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海を見て、夕日を見て、それだけでいい。|『帳の向こう』を読んで
2026-09-16 16:28

海を見て、夕日を見て、それだけでいい。|『帳の向こう』を読んで

発売されたばかりの『帳の向こう』を読みました。

國分功一郎さんとオードリー若林正恭さんの対談本です。

めちゃくちゃ面白かったです。

「目的なき手段」という言葉から、自分がいつの間にか「何のため?」と考えすぎていることにも気づきました。

そんな『帳の向こう』を読んで考えたことをあれこれ話しています📖

#帳の向こう
#國分功一郎
#若林正恭
#読書


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こんばんは、サリーです。 『アパート3号室』へようこそ。
またね、今日も本の話をしようかなと思っています。 9月11日だからまだ
5日前ぐらいですかね、出たばっかりの本なんですけど、 国文広一郎さんと大取の若林さんの対談本
『帳の向こう』という新刊、めちゃくちゃ面白かったので、 あっという間に読んじゃって、その話をしようかなと思っています。
これはどういう本かというとですね、哲学者の国文広一郎さんと、 芸人の大取の若林さんが、文芸史の文学界という雑誌で
2021年の3月から2025年の10月号まで、 4年半にわたって5回行われた対談がベースになっている本なんですね。
帳の向こう、帳って手帳の帳ですね。 自由帳とかの帳という字ですね。
垂れ幕とか、 覆い隠すものみたいな、そういう意味の言葉ですね。
目次、どんな目次かというと、5つの帳になっていて、 最初に真犯人を探して生きている。
次が目的もなく遊び続けろ。
次がビッグモーター化する世界の中で。
次がやっとみんな疲れてきた。
最後が寝降り部の帳を越えて、という5つの帳に分かれているんですね。
この2人が感じている現代社会の違和感、 生きづらさ、生き苦しさみたいな、そういったものを語り合っている、というような本ですかね。
これ仙台駅の校内にある本屋さんで、たまたま免賃されているのを、 発売日に見つけたんだと思うんですけど、
帯に、ずっと夕日を眺めていてもいい、そんな社会はどうしたらやってくるだろう、 とことん語り合った現代の生き苦しさの正体、というふうに書いてあったんですね。
下の方に国文さんと若林さんが並んで笑っている写真があって、 すごい惹かれて手に取って買いました。
パラパラと読み始めたら、ものすごい面白かったので、 最初から本屋さんで買って、でも駐車場まで歩きながら読み始めちゃって、
03:04
帰りにマクドナルドに立ち寄って、そこでもむさぼるように読みまくって、
家帰ってからお風呂の中とかトイレの中とか、ずっと読み続けて、 結局2日くらいで読み終わってましたね。そのくらい面白かったです。
読んでて、何度もこれだって、普段なんとなく考えてたんだけど、 うまく言葉にできなかったようなことをちゃんと言葉にしてくれているような感じがして、
めちゃくちゃ膝を打つっていう感じでしたね。 めちゃくちゃ面白かったです。
中でも、私が一番印象に残った言葉が、目的なき手段という言葉なんですね。
目的なき手段、どういう話かっていうと、 例えば何かするときに、
私の場合、これって何のためなのかなーみたいに考えるのが癖になっているような気がするんですね。
例えば、この間、長男と海が見たいねーって言って、2人で砂浜に行ったんですね。
別に何か目的があるわけじゃなくて、 本当にただただ海が見たくて行ったんですよ。
砂浜に座って波を2人で眺めてたんですね。
別にそれだけでいいはずなのに、 何かしばらくするとスマホを出して動画を撮り始めちゃうみたいな。
これもインスタに投稿しようみたいな感じで思っちゃう。
別に海を見に来ただけなんだから、海をただ見てればいいのに、
見てるだけじゃ物足りなくなっちゃって、
それを投稿しようとか、残しとこうとか、誰かに見せたいみたいな感じで、
海を見ることが、それだけじゃなくて目的をいつの間にか達してるみたいな。
そういうことが結構多いんですよね。
例えばご飯を友達と一緒に食べようって言ってお店に入っても、
出てきたお料理の写真を撮ってインスタにあげちゃったりとか、
雑談して面白いなって思うと、スタイフで流したいなって思っちゃったりとか、
完全にそういう頭になってるんですよね。
本を読む時も結構そうで、
ただ本を読むこと自体を楽しめばいいのに、
この本面白かったなっていうことで終わるよりも、
これスタイフで感想を出そうとか、読書会で話せるなとか、
06:00
この本から何を私は得たのかなみたいな感じで考えちゃうというか、
本を読むこと自体を楽しめばいいのに、
何となくそれだけだと動機として不十分なような気がして、
せっかく読むんだから何かを得たいというか、
何かに繋げたいとか、活かしたいみたいな、
何でもかんでもこの時間から何が得られるんだろうかみたいな風に考えちゃうんですね。
それが本当にこの帳の向こうという本を読んでて、
これまさに設定された目的手段という風に言葉に書いてあったんだけど、
まさに設定された目的手段ということはこういうことなんだなっていう風に思いましたね。
ただ海を見るとか、友達と喋るとか、本を読むとかね、
本来だったらそれ自体で完結してていいことなはずなのに、
そこに何か目的を設定しちゃうという、
その目的を達成するための手段としてその時間を使うみたいな感じ。
そう考えると私って何のためでもない時間っていうものを、
かなり失っているのかもしれないなっていう風に本を読んで気づきましたね。
この目的なき手段の話がこの本の中ですごい面白いエピソードで紹介されてたんですけど、
タモリグラブってテレビありますよね。タモリが出てるやつ。
その中のエピソードで、魚を捕るためのトワミをきれいに投げることにハマった人たちのサークルを特集したという回があったらしいんですよ。
若林さんの話でそれが出てきたんだけど、
その人たちは魚を捕るために最初はトワミを投げるっていう集まりだったと思うんだけど、
いつの間にか魚を捕るために投げるんじゃなく公園で投げてるらしいんですよね。
本来トワミって魚を捕るための手段なわけですよね。
だけど魚を捕るという目的がなくなっちゃって、
トワミを投げること自体が楽しいっていう手段だけが残っちゃってるっていうね。
これが目的なき手段なんだっていう風な例がその本に出てくるんだけど、めちゃくちゃ面白いなと思って。
面白い話なんだけど、でもすごい大事なことを言っているなっていう風に思ったんですね。
その目的なき手段という話から、暇な時間という話につながっていくんだけど、
この言葉もすごい印象的だったんだけど、
資本主義という宗教という風な言葉が出てきて、面白いなと思ったんですけど、
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その資本主義という宗教の中では、暇な時間というものが長所の対象になるっていうんですね。
長所というのは要するにあざけて笑うってことですね。
暇な時間を過ごしているっていうことが、笑われてしまうっていうことですね。
暇なんだったら何かすればいいのにみたいなそういうことですよね。
以前スマホ時代の哲学っていう本を読んで、
スタイフでもその本については雑談配信をして、そこでも話したんだけど、
スマホ時代の哲学の中で、エヴァンゲリオンのあるエピソードが紹介されてたんですけど、
ただ自分の楽しみのためにスイカを育てるっていう登場人物が出てきて、
そういう時間が必要なんだみたいな話なんですね。
特に何かの役に立つわけでも、誰かに見せて評価されるわけでもないんだけど、
ただただ自分がやりたいからやるっていう、そういうエピソードがその本に紹介されてて、
今回またね、この帳の向こうを読んでいて、
同じこと言ってるなぁってちょっと繋がった感じがして、
ずっと感じていたね、こう息苦しさっていうのは、
こういうことだったのかなっていうふうに思いましたね。
暇な時間が長所の的になる社会という、
そういう言い方がすごい刺さりましたね。
そこからその後ね、国文さんの話の中に、
教授の会という言葉も出てくるんですけど、これもものすごい面白くて、
カントっていうね、哲学者の話で、
教授の会、ちょっと長くなるんでちょっと簡単に言うと、
何かのためじゃなく、ただただそれ自体を味わうことの会。
会というのは、会館の会という字ですね。
そのことです。例えばおいしいものを食べておいしいなーって味わったりとか、
好きな音楽を聴いて、この曲いいなーって思ったりとか、
何かにつなげなくてもよくて、
目的から自由な会ということですよね。
さっきの私の海の話ともつながってくるんだけど、
海を見て、海いいなーって、きれいだなーって思う。
ただそれだけでいいっていう、それを教授の会というふうに言ってるんですけど、
それがすごい大事っていう話で、
なるほどなーってすごく思いました。
本の帯にも書かれてた、夕日を見るっていう話もすごくよくて、
国文さんがね、時間の価値が高騰しているっていうことを言って、
12:05
それを受けて若林さんが、
キューバとかモンゴルを旅した時の話をするんですね。
向こうではみんなめちゃくちゃ夕日を眺めるらしいんですね。
夕日が沈んだ後もずっと外で喋ってたりとか、
例えば沖縄の人たちもね、結構夕日を眺める、見ているらしくて、
その実感がまさにその教授の会ということなんだと思うんですけど、
例えばそれ、東京の表参道の歩道橋の上で、
15分間夕日を見ていたらどうなるかっていう話を若林さんがするんですけど、
多分15分間ね、東京で夕日眺めてたら、
なんか悩んでるのどうしたのって声をかけられちゃいますよねっていう。
本来だったら別にね、夕日を見るのに理由なんて必要ないじゃないですか。
なのに今の社会では、その15分間で何してたのっていうふうに聞かれちゃうっていう。
そういうことって結構あるなというふうに思ったんですね。
ただただ夕日を眺めるとか海を眺めるとか、
そういう大自然を前にして、
自分の存在のちっぽけさというか、
そういうものを感じるみたいな、そういう時間。
だから何もしてない時間っていうのは、本当に何もしていないわけじゃなくて、
そういう時間があるから自分の時間を本当の自分のものとして感じられるのかもしれないなみたいな。
そういう時間すごい大事だなって改めてこの本を読んで思いましたね。
この本で対談としてもものすごく面白くて、
若林さんが芸人さんということもあって話の引き出し方がすごい上手で、
国文さんという哲学者にすごく素朴な疑問をぶつけてくれるんですよ。
なんか恥ずかしげもなく、それがすごく私たちにとって読みやすくなっていて、
哲学の話ってどうしても難しくなりがちなところをテレビの話とかね、
芸人業界の話とかそういう身近な具体例を取り出してきて話してくれるから、
なんか観念的な哲学の話もしてるんだけどものすごくわかりやすくて、
この距離感がすごくいいところだなって思いましたね。
今日仙台駅前のマルゼン行ったら文芸賞ランキングで第5位に早速ランクインしてたので、
15:03
これからまた売れていく本なんじゃないかなと思いますね。
この本はこんな人に読んでほしいなと思います。
例えば、今の社会に対してなんとなく息苦しさを感じている人とか、
もっと効率よくとか、時間を無駄にしないようにしなきゃとか、
そういうことをいつの間にか考えちゃってる人とか、
あとはその哲学に興味あるけど、ちょっと哲学書いきなり読むのはハードル高いなという人とかにもちょうどいいんじゃないかなと思っています。
私自身もこの本を読んで、国文広一郎さんの「暇と退屈の倫理学」めちゃくちゃ売れた本ですよね。
それも読んでみたいなと思っているし、若林さんの本も一冊もまだ読んだことがないので、
ちょっと興味持ったので、なんかそのキューバの旅行記とかエッセイとかもちょっと読んでみようかなと思ってます。
ということでちょっと長くなっちゃったんですけど、
今日は新刊出たばっかりの「帳の向こう」という本について話してみました。
最後までお聞きくださりありがとうございました。
アパート3号室のサリーでした。
それではまた。
16:28

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