1. 佐々木正悟の自由連想
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すっきりとモヤモヤ、排出と取り入れ。
2026-08-25 43:08

すっきりとモヤモヤ、排出と取り入れ。

投影同一化と取り込み同一化。

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感想

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00:05
おはようございます。佐々木正悟の自由連想をお送りします。 8月25日火曜日8時33分です。
今どういうふうにこれが撮れているのかがちょっと、ちょっと、ちょっとですね、あの気になったんでテストしてみたんですけど大丈夫そうですね。
はい、えーとですね、 まあ盛りだくさんなんですよ。ずーっとこうなんとなくできたりできなかったりでお休みをいただいてたので
盛りだくさんあるんですけど、まずあれです。9月26日に山崎タパワキさんとの トークイベント全開に引き続きですね。続編です。
まあお話したいことは無限に近くあるんだけど、そういう態度で臨むとですね、話が拡散して消化不良のまま終わってしまうので、ギュッと絞り込んで頑張りたいと思っております。
まあそう言ってもだいたい盛り盛りになっちゃうんですけどね。 まあまあそういうことです。それが山崎タパワキさんとのトークイベントが9月26日。
今日から申し込みできるようにしようか、明日から申し込みできるようにしようか、ちょっと明日ちょうど1ヶ月前なんですが、そこにそんなにこだわることもないんですけど、とりあえずその辺のことを考えておりますが、
中身はね、タスクシュートと精神分析をどう接続しようと私が行きまいているかということと、皆さん、皆さんというのは主に非正規のどの医者の人たちは、もう何のメリットもなくてもいいから精神分析を学びましょうと。
まあ何のメリットも、メリットはいろいろあるんですが、ただそれによって分析家になれるとか正規になれるといった可能性は全然増えないので、そこはね、あれなんですけど、
実用的メリットにはつながらないことは、何の医者はあんまりしないと思うんですけど、でもしましょうっていう話をしたいと。
一般的に言って精神分析の知見というものは、1907、80年代に比べてもですね、今は衰退していると私はむしろ思うんですよ。
まあいろいろ様々な事情があるんで、本とかは、今、遠肌海斗さんも有名になってますし、本とかで解説はすごいされていて、断片的にはむしろ、断片的な概念とか、例えばネガティブケイパビリティみたいな言葉が広く出回っているみたいな意味では、広がっているにもかかわらず、
精神分析というものが受け入れられる土壌は、全く広がっていないように私には感じられて、これは私の悲願かもしれませんが、そういうことがありまして、それを何とかしたいという、何とかするムーブメントとしては、
鼻肌弱いが、何もしないよりはいいだろうっていうですね、いろんなことがありますよね。何もしないよりはいいだろうみたいなことですよ。
その中でも、まあ人間何もしないよりはいいだろうなことも全部はできませんから、中で私は選択的にこれをしつこくやっていくぞっていう、これがしつこくやっていったのは多分私に一つの成功体験があるんですよね。タスクシュートがそうなんですよ。
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タスクシュートも、もう2000、2010年代は、特にまあ2010年以前はですね、まあ何それ感はありましたよ、はっきり言ってね。今は少なくともそうじゃなくなってきつつあるなと思うんですよね。
あの頃はGTDで前世で、タスク管理といったらGTDを指していて、まあもう本当に太陽と月ぐらいに、タスクシュートって存在感なかったんですけど、まあ今は全然違うじゃないですか。
太陽と火星ぐらいにはなってきてる気がするんですよね。わかんないけど、とにかくそういうことで、あの
まあ精神分析はね、もともとはもっと流星を誇っていた時代もありましたから、何とかなるんじゃないかと。すごい流星を誇らせようとかはさらさら考えてないんだけど、まあ
一般的な知識としてみんなが知ってるぐらいはありなんじゃないかと思うんですよね。
そういうことを目論んで山崎さんとは9月の26日にイベントするので、これを聞いている方はですね、いつも通りパスワードの置き場で
割引かれますので、チェックしてください。
さらにですね、本が出ます。これは9月の24日。
6月下旬はラッシュなんですよ。だからこのところ忙しかったわけですが、J松崎さんとの協調。タイトルは戦略的無計画です。
まあ戦略的無計画聞いてピンとくる人は少ないかもしれませんが、これはタスクシュートのことを指しています。
タスクシュートの話はほぼ出てこないんですけど、戦略的無計画というのは非常に忙しい人は無計画であるべきだとはいえ、
ただ無計画になるのは怖いでしょうし、ただ無計画になって活動が不安があまり停止してはまずいので忙しいわけだから、
タスクシュートというものに預けてしまいましょうと。タスクシュートは自動的に計画を練ってくれるわけでも何でもないんですけど、
ただ今カイロスAIというのがくっついたので、今後そういう流れもできてくると私はその実験を今盛んにしているわけなんですけれどもね。
まあ皆さんがそうイメージする計画のイメージとは多分かけ離れたことを僕はやってますが、しかしまあとにかくやってるわけですよ。
でそのカイロスAIの実験みたいな方向が生まれるところの、何て言うんですかね、起点には戦略的無計画というべきものがあるんですよ。
で戦略的無計画というのは要するに無計画なんだけど、無計画にタスクシュートを使えばそうなるんですけど、そのことを非常にJさんが非常にJらしく、かつ優しく、かつビジネスショライク、自己啓発っぽくですね、書いたらああなったっていう本です。
僕単独では絶対書けない本なんで、そういう意味では強調というのにふさわしいのではないかと思うんですね。
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で方向性というか基本的な考え方の書くには同じようなものが全く同じものはないですよ。2人同じ人間じゃないか。でもまあほとんど同じと言っていいものを非常にJさん流に表現するとああなる。
非常に佐々木流に表現するとだいたい受けないんで、少なくともここのところはもうしょずりで絶対終わるんで、それはもう避けたいということでですね、私が避けたかったわけですよ。
あの手この手で、価値観をタスクシュートに計画を預けてしまって、自分は計画を手放しても計画的な問題は何も生じないんだが、自分は計画のことは、だからほとんど無計画にやってるようなんだけども、回るようにはなってるっていう状態を実現するための考え方が戦略的無計画。
私からすると戦略的無計画にタスクシュートを使おうなんですけど、そこさえ切ってしまって、とにかく戦略的無計画をまず入れるんだ、インストールするんだっていう本です。
これを読んでいただいた上でタスクシュートを使っていただけば、いくら何でも私たちが言いたいことは伝わるんではないかと思うんだけど、私のこの種のいくら何でも何度も何度も何度も失敗してきてるんで、何か自信はないんですけど、でもまあいけるんではないかと。
しかも自分だけでやらなかったからね、今回は。Jさんがやってくれたんで、そこがミソですという本ですんで、これはぜひ買って読んでいただくと本当にいいんじゃないかと。これは2000円で手に入るなら2000円しませんから、1740円かな。とにかく悪くないんじゃないかと僕なんかは思うんですよね。
まあこれも何度も何度も同じようなことを言ってますけど、基本的にスルーされてる気が、いやそれは僕のまた悲願かもしれませんけど、みんなすごい真剣に受け止めてくれてる気もするんですけどね。
とにかく無計画って怖いんですよ。この話も山崎さんとの時にします。タスク集合使ってします。認定トレーナーさんをゲストに呼びます。そこまでやって徹底して、何を僕が言わんとしてるのかをやっぱり分かっていただかないとやる意味ない気がするんで、やります。
戦略的に無計画ってのは一番僕が思うのは、タメの挿しってのがよく言われるんですけど、ジャグリングを思い出してほしいんですよね。弾が1個ならいいんですよ別に。何計画だろうとかに計画だろうと。弾が1個ならば回りますよそりゃ。ポーンとここに投げて下に落ちてくる。これでいいんですよ。
弾が10個になりそれぞれに火がついてるとなってきたら、やっぱり計画がいるって人は思っちゃうんですけど、計画してる暇はないんですよ。だって弾ずーっと空中にあって次から次へと落ちてくるのに、計画この弾をまず投げてとかって言ってる暇がないじゃないですか。そこを回すのが戦略的無計画。あれは1個ずつ回すしかない。
1個ずつ回すんだけど、どれも落としちゃいけないんですよ。しかも火がついてもダメなんですよ。手に火がついてもダメなんですよ。こういうことを考えるのが非常に難しいから、我々はまず計画しようと考えるんだけど、それが無理なんですよ。回っているから6個が回ってるんであって、下に置いちゃったらもう回らなくなるんですよね。この矛盾を解くためにタスクシュートはあるんだぞっていう話をします。
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これは9月26日にもするし、おいおいここのところも1ヶ月ガンガンこの話はしていきますけど、秘密にすることは何もないんで、ずっと喋ってきたことなんで、単に比喩が変わってるだけなんでね。
とにかく結果としてはタスクシュートに預ければ、これをGTDではGTDというのを名指しにしてはいけないと思う。ここら辺もめんどくさいんだよね。GTDライクな考え方、つまり先にどういうふうにジャグリングを回すかを考えてから回すってことはできないんですっていう話ね。
これも批判の的になるかもしれませんけれども、それこそ炎上するかもしれませんけど、火がついた弾をですね、火つけた場合、こういうふうに頂点の弾はこれになり、少し落ちた弾はこれになり、実際計画と言われてやってることはそういうことですからね。それをシミュレーションしようといくら考えても無理ですという話。弾は回しながら回し続けるしかないんですよ。
ジャグリングって実際そうやるんです。ジャグリングってできるわけじゃないですか。できる人にはね。僕にはできないけど。できる人にはできる。あれはなんでできるのかというと、一個一個飛ばしてるだけだから。全くタスクシュートは同じことをやっているんですよ。
で、あそこに一個追加するとか不可能じゃないですか。不可能なことをしようとしなければジャグリングは回り続けるんだが、あれでどんどん弾を増やしていこう。達人になってくると弾を増やしていくってこともできるんだけど、それもタスクシュートと似てるんですけども、でも限界はありますから。ジャグリングの名人だからといって弾100個にできるかどうか、そうはいかないじゃないですか。限界はありますからね。
で、その限界とは何なのか。24時間なんですけれども、その限界というのはつまり円の大きさですよね結局。ジャグリングは円を絶対描く。円の大きさというのは手の幅の広さに左右されるわけですよ。それをスキルによって無限に広げようというのは土台無理だって。
ジャグリングのスキルをどんなに上げても、球の数を1000個にすることは不可能だっていうことですよね。こういうことが見えるツールを使う必要が最初はある。ジャグリングの最初の訓練とはどうやるのかっていう話を、それはメタファーでしかありませんがしていこうと思っています。
といったところでいつも通りの話にはすいませんお待たせしました。毎回10分前後お待たせしちゃいますが話をするわけですけれども、これらの計画を私は計画というかいろいろな仕込みを今やむを得ず仕込んでいる。
私は別に忙しくなったからといって何か良いことがある人間じゃないんで頑張るしかないぜっていうところ。それこそジャグリングの球を増やしているわけですよ。要するにね辛いなあっていう辛いっていうのは球が落ちそうな気がしてくるっていう話なんですけれども、このジャグラーをやっているものとしてですね。
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スペシン分析という考え方をここに導入しなかったらもう私は仕事も持ってないしダスクシュートも持ってなかっただろうし、もちろん保ててないってことですね。もちろん3ヶ月チャレンジなんでそもそも影も形もなかったからですね。
ということになるわけですが、究極、今のところはビヨンとクライーンを往復運動しているんだっていうことが、それはフロイドを参照しながらってことに当然なるし、実際フロイドを時々読むわけですけど、まさにそういう形をとっているんだなっていうことが最近明快になって、もともと言ってることと何ら変わってないですけど。
非常に明石になってきた。それはやっぱりビヨンのおかげであると。ただしビヨンを理解するにはクライーンを理解しないわけにはいかないと。ここに矛盾があるんですよ。
つまりフロイドから1体分けですよね。フロイド、クライーン、ウィニコット、ビヨンって勉強していくのが多分良いんですが、そうするとフロイドを伝説するんですよ。逆が良いんですよ結局。ビヨン、ウィニコット、クライーン、フロイド。ただし、そうするとビヨンはよくわからないわけですよ。
でもビヨンがわからなくなったら、ビヨンをわかるために一生懸命クライーンなり和月さんなりを参照すると。
なんだっけな。これ何かに似ている。全ての哲学は結局はプラトンの…じゃなかったっけ。ソクラテスのだったっけ。客中に過ぎないみたいなあれですよね。あれに似てますね。
結局全ての精神分析はフロイドの客中に過ぎないのかもしれないんだけど、でもそういう言い方ってやっぱり正しくないと思うんですよ。本当に間違いなく絶対に、例えばですけど、カントはプラトンの客中に過ぎないのかというと、それはそういう読み方もあるんでしょうけど、そうじゃないような気がするんですよね。
なんかそれと似てます。ビヨンとかはフロイドの客中に過ぎなくはないんですよ。でも結局というか先鞭をつけたのは確かにフロイド。天才ってのはそういうことなんだなって感じがするんですけれども、ビヨンをでもやっぱり理解するためにいろんなことをしているっていうふうに捉えることはできる。結果としてそうなってるなって感じはするんですよね。
やっぱりビヨンが東映ドイツか激しいとかいう言い方するんですけど、排出なんですよね結局あれはね。排出って何のためにするんだろうっていうのが僕のここのところの悩みの種だったわけで、もちろん私もするというかみんなする。排出はするわけです。何ならトイレに行くのは何でだろうっていうのに近いんですよね。
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トイレに行くのは何でだろうって考えたときに結論が出た。結論が出たというか僕なりの解釈ができるようになったんですよ。トイレに行くのは結局自分を一定の範囲内に収めるためなんですよ。だと思うんですよね。もう可能な限り何でも栄養にするんだってやるとデブるじゃないですか。
カツマカセオさんとお話しして面白い話を聞いてたんですよね。デブに癌はいないみたいなよくわからないんだけど独特のそういう話を彼女がしてるっていうよりは、癌になると痩せていって末期になるとそういう風になるよねと。
だから人間が結局必要な栄養をいかに取り込んで、だから彼女はなるべく空腹は我慢しないようにするみたいなすっげえ変わってんなと思ったんですよ。その話を聞いたとき。これ秘密じゃないよね。彼女別にそんなに見た目ひどいみたいなことは全然ないんですよ。すごい動くからね。ゴルフとかもやるし。
で、僕が思ったのはそういうことよりも多くの人はこういう発想には絶対ならないよなと。いかに食べないかでみんな頑張ってるじゃないですか。特に今時の人は。なんか結構驚くんですよ。お腹が空いたらカツ屋に入るみたいなことをおっしゃっていて、この方がカツ屋に入る理由なくない?みたいに思っちゃった。なんかお腹が空いたらすごいおしゃれなカフェとかにすぐ入りそうじゃないですか。カツ屋に入るイメージ全くないなっていう感じがしたんですけど。
この栄養をとるんだみたいな発想。僕より年上ですから、その感覚がすでにすごいなって思ったんですけど。疲れちゃダメなんだとか、痩せちゃダメなんだっていうそういう発想って、自分っていうものをマキシマイズにしたいって思ったら、ああいう発想いるよなっていう。
なんかあのね、すごい知的な方だけど、大谷翔平みたいな雰囲気を感じさせるんですよね。大谷翔平さんってすごい体重増やしてるんですよね。一郎と全然発想が違うんですよ。一郎みたいな発想ってストイックだっていうのかな。ライブハッカーが好きな発想だと思うんですよね。
ルーティンにしてストイックにして、自分は無駄な税肉はいらないみたいな感じで、そしてこう同じ結果を残すみたいな感じじゃないですか。ライブハックってああいう人が多いなって感じなんですけど、大谷翔平違うんですよね。100キロ以上にしてボール飛ばすみたいな。
これでものすごく体にケアをつけていれば、そんなに早々怪我はしない。たぶん、160キロ投げてホームラン30発撃ってたら怪我しちゃうと思うんですよ。ほとんどあのレベルの人ってそうなりやすいじゃないですか。すごくプロ野球見ていて、長期で怪我で離脱しないデカいスラッカーってすごい少ないと思うんですよね。
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あれは大相撲の力士が今すごい怪我しやすくなってるのと話に似てると思うんですよ。グラウンドって大きくなってないから。グラウンド大きくなってないのに体デカくなってスピード速くなってるから。だからホームランとかも増えてるし、急速とかもおかしなぐらい上がってるじゃないですか。佐々木老貴とか痩せてますけど、なんか160キロとか普通前出なかったんですよ。なんかね、昔面白かったんですよ。甲子園でスピードガンとかで計測してるわけですよね。
で、ある種のスポコン漫画とかだと160キロを超えると計測器がぶっ壊れるんですよ。すごいおかしいですよね。なんか計測器が火とか吹くんだけど、火吹かないだろ160キロを超えたからって思うんだけど、だって計測してるだけだからね。なんか160キロを超えた瞬間に計測器がぶっ壊れたみたいな。それだけ弾がすごいってことなんだけど、別に計測器に弾ぶつけてるわけじゃないんで壊れないでしょそんな。
しかもなんかガラスとかが割れてるんだけど、針が振り切れたからってガラス割れないだろって感じがするんだけどね。それぐらい160キロってすごかったんだけど、今なんか常識的にみんな出してますよね大力が160キロ。なんだろ165キロとか出してますからね。でもやっぱ肩壊れるんですよそんなことやってれば。そういう速度は出ないことになってるわけだから人間が普通に生きてたら。だからいろんなことやってるわけですよね。
ドミンジョン手術とか無茶苦茶じゃないですか。160キロ出すために肘手術してるんで。そういう世界だと思うんですけども、僕はだからカズマさんの発想ってすごい良い。自分がやるかって言うとそうはしないんだけど、発想として多分正しいんだろうなと。すごい気を使ってエネルギー取り込んでいくことで自分ってものを拡張していくことができるって発想なんだと思うんですよね。
で、こう考えてみたときにだからそうか排泄っているんだって思ったんですよ。結局は排泄っていうのは自分を小さくしておくってことだと思うんですよね。一浪スタイルですよね。
で、取り込みと排泄って言ったときにこの精神病部分と病が名付けた。つまり排出ばっかりしがちで取り込みができなくなっていくっていう話になってるわけじゃないですか。なってるんですよ。精神病部分と非精神病部分って言ったときに精神病部分はとにかく投影ドイツ化に頼るわけですよ。
あとスプリッティングに頼る。だから軽リンクを壊すって言い方するんだけど、繋がりを砕いては外に出すっていう。これをクラインの発想だと嫌なもの嫌なもの辛いものだから外に出すなんだけれども、まあそうなんですけれども、でも結局辛い苦しい嫌だだから外に出すぞっていうのは考えようによっては自分を小さくしているわけですよね。
だから私よく思うんですよ。PSで人のせいばっかりするっていう人の話よく出るじゃないですか。私それは非常に多積的って言われて批判されるけど、いや多積的な人っていうのはすごく謙虚だよねって感じがするんですよ。
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病理がひどくなってきた自責的な人っていうのは世界の責任を負っちゃうわけですよ。精神病性鬱になるとプーチンがなかなかウクライナから撤退しないのも私のせいなんですみたいな。いやそれってすごい世界を背負っちゃってますよねっていうことなんですよ。
これが精神病性鬱なんです。古代な事跡みたいな。なんかちょっと違う言い方なんだよな。でもそういうのがあるんですけれども、そこまでは行かないにしても時々こういうことを真顔でおっしゃる人がいる。私が休むと会社が回らなくなるんですみたいな。いやそんなはずないでしょって思うんだけど、その方にそういうふうに言うとすごい傷つくから一生懸命聞いてるし。
だんだん聞いてるうちにそういうことねみたいなのはわかってくる。例えばあるデータベースの操作の仕方は自分しか知らないみたいな話から回ってくるんだけど、それは押し付けられた仕事みたいな感じになっていてっていう話があるんだけど、それってつまり自己領域を広く取ってるわけですよね。
逆のことを言う人は要するに、いや俺なんかいなくたって会社なんか全然回るんだよとか言って、他人の悪口をいっぱい言って、あの会社では俺を必要としないでこうこうこうすごく謙虚なんですよ。聞き様によっては。悪口ばっかりかもしれないけど、つまり自分の力ってものをほぼゼロに、ゼロかゼロに限りなく近いものとみなしてる。
多分会社ではいやこの人もっとコミットしてくれると助かるんだけど、だってみんな思ってると思うんだけど、そうじゃなくてそういう人は多責的なので、いや責任ってみんな他の人にあるでしょ。私何もできないしみたいにそういう悪口の言い方してるからえらい謙虚なんですよね。自分をすっごく小さく見積もってるわけです。
で、ここに排出がありますよね。とクラインは言いましたね。PSポジションにおいて悪いものは外にあるんだということを言うってことは、悪いものは私の手には負えないんですっていう話だから当然。だからそれは謙虚だという見方も取れると思うし、何よりも自分を小さくしている。
このことをこの番組では繰り返し言ってますけど、遠畑さんが心のモヤモヤとスッキリっていう表現で、スッキリを排出ですよね当然ね。トイレっぽさがありますよね。スッキリしてばっかりいると痩せる。ここに痩せるが出てきますよね。スッキリばっかりしてると痩せるわけですよ。このことを一間さんが結構強調されてたわけですよ。スッキリばっかりしてると痩せちゃうよと。痩せるとすぐ疲れるよと。疲れるとやる気しなくなるよと。
なんとなくあの方がおっしゃるライフハックにつながってくるじゃないですか。疲れちゃダメだよと。そういうことを痩せてる私に向かって言ってくれたわけですよ。だから私いつもこの人親切なと思うんですけれど、なんか誤解されてるなと思うんですよね。
もう僕簡単には太れないんで、それはそれで彼女に比べて全然食べないとかそんなことはないんですけれども、ただ結局退社に対して取り込みが追いついていないというのはですね、心のメタファーなんですよ。全く限りなく近い表現を美音もクラインも取るんですよね。退社とか排出に対して取り込みが追いつかなくなる。
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バランスとしては取り込み同一化が要するに、これはクラインの概念の拡張なんですけど、良いものを取り込んで良いものになっていく。だから母親を取り込み母親になっていくっていうのが赤ちゃんの最初の仕事になっていくんですけれども、これは投影同一化なんですよね。だって取り込んでるのはミルクであって母親じゃないですからね。
それは母親の体内から出てきた需要だから、いくらか母親に肉体力を何度かも知れないけど、多分になりそうですけど、しかし母親になるのとミルク取り込むのは全然関係ないじゃないですか。と現代人は考えるわけですよ。ところが精神分析家はそう考えないんですよね。
クライニアンクラシックスっていう結構読んでてすぐ寝ちゃう本なんですけど、ハイマンの逆転異論は短くて素晴らしい論文だったんですけどね。誰かなちょっとリンドバーグちょっとグリーンバーグかなんかそういう人がちょっと知らない知らないって知ってるんだけど名前がすぐ間違っちゃう人がですね書いていたその貪るんだって貪るんだ貪るんだっていう一生懸命貪ることを書いてる人がいるんだけど、
つまり今だって我々は肉を食べる時実はムサ食ってるんだぞ何が言いたいかというといいものを取り込んでそれを自分の思考にしようとしてるんであって物を食ってるんじゃないんだぞっていう物を食ってるんだけど精神分析家はそこをすごく強調するわけですよ人によってはあれはいい論文だなって私思ったんですよね。
とにかく考えるんだっていう考えてるんだ。要するに赤ちゃんっていうのはミルクを飲んでるわけじゃないんだと。母親を取り込んで母親になろうと頑張って考えてるんですよっていうことを一生懸命書いてる人。あれ私Kリンクの考え方のベースにすごいあるなと思うんですよ。
なんていうのかな。吸い込むとか取り込むとか取り入れる。インストールとかって言うじゃないですか。我々はもう概念と物を完全に区別した気になってるから物食べてる時に何してるかって本当のところはよくわかって食事してますみたいに言うんだし食事してるんですけど私たちは本を読んだ時もこうだから本を読んでる時だってムサ持ってるんですよ食べてるんですよっていうことを彼は一生懸命書くわけですよね。
伝わってない感じがするんだろうなって思ったんですよね。やっぱりこう本を読む時だって子供はきっとミルクを飲んでる時の感覚と似た感覚を持って絵本読む。お母さんが絵本読み聞かせるわけじゃないですか。
それは授乳そっくりな行為なんですよっていうことを一生懸命言ってるわけですよねきっと。我々は絶対その意識の延長線で読書なんかしてないんだと。おっぱい吸ってるんだっていうことを彼は言いたいわけですよね。私はあれ大変正しいと思います。だから取り込んでそれを血肉にするとかって言うじゃないですか。読書絶対血肉になんかならないじゃないですか。
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メタファーですよねあくまでも。でもこのメタファーは単なるメタファーじゃないんだと。生きてるんだって言っているんだと思うんですよね。この取り込みをしなくなるのが排出なんですよ。だって逆だからね。で取り込むのが非精神病部分の主要な役目なんですよ。取り込み繋いでアルファ夢思考にして私のアイデンティティの一部というか私の世界を形成すると。
そうすると私というものが保たれる。内視が拡張する。逆が排出なんですよ。逆いりますよね。だって自己は無限に拡張できないんで当然逆がいるわけですよ。それが精神病部分と言われているところのおそらく機能なんですよね。排出して繋がりは断ち切っていらないものは外に置き、β要素として無意識化するんだと。意識から外に出しちゃうんだと。
そうすることによってここは自分の範疇ではない。ここを自分がやることではないとかここは自分の知ったことではないとかそういう領域を作っておくことによってこの要するに何て言うんですかね。ある意味平行と言うんですかね。あるじゃないですか。動的平行みたいな言葉があるじゃないですか。これを実現しているっていう考え方が美音はこの精神に応用しているんだと思うんですよね。
要するにα要素として取り込む、β要素として吐き出すっていうことを新陳代謝的に繰り返すことによってアイデンティティというものを一定の大きさに保っておくと。精神病状態というのは要は取り込みができなくなっていく状態。だから物を食べれなくなっていくみたいな話ですよね。排出が圧倒していって事故が壊れかけているのになお排出していくっていう状態。だから事故が外に出る。
これでですね、私ちょっと悩むのが事故が外に出るってなかなか私の中ではイメージがつかないんですよね。
あの精神統合主張の人で時々っていうかもうしょっちゅうなんですけど、その話は河内さんが動画でも話されてたんですけど、例えばクーラーの配管から人が覗いているとかクーラーの配管そのものにそもそも目があるとかそういう子供のうちの3歳ぐらいの時に逆にゲシュタルトになって点が2つあるとあそこに顔があるように見えて怖いんだよみたいなことを言ってたんですよ。
そういう時代があったんですよね。あれはもちろんクーラーなんだけどそれはわかってるんだけどどうしてもあれとあれが目に見えて、見えるんですよそう言われるとこれが鼻になってるよねみたいな。
事故の一部が外に置かれるっていうのはあれの拡張版で言うならば水木しげるとか梅塚蔵の世界なんですけどなんかこうあるじゃないですか急に破壊しに顔が現れてけけけけとか言い出すやつああいう感じなんだと思うんだけど、私はそういうのがね全然相当ない人間なんで全くあれを見ても正直だからあの種のホラー見ると笑い出しちゃうってところはあれ一本間違いのギャグですからね。
30:07
あれは本当にギャグと怖さのすれすれの線ってあるんで僕にとってはほぼ全部ギャグになってるんで、なぜならあれがそうは見えないんですよ結局であれは自己機能が外に出るつまりだって破壊師が笑い出すというのは自分が笑うという機能を持っているのを破壊師に投影しているのはほぼ確実だと思うんですよね。
いやすいません本当にスピを信じている人からするとこれは暴言かもしれないが私の考えでは絶対それ以外はありえないと思うんですよあくまでも自己機能の一部自我機能の一部が外にだからこそやっぱりウェブカメラが見ているんだしならば目に見えない盗聴器が仕掛けられていて私のマスターベーションの状態が世界中に配信されているということになってるんですけどそれはある種ギャグに聞こえるんだよ。
だってそれを見たい人がそんなに多くいるとはとても信じられないですからね。
自我機能が外に出るでそれでも私がかなり信じられるというか過労死でイメージできるのは私多弁なんですよね。
おしゃべりなんですよ。このおしゃべりって機能は外には出ないまでもなんかこう話させられるみたいになったらわかる気がするんですよ。
ビオンが言うのは結局対象に飲み込まれるまたは対象を飲み込むって言い方するんですけれども例えば石とかが私の口とかを飲み込むみたいなバラバラになってますから自我をバラしてでも外に出したいつまりいろんなところが気に入らない結局いろんな体験が気に入らないから体験にまつわるものを全部外に外にとだからさっき言ったようなこの苦痛だから外に出したいとかではもはやないわけですよ。
自己自体が苦痛みたいなところがあるから自己をバラしてとにかく苦痛じゃないもの苦痛じゃないもの以外は全部外に出したいみたいな感じになるから例えば自分がおしゃべりだそのおしゃべりだってことが気に入らないから喋る機能を外に出してしまおうみたいでそうすると自我のその出された部分は本体から消えてなくなるつまり喋れなくなるんですね。
なんでこれが起こるかというとこれやっぱり自分がおしゃべりであることを恥じているっていうのが強烈にある場合そういうことが起こると思うんですよ。
でこれって結局どういうことかというと理想的な自分というものの半径というものは狭めれば狭めるほど理想化しやすいんですよ。
このことはですね実はタスクシフトで説明できる気がするんですね。
タスクシフトっていうか時間管理で理想の時間割を作らせると事故の多くの部分が排除されてしまうんですよね。
いや俺はSNSしない人だし本来とかになっちゃうわけですよ。
33:02
俺は休み時間とかに無駄な休み時間を取らずに英語の勉強するしみたいになって理想の自分以外はいなくなるわけですよね。
そうするとそれを達成できないじゃないですか。
それを達成するためには狭めるしかないわけですよ。
自分というものを小さくする。
小さくすることによって白と黒の自分から黒を排除すれば白い自分ができる、残る。
ただしその白い自分は狭いってことになるわけですよね。
でSNSをやるような自分は例えば俺ではない。
これを本気で信じ込むことができればつまり分裂ですよね。
人格が乖離していくわけですよね。
要するにSNSをやってる奴はカタカナのショウゴ君だみたいなそういう奴ですよね。
あいつは俺じゃないんだけど。
だからそういう理屈を考え出すわけですよ。
ゲーム機があいつを乗っ取っていて勝手にゲームをやらせてるわけですよ。
そういうことになるわけ。
そういう話をする人はいないけど何となくそういう感じってあるじゃないですか。
世の中には。
だから私例えばですけれども会社の同僚がおしゃべりで
すげえそいつがしゃべりかけてくるから
やむを得ず付き合っておしゃべりの時間が長くなって本当に迷惑だみたいな。
これは迫害的ですけれども
この迫害的な発想から自分ってものを少し
あれは本当の自分ではないんだと言わんばかりですよね。
本当の自分はもっと理想的なんだと。
そうすると24時間のうちの例えば30分はもうないわけですよ事故は。
事故から排除される。
23時間30分だけが自分なわけですよ。
こうやって自分が減っていくんですよ。
これが痩せこそるの意味だと思うし
理想って話だと思うし
排除とか排出とか投影同一化と呼ばれているもの
投影して相手につまり私はしゃべってるのではなく
しゃべらされているのであるということにするわけですよね。
しゃべるという自我機能は
ある意味しゃべりかけてくる同僚のものになっていて
そしてしゃべるという自我機能はそこによってなくなっているから
私は無口でもっと仕事にもっと向かう理想的な人間
というものがここに残るわけですよ。
これを極端な形で多分やると
そういうふうに分裂させた自分
短編化させた自分というものができたり
意思がしゃべり出す世界までいっちゃうと。
まずそういうところまでいかないけれども
そういうのが延長線上にはあるということですよね。
なぜなら精神病部分は全ての人にあるというのがビヨンの言い分だし
あれは絶対正しいと私は思うんです。
だってじゃなきゃ墓場の運動会みたいなものが
広範囲に受けないじゃないですか。
やっぱりああいう世界って多くの人が知っているからこそ
ああいう世界が描かれて
水木しげるが受け入れられるわけですよ。
だからああいう世界では
壁がしゃべり出したりネズミがしゃべり出したり
いくらでもできるわけですよ。
それは自家機能が全部外に吸っ飛んでいって
36:00
外の物の中に入っていって
それはだから極端な東英ドイツかっていう風にビヨンが言ったもの。
クラインは東英ドイツかあくまでも対人間であることだったから
それが物に対して
壁とか墓場とかATMとかそういうものに
コンピューターとかコンピューターしゃべることはしょっちゅうありますよね。
あとあのなんだっけ
カンコレとかだったっけ知らないけど
船が美少女化してたじゃないですか。
ああいうことも我々は平気でやりますよね。
だからああいうのって結局
普通にあるんですよ。我々の中にも。
排出っていうものがないとああいうことできないんで
外に出すってことをしないとできないじゃないですか。
つまり自分の一部を切り取って外に出すと
外に置くっていうことをして初めて
ああいうことが成り立つわけですよね。
しゃべる、見る、聞くみたいな
そうすると取られた人はしゃべれなくなるし
そういう物語がドラえもんにもあったような気がした。
目だけどっかに置くみたいな
あの発想まさにそのまんまなんですけど
実にその人は目なくなるんですよね。
のっぺらぼうみたいになるんですよ。ドラえもんの。
なんかやった気がするんだよな。
あれですよね。全くああいうことだと思う。
だからこれは機能を外に置いたわけですよね。
それは機能に恥とか罪があるからだと思う。
しゃべりすぎるとか
見るとか聞くとかそういうものが
少なくとも旗迷惑なものであるみたいな
考え方が理想的な自分は
のぞき見たりおしゃべりだったり
聞き耳立てたりしないわけですよ。
あるいは母親がそういう風に言ってきたみたいな話がある。
だからそうするとしゃべれなくなり聞こえなくなり見えなくなる
ってことが起き得ると思うんですよね。
これ非常にしかも具体的ですよね。
精神病部分の話でもう一つ出てくるのが
β要素ってことにまつわるんですけど非常に具体的な
具体的ってのがやっぱり
幼児の世界だっていうことも
だから墓場が運動会なんだけど
幼児の世界だっていうこともあるし
非常にこう
具体象徴みたいな話もそうですけれども
極端な世界に見えるというわけですよ。
松木さんがよく出してくるのは
胸に助成器が入っている。
それは要するに性的なことを考えているとかいう意味なんだけれども
胸に助成器が入っているわけですよ。
具体的な世界だから。
具体的な世界だと具体的に行動を取ることしかできなくなるんですよね。
私にとっては肌を掻くみたいな。
自分の一部を掻きむしって追い出すみたいな。
これ具体的ですよね。
何も考えてないからこういうことになってしまうわけですよね。
墓場で運動会を見てしまったらそれに対してどうすることはできないですよね。
もう恐れて逃げるとか
39:00
その場で呆然とするとかそういうことしかできないですよね。
これは一体何が起きてるんだろうなんて考えないじゃないですか。
具体的にそんなものを見ちゃったら。
だから具体的に何かを見るとか
具体的に何かを聞くとか
つまり自分のことを非難する声を聞いちゃうとか
あるいは自分を覗いている目を見ちゃうとか
そういうことが起きたら
それについて考えるっていう状態で
考えるってのはやっぱりあくまでも見られている気がするとか
自分の噂話が立てられている感じがするとか
それだったらまだ考えられると思うんですよ。
なぜそういうことをするのかとか
なぜ私はそういうことをされなければならないのかとか
前の日にとかそういうことを考えるためには
具体的である前の段階が必要
っていうことだと思うんですよね。
その時にはまだ心の中に置いてあるわけじゃないですか。
噂話とか覗き見られるというのは
不愉快かもしれないけれども
自分の意識の中で扱おうとしているから
つまり事故の範疇は一定の広さを
まだまだ確保しているわけですよ。
耐えられないとなってしまったら
具体的に見られている。具体的に見られているってことになったら
それはもう明らかに自分の心の中の出来事ではないから
心から追い出されたわけですよね。
そうすると自分の心はその分まだまだ
真っ当な世界でいられるわけです。
見るようなやつとか聞くようなやつは相手が悪いのであって
自分の悪行とか自分の恥ずかしい振る舞いの
せいではないと言える可能性が高くなるわけですよ。
だって例えば自分が何かちょっとしたことを
したかもしれないけれども
だからといって具体的に
クーラーの穴から盗聴器を仕掛けて
聞いていいはずがないじゃないですか。
つまりそういう具体的な行動に相手が打って出ているということは
やっぱり相手の問題なんですよね。
だから自分の反省からは外に出せるわけなんだけれども
その分自分がやっぱり
自分の範囲内として
考えるということを
自分を理想的というか真っ当な人間であるというのを保つために
すごく限界を超えて無理が始まっている
というのが多分具体的世界
ベータ要素の世界。つまり排出という話になっている。
ただ我々はみんな排出はするんですよ。
だって排出しないということになってしまうと
やっぱり自己領域が無限大になってしまって
それこそウクライナ戦争の責任も私が取らなければならない話が
始まりかねないわけですよね。
限界がどこかにあるのは間違いないから
排出がどこかでやらなきゃいけないのも間違いなくて
一切排出しませんということになったら
例えば部屋中に蚊がいても蚊は殺さないし
外にも出さないみたいなことってできないじゃないですか。実際には。
部屋の中っていうのはやっぱり自分にとって
このマシンごとだけで構成されるように作っていて
だから自分の心の中などというのは
ましてやですね、今目の前にハトカチが
42:00
蜂がいてですね
ガラス一枚隔ててるわけですよ。こういうことなんですよ。
これはもちろん排除してますよ。
排除しているし
部屋の中には最近流行りの
60日間効くやつで
ゴキブリとか出てこなくなるわけで不思議なんでしょ
そんなのは本来出てくるんだから放っておいたら
だけど自然に任せるっていうことが我々はできないわけですよね
排除はしないわけにいかないんですよ
排除しないということは
非常に無茶苦茶な生き方をすることに多分なるし
だからといって
結局これは動的並行なんですよ
取り入れと排除は
両方絶対必要なものであって
取り入れと排除というものが
特にどっちかが止まってしまうという事態が
結構だから
戸畑海人さんのスッキリとモヤモヤっていうのは
非常に統合的な比喩ではあるんですよね
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