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日々お伝えしているニュースや話題の中から一つのテーマに絞って専門家や当事者に話を聞く週替わりの特集コーナー
Weekly Close Up。福岡市中央区天神にあります天神地下街が9月10日で開業50周年を迎えます。
多くの方が利用しているこの天神地下街だと思いますが、今週はその町の発展とともに天神地下街50周年というテーマでお送りしております。
今日は開業時からある老舗そば店について私と橋本アナウンサーで取材に行きました。
お話を伺ったのは壁屋天神地下街支店店長山崎夏子さんです。
山崎さんよろしくお願いします。よろしくお願いします。壁屋さんももう開業当初から出してたんですよね。はい。50年目になります。
はあ、なぜ当初この天神地下街で出展しようと思ったんですかね。
父がですね、東京の八重洲と地下街の人混みを見て、これからは多分地下の時代になると思ったらしいんですよ。
家族で行ったみたいなんですよね。それがオープンしてすぐぐらいでものすごい人だったらしいんですよ。
それを見て、これからは多分地下の時代になるんじゃないかということで、その後に天神に地下街ができるといったときに出展しようと思ったみたいなんですけど。
へえ、当然地下街で他のお店もやりたいやりたいという声は多かったと思うんですけど。
そうです。募集よりも多くてですね、出展希望の企業さんが。
それで結局うちも20坪ぐらい、これより少し広い坪数で希望したんですけど、結局多すぎて小さくなっていくんです。
はあ、そうだったんですか。
そういうらしいです。だからうちは今13坪ぐらいしかないんですけど、みなさんどこも希望通りにいかなかったんじゃないですか。
出展のそのテンポを増やすために小さく区切りして出して、たまたまうちはここになったんですけど。
はあ、じゃあこの地下街からすると予想以上にやりたいとテンポを上げたお店が多かったんですね。
そうです。らしいです。
実際その予想通り開店当初からお客さん多かったんですか。
そうですね。私はまだ中学生ぐらいだったんですけど、うちの祖父がドル箱って言ってました。
なまなましい。
うちの祖父は最初反対してたらしいんですよ。
結局最初の資金がものすごくかかったので、すごく反対してたんですけど、実際開けたらそれこそ毎日朝から晩まで満席状態。
予想がつかなかったんじゃないですか。どれぐらいになるかっていうのを。
山崎さんも子供の頃この壁屋のお店にも来てたんですか。
オープンする前に父に連れてきてもらったのはすごくよく覚えてて。
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オープン前。
どんな感じでしたその時は。
結局地下の駐車場から上がってきたら、この通路、広い方の通路にポンって出たんですよ。
そしたら両脇にザーッと、またシャッターが閉まった状態なんですけど、綺麗な通路が2本できてて。
もう本当に展示員にいつも来てたんですけど、地下にいつの間にこんなところができたんだっていうのを思ったのはすごく覚えてるんですよね。
どこにでもあるような地下街のイメージとはかなり違いますよね。
ちょっと薄暗くて、モダンな感じで、通路っていうよりはおしゃれな街が地下にできたっていうようなイメージだったと思います。
そこから50年今経ってるわけですけど、その間の何か印象に残ってる思い出ってどんなものがありますか。
そうですね。父への思い入れがすごくありますので、本当はこの、うちの横の連絡通路ですね、岩田屋さんに抜ける道もなかったんですよ、少しは。
ここずらっと飲食店が並んでて、前もお寿司屋さんだったりしてたんですけど、どんどんお店が変わってって、ラッキーなことにここが連絡通路になって、岩田屋さんが向こうに行って、
大丸さんができて、三越ができてっていうので、本当に場所的にはもううちの父が言うように最高の場所になったと思います。
とはいえ、他の飲食店でもこの50年の中で畳んでしまったり、移転したりとかいろんな店がある中で、ここで続けられてる秘訣ってどんなところだと思います。
そうですね、やっぱり6割とか7割ぐらいは常連のお客様なんですよね。今でも週に2回も3回も来てくださる常連のお客様があったからじゃないかなっていう気はします。
その方たちが結局お子さんを連れてこられたり、お孫さんを連れてきたりとかっていうのがあるので、やっぱりうちのそばに対してみなさんなんか思い入れというか思い出もありますし、
お父さんと来たとかおじいちゃんと来たとかいうようなことをおっしゃる方もいらっしゃいますので、それがずっと続いてるっていうのはあるかなと思います。
メニューは当時と今とで何か変化っていうのはありますか?
ここをオープンするときに、天ぷら類を父が始めたんですよ。それまではエビの天ぷらのメニューはまるでなかったんですけど、
ここを始めるのにエビをしようということで、エビの天ぷらを始めたんですよ。
メニューを見てもやっぱり山かけであるとか山式であるとか、もともと出雲のそばであるメニューしかなかったんですので、多分十数種類しかなかったと思うんですよ。
でもそれではやっぱり戦えないと思ったんじゃないかなと思うんですよね。
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だから他のお店で修行された女性の方だったんですけど、エビの処理の仕方から揚げるところまでをずっと習って、それで始めたんで。
最初の頃よく天丼を食べさせられました。
海外のお客様もエビを食べに来られる方がたくさんいらっしゃいますので、それは父の判断が正しかったのかなっていうふうには思ってますけど。
地下買いへの出店っていうこともそうだし、天ぷらを出そうっていうこともそうだし、お父様の先見の目っていうのは素晴らしかったんですね。
そうですね。うちの父は岩手屋さんが天神ではメインだった時代に必ず南に伸びるって言ったんですよ。
むしろ当時は天神北側が中心地でしたもんね。
そうなんです。北は海があるでしょ。だから必ず南に伸びていくって言って、
その通り大丸さんが博多の方から来られて三越ができて、今も大谷があってあそこぐらいまでは皆さんよく行き来されますよね。
本当に南に伸びていったなと思って、それはすごく感心します。
本当だったらここが最初の地下買いで言うとどん詰まりだったわけですよね。ここまでしかなかったわけですね。
今の壁屋さんがちょうど南の端だったんですね。
そうです。それもまさか倍南に伸びるとは思ってなかったので、今は本当にちょうど真ん中になったんで、そういう意味ではすごいなと思ってますけど。
お店に来る方というのも人数が変わったり増えたりしました?
どうしてもコロナがありましたので、その時はロックダウンをしましたし減りましたけど、
でも本当にその時ありがたかったのは常連のお客様が結局繰り返し来てくれるっていうのを本当にありがたかったんですよね。
みなさん飲食店で食事するのを少し懸念されてた時期に、それでも毎日のように来てくださった方もいらっしゃいますし、その方たちの顔はやっぱり忘れられないです。
そういうお客さんを大事にするってことがね、お返しになりますね。
ぜひぜひまた壁屋ののれんを守ってください。
はい、頑張ります。
今日はありがとうございました。
ありがとうございました。どうも。
ということで、その山崎さんのお父様の先見の銘があって、本当に繁盛するお店になったということですね。
天神地下街に創業当時から、地下街が創業当時からあるという老舗のそば屋ですね。
壁屋天神地下街支店の店長山崎夏子さんに伺いました。