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113|「行ったり来たり、왔다 갔다30年」。西日本新聞と釜山日報の交流の軌跡を、両者の社長が語ります。
2026-09-18 19:37

113|「行ったり来たり、왔다 갔다30年」。西日本新聞と釜山日報の交流の軌跡を、両者の社長が語ります。

西日本新聞と釜山日報の記者が海峡を越えて語り合う番組「海峡記者クラブ」。

第3回目の今回は、西日本新聞・田川大介社長と釜山日報・孫永信社長の対談をお送りいたします。

海を超え、記者がニュースを運んで行ったり来たり。西日本新聞(田川大介社長)と釜山日報(孫永信社長)は、1996年から交流を続けています。

そして、今年は釜山日報創刊80周年。記念の節目に、両者の社長が記者時代の思い出や今後の展望を語ります。

◆収録日:2026年9月10日

◆出演:田川大介(社長)、平原奈央子(報道センター)、孫永信(釜山日報・社長)孫慧林(釜山日報)

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西日本新聞Podcast
今日は海峡記者クラブ、福岡から海峡を渡り、対岸の釜山にやってきました。
釜山日報は9月10日、創刊80周年を迎えられました。
そして、西日本新聞と釜山日報の交流30周年の節目にもなります。
これを記念して、今日は、釜山日報の孫陽新社長と、西日本新聞社の田川大輔社長のトークでお送りします。
はい、こんにちは。西日本新聞社の社長の田川大輔と申します。
今、海峡を越えてきたと言われましたけれども、福岡から釜山、
今日は飛行機、特に早くて30分ぐらいで着きましたかね。
福岡から東京に行くよりよっぽど近い、本当に両都市の近さというものを実感したところです。
釜山日報、この度、創刊80周年おめでとうございます。
創刊80周年の記念式にお招きをいただきましてありがとうございます。
80年前と言いますと、1946年のことになりますね。
そうですね。
釜山日報の創刊第1号を拝見いたしました。
創刊の時の中で、社会情勢が混迷を極める中、自主独立を目指して、
国内外の動きを迅速かつ正確に報道する最善戦に立つと、
強い決意を示されておられたのが印象に残っています。
まず、80周年のお祝いのために、こうして遠い日本福岡からいらしてくださいまして、
本当にありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
1946年9月10日の80年前にこうして創刊しまして、
富山、烏山、そして京商南道地域で発行してまいりました。
富山は解放以後は避難首都として知られましたけれども、
今は南部地域の中心地になります。
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これまでも韓国南部の人の声、その声、そして現場の声を伝えてまいりました。
今も昔も南部圏のオピニオンリーダーとして走ってまいりました。
今は時代の流れが変わり、
新聞を超えてYouTubeの放送などの映像を強化しており、
また、地域も富山に集中して烏山、江南を強化しており、
全体的に、南部圏全体を知事の現場に作っており、
また、新しいメディアだけではなく、新しい企業、
データセンターの構築企業など、
デジタル資産交易所の参加など、新しい企業もよく行っております。
東京都立大学教育センターにも、もう一度注力を始めています。
新しいメディアとしては、データセンターの構築、
そしてデジタル財産に関することも注目をしております。
富山日報の創刊号を読みますと、
ハングルだけではなくて漢字がたくさん使ってありまして、
私でも何となく何を伝えようとしているのかなということを読み取ることができました。
創刊号から政治、それから経済、あと社会の動き、
ビッシリと詰まっていて、非常に濃密な報道をされてきたんだなと思いました。
孫社長が今、紙からデジタル、多メディアな展開をしていくということをおっしゃいましたけれども、
富山日報、やはり私たちの新聞社よりも、
数段多メディア発信というのは進んでいるなと思います。
デジタルにいち早く取り組まれましたし、
このスタジオも非常に本格的な装備がなされて、すごいなと思っております。
西日本新聞も来年150周年を迎えられますね。
いろいろ核心的な作業を進めています。
どんな取り組みがありますでしょうか。
西日本新聞は1877年、西南戦争を報道した筑紫新聞というものから始まります。
以来、福岡を拠点にした九州の報道機関として歩みを続けてきました。
特に東京から離れた福岡の新聞社として、
アジアの窓口の福岡の新聞社として、
韓国をはじめとするアジアとの関係、
そういったことを重視しながら報道に取り組んできました。
SNSをはじめ、いろんな情報が今飛び交っています。
そうした中で報道機関がしっかりと取材をして、
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記事という形で責任を持って届けていく。
その報道機関の役割を150年の節目にあたって、
改めて自覚しないといけないと思っているところです。
プサン日報と西日本新聞の交流は30年ですかね。
お互いに記者の交流も記者交換も続けてきました。
今はプサン日報のソン・ヘリム記者が、
西日本新聞を拠点に福岡九州のことを報じてくださっています。
とっても優秀な記者で、精力的に取材執筆に励んでいて、
すごいなと思います。よろしくお願いします。
明年もよろしくお願いします。
それではお二人も記者のご出身ということで、
記者を志したきっかけや入社の当時についてもお聞きしたいと思います。
私が西日本新聞に入社したのは1989年のことでした。
当時明確な記者志望というものではありませんでしたけれども、
大学生の時に西日本新聞社が主催する記者セミナーというものがあって、
それを受講したところ、新聞記者の役割、仕事について学ぶことができて、
楽しそうだな、この会社で働きたいなと思ったのがきっかけです。
私は実は家で武山日報を小さい頃から撮っておりまして、そこで連載記想説があったんです。
それの主人公が記者だったので、とても憧れを感じました。
大学も記者になれる社会学科を専攻しました。
ですので、連載小説を読んでその記者に憧れて、そして武山日報に入ったというのは本当に良かったと思います。
小さな記者であれば3年ぐらいで、中経記者、後産記者になると言いましたが、
何時に来るかと言いましたが、時間はすぐに経ちました。
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新聞社に来たので、編集局長は必ずやると言いましたが、社長になるとは思っていませんでした。
そうしたらすっかりあっという間に時間が過ぎて、いつかは編集局長になれたらいいなと思っていたところ、まさかこうして社長になるとは思いませんでした。
私も振り返ったらあっという間でしたね。
社長より記者がいいでしょ。
今はなかなか言えませんが楽しかったですね。
私が記者になった1989年というのは、福岡でアジア太平洋博覧会という博覧会があって、
そのことが福岡とアジアとの親密な交流一歩を踏み出すきっかけになりました。
今通訳をしています平原直子記者も、実はそのアジア太平洋博覧会9歳の時に見に行って、
韓国の方との文通が始まって、それをきっかけに韓国の歴史を専門に研究して西日本新聞に入ってきたというので、
非常にエポックスる年であり催しでしたね。
最後にこれからの富山と福岡の発展に向けてリスナーの皆さんにメッセージを一言ずついただきたいと思います。
富山と福岡が互いに交流し、記者を発見することは、今も同じですが、
将来、両メディアにとっては非常に重要な資産になると思います。
また、両地域にとっても良いことで、将来もこの良い関係を続けて、
富山と福岡が超強力軍の可能性を実現しながら、
一緒に努力していきたいと思います。
今、孫社長がおっしゃったように、スタン日報と西日本新聞社、
30年、記者交換が25年ですかね、長い交流を続けてきました。
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実は日本の報道機関、メディアの中でスタンに記者を常駐させているメディアは西日本新聞社だけなんですね。
これはスタン日報が長年にわたって全面的に協力してくださったおかげだと感謝をしています。
日本の新聞社も全国紙があり、地方紙があり、ある程度広域的な新聞がありと、
その中でそれぞれのメディアの特徴を示していくことが肝になってくると思っています。
西日本新聞はアジアの窓口の福岡を拠点にしているということで、
スタンとの関係をしっかりと続けていきたいですし、
西日本新聞だからこそスタンの報道ができるというものを売りにしていきたいと思っています。
今日は両社の社長のお二人のトークをお送りしました。
何か私も…
どういうふうに見ると社長の人たちですが、
同じ記者の先輩の人たちですよね。
だから何か…
後輩の記者としての役割は何かというのを
ちょっと…とても瞬間的に考えました。
偉いですね、少しでも。
社長さんですけれども、お二人とも記者のご出身で、
その後輩として考えるところが多かったということですね。
ああ、そうですね。
ところでですね、
富山日報の孫社長さん、
得種ヒッターだったそうです。
ああ、そうですね。
富山近郊のミリャンという蜜葉ですね。
漢字では秘密の蜜に太陽の葉という地名のところのご出身なんですけど。
そうです。
富山…孫社長さんの出身は
富山近郊にあるミリャンという、
京南ミリャンという地域で、
ミルの漢字は秘密の時のミルで、
ヤンは日光のヤンですよね。
実はミリャン、単語で見ると、
漢字で見るととても美しい地名だと思います。
そうなんですよ。漢字で見たら本当に何か助長があるというかですね。
だから英語にすればシークレット、サンシャイン、秘密の蜜、日の光なんですよね。
ここを舞台にした映画もありますよね。
孫元宏主演の。
そうです。有名です。
原作はイチョンジュンというね、
ジェンダーランド出身の小説家、私もすごく大好きなんですけど、
の虫の話、ポルレイヤギっていう作品ですね。
原作?
そうそうそう。
で、オルジャギイチョンジュン小説家のポルレイヤギが。
この虫の話も日本語で翻訳されてますけど。
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そういえば、ミリャンとまた孫社長さんのエピソードにちょっとまた戻りたい。
孫社長さんはミリャンの中でも150世帯ぐらいの村のご出身だそうで、
そこで小さい頃から神道と呼ばれたそうなんですね。
すごく勉強ができて。
そしてなんと2回も村の入り口に横断幕が張られたそうですよ。
1回目が三ツ与高校で主席になったとき。
もう1回目が武産日報の社長に就任したとき。
実際見たそうですね、ヘリムさん。
はい、私もミリャンの親戚がいて、
またまた行ったときに、
偶然に交差炉のような、
村の入り口の交差炉の近くに横断幕が張られていて、
横断幕という言葉で、
横断幕が張られていたのを見ました。
就任おめでとうというような内容だったと思います。
武産日報社長の横断幕。
武産日報社長就任おめでとうございます。
武産日報社長おめでとうというような内容だったと思います。
ちゃんと見たんですね。
そういう横断幕を張るのは韓国文化だよね。
本当に横断幕って日本ではそんなに見るものではないですけど。
最近は田舎に人がたくさんいないのですが、
昔は、今もそうですが、
昔は、例えば、
ソウル大学に行ったとき、
どんな博士になったとき、
必ず、
村に横断幕を張る。
今ではだいぶ減ったけど、
例えば、ソウル大学に入ったとか、
なんとか博士になったとか、
そうすると村の入り口にバーンと。
日本ではそういうのをしないんですか?
そうですね、あまり聞いたことがないですね。
日本では横断幕は、
集会の時のような感じですか?
そうですね、集会とかね。
英語とかで時々意味をかけますけど。
韓国は、どんなイベントや集会をしても、
それを記念するために横断幕を、
ほとんどのイベントで、
横断幕を使っています。
行事になると、ミスアイテムになるんですか?
そうです。
選挙の時にも、横断幕をたくさん掛けますよね。
選挙の時もですね。
ポスターだけではなくて。
ポスターだけでなく、横断幕を掛けて、
メッセージを書いています。
確かに。
選挙の時も、
横断幕が街中に出ていますけど、
私がびっくりしたのが、
ビル全体に横断幕で、
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ビルがラッピングされるほどの
巨大な横断幕が。
ビルの一つを、
レストランのように、
巨大な横断幕を掛けて、
ビルのような顔が見えますよね。
超巨大の横断幕が、
ビルをラッピングしていて、
政治家の顔でビルが包まれている。
とにかく、その程度、韓国では
横断幕を愛用しています。
それではですね、
今日はちょっと密用で、
エンディングトークもちょっと盛り上がって
しまいましたけれども。
ミランの話を、
でも、
社長の話だったんですけど、
結局、ミランの話、横断幕の話になったんですか?
そうですね、どんどん発表していきました。
社長のお二人のトークから、
イツヨの話、そして横断幕まで。
はい、そうです。
今日も楽しかったです。
はい、もうすっかり緊張も解けて、
来週も特定期の話題を紹介しましょうね。
次の週にも、
面白い話を
また会いに来ます。
楽しみに待っていてくださいね。
西日本新聞MEです。
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