ああいう話を非正規の人間もしてみたいぞというか、まあしてみたいわけですよ。
さらにそれに興味を持ってくださるという方がいらっしゃったら、ぜひご参加いただければと思います。
参加した方は、私と基本的に、正義の方もいらっしゃるかもしれないけど、基本的にはどなたでも参加できますし、
議論にも加われるという意味でですね。なんなら雑誌にしたっていうわけだからね、別に。
臨床心理学士っていうわけには絶対行きませんけれども、勝手に雑誌作るのは構わないわけですから、
そういう意味でもご参加いただいて、大いに参戦していただけると、すごい嬉しいと私は思います。
で、その前に9月の24日直前ですね、日にち的には、私と松崎さんの協調、
戦略的無計画という本が出ます。これも書籍非常に好調なようなので、
ぜひ、ちょっと一言言っておきますと、この戦略的無計画っていうのは僕にとってはですね、
普通にやってることとも言えなくはないわけですよね。私ほとんど計画って立てないので、
タスクシュートやってるだろうって言われるかもしれませんが、タスクシュートにあるあれは計画でもなんでもないので、
あれは勝手にリストがアップされてくるだけのものなんですね。
だから、でもタスクシュートに乗っかっているということは、計画らしきものが、まあ無計画にですけど乗っかっているということは、
戦略的ではあるわけじゃないですか。結局タスクシュートを使うという一大方針を持っているわけですから。
というわけで、ある意味ではそれはまさにそういうふうに私も日々過ごしていますということです。
なので、タイトル的にはですね、私が日頃普通にやっていることでもあると。
お手に取っていただければ、主にというかほとんどJ松崎さんが書いてくださったので、非常にタッチとしては読みやすくなっています。
私が書くとですね、どうしても理屈っぽくなりますから、この番組聴いている方は皆さんご存知の通りです。
私が変にシャシャリ出ない方がこれもいいだろうというところもありますが、
とにかく私がシャシャリ出ていくと、どうしても理屈っぽく、小難しくって皆さんおっしゃるんです。
私はこれが難しいとはとても思ってないんですけれども、それは皆さんの方が、これを聴いている皆様の方が僕より頭いいと思うんですよ。
だから私の言うことなんかが難しいはずがないみたいに僕は思うんですけれども、
一方で僕は難しいことを難しく言うのは簡単なんだっていうやつで、
難しいことを優しく言うっていうのは非常に無理があるなって僕なんかは思うんで、
努力はしますけど、限度があるなっていうか、違うことを話すことになってしまう。
静止分析も優しく話せるならとっくに頑張ってるっていうか、自分はそんなに難しく話してるつもりはないんですが、タスクシュートもですね。
難しく聞こえてしまうというのはやっぱり基本的に見るポイントが違うとか、
こだわってるところにこだわっているとかその逆とかいないとかね、そういうことが関係あるんだと思うんですよ。
例えば私タスクシュートというのは、説明するとなるとですね、一番シンプルに言うと、
例えばこのポッドキャストはさっき7時57分に始めました。
8時半ぐらいに終わるとちょうどいいかなぐらいに思ってるけど突破するかもしれませんが、
いずれにしても8時半に終わりました。
で、ポッドキャスト収録7時57分スタート、8時半終了と。
これを言うならばタスク形式でスタートし、ログ形式で終了するのをひたすらに繰り返す。
で、嘘のないようにするだけなんですよ。
こう言うと、この話それ自体を理解できないって人はあんまりいらっしゃらないと思う。かなりいない。
ほとんどいないと思う。
でも、それが何になるんですかと直ちに問われることによって、結局よくわかりませんと言われることになるわけですよ。
で、私はそれはその人のこだわりがこれの理解を妨げることになるんだろうと思うんですよ。
こう言うと失礼かもしれませんが、しかしこれが何になるかを先に知りたいというこだわりというのか欲求というのか、
当然の願望かもしれませんが、皆さんお持ちのこれをするとどうなるのっていう。
で、私はその話してないじゃないですか。
なぜならタスク主導とは何かというときにタスク主導とはこういうものですと言っただけなんですよね。
だからここをまず理解していただかないとこうやるものなんだなっていうところを、
そしてそこには追記して言うならば20年間それをやってきましたという背景があり、
時間のことで私は今まあ困ってませんということもあり、
人並みには忙しい50代ですということもあるわけですね。
これらの事実を合体させていった先に、合体させていったというところをまず踏まえてほしいということなんですよ。
一見したところ、これをやるとどうなるのかというのを上手いこと記述してもらえると良いことがあるように思うじゃないですか。
ところが私はそれは全くそんなことはありえないと思うんですよ。
これをするとどうなるのかを言葉で記述されたからといって、
それをして同じ人が同じようになるという保証にはなってないと思うんですよ。
言葉というものは現実そのものでは絶対にないわけですから、
現実に届いていない部分があるわけですよ。
それをやられるということ自体がダメですよね。
だけれども、これを何とかダメじゃない形でやる。
それを繰り返しているうちに、ある事態に対して、
ベータ要素からアルファ要素に変えられない事態に対しても、
部分的に変えられるようになっていくのではないだろうか、
という多分仮説が精神分析にあると思う。
これが全てではないけど、あると思うんですね。
これってどういうことかと言いますと、
最初に二人は精神分析なり心理カウンセリングなりで
遭遇するのはベータ要素なんですよ。
分からないことってよく書かれているのはそれなんですよね。
二人にとってこれを無意識の夢思考に変えることもできない。
したがってそれについて意識的に考えることは当然できない。
何も思い浮かんでいないから。
さらにそれについてコメントするなんてことはましてできない。
何かコメントすればおそらくトンチンカンなことを言ってしまうか、
関係ないことを言ってしまうことになるわけですから、
つまりこの分からないものを二人が前にしてみたときに、
大いにただひたすら思い悩むことになる。
これを多分私はネガティブケイパビリティというんだと思うんですね。
だから最初に発揮するところはそこからになっちゃうんですよ。
ネガティブケイパビリティを発揮する。
これはちなみにキーツとかいう詩人の言葉だったと思います。
ビジネス界に登場してきた言葉ではないです。
それをさらに精神分析家のビヨンが着目して引っ張ってきたんです。
それを心理カウンセリング一般で使うようになり、
ビジネス書の世界にも割と登場するようになったという流れなんですよ。
多分ね。
この分からないものを前にするという恐怖がそもそもあるので、
これはほとんどホラーなので、分からないって言っても何もないわけじゃないので、
非常に不愉快であったり、
そうですよね、だって自然には言葉に直んないんで、
ザーッと雨が降っていますっていうような情景ではないんですよ。
なんかこれから大変、
私の手に負えない事態が紛糾しそうな予感がするみたいな、
せいぜい良くてこのレベルだし、
ものすごく嫌な感じがするっていうことが起きる。
ベータ要素っていうのは何でも大々そうです。
高所恐怖症者にとっては高所に連れて行かれるようなものなので、
非常にだからそもそもその事自体が起きるっていうことに問題があるわけですよ。
問題があるというか、非常に恐ろしいのであるわけですよ。
手に負えないというのがまさに手に負うっていう、
手に負うのが母親なんだと思う。
ホールディングってそういうことだと思うんだけど、
手に負えないんですよ。
だから自分の心の中の母親が放棄してしまいそうだっていう事柄なんですよ、これは。
こういう事態に際した時にそれを言語化するとかってナンセンスじゃないですか。
一番我々にとってまずネックになっているのは、
あとこれはもう僕の持論で、ここだけに近いぐらいな、
これは下手なところで書いたりすると炎上する案件なんで、
どっかで炎上覚悟でやるべきなのかでも、
そういう万有を振ると大体ろくなことが起きないんでですね、
私はやっぱり慎重に行きたいと思うわけですが、
多くの我々の時代にとってこのネガティブケイパビリティのベータ要素の遭遇なので、
まず一番何が引っかかっているかというと、
これはもう我々の生きている時代と、
我々側に施された徹底的な学校で習ったという意味ではない、
学校ではもちろん習うんだが、
大きな力として答えが先にあるんだという考え方があるんですよね。
これはスピリチュアル界まで覆っているんで、
本当にこれにだから逆らうというのは灯籠の斧、いいところなんですよ。
灯籠の斧ってカバキでね。
本当にですね、先進分析というのはもはや無謀な挑戦になってきたなと。
答えは決まってなきゃいけないんですよ。
医療におけるインフォームドコンセントですよね。
だってインフォームドコンセントはやらなきゃダメでしょ。
違法に近いですよね、それを求められているのにしないって。
どうなるか分からないけど手術しますとかダメじゃないですか。
でも分からないものを前にしているのにどうなるか分かりますっていうのは疑問じゃないですか。
分からないものを前にしないんだったら悩まないんですよ、結局。
本当の意味で分かってるんだったらおそらく我々はそれについて悩まないんですよ。
悩むっていうことは、一番分かりやすいのが食べ物、しかも好きな食べ物ですよね。
これ何だろう、口に入れてみようっていう人はかなりまずいじゃないですか。
やっぱりこれはおにぎりだ。だから絶対大丈夫だ。
ほとんど何もそんなこと考えずに口に入れますよね。
それが悩まないってことであり、それは分かってるってことなんですよ。
なんかこのエタイの知れない虫だか生物だか爬虫類だかの死骸で半分腐ってるような
でも何だか全然分かんないけどとりあえず口に入れてみよう。
しないじゃないですか、絶対にそういうことは。
我々はβ要素というものを前にした時の衝撃ってそういうもんだと思うべきなんですよ。
食卓にこいつが降ってきました。どうすんだこれみたいな。
手に負えないでしょ。だからこの手に負えなされの遭遇という問題について分かりませんと。
ここからスタートなんですよ。
でも一切地は雨を見ても分かんないわけですよ。
なんかすごいことが起きている。
そんなにβ要素じゃないかも。でもβ要素だと思いますね。
恐怖の対象ではないかもしれないが、やっぱり未知との遭遇なわけですよね。
少なくとも何であるからどうするっていうことが分かってるわけじゃない。
分かってるのは親ですよね。
ここに大きなポイントがあるわけですよ。
分かっている親はどういうことをしてくれるのか、どういうことを言い出すのかっていう。
これが内在化された母親。私たちが母親として内在化する。
だから未知との遭遇が起きてしまったときには母親機能が要するに停滞するんだけど、
だからここで二人が、もう一人の人間。
つまり願わくば全く同じ事態に陥らずに済む人が登場しないと困るわけですね。
だからカウンセラーとクライアントさんが二人して高所恐怖症で
サンシャインのてっぺんでカウンセリングしたらアウトなんですよ。
それはダメですよねやっぱりね。
二人ともただただ怯えてしまって、いや大丈夫ですよとか言ったって、
全くどうしようもないじゃないですか。
大丈夫でもなんでもないじゃないですか。
そのようなことにならないように多分精神分析というのは余れているというか、
セッティングされている。
ただよっぽどのことがない限り、
持ち込まれているものと全く同じことでパニックに陥るようなことはないわけですよ。
そしてある程度カウンセラーの方は、
自分が何に脆弱性を強く持っているのか知っておく必要があるわけですね。
もし持っているならば。
それが訓練分析と呼ばれるもので、
結局だからやることは精神分析か精神分析に受けなきゃいけない。
そういうことなんだと思うんですよね。
それによって高所恐怖症を克服するというのはないですよ。
自分には何が降り注いできてはアウトなのかを事前に知っておくということですよね。
ここでも事前に汁が出てきますよね。
こうして私たちはですね、精神分析の世界ですら同じなんですが、
あらゆることにインフォームドコンセントが効くかのように思い込んじゃっているところがあるんですよ。
これが僕は、だから私は精神分析的ビジネスコンサルなどというものをやっているわけですが、
いやいや、仕事の世界だろうとビジネスの世界だろうと夫婦関係だろうと、
ベータ要素はそこら中に溢れているんだよと僕は言いたいわけですよ。
何かさも近代的オフィスでピカピカしている大学の建物みたいなところに行けば、
あらゆる問題は最初からアルファ化される直前の状態になっていて、
遭遇したものは自動思考がどんどん働き、
それについて意識的に明快で知的な思考を働かせれば、
仕事はスマートにさばかれていくという、そういう幻想があって、
この幻想が強力すぎて、必ずと言っていいぐらい私は、
ビジネス界の物知れやかさみたいな扱いを受けて、
佐々木さんこういう場合どうしたらいいのか、
またあたかも答えは最初から存在していて、
私がそれに対して答えればいいみたいに、
それをコンサルタントって言っているんだっていう、
そういうのはあると思いますよ、もちろんコンサルティングの中には。