1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. AIには転移できても逆転移され..
2025-06-10 37:42

AIには転移できても逆転移されない気がする【1200】

なんてことない相談にも転移空間は生じるし必要だと思う。
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f

サマリー

このエピソードでは、配信時の気づきや作業スタイルについて話し合い、日常生活と無意識の行動がどのように影響し合うかを考察しています。特に、精神分析や藤山直樹さんから受けた影響のもとでのエンターテインメントの価値について取り上げています。このエピソードは、全身脱毛を経験した男性の心理や彼の人生の苦悩を中心に、精神分析や逆転移の難しさを掘り下げています。また、AIが精神分析のプロセスにおいて逆転移を生じさせない理由について考察されています。このエピソードでは、AIと人間のコミュニケーションにおける転移と逆転移の概念について触れ、特に精神分析の文脈でのAIの限界や心理的影響について分析が行われています。転移と逆転移の概念に関して、体験を通じてしか理解できない痛みやトラウマの重要性が語られています。

配信の苦労
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1200回をお送りします。
6月10日、火曜日、8時7分です。結局ですね、諦めました。
つまり、前日に予約配信をするという、この設定をですね、
まあ無理だろうなぁと私の性格から言って思ってたんですけれども、やっぱり無理だったので、
最近なんか出て続けに配信してるじゃんって思うかもしれないですけど、1回多いだけですから、1回多いだけですから。
日曜分が多かった?そんなもんだと思うんですよね。
このまま行くと、1回、さらに2回多いことになるのか、今週は。まあでも別にそんなことは大したことじゃないんでね。
2つ理由がありまして、2つないか、4、1つか、でもまあいいや。
あのですね、1つ目が、つまり予約を配信するということを私は根本的に忘れるんですね。
あの先日はできたんで、できそうなもんなんだけど、実は忘れるんですよ。
配信、日曜日もそうだったんですよ。配信してしまったからあって思うんですよ。
で、戻すのって結局聞かれてしまった人がいるとなると、戻すと同じのをまた聞いてもらうことになりかねないし、ややこしいじゃないですか。
そういうのが年に1回ぐらいしかないならいいんだけど、多分僕年に50回ぐらい発生するんで、ダメだなこれはと思ったのが1つ。
もう1つは、やっぱりこう撮って出さないと、なんかこうすっきりしないですよね。
私多分これ、ほぼライブで出したいんだと思うんですよ、本当は、本心は。
でもライブで出すっていうのは結構神経が変に疲れるんですよね。これはこれでさすがにやりたくないんですよね。
前にライブで出した時に、自分トラブったと思って、そのトラブルのクレームを、これすっごい僕のだいぶ前の話なんですけど、完全に妄想の世界なんですけど、
なんかXで投稿されていると思ったんですよ。でもそれは全然誤解で、でかそもそも相手の人っていうか聞いてた人がそのXに投稿した人と別人だったから、
もう本当に妄想もいいところでそういうことが起きたんで、なんか嫌なんですよね。
いやもうこれトラブってないってことなんで、僕の妄想なんですけどね。
いや妄想ってあるなやっぱりと思いまして、でまぁそのね、ライブでやってると一人で全部やってるから、聞いてる方からするとそうは思わないかもしれないですけど、
なんかね、レター読まれなかったとか、すごい色々と妄想を膨らまされることもあるっぽいんですよね。
でもね、レターを読みながらこれ話してると、何話してたか完璧に、そうでなくても完璧に忘れることはあるんだけど、レター読みながらとか話せないんですよ。
僕はやっぱりラジオのパーソナリティじゃないんで、その辺できないんですね。できそうに思うと思われるんですよね、僕ぐらいやってると。
ところができないんですよ。どっちか完全に落ちることがあって、それがなんかこうね、残念な気持ちに聞いてる人をさせるというのも、
なんかお互い残念な感じがするんで、僕ができないことに挑戦し、僕がやり損ねたことが意図的なものだと判断されるっていうことが起きるっていうのがですね、僕はやっぱりこれは厳しいなと。
Jさんってやってる時、できてるじゃんって思われるかもしれないけど、あの時は事務員の人はね、後ろにバックでやっててくれるから、
佐々木さんこの質問答えてませんみたいなことが、裏で言ってもらえるんですよ。あれめちゃくちゃ違うんですよね。それを全部一人でやろうとすると破綻するということを私は知っておりますんで、
ライブはちょっと勘弁させてもらっております。コメントとかレターとか発信される人にしてみれば、読んでくれるだろうぐらいに思われるのはわかるんですよ。
僕のところに百通千通届くわけじゃないですからね。年に十通ぐらいしか届かないものを読み落とすなんてありえないだろうって思われるかもしれないけど、逆に年に十通ぐらいしかないものは読み落とすんですよ。
来ないものだと僕の無意識は思い込んでますから、それはだいたい正しいんでね。
昨日レターいただきまして、なんか配信されたぞみたいに書いてありますが、あれはミスではなく諦めようと思った配信なんて大丈夫です。1日2回配信しちゃいました。
てかですね、1日2回配信できるなと思ったんで、それをやろうかなと思ったりもしたんだけど、これも夜とか毎晩毎晩できるとは限らない。なんか飯食いに行ったりするじゃないですか。
つまりそういうことなんですよね。別にできるんですよ。でも飯食いに行くことも結構あるっていうそういうことなんですよね。
だからあのとりあえずちょっと一旦元に戻します、要するにそういうことです。これがやっぱり一番楽だっていうことがわかったんで。
楽な方、楽な方へと人はやるもんですよね、ある意味ではね。これやる方が楽、やらない方が楽じゃんって思われるかもしれないけどそんなことはないんですよ、これがまた。
無意識の行動
僕これをやらずにですね、2度寝とかしても別に楽じゃないんですよね。不思議なもんですよね。なので1200回記念していつも通りわけわからん回になっておりますが、
今日も普通に明日からもこの流れで。ただこれやってると朝は、これ朝なんで落とすかっていうとこれも簡単でして、朝ね、あのうちの娘の例えば運動会とかでうちの奥さん絶対行くぞみたいになれば落とすんです。
朝にやるってことになる。単純にそれだけなんですよ、はっきり言って。他の理由はね一切ないんです、はっきり言って。
だからもう朝出かけるとなると落とすみたいな、必然的に。だってもうこの時間準備して飯食ってるんで落としますよ、そりゃ。できないもん。
この時間これやりながら準備とかしてると多分奥さん絶対キレるんで。僕は奥さんがキレることを一番恐れるというところがありますからね、残念ながらね。
いや別に最近わかってきたんですけど、キレても一向に恐れる必要はないし、ある種恐れなくなってきたんだけど、やっぱりね、そこを押してまでこれを収録できるかというと僕の性格から言って無理なんで。単にそれだけなんですよ。
別になってことはないんです。なんてことはないんです。日常の単なるうち風景でしかないということですね。
今いいんですよね。奥さんはまあ、大リーグの試合にめっちゃ夢中になってたり色々あって、全然これをやるのにうってつけだし、娘はいないと来ているし、もういいわけですよ。
これで娘が休みの日だと何が起きるかというと、いきなり起きてきて、ご飯にするとかって言われるわけですよ。そうするとご飯にしちゃうんで、私は。
性格的に、別にこれを撮ってからにしようってもできるんだけど、そうはしたくなくなるんですね。
単純にそれだけなんですよ。なんか昔からそうだけど、仕事っていうのはそうじゃないだろうって言われるんだけど、僕その感覚がダメなんですよね。
成り行きが全ての人間なんですよ。事前にやろうと決めたことをやり抜くとかっていうのは本当ダメで、実は相当ダメなんですよ、そういうのって。
ただ僕は自分のその性格がよくわかってなかったんですよね。みんなそうなのかもしれないけど、学校とかで国語とか時間割で決めるじゃないですか、あの通りにできちゃうんですよ。
しかも僕はそれが自分の転生だと思い込みがちなところがあるんで、なんかね、フラザの計算さんって違うんですよね。
なんかもう一旦図工を始めてしまったら、鈴鹿くんの時間もずっと図工やってて、どんなに怒られてもやっちゃうらしいんですよね。僕それできないんですよ。
そういう人ってすごいなって思うんですよね。ある意味芸術家っぽさがあるじゃないですか。なんかピカソってそういう無茶苦茶な人だったようだって感じじゃないですか。
で、僕そういうところ全然ないですよ。国語って言われると、もう国語にできちゃうんですよ。でも僕本当はそうじゃないですよ。
すんごい成り行き任せな人間で、決めた通りに動くってすごいダメなんですよね、本当はね。でもできちゃうから、ついそういう人間なんだと思い込んでたところがあるんですね。
私がこれを落とすのは全部成り行きなんです。やろうとは毎回思ってるんですよ。ただ成り行きで落ちる、そういうことがあるんですね。
ってことをここ数日で再認識して、何度目かなってから認識して、こういう話で10分使ってるのも多分成り行きなんですよ。今日話すことは一応決めてあったんだけど、もう半ば忘れかけて戻しますね。
エンターテインメントの価値
戻すっていうのはつまり、この話はしたいってことだったなってことですけど、藤山直樹さんの、そうそうまだ脱線なんですけど、藤山直樹さんの話を僕は一時集中的にしてて、ノートにも返したことがあったんですけど、その頃どっちかっていうとっていうかほぼ並行だな。
5050で松木邦博さんが読んでたのに、一切出てこないんですよ。驚いたんですよね、僕ね。あれ何でなのかって、特にノートがそうなんだけど分かったのは、僕は物を書くときはエンターテイナーになっちゃうからなんですね。
やっぱりもう本当にそれも割と転生はおかしいけど、そういうところがあって、やっぱ物はね、面白くなきゃダメだ。つまり文章を読むっていうのは一定のハードルがある。
つまんないとは言わないけど、やっぱりよく字ばかりの本とかって言うじゃないですか。本は字ばかりなんだけどね。いやでもね、字ばかりの本を読むのはやっぱ面白いからこそなんですよ。面白ければ読みますよ。
例えばですよ、めっちゃ下世話に行きますけど、なんで僕はこういうとき下世話に行くかっていうと、いやいやそれは知的で高尚だからだよとかって言われるから下世話に行くわけですよ。
それを徹底的に否定するために、いや、ダン・オニロクとかね、いるじゃないですか。僕はあの人好きじゃないんだけど、フランス松陰文庫とかあるじゃないですか。
字ばかりじゃないですか。で、書いてあることだってまあはっきり言って女姫をあげたとかなどばっかりですよね。でもめっちゃ読むわけですよ。なぜか読みたいからですよ。
それは文章で読む以外の方法がほぼなかった時代においてはですね、やっぱこれをくまなく読むんですよ。僕くまなく読んでたの。くまなく読まなくたっていいんだけどね。
風景描写とかすげー適当に書くからいう人たちは、人によってはね、すごい細かく頑張って書いてる一発の一発。失礼ですが、本当に物書き目指してますみたいな書き方する人もいますけどね。
そこを読みたいわけじゃないから、当然普通そこにすっとばすんだけど、僕はそこから読むんですよね。読みたいからですよ。そりゃあ。
だから僕は物書きというのはエンターテイナーだと。それが例え、ドシセーフスキーだろうと、あの人エンターテイナーですけどね。
トーマスマンだろうとですね、全然エンターテイナーとしては僕は出来がいいとは思わないんですけど、エンターテイナーなんですよ。物書きは。そうであるべきだと僕は思うんです。
だから藤山直樹さんはこう戻ってきた。藤山直樹さんのは紹介して面白い。間違いなくそう思う。松木邦弘さんは僕は読んでて面白いけど、これは紹介して面白いと思える自信がなかった。
で、そういうものは私は同じ内容を伝えるなら、より面白い方を選択するということで、一貫した方針はなかったんだけど、結果として藤山直樹さんばっかりになっていくっていう現象があったんですね。
で、最近読み直してみて、藤山さんは落語が好きっていうだけあって、エンターテイメントにしようっていう意識が強いんだなっていうことが読んでて分かりました。
当時はね、精神分析も必死だったんで割と。自分のこともあり、サンチャレみたいなものを立ち上げたいという意識もあり、必死だったんで。
全身脱毛の男性の心理
分かんなかったんですよね、この辺の。僕はそれを自覚する心の余裕がなくて。最近分かってきました。あれは面白いんです、彼はね。
で、章例も面白くて、章例が面白いって不思議じゃないですか。多分章例の面白さって、分析家によって違いはないと思うんですよ。やっぱり書き方の面白さなんだと思うんですよね。
で、今日お話ししたい話はですね、これは良い事例だなーって前々から思ってた事例で、結構ちょっとフィクション感もなくはないんだけど、でも分かんないですからね。
そういう、ましてエンターテインメント要素、つまりあるサンチャレの方と話したんですけど、小説書く能力みたいなものが臨章例作るのには、作るってやっぱり言っちゃいますもんね。求められるんじゃないだろうかっていう話。
今日は臨場感を持って喋れてるじゃないですか。これすぐ出すって意識と関係があるんですよ。だから元に戻そうと思ったんですよね。
これ明日朝出すものだと思うと、なんか97.3%ぐらいになっちゃうんですよね。100%いけない感じがあるんですよ。慣れればいけるかもしれませんけどね。
だからやっぱラジオのパーソナリティとかすごいなと思いますね。特に再放送ってことができる人たちは。
やっぱ僕は最近思ったんですけど、うちって野球ばっかり見るうちなんですけど、あと相撲とかで。タイムマシン、タイムシフトとかいらんのですよね。
野球ってやっぱり結果決まったものを後から見るっていうのはですね、見ますけど、ブインブルーノンとかそうやって見てるしかなかったからそうやって見てましたけど、つまんないんですよね。
結果わかってるものを後から見るっていうのは、見てるうちに面白くなるけど、やっぱりもう一つなんですよね。それと似てる、これは。よくわかんないんだけど、ライブ感が大事っていうことですね。
藤山直樹さんの話というか、昨日おとといずっとやってきた俗精神分析という意図なんですが、これの中のマズキスティックな、犠牲的世話役の女性の次の話。
全身脱毛になっちゃった男性の話なんですけど、こういう話ってやっぱり、今改めていろいろな体験をしてみてから読んでみるとですね、めっちゃ面白いわと思うんですね。
人生の停滞と変化
で、この全身脱毛になった男性ってのはすっごいありがちな話で、このすごいありがちって言いですよね。つまり、なんか病気がどうのこうのじゃなくて、人生の悩みってこういう感じだよなっていう感じなんですよ。
なんかね、悲惨じゃないんですよ、それほど。パッと聞いた感じは。でも、このままいくと結構大変になっていくんだけど、本人も身動き解けなくなりつつあるっていう、そういう感じなんですよね。
なんかこう、現実見当がおかしくなってるとかではないんだけど、このままいくとおかしくなっていくかもしれないっていう、そういう不吉な予感みたいなものが全体的に漂ってるんですよね。
だからこれが偽装で作り話だとしたらうまいなーって感じがしたんですよね。その辺が辻山さんなんですよ。なんかね、ちょっと松木さんの事例とは違うんですよね。
松木さんの事例はもっとこう、偽装感が減ってますますリアリティを感じるんですが、逆にこうなんて言うんだろうな。
松木さんの描き方も対応の仕方も含めてなんですけど、行き詰まる感じがすごいするんですよ。
のぺーっとした感じが足りないというか、常に行き詰まってる感じがするんですよ。
切迫感というか、息を潜める感というか、息苦しくなる感、その方が臨床らしいんですけれども、でも私たちの人生の悩みって常にそうでもないじゃないですか。
のぺーっとしちゃうってことってあるじゃないですか。このままじゃいけないんだけどなーと言いながら仕事をしていません。そういう日は1日目、2日目って進んでいく間はなんてことないと思うんですよね。
若い人の話ですよ、大筋。若い人で、いやなんか就職失敗してうまくいかないなーのぺーって感じ。
気がついたら10年経ちました。怖いじゃないですか。でもこういう話ってなんかその10年の間何が起きたんだって思うんだけど、何も起きてないみたいな。
こののっぺり感みたいなものが僕はすごくですね、やっぱり別に精神分析じゃなくてもいいじゃないですか。
だってそののっぺりしている間に精神分析にだけは通ってるってなんか変じゃないですか。お金はどうしたんだとか、どうしてそんなモチベーションだけはあったんだとか思うじゃないですか。
だからこう比較的裕福な家庭に乗って書いてあるんですよね。親が出してくれてるってことですよね。大人になって小説とかを書いてるわけですよ。
小説家になったらサラリーマンやらなくていいよなーみたいなノリが感じられるんですよね。
そのうちに仕事でも行き詰まり、なんか小さな文芸新人賞みたいなの取ったってこれもなんかリアリティがあるよね。下手ではないんですよ、そういう人の小説は。
でも読んでて面白いかっていうとさっきの話に近いけど微妙じゃないですか。そういう新人賞取ったからそれを機に仕事を辞めたんだけど意外と小説の仕事なんかないと。
でなんとなく働く気も起きていないと。のっぺりしてるじゃないですか。その中でなんか脱毛が進行していって、でも家族はその脱毛の話にはあんまりこう乗ってくれないっていうか、
別に気にしなきゃいいじゃないかとかっていう感じなんだと思うんですよね。でそのことに結構気づいて、なんとなく藤山さんのところに週に1回行くようになったんだけど、何にも精神分析でこれと言ったことが起きないわけですよ。
しかも藤山さんの書き方が良くて、臨床例がそうだったらもう死んないですけどね。いちいちこういうこと言ってんな。つまり書き方が良くてですね、この人はいろんなセミナーとかも出るわけですよ。
自己啓発権、それで人生が変わりましたとかって言うわけですよ。でも藤山さんはそれを聞いてて一向に何にもこの人の変わってる気がしねえっていう感じで話聞いてるわけです。
解釈はするんですよ。別に意地悪してるわけじゃないんで、ただ解釈をしてもすぐに同意されちゃうわけです。そういうことってありますよね。
あなたが今そういうふうに人生変わったっておっしゃってますけど、もう一つ変わったように感じられないみたいな解釈を例えばするじゃないですか。
あ、そうですね。すぐ同意する人っていらっしゃるじゃないですか。いるんだと思うんですよね。ここでもそうなんですよね。何にも進行しない感じが進行していくんですよ。つまりのっぺりした感じが進行していくんですよね。
で、その人は全身脱毛になったのがすごく嫌で、かつらばっちりつけて、ひげまでつけて、割と毛で覆われてるんですよ。
こういう話がですね、私はすごい良いなって思うんですよね。良くはないんだけど、こういうもんだよなっていう感じがする。
どこにも別に隣の人が私が仕事をしないことをひそひそ言ってますとか出てこないんですよね。どこにも出てこないんですよ。
それどころか、家に行って外に出るのが怖くなりましたとかもないんですよ。割と多分ちゃんとした見なりで、ひげもばっちりつけて。
だってつけるものだからそういうのって。かつらとかひげとかもつけるわけでしょ。つけて、お風呂の時とか多分外すでしょうし。つけて、ちゃんとしていて、仕事も一応探してはいると。
見つかってはいないんだよ。で、多分小説とかも書いてるんだけど、あんまり載れていない。原稿用紙の2枚目ぐらいで、今どき紙では書きませんわね。
途中まで書いている原稿があるんだけど、なんかパッとしないみたいな、そういう感じで。で、分析にだけ通って、あるいはセミナーとかに行ってですね。
いやもう外国人の人としゃべって、今日は感動しましたとかって言うんだけど、感動したようには見えないとか、そういう感じじゃないですか。
人生の見え方が変わりましたとかって言うんだけど、なんかそれほど人生が変わったようにも思われないっていう感じで、なんか1年が過ぎるとか2年が過ぎるとか、怖いじゃないですか。
比較的裕福な家庭から仕送りされていて、なんならそこから精神分析台も払われてるのかもしれないけど、何も何もこう新しいことは起きていない。
AIの逆転移の考察
インパクトのあることも起こらない。こうして事態が進行していく。でもですね、これは藤山さんが最初読んだときは全く気づかなかったんですけど、随所に、
2行ぐらいですけど散りばめてることがあって、でも退屈は覚えなかったみたいなことが書いてあったりするんですよ。こんな話は絶対退屈じゃないですか。
でも退屈を覚えなかったって書いてあるわけですよ。それ逆転になってことなんだけれども、やっぱり私がですね、ここでなんかちょっと唐突な感じがするかもしれませんけど、
これがやっぱりAIには難しいのではなかろうかっていうねことなんですよね。AIが藤山さんとという比較はおかしいんで、いわゆる精神分析のような解釈をしてくれるとかあると思うんですよね。
私もいろいろ夢分析とかしてもらったんですけど、何が一番面白くないかって、実は変異は起きてないってことなんですよね。
変異は起きてるかもしれませんよ。変異はね、私が勝手にAIに素晴らしいね君はとかっていう理想の恋人みたいにしちゃう。ここまではわかる。
あちらこちらで話題になってるよね。でも逆転異が起きてない。これをどうすんだっていうのがね、逆転異なくてもいいじゃんっていうケースはあります。もちろん普通に人生相談で。
でも逆転異っていうのは、さっきののっぺりした話がそうなんだけど、3ヶ月チャレンジでも私最初、いや変異逆転異は別に扱わなくてもいいよね、あははみたいなノリだった時代があったんですよ。
一期の最初の、特に1ヶ月目とか。でもそれがいかに浅はかで愚かなことかということがわかるんですよ。
相手の方の状態が軽いとか重いとか、だから僕はもうこの神経症水準、ボーダーライン、精神病水準、あれはわかりやすくていいけど、
野山さん、松木さんの本とかにそういう図がね、もっと複雑ですけど、ボーダーのところがもっと入り組んでますけど、パーソナリティ障害を含めて。でもあれはやっぱり寝だらめで神経症が軽いとかないんですよね。
だってさっきの全身脱毛の、全身脱毛という症状こそ心身症、身体症か、ありますけど、あるいは身体化ですけど、でもなんかこうパッと見別に髭をつけてカズラつければそれでオッケーじゃんぐらいなノリなわけですよ。
普通にセミナーとか行ってるし、外出もしてるしね。お金は全然稼げてないかもしれないけど、実家の両親が裕福で交渉はないけど金だけ送ってくる、これはすごい大事なポイントなんですけど。
でもいいじゃないですか。別に困らないじゃないですか。ちなみにこの人は、これもさらっと書いてあるんだけど、性的な交渉を女性と思ったことはなかったみたいなことが書いてあるんですけどね。
でもまあ、薄暗く森の中、なんとなく特に誰と会うというわけでもなく、コンビニに行って立ち読みして、髭をつけて、どうしようかなみたいな日々が何年も続くと。
とつとつと彼は語り、そしてまた私がそれに対して解釈をして、目新しくもない解釈をして、しばらく彼は考えて、またとつとつと語るっていうふうに書いてあるんですよね。
もうやめた方がいいんじゃないかみたいな感じってあるじゃないですか。この感じが、むしろAIとかだと出ないんですよね。
何て言えばいいのかな。まずそもそも支持的なことを言ってくるってこともありますけれども、何よりも僕が問題だと思うのは、やっぱり定義が一方通行になるっていう。
逆定義は起きないわけですよね。AIは退屈とかしない。何時間でも待ってくれるんで。で、藤山さんは退屈を覚えなかったって書いてるわけですよ。
AIと情緒の関係
退屈を覚えないということを意識するわけですよね。分析家は。AIはしないですよね。退屈をしないんだから。退屈を覚えないということは、退屈を覚えてないんだけど、同じ現象でも同じような表明をする理由がないですよね。
言うかもしれないですよ。将来進んで、いや私はこのやりとりに退屈を覚えていませんとか。でもそれも言う意味は全くないじゃないですか。
これがすごい違うと思うんですよね。有名な解釈をしてもらって、あ、解釈ってこうやるんだっていう参考には、私がするとかはできるんですよ。
あ、こういうふうに解釈するのね。なるほどね。特に自我心理学系ではねっていう。これはいいんですよ。そうじゃなくて、逆定義が全く起きない。起きる理由がない。向こうに情緒がないんだから。
向こうの情緒を勝手に僕が投影するっていうのはいくらでも起こる。でも向こうに情緒がない以上、向こうは起こらないわけですよ。起こったフリはいくらできてもですね。
だから逆定義が起きない。藤山さんの場合逆定義が起きる。解釈が妥当かどうかとかは、この際あんまり大事じゃない。
3ヶ月チャレンジで身に染みてわかったことは、相手の方の状態が非常に悩みが深かろうと、そうでなさそうに見えようと、逆定義が起きるっていうこの厳然たる事実ですよね。
起きるんだよっていう。私が何かを思わずにいるっていうのは不可能だってことなんですよね。退屈を覚えようと覚えまいと、怒りを覚えようと覚えまいと。
そんなことは大したことじゃないんですよ。大したことなんですけどね。退屈を覚えなかったということは、ここでちゃんとやってるということそのものが既にある種の事態を進行させてしまっているってわけなんですよね。
退屈すら覚えないっていうこの事態が、退屈すら覚えさせないように自分をしてしまってるっていう、そういう、ああいうものすごくものの分かったというか精神分析を理解しているような人でも、無意識のうちにってことに結局なるんですけど、退屈すら覚えないとすると。
つまり自分がある種の緊張を感じないようにしてしまって、退屈を覚えるといや退屈を覚えちゃよくないなとか、いろいろ思うところが出てくるじゃないですか。それすら覚えないでちゃんとやれてるような感じがすると、つまりこれでOKだって感じがするじゃないですか。ないですか。でも明らかに事態が何も進行してないってことはこれでOKなはずないじゃないですか。
この話は結局どういう話になってるかっていうと、この全身脱毛の人って迫害的ですよね。すごくね、毛が抜けていく。しかも数かそれを相手にもしてくれない。どういうことかというと藤山直樹さんが怖くてしょうがないわけです。
だけれどもこれを意識するということはその場に緊張が走りますよね。いや私のことそんなに怖がらなくていいからとかって、人情だから思いたくなるじゃないですか。で、いやいや怖がってません。いやあんた怖がってるじゃんみたいなそういうやり取りになるじゃないですか。そういうやり取りはしなくても。
だからすごい怖いと。だから何解釈されてもすぐに同意してしまうわけですよ。あっさりと。で、怖がってると思いたくないから怖がってるということを脱毛のクライアントさんもその怖がってるという意識を否認してしまう。で、怖がられているんだっていうことを藤山さんも意識しない。だから退屈を覚えることはなかったってことになってしまうわけですよ。
いろいろあるんですよ。いろいろあるんだけどこれやっぱり父と息子ですよね。で父親はすっごい実は恐れている息子なんですよね。父親はいいなりなわけですよ。そういうつもりはないんですよ。父親もそんなに評判的なことを言ってるつもりもない。いや自由にすればいい小説を書いていればいいお金は出してやるとか。
でもこれは実はすごい圧がかかっているんですよ。だってその人なんでそもそもそんなに無理をしてまで新人賞小さな新人賞を手がかりにしてまで小説家になりたいと思い込もうとしてるのかというと会社に行きたくないわけですよね。会社に行って上司とかに小突き回されるとかそういう風な目に会いたくない。つまり父親転移が起きるわけですよね。だからそういうのを回避するためには何でもするわけですよ。
毛は抜けるし、小説は書くし、新人賞を取るし、両親から離れたところに住むし、でもそれじゃ生活が立ち行かないからお金だけは出してもらうしと。徹底してるじゃないですか。この徹底ぶりは父親から来ているんだということをしかし精神分析の場で気づくのすら嫌なんで。
だって精神分析ってまさにそういうのに気づくためにやるもののはずなのに気づくのすら嫌だから自分でそれを否認し分析家がそれを気づけないようにまですると徹底してるんですよね。だから全身から毛が抜けていくっていう話になってくるんですよ。
まあこの毛が最終的にある種解釈の糸口になっていくんだけどその時に藤山さんがした解釈を即座にこれが大事なんですよ。読んでてもピンと最初来なかったんですけどね。本当に珍しいことなのだがってちゃんと書いたんですよね。
彼は即座にそれを否定して筆がペニスだということですね。でも僕は違うと思いますってこのセリフ僕は覚えちゃったんですけど。うまいこと書くなーって。本当にあったことじゃないとすればね。うまいこと書くなーと思ったんですよね。筆がペニスだということですね。でも僕は違うと思います。つまりあなたの解釈間違ってるよって言ったわけですよ。
これってすごいじゃないですか。そんなに怖がってるなら、いや先生の言う通り筆がペニスですよねって言っとけばいいじゃないですか。それをしなかったんですよ一瞬。でその時に藤山さんがびっくりすると。私これをびっくりしたのもピンと来なかったんですよ。いや別に解釈間違うこともあるじゃんって思ったんだけど、このびっくりはやっぱりこの臨床のやり方の正しさなんでしょうね。
つまり定員がぶち壊しになったからびっくりしたわけですよ。父と子なんだから。藤山さんの解釈がなんであれ間違って言うとなんだろうと。この人はもう脱毛の人はね。納得するべきなんですよ。そういうもう無意識の設定がそこに出来上がっちゃってるわけですよ。
なんてことないじゃないですか。その人の病状が重いってわけじゃない。そのカウンセリングルームが荒れてるってわけでもない。ちゃんとことは進んでいる。料金も支払われている。時間もかけてきた。なんならラポールも、ラポールが全然成立してなかったって話なんだけど成立しているようにちゃんと見える。
すべてがうまくいってるように見える。ただ何も自体は良くなってないんだけど。すべてがうまくいってるように見える。そういうはずだったのにいきなりぶち壊してきたから、つまり藤山さんがそれまで見ている逆転移風景というのは非現実なんですよね。
いや、なんて逆転移風景なんだから非現実ですよ。その人は自分の息子じゃないんだから。だから転移的な世界も非現実なんですよ。そんなに藤山さんを恐れてるっていうのはそうじゃなくて、お父さんを怖がってるんですよね。そのお父さんが怖いっていうのをまんま、全然自覚しないまま藤山さんをお父さん扱いして、すげー怖ぇーと思ってるから、何解釈されても、いやそうだよね、うん、わかる、その通りだってことになってしまって、何にも進展しないわけですよ。
だけれども、何か言われた時にそれは違うって言ってことは、それまでその人の人生にはなかったことなんですよね、きっとね、ほとんど。お父さんに対して、いやそうじゃないって言えなかったわけですよね。これが言えるようになるっていうことをやると、つまり転移空間をぶち壊しにすることになるわけですよ。ここにあったはずの設定はなかったことになる。あなたはお父さんじゃないよね、正しくもないよね。
途中、最後の方に書いてあるんですけどね、「わけもなく先生の言うことは全部絶対に正しいことだと信じ込んでいたんだということに気がついた。」
気がつくためには間違ってもらうしかないじゃないですか。これはミニコットの言う失敗ってやつですけども、失敗してもらわないと、ミニコットが言った通り、私がもし解釈をしないでいると、患者は私が何もかも正しく理解していると思い込むだろうってのはこういうことですよね。
AIと精神分析の違い
何にも言わなくても転移ってすでに始まっちゃってるってことなんですよ。そしてその場合、患者さんがこういう言い方しますけど、別に狂ってる必要とかないってことなんですよ。
めっちゃ正常、ごく自然で健常でも起こるんですよ、このこと。で、これが起きるということはつまり、めっちゃ正常、めっちゃ健常でも、全然問題のない人でも、現実検討式がきちっとつく人でも、非現実空間の中でどんどんどんどん進行させてしまうってことじゃないですか。
つまりそれって狂ってるじゃないですか。だから普通の健常者と平心病水準というものを、いとも簡単にここで設定というわけにはいかないってことなんですよね。この設定を作ればどういうことでも起こる。極論我々はそうですよね。映画館に行って泣く、すでに非現実世界に入り込んじゃってるわけですよね。
僕この例え話よくしますけど、信号機に赤になったらピタッと止まれる。すでに僕らは夢空間に入ってるわけですよ。犬は絶対そういうことしない。現実に生きてるから。我々はすぐ夢空間に入れる。
それは現実検討を失うんだけど、失わないと人間社会ではやっていけないんですよね。すぐ車に轢かれてしまうんです。ということを最近すごくわかったんで、もうだから神経症水準とかいらんわって、いやいるんですよ。いるんだけど、そういうことじゃないなっていうふうな気がしてきました。
そういうふうなことではないなと思えてきて、あの本の面白さっていうのはよくわかってくるんだなっていうことを知ったわけですよ。だからつまり私は何が言いたいのかというとですね。
セッティングする定義っていうものは、構造が3カ月チャレンジみたいに割とゆるゆる構造でも、はっきり言って絶対起きるし、だからもう完全にお互い夢空間の中でやり取りしちゃってるし、つまりそれは現実のやり取りじゃないってことですから。劇の中の世界みたいなもんですから。
この劇の中、だって父と息子でもなんでもない人が父と息子役やってるわけですから、そこで。そういうお父さん怖いから、その解釈は全部受け入れるからって、これはごっこ遊びじゃないですか。ロールプレイじゃないですか。ロールプレイをやっちゃう空間なんですよ。黙っててもそれはセットされていく。
で、一旦セットしたこれをぶち壊さないと始まらないんですよ。ということは壊すためには成立させなきゃなんないじゃないですか。で、途中で言ったんですよ。AIとの間にはこれが成立させようがない。だから壊せない。壊せないということは壊して夢と現実の違いを自覚するっていうことがそもそもとっても無理がある。原理的にですね。
AIの出来の問題じゃなくて、これは私は精神分析の問題だというか精神分析なったらこそだと思ってたんだけど、サンチュラやってみてそうじゃないということが分かる。どう考えてもあれは精神分析じゃないから、精神分析じゃなくてもこれと全く同じ事態を信仰するっていうことを認識最近新たにしていてですね。
AI面白いですけど、特に自我心理学とか僕苦手なんで、あるいは精神力度を使ったごく普通のカウンセリングで何やってるかとか知りたいけど分かんないんで、そういうのを知るにはあれはいいんだけど、あれはやっぱり知るっていうことしかできにくいツールなんだなっていう、これをカウンセリングの代わりにするってなると逆転移転いらないでしょって言われるかもしれないんですけど、僕は最近それが全く信じられないですよね。
逆転移を扱わないその相談って何なんだろうなって感じがするぐらい説明しにくいんですよ、これは。でもやっぱり変異逆転移ということによってしか伝わらないよなって思うんですよ。
トレードを使って言ってもいいですけどね。とにかく、だって伝えようとしても、体験するのが一番いいじゃないですか。私はこんなひどい目にあってるんです。っていうのを体験してもらうためには、その空間そのものに例えば虐待なり、何でもいいんですけれども、トラウマティックな出来事というものをそこに投げ込んでみて、ほらこんなに痛いんだよっていう、痛みってどうじゃないですか。
痛いんだよっていくら言われても痛いでしょうねって感じしかしないじゃないですか。でも殴られれば分かった痛いみたいな。でも殴られるわけにはいかないんで。だからやっぱりこの転移逆転移って重要なツールだと。安易に使ってはいかないと言われるかもしれませんけど、でも相談ごとにすでに使われちゃってるからねっていう感じですね。
37:42

コメント

スクロール