パフォーマンス課題の重要性
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
私はね、ここ2週間ずっと風邪をひいてまして、なかなか治らなくて、鼻水がズルズルしたり、咳がコンコン出たりとですね、不安定な状況が2週間ぐらい続いて、
やっぱり体の調子が悪いと、配信もなんか調子悪くて、調子悪い中の配信で、ちょっとなんか後で聞き直すと生きてないなっていうのが結構ありまして、
やっぱり体の調子が悪いと、このホットキャストの配信も調子が悪い、いわゆる体育とかスポーツに似ているということが分かりました。
ということで、だいぶ治ってきたので、一昨日ぐらいから治ったのかな、ロイロの超女子会2とか、その後の川崎市でのロイロとグールのイベントの後に治ったということで、
やっぱり楽しいことをしちゃうと、体の調子も良くなるという証拠なんじゃないかと思いますけれども、だいぶ本調子になってきたので、これからも調子良い時をね、パフォーマンス良くできるように頑張りたいと思います。
それでは今日のタイトルは、パフォーマンス課題ですべった話ということで、前回の研究授業ですべった話と似たようなものになるんですけれど、よろしければお聞きください。
パフォーマンス課題っていうのは、今とても注目されていて、これをお聞きの現場でいろいろと頑張っておられる先生の中でも、パフォーマンス課題に一生懸命取り組んでおられる先生がいっぱいいらっしゃるんじゃないかと思うんですよ。
そもそもパフォーマンス課題っていうのは、レポートとかプレゼンテーションとか、学んだスキルや知識を総合化して活用して取り組むような課題を指しまして、思考力とか判断力とか表現力とか、そういったものを図るものになります。
パフォーマンス課題を勉強してきた人はわかると思うんだけど、やっぱり目的をちゃんとすることと、学習者に役割を持たせることと、そのパフォーマンスをする相手をちゃんと明確化しておくとか、状況設定をしておくとか、それから評価の観点を明らかにしておくとか、そういったことが必要になってくるわけですけれども、
こういうガチのパフォーマンス課題をいつもやっていると、ものすごく手間暇とか負担が増して持続可能になりにくいなっていう、特に最近では観点別評価もしないといけないので、都度都度パフォーマンス課題を全力でやっちゃうと、フィードバックも大変だし、現場が本当に疲弊してしまうというような批判もあります。
失敗からの学び
パフォーマンス課題について、いろいろな著書が終わりにある西岡かなえ先生も、パフォーマンス課題というものは、楽器に一回ちゃんとやればいいんじゃないかということもおっしゃっていまして、私もパフォーマンス課題はいいんだけれど、大変だから、自分の中ではミニパフォーマンス課題をちょいちょいやると、
その方が生徒を上手に巻き込んでいける。生徒も面白いし、こっちも負担が少ないし、スパイラル的に生徒を伸ばしていけるんじゃないかと思って、ミニパフォーマンス課題を気軽にやることを自分は心がけています。
そういった中、私はこのパフォーマンス課題で過去やらかしたことが何回も何回もあり、その中でも特徴的に生きていないパフォーマンス課題について今日はお知らせしたいと思います。
まずこれは、国立大附属勤務時代に、つれづれ草の花は盛りにいっていう有名なところがあるんですけど、そこを担当したときの話です。
つれづれ草という随筆は、日本の有名な古典なわけなんですけれども、やっぱり本当にこれ大人が読み味わうととてもいいなって思うぐらい中身が非常に深くて、味わい深くて、とても高校生とか中学生とか読み味わうっていうのは、なかなか手こずる作品だと思っています。
花は盛りにいっていう、この度の授業での内容をちょっと話しますと、大体この花は盛りにいっていう内容が、桜は花の盛りを満開だけを見るものではない。
月も何女もそういう、いわゆる満開の時、見どころの時っていうのを楽しむだけじゃなくて、その前後とか、そこに至るまでの過程とか、そういったことでいろんな想像力を働かせたり、余韻を楽しんだりする。これこそが上司を介する心なんだっていうような、そういう内容が書いてあるわけですけれど、これ高校生が共感するかなと思って、とても難しかったような思いがします。
これ、過去やったときは、私たちの、例えば、高校生活での花は盛りにいっていうのをリライトさせたりとか、そういうことをさせたこともあったわけですけど、この国立大附属の時には、なかなかそういうパフォーマンスからいいの思いつかなくて、結局、その時は多分市販授業かなんかで、この花は盛りにいをやったんだけれども、教材の中で、
教材研究しすぎて、もうなんかブラックホールに入ってしまって、私も従来の手軽さを失ってしまっていて、健康のものの見方、考え方について理解して、そして私たちとの違いを考えるみたいな目標にした結果、健康のものの考え方についてまず理解させないといけない。これどうしたらいいだろうか。
瞑想に瞑想した挙句、パッと思いついたのが脳内メーカー。当時流行ってたんじゃないかと思うんだけど、脳の中にどんな言葉がこの人は浮かんでいる人なんだろうかっていうように、その人のキャラクターを脳内メーカーっていう漢字ばっかりで構成されている脳のなんかの図式化。
これでもって表そうっていう脳内メーカーっていう面白いね、あのウェブアプリが何かがあったんですね。これやったんだけど、面白そうと思ってやったんだけどね、これ結局面白かったんですよ。面白かったんだけど、結局目的もはっきりしないし、評価もどうしたらいいかわかんないし、そういう明確でないパフォーマンス課題をやってしまったんですね。
面白いねーで終わってしまう、そういうパフォーマンス課題になってしまったというやらかした経験があります。
その時やっぱり、瞑想仕上げてドツモに入って、自分の世界だけに埋没してしまってたような気がするんで、こういう時は気軽にいろんなことを話しできるような、そういう同僚の存在がとてもありがたいなと思いますね。
そうやって他社からいろんなコメントをもらいながら、ちょっと距離を置いて考える冷静さを取り戻すということが必要だったかなと思うけど、その時はもう非常に忙しくて、教育実践の指導もあってから手一杯だったんだろうなと思いますけれど、今でもこの苦い経験が元になって、面白いねーだけで終わるパフォーマンス課題というものに対して私は非常に敏感に反応するようになって、
人の取り組みでも、他の方の取り組みですらも、面白いねーで終わるパフォーマンス課題になってないだろうかということをかなりチェックして、自分の過去の苦い思い出とともに、ただ面白いねーだけで終わるパフォーマンス課題というものに対しての警戒心が増したという、そういう経験があります。
新しい学習方法の導入
この苦い経験をもとに、私はつれづれ草を担当するようになってからは、パフォーマンス課題をリベンジしようということで、全人口でやった覚えがあるんですけど、これは同じつれづれ草の、雪の面白を降りたりしやしたっていう、そういう商談で、内容は、雪がとても重き深く降った朝に、そういうことにも触れないまま手紙をよこす人っていうのはがっかりだっていう、
女性っていうのは忘れがたいなっていうようなことを健康が言っているっていうね、そういう内容なんですけれど、これはあんまり勉強が好きじゃない子たちに与えたんだけれど、これどういうパフォーマンス課題にしたらいいかなと、そもそもああいう鎌倉時代の知識人たちのそういう価値観、これを現代の令和の高校生にどうやって結びつけようかなっていうのを考えに考えに考えてあげて、
あげく出てきたのが、LINEでこれを再現しようというパフォーマンス課題でした。LINEっていうのは生徒も日常的に使っているし、もうこの慣れ親しんだやりとりっていうのは手紙にも似てるので、その鎌倉時代の健康方針のね、そういう時代にあったやりとりっていうのを今に再現したらどうなるだろうかということで、現代版の令和版のLINEリメイクをやらせたんですけど、
これは良かったんですよ。私は最初はね、こんな簡単って言ったら語弊があるけど、こんなことならまあちゃちゃっと終わるかなと思ったら、ちょっとやっぱり勉強が難しい生徒だったというのもありまして、うーんって結構考えてましたね。
その後実際にLINEを模したパフォーマンス課題用紙に書かせていったわけですけど、一生懸命考えながら書いている。振り返りをさせましたところ、難しかったけれど、こんなやりとりをしたことがないと。たまにはこんなやりとりをしてみても面白いんじゃないかと思ったっていうようなコメントが結構あって、日常のLINEのやりとりがいかに、
彼らにとってはいつものことであり、そして鎌倉時代のやりとりがいかに情緒あるもの、私たちの生活とは全然違った、そういう季節の楽しみとかそういった感想を入れるっていうね、そういう視点、新たな視点っていうのを得て、新鮮な驚きや発見、そして自分も取り入れてみたいなっていうね、そういう気持ちになったということが私としては、
ちょっと意外な展開と言いますか、ひょうたんからコマっていうような、そういうパフォーマンス課題になりました。ということで、やっぱり目的とかそれから対象とか学習者の位置とか、きちっと設定してやるっていうのはいいなと思いました。
ただ評価がね、大変なんだけど、いつも実践発表したら、いろんな人に評価はどうするんですか、評価はどうするんですか、これこれについてはどうやって見とるんですかっていうふうなこともしょっちゅうしょっちゅう聞かれて、そんなに他者評価したいのっていうふうなのが裏でイラッとしながらあるわけなんだけど、もう書いて友達同士で見せ合って面白いね、いいね、すごいねって言い合うだけで、学びはどんどん広がっていくし深まっていくと思うんですよ。
それを評価、評価、評価、A、B、C、これだったら生徒も生き生きしないと思うんです。なので評価は励ましっていうふうに私はいつも思ってるんだけど、生徒が生き生きと楽しく、次に学びを従うような、次にまたもっと勉強してみたいと思うようなことこそが評価の目標ではあるので、評価軸はきちんと持っていく、持っておくということは必要ながらも、
評価っていうのを全部するんじゃなくて、要所要所でやればいいんじゃないかな、あとは褒めればいいんじゃないかなと思うのが私の今の気持ちです。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。