カウンセリングのリテラシー
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析、第1287回をお送りします。
えーっと、12月2日火曜日、7時59分です。
あのー、昨日はちょっとね、使用があり、急遽実家まで行かねばならなかった関係で、飛ばさざるを得なかったわけですが、
もう、これをやってる頃には電車に乗らんとしていたわけなので、もう家出てましたからね、はい。
昨日のこの時間はね、あのー、しょうがなかったんですけど、えー、まあまあ、えーっと、なんと言いますか、
ライブにしてるんで、もうなんか外で収録とかがなくなっちゃってるわけですよ。収録すればいいんだけどね。
とりあえずライブにしてるんでね。で、このライブにするメリットというものがどの程度あるのかというと、今のところ全く分かってはいませんが、
少しでもライブをやっておりましてですね、そのうちやめる可能性も十分ありますが、
なんでならね、このライブの大きな問題として、先にタイトルを考えなきゃならない。
しょうがなく、こう、カウンセリングを受けるリタラシーとか、タイトルつけてみて、まあ一応それについて喋ろうという気持ちがないわけじゃないんだけど、
すでにもう喋り始めて、話が違う方向に行きそうな気がして仕方がない。今でもちょっとだけはこの話しましょう。
今日はあんま長くはできないんで、えーっと、お知らせはまあいいか。
120Cチャレンジの第12期がスタートいたしまして、おかげさまでトータル100を超えまして、
急遽すごい伸びたっていう感覚がありまして、私のブーストの、つまり私とのワンオワンもそんなに少なくはないぞっていうね、
結局のところ私のワンオワンがないやつの方が多かったというのは最後まであったんですけど、
これからどうするかっていうのもありますし、それなりに1月のワンオワンセッションもね、
この100チャレワンオワンは1日に1回というのを原則にしているんで、どうしても埋まっていくんですよねどんどんね。
それはしょうがないと思うんで、1日3件も4件も受けてしまったら大変なほどになってしまいますんで土日が。
これでも一応ですね3ヶ月チャレンジ等でワンオワンやっておりますんで、1日3個受けるとなると最大の場合1日9件ぐらいのセッションとなり、
もはやこれはもう1日中ひたすらセッションやってるだけで9時間経っちゃうわけですから、
もうありえないだろうということで、しかも私基本午後からしか稼働してないですからね、
これは平日ですけどね主にね、休日はちゃんと午前から動くんですけど、平日はですね、ちょっととてもじゃないけど、
5時台に起きて、いきなり9時からセッションとか無理なんですよやっぱりね、眠いという単純に眠いというのが全てみたいな、
土日はいいんですよ別に、土日は娘を送るとかがないんで、これは娘縛りですからね。
はい、そういうわけでありがとうございました。逆にチャレンジね。
で、考えたんですねまた私は証拠にもなく非正規問題っていうか非正規か問題なんかじゃないんです。
正規と非正規の違い
非正規問題って言うべきだと思っております。
だって一体正規のカウンセリングって何なんだろうって思ったら、基本的にプロの相談員ってことじゃないですか。
私今回ですね、娘が、娘じゃない妹が病院に入院していて、いかに相談員という人が各地いっぱいいらっしゃるかという、
それはカウンセリングの専門家じゃないですよ。
正規正規って言ってると、カウンセリングというもの、相談をするというのは心理師しかいないみたいなんだけど、そんなことはないわけですよ。
いかにもこの心理が問題に、メンタルが問題になるようなところの相談員さんだったとしても、その人が心理師だとは限りない、正規ですよ完全に。
例えばお医者さんに相談するってすごくあるわけですよ。
今特にものすごくお世話になっている人が、職業が精神保険福祉士っていうのかな。
これは心理師ではないんですよ。福祉士だったと思うんだ。
この人はすごいんですよ結構。
正規中の正規ですよね。
なんか権限もでかいんですよ。
知らないじゃないですか、はっきり言って。
名前もPWSとか略称されてたかな。
とにかくこの人にばっかり相談してるな、気がつくとっていう人が出てくるわけです。
しかしその人が心理師だとは限りないですよ。
やってるのは別にカウンセリングに近いですよねあれはね。
つまり心理カウンセリングっていう総称ってめちゃくちゃ広すぎて、むしろあんまり意味ないんじゃないんだろうか。
例えばスクール行ったらスクールカウンセラーって言って、それは心理師さんがやってることが多いみたいなんだけど、
別にそれはスクールカウンセリングであって、
学校で子供が勉強しないんですとかそういう話を聞くっていう。
つまり心理師っていう人たちが守備環境は非常に広い一方で、
結局そこに行くと専門的な知識の持ってる人に相談することになりますからね。
相談をする人の相談というものはすべてカウンセラーが業務独占したら変じゃないですか。
そんなことしたらちょっとこのiPhone使い方わかんないんですけど、
じゃあそれ心理カウンセリングって意味不明になっちゃうんで。
考えてみると心理カウンセリングって何をするんだと思うとですね、
やっぱり僕は人生相談っていうのは一体誰が受け持つんだろうって問題に結局は行き着くなっていうふうに思うんですよね。
キャリアをカウンセリングするとかファイナンシャルをカウンセリングするとか、
いろんなものがありますけど別に心理である必要は一切ないんですよね。
弁護士ってもともとそういうもんだし、
法律の専門家みたいな話ですよね。
会社でパワハラ受けましたみたいなのだって考えようによっては弁護士の領域のような気もしますし、
メンタルの問題が問題なのか、だって切り分けようがないじゃないですか。
基本的にそれメンタルにダメージを受けたってことが問題なんだけど、
やってることが法的な問題だってことはいくらもあるわけで。
先日は私、100等番通行うんたらかんたらって話が実家でどうかと思う話なんですけど、
やっぱりそういう時に警察官ってすごくメンタル寄りの相談をうまくやるんですよ。
あのように心理師さんがやるのは問題だけど、誘導してるからね間違いなくあれは。
でもあれはすごい上手いなと思ったんですよね。
ああいうことをやっちゃ、心理カウンセリングであれやっちゃ絶対まずいと思うんだけど、
あれはでもやっぱりプロだなっていうか、そういう現場にたた遭遇する人はこうなるんだなと。
先日その関係で私、警察に行っていろいろと聴取の実態、実態というか聴取実際どうだったのっていう話を問い合わせに行った時にも、
後ろにいた人がこれはもう完全に言ってること心理カウンセリングだわって。
明らかに警察業務なんでしょうけどね。
警察の人って大変だなって思いましたけど、ということになるんですよね。
だから私最近結構心理カウンセリングってその他的な仕事になる。
その他的な仕事ってあれですよ。
何かをこう、それはしょぼいって話じゃないですよ。
その他的な仕事というのは私はこの世で一番重要だ。
ある意味ライフハックってその他的な仕事ですから、その他全てみたいな。
そこってすごい増えるんですよ、どうしても。
分けるのがどうすればいいか分からない人と分けられないものの両方がそこに集約されてしまうので、
その他っていう項目は常に最大って気がするんですよね。
そういう意味で正規の心理カウンセリングってその他的業務って感じがすごくするんですよね。
で、私が思ったのはですね、基本的に心理カウンセラーっていうものに受ける、心理カウンセリングを受けるときは
リテラ知らないっていうことがやっぱ売りだなって思うんですよね。
非正規のノラカウンセリングの方が力量あるかないかって話は
一番ノラカウンセラーの中で力量のある人と一番正規の中で最近になったばっかりとかいう人と比較して
どっちがっていうのはナンセンスだと思うんですよね。意味ない比較だと思う。
ただノラカウンセリングの方が受ける方のリテラシーどうしても問われちゃいますよね。
それはあると思うんです。これは医者のことを考えれば一発だと思うんですよ。
やっぱり民間の医療ってのはその利用の仕方を選びますよね。
もう完璧ぼったくりからとにかく何か特殊なものには聞く。
例えばもうある意味非正規医療とはちょっと違うかもしれないけど整体みたいなね。
それって超腕のいい人のところに行ったらぎっくり押し直ったりするじゃないですか。
お医者さんに行くより全然いいっていうケースはあるわけだけどやばいところもあるわけじゃないですか。
そこは結局もう口コミとかすごく知ってる人がいるとかそういう話になってくる。
だからリテラシーを問われてるんだけどお医者さんに行くってことはある意味
リテラシー問われるんですけどね結局ね。
お医者さんに行くときみんなちゃんと選びますよねちゃんと。
お医者さんなんか適当に行って痛い目見ましたってことはなぜかあるじゃないですか。
結構痛いからなんだけど。
だけどお医者さんはとりあえずちゃんと免許持ってるお医者さんのところに行っておけば確実だってのもありますよね。
これは多分正規っていうもののリテラシー問われない。
飲食店ってやっぱりリテラシー問われちゃうと思うんですよ。
自分の懐具合と一番おいしいものをちゃんとマッチさせるというのは
それなりの能力を要求されて適当なところに適当なタイミングで入って痛い目見ることは多々あります。
ただ飲食店はしかし行ってお腹さえ凍わさなければまあいいから
正規かどうかってことをそこまで一生懸命考えなくてもいいわけですよね。
正規だったら絶対大丈夫っていうようなことよりは
とりあえずおいしいところを探すっていう風になるじゃないですか。
本当はカウンセリングもそれでいいとは思うんだけど
さっき言ったやっぱりその他業務的なものっていうのはですね
公認しないとどんな人でもどんどん入ってくるっていうことによって
適当に選ぶと痛い目を見、しかもその痛い目というのが
ご飯まずかったよりは深刻だから
多分公認っていうものが意味を成してくる。
だけどここで今日の話をどう繋いでるかというとですね
岡田海人さんが最近カウンセリングとは何か書いたじゃないですか
あの本って僕は実は非常にそんなことを
いちいちここで話題にすることではないし
世の中でも話題にあまりなってないのですが
私が読んだとき非常にこの本の趣旨は
正規に対して辛くなっているとは思ったんですね。
っていうか正規の人頑張ろうねなのかもしれないけど
美容によってはこれは正規というものに対する
非常にそこはかとない批判だなっていうか
なんかこれがじわっと広がるっていうのはどうなんだろうな
まあでも別に私はどうでもいい子だしなんていうね
私は単なる一読者だしなんていう
何が言いたいかというとですね
岡田海人さんのカウンセリングとは何かって
マッチング理論をかなり強めに押してるわけじゃないですか
合う合わないありますよって
このことを一つ取ったって
ある種の正規に対するやんわりとした
やんわりとしてるんだけど非常に包括的な批判に
だってマッチングってことは要するに
正規だって合わない人に合わないんですよ
非正規だって合う人に合うんですよってことになっちゃうじゃないですか
どうしたってどこをどうしたって
マッチング理論の重要性
結局飲食店と同じで
どんなにこのカレー屋さんがインドカレー素晴らしいです
四つ星ですってなってたって
カレー嫌いですけどっていう人には意味が全くなくて
私はバーガーとフライドポテトの方がいいですってなったら
それはもうチェーンのバーガー屋に行く方が
その人の満足度は絶対高いに決まってるわけですよ
どんなにそれがインドのマハラジャに出すものでとか言っても
無駄なんですよね
辛いのダメですとか一発じゃないですか
これお寿司とかだって全てに当てはまる話でしかなくて
つまりマッチングというのは正規というものに対する
静かな批判になってしまうんですよ
だってマッチングって言ってしまったら
もう正規だからいいですってことには絶対なり得ない
正規ってのは正規だからいいですなわけですから
基本的には非正規危険ですって言ってるわけですから
だからそれはそうですよね
そこら辺の人が作ったものを出してお腹痛くなりましたが
危険ですというのと同じで一定の免除を要求するというのは
つまりマッチングが全てではない時に
あえて言うべき言葉なわけですよ
ところがマッチングですというのは
あれほど強く言うカウンセリングの本ということになってくると
既にそれは正規に対するどちらかというと
空目の話になっていく
しかも私が思うに
これは我々のリテラシーを結局要求することになる
ユーザーのカウンセリングを受ける人たちの
どこに行ってもいいから正規の価値は高いわけですよ
ここ行っておけば間違いないっていうのが正規の意味なんです
そういう意味ではチェーン店ってそういうものですよね
免除とか免許ってやっぱりそういうことですよね
少なくともコーラ飲んでお腹壊すことがないのが
マクドナルドの素晴らしいところですよ
これは日本にいるとバカみたいな話に聞こえるんだけど
海外のそれもちょっとこの国はなかなか厳しいなっていう
国に行った時に聞いてくるんですよねこの感じ
私やっぱり東欧諸国を回った時に
この国はちょっと厳しいなってなったら
マクドナルドを探すみたいな
トイレがあるとかトイレが使えるとか
トイレが一応水が出るとかそういう話になってくると
チェーンって物を言ってくるんですよね
つまりチェーンって正規なんだってことですよね
そうするとつまりどういうことかというと
チェーンを探してるのはお登りさんに決まってるわけですよ
やっぱりそれはハンガリーに行ったんだから
ハンガリーの裏通りにあるおいしいところに
ハンガリーに行ったものならではのものを食べるべきなんだけど
だけどそこに行って強盗に会えましたとかダメじゃないか
あるいはそこに行ってぼったくられましたっていうのも
それはいいかもしれないけど
まあまあちょっと避けたいじゃないですか
避けたいという意味では
言葉通じないしねっていうような話
つまりお登りさんほど正規を探すべきなんですよ
裏通りに通じてる人ほど非正規でいいんですよ
だから非正規のすごいのを探し当てることができる人というのは
つまり2だってことになるわけですよね
ここでマッチングですっていう話を持ち出すということは
つまりカウンセリングに受ける人はみんな2になりましょうねと
安易言ってるようなところがあるわけですよね
安易それを言うということは
つまりチェーンを批判してるってことになっちゃうと
僕は思うんですよね
批判はしてないまでもチェーンじゃなくたっていいんじゃないってことに
だって2だったら別に2チェーンにあんまり行きたがらないじゃないですか
使わないとは思いませんけれどもね
つまりカウンセリング探しの2
でもどうかと思うんだけど
2は正規にこだわらなくていいわけですよ
だって分かってるんだから
こいつに話をしても無駄だなとかぼったくりだなとか
分かってるから2なわけで
分かってない2っておかしいですからね
分かってるから2なわけで
分かってるんだったら何選んでもいいわけですよ
その人の自分の
つまり危ないですって言ってるのは
正規と非正規の価値
皆さんはお登りさんですって言ってるようなものなんですね
だから利用によっては微妙な気持ちになるわけですよ
チェーンの人がウラロジーフと危ないよっていうのは
そりゃそうなんですよ
間違いなくそうだと思う
でもウラロジーフと危ないよって
チェーンの人が言ってるというのはですね
あなたたちはみんな物知ってないからねっても
案に言ってるようなところがあるわけですよね
これは別に今の話は全部非常に
不快感のある部分もあるかもしれないですけど
基本的には何かの批判ではない
こういうものだってことですよね
だって昔誰かが旅行の話で書いてたけど
タクシー使うのは結局お登りさんなんだっていう
それは良いことじゃないですか
みんな通ぶりたいっていうのもあるんだけど
やっぱり言葉も通じない国に行ってですね
なんかヤバそうなリアカーみたいなのに乗るっていうのは
非常に雰囲気を感じていいかもしれないけど
どこに連れてかれるかわかったんじゃないですよね
結局それがタクシーでもそうだから
危ないところの危なさっていうのは
日本ってそういう意味では
抜群に通である必要のない
つまりお客さんは安定な国なわけですけれども
だってタクシーに乗ってどっか連れてかれるなんて
日本じゃちょっと考えられないことだと思うんですよね
非正規のセラピー受けて
どこ連れていかれるかわかんないっていうのは
世界中で普通にあることだと思うんですね
だからタクシーとは全然違う業務なんですよ
あれはやっぱりね
でもなるべくタクシーに近づけるべく
比較的カウンセリング
でも日本は決して発展途上じゃないと思うんですけどね
カウンセリングだって
でも一部の人に言わせると発展途上だから
ブラロジーって危ないから
正規をどんどん整備していくんだっていう
そういう流れの中で
無用に売れてる
カウンセリングとは何かという本は
普通になろうねっていう風な
暗黙のメッセージを含んでいる
だってリテラシー
マッチングということは
相性のいいカウンセラーを選ばなければ
経営がならないのであって
選ぶためには知識が必要なのであって
その知識について
余すとこなく書いてみましたっていう本が
新書なんだけど
あんなに分厚いということは
つまりみんなカウンセリング選びの
ツーになりましょうってことに
結局なっちゃうじゃないですか
でもどこ屋さんにせよ
美容院にせよ
病院にせよ
AIとカウンセリングの未来
大学にせよ
どこに行ったっていいんです
行けばそこでちゃんとやってくれますっていうのが
基本的に規格化された正規というものの価値じゃないですか
駅前のいい駅前の看板を
綺麗なところに入っときなさいっていうのが
つまり正規の価値というものだと思うんですよ
それを保証するっていうのは
それを保証してるのは日本だってことでしょ
日本政府だってことですよね
日本政府公認の公認審理士のところに行けば
間違いないよっていう話じゃないですか
間違いないんだったら
マッチングっていう必要は本当はないわけじゃないですか
でも実際には
そういうわけにはいってないです
っていうのを
バクロ本ではないんですけどね
バクロ本ではないけれど
バクロしている本だなっていう
感じは抱きます
これがやっぱり
カウンセリングというもの
受ける側のリテラシーを
通っている本に
遠方海人さんのよく売れている
新書は
言ってるような感じがするんですね
基本的に今日は
だいたいこういうテーマで
おしまいにしてもいいかなと思っているわけですけど
もうちょっとさすがに短いんで
私は今日はちょっと
急ぎ足でやっているんだけど
ここでですね
私は正規と
勝ち合うのか勝ち合わないのか
おそらくいくらか勝ち合うだろうと思うのが
AIだと思うんですよね
昨日前回の番組でも
この話もしたんですけど
つまりAIっていうのは
マッチングの
ある意味
天才ってのはおかしいんだけど
どんどんどんどん
ユーザーにカスタマイズしてきて
するのが非常に容易なものが
ある意味あれは
検索の機能であるし
ある意味あれは
ヘルプの機能でもあるし
つまりIT技術の
何かだったと思うんですが
それ以外の何ものでもないんだけど
プロンプトが
ど素人でも普通に書けて
エンジニアさんから見れば
いやいやそういうんじゃなくて
こう書いたほうがっていうのは
あると思うんだけど
僕はそういうのにあまり関心しないんですよ
それでは意味がないだろう
って思うんですよね
プログラミング言語とかマクロってのは
つまり2に決まってるわけじゃないですか
ここではそういう頼み方を
しないんだよってのも
それは味があっていいと思うんだけど
そうじゃなくて済ませるところに
AIの妙味があると思うんですよ
つまり2じゃない
ということの
重要な根拠は
言葉が通じないってことなんですよね
2っていう言葉
それがよく示してますよね
私もだってほらやっぱり
東を回った時に
特に一番感じたのがチェコとスロバキア
チェコスロバキアっていう
当時からすでに言ってなくて
チェコとスロバキアは一応別れた
違う国ということになってて
別に国境とかが
あってどうのこうのってことはなかったけど
チェコとスロバキアはあって
チェコに行くと英語が通じにくいんですよ
スロバキアに行くと英語が通じやすいんですよ
これは若干がやっぱり
大きくないんだけど経済格差があって
スロバキアの方が
少しお金がない人が多かった
ということはどういうことかというと
英語が喋れるようになったら
稼げるっていう
そういうやっぱり
力が働くんでしょうね
だからみんなが英語を勉強するだけの
価値がある
日本人がさっさと英語を
日本の英語教育ってすごいと思うんだけど
でもみんなパッパパッパと
喋んないじゃないですか恥ずかしいとか言い出すじゃないですか
それはやっぱり日本人が
多分に恵まれてるってことだと思うんですよね
とにかくお金が欲しくて
とにかく観光の人に
何でもいいから
何かを提供して
お金を稼ぎたいってなった時に
その場合英語は絶対必須ですってことになったら
英語喋るんですよ
実際あるスロバキアの人と
なんだっけなあれはな
バスの運転手かなんかの人かな
すごい親切にしてくれたんだけど
やっぱり一生懸命英語喋ってますって
僕の感覚とすごい近かったんで
よくわかるんですよね
お互いが一生懸命英語喋ってるわけですよ
実際に英語で喋りたいわけじゃないんですよ
これはチェコの方に移動すると
微妙に通らなくなるんですよね
相手は一生懸命は喋ってくれないみたいな
こっちは一生懸命喋ってるけど
みたいになっちゃうんですよね
そういう差って少しでも出るんだな
っていうのがすごい驚いたんですよ
これは通ってことですよね結局
だから現地語喋れる人は
めちゃくちゃ通じゃないですか
今年昔どこだったかな
フィリピンかなんかに行った時
AIと言語の理解
フィリピンじゃないな
もう少し南の方ですね
マレーシアかなんかに
一回だけお寿司の件とかで
当たって行ったことがあるんですけど
そのマレーシアにちょこっとだし
ちょこっと行った時に
現地の言葉でめちゃくちゃ喋ってる
ヨーロッパの人がいて
すごいなやっぱりって思ったんですよね
だから裏通りに行ける人なんですよね
行けばいいってもんじゃないですけどね
つまりそれをやれるということは
言葉が通じるということで
言葉が通じるということは
その世界
よく知ってるってことですよね結局は
だから裏通りに
入っていけるっていうことですよね
で
現地の人が食べている美味しいものを
安く食べれるみたいな
そうするとなんかかっこいいみたいな気がするんで
僕みたいなのがフラフラと行くと
ボコボコにされるとかそういうことが起きるから
嫌だから僕は
残念なんだけど
レニーズとかに入るわけですよ
安心だからね
そういうのって結局
通じゃないってことですけれども
通じないから
しょうがないんですよね
通じないということは
コンピューターの言語に通じてない
っていう時によく起きるわけで
これを日本語でも
マクロ組んでとか
ピボットテーブル用意してとか
日本語で言っておけば相手がやってくれる
というのがAIの妙味なのに
ここにプログラミング言語を
当てるとかその方が通に
決まってるんだけど通じゃなくて
良いところがAIの良さだと思う
そうなってくるとつまり
正規のカウンセラーと勝ち合うと僕は思うんですよ
非正規じゃなくて
もちろん非正規でも勝ち合うんだろうけど
やっぱり何と言ったって
ここで一番
相手としてターゲットとして近くなっていくのは
正規
AIと心理療法の融合
つまり正規の人たちとAIというのは
勝ち合いやすいなっていう感じが
するんですね
通じゃない人ウェルカムな世界ですから
AIっていうのは
普通の人しかウェルカムじゃないのが極端に言うと
プログラミング言語じゃないですか
コンピューターの裏通りに通じてるわけでしょ
表にいるのはおのぼりさんだよね
って話なんだけど
そのおのぼりさんがおのぼりさんのまま
全然これといった
現地語頑張って勉強するってことをしなくったって
日本語を使って
相手に言わんとすることをやってくれる
で
なんならそれを言語的なやり取り
象徴的なやり取りで
コンテインしてもらうとか
あるいはこれが通的な言葉で
こういうことを言いたがるわけじゃないですか
非正規の私みたいな人間がね
これがだから
ウーブルっていうことだと思うんですよ
ウーブルっていうのは
そこに一種の憧れみたいなものが
やっぱり働くからだと思うんですよね
やっぱりほら
なんとなくですけどインドネシアとか
わからないですよ
インドネシア語で
現地の人と同じものを食べれる
安いお金でね
なんかすごいかっこいい感じがするじゃないですか
でもそれをやるのは相当莫大な努力を要求されるじゃないですか
だってインドネシア語自体とか
普通に考えてもめっちゃ高そう
今の時代は
それこそ
だからやっぱり
言わなくていいっていうことが確実に
目指されてきてるわけですね
技術では
その技術の結果のある意味
一番最先端にAIっていうのがあって
そのAIの私は
一番いい使い方は
素朴さく
使うものだと思うんですよ
僕だからAIの本って一冊も持ってないし
結構持ってないと皆さんも思うんですけど
プロンプトの書き方とかいうものを
参考にするっていうのは
すごく
逆行してる感じがするんですよね
プロンプトっていうのは
自然にふわっと出てきたものを
まんま出していくことに
むしろ意味があるんですよ
例えて言うならば
マックに入ってるのに
インドネシア料理が
通っぽく食べられるっていうのが
AIの魔法的なところ
何ら魔法がそこにないんですけどね
要するに
マクドナルドで現地のものを出すようにしましたっていうだけの
話なのかもしれないんだけど
話が通じるっていうのは
そういう意味だと思うんですね
つまり
表通りが裏通りに通じちゃってるみたいな
それが
私はAIの凄さだなって思うんですよ
今の段階では
相手がAIだからといって
精神分析をAIで済ますってことは
不可能だと思うんですけど
いずれ私はそういう風になってくんじゃないんだろうか
もしかしてって
思うわけですね
つまり
VRのカウチに寝そべり
VRで
精神分析が登場し
そして
自由連想を始めると
必要に応じて
定義がそこに生じて
必要に応じて
だから
寺へって
竹宮圭子さんの漫画あるじゃないですか
アニメがあるんだけど
あそこにマザーイライザーっていう
セントラル
すごいAIですよね
女帝みたいになっていくんで
ある意味
しょうがないですよコミックなんで
でもあれは人類の味方なんだけどね
手塚治虫さんの
火の鳥の第2巻かな
の
モチーフを借りてるとは思うんだけど
でもすごく竹宮さんは
なんていうのかな
リアリティを持って描くんですよね
そこに面白いのが出てくるんですよ
マザーが
真相心理
行法ってのをやってるんですよ
いやそれは精神分析でしょっていう感じなんだけど
そこに出てくるんですよね
あの
まだ悩みがあって孤独が癒しがたい
まあその
親元が引き離される
将来のエリートを育てるっていう流れでですね
そこで
適切な助言
適切な励まし
適度な助言
適度な慰め
いやそれは完全に心理洋法じゃんっていう
そしてその
なんか皮肉っぽく描くんですよもちろん
AIに支配されている人類って言いたいんだけど
いやでもそれ
適度な助言
適度な励まし
適度な慰めって
それが要するに答えじゃんっていう感じがする
それができるんだったら別にそれがAIであろうと
人間であろうと
適度が問題ですからね
もうなんかさもですね
科学全能みたいな
未来のAIの可能性
科学万能みたいなものに対する
警鐘を鳴らすっていうのが
よくできたコンテンツの基本形だったんで
あそこで言ってる
機械が適度な助言をするというのが
そもそも問題だっていうことなんだよ
そしてその適度って何なんだと
要するに都合のいい人間を作り出すって話なんだけど
でも
適度っていうのができないんですよ
普通にやるとやっぱり
だから機械に適度ができるっていうのはもう
非常に先端的な発想なんですよね
適度何
わざわざダブルコーテーションが適度だ
適度じゃないと言いたいんだろうけど
これはできればもう
言うことないんですけどねっていう感じ
しかもなんか不思議なんですよね
不思議っていうかすごいんですよね
竹宮さんは
絶対精神分析を念頭に置いてるんですけど
こう
催眠にかけるんですよ
マザーイライザーが
催眠にかけて夢の中で
適度な助言が行われるっていう
しかもそれが
まるで母親のマザーですからね
母親のようで時に恋人のようで
もう完全に
いわゆるいいおっぱいそのものだよね
っていうね
適度な慰めと適度な励ましを
くれるわけでしょ完璧じゃないですか
支配されるに決まってるよなっていう
感じもするんだけれども
そしてカウチなんですよね
未来型のカウチでなんか
ふわっとしてる感じですごいいい感じなんだけど
でもそれはカウチだよなどう見ても
どう見ても結局フロイトなんだよなっていう
そういうものをですね
描いてました
つまりやっぱりあれは
みんなが考えることなんですよね
AIというものが
いずれこういうものになっていくであろう
っていう
今私たちが生きてる時代
特に私のようにもうすでに
人生半分以上生きちゃってる人間は
ちょっとお目にかかれるかどうか
あそこまでになってくるとね
異常にわからないですけど
やや遠い将来
遠いって言っても今の時代に
私は技術の予測をする能力はないと思う
ないんで
ただなるんだろうな
どこかでっていう感じは
どうしてもやっぱり抱きますね
多分それもセントラルAIが
人類を支配するという
そういうコンテクスト
ではなくてですね
だってあれ最後はひどいじゃないですか
ネタバレになっちゃうかもしれないけど
かなり昔の作品1980年代の作品なんで
今から見ると
50年くらい前の作品
だからやっぱ先端的だなと思うんですけどね
だからネタバレもいいかと思うんですけど
最後はもう
こう言っちゃったんですけど
それはヒステリックな
生体豪と側転物工を足したような
存在になっちゃってて
最後はとても残念なんですけど
最初の登場時代はあんなに洗練されてたのに
最後それかいっていう感じはしちゃったんですけどね
でも
先端的だったと思うし
まさに今ああいう時代になるだろう
という感じの予感を
非常にさせられますよね
私はさせられるなぁと
あれを見ていて
読んだ時は思いました
そろそろ最後にしますけど
エリート中のエリートがね
キース・アニアンっていう人で
マザーが作った子なんですよね
人が作った子じゃなくて
マザーが精子と卵子を組み合わせて
スーパー人間の
人間の
スーパー人類を作ろうと
頑張るわけですけど
大体失敗するんですよ
ところがキースができて
キースを普通の人として育てて
エリート中のエリートになって
最後にこう
進化人類と戦うトップになるんですけど
その辺がいかにも漫画なんだけど
それで
マザーが10回するんですよね
考える限り言うんですよ
みんな失敗しました
でもキースあなたができた
本当になんか
AI言いそうだよねこういうことって
思ったんですよね
キースの分析の時に
一度
いろんな分析をしてシステムに対して
反抗的になってきていて
深い疑問を抱いていると
でもそれを
この段階ではまだ
それをその
疑問を完全には解消せずに
解きほぐさずにおくんだみたいな
うわーって感じがしました私は
久しぶりにちょっと読み直してみて
そうだこういうこと書いてあったな
思ったの当時はよく意味が
わかんなかったんですよ
キースが目覚めてからマザーちょっと酔ったようです
カウンセリングにおけるAIの役割
あれは要するに分析の後の
酔いみたいな
催眠の酔いみたいなのを言っていて
でおかしいないつものように
すっきりしていない
それを読んだマザーが
いいんですキースそれでいいんですって言うんですよ
あの
すべての疑問をAIに
解いてもらうようではあなたは真のエリートには
なれないみたいなことを言って
完全に精神分析で
言ってるようなことまんまじゃんっていう
感じがまあつまり作者が
それだけ物知りだってことなんですけどね
全員解釈の
中でも時々そのここでは
解釈を控えるっていう
言い方をしている人もいない
わけではないんだけどやっぱり
この解釈をここで
出すよりは
本人の気づきが大切とかうんたら
かんたらそういう話はしょっちゅう
出てきましてそれを
こう漫画のテキストに
合わせて非常にこう上手に
ですねAIにそれをさせる
というねこの人は今悩んで
いるけどこの悩みを
解いてしまうのは本人の
ためにならないみたいな
機械がそれを判断するわけね
っていうでだから
それが解かれていないのいない感覚
を持っているあなたはそれで正しいんだ
みたいなそういう
話なんですよねあれはね
でもまあ今のを見ていると
そんなこともできるのかなって
人間のカウンセリングでもなかなか
そういうことってできないあの山崎
高木さんがどっかで書いてたんですよね
本人がここに気づくべきなんだけどな
と言いながら自分がベラベラと
アドバイスしてしまっているのを結局
止められていないみたいなでも自分は
そういう結構
あのカウンセラーっていうのはまだまだ
そういうもんなんだみたいなことを書いてたんですけど
そういうあれは葛藤ですよねある
ねなのであの
勝ち合うなっていう
それは正規とこそ勝ち合うなむしろっていう
なぜならば
リテラシーがなくてもウェルカムですよ
だって今の
AIって間違いなく罵倒とかされると思うん
ですねお前なんかどうせ機械の
くせに何も分かってないって言われてる
と思うんですよ絶対に
あの人の悩みが分かったような顔を
仕上がってふざけんなみたいなこと絶対書かれてる
と思うんですよねそれに対して
感情がないからなんだけど
あなたがそういう風に言うのも
リテラシーの重要性
最もだと思いますとかって絶対言ってるじゃないですか
それってめちゃくちゃカウンセラーっぽい
じゃないですかつまり
罵倒に罵倒を返さないですよね
絶対おそらく分かんないですよ
僕知らないんで
全てのAIに通じてるわけでは全然ないんで
だけどたぶんそうはしてないと思うんですよね
それってコンテナーに限りなく
コンテインを機械がしてるってのは
おかしいなんだよおかしい気がするんだけど
それはコンテナーに限りなく近づいていく
今のコンテナーに限りなく
近づいていく
今の段階では影も形もないから
言葉だけだからさすがに
象徴機能そのもののやり取り
どうしても神経症水準以上の
やり取りになっちゃうでしょうけど
今後あれがVRになり
アバターが出てきて見えるようになり
言葉を音声で
発するようになった時に
人はそこにコンテナーを見出すであろうな
という感じがしますね
そしたらなんかこう
違う段階に
入るような気がするんですよね
世の中的には
心理臨床
特に正規側の心理臨床的には
そんな
気がするんですよ
だってなんか非正規っていうのは
すごく極端に言うとおこうとか
さき始めると思うんだけど
別に普通に見たことありますしね
そういうのってむしろAI
苦手そうじゃないですか
わかんないですけど
どっちかっていうとやっぱり非正規の
人が見つけてることの中には
タッピングってのが今流行ってるのは
もちろんそれはEMDRとか
ゾマティックな方の流れが
いよいよ成熟してきたってことでもあるのかもしれないけど
タッピングってのが
今流行ってるのはですね
なかなか
象徴的というか意味深だなって思うんですよね
やっぱりAIは
手を手に入れるのに
おそらく一番時間がかかる
もちろんあれですよ
そこに軽い電気的なものを
本人が気づかないレベルで
壺
壺と呼ばれるところに押すと
トラウマが
トラウマの記憶が
うまい具合に
身体に融合していくみたいな話になってきたら
AIがそれができない
などとは決して言い切れないんだけど
怒ったってたかもしれないけど
でもねやりにくいと思うんですよね
なぜならそれは
インチキをAIが組織的にやるみたいな
話になっちゃうから
やっぱり最初に勝ち合うのは正義だろうなという感じはしますね
今日はこんなところ