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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は、第83回ということで、以下さんが先日配信された、インテリワルク地界のスターを講師に招いた研修会という配信から影響されてお届けしています。
以下さんすごいですね。ポッドキャスト繋がりで、講師を呼ぶ。これぞ新時代かなと思っています。
これからこういう繋がりのコラボとか、こういう繋がりの講師さんをお呼びするとか、そして新しいものをクリエイトしていくっていうような、そういう時代になっていくと私は思っていたので、
その先陣を切って早速ね、SNS繋がりで、そういった方を呼ぶっていうことができているというのが、とてもとても嬉しかったというか喜ばしかったというか、そういう風な配信をお聞きしました。
その中で、講師の方が言われている硬いものには柔らかいものっていう、そういった論を聞いていろんなことを思いましたので、
今日は聞いてしまう話ができるようになるにはどうしたらいいかについて、私の今のところの考えをゆるっと配信したいと思います。
まず大前提として、インプットがないと。まず自分の中に豊かなインプットがないと、人に聞くに値する話はできるっていうことにはならないんじゃないかと思うんですよね。
結構いろんなことを勉強してきているので、授業ではある程度のインプットはあると思うんですけれど、それでも教材研究をかなり積み重ねないと、ちゃんとしたアウトプットはできない。これは誰でもわかると思います。
その次に、やっぱり聞き手がいいと話しやすいですね。生徒と先生が信頼関係で結ばれていて、安心安全な場であるということ。
やっぱり興味関心とか知的好奇心が高い生徒が多いと、どうしてもこちらの話をまずは受け止めてくれるので、とても話がしやすいです。
だけど聞き手に恵まれすぎると、これもやっぱり話す力が本当につくのかなっていうのがちょっと私の中には実はあります。
日本はどっちかというと聞き手の方に責任がある文化で、例えば話している人の話をちゃんと聞けなかったのは聞き手が悪いという文化らしいんですよ。
ところがアメリカは話し手に責任がある文化なんで、話がよくわからなかったり面白くなかったのは話し手が悪いということになって、話し手責任の文化らしいんです。
だからアメリカではどうしても話を磨いていく、話していく力を磨いていく教育の方がとても力を入れられていると思うんですけれど、
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そういった面で聞き手に恵まれすぎると、ある意味ちょっと豊かな話し手にはなれないんじゃないかなっていうのが私の持論ですね。
私は生徒があんまり聞いていない知的公式記者もそこまでなくて、授業に興味関心がなくて、授業に非常に否定的な生徒が多かったっていう、そういう生徒実態の状態がかなり年数多くあるので、
そういったところでの苦しさっていうのは人一倍長く経験していると思います。
言うなれば、ポッドでの漫才師が地方巡業をやって、聞いてらっしゃる一元さんのお客さんに無視されたりやじられたりっていうような、そういった経験ですね。
ああいうのをかなり経験してきていて、基本聞いてない状態、授業に関係ない話でやじってくる状態っていうのは数多くありました。
普通の授業っていうのは先生が話をしていて、それを生徒がしっかり聞くっていうのは当たり前だと思うんですね。
先生っていう鎧着て、それで授業するので、そういった先生の鎧イコール、従わなくてはならないという権威によって生徒はちゃんと大人しくある程度すると思うんですけど、
そしてその学校に長く勤務していれば勤務するほどその先生の信頼度は上がってくるので、鎧に盾と剣を持つという最強の状態で生徒に対して接することができていると思います。
ところが生徒の方には先生っていう鎧、権威っていうのは全然通じないような生徒実態だったら、私たち教員は鎧も盾も剣も持ってないという状態で、全く防具も武器もなく生徒と一応対決しないといけないわけですね。
おそらく脆くも崩れ去っていくか、あるいは力のある先生、例えば特にね体が大きくて声も大きくて威圧的な方だったらパワーで抑えて支配的になるかのどちらかになってしまいます。
私はどちらかというと女性にしてはパワフルな方なんですけど、男性のように力強さとか威圧感はないんで、脆くも崩れ去るパターンの部類にいましたけれど、それでも勝負はずっとし続けていたと思います。
私が一番影響を受けた心の支えとしているテレビ番組がありまして、その番組のタイトルも忘れたんですけれど、しみたNHKの番組で、面識もないヤンキーに芸能人が授業するというそういう番組があったんですよ。
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その時に登場したのが、ちょっと名前は伏せておきますけど、ある学者の方と三浦昭弘さん。まずある学者の方が面識もない、本当暴走族みたいなヤンキーの前で授業をするんですね。
どんどんどんどん矢事とか、凄い霊性とか超性とかが来るわけですよ。学者の方は当然軽蔑してその子たちに対して軽蔑して入ってきているわけですから、子どもたちはどんどんその学者の方の化けの皮を剥がしていくわけですね。
人間として全然尊敬していない、そういった生徒の前で学者の方がいくら自分の優れた見識をひけらかしても全然心を開いてくれない。そういった一方で次に登場した三浦昭弘さん。
その暴走族みたいなヤンキーの生徒は三浦昭弘さんの見た目をすごく揶揄するわけですね。それからもののけ姫の目のモロっていうキャラクターの真似をしてくれとか、そんなことを言ってからかうわけですけれど、三浦昭弘さん途中までその人たちに押され気味だったんですけど、ある時スイッチが入りまして三浦昭弘さんが化けるんですよ。
すごかったですね。もう全然生きてきた厚みと深みと覚悟が全然違うんですよね。どんどんその生徒を引きつけていきました。
自分自身の背負ってきた苦しみや悲しみ、それから幼少期の頃の苦労、お母さんにかけた経済的な困窮の中でのしんどさ、そういったものを三浦昭弘さんが語りながら、あなたたちにその覚悟はあるのか。
どんなどん底の中で人々は生きてきたのか、あなたたちはこんなに恵まれてるじゃないか、あなたたち生きる覚悟があるのか、みたいなことをどんどんどんどん言っていくんですよね。もうシーンとなってましたね。本当にね。私自身も感動しました。
そんなのを見てきたら、もう結局のところ、そういった先生っていう鎧とか、その学校に長く勤務しているというような盾や剣っていうのは、もうはっきり言って虚職でしかないと思いましたね。
もうその人自身が苦労するしかないんじゃないかと、爆発を踏むしかないんじゃないかと、努力するしかないんじゃないかと、撃たれてもからかわれても嘲笑されても、どんなに痛めつけられても、とにかく這い上がって傷だらけになりながら前に進む。
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前に進み続けるしか、もう聞いてしまう話ができるようにならないんじゃないかって、すごく思いましたね。
なんかね、ほんと、小手先のテクニックとか、それから話し方のテクニックとかあると思うんですよ。
それはやっぱり、いろんなことを勉強して回数重ねていって、だんだん身についていくと思うんだけれど、根底的なところで、あの学者の方が人の前ですごく話ができる方が化けの皮を剥がされていったように、どんなにテクニックとか、どんなに話し方の技を持っていたとしても、叶わない部分がどこかに出てくる。
それを三羽さんが教えてくれたと思いますね。
なんか難しい話で、じゃあどうしろよっていうのかっていう話になってくるんだけど、結局今いる現場で、やっぱり失敗する、チャレンジする、自分の至らなさを痛感するしか、もう前に進めない。
これで自分はいいんだと、自己満足してしまうと成長が止まるっていうのは感じましたね。
ということで、なんかこうね、私もそういうベテランなんで、歴が長くて、なんかちょっとそういうね、なんていうんですかね、苦労した話ばっかりになっちゃうんだけれど、明るい話になってるのかな、ちょっとぐらいはしてるつもりなんですけど、
やっぱり授業道っていう道は、頑張り続けるしかないんだなっていうことを思いましたね。
ネタはね、こうやって人の配信を聞いたらパッと浮かぶんで、私つけることがなかなかないんですけれど、他にもいっぱいストックはあるんですけど、やっぱり他の配信者の方の配信は、私の中の何かを呼び覚ませてくれて、本当に役に立っています。
もっと国語の先生のポッドキャスターが増えたらいいなと思っているので、もし配信してみたいなっていう方がいらっしゃったら、どうやったらいいかなんかお伝えしますので、私の方にぜひぜひ連絡くださいませ。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。