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2025-03-18 13:43

169 授業を生徒が評価するアンケートについてズバズバしますwww

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いつも聞いてくださっている先生から、年度末の授業アンケート等で憂鬱になる時期になりましたが、どう乗り越えておられますか、という質問が来たので、ズバズバ答えていますwww

 

#授業アンケート #バージョンアップ #ズバズバ

サマリー

本エピソードでは、生徒による授業評価アンケートのメリットとデメリットについて語られ、国語教育の現場における課題が探求されています。特に、教員への客観的なフィードバックの重要性や、生徒の評価が主観的であることから生じる問題点が考察されています。また、教育者が授業を生徒から評価されることの影響や、それに対する批判的な姿勢の重要性についても触れられています。具体的なエピソードを通じて、教育者自身が常に成長し続ける姿勢の価値が強調されています。

授業評価の背景
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は169回、授業を生徒が評価するアンケートについてズバズバしますというタイトルでお届けしたいと思います。
ちょっとタイトルがズバズバっていう感覚的な言葉を使ったのは、結構これから辛辣なことを言うよっていうそういう風な予告と、
ちょっと表現を柔らかくしてぼやかそうと思って、こんな感覚的なズバズバという言葉を使ってしまいました。
ということでいきたいと思います。そもそもこれを配信することになったきっかけは、いつも私の配信を聞いてくださっている、
大変親しくさせていただいてある先生が、年度末になって授業評価とかアンケートがそういったことでネガティブな反応をもらうことが多くなってきたと。
それをどういうふうに先生は乗り越えていらっしゃるのかということを配信したら、そういう憂鬱に思っている若手の先生とかにとって励ましになるんじゃないかということでリクエストがあったので、
これを私、面白いなと思って、私の考え方をこれから伝えていきたいと思います。
まず、授業評価するということのメリットとデメリットについてチャットGPTに聞いてみました。
授業の質の向上になるし、教員自身の成長になるし、生徒にとっても授業が充実してくるというメリットがあるということです。
これは当然だなと思いますね。私も実際そういうふうな指摘を受けることによって、より良く改善していこうという原動力になることがあります。
そして、組織全体としてもそういったアンケートを取ることによって、情報を共有してあるべき教育の方向に向かって組織全体で取り組むという、そういう統一性が出てくるということをチャットGPTくんが言っておりました。
例えば、ICTを活用して、もっと授業の質を上げていこうという目標があるとしたら、それに照らし合わせてアンケートを取ることによって、自分の取り組みの是非がきちっと分析されるので、教育の方向性統一のためにはとても有益なのではないかというような、そういう話がチャットGPTから提案がありました。
デメリットについては、これはやっぱり教員のプレッシャーやストレスになるということ、それから評価基準が非常に主観的で好き嫌いに偏ってしまうために、特に生徒の評価については公平性に欠けるという指摘がありました。
それから、型にはまった授業になりやすくて、自由が抑制されてチャレンジ、新しいものを生み出すということが停滞してしまうというような指摘もありました。
あとは、アンケートを取るということ自体の時間とか労力の負担が増すというようなことをチャットGPTは分析してくれました。
ということで、もっともだなと思うわけですけれども、私はやっぱりアンケートを取るということ自体は自分の授業の振り返りになって、これからより良くしていこうという、そういうふうな情報を提供してくださるという部分においてはとても良いことだと思うし、
学校全体として取り組もうという意識を向上させるということには良いことだと思うんだけれども、生徒に授業を評価させるということはどうなのかと、ちょっと大きな疑問があるんですよね。
私は先日、国語教育に関わる仲間たちと一緒に、月に1回定例会を行って、そこで自分が実践したことを提案して、そこでかなりご批制をいただくわけですけど、今まで国語教育についてすごく勉強してきて、みんなで仲間となってより良くしていこうという、そういう勉強を積み重ね信頼関係をずっと持ってきた。
建設的な意見を出してくれる。そういうグループの中で授業を評価してもらうということについては、こちらとしても本当に謙虚に受け止めることもできるし、指摘が適正だというふうに納得することも多いですし、より良くしていこう。
そのためにはこの人たちが支えてくれる。困ったときにはこの人たちが助言くれるというような、そういうふうな励ましをいただいて、授業をより良くしていこうとすることができるわけですね。
だけど、生徒っていうのは別に国語教育についてずっと真剣に勉強してきたわけでもありませんし、生徒って受ける側で、しかも幼いので判断がまだまだ甘くて、自分にとって都合が良いとか悪いとか、そういった次元の低いところで評価するっていうのは、これはもう真剣に授業を構築している側としてはたまったもんじゃありませんよ。
本当に好き嫌いとか、主観で評価されるようなアンケートを真に受けるというような、こういうふうな設定には非常に憤慨します。
だから、こんな恣意的な評価はスルーした方がいいと思うんですよ。スルーしますよ。
評価能力のない生徒に、しかも好き嫌いとか個人的な好みとか、受験に特化した授業をしてほしいとかいう次元の低いところで評価をしようとする評価者の質が悪いところのアンケートっていうのは基本的にスルーして、出てきたものはチラッと見た後、
引き出しの奥底にそっとしまっておけばいいんですよ。
学力の経済学っていう本にも、能力の低い人、定位な人は他者に厳しく自分に甘くなるっていう、そういうデータが出てるんですね。
それと反対に、やっぱり能力の高い人ほど自分に厳しく他者に甘くなるっていうような評価のあり方が出ているので、
生徒が能力低いっていうのも一概には言えないところがあるんですけれども、やっぱりきちんと勉強積み重ねてきた教育についてそれなりの評価の客観性をある程度持っている、
教育の本質と数値化への疑問
そういう人に評価してもらったものを自分のバージョンアップのために使うという姿勢をきちっと持っていただいて、
授業を生徒が評価するというアンケートについては、時代の流れのちょっとした義務的なものだと思ってしょうがないなということで、
偉大なる数流力でもってね、参考にするところは参考にするけど偉大なる数流力をもって退治していけばいいんじゃないかなって思いますね。
でもなんか私はね、自分が授業中に、ちゃんと授業した後に生徒に振り返りを書かせて、それを自分の授業の反省点にするとか、
授業ですぐ、私がより良くなりたいからフィードバックくださいって言ったアンケートはちゃんと念に受けた方がいいと思うんですよね。
こっちも真剣な思いだし、向こうも決めにしたら真剣に書いてくれるし、そういったふうに授業で自分自身でアンケートを取ればいいんじゃないかなと思ってますね。
それから次にですね、教育をビジネスみたいに数値化するっていうことについての疑問です。
教育ってビジネスじゃないですよね。人材育成です。成果が思ったように上がるわけでもないし、非常に個人差が激しいし、生徒の実態と先生の能力、先生の持ち味との組み合わせの問題もあるし、
教育は本当に成果主義では語れない部分があります。この教育の現場に成果主義を導入した途端に教育は私本質を失うと思っていて、
例えばこの先生がたくさん点数を上げることができるとか、入試の合格率が高くなる、この人の給料を上げましょうっていうことになるとどうなりますか、この世界。
想像してみてください。私だったら、そんなに給料をくれるんだったら、自分の担当する生徒はある程度点数が取れる偏差値的に高いランクの生徒を持ちたがりますよ。
だってその方が簡単に結果が出るもの。だからそういった能力のある程度高い生徒を担当して、この子たちに必死に注力して、
そして点数を上げて偏差値を上げて合格実績を上げれば、自分の能力に応じて給料が跳ね返ってくるってことになったら、能力のある子だけを相手にするようになりませんか。
余計に分断や差別を生むっていうことになると思うんですよね。
授業評価への批判的姿勢
だから、あまり能力が高くなくて、いくら教えてもなかなかパーンと数値に跳ね上がってない生徒については、給料にならないっていうふうな、そういう分断と差別を生むことになると思うんですよ。
ということを考えると、こうやって数値とかで評価するっていうことについて、教育者としては大いに批判的な態度で接しないといけないと思うんですよね。
だから、先ほども言っているように、授業アンケートについては一定距離を保って、客観的に、冷静に、上手に対応していけばいいんじゃないかと私は思っています。
その反面、やっぱり私たちは授業をより良くしていこうと、努力し続けるっていうことは肝に銘じて、日々アップデート、日々バージョンアップ、日々チャレンジと、それから自分の改善っていうことをいつもいつも意識するっていう、そういうのもある意味義務を負ってると思うんですよね。
新しいことにチャレンジして授業を新しく創造するっていうことももちろんそうだし、それからより質高くしようと思って自分を点検したり、生徒から意見をもらったり、こういうことを日々授業の中で、日々の教育活動の中で教員自身が心がけることが一番大事なことだと思っています。
それが優劣つけられるっていうと、非常にいろいろ、この授業のあり方とか教員のパーソナリティーとかって多面的なものだし、いろんな評価軸があるので、それを一面的にバシーと評価するっていうこと自体、ちょっと怖いことなんじゃないかなと思うので、これを聞いていらっしゃる若手の先生はそういうふうに思って、自分自身がいつもバージョンアップし、いつも努力し、いつも向上しようという気持ちを持っています。
そういう気持ちを見せることが最も大切なことだというふうに思っていただければと思います。
私が高校生の時に、ある体育の教育実習生が鉄棒を担当することになったんですね。鉄棒の授業で逆上がりをやることになったんですけど、私たしか高校1年生ぐらいだったと思うんですね。
男の男性の教育実習生が担当することになりまして、この方は陸上競技専門の方だったんですけど、授業の始まりに、実は僕は体育の教員のくせに鉄棒ができません。逆上がりができません。
だのに、自分はこの授業を担当することになりました。これからみんなと一緒に頑張りたいと思いますのでよろしくお願いします。こういうふうに話されて、えー、この人逆上がりもできないの?ということで、びっくりしたことがあったんですけど、これから僕が頑張って逆上がりをします。
ということで逆上がりしたら全然できないわけですね。ちょっとこれ演技だったんじゃないかなと思う趣味もあるんだけれども。一生懸命やっても逆上がりができない。これから見本の演技を見せようという時に失敗をしてしまったわけですけど、もう一回チャレンジします。お手本を見せますということで一生懸命チャレンジして、3回目でやっと逆上がりが成功してそこで大拍手が起こったわけです。
そしたら私たちはなぜかその姿に勇気とやる気をいただいて、その日の授業はみんなで一生懸命逆上がりをやり、できない人を励まし、できない人には助言したり、あるいは自分がどうやったらできるようになったのかを自分自ら逆上がりをやってみせながら分析してまたそのできない人に助言をするっていうような、
そういう助け合い、支え合う、そしてより良くなろうとする、そういう風なクラス集団、そういう風な授業ができました。
これは演技だったんじゃないかなと思う節もあるんだけれども、やっぱり指導者が及ばなくても、努力しよう、前向きにやろう、自分は逃げない、そしてみんなとより良く学び続けていきたいという姿勢を示すことこそが教育の一番大事なところなんじゃないかなと思うので、
よくわかんない、恣意的な評価っていうものは、うまく距離を保ちながら客観視しながら、上手にサイドに置いて、自分は本質を見失わないように頑張ってバージョンアップしていけばいいんじゃないかなっていうのが私の答えです。
それでは、今日の配信はここまでです。聞いてください。ありがとうございました。またお会いいたしましょう。
13:43

コメント

そーなんですよー 賢くありたいですねー なんでも評価すれば良いというものではないですよねー