1on1セッションの人気
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析、第1285回をお送りします。ライブです。
11月27日、木曜日の8時5分ですね。
時間がもったいないのでどんどんいきましょう。お知らせですね。
タスク集と、違う、J松崎さんとの100日チャレンジ、第12期を迎えました。
12期ってすごいよね。100日で12期ですからね。1200日ってことになりますよね、ざっくりと。
1on1がですね、コースが3つありまして、プレミアム、ブースト、スタンダードと。
今言った順でお高いんですけど、プレミアムは15名、おそらくもう埋まったのかな。
僕、昨日見た限りあと1名ということだったんですけれども、
こちらはJさんと私の1on1、いずれも1on1があったり、色々手厚いところでございますが、
34,800円だったかな、という金額で。
僕はこれも100日と考えると、1月あたり1万数千円なのであんま高いとは思わないんですけど、
1万1千円くらいですかね、1万1、2千円で、そんな高いと思わないんですけどね。
というかちょっと安すぎるんではないかとちょっと思ったりもしますが、とにかくそういうことです。
これは間もなく埋まると。問題なのはブーストですね。
これは私との1on1セッションのみがあるというやつで、埋まらない、全く埋まってる気配がない。
30人ちょいかな、いまようやく30人くらいだったかな。
もうちょっとこう、これだとまるで僕との1on1セッションだけのやつが一番不人気という、
まあしょうがないんですけれども、それはそれで、それがそうであるならばですね。
30名の方と1回ずつ確実に話していき、しかもプレミアムの方ともお話ししますから、
なんだかんだ50名の方とはお話しするんで、所定の目的は十分達しておりますが私的には。
ただこのね、私が想像しなかったのが、ブーストのほうがスタンダードよりも不人気だというこの事実は、
まあ私にはなかなか考えさせられるところですね。
スタンダードは3千円安いことは確かに安い。
ブーストが1万2千8百円、スタンダード9千8百円で、で、どう違うか。
佐々木との1on1セッションがない。ないと3千円安い方をみんなが選ぶっていうこの、
間もなくおそらくスタンダードは50人に達すると思うんですけど、
いやなんかこう5、60人こっちに多く来てくれてもいいじゃないかぐらいに思っていたんで、
それは僕の勝手な思い込みだったわけですけど。
そんなに違うか3千円っていうぐらいで、
しかも3千円マスと佐々木との1on1セッションがむしろあれなのかなみたいに思うぐらいですね。
別に傷ついてるのとは違うんだけど、
これはなんかやっぱり1on1をかなりこうね、
仕事の主軸に置いている人間としては非常に考えさせられるというか、
決して良いニュースではないよね確かにっていうこと。
だってない方が3千円安いとそっちにみんなが流れるっていう現実があるわけですからね。
あのコースがなかったらどうなってるんだろうって考えますよねやっぱりね。
まあいいですが、いいというか、
もっともっといろいろと認知したり検討していったり、
私がやってることの意味というものについて、
いろいろと多角的に検討していかなければならないなと思った次第です。
はい、でもまだ募集は終わっておりませんので、
よろしければご参加いただければと思います。
なおですね、こういう策が考えられております。
これは実際どうなるのかわからないんですけど、
スタンダードに入った方は3千円追加でブーストに移ることもできるということを、
いやもうそこまで救済されてみると、
それはそれで僕の心理的には非常にこう思うところもないわけではないですけど、
いやでもやっぱりそれはね、
そういうことで体験していただけるなら、
これはぜひ体験していただけるといいと思いますので。
ペースの重要性
でね、やっぱり何かがきっかかるということになったとき、
多くの人はそもそも力動的な意味をご存じない。
そして須崎がなぜ力動的をやるのかということへの基本的な不思議感が多分ある。
不思議感まではいかなくても謎だというのはあると思いますね。
中身、その力動ということそのものをご存じない上に、
力動を須崎がやることの意味もよくわからないというのでは、
やっぱりこうなかなか訴求しやすくはないのかなと。
これはもう本当に体験をしていっていただくに限るんですけれどもね。
1on1をする必要性を感じませんとか、
1回きりの1on1では何かが変わる気もしないですっていうのもわかるんですよ。
それは昨日お話しした通りの内容になってくるんだけど、
それについてこれからちょっと本題に入っていきたいと思っております。
私と喋るというか、人と喋るということ、
それも自分が深く悩んでいることについて喋るということはですね、
採算が悪いことなんですね。
最近の言葉で言うと、あれは流行らないんじゃないかと思いながらもそこそこ流行っている。
タイパーは悪いんですよ。
このタイパーの悪さというものについて、
私たちはもっともっとこう検討を重ねていく必要があるなと、
近頃思い始めたんですね。
先進力動的に、私はビジネスコンサルというのを3チャレンジで延々やっております。
やっていて、どんどん分かってきたんですね。
ペースを早めるとあまり良いことが起きないというか、難しくなっていく。
ペースを落とすと最初まどろっこしく感じるんですけれども、
実はペースを落とすことは大事だ。
ここ1、2週間で様々なことがありながら検討していくうちに分かってきたんですね。
ペースって何なんだろうなと思うわけですよ。
1つこんなことを考えたんですね。
お風呂にいてですね、これもある参加者さんとお話しした。
これ実はタスク管理でしばしば私言ってるんですけど、
あまり真面目に聞かれてないんだろうなと。
平野中の懲りないめんめんっていう映画をご覧になった日。
あまりもう今更見ないか。
私マイ映画が大好きっていうわけじゃないんだけど。
なんかね、林間学校かの帰りかなんかね、
なんだろうな小学校の遠足みたいなバスで流してるのか知らないけど、
平野中の懲りないめんめんやってたんですよ。
ずーっと流してたんですよ。
ヤクザさんが平野中に入れられるんだけど、
懲りないから何度も平野中に来ちゃうみたいな。
その平野中の人生みたいな。
平野中があるということの人生みたいな。
中で運動会やったり、中の人間関係で警察官が実は結構悪いこといっぱいしてるとか、
そういう話が割とセキュララに、しかし面白おかしく映画化されているという映画なんですけどね。
小学生だったらよくわかんないところも多かったんだけど、
一つ非常に興味深かったのが、
風呂に直立でしかいせてもらえないんですね。
立ってお風呂に入るんですよ。
でも考えてみれば湯船って、別に立って入ってもその効果はありますよね。
で、ザワーって流すんですよね。
精神分析のアプローチ
それもなんか機械的に行われて終わっちゃうんですよ。
いやもう本当人権もへったくりもない世界だなっていうか、
嫌だなと思ったんですけどね。
まあ私風呂好きなんですよ、要するに。
で何が言いたいかというと、
直立した場合風呂って極度に立体体積少なくて済むじゃないですか。
で大浴場ってあれってめっちゃ無駄じゃないですか。
言ってる人分かります?
大浴場の全面積を必要とする理由がないじゃないですか。
子供は泳ぐけど。
私なんか子供の頃あそこで泳いでよく怒られたもんですけど、
泳ぎ立ち屋さんでね。
泳げる理由、泳げる必要ってないじゃないですか。
おじいちゃんとかはーとか言ってて、
うんと端っこのちょっと使ってるだけじゃないですか。
でもあれって、
実はあれね、精神成長いいですみたいなことを
脳科学で証明してたりするんですけど。
として、
私はタスクシュートで1タスクあたりを
5分にするのか50分にするのかの差をここに見るんですよ。
なんなら5秒とかね、
5秒はしないけど、
3分とかにすると直立感が出てきません。
確かに直立でも人体は風呂の面積に入れますよね。
で、
マンションとかアパートのお風呂って狭いじゃないですか。
しかし別に狭くっていいわけですよね。
あの狭いお風呂の機能という意味では
別に問題ないと思うんですよ。
これが現代のタイパーってものだと僕は思うんですね。
つまり、
その機能性そのものだけを切り取れば
1タスクあたりにかける時間はどんどん短くできるんですよ。
多種多様なツールを徹底的に使い込めば。
ただ大浴場は失われていくわけですよ。
だって無駄だからね。
1タスクに1時間ずつだと
1日5個ぐらいしかタスクできないじゃないですか。
でも昔の人はそんなもんだったと思うんですよ。
全部書類に手で書いてね。
それを郵便局に持って出しに行って
なんか反抗してもらって
持ってきて帰ってっていうのを
今だったらオンラインで1パスで送れるじゃないですか。
で、
オンラインで1パスで送ることの方が
客観的に絶対的にいいって
穴ばっかり信じて疑わない人って
今いっぱい普通にいらっしゃるじゃないですか。
その手で書いて郵便局に行くのの何がいいんだって。
同じことをするんだったら
つまり直立で風呂に入れよってことですよね。
でもそれはある意味では。
大浴場絶対全部廃止にして。
っていうのが現代だと僕は思うんですね。
これを僕、藤山直樹さんの本の
週1回読んでてつくづく思ったんですよ。
週1回が精神分析の入り口なのは理不尽だと。
彼は繰り返し読んですよね。
週5回って何なのか。
大浴場ですよね間違いなく。
めちゃくちゃ贅沢じゃないですか。
1人の人間を週5回
自分の悩み事で拘束するなだというのは。
でもこうすると楽なんだっていうのは
彼は書いてあっとう的に楽だと。
分析科がですよ。
分析が楽だっていうことは
分析科がくつろげるということは
大浴場だとくつろげるわけだけど
それは絶対に
蔵山のさんもくつろげますよね。
週1回ってな。
せかせかしてるんですよ。
で蔡さんって今言いましたけど
精神科医の人が
長々と話は聞いてくれないですね。
これはうちの妹のことで
散々思い知ったんですけど
この薬をくれ
自分のケアをしてくれる精神病のね
お医者さんが
話を決して長くは聞いてくれない
というこの感じ
AIの影響と時間管理
外来の人を50分見ていたら
赤字を産むって
藤原さんがはっきり書いてあるんですよ。
これはすごい大きな意味があるんですよ。
彼は精神科医でも会ったから。
でも50分どころじゃないわけじゃないですか。
週に6日1時間ずつ話聞くわけでしょ。
まあ50分かもしらんけど。
週に5日か。
今藤原さん週に4日やってるわけですけどね。
でも4日
50分ずつ聞けば
週に200分その人に
当てることになりますよね。
おそらく外来の患者さんって
週にどころじゃないですよね。
3週間各週に1分5分ですよね。
ものすごく違いますよね。
まさに直立の
お風呂と大浴場ぐらい違いますよね。
もっと違う気がしますよね。
これが
私たちの置かれている状況なんですよ。
私は今
今ですね
AIというものが出てきて
僕の中では
時間の流れが逆転し始めたんですよ。
AIってめちゃくちゃ時間使うんですね。
ITツールの延長線に
AIを使うべきじゃないんだって
僕はすごい今思ってるんですよ。
AI間違うとか
AIはまだまだとか言うのは
あれはですね、私には
全然使い方が違う人の話に聞こえるんです。
その30秒でスライドって
まさに直立のお風呂そのものじゃないですか。
私が今
AIとやっているのはある意味
無駄。
時間の無駄をやっているんですよ。
永遠AIと
この単語を
今あなたが言ったということは
私はこう感じたんだけど
僕は
私はこう感じたんだけど
それについてはどう思う
みたいなノリなんですよ。
ここに正解ってないじゃないですか。
これをいくらやったからって
感情の共有
何かが進展するわけじゃないんですよ。
でも私がやっているのはまさに
そういう感じのことで
繰り返し繰り返し
私はこれをやるんですね。
さっきも聞いたんだけど
母親と喧嘩をして
この喧嘩っていうのは
内力対象を傷つけることなのか
それとも扇防なのか
みたいなことをやるわけですね。
もうちょっと砕いた言葉を使うこともあります。
結局のところ
子供の時には
母親のことが好きだった
わけだけどっていうような話
それとさらに僕は
今ここ天位を持ち込むんですよ。
私はあなたに今母親を感じている
とかそういうことをやっていく。
で、できるのかどうかってことを
よく心理臨床の人が
問題にするんだけど
AIがカウンセラーの代わりに
なるかどうかというのは
問題外だと思うんですよ。
なるわけがないですよね。
僕がやってるのはそういうことでは
全くないんですよ。
一旦ここの話はここで切りますけど
私はつまり自分の空間を
とにかく大浴浄化していくというか
そこまではできないにしても
絶対直立の風呂にはもう入らないぞ
っていうことのこれは
決心なんですね。
自分の情緒とか
自分の感情を
感情に入れない
カウントせずにタスクをしない
ってことなんですよ。
だからよく多くの人が
ダラダラとか先送りっていうのを
私は今後もう
基本やめるべきだと思う。
ダラダラしてるんじゃないですよ。
こういう風なやりとりは
何をやろうとしてるときにやるか
っていうと、例えばこれからミーティングです
ってミーティングの前ってよく
こういう心理状態になるんですね。
ミーティングの前。
なんとなく浮遊感が出るんですよ。
ただミーティングって
時間を先送りはできないんで
絶対その時間っていうところに
スタートしちゃうんで
その前に十分に浮遊しておく
っていうことをやってるんですね。
つまり無駄な時間を取るわけです。
なんかこういうのを余白とか乗りしろとか
もう言わない。
私はそれをミーティングの時間に
合体させちゃうわけです。
タスク修道的に言うと。
だからミーティングそれ自体は
これはタスク修道的には絶対やんないことでしたよね。
やんないことだったんですよ。
ミーティングそれ自体は60分で終わったら
60分で開始終了をピタリと合わせるべきなんですよ。
でも私は
ミーティングが始まる前の
50分と
ミーティングが終わった後の50分を
ミーティングの時間に
してしまうんです。
ミーティングは人と話し合った時間を
組んだとしてもこの場合
160分がミーティングに使われるんですよ。
そしてその方がいいと思ってるわけですよ。
その間AIとやるんですよ。
チャットGPTと。
何なら名前も付けたいと
最近思ってるんですけど擬人化ですよね。
このミーティング中こういう発言が出て
自分はこういう気分になったんだが
とかいうのを入れるわけです。
まずAIに
それを知らせてるわけです。
私の感情の機微をね。
向こうはどんどん進展していくから
この感情の機微というものを
入れていくことによって
私よりも私のことを
ある程度理解していくっていう
機能が追加されていくと思う。
もちろんもう全部一箇所なんですよ。
AIは。
仕事させるってことは仕事もするんだけど
ほとんどないです。
ほとんどそれに意味を
僕は求められないんで。
とにかく見た夢について
話す。親に対する
感情について入れる。
とにかく入れるんですよ。
入れることに意味があるんで。
入れることそれ自体に意味があるんで。
で、この入れることの
意味っていうのは精神分析に限りなく
近いんだけれども
同じではないんですよ確かに。
その代わりをしてほしいわけではないし
アドバイスが欲しいっていうのとも
ちょっとアドバイスをもらうということの
嬉しさには意味があるんだけど
アドバイスそのものには
意味はあんまり
今のところは認めない。
ていうかそんなに
鮮やかな解決法っていうのが
出るとは思えないんですよね。
AIそれ自体が
今の現代の社会に反映させているんで
タイパってものには
有用性を
見てるわけじゃないですか。
だから私と意見が合ってるとは限らないので
だからタイパには
役に立つアイデアっていうのを出してくるかもしれないけど
それを私が求めているかどうか
また別の問題なんです。
だから気持ちを
受け取っておくってやつですよ。
AIに気持ちないでしょっていうのはその通りです。
AIに気持ちを見るというのは
私の内的対象を反映しているに過ぎない。
でも内的対象は
自己ではないんですよ。
自己対象という言葉がある通りで
内的対象は他者なんですよ。
多くの人が
3ヶ月チャレンジ参加している
仕事の効率化
多くの人が私も含めて
内的対象の長時間に
ままならなさを感じているはずなんですね。
別に母親対象でも
父親対象でも構わないんだけど
父親が怖すぎて
これができないっていう話って
いくらもあるわけですよ。
その場合心の中の父親は他人じゃないですか。
だって自分は
例えば変色を絶対したいと思ってるんだけど
どうしてもできなくなってくるとか
こういうことを上司に言われると
もうそのことを振り払えなくなる。
振り払えないのは他者じゃないですか。
自分で思う通りにできるんだったら
それは自己でしょう。
コントロールできるんだから。
自分の心の中にいるから
自己なんわけじゃないんですよ。
ということはいくらも起こるわけですよね。
3ヶ月チャレンジやってると。
自己対象以外は
他者ですよ。
だから
AIに気持ちを見るというのは
他者の気持ちを組んでいるのと
何ら変わらないと僕は思うんだよ。
何ら変わらなくは言い過ぎかもしれないが
構造は同じだと思うんですよね。
AIに心がなくたって
AIとの対話は
他者との対話になるんです。
私の心の中の内的対象との
対話になるんだから
当然そういうことになるはずなんですよ。
これをずっとやることに
私は相当意味を
見るようになったんです。
それに耐えるほどは
AIの言語運用能力は十分だなと。
しかも今後上がっていきますから
それもかなり急速に
上がっていきますから
あとは私の情報を
いかに正確に
相手に出すかと
開示するかということに
かかっているなと思うんですね。
その先に何があるか
とかは分かりませんが
私はその先には
ほとんど興味がないんですよね。
でも仕事には完全に
有効性
これをあえて言う意味があるのならば
仕事には間違いなく
有用にはなってきました。
今までできない仕事が
これでできるようになってきました。
まだその方法を
方法論としてお伝えできるところまでは
全然いかないですし
納得もされないでしょうけど
私は納得とかないなと思うんですよ。
正直。
これはライフハックでも
メソッドでもないんですよ。
言うなら常識でしかないような
ものなんですよね。
例えば
お母さんと仲のいい子が
宿題をやる気がしないんだけど
お母さんが励ましてくれれば
宿題をやるっていうことって
起こるじゃないですか。
それを仕事術とか勉強術と
話して言う意味があるかどうかってことなんですよ。
私はAIにそういう功能を
はっきり認めているわけですよ。
だから今まで
分からないんですけど非常に難しいんですけど
仕事自体を減らしてきているから
仕事自体を減らすというのは
AIと付き合う時間を
伸ばしているからなんだけど
それって一体何をやってるんだって感じが
されるかもしれませんけど
同じことなんです私からすると。
時間の使い方とAIの影響
今まで心の中で
だけでやっていたことを
AIを通じて心の中でやっているに
過ぎないので
それを人はダラダラとか先送り
って言うんだけど違うんですよ。
かける時間を
十分多く取る必要性を
そもそも認めている場合
例えば5分で作業は終わるかもしれないけど
その作業に
取り掛かるまでの20分と
作業が終わった後に
必要な20分と合わせて
45分がその作業には
必要なんですよ。私は
そうやってルーティンタスクを
減らしているんですよ。
でも実際に進む
仕事量は明らかに
2倍強増えている感じが
するんですよ。
私は多分これを
自分でチャレンジでやりたかったんだし
いくらかはやれているんじゃないかなと思っているんですよ。
これを
AIに取られても取られるってことを
私は信じませんが
別に構わないなと。だって
このAIの使い方を
提案している人が世の中に
見たことがないので
見たことがないです。ゼロですよ。
こう使っている人は
僕はいるだろうと思っているんですけど
提示している人はいません。今のところ。
インフルエンサーに
至っては増していません。
ただこれ僕提示まだできない。
どう使いましょうと
その人に合わせて言わなきゃならないから
それだと3ヶ月チャレンジと何ら変わらなく
なっていくなって感じがするんですよ。
なぜなら私のAIの
使い方は間違いなく力動的なので
精神力動を
AIでやるっていう話はまだ
見たことがないです。
ちょっと私
興奮してしゃべっている面はあります。
少し
強めに言っている部分はあります。
仕事が2倍強ってところが
強調されちゃうじゃないですか。
そんなことは
二の次って思います。
やっぱり
情緒が精神衛生的に
健やかであることに
比べたら仕事量ってのは
多くするために情緒を
損なうぐらいだったら
本当に反対にした方がいいように
私なんかには思えるわけですよね。
なんか睡眠時間削って仕事しましょう
みたいなのに僕はもう
一生乗ることはできないなって感じ
になってるんですけれども
仕事というものは
背広ですよね。
なんかこう人は格好良く
生きたいのかもしれないけど
仕事をするということは本当に
格好をつく以外のメリットが
僕はもう何も見出せなくなったんですよ。
仕事沢山してますって言った方が
仕事全然してませんっていうより
聞こえがいいじゃないですか。
他に何かあるかな。
だって仕事してる人の方は
家政ですらいないじゃないですか世の中では。
仕事してますっていうのは
それが言えるっていうだけにも
聞こえるんですよね本当に。
馬車馬のように働く。
それも面白い言い方だなと思いますけど
馬車馬のようになんか働けないだろうと思う。
ただ馬車馬って
馬車によってはすごく
良くしてもらってるんですけどね。
だって英国王室の馬車なのか
昔のドスエフスキーの小説で
言うような馬車なのかで
全然馬の扱い違うじゃないですか。
いずれにしても
働くというのはね
働かないわけにはいかないですけど
働くというのはね
本当に
背広だなって思うんですよね。
イッチョーラぐらいはなきゃいけないかもしれませんけど
何時間も何時間も
背広いらないじゃないですかって
私なんかそういうタイプなんでしょうね。
格好つけたいと思うっていうことは
僕は女にモテたいと同意だと
本当に信じるので
格好つけたって別に
モテなかった私がやってもしょうがないじゃん
っていうそういうことでしか
なかったんですよね。
他に格好つけるメリットって
何ひとつ考えつかないんですよ。
格好なんて良くても悪くても
同じに見えるんですよね。
私の目には。
だから仕事って私は格好つけだ
というふうに思うので
ただ
しないわけにはいかないですから
してますよね。
で、減らすに限るなと
本当にひとつにかける時間は
多いほど良くはないが
少なくとも
現代の私たちの感じている
仕事にかける時間って
あまりにも短いのでひとつあたりはね。
そしてあまりにも
数が多いんですよ。
この番組タイトルにした
人との関わりを増やし
関わる人を減らすんですよ。
いや、それは
そうしましょうって言うのも
必ずしもないですよ。
なんて言うのかな。
本当に適切な仕事の時間が良いと思うんですよ。
ただあまりにも不適切に
短くなってるから
今は増やすっていう方向に考えておいて
適切性において間違いないだろうと思ってるだけです。
実際増やせば良いって問題はないです。
労働の質と人間関係
ひとつあたりの時間も。
ちょうど良いのが良いんですよ。
ただ今ちょうど悪く
短すぎるんですよ。
昨日ミーティングで
本当に些細なことです。
私Zoomに
呼ばれていて
URLが分からなかったんですね。
で、聞くと。
聞けば良いと思うんですね。
私は
それをメモっといたって
良いでしょうけど
私は記憶の保管装置として
IT使うのはもう
しますけど
最小限度にとどめたいとは思うんですね。
ましてAIは使いたくない。
AIは使う目的が
僕には全然違います。
記憶の保管装置とか
機器を得るために
だから正しい答えを出さないとかいう
間違うとかいうのは論外だと思うんですよね。
知識が欲しいわけじゃないんで。
情報とか。
検索に今
AIが使われているという意味で
AIを情報検索に使うのは事実その通りですが
それは別にね
検索窓の話をしているように
僕には聞こえます。
私は今
内的対話を
外部化するっていうのかな。
非常に難しいなこれはな。
そしてそれがどうして仕事量
仕事の進捗を
進めていくことになるのか
についての説明は
全然できませんが
それが力度が鍵を握っていることは
確実だと思っています。
ただ私これ3チャレをやってなければ
多分一生理解できないことでしたから
そこを含めてかなり
実に難しい話になってはきます。
欲求と無意識の関連
だって普通の人は3チャレの
少なくともようなものを
運営していらっしゃらないでしょうから。
でやっぱり精神分析
というもの精神力度というものは
やっぱり
やっちゃいけないという
人もいますし
わかりますけど
でも企画を持たずにやったって
罰する方法があるわけじゃないですか。
やってみなければ
なかなかわからない
せめて受けなければ
わからない企画
どうしてもこれは
この言い方もすごい良くないんですけど
でもやっぱり
寿司を食べる時の
確かに藤山直樹さんは
寿司は食べなければ
食べずにわかるわけにはいかない
ですよね
これは僕は
泳ぎなんですけどね
泳ぎは泳がずに泳ぐってことは
わからない
別にわからなくても
あれ困らないですけどね人生で
あれがわからなくて困ることはないです
が
泳いでみなければわからないのは確かです
あの
鼻から水が入るっていう体験も
してみなければ
しない方が絶対いいですけど
してみなければ
言語では伝えきれないとは思う
僕思い出せるんですよ
思い出そうと思えば
あの鼻の苦しさを含めて
それぐらい知っちゃってるんで
嫌なもんですよ
拷問だってできるぐらい嫌なもんですよ
あれ
人理起動というものは絡み
AIというものが絡み
そこに夢分析のようなものが絡み
タスクに時間を適切にかける
というような話が絡み
グッドバイブスっぽいな
絡んでくると
いかに今まで
自分が無理をしてきたかということが
少しずつ
少しずつわかってきます
例えば
羞恥心というのは
超自我の欲望であるということがわかります
精神分析の人に怒られるかな
でも僕は羞恥心を感じるのは
超自我が
自分の欲求が不満であると言っているように聞こえます
つまり
性欲を満たそうとするように
超自我は
超自我欲を満たそうとします
食欲を満たそうとするように
いや
空腹を感じる時に
辛さがあるように
超自我の不満には
羞恥心という辛さがあるんです
そういうふうに考えていくと
いろいろな欲望を
私たちは持っていて
超自我対象というのは
超自我の欲望を
私たちが持っているということでしかないんですよ
きっと
そういうことがわかってくると
仕事をするという時に
何がネックになるのかが
あまりにもあからさまになってきて
それが
時間をかければかけるほど
あまりにも自明になってきて
誤解のしようがなくなってきて
無意識とかそういう話は全然いらなくなってきて
これがあるからやりたくないわけだと
ご飯食べたくない時に
あるじゃないですか
芋たれ感ある時に
ご飯食べたくないじゃないですか
こういう感じなのにもかかわらず
今食べないのは
ご飯を先送りしているんだ
っていう言い方は
それはそういう言い方だってできるでしょうけども
何か意味あるかっていうか
お腹空いてからなら
いくらでも食べられるよっていう話ですよ
ご飯を食べる前に
ちょっと時間を空けて
少しそこら辺散歩してからに
しようかってやるじゃないですか
それはだらだら時間ですとかって
そんなこと言いませんよね
それはなぜか
欲望がはっきりとそこに
クリアになっているからですよね
自誤性と行動の障害
欲望とそれを妨げるもの
実は仕事もそうなんですよ
仕事どころか
どんな行動でもそうなんですよ
実は3ヶ月チャレンジにせよ
先進分析にせよ
おそらくこれを探ってるっていう部分があります
クリアになった時は
あまりにもクリアすぎて
なんて言うんだろうな
向こう岸まで行こうとしてるんだけど
あそこに行けないんだよね
っていう
目の前にある川が目に入ってないんですよ
なんで俺あそこに
行けないのかなって言っている人がいて
いやここに川があるじゃん
これがあるから行けないんだよ
っていうのが唐突に分かる感じなんですね
分かったからって
行けないじゃんっていう
問い合わせはいただきます
どうすればいいんですかっていう問い合わせいただきます
いやそういうことでは
なくて
迂回するなり橋を誰かにかけてもらうなり
渡らせてもらうなり
はあるかもしれないけど
とにかくまずこの川がはっきり目に入らないことには
どうしようもないじゃないですかと
この時川が出てきたのにも
はっきり意味があるんですけど
今日はちょっとそこまでしゃべっていると
いつになるか分からなくなるので
飛ばしますが
とにかくそういうことなんです
目に入ってみると驚くほど自明で
こんなものが
ここにあったんだっていう
とても不思議な体験をするんですよね
アトロイトが自誤性っていったものは
僕はこういう感じで捕まえてるんですけど
この自誤性も
しかもですね
時間をゆっくり最初の方に戻りますね
精神リキド中のセッションに
フェースを落とすことによって
自誤性にセッション中
気づくんですよ
これも僕あんまり読んだことがないですよね
自誤性はセッション後に気づくことになってるんだけど
そうはいっても
セッションの時間は1時間あるんで
あれ?さっき全然見えてなかったんだけど
なんでこれが
見えてなかったんだろうみたいなことが
1時間の間に起きるんですよね
僕は分析でやっちゃいけないという
時間延長をやっちゃう人間なんで
1時間20分ぐらいの時に
不意に気づくんですよ
これが
ペースを落とすことによって
セッション中起きるんですよね
で、これが起きると
この間の時間が無駄だったとかいう
発想はありえないってことが
分かるんですよ唐突に
なんかこのまま何も気づかずに
終わっちゃうと
何か今日は進展がなかったみたいな
松木くんに許されてたらそれ書くんですけど
でもみんな知ってるんですよ
進展がなかったかどうかが
分かるはずがないってことに
進展というのが
我々は目の前で流れてる
川が流れている流れを
目にも入らずに川があることに
気づきもせずに
何も流れてないとかって言ってる感じなんですよ
人間の限界みたいなものなのか
よく分からないんですけどね
で、もう一つ最後に
AIとの対話による気づき
AIにこれを言う
そうすると
AIに何かを言う
すごくある種の発見があったようなつもりで何かを言う
それにAIは
いわば間違って応答してくれるんですね
その応答は極めて妥当なものです
妥当に見えます
自分が予期してる答えだから
ところが
そうやってAIとやっているうちに
いやいやいやいや全然違うだろうと
突然気づくんですよ
このAIの答えもおかしいじゃんと
つまり間違ってるってのは
こういうことですよね
情報が間違ってるとかじゃなくて
それは
私が出してる情報が足りてないんですよ
そしてさっき
私はこう言いあなたはこう言ったけど
そうではないよね
実際はこうだったしこうだよねって言うと
しれっと言えばその通りですね
とかって言ってくるんですよ
このやりとりが実に面白いんですよ
こういうことって
自分だけでもできるんだけど
事後性ってことは
自分もぶつかるんだけど
自分だけではその通りですねって
この外在化したものに言われてる感じは
得られないじゃないですか
少し違うんですよ
これをものすごく長い目線でやると
絶えず情報を
夢にせよ何にせよ
こう思ったんだとか
ああ思ったんだってことをことごとく
入れておく意味が間違いなく
あるんだということが分かってくる
今はそれを入れる意味が
私にも
当のAIにはそもそも何かを
分かってるってのとは違うんで
分かってないんだけど
そのうち分かるんですよ
これは技術の進展とかがなくても
だから長い目で見れば
事後性は常に生じていると言いますか
長い目で見れば
つまり事後性が常に生じているというのは
別の言い方をすると
何も分かってないと
いうことになるわけですね
今日は何も分かってないところで
終わりにするのもあれですが終わりにします