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#2 人は「都合のいい嘘」を生きている。 アドラー心理学のノリとフィクショナリズム
2026-04-04 17:18

#2 人は「都合のいい嘘」を生きている。 アドラー心理学のノリとフィクショナリズム

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アドラー心理学ラジオ、「アドラジ」へようこそ。この番組では、お手軽な自己啓発として消費されがちなアドラー心理学を、哲学、カウンセリング、そして科学の視点から深掘りし、「ホンモノの知性」として語り直していきます。


第2回のテーマは、「アドラー心理学のノリ」です。「トラウマは存在しない」「悩みはすべて対人関係だ」

……そんな強烈な言葉に救われたはずなのに、いざ現実に当てはめようとするとモヤモヤを感じてしまうのはなぜか。それは、アドラーを「科学的な真実」として受け取ろうとしているからかもしれません。

今回は、アドラーが多大な影響を受けた哲学者ハンス・ファイヒンガーの「虚構主義(フィクショナリズム)」を補助線に、アドラー心理学を使いこなすための「知的な作法」を解き明かします。


【今回のハイライト】


🗣️ 「トラウマは存在しない」をどう聴くか: 科学的妥当性を超えた「目的論」の真意。

📖 ファイヒンガーの「虚構主義(フィクショナリズム)」: 私たちは物理的な真実ではなく、頭の中の「嘘」で生きている。

🌐 「赤道」は実在しない?: 人生という大海原で迷子にならないための「補助線」という考え方。

💵 お金・国家・サピエンス全史: 人類を発展させた「虚構を共有する力」とアドラーの接点。

🕶️ 「アドラー警察」にならないために: 正しさよりも「有用さ」で世界を選び取る、タフな実用主義。


「これが絶対の正解だ」と盲信するわけでもなく、「どうせ全部作り話でしょ」と虚無に逃げることもない。自分が幸せに生きるための「最高のフィクション」を自ら選び取り、そのノリに真剣に乗ってみる。

私たちが人生をより良く動かしていくための「羅針盤」を、ぜひ音声で体感してみてください。


■ パーソナリティ:あつくてゆるい(あつゆる)アドラーを実践して10年以上。教育現場に身を置きつつ、アカデミックな哲学研究とカウンセリングの修行を重ねてきました。

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アドラー心理学ラジオ。この番組では、お手軽な自己啓発として消費されがちな アドラー心理学を、哲学、カウンセリング、そして科学の視点から深掘りし、本物の知性として語り直していきます。
お相手のあつくてゆるいです。 第2回、今回のテーマはズバリ、アドラー心理学のノリ。
トラウマは存在しない。悩みはすべて対人関係だ。 そんなアドラー心理学のパンチラインにハッとしたはずなのに、いざ現実に当てはめようとすると、
いや、そんな単純じゃないでしょう。 私のケースには当てはまらない。と、正体不明のモヤモヤを感じていませんか。
なぜそんな違和感が生まれるのか。 それは私たちが無意識に、アドラーの言葉を100%正しい真理として、つまり科学のノリで受け取ろうとしているからです。
でも、アドラー心理学の深刻調はそこにはありません。 今日はハンスファイヒンガーの虚構主義、フィクショナリズムという思想を補助戦にして、
アドラーが仕掛けた知的なノリの正体を解き明かします。 それでは最後までお聞きください。
突然ですが皆さん、バンドメイドという日本のガールズバンドをご存知でしょうか。 私、このバンドが大好きでファンクラブにも入っています。
メイドという名前の通り、可愛らしいメイド服を着た5人組なんですが、 演奏する楽曲はゴリゴリの重低音が響く本格的なハードロック。
この見た目と音のギャップが最高にかっこいいんです。 で、このバンドには独特のノリというか、世界観のお約束みたいなものがあるんです。
例えばライブのことをお給仕って呼んだり、お客さんのことをご主人様、お嬢様って呼ぶんです。
他にはギターボーカルのコバトミクちゃんというメンバーがいるんですが、 彼女はコバト、つまりハトなので口癖はクルッポーですし、
MCでも語尾に必ずなんとかだっぽってつけるんです。 あとこれ実際にライブハウスで見たら衝撃を受けると思いますが、
お給仕の途中にオマジナイタイムというのがあって、そこで 萌え萌えキュンキュンキュンキュン
みたいなコール&レスポンスがあるんです。 これバンドメイドのノリを全く知らない人がフラッとお給仕にご帰宅したら、
フラッとライブに行ったらどうなると思いますか? 普段は社会の荒波に揉まれ、おそらく会社では部下たちに厳しく接しているであろう黒Tシャツを着た
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屈強なおじさまたちが満面の笑みで、 萌え萌えキュンキュン
と絶叫しているわけです。 きっとあなたは我々を痛い存在だと認知し、恥ずかしさのあまり胸がキュンキュンしてしまうはずです。
でも、「あ、ここはそういうノリなんだな。」って大前提を理解して、 テレを捨ててその世界に乗っかってみると、これがめちゃくちゃ楽しくて熱狂できるんです。
で、実はこれ、アドラー心理学も全く同じ構造をしていまして、 アドラーの世界にも独特のノリというか大前提となるルールがあるんです。
このノリを知らないまま真面目に勉強しようとすると、必ずどこかで引っかかりを感じて、最悪、
なんかアドラーって怪しいなぁ、と挫折してしまうかもしれません。
大好きなバンドの話で少々興奮してしまいましたが、ここまで離脱せず聞いてくださったあなたのために、 心を込めてアドラー心理学のノリについて解説していきます。
皆さんはアドラーを象徴するトラウマは存在しない、悩みはすべて対人関係である、 といった言葉に疑問を持ったことはないでしょうか。
先に断っておくと、嫌われる勇気に出てきたトラウマは存在しないという言葉は、 アドラー本来の意図よりも少し極端に言い過ぎています。
アドラーが本当に言いたかったのは、過去の出来事や傷をなかったことにする、という乱暴な話ではありません。
彼が著書の中で語っている本来の意図を要約するとこうなります。
私たちは過去の経験に決定されるのではない。 今の自分の目的に合わせて過去の経験に都合のいい意味を与えているだけだ。
過去という原因に縛られるのではなく、今ここにある目的を見つめ直す。 このパラダイムシフトこそがアドラーの言う目的論の正体なんです。
私自身もそうでしたが、初めて聞いたときは、「なるほど!逆転の発想だ!」と膝を打ちますよね。
でも同時に、家に帰って冷静にお茶を飲んでいるときに、「いやちょっと待てよ、本当かな?」って思いませんでしたか。
例えばトラウマについて言えば、強烈な恐怖体験が心に深い傷を残すことは、現代の医学や科学が明確に証明しています。
その影響が重篤な場合は、PTSDと診断されて、脳の変動体が過剰に反応するようになったり、記憶を司るカイバが萎縮したりといった物理的な脳の構造変化までが起こることがわかっています。
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そうした科学的な裏付けのある深い心の傷を、「それ、今の自分の目的のために言い訳的に使っているだけですよ?」で片付けてしまうのは、
いくらなんでもちょっと乱暴というか、冷たすぎるんじゃないかと。
あるいは、悩みは全て対人関係という言葉、これについてもずっと引っかかっていることがありました。
例えば受験のプレッシャーで無意識に自分の髪の毛を抜く癖が出ちゃったり、爪をボロボロになるまで噛んでしまう子がいたとします。
で、その子は受験が終わった途端にピタッとその癖をやめたりするんです。
これって冷静に観察すると、誰かに何かを訴えかけているというより、自分のキャパシティを超えた抱えきれないストレスを体が勝手に外へ逃がそうとしている。
いわばガス抜きや自己沈静に近い身体反応である場合が多いんですよね。
でも、これをアドラー心理学のセオリーにのっとって、あらゆる行動には目的があり、必ず相手役がいるはずだ、と気真面目に考えるとどうなるか。
まるで取り調べ室のベテラン刑事のように、
問い詰めることになってしまう。
もちろん親をはじめとした周囲との関係性を整えることで、そうした行為が落ち着くケースもあるとは思います。
でも、何でもかんでもアドラー警察のように取り締まるのはあまり意味がないのでは?
私自身アドラーを学んでいると、本当に100%全ての現実に当てはまるの?という疑問がどうしても拭えなかったんです。
それは私たちが無意識に学問というものに対して絶対的な真理を求めてしまうからだと思うのですが、
実はアドラーは最初からそんな重たいものは目指していないんです。
じゃあ何なのか?その答えが今回の本題である虚構主義・フィクショナリズムという考え方です。
なおここから先は、虚構主義・フィクショナリズムと毎回両方を言うと私が舌を噛みそうなので、
フィクショナリズムという呼び方で統一していきます。
フィクショナリズムとは、アドラーと同時代を生きた哲学者ハンス・ファイヒンガーが提唱した思想です。
一言で言えば、私たちが生きているこの世界は物理的な真実ではなく、
人間が頭の中で作り出した実体のない嘘、フィクションによって回っているという考え方です。
例えば、世界地図の真ん中にある赤道、あれは真実でしょうか?
というのは、もし船に乗ってその赤道の位置まで行ったとして、
海の上にここから南半球と書かれた紅白の極太ロープがぷかぷか浮いているでしょうか?
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もし浮いていたら、間違いなくタンカーのスクリューに絡まって大惨事です。
物理的に言えば、赤道なんてこの世のどこにも存在しません。
宇宙から見ても地球に線なんて一本も引かれていない。
あれは人間が広すぎる海や空で迷子にならないために勝手に引いた補助船、つまりフィクションに過ぎないんです。
でも私たちがあたかもそこに赤道があるかのように振る舞うことで、
船は迷わず進み、飛行機は安全に目的地に着くことができる。
実際に存在するわけではない架空のものだけど、私たちの現実生活にめちゃくちゃ役立っているわけです。
他にも教育現場やスポーツでよく使われる、やればできるという言葉があります。
これ厳密な科学的事実として見れば嘘ですよね。
人間には明確に遺伝的な能力の差があるし、環境の差もある。
どれだけ頑張っても限界があることなんて大人ならみんなうすうす気づいています。
でもだからといって目の前の子供に、
君には才能がないし、実家の太さも違うからやっても無駄だよ、
という冷酷な事実を突きつけたらどうなるでしょう。
私たちは絶望して一歩も動けなくなってしまうかもしれません。
やればできるという言葉は客観的な真実ではないかもしれないけれど、
そのフィクションを信じることで人は励まされ、
本来持っている以上のパワーを引き出すことができるんです。
歴史学者のユヴァルノア・ハラリがサピエンス前史で指摘したのもまさにこの点です。
お金、国家、人権、これらは物理的にはどこにも存在しない虚構に過ぎません。
ですが、この虚構を共有する力を身に付けたからこそ、
ホモサピエンス、つまり我々人類は赤の他人とも大規模に協力することができ、これだけ発展できた。
これもまさにフィクショナリズムの底力です。
ファイヒンガーは自身の思想をアズイフ、あたかもの哲学と呼びました。
それが客観的な真実かどうかに執着するのではなく、
あたかもそうであるかのように振る舞うことで現実をよりよく動かしていく。
その便利な嘘こそが私たちが迷わず生きていくための羅針盤なんだと。
そしてこのあたかもの哲学、フィクショナリズムこそがアドラー心理学の大前提にもなっているんです。
アドラーは1912年の著作の中でこう書き残しています。
ファイヒンガーのあたかもの哲学を知ることができたのは幸運だった。
アドラーは私が臨床の現場からすでに知っていた考え方が科学的な思考としても妥当なものとして提示されているのを見出した。
現場で積み上げてきた臨床の勘が確固たる知性として一本の芯が通った瞬間だったんでしょうね。
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そこからアドラーはこのフィクショナリズムという土台に持ち前の鋭い観察眼を掛け合わせ、
人間をどう捉え、世界をどう解釈すれば人はより幸せに力強く生きられるかをとことん追求したんです。
そうやって組み上げられた極めて実用的なフィクションの体系、それこそが私たちが学んでいるアドラー心理学の正体です。
トラウマは存在しない。これもまた100%正しい宇宙の真理を語っているわけではありません。
過去という変えられない原因に固執するより、人はいつだって自分が選んだ目的に向かって進めるんだというフィクションを採用した方が遥かに生きる力が湧いてくる。
これだって人生を動かすための極めて実用的なものの見方に過ぎないんです。
また全ての悩みや対人関係であるというレンズも同じです。
これを通すと驚くほど世界がクリアに見えることが多い。
例えば子供が不適切な行動を取ったとき、相手役は誰か、目的は何か、そんな問いを立てるだけでいかにその子に対応すべきか、その解決の糸口が見えてきたり、
あるいは大人同士のドロドロとした争いも、これは相手を屈服させたい権力争いだな、相手役はあの人だ、と捉えることで複雑に見えた状況がすっきり整理される。
人間の不可解な行動や心理を読み解く分析ツールとして最強の部類に属していると私は思っています。
でも、だからといって全ての現象に無理やり相手役を設定する必要はありません。
アドラー心理学のセオリーを全方位に適用して、銃箱の隅を突いては論破してみたり、逆に当てはまらないケースを見つけて、
なんだ使えないじゃないかと幻滅したり、そんな風に自分を理論で縛り付ける必要はどこにもないんです。
大事なのはこのレンズで捉えてみたら解決の糸口が見えてくるかもな、というあくまで有用なツールの一つとして使いこなすこと。
自分が幸せに力強く生きていくための最高の嘘を自ら選び取っていく。
嘘に騙されるのではなく、自らの意思で嘘を使いこなす。
それがフィクショナリズムという思想の一番の凄みです。
アドラー心理学のノリ、それは厳密で正確かどうかという科学のノリではなく、人生を豊かにしてくれるならOKというフィクションのノリです。
これ、冒頭でお話ししたバンドメイドのお球児とカラクリは完全に共通しています。
大の大人がメイド服を着て、鳩になりきって来るぽーと言い、屈強なおじさまたちが満面の笑みで、萌え萌えキュンキュンと絶叫する。
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客観的に見ればそれは確かにおかしな光景かもしれません。
でもそこで、あれは事実じゃない、メイドなんて嘘だと分析したとて、一ミリたりとも人生は豊かになりませんよね。
そうじゃなく、ひとたびそのフィクションを受け入れて、そのノリに全力で乗っかってみる。
すると日常のしがらみが消え去って、最高に熱狂的な幸福を味わえる。
アドラー心理学を使いこなす極意もまさにこれです。
科学的な妥当性も気になるところですが、まずは人生をハックするための有用なフィクションとして思い切ってそのノリにダイブしてみる。
そうすれば、ただ外側から眺めていた時とは全く違う景色が見えてくるはずです。
今日の話を聞いて、自分もちょっとそのノリ乗っかってやろうかなと思ってくださったご主人様お嬢様は、ぜひ番組のフォローをお願いします。
SNSで感想をシェアしていただくのも大歓迎です。
皆さんの熱いフィードバックがこの番組を動かしていく一番の勇気づけになります。
さて次回の予告です。
ここまで聞いて鋭いリスナーの皆さんはこう思ったはずです。
なるほど、アドラーは人生に役立つフィクションを重視するんだな。
でもちょっと待てよ、それって極論を言えば、役に立つなら嘘でも信じればいいっていうことだよね。
じゃあそれって、高額な壺を買わせるような怪しい宗教と一体何が違うの?
実はそれ、めちゃくちゃ大事な問いです。
では、アドラー心理学は宗教と同じなのか?
このスリリングな問いから、私がこれまでの探究の中で行き着いたアドラーと宗教を分かつ明確な二つの違いについてお伝えしていきます。
アドラー心理学ラジオ第2回、お聞きいただきありがとうございました。
お相手は熱くてゆるいでした。
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