1. 佐々木正悟の自由連想
  2. AIの限界とは何だろう?
AIの限界とは何だろう?
2026-08-31 22:45

AIの限界とは何だろう?

AI には限界がなくなっていく。限界を作り出すという限界は存在できない。
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サマリー

本放送では、AIの限界について、その「万能性」こそがカウンセリングにおける限界であると論じられています。AIは24時間対応可能で、あらゆる相談に応じられるように見えますが、常に存在してしまう「不在」を作り出せない点が人間のカウンセリングとの決定的な違いです。頻度を上げることでAIとの違いが明確になり、人間のカウンセリングの重要性が浮き彫りになるという見解が示されています。また、現代における時間感覚の変化や、流派を超えた「野の医者」同士の連携の重要性についても触れられています。

近況報告とイベント告知
おはようございます。 佐々木正悟の自由連想をお届けします。
8月31日月曜日です。 8時37分ですね。
はい、あのー、なんていうのかな。
えーっと、暦ってすごいなと思います。 なんか猛暑であれ、異常気象であれ、涼しくなっている感じがしますよね。
9月が近づいてきたというのか。 なんかちょっと天気がどんより傾向にある。
まあこれは関東の話ですが。 あのー
やっぱ暦ってすごいなというふうに思いますね。 なんだかんだね。
です。で、えーっと、いくつかお知らせと、今日どうしても短めに切り上げなければならず、
短くて、そのぐらいでいいじゃんって思う方も絶対多くいらっしゃると思うんですけど、
こちらのコアな聴いてくれるリスナーさんが、みんなこの長さで長いほどいいぐらいだ、みたいなことをおっしゃってもくれるんで、
まあ、おおむね長い回、時々短い回が、まあ今日はね、用事があるから短くするしかないというだけなんですが。
えっと、 昨日ですね、
えー、
あれです。三崎一郎さんとイベント、セミナーしてきました。
あのー、戦略的無計画という本が、J松崎さんとの共著の本で、技術評論者さんからで、
あの予約注文できるようになっておりまして、もう書類も入ってるんですけど、あのー、勝間克代さんに帯書いてもらったやつですね。
こちらの本の反則を兼ねたイベントでした。
で、久しぶりに外の、要するに僕の主催とか僕のホームとか、タスクシュートとかではない、まあ3ヶ月チャレンジとかでもないののイベントをやって、
しかも、非常に、なんていうのかな、キュリアンっていう場所だったんですけど、会場がですね、合成だったんですよ。
久しぶりにこういう外でやって、多くの人がいらっしゃって、ハイブリッドでもあったんですけれども、イベントで落ち着くなぁと思いました。
大変楽しく過ごさせていただき、あの、石崎さんには感謝なんですけれども、そういったイベントをしてきて、
「3ヶ月チャレンジ」の名称変更とセッション性の強調
えーと、まあこれが告知ですね。合わせて名前、3ヶ月チャレンジの名前を改称して、3ヶ月セクションでいこうと思って、セッションで、セクションじゃないですよ。セッションでいこうと思ってます。
つまり、まあ、中身は何一つ変わらないんですが、3ヶ月期間に渡り、毎週1回の個人セッションをやると。
このセッションが、まあ普通の使い方をするなら個人面談とか、もっと進むと、つまり心理臨床ってことになるでしょうけど、治療ではないから、臨床とか面談とかではない。
まあ面談はね、絶対治療でだけ使う言葉じゃないですけどね。例えば、あの、受験生とかも三者面談とかしますから。
ただ、心理臨床の世界では面談ってよく言うんですよね。3ヶ月面談なんですけど、3ヶ月面談だとなんか塾みたいですから、3ヶ月セッションでいいかなと思っております。
で、中身は変わらなくて、毎週土曜日のグループレクチャーとグループセッションがあるわけです。
特にこう、今はグループレクチャーの方に結構気合入れておりまして、まあその後、1時間弱のグループセッションもありますから、結局変わらないんですけど、中身は何も変わらないです。
名前を変えて、より強くセッション性を打ち出していこうというふうに思っております。
頻度を上げる意義とAIとの対比
昨日、キュリアンでもですね、あの三崎さんのイベントの中で、このいかに週の頻度を上げるということが少なからず重要かという、もしかするとですね、私しばらくそういうムーブメントに頑張るかもしれないなと。
今どんどん頻度下がってるんですね。精神分析ですら週4を週3にしてもよろしいのではないかという、これは国際的な議論があるらしいんですよ。
知らないですけど。国内ではもう心理カウンセリングというのは、そういうコーチングコンサルタントみたいなのでも、月1回っていうのが結構主流になりつつあるみたいな。
各週から月1回とか、毎週っていうのは結構好頻度すぎるのではないか的な話があるらしいんですよ。
聞いたところではね、私の週2回以上とか歌っており、最大週6回と歌っておりますけど、それがもうなんか土余めかれたみたいなところがありまして、昨日ね。
あ、そっかと。頻度を上げることの意義というもの。なぜ頻度を上げるということ自体に意義があるのかということも、私は訴えていってもいいんだなということをやってるわけですから、改めて確認したということなんですね。
いや、そんなに驚かれるとは思わなかった。いや、確かに驚く要素は多々あるんですけれども、考えてみると。
いやすごい多いでしょみたいなことを言うぐらいな感じはあったんですけど、そんなにみんながそこにインパクトを受けるということなんだな、のほどのことになるんだなと。
それやっぱり月1回と週6回じゃもうめちゃくちゃ違うんで、何、24倍くらい違うことになるわけですよね。
私はその、もちろん月1回のやり方ってあると思うんですよ。今後私はそういうのをやろうと思ってるというよりは模索していき、週1回ですよね。いわゆる精神分析とは言えない、精神分析の名前を使うならここは精神分析的心理療法と言うんだけど、
それも精神分析的とすら言ってどうなのかみたいな議論って絶対起こるんですよね。
私はそれは精神分析的と呼んで絶対いいと思うんだけど、あれはつっても受けたことあるんですけどそれでもね。でもあれは精神分析的というのは絶対いいと思うんですけど、
ただ週に1回が少なすぎてもはや違うものなのではないかという議論はあるのであればやっぱりそこは追っていかなければならないと思うんですよね。
なんでこれでも効果があるのかっていうところに、すなわちなぜ精神分析には効果があるのかということがあって、そして昨日の一つのテーマにしたそれはなんでAIじゃダメなのかという話にも関係が深くあると思うし、
これから当然個人的な悩みの相談先はAIで十分だという話になるはずなんですね。それどころではないっていう話を昨日三崎英一郎さんがされていて非常に説得力があって、
おっしゃる通りだなぁと思ったんですよ。ただそれは心理カウンセリングとAIって話ではなく、もっぱらそっちの話をしたのは私なんですが、
ここんところをですね、なぜAIでは無理なのか。私はもうAIでは基本絶対無理だと思っている口なんです。なぜかというとAIは週7日24時間体制でできますよね。
ここに大きなポイントがあるんですよ。そんなにAIにね、悩みの相談というかずっと話しかけるなんて私ぐらいなもんだと思っているわけですけど、私はね。
でも理論上できるわけですよね。この理論上頻度を圧倒的に増やすことができるというAI、一方でどんどん個人のカウンセリングの頻度は下げてもいいんだという風になっている風潮、
この2つが全く逆の方向を向いてるじゃないですか。AIは精神分析どころじゃないわけですよ。週7日24時間体制で見守りますみたいな。もはやほとんどあるソックなわけですけど、一方でその
人間の臨床は回数をどんどん減らしていく。月に1回っていうところが議論されている。この分裂ですよね。非常に興味深い分裂で、私はここのところに実はAIの限界がむしろある。
AIの限界:常に存在する「不在」の不在
これ以上頻度を増やせないところまでAIは増やせる。この万能的って言うべきだと思うんですよね。この番組を聞いている方はこの言葉で何なくわかっていただけると思うんですけど、この万能的なところこそがまさにカウンセリングになりにくいところの一つ。
一見全部やれるんですよ。夢分析だろうと夢解釈だろうと。お悩み相談はもちろんのこと、CBD的に解決策を行動的に評価したり、あるいはアドバイスを直接コーチング、コーチング知りませんね。とにかくアドバイスを直接出すということももちろんできますよね。
人生相談もできます。なんなら宗教的な存在にもなれるでしょう。かつ友人のようでもあり精神分析家にもなれるんですよ。しかし私はまさにそこにむしろ問題があると思うんですよね。このフレームがなくなってしまう。しかも全く逆の意味で。つまりフレームないということは存在してない、不在だってことなんですけど、AIは常時存在することによって不在になっていくんですよ。
これが精神分析の言葉を今使いまくって説明を展開したんですけど、これを精神分析概念抜きで説明するのは厳しいなっていうのが私の思うところなんですね。だからこれをまず精神分析的に説明しようと思うんだけど、それに需要があるとはあんまり思えない。
まず精神分析にそんな説明を聞きたいわけじゃないっていうのと、AIが心理カウンセリングとして有効でないって話もあんまり聞きたくない人はいっぱいいるだろうということで、また細々としたムーブメントになりそうだなという予感がしているわけですが、でもこの話はしていく価値は私の中ではあるんですよね。
精神分析に意義があるというよりは、AIではできないことがある。それはAIに逆説的なことなんですが、できないことがないからなんですね。人間にはできないことがあるんですよ。24時間耐性とか不可能じゃないですか。寝ずに頑張らなきゃならない。ここに非常に重大な問題があるんですけどね。
まあそういうわけです。だからこの限界が一見ないところに限界があるという。もちろんそのAIの言語理解力と表現力にはそもそもまだまだできないことがないなんてとんでもないっていう意見もあると思います。でもこれは将来的にはですね、どんどん解消されていき見えにくくなってくる。実はその問題も最後までつきまとうと私は思うんだけど、でも見えにくくなることは確実だと思うんですよね。
シンギュラリティを超えるわけじゃないですか。あれは一体人間の知性をどこに置いて何を超えたということを言ってるのかがいまいちよくわからないんですけれども、まあでもシンギュラリティを超えるにせよ超えないにせよ、人間の知性の限界ギリギリを近づくか突破するか違うものになるかは起きますよね、100%。
そうなった時に、でも、しかしながらそれは言語理解力と言語表現力ということをあまり疑われもしないだろうし、疑う奴はアホだと思われるでしょうけど、私は疑うわけですね。
で、しかもその上にできないことがないというできないことがあるわけですよ。できないことを彼なり彼女なりに要求することは不可能だっていう問題が。
身体性の問題とか顔がないじゃんとかもいずれは解決される。いよいよそうなってくるとわけわかんなくなってくると思うんですけど、でもそうなればそうなるほどAIは不在ということができなくなるんですよね。
不在を人工的に作り出すことはできるかもしれないけど、それは誰もが知ってる通り不在がAIの限界を意味してはいない。ここが大きな大きな大きな私からするとですね。
不在がAIの限界によるものではないということ。AIの限界はそっちじゃなくて常に存在してしまうということ。
求められれば常に中部差があるという問題を実地でやってしまうんですよね。それは特にユーザーさんが万能空想から抜け出せないという、あるいは自己愛的万能感というもの自体がその人にとっての苦しみを生み出しているという時に、
解決の糸口さえ与えられなくなってしまうという、結構恐ろしいなって考えてみるとなかなか恐ろしいなという問題なんですけれども、問題なんですよ。
トークンの限界と貧富の差
もちろんそれは何らかの形で手当てされるはずだし、それこそオープンAI社をはじめとしてマイクロソフトでもグーグルでもいいんですけど、考えといてよねっていうか考えられるよねそのぐらいはと思うんですけれども、
簡単に言うとトークンの限界があるからね。でもそうすると貧富の差でしかなくなってしまうんです。それは結局お金さえあれば、それは今でもそれに限られるに近いかもしれませんが、お金さえあれば我々は自己愛的万能空想をほぼ完全に満たし得るために、だからそういう障害っていうのが僕はあると思うんですよ。
あまりにもお金がありすぎる。言ってみたい。あまりにもお金がありすぎるために、ある種の精神的な苦悩から抜け出せなくなるという。言っていて、でもあまり同情できるなっていう人も少なからぬいらっしゃると思います。私は同情はしますけれども、でもまあ程遠い生活を送って、生活に僕は物質的不満とかは別にないんですけど、貧血っていうのはありますよね、そうは言ったって。
セッション回数券の導入と時間観念の変化
税金とか払うんだって、別に税金払ったからってね、最近税金払うとお肉くれるところもありますけど、何もくれないんですからね。まあまあそれは良しとしまして、えーと、なんだ、そう、そういうふうに思うわけですね。で、うーん、まあだいたいもうそろそろ切り上げなければならないお時間が来つつあるわけですか。
そう、私がこれでずっと考えてきたのは、えー、例えば、グループ、グループじゃない、3ヶ月セッションというものにさらに拡張して、3ヶ月はやめにしてですね、もっと短い期間のセッションを、まあもう名称はどうでも10回セットみたいな、要するに回数券ですよね、セッション回数券みたいなものを、まあ名称は作ってもいいと思うんですけど、用意して、そこでこう、なんていうのかな、もっとさらにこの、
えー、私という、私のセッションですね、私と私のセッションを自由に使っていただくという、お試しでもあるんですけど、自由に使うっていうのはお試しでも当然ありますよね。
まあお試し回というのは、まあ10回セットとか5回セットになるのかな、っていうふうに思うようになったわけですよ。まあ、だから頻度はどうでもいいわけです、そういう場合は。それこそ月1回とかにしていただいて10回に2とかでも、まああの、いいわけですよ。
そうやって、セットのお試しとか、セットのなんか習慣化にしたいとか、そういうふうに、まあ自由に使っていただくと。
自由に使っていただければいただくほど、私は慶長に慶長にと向かわざるを得なくなると、慶長っていうのかな、慶長というと、今私、天位っていうのはビジュアライズに起きるものだっていうのをすごく感じるんですね。
だから黙ってそこに2人で座っていても、もう天位みたいなものは、私は天位というものを積極的には起こさないぐらいなことを、最後の新聞説じゃないっていうところからね、暴かってるわけですけども、それはもうお溜め誤化しと言いますか、
えーと、なんていうのかな、ごまかしではないんだけれども、でもまあごまかしに限りなく近づいていくんですよね。そんなことは言ってるだけだろうっていう。
治療でないのは治療でないんだけど、天位は、天位を扱わないとか、なんかね、ポストの話でもすごいその辺が微妙だなと思うんですよ。天位を積極的には扱わないとかね、何が言いたいのかはよくわかるんだけど、それは専門家の言ってることであって、一般的には何の意味もないことになっていかねないなと。
ある程度の理解がある人にしてみると、ますますなんか無駄なこと言ってんなみたいになるんじゃないかなと、いやわかんないですよ、それは。流派や学派や思想性や立場、ポジションによって、ここの意見は絶対一人、それこそ私一人一人全員違うなと思ってるんですよ。正直。温度感みたいなことを言うと結構ばらけてるんですよ。
統一的な見解があるんだよっていうのはわかりますよ。天位と抵抗を扱うのがあって、フロイトは言ったっていうのは、それは言った。でもやっぱり時代が違うっていうのも確かじゃないですか。鏡龍二さんっていうスピケの人がすごい面白いこと言っていて、今日本の家屋の一軒の中には、中世の町全体が所有していた時計仕掛けというものと、同数かそれ以上の時計仕掛けが既にありますよね、スマホには時計あるし。
大体は全枚仕掛けじゃないでしょうけど、腕時計の数、スマホの数、要するにそれから自律で動いている炊飯器とかにも時計が付いてますもんね。
この時計に取り囲まれた現代人が中世の人と同じ、星の運行とか時間観念とか暦の運行ですよね。
を持っているはずがない。彼はただそういうふうに書いてるだけなんだけども、そうなんですよ。時代は変わるんで。
「野の医者」同士の連携とAIカウンセリングの限界
フロイトがブルジョアのヒステリーを相手に仕事をしていた時代とは、どれほど彼が先見の目があっても、今は全然違うことは確実だと思う。
まして私はブルジョア人を相手にして仕事をしているってわけじゃないので、そんなにお安くはないとはいえですね。
ブルジョア人を相手にする。ブルジョア人っていうのは単に金持ちだって意味じゃないと思うんですよ。
ほとんどの人が食うに困っている時にもあのマスクメロンを食えるみたいな、それはあの、なんだっけ、えっと
ほら、あの人だよ。これを忘れるからな。まあいいや。ということで、話せばわかるって殺された51号の人の娘さんが書いてたことですね。
孫娘さんか。
で、そのように考えてみた時に私は、この中には野の医者のための野の医者。これ相互にやるのがいいと僕は思うんですよね。私は昔っていうか以前に
暮らさの慶忠さんのGood Vibesにお世話になった時に思ったことがそれだったんですよね。当時よぎった。今も時々よぎります。
なんていうのかなぁ。 流派が違うのは当たり前なんで野の医者同士っていうのはもう。でもよーく考えてみると
いわゆるスーパーヴァイズだって結局信念は違うはずだと思うんですよね。で、信念に口出さないと思うんですよ。
松木くにひろさんがスーパーヴァイズについてちょっとしゃべっていたところを聞くと、基本的には死の弟子じゃないんだよみたいな。
対等なんだし、終わったら忘れてくれるのがいいぐらいなんだみたいなことをどっかでおっしゃってたんですけど僕も
だいたいそういうふうに、精神分析みたいに都定制度みたいになっているところですらそれを言うということは
野の医者には僕は本当は全体必要だと思うんですね。流派同士の方がそれはいいとは思いますよ。
Good VibesがGood Vibesの人のスーパーヴァイズもするとか、それこそ香上隆二さんのような、わかんないですけど
精神術の人が精神術の人のスーパーヴァイズするっていう方がなんかいろいろとスムーズな気がするんだけど
精神術の人のスーパーヴァイズを私のような精神分析崩れの人がやるみたいなのはどうなのっていう感じが崩れっていうと
方々から怒られるかな。精神力度崩れにしておきましょうか。 どうなのって過度かもしれないけど、いないよりはマシだっていうのがこういう時に聞いてくると思うんですよね。
いないよりはマシだと思うんですよ。 私、さっきのAIの話でも、AIにカウンセリングは無理だって話じゃないですよ。
でもあれは人間のカウンセリングを最終的にはだいたいできないと。 これによって取られちゃうカウンセラーの人は残念ながらいらっしゃるかもしれない。
それは力量というよりは商売能力の問題のような気もするんですけれども。
でもAIってタダじゃないじゃないですか。 24時間で面倒を見てもらうということを確立してしまうような人は、やっぱりそこでは何ともしきれないっていう部分が
どれほどシンギュラリティを超えようとなんだろうと必ず出てきてしまうというふうに、私は原理的に信じているわけですね。
なぜなら不在がないんで、AI。 その
トークンを買い切ってしまってもすぐに課金ができてしまうような人にとってほど、この問題は原理的にある種の
無限限界みたいになってしまうわけですよ。 まあそれは実際にはその手前の段階にあるんですけどね、私たちは今まだ全然と僕は思いますけれどもね。
私はだからその本格的な意味でのお悩み相談をAIとかにやっぱりしてないっていうのを自分でよく、あの見た目はそうじゃないですよ。
見た目は多分すごい本格的に相談してるし本格的に答えてくれるよね。 別にこれでいいよねって言われると思うんですけど、そうじゃないことは私がじゅうじゅうよく
わかってるわけですよ。これによって本当の意味で私が得たトラウマみたいなものを癒せるのか、それは無理だと。
そういうものではこれは全然そういうふうに設計されてもいない。 今のところは。
だからそれはしょうがないことなんですよということですね。 でまあ今日はこれぐらいにしておきたいと思うんですけど、こういうことを今無双しながらセッション中心というもの。
そしてなぜ頻度を上げていくということ。 そして頻度を上げれば上げるほど実はAIと心理カウンセリングってのは本当に違うんだなということを
痛感させられる。今時流行らないのはわかるんですよ。 でもだからこそ私は、だからこそ今心理カウンセリングは
メインで流行ってるやつですね。私みたいなこのすごいアウトサイダー的なんじゃないやつでは一般的には頻度を避ける方向に全世界的に向かっているということ。
それは
AIがカバーしてくれるっていうある種の万能空想を当てにしているからなのではないかなと思います。
まあ家に万能空想を見るのは僕だって見ますよね。それは当然です。
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