弧それは永遠ではなかったが、彼らは永遠を夢見たであろう。
を約束する手段として絶対君主の必要を鍵付けていた。 平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の
下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。 天皇の存在によって、お家騒動の処理をやり、弟は兄をやり込め、
兄は父をやっつける。 彼らは本能的な実質主義者であり、自分の一生が楽しければよかったし、
そのくせ、長期を盛大にして天皇を這いがする奇妙な形式が大好きで満足していた。 天皇を拝むことが自分自身の威厳を示し、また自ら威厳を感じる手段でもあったのである。
我々にとっては実際馬鹿げたことだ。 我々は靖国神社の下を電車が曲がるたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには並行したが、
ある種の人々にとっては、そうすることによってしか自分を感じることができないので、 我々は靖国神社についてはその馬鹿らしさを笑うけれども、
他のことからについて同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。 そして自分の馬鹿らしさには気づかないだけのことだ。
宮本武蔵は一常時下り松の旗芝居急ぐ途中、 八幡様の前を通りかかって思わずおかむりかけて思いとどまったというが、
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我神仏を頼まず、という彼の教訓はこの自らの聖筆に発しし、 また向けられた開懇深い言葉であり、
我々は自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝み、 ただそれを意識しないというだけのことだ。
道学先生は教団でまず書物を教いただくが、 彼はそのことに自分の威厳と自分自身の存在すらも感じているのであろう。
そして我々も何かにつけて似たことをやっている。 日本人のごとく健忘術数をこととする国民には、健忘術数のためにも大義名分のためにも天皇が必要で、
個々の政治家は必ずしもその必要を感じていなくとも、 歴史的な究極において、彼らはその必要を感じるよりも、自らのいる現実を疑ることがなかったのだ。
秀吉は樹落に行光を仰いで自ら正義に泣いていたが、 自分の威厳をそれによって感じると同時に、宇宙の神をそこに見ていた。
これは秀吉の場合であって、他の政治家の場合ではないが、 健忘術数が例えば悪魔の手段にしても、
悪魔が幼児のごとくに神を拝むことも必ずしも不思議ではない。 どのような矛盾もあり得るのである。
要するに天皇制というものも武士道と同種のもので、 女心は変わりやすいから、
説ある婦人は二人の夫にまみえず、 という禁止自体は非人間的、反人性的であるけれども、
道察の真理において人間的であることと同様に、 天皇制自体は真理ではなく、また自然でもないが、
そこに至る歴史的な発見や道察において軽々しく否定し難い深刻な意味を含んでおり、 ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。
全く美しいものを美しいままで終わらせたい、などと願うことは小さな人情で、 私の命の場合にしたところで、自殺などせず生き抜き、
そして地獄に落ちて暗黒の荒野をさまようことを願うべきであるかもしれぬ。 現に私自身が自分に化した文学の道とは、
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かかる荒野の流浪であるが、 それにもかかわらず美しいものを美しいままで終わらせたいという小さな願いを消さるわけにもいかぬ。
未完の美は美ではない。 その当然落ちるべき地獄での遍歴に、
隣絡自体が美であり得るときに初めて美と呼び得るのかもしれないが、 二十歳の少女をわざわざ六十の老朽の姿の上で常に見つめなければならぬのか、
これは私にはわからない。 私は二十歳の美女を好む。死んでしまえば身も蓋もないというが、果たしてどういうものであろうか。
敗戦して、結局気の毒なのは戦没した英霊たちだ、 という考え方も私は素直に肯定することができない。
けれども、六十過ぎた将軍たちがなお、 生に連々として皇帝に惹かれることを思うと、何が人生の魅力であるか、と、
私にはかえむくわからず。 しかしおそらく私自身も、
もしも私が六十の将軍であったなら、 やはり生に連々として皇帝に惹かるであろうと想像せざるを得ないので、
私は生という機械な力にただ傍然たるばかりである。 私は二十歳の美女を好むが、老将軍もまた二十歳の美女を好んでいるのか。
そして戦没の英霊が気の毒なのも、 二十歳の美女を好む意味においてであるか。
そのように姿の明確なものなら、私は安心することもできるし、 そこから一途に二十歳の美女を追っかける信念すらも持ち得るのだが、
生きることはもっと訳のわからぬものだ。 私は血を見ることが非常に嫌いで、
いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、 私はくるりと振り向いて逃げ出していた。
けれども私は偉大な破壊が好きであった。 私は爆弾や焼夷弾におののきながら、
凶暴の破壊に激しく興奮していたが、それにもかかわらず、 この時ほど人間を愛し懐かしんでいたときはないような思いがする。
私は疎開を進め、また進んで田舎の住宅を提供しようと申し出てくれた 数人の親切を退けて、
東京に踏みとどまっていた。 大井博之の焼き跡の防空壕を最後の拠点にするつもりで、
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そして九州へ疎開する大井博之と別れたときは、 東京からあらゆる友達を失ったときでもあったが、
やがて米軍が上陸し、四辺に銃砲弾の炸裂するさなかに、 その防空壕に息を潜めている私自身を想像して、
私はその運命を感受し、待ち構える気持ちになっていたのである。 私は死ぬかもしれぬと思っていたが、
より多く生きることを確信していたに相違ない。 しかし廃墟に生き残り、
何か抱負を持っていたかといえば、 私はただ生き残ること以外何の目算もなかったのだ。
予想し得ぬ新世界への不思議な再生、 その好奇心は私の一生の最も新鮮なものであり、
その機械な鮮度に対する代償としても、 東京に留まることをかける必要があるという奇妙な呪文に疲れていたというだけであった。
そのくせ私は臆病で、 昭和20年の4月4日という日、
私は初めて辺りに2時間にわたる爆撃を経験したのだが、 頭上の照明弾で昼のように明るくなった。
その時ちょうど状況していた時景が、 防空壕の中から焼夷弾かと聞いた。
いや、照明弾が落ちてくるのだと答えようとした私は、 一応腹に力を入れた上でないと声が全然出ないという状態を知った。
また当時、日本映画社の食卓だった私は、銀座が爆撃された直後、 変態の来襲を銀座の西への屋上で迎えたが、
5階の建物の上に塔があり、この上に3台のカメラが据えてある。 空襲警報になると路上、窓、屋上、
銀座からあらゆる人の姿が消え、 屋上の公社法人地すらも円合に隠れて人影はなく、
ただ、天地に露出する人の姿は日鋭屋上の10名ほどの一段のみであった。 まず石川島に焼夷弾の雨が降り、次の変態が真上へ来る。
私は足の力が抜け去ることを意識した。 タバコをくわえてカメラを変態に向けている
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憎々しいほど落ち着いたカメラマンの姿に驚嘆したのであった。 けれども私は偉大な破壊を愛していた。
運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。 工事町のあらゆる大邸宅が嘘のように木へ伏せて余人を立てており、
上品な父と娘がたった一つの赤川のトランクを挟んで、 郷の橋の緑草の上に座っている。
片側に余人をあげるぼうぼうたる廃墟がなければ、 平和なピクニックと全く変わるところがない。
ここも木へ伏せてぼうぼうただ余人を立てている道元坂では、 坂の中途にどうやら爆撃のものではなく、
自動車に引き殺されたと思われる死体が倒れており、 一枚の土壇がかぶせてある。
片側に十軒の兵隊が立っていた。 行く者、帰る者。
罹災者たちの永遠たる流れが、 誠にただ無心の流れのごとくに死体をすり抜けてゆきかい。
路上の鮮血にも気づくものすらおらず、 たまさか気づくものがあっても、捨てられた紙くずを見るほどの関心しか示さない。
米人たちは、終戦直後の日本人は虚脱し、放心していると言ったが、 爆撃直後の罹災者たちの行進は、
虚脱や放心と種類の違った驚くべき重満と重量を持つ無心であり、 素直な運命の子供であった。
笑っているのは常に十五六、十六七の娘たちであった。 彼女たちの笑顔は爽やかだった。
焼け跡をほじくり返して焼けたバケツへ掘り出した瀬戸物を入れていたり、 わずかばかりの荷物の張り板をして路上にひなたばっこをしていたり。
この年頃の娘たちは未来の夢でいっぱいで、現実などは苦にはならないのであろうか。 それとも高い虚栄心のためであろうか。
私は焼け野原に娘たちの笑顔を探すのが楽しみであった。 あの偉大な破壊の下では運命はあったが堕落はなかった。
無心であったが充満していた。 猛火をくぐって逃げ延びてきた人たちは、
燃えかけている家のそばに群がって寒さの暖をとっており、 同じ日に必死に消火に勤めている人々から一尺離れているだけで、全然別の世界にいるのであった。
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偉大な破壊、その驚くべき愛情。 偉大な運命、その驚くべき愛情。
それに比べれば敗戦の表情はただの堕落に過ぎない。 だが堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、
あの凄まじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間たちの美しさも、 放末のような虚しい幻影に過ぎないという気持ちがする。
徳川幕府の思想は、四十七死を殺すことによって永遠の義士たらしめようとしたのだが、 47名の堕落のみは防げ得たところで、
人間自体が常に義士からまた賊へ、また地獄へ転落し続けていることを防げうるよしもない。 切腐は二不利まみえず、
忠心は憎んに使えず、 と規約を制定してみても、人間の転落は防げ得ず。
よしんば諸女を殺し殺して、その純潔を保たしめることに成功しても、 堕落の平凡な足音、
ただ打ち寄せる波のようなその当然な足音に気づくとき、 仁義の悲傷さ、
仁義によって保ち得た諸女の純潔の悲傷さなどは、 法末のごとき虚しい幻像に過ぎないことを見出さずにいられない。
特攻隊の勇士はただ幻影であるに過ぎず、 人間の歴史は闇夜となるところから始まるのではないのか、
未亡人が死とたることも幻影に過ぎず、 新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか、
そしてあるいは天皇もただ幻影であるに過ぎず、 ただの人間になるところから真実の天皇の歴史が始まるのかもしれない。
歴史という生き物の巨大さと同様に、 人間自体も驚くほど巨大だ。
生きるということは実に唯一の不思議である。 60、70の将軍たちが切腹もせず、靴羽を並べて法廷に引かれるなどとは、
終戦によって発見された壮観な人間図であり、 日本は負け、そして武士道は滅びたが、
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奈落という真実の母体によって初めて人間が誕生したのだ。 生きよ、落ちよ。
その正当な手順の他に真に人間を救い得る便利な近道があり得るだろうか。 私は腹切りを好まない。
昔、松永男女という浪快隠屈な陰謀家は、 信長に追い詰められて仕方なく城を枕に討ち死にしたが、
死の直前に毎日の習慣通り延命の急を据え、 それから鉄砲を顔に押し当て顔を打ち砕いて死んだ。
その時は70を過ぎていたが、人前で平気で女と戯れる悪どい男であった。 この男の死に方には同感するが、私は腹切りは好きではない。
私はおののきながら、しかし惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。 私は考える必要がなかった。
そこには美しいものがあるばかりで人間がなかったからだ。 実際泥棒すらもいなかった。
近頃の東京は暗いというが、 戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でも追い剥ぎなどの心配はなく、
暗闇の深夜を歩き、閉じまりなしで眠っていたのだ。 戦争中の日本は嘘のような理想郷で、
ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。 それは人間の真実の美しさではない。
そしてもし我々が考えることを忘れるなら、 これほど気楽な、そして壮観な見せ物はないだろう。
たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、 考えることがない限り、人は常に気楽であり、
ただ惚れ惚れと見とれておればよかったのだ。 私は一人の馬鹿であった。
最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。 終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、
人はあらゆる自由を許された時、 自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。
人間は永遠に自由ではありえない。 なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、
そして人間は考えるからだ。 政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうはいかない。
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遠くギリシャに発見され、確率の一歩を踏み出した人生が、 今日どれほどの変化を示しているであろうか。
人間。 戦争がどんな凄まじい破壊と運命をもって向かうにしても、
人間自体をどう成し得るものでもない。 戦争は終わった。
特攻隊の勇者はすでに闇夜となり、 未亡人はすでに新たな面影によって胸を膨らませているではないか。
人間は変わりはしない。 ただ人間へ戻ってきたのだ。
人間は堕落する。 義士も聖女も堕落する。
それを防ぐことはできないし、 防ぐことによって人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。 そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。 人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
だが人間は永遠に落ち抜くことはできないだろう。 なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくではありえない。
人間は可憐であり、脆弱であり、 それゆえ愚かなものであるが、落ち抜くためには弱すぎる。
人間は結局、少女を視察せずにはいられず、 武士道を編み出さずにはいられず、
天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるであろう。 だが他人の少女でなしに自分自身の少女を視察し、
自分自身の武士道、自分自身の天皇を編み出すためには、 人は正しく落ちる道を落ちきることが必要なのだ。
そして人のごとくに日本もまた落ちることが必要であろう。 落ちる道を落ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
聖人よる救いなどは、上比だけの苦にもつかないものである。
1990年発行 筑磨文庫 筑磨書房
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坂口安吾全集 14 より読み終わりです。
分厚い論でしたね。 天皇とかに触れてたから
当時センセーショナルだったんだろうなぁ。 今聞いてもちょっとね、ハッとする感じがしますけど。
いつもより少し長めの収録となりましたので、寝落ちできているかもしれませんね。
それでは皆様今日はこの辺で、また次回お会いしましょう。おやすみなさい。