いつもアドラー心理学ラジオをお聞き頂きありがとうございます。お相手のあつくてゆるいです。 さて、箸休め後半戦。前回は高知県への愛がダダ漏れになりすぎて、ただのおじさんが、「カツオうめえ!星空やべえ!」
とキャッキャしているだけの旅行記になってしまいましたが、今回はその後編ということで、アドラー心理学ラジオの看板を取り戻しに行きたいと思います。
テーマは、旅行中や日常で見えてきた4歳の一人娘の恐るべき処生術と、親を悩ませる子育てのリアルについて、一見微笑ましい娘の行動も、アドラーのライフスタイルとか目的論というレンズを通してみると、「
あれ?この無邪気な笑顔の裏で、親の愛情とか大人の関心を発揮する、したたかな生存戦略を身につけつつあるのでは?」と、
ちょっと背筋が伸びる気づきがありまして、アドラー心理学を日常の子育てにどう落とし込むかという、一つのケーススタディーとして、ゆるいとお楽しみいただけたらと思います。
前回、高知入りして2日目に三原村という山奥の農家民宿に泊まって、川遊びをしたり満天の星空を見たりしたというお話をしたんですが、
その気楽な民宿で、我が家の4歳の娘の恐るべきコミュニケーション能力が発揮されます。
娘は生き物が大好きで、宿につくなり、飼われているヤギとか犬とかニワトリに興味津々。
ただ遠くから文字文字見ているだけじゃなくて、宿のおじちゃんおばちゃんに、あれは何?餌をあげたい!犬いるの?触りたい!って、もう物事せずにガンガン話しかけに行くんです。
おばちゃんたちも、小さい子が目をまん丸にして興味を持ってくれるのが嬉しいみたいで、よっしゃ明日朝一番にニワトリ見せたるわ!と、秒でまぶだちになっていくわけです。
翌朝朝食の後、私と妻が部屋で今日のルートどうする?なんてダラダラとパッキングしている間、娘はおっちゃんたちに連れられて敷地のあたりで犬を散歩させたり、あれこれ遊んでもらっていたんです。
しばらくして部屋に戻ってきた娘の手には、なんと2000円が握られていたんですよ。
え?どうしたのそのお金?パパより稼いどるやん!って聞いたら民宿のお家に同居しているおばあちゃんから、かわいいからお小遣いあげるってもらったって言うんです。
慌てて外に出てお返ししようとしたんですが、いいからいいからって言われまして、
さらに娘は民宿の近所に住むと思われるお姉さんといつの間にか仲良くなっていまして、私たちがこの後足摺岬の水族館に行くんですって話をしたら、そのお姉さんがじゃあこれあげるわって、
高知のいろんな観光施設に5人まで無料で入れる桃鉄とかにありそうな最強のカードをくれたんです。
別の宿でも施設のおっちゃんと仲良くなってオレオのパックをもらっていたり、親バカ自慢のつもりはないんですが、娘のノリが高知県の皆さんの明るい気質と相性がいいのか、謎にはまっている印象でした。
ただ彼女は別にお金をもらおうとか、ただ犬を巻き上げようとダサんで動いているわけじゃないんですね。
以前、ミハイルエンダーの桃を例に出して、人の話を聞くときの没入する感覚についてお話ししました。
あの時子供って自分をよく見せたいというエゴが1ミリもなくて、目の前の対象に純度100%で没入できる天才だとお伝えしましたが、
ただ純粋に目の前の大人とか生き物にスーッと没入している。でも結果的にそうやって無邪気に没入していくと、周りの大人が嬉しくなって色々良くしてくださる。
デールカーネギーの人を動かすっていう社会人1年目はとりあえずこれ読んどけと、ドヤ顔で進められる自己啓発本があります。
あそこに相手の関心に関心を寄せるという教えがありましたが、まさにあれを自でやっている印象です。
ただ、この没入自体にはダサンはないと思う一方で、自分からガンガン関わっていって大人と仲良くなるとなんか美味しいことが起こるぞということは、彼女なりに少しずつ学習している気はしています。
もちろんそれは周りにいる大人たちが良い人ばかりなので温かく付き合ってもらっているからなんで環境のおかげだと感謝しつつ、この純粋な没入と並行して人、特に目上の人と関わって世界を泳いでいくというライフスタ
イルが形成されている瞬間を目の当たりにしていると感じます。
ここまでは微笑ましい娘の生存戦略の話なんですが、この娘の圧倒的な没入、外から見ている分にはいいんです。でも、いざ親として日常的に付き合うとなると結構しんどいんですよ。
最近の家での遊びもすごくてですね。 定期的にいろんなマイブームが来るんですが、今は誰かと一緒にごっこ遊びをするのが大ブーム。特にシルバニアファミリーにドハマリしております。
ただシルバニアといっても正規のメルヘンなお家がずらりと並んでいるわけじゃなくてですね。 住み木とかレゴとかその辺の段ボールやらをフルカードをさせてお手製の謎の箱庭みたいなものを作っているんですね。
そこに海洋堂のガチャガチャで当てたリアルなゴキブリとかスズメバチとかホラウータンのフィギュアをぶち込んで、ポケモンなんかも平気で乱入してくるという完全にカオスな多次元宇宙を構築している。
設定も多彩で日常のスーパーでのお買い物ごっこの時もあれば、ウサギファミリーのお父さんが科学者で古代の化石とか謎の生き物を拾ってくるみたいな壮大なSFストーリーを展開してそこに深く没入しています。
でですね、これに付き合わされる親はもうたまったもんじゃなくて、娘はずっとシルバニアで遊ぼう、お願いシルバニアで遊ぼうってエンドレスで唱えてくる。
実は娘が通っている幼稚園が子供の関心や集中を途切れさせちゃダメっていう熱い教育方針を持っておりまして、先生からもプチ酸っぱく言われているので基本的には本人がやりたいと言っていることは邪魔せずに見守
ってあげようと私たちも意識はしているんです。
娘が一人で黙々と遊んでくれている分には、集中しているなで済む話なんですが、問題は今の娘の強烈な関心と集中の矢印が、親を巻き込んでのカオスなごっこ遊びに120%向いちゃっていることなんですよ。
となると、関心を途切れさせちゃダメという教えを忠実に守るならば、当然その論理的規決として娘が望む限り、親である私たちがこの謎のシルバニア寸劇にフルコミットで付き合わなきゃいけないというデスゲームがス
タートするわけです。
妻は本当に偉くて、「シルバニアで遊ぼうは呪いの言葉だ。」と白目を向き、もはやゾンビのような顔になりながらも、ずーっと付き合ってあげています。
私はというと、おままごとの高度なノリが全く理解できず、すぐ物理攻撃の戦いごっこに持ち込んでは、「パパやめて!」とガチギレされる始末。
なので最近は寝室で布団を積み上げて、秘密基地ごっこのドボクサー業員としてなんとかお茶を濁して参加しています。
でもひとりっ子で、こうやって自分が没入している世界や、自分が世界の中心でいられる環境が当たり前になっていると、ただのわがままな奴に育っていないかというのは常に心配してみています。
これがもし兄弟がいたら、親の関心を100%独占するなんて不可能なわけで、当然どこかで我慢や諦めを覚えるし、そこで揉まれながらたくましさみたいなものが育っていくと思うんです。
でも娘の中では常に自分が世界の中心。私と妻が2人だけでちょっと難しいニュースの話とか大人の会話をしていると、娘が、「もう!」ってあからさまにキレて割って入ってくるんです。
つい先日も娘がドラえもんの図鑑のDVDを静かに見てくれていたので、自分と妻は普通にあれこれ喋っていたんですね。
そしたら娘がスッと振り返りまして、「あなた達の喋る声でドラえもんの話が全然聞こえないんですけど、喋るのはいいけどもうちょっと小さい声で喋ってくれない?」
ってオツボネ様みたいなクレームをガチで入れてきて流石に吹き出しました。
別にのけものにしているわけじゃなくて、ただ普通に会話しているだけなんですけど、彼女の中では親の関心が少しでも自分からそれる時間が許せないんです。
だからそうやって起こってくる度に、今私たちが話しているニュースや話題をわざわざ娘にもわかるような言葉に翻訳して、無理矢理3人の会話にして喋ったりするんですが、まぁこれがめんどくさい。
さらに、以前お話した涙や悲しみを武器にして相手をコントロールする推力、Water Powerを見事に使ってきた事件がありました。
家族で水族館に行った帰り道、駅近くのコンビニまで歩いて、そこでアイスを食べようと約束していたんですが、あとちょっとの距離で娘が、「歩きたくない!抱っこして!」とぐずり始めたんです。
私一人ならすぐにめんどくさくなってひょいっと抱っこしちゃうんですが、その日は妻もいて、ここはちょっと勝負しようという空気になりました。
実は前日にも、自分の足で歩くこと、食べ物を粗末にしないことはちゃんとやろうねってしっかり約束をしていたこともあってですね、道端でガチのコンクラベスタート。
娘は道端に座り込み、ギャーギャー泣き出す。自分は近くにドカッと座って、もう今日は抱っこはしないよって伝える。
妻も横で色々と悟してくれるんですが、まぁ娘もしぶとい。
で、ちょっと歩き出そうとすると私の足元にコアラみたいにまとわりついてきて、体重をかけてくるんです。
ほら、これじゃパパも歩けないでしょ?っていう、物理攻撃プラス推力の極悪コンボ。
でもここで言うことを聞いたら、娘の記憶に結局ダダこねて泣けば親は操れるんだというチートコードを刻み込んでしまいます。
心を鬼にして、妻と娘を残して交差点を渡り、先のコンビニに走って逃げ込みました。
残された妻が大泣きする娘をなだめながら、なんとか自力でコンビニまで歩かせてきてくれて、
コンビニに入ってきた娘はしくしく泣きながらも自分でアイスを選んで食べていたんですが、
この荒漁師が聞いたのか、コンビニを出た帰り道からそれ以降も抱っこをねだる回数が明らかに減ったというか、ほぼ言わなくなったんです。
この話を聞いて、ちょっとやりすぎじゃない?ってドキドキする人もいるかもしれません。
私自身、親からの理不尽なしつけの結果盛大にこじらせていますので、娘に理不尽を強いたいという思いは冒頭ないというか、
今回も事前予告をして、妻と役割分担もしながら、安全も確保した上での行動でした。
アドラー心理学には、自然の結末、論理的結末と呼ばれる教育方法があります。
要は、勉強をサボっていたらテストの点数が悪くなるのは当然。
自分で歩かなきゃ前に進めないし、アイスも食べられないという、物事の結末をしっかり体験することが重要だという考え方です。
最近って、大人が過剰に先回りして、子供が失敗しないように、痛い目を見ないようにって障害物を取り除いてしまうことも多いですよね。
でもそれって、はっきり言ってぬるい部分もあると思うんです。
誤解しないでほしいのですが、これは罰を与えるという話では全くなくてですね、
あくまでも自分が取った行動に対する結末を可能な限り身をもって体験するのが大事という話です。
子供が結末を体験できない無菌室みたいな環境を作ってしまうのは、アドラー的に言えば甘やかしであり、自分で生きていく力を削いでいくとされています。
個人を個人としてしっかり尊重するからこそ厳しい部分もあるんです。
最近これも印象的だった出来事なんですが、愛チキンペンのローカルなイベントでお月見泥棒っていうのがあるんです。
日本版ハロウィンみたいなもので、近所の商店とか個人のお宅がお菓子とかドーナッツを家の前に用意してくれていて、
子供がお月見泥棒ですってちゃんと言えたらそれをもらえるっていう激アツイベントなんですが、
あるお店のお供え物がすごく豪華で人気らしくて、朝11時スタートなのにみんなその前からめっちゃ並ぶんです。
我が家も娘と乗るしかないこのビッグウェーブに!と、モヒカンのおじさんよろしく30分くらい並びました。
ただそこ結構ルールがガチで、お月見泥棒ですってちゃんと言わないと30分並んだとしても豪華なお供え物じゃなくて、極小の飴玉1個とかにされちゃうんです。
うちの娘は最初ちょっとヒヨっていましたが、なんとか言えて無事にゲットできました。
でもその後そのお店の近くをフラフラしていたらめっちゃ泣いてる子がいまして、
どうやら3人兄弟で来ていて、上の2人はちゃんと言えたから豪華なお菓子をもらえたのに、一番下の子だけが恥ずかしがって言えなくてもらえなかったみたいなんです。
お母さんもあなたが言えなかったからでしょって言っていて、これ周りから見たらかわいそうにって思うじゃないですか。
私だって人並みの良心は持ち合わせていますので、かわいそうだなぁとはもちろん思いました。
でも同時に、お、このご時世に責めてていいなってちょっとワクワクしたんです。
だって、お月見泥棒ですって言うっていうルールでやっているんだから。
もちろん障害とかがあって話せない子は別です。私、もって生まれた気質があるのもわかっています。
とはいえ、お月見泥棒ですって言うだけですよ。
普通に会話ができるのなら、そしてルールを知った上で参加するならそれぐらい言ってよって話です。
お母さんが言っているのを聞く限り事前に練習もしていったみたいなんです。
でも本番で恥ずかしがって言えなかった。
いくら練習をしていようと結果として言えなかったらいい思いはできない。
これって社会の自然な結末を学ぶチャンスだと思うんです。
ライフスタイルというのはその子が世界を生き抜くための生存戦略。
あまりの理不尽はもちろん良くないですが、一方で理不尽さの全くない社会なんてないわけだから、
自分で困難を乗り越えていく力をつけるためには、
こういうちょっと痛い経験を積むことってすごく大事だと私自身は考えています。